人には向き、不向きがある。
これは紛れもない事実で、隠そうとしてもそうそう隠せるものじゃない。
例えば、あたしはよく短気短慮、しかもちょびっとだけ暴力的なところがある、らしい。朋也は、まぁ智代がいつも「仕方のない奴だ」というようにいろんなところが抜けているし、そういう智代も天然ボケなところがある。
だけど、要はそれをどうやって受け入れるかだと思う。トモトモーズは典型的な「痘痕も笑窪」状態で、お互いのことを知り尽くしたうえであれだけ惚気られるのだから、これはもうごちそうさまというしかない。というより、それはどんな夫婦でも同じなのだと思う。うちの両親の場合、パパは親馬鹿夫馬鹿の典型で、寄りつく男には死あるべし、というような人。ママは普段はおおらかだけど、書物の投擲やら智謀策略の使い方やらに長けていて、何を考えているのかわからないところがある。そんな歪な二人だけど、それでもうまくやっている。そういうものだと思う。
かくいうあたしも、結婚相手は完璧とはほど遠い。例えばあたしが古い友人(光坂市のいつもの仲間以外で)に結婚相手の名を告げると、みんな驚く。そして口には出さないけど、みんな顔に似たような質問を浮かべる。
― 何であんなヘタレと?
― 何であんな不良と?
― 何であんなバカと?
― 何であんなエロエロもんじゃ焼きのぶっちゃけ人外生物と?
……まぁ、さすがに最後のは怒ったけどさ。
でも、陽平の短所なんてずっとわかっていたから、逆に言えば冷静に見ることができたんだと、そう思う。下手に幻想とかを抱いたりせずに、「こいつはこういうやつだしねぇ」と納得できた。だからいくら陽平がバカでアホで頓珍漢でオマヌケで、その上ブルマ大好きなエロエロ星人でも、あたしはそれでも陽平のことが好きなんだと思う。
「それって、滅茶苦茶ひどいっすよねえっ?!」
くわっ、と陽平が目をひんむいた。
「え?そう?」
「ひどいよっ!!あんまりひどいんで、全国の春原ファンが泣いたよ!!」
「ふーん……陽平、それって浮気してるって取っていいのかしら」
「え?……へ?」
「ファン、ねぇ……つまりあんた、勝手に他のところで色目使ったりして、あたしの知らないところで好かれたりして、そんでもって追っかけがいるってことなのかしら?ふーん?」
ひぃい、と悲鳴が陽平の口から漏れ、瘧にかかったかのように体が震え始めた。注:これがあたしのラブハズバンド、のはずです。
「……バカみたい」
あたしはそっと呟き、俯いた。
「きょ、杏?」
「そうよね、バカよねあたし。陽平があたしなんかをずっと好きでいるわけないじゃない。なのにあたしったら、一途に陽平を想い続けたりして……ホント、何考えてたんだろ」
「ちょっ、まっ、待ってよ杏っ」
ぷい、としおらしくそっぽを向くと、陽平が慌てて腕を肩に回してきた。
「それは違うって、ファンなんかいないさ、アハハハハ。僕に杏ちゃん以外の誰がいるわけ?いないいないばぁだよ、ね?ね?」
「ホント?」
「ホントホント」
こくこくと必死になって頷く陽平がおかしくて、あたしは笑ってしまった。
「じゃあ、ずっと一緒だって約束する?」
「する。します。させてください」
「夜遅く飲んだくれて『えー、ご飯ー?いやー、いーよー』とか言わない?」
「言わない。言いません」
「月曜日と水曜日にはちゃんとゴミ出ししてくれる?」
「する。します。以下省略」
「ずっとずっと、あたしの旦那(と書いてゲボクと読む)でいてくれる?」
すると陽平は満面に笑みをたたえて言った。
「もちろんだよ、杏」
にやり。計画通り。
とかなれば、まぁ腹黒い鬼嫁さんなんだろうけど、残念ながら陽平のそんな笑顔に心動かされないほどあたしはすれてはおらず、お互いの顔の近さもあってかあたしはそっと目を閉じて、陽平の方に寄り掛かり
「とーさん、それでさっきの……って、うわ、ええっと、ごゆっくりぃぃいいいっ」
我らが息子に某WAWAWA忘れ物の真似をさせてしまったのだった。
積もり積もった類のモノ
「で?さっき何の用だったの」
白けきってしまった空気を振り払うかのように換気扇をつけると、あたしは陽平に言った。無論、その間はコンロの上の鍋から目は外さない。
