「じゃ、行ってきますっ」
「おう、行ってきな。楽しんでこいよ」
「渚、ファイト!ですよ」
元気のいい声が遠ざかっていく。風に乗って、「だんご、だんご」と天使の歌声が聞こえる。俺はその眩しい姿を目に刻みつけながら、手を振っていた。
ぽたり
そんな時、小さな音が聞こえた。
へっ、畜生め、こんないい天気なのに、もう雨なんて降ってきやがった。今日は娘の入学式ってのに、時化てやがるぜ。やい、どっかに浮かんでる雲さんよ、もうちったぁ空気読んでくれよ、なぁ?
「秋生さん」
「……何だ、早苗」
「泣いてるんですか」
はっ、これだから早苗は。心が優しいってのには俺も何度も救われてるがよ、こういうときは笑顔で送り出してやるもんじゃねえかよ。そういう意味を込めて、俺は飛びっきりの笑顔を早苗に向けた。
「ぜんっぜえ゛んな゛い゛でな゛ん゛がな゛い゛ぜ、ざな゛え゛」
「はいはい。さあちり紙でちーんしてくださいね」
おうっ!?早苗が俺のことを信じてくれていない、だとぅ?アッキーは違う意味で泣きそうだぜ。
「渚は大丈夫ですよ。あの子はこれからどんどん強くなっていってくれますから」
「……そうだけどよ。そうはいうけどよ」
ああそうさ。渚は体は弱いかも知れねぇけど、今はまだ一歩一歩ためらいながら進んでるけどよ、何だかんだ言って俺と早苗のプリチードーターなんだからよ。結局は強くなってどんどん先に行くってのはわかってんだよ。
でもな
だからなんだ、早苗。それが、俺としては、小学校まで一緒に風呂入ってた俺としては、すげえ寂しいんだよぉ。
「それに、渚は充分強い子ですよ」
「早苗……」
「昨日なんて、私の自慢のパンを四つも食べたんですよ?『中学生になったんだから、大きくなりたいですっ』って言って」
「……」
マテ、今、何て言った?
「そ、そのパンは……」
「あら?秋生さん、まだ試食されてなかったんですか?わかりました」
早苗が店の奥に入っていく。そう言えば、今朝渚は朝ごはんをあまり食べなかったな。何だったっけ、「急に無理するのは、いけないとおもいます……」だったっけか?そうか、そういう意味だったのか。
「お待たせしました、秋生さんっ!これが私の」
俺が野球バットを片手にそぉっと逃げようとしたところを早苗に捕まった。眩しいばかりの笑みが、何というか、微妙に誰かの悪意を感じた。
「トロツキーパンですっ」
古河家の入学式
し、死ぬかと思ったぜ。
何だあのパンは。今すぐ店を飛び出て金槌と鎌を手に「人民を解放せよ!」と叫びたくなっちまったじゃねえか。いくら「赤いゾリオンの彗星」と呼ばれた俺でも、そういう赤は勘弁だ。
しかしまぁ、これぐらいで俺が死ぬと思ったら間違いだぜ。何年早苗とパン屋を経営してると思ってやがる。あんなの最初の頃の「作品」に比べたら、まだまだ序の口、チン○ンが生え揃っていないどころか、へその緒すら切れてもねえな。さすがに「美味いぜ、早苗」とは言えなかったが。というより、もうそろそろ嘘でも「美味いぜ」というのは止すべきなんだろうか。最初のブツを食っちまって「まずい、死ぬかと思った」と言ったら急に泣き出して走り去っちまったからなぁ……あれからというものの一応美味いと言って適当な理由をつけて処分する習慣にしてるがよ。やっぱりここは原点回帰ではっきりと言った方が、お互いの身のためにもなるんだろうなぁ。
「そんなにおいしくないんですか」
「ああ、まずいと言ったらまずい。最高級にまずい」
「今までの最高級って、そういう意味だったんですね」
「そりゃあな。うちの早苗のパンは、最高級にくそまずいので有名だ」
「有名なんですか」
「四方十キロにおいて知らない奴のほうが珍しいほどな」
「じゃあ、あまりにもうまいから隣の磯貝さんにおすそ分けってのは」
「まあ普通にこじつけだな。まぁ、あそこのガキンチョが渚に変な色目使ってたのは確かだったから、正確にはまるっきり嘘じゃないけどな」
