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「は?」

 俺は思わず聞き返した。

「だーかーらっ!海行こうぜ、海っ!」

 目の前ではしゃぐ茶髪のツインテールを眺め、そして隣で俺と同じような困惑顔を浮かべている智代の顔を見て、そしてカレンダーを見る。

「なぁ河南子、お前、パピコの食いすぎじゃないか?」

「奇遇だな朋也。私も同じことを考えていた」

「んだとてめぇ。それじゃああたしの思考が変になったようじゃん」

「違うのか?」

「違うっての!」

 がうるるるる、と牙をむく河南子に対して、智代が疲れたように言った。

「わかったわかった。では九月なのに海に行きたいとか言う河南子さん、理由を述べよ。はい、スタート」

「え?もう九月なの?」

 ……脱力。

「気づいていなかったのか」

「うん。今知った」

 ……疲れた。

「いやさ、ほら、鷹文がぜんぜん遊んでくれなくてさ」

「それは本人に言った方がいいと思うぞ。大体、あいつ学校の教師なのに夏の間何やってたんだ?」

「パソコン」

 ああ、と智代が頭を抱えた。すごくリアルにその光景が頭に浮かぶなぁ……

「大丈夫か智代?」

「あ、ああ、大丈夫だ。優しいな朋也は」

「馬鹿、何言ってるんだ。嫁を気遣うのは当然だろ。智代ならなおさらだ」

「朋也……」

「智代……」

「って、勝手にそっちの世界に入ってんじゃねーっ!!」

 ちっ、いいところだったのに。

「つーわけで、海に行こう」

「意味わかんねえよ。鷹文と行けばいいだろ」

「行くよ。だから二人に説得頼んでるんじゃん」

 頼んでたのか……

 頭が痛い。しかし、智代の方を見ると、こっちもこめかみ辺りを抑えている。もし「ノー」と答えたら、これ以上大変なことになりそうだ。

「……まあしょうがない。やるだけやってみるか」

 ため息交じりに苦笑する俺たちをよそに、河南子は「ぃやったーっ」と万歳をした。

 

 

 

 

 

 

 

 初秋の海

 

 

 

 

 

 

 

