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入○してみよう

「どうかな、朋也君」

 少し心配げな顔で、父・岡崎直幸は俺にほほ笑んだ。

「こればっかりは俺一人で決められることじゃないよな……」

「もちろん、智代さんとじっくり話し合う必要がある。その間はずっと智代さんに負担をかけることになるからね」

 ため息一つ。

 

 

「でもこのままでいいんだろうか、と私は思う時があるんだ」

「え」

「私は君を大学に行かせることができなかったからね。結局はそれで君たちに苦労を強いている気がするんだ」

「親父……」

「この不況だ。いくら朋也君が事務所ではもうベテランだと言っても、三人の面倒をみるのは……」

「ちょっと待て親父、言っとくが親父の面倒は負担じゃねえぞ?」

  急に顔をほころばせる親父。数年前はあり得ない会話だった。

 

 智代と結婚する際、俺は勇気を奮いだして親父と話してみた。智代も一緒に来てくれて、最初はぎこちなかった会話を何とか形にしてくれた。今ではわだかまりもなくりなり、普通の親子のようになった。相変わらず親父は俺を「朋也君」と呼ぶが、それに関しては智代が「私の母も私をさん付けするぞ?」と言い張ったので、俺も抵抗を感じなくなった。

 

「ありがとう。でも私のことじゃないんだ。私の事なら、まあ何とかなる」

「じゃあ……」

「ただ一つ不満なのは、まだ孫の顔が見れないことでね」

 痛いところを突かれた。

「朋也君と智代さんが一生懸命頑張っていることは、私が知っている。よおっく知っている。でもだからこそ、ここで一つ勇気を持って跳躍してみないかな、と思って……」

 目を合わせるのがつらくなって、ちゃぶ台に置かれている資料に目のやりどころを求めた。色とりどりのパンフレットや案内書、それは通信制の大学のものだった。

「君たちはいずれ親になる。君たちの中を見せつけられ……あ、いや見守っている私にしてみれば、いずれそうなる。その時に生まれてきた子供に、朋也君に強いてきたような苦労は嘗めさせたくないんだよ」

  すごくまっとうな意見だ。見せつけられる云々以外は全くもって非のない意見。

 しかしそう簡単にうまくいくだろうか。入学するとなると、金もかかるし仕事に割く時間も少なくなる。いくら智代が万能かつ最高だって、いくら俺の収入が彼女のそれに比べれば微々たるものであったって、大変になるのは確かだろう。

 悩んでいる俺に、親父がぼそりと呟いた。

 

 

「それに結局はこれで大卒になれる」

 ぴきーん

「そうだよ朋也君、智代さんと同じ大卒だ。夫の、そして父親の威厳の再来だ。これでもう髪結いの亭主だのなんだのと陰口をたたかれなくて済む。これで智代さんの尻に敷かれる原因の一つが消える。これで生まれてきた子供に『かあさんにはかなわないな』とか悲しげにつぶやかなくて済む。何よりこれで」

 春原さんと差がつけられる

 巡航ミサイル、目標に無事直撃。メーデーメーデー、我強烈な揺さぶりをかけられている。震度九だよママン。

 いつのまにか、親父は俺の操り方を覚えたようだった。親父が朋也マスターの座を智代と奪い合う日も近い。

「まあ考えてみてくれ。返事は今でなくていいから」

 何食わぬ顔で立ち上がった親父を、俺は半ば思考停止して豆腐と化した頭で見送った。

 

 

 

 

 

「義父さんは元気でいらしたか?」

「ああ、いつも通りだ」

 その日の夕食は葱と豆腐の味噌汁に鯖の塩焼きと白菜の漬物だった。共働きになったため、昔ほどの品数ではなくなったが、そこは何だ、智代の愛情で補って余りあるのでよしとしている。

 

 

「この白菜はよく漬かっている。どこで手に入れた?」

「私が漬けた。白菜は残念ながら自作ではないが」

「ほう智代が?見事いい塩梅の出来だ」

「今日の料理は朋也のために私が直々に料理した」

 いやまあそれがいつもなんだが。

「ほうそれは見事、この鯖の塩焼きなど絶品だぞ、智代?」

「喜んでもらってうれしい」

 はて俺たちキャラ変わってねえかと思いつつも夕食は進む。

 