「じゃ、じゃあ、うますぎるから野球チームの皆さんにあげたというのも」
「いや、あれも嘘じゃねぇ。罰ゲームの景品だ」
その時、俺はふと思った。俺は誰と話しているんだ?い、いや待て。この声、これは聞いたことがあるぞ。
「私のパンは……私のパンは……」
このフレーズ。間違いない。あの時の再現だ。やばいっ
「四方十キロ内でも有名で嫌がらせ用の毒で罰ゲームの景品にもなるくらい最高級にまずかったんですねぇえええええええええええええええええええっ」
盛大に土埃を舞い上げ、仄かにアスファルトの焼けた匂いを漂わせて早苗が飛び出ていってしまった。このままではいつ帰ってくるかわからないし、下手すりゃ地球一周するまで戻ってこない戻って来れないかもしれない。俺はすぅぅ、と息を吸うと、思いっきり駆け出した。
「滅茶苦茶長いけどそれでも俺は大好きだぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
閑話休題。
とにかく、俺の愛する渚が、今日一日を楽しく過ごしてくれればいいわけだ。渚は昔から病弱で、小学校を通して欠席している日のほうが出席している日よりも多かったから、友達も少ない。そしてそれが心の重石になって、少し引っ込み思案なところがある。そこもまた可愛いわけだが、友達が少ないのはちとまずい。ここはやっぱり、修学旅行に一緒に写真を撮ってくれたり、弁当の中身交換し合ったり、一緒に勉強したり、何だかんだでそういう仲間ができて欲しいと思う。
「早苗、そういえば女の友情って、どういうもんだ?」
「そうですね……男の子ほどじゃありませんが、もっと繊細なところとかありますね」
「ほうほう」
「おしゃべりなんて特に順序とかで印象悪くなったり、誰に笑顔を向けるかで知らないうちに裏切り者になったり、結構大変ですね」
「かーっ、何だそんなしちメンドくさい話は。それじゃあ楽しいことなんて一つもねえじゃねえか」
「そうでもありませんよ、秋生さん。女の子同士のおしゃべりだって、男の子同士のよりも楽しいですし、繊細だけど距離は近いんです。例えば恋愛相談だって、男の子よりも女の子のほうが綿密に話し合ったりしますし」
コイバナ、か。そうだな、そういう話があっても……
「って、ぅおいぃっ!!?」
「あら、秋生さん、そんなに大きな声を出したら近所にも聞こえますよ」
毎回毎回大声で叫んでいる早苗には言われたくねえな、と言い返したかったが、笑顔があまりにアレだったからその言葉を飲み込んだ。後で胃が痛くなりそうだ。
それよりも一大事だ。このままでは俺の大事な大事な渚にファキン厨坊の薄汚ぇ手が伸びちまう。あの純情なハートをころっと騙しちまうような人でなしのヒモ人間が現れてもおかしくねぇ。何だか今日のニュースでも近頃の若造が簡単に切れるだのモラルの低下だの性教育の問題だのどうのこうのと聞くがよ、そこで他人事だと処理しちまっていたらあとでとんでもない事になりそうだぜ。
い、いや、まて。
そこで渚が嫌がってるんならいい。やばいところで俺様登場、正義のバットを振りかざして悪い中坊を空の彼方へと吹き飛ばしてくれるわい。そしてそんな俺を見て渚はもしかすると俺様に惚れ直して「お父さん大好き、超かっこいいですっ!美人のお母さんと超お似合いですっ!」と言ってくれるかもしれねぇ。いや、言う、言うに決まってる。絶対に言う。
だけどよぉ。もしもだぞ?もしも心優しく純粋な渚が、チョイ悪でキメたガキンチョを見たりして、へんな方向に走っちまったら。何かの悪い冗談で俺のプリチー渚がそんなどこの馬の骨ともわからん奴に惚れでもしちまったら……
「お父さん、今日はちょっと会ってほしい人がいるんです」