時刻は昼ごろ。冬休みも残りわずかとなった日曜日で、あたしは家事をしながら今年の幼稚園の授業プランを考えていたりした。そうしているうちに園児の向き不向きの話になり、そして上記の通りのことを考えていると陽平が目の前に現れたというわけだった。
「あ、そうだそうだ。あのさ、杏」
不意に思い出したかのように、陽平があたしに聞いた。
「宿題教えて」
……
…………
……………………
「えーっと?ごめん、今、何て?」
「だから宿題だよ宿題。算数と英語」
「……」
「いやぁ、算数なんてすっごく久しぶりだよねぇ。僕なんかさ、中学の時まではちゃんと授業聞いてたからわかりそうなもんなんだけどさ、これがぜんぜん覚えてなくてさあ」
「…………」
「あと、英語。ホントマジで使ってないからすっかり錆びついちゃった。いやぁ、困っちゃってさ」
「陽平、ゴメン。何であんたが宿題してるの」
ずきずき痛む頭を押さえながら、あたしは夫に尋ねた。
「え?いや、えーっと?」
「だいたい、教科書読めばわかるでしょ、普通。そもそも宿題って何よ。仕事じゃないんでしょ」
「あー、教科書ね、あはは」
「ねぇ、もしかしてさあ」
あたしはじろりと陽平を睨むと、びしっ、と戸口を指差した。
「その宿題って、あそこでこっちをこそこそ見てる翔と関係ある?」
ぎくり。
二人の動揺が音となって部屋に響いた。ことことと音を立て始めた鍋をコンロから降ろし、火を弱めると、あたしはため息をついた。
「おおかた翔が冬休みの宿題溜め込んでたんでしょ」
「い、いや、そのぉ……」
「それで陽平に手伝ってくれって聞いてきたとか」
「あ、あはははは」
「で二人ともお手上げ?」
『あ……う……』
ぎこちなく気まずそうな笑顔が全てを語っていた。
「まったく……あんたたちときたら……」
ぱし、と手を頭にやって、あたしはまたため息をついた。
「とりあえずお昼。それまでにできることは二人でやっときなさい。話はそれからね」
『ふえーい』
「それから」
にっこりと二人に微笑んだ。
「手伝ってあげるけど、その後覚悟するのよ?」
『ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ』
春原家の冬休みの最後は、例によって例の如く静かには終わらないのだった。
お昼は黙々と食べられた。
あたしが食器を並べ始めた時に感じた重苦しい空気からして、あまりはかどらなかったのだろう。あたしを見ても「助けが来た!」というよりは「ひぃいい」という具合だった。父子ともども。さすがにそこは似ないでほしかったけど、まぁ仕方ないのだろう。
食事中も二人は黙りこくっていて、もし「で、どれくらいはかどったの?」などと聞こうものなら、どちらか(あるいは二人とも)ご飯を喉に詰まらせて卒倒してしまったかもしれない。ちらりと顔を見たら視線が合ったものの、すぐに目を逸らされてしまった。レディに向かって二人ともものすごく失礼だったので、脛を蹴っておいた。
「あだっ」
「ぐがっ」
「んー?どうしたの、二人とも」
「い、いえ」
「何でもないです」
普通なら「かーさんひどっ!」だの「僕が何したってんだよ、杏っ!」だのと言うのだけれども、今度ばかりはすごく静かに受け入れた。自分たちが悪いことをしたと自覚したわけではあるまい。むしろ気付いていないだろうことに250ペリカ。恐らくはただただ件の質問を聞かれるのが怖かっただけなのだろう。
「ごちそーさまっ」
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
そそくさと食べ終わると、陽平と翔は急いで勉強部屋に駆けこんでいってしまった。
「何だかねぇ……」
一人つぶやいた。あんなにそそくさと、しかも戦々恐々とした感じで食べられては、美味しい料理を作っても意味がない気がした。と、そんな時
「あ、杏」
「何よ」
勉強部屋のドアから半身を乗り出した陽平に、あたしは不機嫌さを隠さずに言った。
「い、いや、その」
「んー?」
「お昼の味付け、変えた?」
「なっ」
