「いやぁ、あたしもね、おまわりやってン十年になるけど、あの日の騒動みたいな日ぁなかったね」
苦笑しながら、畑村雄二巡査部長は言った。
「だってねぇ、あんた、ここいらでシマ張ってた黒浦組に殴り込みがかかって商売畳んじまうわ、あの雲隠れのヤスが現行犯で捕まるわ、もうお祭りみたいな日だったよ」
蝉がジージーと鳴き、夏の暑さを倍増させていた。
「え?いやぁ、原因なんてわかったもんじゃないのよ。もう、本当に謎。でも、強いて言えば、捕まった黒浦組の幹部の一人と、雲隠れのヤスが言うんですわ。長い髪の女が怖い、青い光が怖い、って」
トラウマになっちまったんだろうねぇ、と畑村巡査部長は呟いた。
これは、岡崎智代が、まだ坂上智代だった頃の話。
これは、そんな夏のお話。
全力の意味
「いろいろと変わってしまったな、この町も」
長髪の美少女は駅を出ると、感慨深げにため息をついた。右手には数日分の着替えなどを入れたカバン。左手には町の地図。
「まったく、数ヶ月いないうちにここまで変わってしまうとはな……」
あのファミレスが建っているところは、昔は雑木林で、子供の頃よく遊んだ。近所の悪ガキが邪魔してきたとき、返り討ちにして泣かせた時のあの顔は、今でも忘れられない貴重な思い出だった。清潔にイメージアップされた河原も、昔は自然な感じがしていて、不良共を川に蹴り入れた後はよくその風景を美しく思っていた。
「今では、あまりにもミスマッチになってしまうだろうがな……って何を言っているんだ私は!」
美少女は何気なく出た呟きに自分で突っ込みを入れた。彼女は故あって昔は伝説とまで謳われた最強の女であったのだが、高校二年になってからすっかり変わってしまい、その年の春からはできるだけ女の子らしくなろうと努力していたのだ。
「もしここであの頃の私に戻ってしまったら、破滅だぞ?わかるな、智代?」
自分にきつく言い聞かせる。
そう、私は違う。あの頃の自分とは違うのだ。
髪の毛にも気を使っている。最近元知り合いの男に不覚を取って後ろを取られた時、「トリートメントは……何、ティモテだと?」と言わしめた。
服装にも気を使っている。実に女の子らしいロングスカートをはけば、蹴る時に下着を恥ずかしげもなく見せるという野蛮な事態に陥らなくても済むと、最近気付いた。
料理も覚えた。買い物籠にネギを入れておけば、万が一の時でも十五分ぐらいなら一人でヤクザ五人を相手できるとわかった。
嗚呼、私はなんて女らしいのだろうか。そしてそれも、愛するあの者のため。
「朋也っ、私は帰って来たぞっ!」
坂上智代は、夏の青空に向かって宣言した。
「岡崎、夏の予定は何かあるか?」
不意に祐介がバンのミラーを見ながら訊いてきた。
「夏ですか……あー、あはは」
急ににやける朋也を見て、祐介は怪訝そうに片眉を上げた。
「どうした?何かあったのか?」
「いやぁ、実はあいつが大学の夏休みに入るんで、戻ってくるんですよ。だから一緒に遊ぶ約束しています」
「そうか、智代が……愛だな」
「まあ、そんな感じっす」
一仕事終わったら、丁度昼飯の時間だったので、二人で一旦事務所に戻ることにしたのだった。
そういや、帰ってくるんだったらコンビニ弁当とは少しの間おさらばになるかな。
ふと、そんなとりとめのない事を朋也は思い浮かべた。と同時に、恋人の智代の作る料理、その家庭的な味が蘇ってくる。いい具合に味のしみ込んだ肉じゃが。カリカリ感と柔らかさの調和が完璧な塩鮭。北海道まで行ってきて、自分の自慢の蹴りで仕留めて作った熊カレー。
「いや、それはまだ食べていないな」
「何の話だ?」