 

「それで何か言ってらしたのか?」

「ああ、そうだった。あのな……」

 しばし言いよどんだ後、俺は意を決して智代を見た。

「俺……大学に行こうと思うんだ」

 沈黙。

「あ、あの、智代さん?」

「……よく…聞こえなかった」

「大学に行こうと思うって、そう言ったんだ」

 しばしの沈黙の後、智代が頷いた。

「うん…わかった……だから…早く冗談だと言ってくれ」

 

俺の大学行き、まいはにぃに冗談扱いされてます。

 

「朋也が大学なんて……明日は春原でも降るんだろうか」

 うわ嫌だなぁ。というかそれできそうなのお前くらいだし。

「なんでまた急に?」

 春原と差を付けたいから、とは答えられなかった。

「親父に勧められてさ」

「義父さんに?」

「ああ。その、何だ、そうした方が、あれだ、将来三人で」

「三人?義父さんはこちらに同居したいのか?」

「いやそうじゃなくて、俺とお前と、その、何だ」

「……家族を築いた時のことか」

「ああ。そうした方がいいんじゃないかって」

 智代が俯いた。

「もちろんそんなすんなり決まるとは思っていないけどな。金もかかるし、時間も厳しくなると思うんだが」

「大学に行くとなると、離れ離れになってしまうぞ……?」

「ああ、それなら大丈夫だ」

「大丈夫?大丈夫なものか。私は朋也がそばにいないとだめだし、朋也だってそうだろう?」

 そこで急にはっと顔を上げる智代。

「まさか……そうなのか?大学に行くというのは口実で、実は私以外にもう女がいるとか?何、相手は藤林杏?そうかそうだったか、あの女狐近頃なりを潜めていると思っていたが、私の知らないところで二人でR18指定な世界にいってしまっていたのかふふふふふかくなるうえは三人で心中してくれよう恋セヨ乙女殺セヨ敵」

「ちょっと待て、智代落ち着け」

「餅なんてついていられるかっ」

 ナイスボケ。

「大丈夫ってのは大学が通信制だって意味だ」

「え?」

「俺はどこにも行かない。俺を惑わすコンパや飲み会もない。俺にはお前以外の女もいない。大丈夫だ」

 急に邪悪なオーラが消えていくと同時に、智代はいつの間にか持っていた家庭用包丁をまた台所に持っていった。あれ、今俺すごく危なかったんじゃね?

「通信制か……ならば仕事をやりつつ、ということになるのか?」

「そうだな」

「大丈夫か?一日中大変なのに、帰ってきてから勉強となっては体が持たないんじゃないか?朋也が倒れてしまったら、私は……私は……」

「大丈夫だよ。智代が家で迎えてくれる限り、俺は元気になれる。そのままえくすたしぃな展開に行ってもオッケーになるぜ?」

「何を言っているんだお前は」

「とにかくそれは大丈夫なんだが、それでも金銭的には厳しくなると思う。残業もできなくなる日が出るだろうし、休日出勤も減るかもしれない。いくら俺の経済的供給が雀の涙ほどでも……雀の……涙ほ、ど……」

 

 

自分で自分のコンプレックスを踏むのがこんなに痛かったとは、新発見だ。わーい、できればこんなの知りたくなかったぞコン畜生ッ。

 

 

 

「そう自分を卑下するな、朋也」

 智代が優しく、あの包み込むような笑みで言ってくれた。それに見とれて、俺は言葉を失った。

「智代……」

 

 

「細胞内にあるミトコンドリアだって、体には必要不可欠なんだぞ?朋也が仕事に専念できる時間が少なくなるのは、私にとって辛いぞ?」

 

 

 智代はその優しい、悪意など欠片もない笑みを浮かべながら、真摯な言葉を投げかけてくれた。俺は再度言葉を失う。
さっきとは違う意味で。

「智代……」

 俺の給料は……俺の給料は岡崎家の経済のミトコンドリアでしかなかったんですねぇえ?!