実は変えてた。出汁は昆布ではなくカツオだった。
「そ、それがどうかした?」
「いや、おいしかったなって」
「ば、バカ言ってないで、ほら、さっさとやってなさいよっ」
「へい」
恥ずかしさのあまり皿を投げつけそうになったけど、それを抑えてあたしは言った。陽平が勉強部屋に引っ込んんだあと、あたしはため息をついた。
あんな風に出鼻をくじくのって、ずるいと思う。
「仕方のない、奴……」
ふと友人の口調を真似てみた。確かにしっくりきたけど、朋也と被るのでやめた。いろいろ考えた揚句、あたしはぼそりと呟いた。
「陽平の、バカ」
それがあまりにもぴったりすぎて、なおかつそんな言葉を呟くあたしがあまりにも思春期真っ只中の少女らしくて、あたしはくすり、と笑ってしまった。
「あんたら、正直言ってバカよね」
数十分後、ずきずき痛む頭を押さえながらあたしは呟いた。しゅん、と縮こまる春原家男子メンバー。
「確かにね、自由研究は自由よ。何調べたって自由。極論すりゃあ、新聞の記事切り抜いてこれからの国会の予想立ててもいい」
目の前に置かれたのは、土が盛られただけの植木鉢と、「かんさつにっき」と書かれたA4の紙の束。
「だけどね」
あたしは自分を落ちつけようとすぅ、と深呼吸した。
「何で冬休みの自由研究が『アサガオの研究』なのよっ?!」
結局怒鳴ってしまった。息を吸った分だけ、声が大きくなった。
「いやー、その、こせーてきかなーって……」
「そういうのは個性と言わずにバカって言うのよ。結局はほら、何も育たないじゃない。『冬にアサガオは育ちません( ゚∀゚)アハハ 』って書いてごらんなさい。ぜっっっっったいに叱られるわよ。それとも何?このアサガオ、G細胞でも混じってるの?ビオランテにでも成長するの?バカなの?死ぬの?」
「うーん、あいがあればなんとかなるっておもってたんだけど」
「アサガオに愛って何よ愛って、どっかのヒッピー運動のつもり?そもそも、朋也おじさんと智代さんじゃないんだから、愛で何もかもうまくいくって考えてたら大間違いよ」
頭の中で「愛だな」「うん、愛だ」とかのたまいながら笑うトモトモーズの図にげんなりしながら、あたしはため息をついた。
「いやぁ、アイデアの勝利ってよく早苗さんも言うけど、うまくいかないもんだね」
息子と同じように笑いながら頭を掻く陽平を、あたしは睨みつけた。
「陽平も陽平よ。そもそもあんた、息子の宿題で音をあげてんじゃないわよ。教科書読めばわかるんじゃないの?たかだかこれぐらい解けなきゃ恥ずかしいったらありゃしないわよ」
「あー、その、ね、教科書なんだけどさ」
ぽりぽりと頬を掻きながら陽平が翔を見た。
「ん?どうかしたの?」
「えーっと、うん、そのぉ……」
俯いて植木鉢やドリルを見たりした挙句、翔がぽろりと漏らした。
「学校に置いてきちゃった……」
沈黙。
「こンのバカ息子がぁあああああああああああああああああああああああ!!」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
うがーと吠えた。窓の外で愛を語っていたらしい雀がびっくりして飛んでいった。正直すまんかった。
「どーしてどーしてどーしてどーしてどーしてあんたはそうやって自分を追いつめてくのよ!?そんな崖っぷちの綱渡り一輪車ショーみたいな人生を歩むのは、父さんだけでいいじゃない」
あたしは翔の肩を掴んで揺すった。
「何だか結構ひどいこと言われてるね、僕……」
「何よ。あたしが傍にいるんだからそれぐらい大丈夫じゃない。それよりどうするのよ、教科書なしで」
「……ともゆきにかりる?」
「朋幸君、あんたより学年一つ下じゃない」
「あ、そっか」
ぽん、と手を打って納得する翔を、あたしはとうとうドリルを丸めて張り倒した。
「きょ、杏ちゃん、家庭内暴力はその……」
「じゃかしいっ!少しばかりぶったって死にゃあしないわよ死にゃあ」
「……ぜんぜん幼稚園の先生らしくないセリフだね」
「あん?何か言った?」
ぎろり、と睨むと、陽平は黙り込んだ。
「とにかく!陽平は書き初めと計算ドリル、あたしは自由研究。筆跡が問われる漢字練習と英語の綴りは、翔がやるしかないわね」