「というわけなんだ」

「いや、全然わからないって」

 鷹文は抗議するが、もうレンタカーの中なのでジタバタもがいても意味はない。まぁ、朝早くに半ば誘拐まがいの手法で車に乗せられたら、誰だって抗議したくはなるか。

「いいじゃん。あんただって、あたしの水着姿見たくないのか」

「い、いや、そりゃ、ほら」

 しどろもどろになる鷹文。しかしそこで俺は首を傾げる。

「水着?」

「またまたぁ、どうせ頭ん中じゃ、先輩のせくすぃな水着姿のことで一杯なんだろ。この変態野郎め、くぬくぬぅ」

「自分のせくすぃな奥さんのせくすぃな水着姿を想像するのは、変態とは言わないんじゃないか」

「朋也、その、期待に背いて悪いのだが……私は今日、水着を持ってきていないぞ?」

 急に固まる河南子。

「いや、俺だって特に期待してなかったから大丈夫だ。鷹文はどうか知らないけどな」

「何で僕がっ!!」

「だってお前、姉萌えだろ」

「どこをどうやったらそうなるのっ!!」

「絶対に智代と河南子を見て『げははははは、彼女と姉貴の破廉恥なビキニ姿だぜ。こいつぁ目に焼き付けとかねえとな』とか思っていると読んだな、俺は」

「どういう読みだよそれっ!!」

「鷹文、その、もうそろそろ私から卒業してもいいんじゃないか」

「本気にするなぁっ!!」

「ちょっと待てよ」

 河南子が手を上げた。

「水着持ってないって、どゆこと?」

「河南子、今何月だっけ?」

 しばらくの沈黙の後、鷹文ができの悪い生徒に教える口調で尋ねた。おお、さすが教師。

「九月」

「九月の海って、あったかい?寒い?」

「そんなの根性で何とかしろよ、ユー」

「朋也、私は根性無しなんだろうか……」

「俺はどんな智代でも愛する自信はあるぞ」

 涙目になる智代にそう告げた。

「だから根性で何とかなるもんじゃないだろ」

「バーカ、鷹文のバーカ、そんなんだから根性無しなんだよ」

「何で僕がそんなにみそくそに言われなきゃいけないんだよ」

「朋也……」

「悔しかったら海をフルーチェに変えてみろ」

「それ、無理だし。すっごく迷惑だと思うし」

「智代……」

「まあ細かいことは気にするな。つか、相変わらずアッタマ固いなぁ」

「じゃあ聞くけどさ、河南子はフルーチェの海に水着で泳ぎたい?ねえ?」

「朋也……」

「そんなんこっちから狙い下げじゃあ!!」

「めちゃくちゃだね、もう。いや、くちゃくちゃかな」

「智代……」

「って、前の二人だけでいつまでもいいふいんき(何故か変換できない)でいちゃついてんじゃねーっ!ばかやろーっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかしあんた車運転出来たんだ」

 高速の前の渋滞で、小銭を用意していると河南子が不意に言った。

「まあ、いつも運転してるけどな、仕事で」

「昔は芳野さんが運転してたのに、今じゃお前が運転する立場になったか……ふふ」

「何だよ」

 不意に笑った智代に、にやけ顔を押し留めながら聞いた。

「いや、時間が経つのは早いなって」

「で、いつ免許取ったんだよ」

「智代と結婚した時辺り」

 だからかれこれ五年前か。そうか、もう五年か。しかし何だ、五年も経っているのに、相変わらず綺麗でかわいいよなこいつ。いや待て、結婚して五年ってことは、出会ってから十年経ってるのか。てえことはだ、やっぱり、これはあれだな、永遠の愛だな。二人は永遠に岡崎最高だ。

「始める前に言っておくけど、惚気なくていいからね、にぃちゃん」

「ははは、そんなつもりはないさ……ちっ」

「今、舌打ちしなかった?」

「気のせいだろ」

「それより鷹文、私はお前の方が心配だぞ」

 助手席の智代が言った。

「大事な彼女をほったらかしにして、夏の間どこにも連れて行かないなんて、ダメじゃないか」

 ぐっ、新婚旅行?何それおいしいの?な俺は何も言えない……

「そーだそーだ。ちったぁ彼女孝行しろ」

「そんなんじゃ先が思いやられるぞ。挙句の果てには結婚したはいいが、収入が少なすぎて苦労をかけたり、結婚して何年も経つのに子供ができず、奥さんに肩身の狭い思いをさせたり、そういうダメな夫になってしまうぞ。そもそもだな……うん?どうした朋也?」

「悪かった。俺が悪かったから、そこら辺でやめてくれ、智代」

「?何のことだ?朋也が悪い夫だなんて言った覚えはないぞ?」

 智代がキョトン、という顔をした。ああ、何という天然……

「やっぱすごいやねぇちゃん……」

「先輩、改めて見直したぜ」

「え?ちょっと待て、どういうことだ?え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かだな、と思ってミラーを覗くと、案の定二人とも寝ていた。

「まあ、出発したのが七時だったからな」

「お前は眠くないのか?俺のことなら気にせずに寝ていいぞ?」

「いや、大丈夫だ。しかし、こうして見ると二人ともかわいいな」

 ふふふ、と笑う智代。いけねえ、かわいすぎで事故るかと思った。

「大丈夫か、朋也?」

「あ、ああ」

「眠そうじゃないか。仕方のない奴だな」

「お前に言われるとなぜか悔しくないのな」

 しかし何だかんだ言いながら熱いコーヒーを魔法瓶から注いでパスしてくれる智代が好きだ。

「……河南子……むにゃ……」

 不意に、一言だけ鷹文が呟く。それを聞いた後、二人で笑ってしまった。

「何だ、二人とも私たちの知らないところではラブラブか」

「まあ、ずっと付き合ってるんだしな」

 

 

 

 ずっと昔の、一夏。そのうちの一夜のシーンを思い出す。あの頃は、河南子もまだ高校生で、母親が引っ越すと聞いていてもたってもいられずに鷹文に会いに来ていて、そしてそこで俺と会った。そして、二人で買い物に行く時、不意にいつもらしくない顔で、俺に言った。