「お金のほうは私が何とかやりくりしよう。大丈夫だ、少しゆとりがなくなるが、朋也の小遣いが減る程度で何とかなるだろう」

 何だとこのアマ、わしの小遣いはわしのもんじゃい、とは言えなかった。

「それより私はお前が勉強したいと思ったこと自体が信じられないのだが……」

「勉強は嫌いだけど、それで俺とお前の未来が楽になるんだったら、好きになってみせるさ。それに、前にも言っただろう、俺がお前の所に行くって。これはチャンスなんだって思ってさ。ここで頑張ったら、お前にふさわしい男になれるんじゃないかって」

 優しく智代の肩を掴んで、向き合う。

「馬鹿を言うな。朋也は私には過ぎた夫だ」

「お前こそ、俺には過ぎた妻だよ。だからお願いだ。頑張らせてくれ」

「朋也……」

 智代は声を詰まらせて俺に抱きついてきた。俺も精いっぱい抱きしめる。

「愛しているぞ智代」

「私も愛しているぞ朋也。お前ほど立派な男はいないぞ。私の誇れる旦那さまだ」

 付き合い始めてから八年。結婚してから三年。

 いつも思うんだが、この時ほどこいつと一緒でよかったと思ったことはなかった。

 

 

 

 

 

「そうか、岡崎君もねぇ……」

 親方がしみじみと呟いた。

 親方には入社以来いろんな面倒を見てもらっている。そして今回の件でも何も言わないわけにはいかなかった。普通の勤務時間だけならなんとかなるが、残業などを学業と一緒にやることは厳しい。いや、智代ぐらいの頭の持ち主ならなんとかなるんだろうが、あいにく俺の成績では無理な話だった。そして大学を卒業した後、俺はここを出ていくことにもなるだろう。それらを言わずにことを進めるのは、さすがに気がとがめた。

「すんません、いつもわがままばかりで」

「いやいや、こちらこそ岡崎君には期待以上に頑張ってもらってるからね。芳野君がデビューしていなくなった後も立派な後輩を育て上げてくれたから、不満とかはないんだけど」

 親方がさびしそうに笑った。

「やっぱりいつかはこうなるのかなぁって」

「?」

「朋也君はここより高いところに行けたってことだよ。最初からね」

 

 

 ここより高いところ。

 

 

 それはいつも智代に言われ続けてきたことだった。俺自身がそう言われたのは、これが初めてだった。

「数年コースなんだよね?」

「あ、はい。その間は仕事もがんばりますんで」

「ああ、わかっているよ。朋也君のことは信じてるさ。残業と週末出勤はこちらでなるたけ都合しておこう。それよりも勉強、頑張ってね」

 この人は何だってこうも優しいんだろう、と思った。

 親方に怒鳴られたことは一度もなかった。失敗した時も、労いの言葉をかけてくれた。たったそれだけで、頑張ろう、同じ過ちはしないようにしよう、と思うことができた。褒められたら、素直にうれしかった。

 今になってようやく気付いた。俺って本当に幸せだったんだな。

 

 

 

 

 

「だあああああああ!」

 俺はちゃぶ台に突っ伏した。

「大丈夫か朋也?」

 台所から智代が怪訝な顔をして覗いてきた。

「聞いてよともぴょん、勉強が俺をいじめるんだ」

「ともぴょんって……それより今度は何だ?」

「現代経済」

 通信制の大学は入試がなかったのですんなりと入学式などは済ませることができた。学部は智代と話し合った結果、彼女の専攻していた経済学部に進むことになった。しかし智代が教えてくれるところはわかるのだが、どうも、いうかやはり、といおうか、俺には難しいところがありすぎて、結局一時間に一度はオーバーヒートする。