「はっ、はひっ!!」
「えー、それじゃあぼく、ふーうん!てんさいテレビぐんだんをみのがしちゃうよ……」
ぶち、ぶちぶちぶち。
「知るかぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ」
『ひぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい』
とまぁ、こうして「残り三日!翔の宿題殲滅戦」の火ぶたが切って落とされたのだが、これがまたすんなりと進んでくれなかった。
例えば陽平の場合。
「へへん、できたぜ杏」
そう言って陽平は墨だらけの指で和紙を摘み、あたしに見せた。
「いいわね、この成人したようには見えないほど汚い字。翔にピッタリ。似せて書いたんでしょ」
「……いや、僕の本気なんですけど」
「…………ごめん」
「素直に謝るなよっ!!余計悲しくなってくるだろっ!!それより読めってば」
「はいはい」
苦笑してあたしは陽平の書き初めを見た。
『杏は僕の嫁異論は認めない』
「陽平、名前書いてないわよ」
「え、あ、やべっ」
『杏は僕の嫁異論は認めない 春原陽平』
「はい没収」
「ひどっ」
「こんなの学校に提出できるわけないじゃない。仕方がないからこれはあたしが管理してあげる。他の人に見られたりしたら恥ずかしすぎて涙が出るから、その、厳重なところに保管しておいてあげるわよ。そうね、あたしの宝箱なんていいかも。誰も見ないでしょあんなところ。間違って捨てちゃって、他人様の目につくこともないしね。あ、勘違いしないでね。別にこれ気に入ったとか嬉しいとか陽平愛してるとかそういうわけじゃないんだからね」
「……へいへい」
半ばげんなりしながらも陽平はにやにやしていたので、あたしは少し頬を膨らませた。
「何よ」
「別に」
と、その時、翔がふらふらとジャマイカ学習帳を手にあたし達のところにやって来た。
「で、できたよ」
「あら、やればできるじゃない。漢字?それとも英語の綴り?」
「りょうほう」
精根尽きたと言わんばかりの表情で、翔がおどろおどろしげに言った。
「それにしても英語ねぇ。僕なんて、中学でようやく習い始めたんだよねぇ」
「あたしだってそうよ。小学校で英語教え始めたって聞いてびっくりしちゃった」
「最近の小学生は進んでますなぁ」
「変な風に取れること言わない」
陽平を小突くと、あたしはジャマイカ学習帳を広げ、そして石となった。
「ねぇ、翔君」
自分の声ながら、やけに静かに響いた。不意に君づけされて、翔はびくりと体を震わせた。陽平に至っては、そこはまぁ長い間連れ合った仲だから、雷が落ちることを予想しているのだろう。すでにじりじりとあたしから後ずさっていた。あたしはノートから目を離さず、極力感情を押し殺した声でつづけた。
「漢字の書きとりって、確かノート二十ページ。それに英語の綴りは、ノート十五ページだったわよね」
「そ、そうだよ」
あたしはなおも、あたかも全てが悪い夢で会ってくれと願うかのようにノートを食い入るように見ていた。
「そう。わかってるのね。なのに」
そこであたしはようやくノートを翔につき返した。よほど怖い顔をしていたのだろう、翔はそんなあたしの顔を見て、「ひぃいい」と悲鳴を上げた。
「最初の一ページだけがんばって後は『いかどーぶん』としか書かないなんてふざけた真似をするわけ?!」
しかも英語の綴りに関しては、「ikadoobun」、イカドゥーブンとローマ字の綴りですら間違えている。
「ったく、はいやり直し!陽平、あんたもよ。もそっと普通に書いてきなさい」
「『かーさんはせかいいちのびじんです』とか」
「やめなさいっ」
恥ずかしさを隠すためにデコピンしたら、陽平がぶっ倒れて痙攣しだした。
「そーいや、じゆーけんきゅーのタイトルは」
恐る恐る翔が聞いてきたので、あたしは答えてあげた。
「DHMOを摂りすぎるといかに体に悪いかの研究」
「でぃーへいち……えむお?何それ」
「水素が二つに酸素が一つくっついた時にできる液体のことよ。摂りすぎると死ぬわね、普通」
「へー、こわいね」
