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 この話の始まりは、遠い遠い昔にあった一つの出会い。

 でもそこから始めると、本当に長く辛い話になるから、時間を少し先送りにさせていただこうかしら。

 そうね、じゃああたしのところに、もうすっかりお馴染みのお客となったあの子が遊びに来たところから始めますか。

 

 

 

「ずっと、誰かを待ってるの」

 あたしは目の前の少女に言った。少女はきょとんとすると、少し微笑んだ。

「誰か、とは?」

「ん。あたしが高校生の時に出会った人でね、本当に短い時間だったけど、その時間の中であたしはその人が好きになったのよ」

「それは……素敵な話、だな」

「そうね。もしその人がある日突然消えていなくなっちゃわなければ、本当にそうなってたかもしれない」

 少女ははっとして私を見ると、すごくすまなそうな顔をした。

「許してほしい、美佐枝さん。すごく無神経なことを言ってしまったな」

「気にしなさんな。あたしが勝手に話をしたんだから。にしても、あれよねぇ」

「うん?」

「あたしとあなた、本当にそっくりよね」

「そう言ってもらえると嬉しい。美佐枝さんは、私にとっての目標であり、いい先輩だからな」

「まあ生徒会長云々はほっといて、あなただって岡崎との恋は電撃的じゃない。しかも男もあたし達がいなけりゃどうしようもないって感じだし」

「……美佐枝さんの待っている方は、そんなにだらしないのか?」

 一瞬少女が憐れむような目で私を見た。岡崎ったら、こんな子に何迷惑掛けてんのかしらね。

「だらしないんじゃなくて、何かこう、ほっとけない感じね。あと、乙女心を全く理解できないという点でも、あたし達の惚れた男は似てるわね」

「それは……言えてるな」

 ふふふ、と二人で笑った。なーご、と膝の上の猫が不満そうに鳴いた。

「もしかすると、あたしがここを離れない理由はその人を今でも待っているからかもしれないわね」

 ほう、とため息を吐いた。

「また、会えるといいな」

「そうねえ……でも、少しばかりありえないかもね」

「そうなのか?」

「ええ。少しばかりありえない別れ方だったから」

「しかし、まだここにいると?」

「未練がましいわよね」

 自嘲すると、少女が興奮して立ち上がった。

「そんなことはないっ!」

「わ……って、驚いた」

「す、すまない。でも美佐枝さん、やはり私はあなたに勝てないかもしれないな」

「何の話よ今度は?」

「あなたは強いな。私は、もし朋也がいなくなってしまったら、ずっと待つなんてことはできないかもしれない」

「そうかもね。何となくあなたならいなくなったのを待つんじゃなくて、そのまま追いかけるって感じだものね」

「なあ美佐枝さん、私と一つ賭けをしないか?」

 少女が提案する。

「あら?面白いわね。どういう賭け?」

「私はこの恋は、差し出がましいようだが成就すると思う。美佐枝さんにはハッピーエンドがお似合いだからな。だから私はこの恋の成功に賭ける」

 なーお、と猫が同意するかのように目を細めた。

「何を言うかと思えば……じゃあ、あなたの賭けを信じて、気長に待ってみるわよ」

 ふふふ、と笑いが漏れる。

「何か変なことを言っただろうか?」

「いいえ、ただ、あなたって本当に女の子らしいわね」

「……ありがとう」

 

 

 

「切符を拝見いたします」

 初老の男性の声で、あたしは目を覚ました。昼頃に出立したはずなのに、結局向こうに着くのは夜になりそうだ。

「はい、ありがとうございます。では、よい旅を」

「はい、ありがとうね」

 車掌が会釈をして歩み去っていくと、あたしはまたがらんとした車両の中で一人になった。暗くなっていく窓の外をぼんやりと眺めながら、あたしは鼻歌を歌った。

「レイ=チャールズですね。いい歌です」

「え?」

 振り向くと、あたしの目の前に小柄な男性が季節はずれの白いコートに時代遅れのソフト帽をかぶって立っていた。

 

 

 

昨日の夢の中に

 

 

 