「あんたが渚の言ってた秋生サンか。まぁ、見ての通り、俺と渚はラブラブだからよ。ちっとの間、面倒見させてもらうぜ。よろしくな」
ふ、ふは、ふはは、ふははははっははははは
許さねぇ、許せねえぜ。そんなこと、このお父さんが許すと思っているのかぁああああああっ
「どうしたんですか、秋生さん?許さないって何の話ですか?」
「お、あ、いやいや、何でもねえぞ早苗」
すっかり早苗が近くにいることを忘れてしまったぜ。許せ早苗。
「今頃、渚はどうしているんでしょうね、秋生さん」
「元気にやってるだろうさ」
「いっぱいお友達ができるといいですね」
「ま、百人は堅ぇだろうな。美人だし、優しいし」
「もしかすると、運命の出会い、なんてあるかもしれませんね」
「……」
「秋生さん?どうなさいましたか?」
「悪い早苗。ちょいと用事を思い出しちまった。ちょっくら出かけてくるわ」
「わかりました。いってらっしゃい、です」
ちょうど朝のラッシュも過ぎたようだし、少しぐらい店を空けても大丈夫だろう。俺は店を出ると、さっと家の周りの壁をひょい、と飛び越えると(アッキーパワーがあればちょろいもんよ)、開いていたトイレの窓から見事家に潜入することに成功した。本当はダンボールの一つや二つが欲しいところだがまぁしょうがない。俺は音を立てずにトイレのドアを開けると、廊下に早苗がいないことを確認して、静かに俺達の部屋に行き、そしてとっておきの物を取り出した。赤白ストライプのリストバンド。青と白のコントラストが最高にイカすキャップ。そして超クールなグラサン。これらが揃えば、いつもの秋生様とは一味違うMC:AKI=Oの登場だぜ。これなら渚の中学校に行っても俺だとはばれねえからな。へ、完璧だぜ。俺は二階の窓からするりと降りると(これもアッキーパワーがあれば余裕余裕)、愛する娘の安全を確認するために走った。
「まったくあなたって子は……」
「やはは、助かったよおねえちゃん」
「あのね、葉留佳。風紀委員ってのは本来ならあなたみたいなおてんばを取り締まる役割を持ってるのよ?何でそんな風紀委員のトップである私が、そのおてんばのあなたを毎度毎度毎度毎度救わなきゃいけないのよ」
「まーまー。ここはあそこのホットドッグで手を打つってことで」
「……二つ」
「ほえ?」
「二つで手を打ってあげるわ」
「ガビーン!はるちん経済ショーック!!」
そんな愉快な双子らしい姉妹の会話を聞きながら街中を歩いていると、ふと俺は大変なことに気づいた。
やばい、渚がどの中学に通っているのかわからねぇ……
いや、そこで石を投げるのはなしだ。何せ、俺達がパン屋を開いた頃は、ここいらには中学なんて一つしかなかった。そこに行ったという可能性は高いと思うが、万が一外れちまったらどうするべ?大体、何でこんなに中学校なんてぽんぽん開いてやがるんだ?しかし家に帰って早苗に聞いたりしたら、絶対に止められちまうしな……
というわけで、まずその町の一番古い中学に近寄って、壁越しに中を覗いて見る。
「……」
いない。アッキーアイを渚探索モードにして発見率五倍にしたのに、教室、図書館、グラウンドのどこにも愛しの娘はいない。壁を伝い、アングルを変えながらチェックを続けるが、収穫はなし。
「くっ、ここじゃないってことか」
「何してるのかなぁ?」
不意に訝しげな声が後ろからする。振り返ると、長い髪を後ろでまとめてリボンで結ってある若い女が腰に手を当ててじろぉっと俺を睨んでいた。
「何って聞かれてもな……」
「大体あんた何者よ?」
「YO!YO!俺MC:AKI=O!マイク握れば最強のPANYA!」
へへん、とポーズをとってその女に笑って見せると、そいつはよりにもよって、こんなことを言った。
「はぁ……街中を走り回るラブスプリンターの片割れがどんなのかって思ってたら、こんな変なパン屋のオッサンだったわけね」
なっ、ば、バレてる、だとぅ?