「仕方がない奴だ。どれ」

「ありがとう、智代」

 この肩をすくめつつもうれしそうな顔を隠し切れないでいる智代が何とも可愛くて、時々わざとわからないふりをしてるんじゃないかと思う時があった。

「……まさかわざと私を呼びつけているわけじゃないよな、朋也?」

「まさか。お互い忙しいのは解っているつもりだ」

 ふーん、とジト目をこちらに向ける智代。恐らく取調室の中にいる方がましなんじゃないかと思った。

「それにしてはにやけきっているぞ?」

「!」

「そうか、朋也にとって私は行ったり来たりする道化も同じなんだな。結婚するときに大事にしてくれるというのは、あれはウソだったんだな……」

「いや違う、違うんだ」

「そう言えば最初の夜も優しくするとか言っておきながら、結局は……」

「ちょっおまそれ関係ないだろ」

「勉強したいという熱意も、所詮は紛い物……悲しいものだな、現実とは」

 このままどこまで妄想の奈落に落ちていくのか非常に興味があったが、ここで解らないところを教えてもらわなければ困るので、やれやれとため息をついた。

「智代、お前が助けに来てくれるのがきれいじゃないとかそういうわけじゃないぞ?ただ、実際問題として俺はお前の助けが必要で、ここを解らないままにしたら夜も眠れず結局過労死してしまう可能性もないわけではなく、そしてお前の教え方は虎の巻の方が参考にするべきともいえるほどうまくてだな、つまり必要なんだ。まあ無論お前が傍にいると微笑みと匂いで気持ちが和むしそのまま勉強なんかそっちのけで保健体育の授業に逆戻りしたくなるけどって俺は一体何を言いたいんでせうか?」

「朋也、お前の言いたいことはよくわかった」

  心配するなとでも言うように、智代がストップをかけた。

 

 

「要するにお前は馬鹿なんだな?」

 

 

 ストレートに言い切りましたよ、ええ

「とにかく頑張っていこう。私が何とかして見せる。もう夫が春原病の患者だと言われないためにも、私はがんばるぞ!」

 拳を握り締める智代。凛々しい、と言ったら傷つくだろうなぁ。

 ってちょっと待て誰だ俺を春原病患者に仕立て上げているのは?傷ついたぞ。

 とまあなんだかんだで通信教育は進んで行った。

 

 

 

 

「しっかし岡崎が勉強ねえ……」

 春原がちゃぶ台の前に胡坐をかきながら言った。

「そういうお前はまだ馬鹿なのな」

「大きなお世話だよっ!」

「そう言うなよ。俺はいつも尊敬してるんだから」

「え?そ、そうかな、まあ僕ってすごいしな」

「まったくお前の脳の要領でよく言語が理解できるな、って感じで。奇跡って起こるもんだな」

「相変らず失礼な奴ですねぇ!!」

「春原」

 不意に智代がお盆を持って台所からやってきた。部屋の気温が下がる。

「朋也を訪ねてきてくれたことはうれしいが、もしギャーギャー騒いで智也の勉強を邪魔するのだったら」

 ごとり、と湯呑茶碗を春原の前に置く。たったそれだけで、春原はひぃ、と声を上げた。

「この家を出るのは別に玄関から出なくてもいいだろう?心配するな、割れた窓ガラスとかはお前に請求してやる」

 無言でうなずく春原。生憎ここからでは智代の顔が見れないが、もしかすると見えないほうが幸せかもしれない。

「朋也、お茶だぞ。あとそこの客人も」

「ありがとう。いつも気が利くな」

 熱い茶を啜る。うまい。

「どうだろう?熱すぎないか」

「いや、丁度いい。すまないな、休日なのにいろいろとやってもらって」

「気にするな。わからないところはないか?肩は凝っていないか」

「気持ちだけで十分だ。本当にありがとう。お前って本当に過ぎた妻だよな」

「何を言っているんだ。お前のためなら何だってやるぞ」

「また始まったよ、この朋智コンビ」

 やれやれ、と言いながら春原は目の前に置かれた湯呑をとった。

「って僕だけ水ですかぁあ!!」

「俺の妻の茶を飲めると思っていたのか、春原星人のくせに?」

「ひどいっすねあんた!つーか春原星人ってなんだよ!」

「そうか、春原はこの星の人じゃなかったのか」

「知らなかったのか?M78星雲より遥か彼方から追放されてきたんだ」

「そうだったのか……大変だったんだな」

「智代ちゃん信じるな!ってそんな憐みの目を向けないでくださいお願いします」

 そんな春原を見ていたら、笑いがこみあげてきた。釣られて智代も、そして終いには春原も笑い始めた。

 何だ、遠くまで来たと思ったのに、やっぱり俺たち三人はあの時のままなんだな。

 