「いや、何でもないっす」
とにかく、智代に会えるのは楽しみだった。長い間会えなかったからこそ、この短い夏の間が貴重に思えた。
「確か……ここらへんだったと思うが……」
昔朋也にもらった、事務所の住所を書いた紙を片手に、智代は歩いた。本当にいろいろなものが変わってしまった。街の中を歩いて、そう実感した。
それでも変わらないものがあることも知って、うれしくなった。古河パンは今でも健在で、通り過ぎる時に早苗さんと秋生さんがあの愛の長距離走をやっているところに出くわした。学校を通り過ぎた時、桜並木が青々と葉っぱを茂らせているのを見た。男子寮を通り過ぎた時に、ラグビー部らしき生徒達が美佐江さんに追い出されるのを見た。
変わらないものだって、絶対にある。
そう、例えば、私と朋也の絆とか。
「私がいきなり来たら、やはり驚くだろうな……ふふ」
夏休みが始まる日は、朋也には教えていない。朋也を驚かしてやろうと思って、わざと教えなかったのである。
「朋也っ!私だ!」
「うぉおおお!智代だ!いきなりどうした、俺の大好きな智代っ!」
「お前に会いたくなって、大学の理事長を脅して夏休みを早めてもらったんだっ!会いたかったぞ朋也!」
「俺も会いたかったぞ、智代っ!夏休みを実力行使で早めるなんて、なんて女の子らしいんだっ!もぉ決めた!結婚しよう!」
「え?その、いいのか?いいんだな?ならば、結婚しよう!」
「愛だな」
「おめでとう」
「おめでとう」
「めでたいなぁ」
「おめでとさん」
「とはならないと思うが……」
妄想に冷静に突っ込む。うん、夢見る少女とは、私も女の子らしくなったな。
「あ、あれだ……?」
事務所が見えた。しかし、様子がおかしい。戸は閉め切っていて、窓も透明ではなく黒ずんでいた。どうも昔より頑丈な作りに改装されたようだ。
「変わったリフォームだな……」
智代はそう思いながら、しかし最高の笑顔を作って、事務所の扉を開けた。
「朋也っ!私だっ!」
事務所の中から戻って来たのは、恋人の熱い視線
「あァ?!」
ではなく、ガラの悪い男たちの、俗に言うガンタレだった。
「しかしここの事務所も悪くないな」
祐介は食後の一服をすると、二ヶ月前に引っ越してきた事務所を見まわしながら、煙草を勧めてきた。
「あ、いや、俺吸わないんです」
「む?禁煙か?」
「前吸ったら、智代の奴がずぅーーんとなってしまったんで……」
「……愛だな」
「そう言えば芳野さん知ってます?」
「何をだ?」
「前の事務所、何だか相当大変なことになってるそうですよ」
「ああ、聞いた。何でも極悪非道なヤクザの一家が新しいオーナーらしいな。聞いた話だと、一般人にも因縁をつけ、美女なら攫って裏業界に連れて行くという……人間とは思えない」
「そうだったんですか……うわぁ」
「お前も男なら、智代ぐらいは守ってやれよ?」
「そりゃあ、死んでも智代をそんな連中のところに行かせやしませんよ」
「んだテメエはよ?誰に口効いてっと思ってんだ、オラ」
「知ったことか。さあ朋也を出せ。大方最近働き始めた坊主なんだろう、そう先輩の彼女に向かって失礼な口を利くんじゃない」
「トモヤ?知らねえな。誰のことだぁ?」
「とぼけるのもいい加減にしろ。芳野さんはどこだ?」
「ヨシノ?トモヤ?こいつ頭おかしいんじゃねえの?」
「おいねぇちゃん、ワケワカンネぇこと言ってないで、お兄ちゃん達と楽しい遊びしようじゃねぇか」
「おい兄貴、見りゃ結構美人すねぇ。どうすか、ここでヤッちまうのも」
「いいねぇいいねぇ」
下卑た笑いを浮かべながら、一人の男が智代の腕を掴んだ。次の瞬間
ズガッ!