「正体バレバレなラップを言っておいて、何言ってんの」
「マジそれマジ?やべーYO」
「で?愛の高速マラソンランナー二号であることで有名なパン屋のオッサンが、中学校なんて覗いちゃって、何やってるわけ?」
「い、いや、その、これはだな……」
「恐らくこの町一のバカップルの片割れが急にロリコンに走ったとは思いにくいけど、見つかる人に見つかったら、逮捕よ逮捕」
「いや、その、あれだ、俺の娘が、そのぉ……」
「娘さん?」
その女は学校をちらっと見て、そしてあ、と小さく呟いた。
「もしかすると、今日があなたの娘さんの入学式とか?」
「そ、そうなんだよ。で、ちょいと心配になって……」
娘に付く悪い虫とか、特にな。
「それで見に来たってわけ?あんたも大変ね」
そう言うと、女は苦笑した。
「で、見つかった?」
「いや、みつからねぇ」
「でも、ここなんでしょ?」
「いや、それが……」
そう口ごもっていると、不意に背後でじゃり、という音が聞こえた。重い革靴がアスファルトを踏みしめる音だ。
「おい君達」
「あ?」
「は?」
振り返ると、そこにはちょいとばかし体の丸そうなオッサンがむすぅっと俺達を睨んで仁王立ちしていた。
「そんなところで何をやってるんだい」
俺は女に向き直って短く呟いた。
「逃げるぞ」
「はぁ?」
オッサンが一歩足を踏み出し、そしてもう一歩、今度は駆け足にしようとしていることを察知した俺は、女の返答を待たずにそのまま逃げた。
「あ」
「むっ」
後ろで女の絶叫と野太い「こらぁ」が聞こえ、次の瞬間女が必死の形相で俺と並ぶ。後ろからどたどたと足音が聞こえるが、それも曲がりくねって走り回るうちに遠ざかっていく。そしてそれが完璧に途絶えたのを確認すると、俺達は立ち止まって息を整えた。
「何とかまいたようだな……」
「……ええ、おかげさまで、ねっ!!」
ぐぉきぃり
俺の左腕がみしみしと悲鳴をあげる。くっ、この女、いつの間にこんな味なプロレス技を……っ
「あんたのせいであたしまであと少しで犯罪者扱いになっちゃったじゃないの!!」
「だあああっ!だいたい、そんなこと言うんだったら、何で同じ方向に逃げたんだ」
「決まってるじゃないっ!一発ぐらい腕を極めないと気がすまないからよっ!!天罰よ天罰!」
そのまま俺達はがるるるる、と睨みあった。
「でもいいの?あの学校にいるんでしょ?当分は近づけないわよ?」
「いや、その、な?あそこにいるとは限らないわけで……」
さっきの勢いはどこに行ったやら、俺は視線を逸らしながら呟いた。
「は?何それ」
「その、ここんとこ中学がいっぱいできちまって……」
我ながら情けない声が出たと思ったが、我ながら情けない話なのでしょうがない。
「まったく、馬鹿じゃないの?」
「ぐっ……」
「あー、ここまで馬鹿だと付き合いきれないわ。好き勝手にやって、勝手に逮捕されちゃいなさい。じゃーね」
そう言って、その女はすたすたと歩き出していった。そしてふと立ち止まると、俺に向かってこう言った。
「ねぇ」
「あんだよ」
「あなたの娘さん、楽しんでるといいわね」
「おうよ」
「頑張んなさいよ」
「サンキュな」
というわけで、一応笑顔で別れることができた。俺は安堵のため息をつくと、次の中学校を探しに行った。
「だぁあああああああああ!!多すぎるぜ畜生!!」
俺は頭を掻き毟りながら空に向かって叫んだ。どういうことだ?昼前に始まったこのラブドーターチェック作戦が、何で午後三時まで続いてるんだよ?