とまぁ、どたばたとした毎日を繰り返した後、翔の宿題はようやく終わった。
明日は学校も幼稚園も二学期が始まる。そう言えば今週の授業プラン、少し手を抜いちゃったかも。そう思っていると、陽平が体から湯気を出しながら寝室に入って来た。片手にはコーヒーの入ったマグカップ。
「ふいー、やっぱ風呂上がりはコーヒーだね」
「あんた、それで夜眠れなくなっても知らないからね」
「ふっ、それは『今夜は寝かせないよ』って意味かな杏ぶべらっ」
「バカ」
あたしは苦笑して呟いた。そしてポニーテールをほどくと、ブラシで髪をとかした。
「って、今地の文で僕に枕投げたのを端折ったよねっ?!!」
「え?そう?」
「そうだよっ!!おかげでコーヒーがこぼれるところだったよ」
こぼさなかったのは偏に経験のたまものだと思った。
「ったく、もう……」
ブツクサ言いながら陽平は布団に潜り込んだ。そう言えば、明日も仕事は早いって言っていた。お弁当の具は何にしようかな、と考えていると、ふといろんなことが頭に浮かんだ。
「……納得いかない」
「へ、どうかした?」
「う、ううん、別に。何でもないの」
口ではそうは言ったものの、あたしの中でいろんな疑問が渦巻いた。
考えてみれば、あたしや翔が忙しくなるのは明日以降。だけど陽平は冬休みが終わる前から仕事に戻っていたのだ。それでも、陽平は翔の宿題を放棄したりしなかった。しかもそれをおくびにも出してない。それって、もしかしてすごいことなんじゃないだろうか。
あの書き初めのことがなければ、もっと早く終わったのではないだろうか。あそこで何でNGとなるのが明らかな作品を出したのだろうか。胸を焦がす思いがあふれて仕方なく、というわけならあたしもうれしいけど、本当に切羽詰まってる奴がそんなことをするだろうか。
そもそも、陽平があたしに助けを求めてくるのがおかしいのだ。いくら数学の授業をさぼっていたって、陽平が小学生の算数の宿題をできないはずがない。あたしの亭主はこれでも家族を立派に養っていて、算数ができないほどバカじゃない。それを、わざわざ自分まであたしに叱られるように持っていく意味が
「……あ」
あたしは思わず呟いた。聞こえたらしく、陽平が身を起こした。
「どうしたのさ」
「ねぇ陽平」
「うん」
「あたしさ、何かいろいろわかっちゃった」
一瞬の沈黙の後、陽平が「へぇ……」と言った。
「どんなこと」
「恐らくあんたの企み全部」
「……ふーん?」
そう言いながら陽平は寝返りを打ってこっちに背中を向けた。仕草がやけにかわいかった。
全て陽平の仕組んだ狂言、そう思えば納得がいく。翔もある程度は聞かされていたんだろうけど、さすがに書き初めのことは知らなかったに違いない。
恐らく翔はあたしに冬休みの宿題のことで怒られるのが怖くて、それで陽平に相談したんだろう。だけど陽平はあたしに隠れてそういうことをするのはよくないと、そう諭したんだろう。そういうところは陽平はしっかりポイントを掴む。だからあたしに助けを求めると言う形であたしにも事のあらましを教えた。それがあたしに助けを求めた理由。その気になれば、陽平だけでほとんど終わらせることだってできただろう。だけどそんなのを許さないあたしを巻き込んだことで、翔にも宿題は課せられた。さらに、あたしだけ仲間外れということもなくなった。
書き初めについては、そんなぎすぎすした空気を和ませるためのジョークと言ったところだろうか。そうだとしたら、少なくともあたしには効果はあった。
そして最後に、自分まで叱られるようにしたのは、つまり翔だけが叱られるのは辛いだろう、厳しいだろうという配慮だったのだ。
「陽平」
「何だよ」
ぶっきらぼうに答える陽平に、あたしは心の中でバカ、と呟いた。
そう、バカなのだ。そんなわかりにくい気配りの仕方をする陽平も、そんな気配りに最後の最後になるまで気付かないあたしも、そんなあたしたちを見て首をひねる連中も。
バカ。だけど、優しくって、気が利いて、気がつけばみんなを笑顔にできて、いつもそばにいる。
そんな陽平の背中に抱きつきながら、あたしは積もり積もった想いを一言にして伝えた。
「大好き」