風を切り裂いて流星のごとき蹴りが男の体に炸裂する。壁にのめり込む男。
「兄貴!」
「私の体に触れるでない、下郎。私は朋也以外の男を受け入れるつもりはない」
「この……アマァッ!」
奥からさらにガラの悪そうな連中がやってきて、智代を囲んだ。
「覚悟はいいな、ねえちゃんよぉ?これでお前の人生終了ってか?」
しかしそれでも智代は、坂上智代はフッ、と笑った。
「いいだろう。私の本気を出してやろう。そして知るがいい」
足を地面に数回トントンと叩くと、智代は構えた。
「有象無象の区別なく、私の蹴りは許しはしない」
「ん?」
「どーしたんすか、岡崎さん」
山萩が能天気な感じで話しかけてきた。
「仕事に集中しろ。そこはそうじゃないだろ」
「あ、うす」
朋也がこの事務所で働き始めてから早一年。今では時々だが祐介に許可を得て後輩の指導も行い始めていた。山萩は三ヶ月前に来た後輩で、この能天気かつオプティミスティックなところが性格的ウリだ。
「ねぇ岡崎さん」
「何だ?」
「今の音、前の事務所の方角でしたよね?」
「聞こえてたのか?」
「俺、実は耳がいいんすよ」
「そういう問題か?」
首をかしげながら、朋也は目を凝らした。先ほど祐介と話した会話が戻ってくる。
「まさかこの町で抗争、じゃあねえよな……」
「ふぅ……」
智代は頭を振ってその長く美しい髪から埃を落とした。そして改めて右手にあるバッグを肩にかける。そう、私はこれから朋也に会いに行くのだ。身だしなみは整えなくては。
「で、だ」
だから、この左手で頭を掴まれている男から、とっとと朋也の居場所を聞き出さなくてはならなかった。
「ここは一体どうなったんだ?私が知る限り、電気工の事務所だったはずだが……」
「で、でん……ぐっ」
「どうなったんだろうな?」
指の圧力を強めた。
「ああああっぐぅうううあああ!言う言う言います、電気工は、ニカカニカゲ二ヶ月前に移転しましたぁ!」
「ほう……どこに?」
「どこって、どこだろ?いやほんとに知りません知りませんてばぁ!」
「困ったな……私は朋也のいる所へ全力で行く、と宣言したのだからな」
「……」
「知らないのか」
「ほんとです。指きりげんまんします」
「ヤクザの頭と指切りする趣味はない。そもそも、小指がないのに何を言っている」
「は、はひっ!とにかく俺の命だけは……」
「何を勘違いしている?」
「は?」
「もし知らないのなら、お前の命に、何の価値があるというのだ?」
「ひ」
「輪廻転生して親に謝って来い。話はそれからだ」
そう言うが早いか、智代は黒浦組の若頭を壁に叩きつけた。うめき声も上げずに崩れ落ちる男を尻目に、智代は考えた。
「知っている人と言えば……お義父さんか?」
そのまま事務所を出て行こうとする智代。しかし最後に足を止め、じっと事務所の一部を見た。そして
「ふむ、髪が乱れてしまった」
髪を整えると、再び歩き出す。朋也の事務所がどこにあるのか解らない今、どこで出くわすか解らなくなってしまった。ならば、いつでも会えるように身だしなみは整えておこう。嗚呼、私はなんて乙女チックなんだろうか。
「……今入ったニュースです。先ほど、光坂市に事務所を構えていた黒浦ビジネスマネジメント社に、何者かが侵入、多大な被害を及ばした模様です……」
「へー、物騒だな」
朋也が少し離れたところで携帯に向かって話しかけている間、山萩はカーステレオのラジオを聞き流しながら呟いた。光坂市?ってうお、ここじゃねえか。
「内部はひどい荒れようで、単独犯では考えられないような被害であることからして、警察は複数犯による火薬を使った攻撃なのではないかと検討しているそうです……」
「ねぇってねぇって。ここいらで火薬なんてつかわねぇって」
「ん?何の話だ?」
朋也が怪訝そうに顔を出した。