 

 

「実はさ、あたしさ……こんなこと言うのがらじゃないから、すげぇ恥ずかしいんだけどさ……救われてんだよ、すごく」

 

 

 そして満天の星空を見上げて続けた。今まで誰にも言えなかったことを。

「だってさ……あの頃みたいなんだもん。一番楽しくて、幸せだった時……みんながいて、一緒に馬鹿やって、盛り上がってたさ……それで、あいつが……いつもそばにいてくれて……まるで、毎日がさ……あたしが一番幸せだったときみたいなんだもん」

 すごく楽しい、と呟くと、河南子は目を閉じて言った。

「ありがとう」

 

 それは、俺だけに言いたかった言葉だったんだろうか。

 俺に言いたかった言葉だったんだろうか。

 もしかして、誰かにずっと言いたくて、でも、今までガードを下ろせる相手がいなくて、だから俺と二人きりになった時、ようやく言えた言葉なんじゃないだろうか。智代が、いつもは毅然としている智代が俺だけに見せる弱さのように。
だから、そんな河南子だから、今、俺は少し救われた気分だった。あの時は誰もいなかった気分だったのかもしれない。だけど、今は違うだろ。

 今はお前さ、ほら、鷹文がいるじゃないか。他人には見せられない顔も見てくれる奴がいるじゃないか。

 

 

 

 答えるように、河南子が呟いた。

「……あったり麻枝のくらなどじゃん、ばーか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 着いたぞ、と言った頃には、さすがに体が凝り固まってきた。

「いよっしゃあああああああ!!」

 河南子は車から飛び降りると、浜辺に走り

「……」

 そして微妙な顔をした。

「誰もいないじゃん」

「ま、九月だからな」

「海の家も閉まってるし」

「ま、九月だからな」

「おまけに日焼けできないじゃんか」

「ま、九月だからな」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 苛立ちを隠せずに、河南子は俺に向かって手を出した。

「あ?」

「あ、じゃねーよ。早くパラソルとビーチボールとスイカ出せよ」

「はぁ?持ってきてねえよ」

「何でだよ、常識だろそれぐらい」

「誰も持ってくるって言ってましぇーん。マニフェストの隅から隅までよおっく見やがれ」

「ふ、ふん、あたしはそんなんで騙されないぞ。マニフェストに書かれたことすべてが政策じゃないことぐらい、あたしにだってわかるわ」

「いえいえ、当店自慢のマニフェスト麺。ウチはこれ1つで勝負です」

「……えぇぇぇぇ?」

「大体、やれるような雰囲気じゃないしね」

 鷹文がため息交じりに言った。

「ふん、いいもん。あたしだけ泳いできてやっから、お前らはそこで指咥えて待ってろ!」

「まあそう言う前に、水の温度を確かめたらどうだ?冷たすぎると心臓麻痺を起こすぞ?」

 諭すように言った智代に、河南子は頷くと海辺まで走っていき、指先を水に入れた。

「…………」

 数秒後、徐に

「海のバッキャロー!!」

 そして俺たちのところに来ると、ぷんぷん、と怒りながら言った。

「ほら、お前らも言えよ、何か言ってやれよ」

「ええっ!何でそうなるのさ?!」

「海じゃ定番だろてーばん。恥ずかしがってる場合じゃないだろ!」

「俺はっ!智代がっ大好きだぁああああああああああああ!!」

「うわっ!マジで言ってるし……」

「ば、バカ、そんな恥ずかしいこと叫ぶんじゃない」

 智代が真っ赤になって俺の口を塞ごうとする。

「や、でも、ほら、海に来たんだしさ」

「え、で、でも、その」

すると河南子がいたずらっぽく笑った。

「ほらほら先輩も、恥ずかしがってないで何か叫ぶ」

「え、あ、その……」

 おろおろと俺と河南子を見ると、智代は息を吸い込んで言い放った。

「朋也っ!一万年と二千年前から愛してるぞっ!!」

 短く叫んだ後、俺の後ろに隠れて「は、恥ずかしいじゃないかっ」と顔を赤くした。

「さーてと、残った鷹文君はどうするのかなぁ?ん?」

「別にいいだろ、叫ばなくても」

「そうはいくか。鷹文だけクールにいるなんてだめじゃん。それとも語尾に『でも僕KYだしなぁ』とつけるか?」

 いやだな、それ。

「わかったよ……まったく横暴だなぁ」

 渋々引き受ける鷹文。

「か……」

「お、『か』で始まったな、智代」

「さあどうなるんだろうな?」

 一瞬顔を赤くしてすごい顔で鷹文が睨んできた。ああ、こりゃ智代の弟なだけはあるな。

「……かな……」

 