と、そこまで自分に聞いてみたら、すぐに答えが出た。まず、今まで探していた学校に渚がいなかったこと。学校の数が多いこと。探す際にさっきのへまを繰り返さないように慎重にやったので、一つ一つ時間がかかること。そして学校のチェックを終えたら、次の学校を探さなきゃいけないことだった。
「おまけにいい加減学校なんて見つかんなくなってきちまったしよぉ……」
すると、目の前におとなしそうな小学生ぐらいの女の子が来た。どうやら友達と占いの話をしているようだった。
「ああ、悪ぃ、ちょいといいか」
「え?」
少女が目を見開いて俺を見た。
「すまねぇが、この近くにある中学校なんて知らねぇか?お兄さん、ちょいと探してるんだけどな」
「え、えっと、あの、そのぉ……」
ちらちらっと辺りを見回す少女。何だそうかよ、俺様が怖いのかよ。
「安心しな、お嬢ちゃん。何にも怖いことなんてないから。お兄さんの助けになってほしいんだ」
「私……私……」
「こぉらぁあああっ!!」
振り替える間もなく、俺の腰に重い衝撃が。そのまま俺は前によろけてしまうが、それくらいで倒れる俺じゃだぶふぉみちゃれ
「って、誰だ教科書なんて投げつけやがるのはっ!!」
「あたしよっ!!」
そう言って立ちはだかったのは、別のちびっ子少女だった。
「うちの妹に何てことするの、このへんたい」
「へ、変態だとぅ!?何で俺様がお前に変態呼ばわりされなきゃいけないんだっ!」
「へんたいへんたい。どーせあたしの妹がかわいいからってさらおうとしたんでしょ。そうは問屋が下ろさないわよ、バーカバーカ」
「何が悲しくてそんな怪しいことを俺様がせにゃならねぇんだ。俺はただ、近くに中学校がないか聞きたかっただけだぞ、コラ」
するとそのくそ生意気な少女はふーん?と言いたげな目で俺を見た。
「つまり何?あんたって、小学生じゃなくて中学生がシュミなわけ?」
「違う違うっ!さっきから聞いてりゃ生意気ばかり言いやがって」
「ふーんだ。何?やるの?小学生とケンカするつもり?」
やってやるぞこの野郎
そう言って、その勝ち誇った風に笑う少女にアッキーフラッシュをお見舞いしても良かったのかもしれないが、まぁ紳士で名の通っている俺様がそんなことをするはずがないじゃないか。俺はふん、と背筋を伸ばした。
「生憎だがお前みたいなガキと付き合っている暇はねえんだよ。ったく、あばよっ」
そう言って俺は歩き出した。畜生、散々な目に合ってばっかりだぜ。ここで渚に会わなきゃ、帰るに帰れねえ。そう思っていると
「ぬっ、あれはっ!」
こじんまりとした中学校。その校門のところで、セーラー服を着た少女が立ち竦んでいた。通学鞄を両手に持ち、その少女は辺りを見たり腕時計を見たりしては俯いていたりした。その少し悲しげな顔が、夕日に照らされて哀愁を引き立てていた。
(くぅぅううう、そんな寂しいところも絵になるぜ、渚ぁ!!)
俺はそんな彼女を電柱の陰から見守りながら心の中で叫んだ。もう、疲労なんてどこかに吹き飛んでしまった。
しかし。
娘よ、何でお前はそこでそんなに寂しそうに立っているんだ?
