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とある岡崎の日曜騒動

 

 「ごちそうさま」

 手を合わせて言った。三十分ほど前にはソーメンがてんこ盛りだったガラスのボウルには、今や綺麗さっぱり白い麺は残っておらず、解けた氷水が溜まっているだけだった。

「じゃ、おれ行ってきます」

 朋幸が居間の片隅に置いてあったバットとグローブを手に取ると、キャップをあみだにかぶった。

「おう。父さんのためにホームラン頼むな」

「希望は?」

「オッサンのを十本ぐらい。軽〜く。あ、でも軽くやりすぎるとオッサンへこむからな」

「りょーかい」

 笑ってとたとたと駆けていく。元気に育ったなぁ、と不意に頬が緩む。あ?俺?そりゃあまぁ、オッサンのボールなんざ百発ぐらい軽〜くホームランできるさ。そんな風に思っていた時期が俺にもありました。

「さてと。巴はいかないのか?」

「行かない。私は女の子だからな」

 えっへんと笑って見せた。ほんとこいつって、母親にそっくりなんだよなぁ。

「でも母さんも野球は時々するぞ?知ってるか?元甲子園ピッチャーの球をホームランさせたんだぜ?」

「母さんは何をやってもすごいからな。私も見習わなくてはいけないな」

「私としては、あまりそういったところは見習わないでほしくないんだが……」

 全くの蛇足だが、巴の蹴りは痛い。滅茶苦茶。

「母さんは私の年ごろ何をしていた?」

「私か?小学四年生の頃は料理の勉強とかをしていたな」

「へぇ……どうりでいつもご飯がおいしいわけだよな」

「うん。母さんの料理は最高だ」

 そう二人でうなずくと、智代の顔がぱぁ、と明るくなった。

「二人にそう言ってもらえて嬉しい。今夜もがんばるぞ」

 

 

 何の気もなしにテレビを見ていると、だんだん眠くなってきた。

 夏休みシーズンだから、どこの部署でも誰かが休暇を取っていて、そこでその仕事が他に回ってくる。まあ、俺だって二週間後に休みを取る予定だからあまり文句とかは言えないが、とにかくそのためここのところちょっと残業が続いている。昨日も無論休日出勤だ。その疲れが今になってにじみ出てきているんだろう。気がつけば舟を漕いでいた。

 何度目かの攻防の後、俺はどさ、と畳の上に倒れていた。頬杖しながら寝ていると、手から顔が落ちて机にぶつかる、あれの要領だ。もうその頃にはどうにでもなれ、という気分だったから、仰向けになって目を閉じた。

 遠いどこかで、風鈴の音がした。

 

 

 

 

 居間でどさっ、という音がしたので覗いてみると、朋也が倒れていた。大丈夫かと思って助け起こそうかと思ったが、朋也はそのまま仰向けになって手を伸ばし、大の字になって寝てしまった。

 既視感がしたのでふと首をひねっていると、すぐに思い当たった。朋幸が試合の後、帰ってくるとこうやって寝てしまうのだ。似た者同士だな、と笑ってしまう。

 しかし、物音をたててこんないい奥さんを心配させるなんて、朋也は仕方のない奴だな。

 

 洗濯物を干し終えると、少し時間が空いたので、朋也のところに行った。相変わらず気持ちよさそうに寝ているようだった。頬に畳の跡がついて、結構可愛い。

「ここのところ、お疲れ様だな」

 返事無し。どうやら熟睡中のようだ。

「でも無理はいけないぞ?倒れてしまったりしたら、私はとても悲しくなってしまうぞ?」

 んご、と鼾がした。「わかってるって」という意味なんだろうか。

 

 しかし。

 その、何だ。

 朋也、その伸ばした腕は、誘っているのか?その、あれだ、私に隣にこい、と言っているのか?


 振り返る。誰もいない。耳を済ましてみると、巴の声が二階からかすかに聞こえる。恐らくまた白クマのぬいぐるみに話しかけているんだろう。さすが私の娘だ。うん、女の子らしい。朋幸はまだ帰ってこない。

 視線を朋也に移す。さっきからずっとこのポーズ、ということに、やはり意味があるんだろうか。

 

 え、ええいままよ。どうせすでに町内ではバカップル認定済みなんだ。今更その、添い寝で恥ずかしがることはないじゃないかっ

 

「と、朋也、失礼するぞ?」

 ゆっくりと朋也のと隣に横になり、その腕に頭を預けた。朋也の匂いが鼻をくすぐる。恐らく今私はとってもしまりのない顔をしているんじゃないだろうか。

 

「智代……」

 

 な、なんだ?今のは寝言か?どんな夢を見ているんだ朋也?

 

「でへ」

 

 わからない……全然わからないが、まあ楽しそうな夢なのはこのゆるゆるな寝顔からわかるからいいか。むぅ、まさかえっちな夢じゃないだろうな。

 不意に朋也ががばっと動いた。

「きゃっ、な、と、朋也?起きてるのか?」

 仰向けから横寝のポジションを取り、そして私に腕を回してきた。こ、これでは抱きついているように見えてしまうじゃないか。

「起きてるのか?なあ?」

「ごふ……が……」

 寝ているらしい。

 しかし、これはずるいぞ。何なんだお前は。私に添い寝の誘いを送ったり、私の名前を呼んだり、私に抱きついたり。お前の無意識行動は、私を真っ赤にさせるためにあるのか?

 でも

 それでもこうされると落ち着いてしまう。ここらへんは学生の頃から変わらないな。


 少し恥ずかしいが、このままでいたい。うん、こうしてずっといたい。

 

 

 

 

 

 

 むぅ。

 私が下に降りて行ってみると、居間で父さんと母さんがあろうことかハグして寝ているではないか。

 いや、夫婦仲がいいというのはとってもいいことなんだ。母さんに料理のことを教えてもらおうとしたというのにそれも延期というのも、この際どうでもいい。

 しかし、私の母さんを何で父さんが独占してしまっているんだ!?