 さあ言え。「河南子が好きだぁあ」と叫ぶんだ!

 

 

「神奈川県警のばっかやろオオオオオオオオ!!!!」

 

「それかいっ!!」

 つーか、何で神奈川県警?

「鷹文の……」

 後ろで殺気発生。

「馬鹿っ!!!」

 グーパンが顔に炸裂し、空を舞う鷹文。あれ、これどっかで見た気が……

「私の弟は……春原目だったのか……」

「あ、そうだ、春原に見える」

「うわぁあああああああああん」

 砂に突き刺さった鷹文を置いて、河南子は走り去って行った。

「鷹文、追った方がいいんじゃないか」

「……」

「夕暮れのビーチで追いかけっこ。うん、カップルの定番だな」

「……」

「鷹文、今日の智代のパンツは何色だ?」

「知らないよっ!!」

 砂からずっぽと体を出して、鷹文が叫んだ。

「いやあ、お前なら知ってるかなって」

「だからどこをどうほじくり返せばそうなるのっ!?」

「そんなことよりも、お前は彼女を追わなくていいのか?」

 半ば呆れたように、智代が砂浜の向こうを指さした。

「まったく、冗談がわからないんだから」

「あのタイミングで冗談を言うお前が悪いさ」

「にぃちゃんには言われたくないんだけど」

 そう言うと、「やれやれ」とばかりに肩をすくめて鷹文は走りだした。

「全く、あいつも仕方のない奴だな」

「そうだな」

 はは、と笑った後、波の音だけが聞こえた。智代の方を見ると、右手で長い髪を押さえながら水平線に目を向けていた。

「ん?何だ急に?」

「いや、ただ綺麗だなって」

 顔を真っ赤にして智代は怒ろうとしたが、しかし辺りを見回すと、むぅ、と唸った。

「……朋也はずるい」

「ずるい?」

「そんな言葉だけで、私を真っ赤にできるなんてずるいじゃないか」

「夫の醍醐味というやつだ」

「……そうか。なら」

 腕に腕を絡められる。急に身近に感じる、智代の温もり。

「これは妻の醍醐味というやつだ」

 肩に心地よい重さ。

「好きだぞ、朋也」

「おうよ。なら俺は智代が大好きだ」

「張り合うな、馬鹿。私だって、お前が大好きなんだからな」

 頭を智代のに乗せる。リンスのいい匂いがした。

「また、いつか来ような」

「ああ。来年の夏こそ、またこうして来よう。水着も持ってきてな」

「それは楽しみだな。だけどそれじゃあ、ここにきてる野郎共がほっとかないな」

「そんな時こそ守ってくれ。私はただの女の子なんだから」

 すると、河南子と鷹文がやってきた。心なしか、顔が赤い。

「おう、遅かったな。あまりに時間がかかってたんで、イチャイチャさせてもらってたんだ」

「それ、いつもやってるでしょ」

 さり気なさを演じている鷹文。しかし俺も智代も、俺達がギリギリ見える距離になるまで二人が手をつないでいたのを見逃さなかった。

「さて、じゃあ、帰るか」

「ちっ、しょーがねー。今年はこれで勘弁してやらぁ」

「また挑戦するの?」

 すると、不思議そうに河南子が鷹文を見た。

「え?もちろん。来年もまた、みんなで来ようよ」

「ああ、そうだな」

「うん。今度こそ夏にな」

 智代と河南子が笑う。鷹文はそんな二人を見て、俺を見て、そして苦笑した。

「みんなどいつもこいつも」

 

 

『仕方のない奴らだな』

 

 

 

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