ある、冬の夜。
満天の星空のもと、小さなアパートの一室で、一人の美しい女性が眠りについていました。
流れるような長い髪は、微かな星の光をも反射させて光沢を放ちます。持ち主が如何にその髪の手入れに心を砕いているのか明らかです。また、その女性の整った顔立ちは、見る者の心を瞬時に奪うものでした。某幼稚園教師を薔薇、某電気工の妻を緋桜としますと、その女性は純白の染井吉野でしょうか。布団を上下させる胸は慎ましく、まさしく清楚なる撫子というイメージがぴったりでした。そうですとも、こんなほっそりとした清楚美人にスイカが二つもぶら下がっていたら誰だって引くだろJKつーか何でかけりゃいいってわけじゃねえんだぞ偉い人はそれがわからねえんだ
閑話休題。
さて、そのような純粋な美女に、今宵、素敵な奇跡が起きます。
彼女への想いが、今夜形となって届きます。
そして朝の光が差し込む時までには、彼女は光り輝く世界へと歩き出すのです。
聖なる夜に、その奇跡はおきます。
というわけで、えい
案外簡単に割れますね、窓ガラス。まあ事前にガムテープを貼っておいたから、割れる際に音はしませんでしたけど。
暗い部屋の中に入る前に、私はふと足を止めて、小さく囁きました。
「おじゃまします、りえちゃん」
そうですとも。親しい仲にも礼儀あり。断わりもせずに他人様の家に入るだなんて、変質者じゃないですか。
返事がない。どうやら快く歓迎してくれたようです。
「うーん、りえちゃんはいつ見てもかわいいですなぁ」
ふと、そんな本音がぽろりと出てしまう。でも、それが普通なのです。りえちゃんを見ても心を動かされない御殿方は、きっと不能か同性愛者なのです。りえちゃんを一番よく知っている私がそういうのですから間違いありません。
「それでは、いただきます……じゃなくて、プレゼントの時間です」
いそいそと持参したそれに私は身を包みます。これで完璧。りえちゃんは私の意図するところを瞬時に理解して受け入れることでしょう。
「……誰」
不意にりえちゃんが闇に向かって声を出しました。ふむぅ、この声色からして、状況があまり理解できてないようですね。まあ、起きぬけにこんな素敵なプレゼントが枕元に置いてあったら、少し困惑するのも当然でしょう。ここは長い目で真実を受け入れるまで待つのが
「……誰ですか」
あれ。
なぜでしょう。今度はりえちゃんの声色にタダならぬほどの恐怖を感じます。まさかりえちゃんの身に危険が発生しているとか?おのれ不埒者、邪な心でりえちゃんに近づくとは、万死に値します。
「何、これ……何でこんなものが私の枕元に置いてあるの」
はて。
枕元、というと私しかいません。しかしりえちゃんラヴMAXな私に、りえちゃんが恐怖を抱くなど……
ああ。
その時、私は理解しました。そして己の思考の至らなかったことに恥じ入りました。
私はすぐにでも教えてあげるべきだったのです。ここにいるのはりえちゃんを心より愛する優しい女性なのだと。決して害意を持ったケダモノではないのだと。
「りえちゃん」
びくっ
りえちゃんが怯えたように体を震わせました。
「りえちゃん、私だよ」
「だ、誰」
んもう、私と言ったら即「ああ、なぁんだ。すーちゃんか」と言ってくれないと、私は寂しいです。仕方ありません。私は今まで入っていた巨大サンタ靴下から上半身だけ出しました。
「りえちゃんヒャッハー!!」
「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
りえちゃんの可愛らしい絶叫が夜の町に響きました。ああ、悲鳴を上げるりえちゃんもまた可愛らしい。
もういくつ寝ててもいいんだよむしろそうしてくれてたほうが助かるし 略してもうそう
「もー、大声出したら、近所迷惑だよ」
「だって、え、でも、っていうか、すーちゃん何でここにいるの」
「りえちゃんがいるのなら、そこが私の居場所」
「え、何それこわい」
「怖がらなくてもいいんだよりえちゃん。痛いのは最初だけ、あとは気持ちよくなるから」
「全然安心できないよねそれ?!」
りえちゃんが一気に部屋の奥まで後ずさりました。慌てるりえちゃん萌え。