「あ、何でもないっす」
「そっか。じゃあ次行こうか」
「うっす」
それは、悪魔の囁きだった。
「なぁ岡崎さん、金に困ってるって話を聞いたんだが」
実際困っていた。朋也君には迷惑をかけられないから、自分でやっていく必要があった。しかし、現状は厳しかった。
「知り合いで結構できそうな奴いるんだけど、紹介しようか?」
話を切り出してきた男は、昔仕事を手伝ったことのある者で、結構危険な仕事だったと思う。そんな奴が「結構できそう」という者なのだから、どういうことをやるのか、ある意味見当は付いていた。
しかし、それは甘い勧誘だった。額を聞くと、しばらくは働かなくても済みそうな金額だった。その間にまともな生活をして、仕事を見つければ、こんな生活に走ることもないだろうか……
「あんたが、岡崎さんだな?」
男は不意に現れた。待ち合わせの路地裏が、急に暗くなった気がする。
「俺とレツを組むなんて、まだまだ早い気がするが、まぁ頼まれたんだからしょうがねぇ。光栄だと思えよ」
「は、はい」
「はっきり言おう。俺のやる仕事は儲けがすごい。でも、リスクもでかい。そんじょそこらの奴では下手をうってムショ行きは免れねえ」
だが、と彼は凄んだ。
「俺の名前はヤスってんだ。安心のヤスだ。俺と組んでる限りは絶対にうまくいく。わかったか?」
「はい」
「じゃあまずは適当なカモを」
それは、まさに一瞬だった。
最初に見たのは、数枚の桜の花びらだった。
なんでこんな物がここに舞うんだ、と思った瞬間、路地裏を青い閃光が駆けてきて
飛んで
蹴った
「ゲピ」
ヤスという男は、青い閃光の一撃を受け、ゴミバケツに頭から突っ込んだ。
「大丈夫ですか、直幸さん」
若くて可愛らしい声が聞いてきた。
「あなたは……ウルトラマン?」
ずぅううううううん
青い閃光だった女の子がいきなり落ち込んだ。
「そうか……春原に女の子扱いしてもらえなかったときは効いたが、よもや……よもや未来の義父には地球人扱いすらしてもらえないとは……」
いや、光の球が人にぶつかる、と聞くと、ウルトラマンを連想してもいいのではないか。
「義父……」
朋也君がらみ?そうすると、あの毎朝朋也君を起こしに来てくれた……
「坂上さん、か。お久しぶりだね」
「久しぶりです、直幸さん。できれば、もう少し早く私のことを思い出してほしかった……」
「はぁ……」
「しかし、大丈夫ですか?この男に何かされませんでしたか?」
「……この人を知っているのかい、坂上さん?」
「ええ、こいつは日本中を歩き回る小悪党で、通称『雲隠れのヤス』という男です。悪質な犯罪を繰り返しては雲隠れするということからそう呼ばれています。しかし実際は罪のない人を騙して共犯に仕立て上げ、そしてやばくなったらその共犯を切り捨てるという、最悪な男なんです」
頭から冷や水をかけられた気がした。
「そんな奴が直幸さんの傍に近付いていたので、思わず蹴ってしまったんだが……ああっ、これでは女の子らしくないではないかっ!」
いや、人間らしくなかったと思います。
「直幸さん、後生だから、私と貴方がここで会ったということは、朋也には内緒にしてもらえないでしょうか」
「え、あ、はい、もちろんです」
そうだった。もしここでこの男の言う通りになっていれば、朋也君にも迷惑がかかっていただろう。何という浅慮だったんだろうか。
「そうだ、直幸さんは朋也の新しい仕事場を知っていますか」
「え?いや、残念ながら……」
「そうでしたか……いや、直幸さんならばと思っていたんですが」
私たちは、ずっと昔に家族を止めているんでね、と言いたかった。
けど
「朋也はそういうことも父親に言っていないのか。仕方のない奴だな」
「あ……坂上さん」
「よし、今夜電話させます。うん、そうしよう。朋也とあなたは、家族なんだから」