「ご一緒してもよろしいですか」

「え……ええ。こんなおばさんでよければ」

「いえいえ、まだまだお若いじゃないですか」

「あらお上手ね」

 男性はあたしの向かい側の席に座ると、窓の外を眺めた。

「ジャズに興味があるんですか?」

「いいえ。ただあたし男子寮の寮母をやってたんです。それでその寮の子の一人がレイ=チャールズが好きで、たまたまこの歌が今でも頭の中に残っているだけです」

「そうだったんですか」

 あたしは男を少し観察してみた。寒くはなってきているが、この長いコートはいくらなんでも早すぎるだろう。年齢はあたしより少し上、かな?でもどことなく幼い面影があるような気もする。しかしソフト帽のせいで表情があまり良く見えないし、この時代錯誤な趣味のせいで実際よりも大人びて見えるのかもしれない。

 ふと、何だか懐かしい記憶がした。

「あなた、前にあったこと、あったかしら?」

「あ、思い出してくれました?」

「……ごめんなさい、よくは」

「あなたの寮にお世話になった時がありました。もしかしてと思ってきてみたんですが」

 あの学校の生徒……なのだろうか?じゃあ見かけよりももっと若い。

「そうだったの」

「ええ……しかし、辞めてしまったんですか」

「そうなんです。これから実家に戻ろうかと」

「どちらですか」

 あたしはここからまだ一時間も先の駅の名前を言った。

「それは……遠いですね」

「その方がいいんです。近いと、やっぱり戻ってしまいそうで」

 そう。あたしはあの街を出る決心をしたのだ。

 待つことを辞める決心を、したのだった。

「何かあったんですか」

「え?」

「すみません。悲しそうに見えたので」

「そうですね……」

 あたしは小さく笑うと、目の前の男を改めて見据えた。

 不思議な人だ、と思った。なぜか全部話してみたい気になった、それとも、話したら全てふっ切れるんだろうか。ふっ切れたいんだろうか。

「もしよろしければお話を聞かせてくれませんか」

「長くなってもよければ」

 そしてあたしは語る。遠い昔の出会いのことを。

 

 

 

「結局、賭けには負けちゃったわね」

 ホームまで見送りに来てくれた坂上智代だった女性と、その子を岡崎智代に変えた唐辺木に、あたしは微笑みかけた。

「……すまない。軽はずみなことを言ってしまったようだな」

「いいのよ。おかげでそれなりに楽しめたわ」

「……美佐枝さん」

「ま、ありえないとは思うけどね、もしあたしのことを探してる人がいたら、百日紅の話をしてくれるとありがたいわ」

「百日紅の話……」

 岡崎さんはその意味を理解すると、あたしに抱きついてきて、しばらく泣いた。

 本当に見送りが泣いちゃってどうするのよ、ねえ?

 

 

 

 こんな話を知ってますか。

 これはずっと昔に読んだお話で、中国のおとぎ話らしいんです。

 あるところに一人の娘がいました。その娘は、一人の漁師に恋をしました。漁師と娘は恋人になり、漁師は沖に出るたびに彼女にまた会うことを約束し、娘は船が帰ってくる知らせを聞くと、海岸まで迎えに行きました。

 ある時、船が帰ってくるといううわさを聞いて、娘は海岸まで走りました。しかし、一日中待っても、漁師の乗る船は帰ってきませんでした。娘は次の日も出掛けて行きましたが、船は帰ってきません、次の日も、次の日も、娘は海岸で待ちました。すると、誰かが噂をするのを聞きました。漁師の乗った船は、嵐に飲まれてしまったのだと。

 それでも娘は船を待つのをやめませんでした。昼も夜も関係なく、海岸で沖をずっと眺めていました。そして百日間海岸に待ち続けた後、娘は死んでしまいました。

 数年後、娘の立っていたところに、きれいな花を咲かせる木が伸びました。それは恋人を待つ娘の姿にそっくりだったので、人々はその木に名前を付けました。百日紅、と。

 

 

 

「そういう話なんです」

 あたしはそう締めくくると、窓の外に広がる闇に目をやった。

「後悔、されてるんですか?」

「ずっと待っていたことに?」

「ええ」

 確かに傍から見れば、後悔してもおかしくないかもしれない。ずっと待った挙句に、あたしはその想いに区切りをちゃんと付けられぬまま街を出てきたようなものだった。少しばかり、待ちぼうけを食らったような、時間切れを食らったような気がした。