「と、とにかく説明してよっ!何ですーちゃん、そんなのに身を包んで私の寝室にいるのっ?!」
それは悲鳴に近い叫びでしたが、りえちゃんの声なら問題ありません。ご飯三杯はイケます。
「りえちゃんがいい子だからだよ」
「え」
こほん、と私は咳払いをしてりえちゃんに愛情のこもった説明を始めました。
「りえちゃん、今夜は何でしょうか」
「え……クリスマスイブ、だけど」
「そうです。クリスマスイブと言えば、何でしょう」
「えーっと……デート、かな」
「ちょっと待て小娘今何つった」
「いひゃいいひゃい、ひゅーひゃんいひゃいひょ」
リア充の頬を左右にびにょーんと引き延ばしながら、私は胸の中に燃え盛る炎の一割ほどを声に含ませて出した。
「っていうか、りえちゃん、恋人なんていたら許さないんだからねっ」
「ひゃ、ひゃんで」
「何で?何でだって?そんなことを聞くかこの小娘はっ」
「いひゃいっへばっ」
うにょんっ、と強く引きのばした後、私はりえちゃんのほっぺを放しました。熟れたリンゴのように赤いほっぺをさするりえちゃんは、とても子供らしく、つまりとてもかわいらしく見えました。でもここは心を鬼にして言わなければなりません。
「いい、りえちゃん?りえちゃんは彼氏なんて作っちゃだめなんだからね。りえちゃんは私の嫁異論は認めない、オッケーですね」
「ぜんぜんオッケーじゃないよすーちゃんっ」
「じゃあ私がりえちゃんの嫁異論は認めないでFA?」
「そっちも却下っ」
あれもダメ、これもダメ。何てわがままなりえちゃんなんでしょうか。
「そういう悪い子にはプレゼントはなしですよ」
「プレゼントって……どういうこと」
「りえちゃんっ!クリスマスイブに来る人と言ったら、サンタさんじゃないですか」
「……」
「いい子にはプレゼントを、悪い子には炭の固まりを。これが定番です」
「……はぁ」
「というわけで、私がプレゼントです」
「は」
りえちゃんの目が点になりました。あれ、声が小さかったかな。
「私がりえちゃんのプレゼントです」
「いや、声を大きくしなくても聞こえたから」
ああ。りえちゃんとの意志疎通にやはり何の問題もなかったよ。
神様、私は幸せです。
「というわけで」
「ちょっと待って。何で『というわけで』で私の布団に潜り込んでくるわけ」
「私の口調をモノマネするりえちゃん萌え」
「話逸らさなくていいからっ」
「まぁまぁまぁ」
「誤魔化されないからっ」
意固地なりえちゃんです。それにしてもりえちゃんはどうしてわからないのでしょう。
「すーちゃんがプレゼントって時点でもう何が何だか」
「よしわかったりえちゃん私が手とり足とり教えてあげるよりえちゃんのためなら一肌脱ぐどころか全裸になるのだって問題ないからねだからまぁとりあえず服脱ごう」
「嫌」
思わぬ拒絶の言葉に、私はりえちゃんをまじまじと見ました。
「……あ、あれ?おかしいな、私の日本語間違ってたかな」
「日本語以外が全部間違ってるって早く気付いてくれたらいいかな」
「私、りえちゃんのことを想って言ってあげてるのに……何でよ、何でわかってくれないのよ」
「そこで泣かれてもね」
「KUHA-HAHAHAHAHA!りえちゃんは私が貰ってやるZE」
「そこで笑われてもね」
「さぁ、脱ごう☆」
「そこで爽やかに言われても」
「脱ごうよ、ね」
「優しく諭されても」
「ネタは上がってるんだ。早く愛の告白を受け取りたまえ」
「カツ丼押し付けられても」
「好きだっつってんだろ、オラ」
「逆切れされても」
「え、えと、初めてだから、その、優しくしてください、ね」
「恥じらわれても」
「りえちゃん、私が大人の夜の過ごし方、教えてア・ゲ・ル」
「誘惑されても」
「りえちゃんが私のにならないんだったら、ナンニモイラナイ」
「病まれても」
「べ、別にりえちゃんのことが好きなわけじゃないんだからねっ」
「じゃあ帰れ」
最後の一言になぜかりえちゃんの本気を感じました。いやん、怒っちゃいやん。
「……で、結局何が目的なわけ」
外よりも寒い視線でりえちゃんが私を見ます。他の人だったら居心地の悪さに非礼を詫びて退出するところですが、りえちゃんだったら別に何ともないぜ。むしろ冷たい、でも感じちゃう。