 

 

 

 

 通信教育の問題の一つが卒業率である。

 入るのは楽なのだが、誰もああせいこうせいと言わないため、やる気がなくなって辞めていく生徒がほとんどなのだそうだ。

 その問題はしかし俺には当てはまらなかった。

 

 

 

 

『あー、やる気でねぇ』

『朋也、どうかしたか』

『いや、なんかやる気が』

『そうか……今日の課題が終わったら朋也とあんなことしたりこんなことしたりできるかなと思っていたんだが……』

『なっ』

『課題が終わらないんじゃあしょうがないな』

『いやそれはその』

『一仕事が終わった男の胸とは、やはりすべての女子が憧れるほどのものなのだろうか、と興味があったのだが』

『待っていろ智代、すぐ終わる!』

 すまない親父。朋也マスターの座は、智代のものでFAみたいだ。

 

 

 

 

 

『うー、今日は頭が働かねー』

『朋也、大丈夫か?』

『あたまが〜、あたまが〜』

『やはりそうか……病院に連絡してくる』

『ちょっと待てよ、そんな大事じゃないぞ』

『いや、見るからに重症だ……ああっ、お前をここまでさせた私は妻失格だっ!許してくれ、朋也!』

『何の話だかさっぱりわかりません』

『そうだろう、そうだろう、末期の春原病患者はいつもそう言うんだ』

『誰が春原病だってえぇええええ!畜生ッ、だんご大家族ぅぁああああ!!』

 だんご大家族ってどういう掛け声だよ。

 

 

 

 

『今夜は智代が遅くなるし、誰もいないし……もういっそ逃げようかな……』

 ぴるるるる ぴるるるる

『はい、岡崎です』

『もしもし私智代。今、あなたの家の前にいるの』

 プツッ

『……』
 

 俺の妻は三本脚のりかちゃん人形かよ……

 

 

 

 

 とまあいろいろあって、無事過程も終了した。残すは卒業面接だけだった。

「岡崎朋也君」

 はい、と答えて面接室に入る。入学式に会って以来顔を合わせたことのない教授と助手が机越しにこちらを見て事務的な笑みを浮かべていた。

「座って。緊張しなくていいよ」

 はあ、と気の抜けた答えしかできなかった俺が情けない。

 最初の五分は卒論の要点を発表することに費やした。ようやく終わった時には、俺の背中は汗でぐっしょりしていた。

「なかなか面白い視点だね。一般人の意見をよく取り込んだみたいだ。君はこれを書いていてどう思った?」

「はい、何というか、経済って言うのが身近に感じられました」

「ふむ?」

「もともと経済なんて言うのはお…私には縁のないものだと思っていたんで、近寄りがたいと思ってたんですけど、卒論を書く際に知り合いとかとの話とかを参考にしたり書いた時、何だか全部遠いものじゃないなって思うことができました」

 そう。

 遠いものじゃなかったんだ。

 俺はいつのまにか智代のいる世界と俺のいる世界が別次元のものだと思っていた。

 でも実際は、なんてことはない。どこかで繋がってたんだ。手の届かない世界じゃなかったんだ。

 智代に手伝ってもらっても、大学を卒業するのに六年かかってしまった。俺も智代ももう二十代ではなくなった。それでも、俺はその時間を後悔することはない。それは、俺があいつの隣に立つまで一歩一歩進んで行った道だったからだ。

「ありがとうございました。それではこれで終わりにしたいと思います」

 そして俺の大学生活は終わった。
 入学してみるものだな。そう思った。

 