「いや、実は今夜私はいないんだ」
「そうなんですか」
「ああ」
嘘だった。朋也君は何があっても私に電話をすることはないだろう。もしそれを強制でもしたら、朋也君と坂上さんの間に亀裂が生じるかもしれない。
「そうか……残念です。では、いずれまた」
そう言って去っていく坂上さんに、私は声をかけた。
「あ、あの」
「ん?どうしました?」
「息子に……朋也君に一つ伝えてくれませんか?」
「ええ、どうぞ」
「私は、また頑張る。また頑張っていく、と、そう伝えてくれますか」
坂上さんが笑った。
「わかりました。必ず伝えます」
颯爽と去っていく彼女を見ながら、私は微笑んだ。
そうだ、朋也君に迷惑をかけてはだめじゃないか。これからは、ちゃんと頑張っていこう。
「ふむ、仕方がない。最後の手がかりもないのでは、これを使うしかないか」
「ふぅ」
彼はふと足を止めると、桜の木を眺めた。
「どうしたの?」
「いや、桜を見るとね、会長を思い出しちゃってさ」
「会長って、坂上会長?」
「ああ。今、どうしてるかなって」
ふーん、と口をとがらせる彼女。彼は生徒会に入ってから彼女と知り合い、そして卒業した頃には付き合い始めていた。しかし、彼が彼女の気持ちに気付くのは、高校生活も最後になってからで、それまでは彼はある人を追いかけていた。
坂上智代。彼が副会長として力添えした人だった。
「好き、だったんでしょ、会長のこと」
「……最初はね。でも、今は違うよ」
「そらそうでしょ。今でもそうだって言ったら、あたし傷つくよ?」
「いや、そう言う意味じゃないんだ」
そう、彼の坂上会長への思いが切れたのは、皮肉なことに、会長があの岡崎とかいう不良と別れてからだった。そして会長は変わった。
正確に言うと、変わってしまった。さらに正確に言うと、彼が変えてしまった。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとね……」
すると、携帯が鳴った。訝しげに蓋を見ると、背筋が凍った。冷汗が滝のように流れる。
「……はい」
『私だ』
「……はい、会長閣下」
『ん?どうした?声がかすれているようだが』
「いえ、滅相もない」
『あの会計の安部とはまだ仲良くやっているか』
いつの間に解ったんだろうか。彼らが付き合い始めた時には坂上会長は岡崎依存症の悪化で他人の色恋沙汰には興味を示しそうになかったのに。
「ええ、今でも一緒です」
『大切にしてやれ。彼女を大切にしない奴は男じゃない。お前も少しは朋也を見習え』
「……はい。して、いかなるご用ですか、会長閣下」
『私への忠誠心を示してほしい』
来た。長い間来るかと思っていた物が、ついに来た。
『どうした?言ったはずだぞ?いつの日か、そしてあるいはそんな日は来ないかもしれないが、私のために尽くしてもらうことがある、と』
「会長閣下、お言葉ですが僕も木下ももうあの街にはいないんです。できることも少ないかと……」
『しかし伝はいるだろう?副会長としての役得だの何だのと言って、いろいろと面白い交友関係を築いていたようだが?』
「め、滅相もございません!僕はただ清廉に副会長の務めを……」
電話の向こうでため息が聞こえた。寿命がそれだけで三年は縮まる。
『ひとつ言っておこう。私に無実を訴えないでくれ。それは私の知性への侮辱で、それは私を怒らせるものだから』
「……はい。申し訳ありませんでした会長閣下」
『では頼む。私からの断りきれないオファーだと言え。とにかく、私は急いでいるのだ。人を探してほしい』
「それは、いかなるお方でしょうか?」
『岡崎朋也氏だ。早急に頼む』
「ブッ!!」
彼女が怪訝そうな目で見てきた。
「大丈夫?」