「あのね、りえちゃん、クリスマスはね、プレゼント」
「そこは聞いたから。はい次」
「あ、はい」
何だか有無を言わさない感じです。りえちゃんってば、一皮剥けば強引だったんですね。嬉しい発見です。
「それで何ですーちゃんが私の部屋の窓を割って寝室に侵入するって言うそれ何てエロゲな展開になるの」
「うん、だからね、りえちゃんのことが大好きな私が、りえちゃんと一緒にクリスマスの夜を過ごしてあげるのが、私からのプレゼントなんだよ」
「はいわかった」
「え、わかってくれたの」
何ということでしょうか。私の想いが、願いが、この聖なる夜に聞き届けられたとは。
神よありがとう。
星よありがとう。
ハレルヤハレルヤ
「って、何してるのりえちゃん」
ふと見るとりえちゃんは携帯を取り出して、タッチパッドを器用に操作して何かしていました。
「えっと……気にしなくていいよ、すーちゃん。これから万事うまくいくからね」
「え、どういうこと」
「大丈夫。注射がチクッて痛いのは最初だけ。すぐに何にも感じられなくなるよ」
「何それこわい……って、あれ、配役逆転してないかな」
「すーちゃんが病気なのは、すーちゃんのせいじゃないから。これからじっくり治療してもらおうね」
「って、さっき精神病院検索してたのっ」
「え、うん」
うわぁ、りえちゃんが素のまま頷きました。
と、その時
「大丈夫か、りえ。さっきから声がしてるようだけど」
私は思考停止のまま、ドア口のところにいきなり現れたその男を凝視しました。ああ、思い出しました。高校の時の先輩の不良なチンピラで、りえちゃんと私の合唱部の邪魔をしていた嫌な奴です。
すると、りえちゃんが安堵した顔で、信じられないことを言いました。
「何でもないですよ、あなた」
「あのー、りえちゃん」
「あ、すーちゃんまだいたんだ」
「いるよー。でさー、りえちゃん、このひとだれー」
「え、ほら、覚えてないかな、演劇部の先輩の」
「うん、そこはおぼえてるんだよねー。でもあれー、なんでそのひと、ここにいんのー」
「え、私の旦那様だからだよ」
その言葉で、私の視界から色素が消え果てました。
「あ、そっか。疎遠にしてたから結婚したって知らなかったんだね」
そう言って笑うりえちゃんの左手の薬指には、きらりと輝く銀の指輪がありました。
「嘘だぁああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫と共に、私は目を覚ました。しばらくの間、荒れた息を整えることに意識を集中した。
ここはどこ。私のアパートの部屋。
私は誰。杉坂家の長女で、みんなにはすーちゃんと呼ばれている。
今何時。一月一日朝九時半。
ここまで覚醒した後で、私は頭を抱えた。
「新年早々の第一声がそれって、どうかって思うんだよね……」
すると、私の携帯が振動した。受信箱を確認すると、そこには可愛らしいメッセージが。
『あけましておめでとうございます。今年もいろいろとよろしくね、すーちゃんっ! 仁科りえ』
文面を見ただけで顔の筋肉が弛緩していくのがわかった。
「うわー、りえちゃんだー」
思わず携帯を抱きしめて、布団の上を転がった。
「しーあーわーせーだーよー」
ごろごろ転がる。新年早々りえちゃんからメールだなんて、どれだけついてるんだろう、私は。
新年、早々?
私ははっとなって起き上がった。
新年に見る夢を初夢という。富士鷹茄と縁起物関連の話も聞くが、人の頭に残るのはむしろもう一つの伝承だろう。
初夢は、現実となる。
それはつまり。
りえちゃんが、あの岡崎とかいう奴と。
「ふ、ふふ、ふははは」
私は拳を握りしめた。携帯が掌の中で砕け散った気もしたが無視した。
許せない。
りえちゃんに手を出すなんて、誰であろうと、許せない。
「岡崎朋也……死すべし」
一年の計は元旦にあり。私は新たなる思いを胸に、天に拳を突き出した。
初夢とは十二月三十一日から一月一日にかけて見るものではなく、一月一日から一月二日にかけて見るものだと知ったのは、一騒動あってからのことだった。