 

 しばらく経ってからの話だ。

 大学生活も終わったので、俺はまた残業と休日出勤に明け暮れるようになった。

 正直、三十になってから急に「オッスオラ残業、またよろしくな」とか言われるとキツイ。

 そう思いながら妻の待つ家に帰ってくる。やべえ、もう十時か。智代とは飯の後寝るだけかな。

 しかし玄関を開けて待っていた物は

 

 

「おめでとうっ!」

 

 少女のようにクラッカーを破裂させてうれしそうに笑う岡崎智代だった。

「な……なんだこりゃ」

「今日はお祝いだぞ、朋也」

 え?

 今日は俺の誕生日でもないし、こいつのでもない。

 まさか結婚記念日?いやいや。それは最近祝った……はず。

「これは一体?」

「今日来たんだ!やっとだぞ!だからお祝いだ」

「智代、すまんが日本語でおーけー」

 ああもうっ、と智代は奥に引っ込んでいってしまった。

 

 来た?何が??

 

 え?まさか幸せのコウノトリ?まじかよ?

 動揺しまくりの俺に、智代が一枚の紙切れを見せようとしたが、それすらももどかしいらしく、そのままの勢いで俺に抱きついてくる。虚を突かれた俺はドアに叩きつけられた。

 夫婦になって初めての家庭内暴力。それは妻からの抱擁によるスチールドアとの遭遇。

「朋也、卒業おめでとうっ!」

「え?」

「大学だ。お前は大学を卒業したんだ」

 言われてみて俺は智代の差し出した紙を見た。ふむふむ、岡崎朋也とかう奴が通信教育を無事終了したそうな、ほう。

 

 

 ってあれ?
 M A J I D E?

 

 

「卒業……したのか?」

「ああ」

「大学卒業……したのか」

「ああそうだ!やったな、朋也!」

 そう言って覗きこむ智代。高校時代からずっと釣り合わないとか言われながらも一緒に進んできてくれた智代。結婚しようと言った時に「遅かったぞ馬鹿」と言いつつも泣いて頷いてくれた智代。この六年間ずっと支えてきてくれた智代。

「さあ祝おう!今日は朋也の…」

「いや違う」

 え、と戸惑う智代の手を取って立ち上がる。そして腰と肩に手をまわした。

「今日は俺たちの勝利だ。桜の坂道からずっと歩いてきた俺たち二人の、そしてそれを支えてくれたみんなの勝利だ。主役は俺とお前、ちなみに言うと監督も俺たちだ」
「朋也……」
智代の眼が潤んだ。そのまま俺の胸に顔をうずめる。俺はゆっくりとその髪に顔をうずめてキスをした。
「朋也、愛しているぞ」
「ああ。俺も愛している。お前といられて幸福だ」
その夜、この胸を一杯にした幸福感だけは忘れられない。

 

 

 

 

収録後談

朋也:はいお疲れ〜。ふぅ、収録終わったぁ。

智代:お疲れ様だ、朋也。

朋也:おう。智代もな。しっかしまあ、これがシリーズ第一作としてえたなるお〜しゃんで上映された時はどきどきしたな?

智代:うん……そ、その、朋也、最後のスチールドア激突のシーン、あれは結構痛そうに見えたんだが、その、大丈夫か?

朋也:案じるな智代。肉体労働で培った筋肉、そう簡単に壊れるか。今日の俺は、阿修羅すらも凌駕する存在だ!

智代:……まあそれはさておき、これを書き上げてTK様に送った時、クロイ≠レイは「これ以上書き続けてもいいですか」と聞いたそうなんだ。

朋也:へぇ、つまり何だ、そこでTK様が「ボツ」と言っていたら……

智代:まず間違いなくこのサイトはなかっただろうな。

朋也:そう考えると、この結構拙いシリーズ一作目も、重要ってことか。

智代:そうなるな。ああ、ちなみにTK様も私と朋也の活躍するSSを書いていらっしゃるから、是非読みに行ってくれ。

朋也:誰に向かって言ってるんだ、それ?

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