 でも

「いいえ、後悔なんかしてません」

 そう。

 あたしは志摩君が好きだった。

 好きだという気持ちを止めることができなかった。

 求めることを止めることができなかった。

 だから、ずっと昔の、少しさみしい日々の記憶に生きることにした。

 だから昨日の夢の中に生きることにした。

 後悔はしていない。

「ただ……」

「ただ」

 それでもあたしはあの街を出た。出なくてはならなかった。

「猫が、死んだんです」

 一瞬、電車がガタン、と大きな音を立てた。

「……そうだったんですか」

「一年前のことです。変な話よね。その猫、あたしの飼い猫ってわけじゃなかったんです。ただ気づけばいつも一緒にいて、仕方がないから面倒を見ていたってだけだったんですけどね」


結局、名前を付けてやることすらしなかった、あたしの虎猫。

「でも、その子が死んじゃった時、何だか心が折れちゃったというか、もうここにいる意味がなくなっちゃったな、て思っちゃって。変ですよね、その猫とあたしの待ってる人とは全然関係ないのに」

 一度、もしかしたら、と思ったこともあったけど、それは言わないでおく。そんなことは、常識的に考えればありえない。人は、猫なんかにはならない。

 それは冬の寒い日だった。

 猫があたしの膝に乗って、なーおと鳴いた時、なぜか解ってしまった。ああ、お別れを言いに来たんだな、って。あたしは何もできずに、泣きながら猫の体をさすって、看取ってやった。そして最後のぬくもりすらも消えて行ってしまった後、あたしは泣いた。誰にも憚れることなく泣いた。

 

 名前を呼んでやることすら、できなかった。

 

 ふと窓の外に目をやったら

「きれいな光景が見えたんです。雪景色みたいだったんだけど、逆に光の珠が空に向かって飛んで行ったんです」

 そこであたしは思い出した。この街には古い言い伝えがあった。幸せな時、楽しかった時、光の珠が現れるという話だ。また、別の誰かはそれが現れる時は奇跡が起こる時だとも言った。

 しかし、奇跡は起こらなかった。

 

 猫は、男子寮の裏の木の下に埋めた。

 

「言い伝えはやっぱり言い伝えよね。結局、何も起こらなかったんですから」

 あたしは苦笑した。何を期待していたんだろうか。あの時何かが起こると信じた自分は、やはり疲れてしまっていたんだろう。

 ふと見ると、目の前の男が泣いていた。

「やだ、何泣いてるんですか、見ず知らずのおばさんの話でしょ」

「すいません、ははは、あなたも辛いのに、すいません」

「謝らないでください。もう、変な人」

「あなたがそんなに悲しんでいたとは知らずに、僕は……僕は……」

 あたしはなぜかぐっと来てしまった。

 何でこんな他人同然の人の身の上話で泣けるんだろう?

 本当に、変な人。

 

 

 

「次の駅で、降ります」

 男が落ち着いて、車内アナウンスが聞こえた後、あたしは笑いかけた。

「そうですか……」

「いろいろと話し込んでしまって、すみませんね」

「いえいえ。少し、身に覚えのある話だったんで」

 男は少し恥ずかしそうに笑った。

「僕も、ずっと恋をしてたんです。今、その人に会いに行く途中です」

「それは素敵ですね」

「ええ。本当に長い間、恋慕っていましたが、訳あって思いを遂げずにいたんです。でも、それもあと少しなんです」

「よかったですね。あたしとは大違い」

「そうとも限りませんよ」

「え?」

 あたしの問いかけを避けるように、男はまた窓の外を眺めた。

 

 

 

「それではこれで」

 あたしが席を立った時、男も急に立った。

「いや、実は僕もここで降りるんで」

「奇遇ですね」

「……そうかもしれませんね」

 しかし、駅に降り立って改札を抜けた時も、男はあたしと一緒にいた。

「いい加減にしないと、恋人さんに怪しがられるわよ?」

「いや、大丈夫です。だって」

 不意に、男はソフト帽を脱いだ。

 

 

「僕が会いたかった人って、美佐枝さんですから」

 

 

 あたしは、目の前にいる人を見た。

 橙色の髪の毛は、少しばかり跳ねていて、垂れ耳が生えているように見えなくもない。

(あなたの寮にお世話になった時がありました)

 顔は少しばかり時の線が刻まれたようにも見えたけど、もしかするとあたしの年齢に合わせただけなのかもしれない。

(僕も、ずっと恋をしてたんです。今、その人に会いに行く途中です)