「うん大丈夫……会長閣下、それってもしかすると?」
『知っているな?よし。ついでに言っておこう。これは私事ではない。ビジネスだ』
「はぁ」
とてもそうは思えない。
『お前の過去の業績に関しては、まあオメルタを守ってやるのが妥当かと思う』
「ありがたき幸せにございます、会長閣下」
『うむ。ではまたな』
電話が切れた。
「今の、会長?」
「ああ」
「……何だか吹っ切れた理由がよくわかった気がするよ」
「ああ」
しかも最後に「またな」かよ……
シチリアでは、女はショットガンよりも怖いらしい。彼はようやくその意味がわかった気がする。
「まったく、一体全体どうなってやがる」
畑村は本日幾度目かになるかもわからない舌打ちをした。
現場はひどい有様だった。負傷者三十八名、うち意識不明者二十九名、恐怖により精神病の合併症状を引き起こした者十五名。そして何より、これだけの被害者を出しておきながら、検出された銃弾ゼロ、火薬の痕跡皆無という手がかりのない状態だった。かろうじて意識を保っている九名に事情を聞けば「青い鬼火とともに彼女はやってくる」だの、「スーパーサイヤなんたら」がどうたらだの、要領が全く得られない証言ばかりだった。
そうこうしているうちに、交番の方にとんでもない届け物が来たという連絡が入った。話を聞けば全国でマークすべしと連絡のあった「雲隠れのヤス」が、これまた昏睡された状態で縛りあげられ、交番の前に「落して」あったという。服を調べると出てくるわ出てくるわ、いろんなヤバいヤクがぽろぽろと見つかった。どうもこれからレツを組んで仕事に行こうという時に襲われたらしい。無論麻薬所持の現行犯で即逮捕、署長は嬉しさのあまりラリラリ音頭を踊っていたということだそうだ。
しかしそんな吉事も長くは続かず、十五分ほど前に署のコンピューターがクラックされた。外部からの複数ルートによる同時多面攻撃に、金をけちりにけちったショボイ無料ソフトウェアは早々に白旗。以来セキュリティシステムの復帰に交番では東奔西走しているとのことだった。当然こんな失態を犯した署長はラリラリ音頭を踊れる気分ではなく、今では署長室にてレクイエムを歌っているという体たらく。
「まったく、一体全体どうなってやがる」
畑村は本日幾度目かになるかもわからない舌打ちをした。
「ふぃー、お疲れさんです」
「はい、ご苦労さん」
山萩が一足先に下番した。後はこのデスクワークの雑務さえ終えれば、自由の身になれる。よーし、もうひと頑張り、と朋也は背を伸ばした。
「しかし岡崎君も頑張るよね。体壊さないでよ?」
「ええ、大丈夫です」
「いやぁ、君みたいに若い頃からやる人って少ないからね。何か理由でもあるのかい?」
「まぁ、その、あるにはありますね」
「ほうほう」
「俺の彼女、知ってますよね?あの弁当作ってきたりした」
「ああ、あの子ね。確か坂上さんだったっけ。今大学だったよね」
「彼女に言っちゃったんですよ、俺がお前の所まで行くって。だからまぁ、こうしてやっていけるんだと」
「ほうほう、いいねぇ、若いって」
「ははは」
急に朋也の頬が緩んだ。そう言えば、その前に何か言われたんだっけ。確か、全力で俺のところに来る、だったっけ?来るなよなぁ、お前が来たら、それって後退じゃねえか。まあ待ってろよ、待ってなって、俺が今そっち行くから。え?待てない?おいおいしょうがねぇなぁ
「畜生!可愛すぎだぜ!」
「??」
急に独り言が漏れたので、親方が怪訝そうに見た。その時
「朋也っっっ!!」
事務所の扉が勢い良く開けられた。そこに立っているのが誰か確認する前に
衝撃
朋也は空を待っていた。机に当たる。一回バウンドしてロッカーにぶち当たる。そして最後に壁に衝突。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