まさか、もうすでに意地の悪い女共にいじめられてるのかっ!まさか、今頃裏門からそのアンポンタン共が「古河さんってさぁ、やっぱ騙されやすいよねー」「もしかするとまだ正門で待ってたりして」「ありえるー。超ウケない?」とか笑っているんじゃないだろうなぁっ!だったらお父さんが今すぐそいつらにアッキーフラッシュゼータをお見舞いしてくるぁ。レディーには優しくってのが原則だがな、俺の渚をないがしろにしやがる奴には容赦しねえぜ。
いや、待てよ。
もしかすると事態は尚更深刻なのかもしれない。俺は今、とんでもない勘違いをしているのかもしれねぇな。
そう、渚を待たせてんのは、女じゃなくて、もしかすると男なのか?裏門で下校して苦笑していやがるのは、けつのまだ青い小僧なのかっ!「いやぁ、参ったよ。初日から告られちまってさぁ」「んだよ、何て答えたよ」「すっぽかしてきた。メンドクサソーだし」「うっわ、勿体ねー」とか、そういう話なのかっ!!そういうことなら話は別だ。普段は優しいパン屋の秋生様、しかし怒りに身を任せれば大魔神のごとき変身をする、鬼のアッキーのおでましだっ!!さあ見ていろてめえら、俺の渚を笑い者にしたてめえらの罪は、人の業の中でも特に重い。覚悟しやがれふはははは
とそんな時
「お待たせ、古河さん」
「いやぁ、参っちゃったよ。初日から当番って、ないよねぇ」
「い、いえっ私ゼンゼン待ってなんてないですっ」
「あはは、赤くなっちゃってかっわいー」
「さ、帰ろ帰ろ」
「はいっ」
見ると、渚のそばに同じ制服の少女が二人現れて、渚と笑っていた。そしてゆっくりと茜色に染まった帰路を辿り始めていった。
「古河さん家、ここから近いの?」
「そうですね。それほど遠くないです」
「ねぇねぇ、いつか遊びに行ってもいい?」
「もちろんですっ!大歓迎ですっ!だんご大家族ですっ!」
「あっ、知ってる〜」
「あれ、かわい〜んだよね〜」
夕焼けの下校路に響くだんご大家族の三合唱。俺はそんな愛娘とその友人達の後姿を目を細めて見守りながら、一人立ちつくしていた。煙草がいつもよりもうまく感じられた。
「あ、おまわりさん、あの人です。さっきからうちの生徒に危ない視線を送ってました」
「ちょっと君、話を聞かせてもらうよ」
「ぬぁんだとぅ?」
「そうか、つまり何だかんだで楽しかったわけだな」
少し遅めの夕飯を食べながら、俺は渚に笑いかけた。
「はいっ!お友達も、二人もできてしまいましたっ!」
「その調子で、百人目指しましょうね、渚。ファイトッ!ですよ」
「はいっ!頑張ります」
「そうだな、あの二人だって、それなりに可愛い子だしな。まあ、うちの早苗と渚には負けるけどな」
「ありがとうございます、秋生さん」
「でも、何でお父さん遅くまで用事があってたった今帰ってきたのに私のお友達のことを知っているんですか?」
かわいらしく首をかしげる渚。ちなみに、交番では俺の顔を見るなり「ああ、この人ね。古河パンの店主だけど、変なことしてても害はないから」と言って釈放してくれたおまわりがいた。ショックだぜ、俺の変装がばれるなんてな。
「そ、それはあれだ。愛する娘のことで知らないことなんてないぜ」
「お父さん、それ、本当ですか」
「おうよ。何なら今日一緒に風呂に入ってそれを証明してやろうか」
「お父さんエッチですっ!お父さんとはもうお風呂に入れませんっ!」
顔を真っ赤にして渚が腕をぶんぶんさせた。ちっ、娘ってのはいつかこう言うからなぁ……
「なぁ渚」
「はい、何でしょう」
俺は笑いながら渚の頭をくしゃりと撫でた。
「頑張ってこうぜ」
「はいっ」