 でも、その目だけは変りようがなかった。その翡翠色の目は、忘れようもなかった。

(でも、それもあと少しなんです)

「志……摩君?」

 志摩君は大きくほほ笑んだ。

「お待ち遠様、美佐枝さん」

「え、志摩君?え?」

「こんなに待たせるつもりはなかったんだけど、結構長引いちゃった」

「志摩君」

「でもまあ美佐枝さんには昔よく待たされたし、それで許してくれるかな」

「志摩君っ!」

 あたしは志摩君に抱きついた。

「どこ行ってたのよ、馬鹿!探したんだから!」

「ごめんね。急にいなくなりたくはなかったんだけど、僕の役目はあれで終わりだったから」

「役目?ねえ、どういうことなの?」

「そうだね、でもまず、駅を出て、美佐枝さんの実家に荷物運ぼうか」

 そして志摩君はあたしの荷物を手に持った。

「僕の話も、結構長いんだ」

 

 

 

「お?」

「どうした朋也?」

 郵便を見ていた朋也が、驚いた声を上げた。

「美佐枝さんからだ……って、え?」

「美佐枝さんから?」

 それは一通の封筒だったが、差出人は「志摩美佐枝」となっていた。しかし、筆跡は私の恩人とも言える人の物だった。

 開けてみると、中から一枚の写真と、小さな手紙が入っていた。写真には、美佐枝さんと一人の男性が仲良く腕を組んで微笑んでいた。

「幸せそうだな」

 私は微笑むと、手紙の方を見た。それには、本当に短い、しかしずっと私の聞きたかった言葉が書かれていた。

 

 

岡崎智代さん
結局、賭けはあなたの勝ちだったわ

 

 

「本当に……よかった」

 私は心からそう笑った。

「……」

 ふと見ると、朋也はまだ写真を凝視したままだった。

「どうしたんだ?その男性に見覚えがあるとか?」

「なあ智代」

 不意にまじめな顔で朋也が私を見た。

「奇跡って、信じるか?」

「奇跡?」

「ああ。ちょっとばかし、お前には話しておきたいことがあるんだ」

 そう言うと、朋也は写真の中の二人に笑いかけた。

「ずっと昔の、不思議な恋の話を、さ」

 

I Can’t Stop Loving You

 

 

 

 

 

 

収録後談

朋也:お疲れっす

美佐枝:はい、ありがと

智代:今回は大活躍だったな、美佐枝さん

志摩:ほんとほんと。というか男性陣空気というか……

朋也:お前はいいよ、ずっとカメラにあたってたんだから。俺なんか背景というか総台詞六行だぞ六行

美佐枝:いいじゃないの。あんたねぇ、岡崎さんいなかったらカットよ?むしろ岡崎さんの付属品というか、アクセサリーというか

志摩:うわ、美佐枝さんそれないよ

朋也:……(ぐす)

智代:大丈夫だ。私はずっとお前を見てるから

朋也:智代……

智代:例え観客の九十九パーセントがお前をエキストラだと信じて疑わなくても、私にとってはお前が主演だ

朋也:……ちっくしょお、調子のいいこと言いやがてぇ、でもしょうがないから信じてやらんでもないぞ

美佐枝:はぁ……それはともかく、結構悩んだらしいわよ、脚本家?

志摩:やっぱり?美佐枝さんってスタッフ泣かせだから痛い痛い痛い痛い

美佐枝:志摩くぅん、今何て言ったのかなぁ?おねーさんちょっと興味あるわ?

志摩:……美佐枝さんみたいな素晴らしい女優をどうやったら生かし切れるか皆さん努力しますはい

美佐枝:まあね。あと、本編のままじゃ、何となく未完な感じがするというか、「それから」がでないというか……

志摩:ほんと奇跡でも起きない限り僕たち結ばれないしね

美佐枝:で、あたしの周りにいる男といったら、ラグビー部の部長(彼女持ち)とそこの馬鹿(既婚者)と金髪のすっとこどっこい(論外)しかいないもんね

志摩:このままじゃ何とかアフターの世界のまんまになりそうだし

美佐枝:だからまあ、こんな感じでよかったのよ。うん。相変わらずショボイ出来だけどね

 

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