声にならない激痛。
「朋也、大丈夫か」
懐かしい声が遠くで聞こえた。朋也の前に走馬灯が走る。ああ、俺死んじまうのかな、そう言えば天使が目の前にいる気がする……
「って、智代、何してるんだここで!」
朋也はそれでも胸にしがみついている智代に突っ込んだ。
「決まっているだろう?朋也に会いに来たんだ。私は朋也の恋人だからな」
「いや、そりゃわかるけど」
「言っただろう、全力で私がお前の所に行くと。こういう可愛らしい約束を守ろうとしているんだ、女の子として全く問題がないだろう?」
「ああ、そうだな」
やり方には問題ありまくりだが。一瞬三途の川の向こうで母が「岡崎最高」の垂れ幕を持って待っていたのを見た気がした。
「大体、朋也が事務所が変わったということを言ってくれなかったから、これだけ遅くなってしまったぞ?」
「え?でも俺はお前が来るってこと、忘れてたのか」
「いや、知らなかったわけだが」
「じゃあ俺のせいじゃないじゃん」
「そこらへんは乙女心を読んでほしかった。全く仕方のない奴だ」
いや読めてたら人型機動戦士を操る連中もびっくりなエスパーだろうさ。
「岡崎君、今日はこれでいいからさ、早く上がっちゃいなよ」
「え、でも親方」
「彼女を待たせては男の名折れだよ?」
「そう……ですか。じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言うと、朋也は智代に事務所の外で待っていてもらい、着替えを済ますと外に出た。
「じゃ、帰るか」
「ああ。帰ろう、我が家へ」
はい?我が家?
「ちょっと待て、お前は俺のところで泊るつもりなのか?」
「?そうだが?」
「え?まさかこの夏は愛しの智代と同棲生活?え?」
「なななな何を言っているんだお前は!これはあれだ、あの、その、ただ数日間のお泊まりだ!両親だって帰ってきていることは知らないんだから、その、秘密の逢瀬だ!」
「そうなのか。健全なお泊りなのか」
「そうだ、悪いかっ!……いやその、な、健全じゃないことをまったく期待するなというわけではないぞ?でも、その、ほら同棲は結婚の一歩手前というじゃないか、その、何だ」
「けけけけ結婚って、お前は何恥ずかしいこと言ってんだよ」
「そ、そうだなっ!うん、とにかく、帰ろうっ!」
二人で顔を赤くしながら、歩き出す。
そんな、一夏の夕暮れ。
特典:脚本家インタビュー
― なんでこれをやろうと思いましたか?
や、何というか、最初に思い立ったのは「直幸さんが犯罪おかしそうになるのを智代ちゃんが来たら面白いだろうな」という安易なアイデアで。それとあまり智代ちゃんの「実は強い」設定が入○や出○では出てなかったかなぁ、と思いまして。そこらへんはまあ結構できたかなぁ、と思います。全体としてはまだまだですけど。
― 今回初めて山萩君が出てきましたよね
学園・本編アフター辺りではスノピーが、智代アフターでは鷹文クンがカバーしてくれてた「イジラレキャラ」ですが、スノピーは学校卒業とともに実家に帰っちゃって、あまりこっちに来られない設定だし、鷹文クンはほら、智代ちゃんが大学一年の夏だったら高校二年生、そろそろ勉強本腰ですからね。そんなに出せなくなったと。だから代わりに仕事場でイジラレキャラの補充をしなきゃと思いまして。
あまり完璧なオリキャラは作りたくないですね。普通は本編で名前しか出てこない、こう言ったら失礼ですけどツマキャラにスポットを当てたりするんですけど、どうにもならない場合もありますね。渚ちゃんの旦那さんとか。誰それの子供、だったらある程度は補完できますけどね。
― 最後に何か一言
結構参考というか影響受けました。鼻水の人、見てますか?いつも見てます。いつか結婚して下さい。