 私は別に、父さんが嫌い、というわけではない。いやむしろ好きだ。だけど、それとこれとは別だ。私は母さんが大好きであり、母さんが私と父さんを選ばなくてはいけないとしたら、それはもちろん私を選んでほしい。一万票差で。何と言っても、私は母さんの娘だからな。

 どっかで愚兄が「母さん、お前のじゃないからな。あと、お前父さんの娘でもあるからな」と言った気がするが、所詮愚兄の言ったこと。無視しても問題ない。

 ぶぅぶぅ。母さん、どうせなら私をハグしてほしい。

 ……

 ……と言ったところでこの万年新婚はびくともしないんだろうなぁ。

 父さんは「はっはっは、巴は甘えんぼだなぁ」と笑い飛ばし、母さんは「そんな……私に朋也と巴のどちらかを選べと……ああっ、できないっ!」と泣き崩れてしまうんだろうなぁ。うん、しょうがない。母さんを他人に任せるのは嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でしょうがないけど、百万歩譲って父さんにならまあ任せてやってもいいか。

 

 しかし、何だ。

 私だけ見せつけられて何もできない、というのもつまらないからな。ちょっと楽しませてもらおう。

 確かあれは押し入れの中にまだあったな……

 

 

 

 

 

 息苦しくなったので、目をこじ開けた。不意に、腕の中のぬくもりに気付く。

「!!」

 思わず「智代っ!?」と言いそうになったけど、まあ寝てるんだし、幸せそうな顔してるんだし、すげえ可愛いことだし、そのままにしておこう。というか、人の胸の中でこんな顔して寝られたら結構恥ずかしいというか面映ゆいというか……

 しっかし暑いな。何だこの顔にべったりと纏わりつくような湿気は?まるで頭を何かで覆われている気分だ。

「ん……」

 智代が小さな声を出して起きる。畜生可愛すぎだぜ。

「ああ、すまないな朋也。その、何だ、隣があまりにも気持ちよさそうだったんで、つい寝てしまったんだ……?」

「いや、いつでもどうぞ……?どうした?」

 智代がまだぼんやりとした光を残した瞳を見開いた。

「朋也がパンダ男になってしまっているっ!!」

「何ぃ!?」

 顔を触る。もふもふした感触。てっぺん近くに耳がある。


 ある日曜日の午後、岡崎朋也がなにか気掛かりな夢から眼をさますと、自分が居間で一匹のパンダ男に変わっているのを発見した。いや、された、か。

 

 カフカもびっくりだぜ。


「そ、そんな……朋也は、怪人パンダ男だったのか……世界征服を企む悪の組織に拉致監禁改造されてしまったのか……」

 昔小熊ちゃんたちと見ていたヒーロー物特撮番組がフラッシュバックしたらしい。

「ち、違う誤解だ。智代話を聞いてくれっ!」

「私の愛する人は……世界征服を企んでいたのか……何で一言言ってくれなかったんだ朋也?」

「だから違うんだ智代っ!」

「もっと早く言ってほしかったっ!私はお前からもう離れられないっ!でも世界征服はいけないことだっ!私はっ!」

 智代が目を潤ませて立ち上がった。

「どうしたらいいんだっ!!」

 そのまま玄関を飛び出て行ってしまった。

「智代っ!!ってぇ、これ被り物かよっ!!」

 起きた途端にこんなことが起こったから、動転して今まで気がつかなかった。

「俺はっ!至ってノーマルだぁあああああああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 やーいざまあみろ。

 ちょっとばかりかんとくに注目されたからって、翔のやつまい上がってばっかだから、おれにホームラン三連続打たれるんだろーだ。汐ちゃんの目の前ではじかかせてやったっと。あーとで杏先生に言ってやろーっと。あわれだな。こっけいだな。こっけいだろ?笑えるだろ?笑ってやろうじゃんかよ、「今日もヘタレでごきげんさま」ってあいさつしてやろうじゃん。あーっはっはっは。

 そう思いながら家に帰るとちゅう、前からおれみたいにかみの色のうすい女の人が人の壁を超えんばかりの速度で走って行った。

「……の恋はっ!許されるものじゃなかったのかぁああああああ!うわぁああああああああん!!」

「……って、母さん!?」

 間違いない。今のは近所でも永久若奥様七人衆の一人、「ザリオンティの赤い牙」岡崎智代だ。その母さんが今物すごい勢いで走って行ったとすれば、次に来るのは

「……ちの愛はっ!永遠だぁああああああああああああ!!」

 やっぱきたよ父さん。勉強バカ、バカップル&親バカの三重苦を背負って今日もとーほんせーそう。あ、そうそう、バカップルってさ、つきつめるとこういう風に町を叫びながら走るんだろうか。かんとくも早苗さんもこーれいっぽいし。杏先生に聞いてみよう。

「ただいま」

「ああ」

「なあ巴、お前また父さんと母さんで遊んだろ」

「はて、何のことやら」

 父さんゆずりの目以外は母さんそっくりな巴がにやりと笑う。えっとこれは誰かを思い出させるな。ああ、あれだ。坂上姉妹だ。たかふみおじさん家のあの二人が何かたくらんでる時の顔だ。そういや父さんがいたずらする時も、こんな風だな。

「全くなぁ」

 おれは肩をすくめると、夕焼け空を眺めた。

 

 ま、今日も岡崎家はそれなりに平和、つーことで。

 

 

 

 

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