ともよお姉ちゃん
お元気ですか。わたしは元気です。
なんだかあらためてこう書くと、ヘンな気分です。だって今までママって呼んでたんですからね。でも、いつまでもママじゃおかしいし、ともママなんて呼んだらスナックのお姉さんみたいだ、ってまなさんが言ってたから。それに、電話でそうしようって決めたしね。
四年生になるのって、三年生より大変ですね。漢字がいっぱいで、こまってしまいます。算数はとくいです。理科もすきです。夏休みの自由けんきゅうは理科にしようかな、と思っています。
ともやお兄ちゃんは元気ですか。またむちゃやっていないといいですね。
それでは、また書きます。
とも
ともアフター
第一話 夏
大人になったつもりでいた。でも、やっぱり私の村から光坂市は遠くて、結局寝てしまった。
駅から降りた途端に、夏の日差しの強さがやけに気になった。木とかがあまりないせいか、アスファルトの道のせいか、村よりもずっと暑い気がした。
光坂市。私が生まれた町。
でも、ここで生まれ育ったという記憶はあまりない。三歳までは確かにここにいたはずなのに、覚えているのは黒いシャツと白いスカートの姉、そしてその周りの人たちの顔ぐらいだろうか。街並みなんて全然覚えていない。
「これじゃあ河南さんがアイスばっか食べるわけだよ……あっつー」
麦わら帽を頭に載せながら、地図を見る。智代お姉ちゃんの家は、ここから遠いわけじゃないけど、それでもこの日差しの中を歩くのは気が引けた。
「うへ……」
げんなりしながら歩き出そうとした時、後ろから抱きつかれた。
「ともっ!」
「あ、智代お姉ちゃん」
振り返ると、満面の笑みを浮かべて私の異母姉がいた。
「大丈夫だったか?長旅だっただろ、疲れているな?」
「ぜんぜん。あたすはこんたなことではへこたれねのす」
「そうか、うん……」
智代お姉ちゃんは少し微妙な顔をした。恐らく手紙で書く私と、今の私の口調のギャップについていけなかったんだろう。
「……冗談だよ?」
「えっ?あ、そ、そうだったのか、ふふふ、面白いな、ともは」
「朋也お兄ちゃんが、こうしたら智代お姉ちゃんは笑うんじゃないかって」
「……ほう?そうか、朋也の入れ知恵か……」
智代お姉ちゃんが冷たく笑う。あ、あれ、夏の盛りなのに寒気が……
「それはともかく、智代お姉ちゃんは大丈夫?待たせちゃった?」
「私は大丈夫だ。今来たところだしな。ともは?」
「平気だって。全然余裕」
「そうか。ふふ、偉いなともは」
髪をさらっと片手で整えながら智代お姉ちゃんが笑う。いつか私もあんな風に、いわゆる大人の笑みってのができるんだろうか。ちょっとまだ想像がつかない。
「朋也はまだ仕事なんだ。つい最近通信制の大学を卒業したのは知っているな?」
「うん。でも、何だか今忙しそうだね」
「うん。今まで無理を職場に言ってきたからな、そのリバウンドみたいなものだ。でも、今夜はちゃんと帰ってくるぞ」
そう言いながらも智代お姉ちゃんの顔は誇らしげだった。
「朋也お兄ちゃんは元気なの?」
「まあ……な。ここのところ少し疲れているようではある。私も実は少し心配してる。でも、朋也自身も頑張ってるからな。だから、見守ってる」
「すごいね、朋也お兄ちゃんも」
「うん。私の自慢の旦那様だ」
顔を少し赤らめながら、智代お姉ちゃんはほほ笑んだ。強い笑みだった。
「中学はどうなんだ?頑張っているか?」
街の中の喫茶店で飲み物を注文してから、智代お姉ちゃんが聞いてきた。
「うん、まあね。勉強はまあできてる。学年で三位かな」
「すごいじゃないか。私だって三位は無理だったぞ?」
「智代お姉ちゃんは都会に住んでるからだよ。私の学校、そんなに大きくなくてさ。一学年に九十人しかいないんだ。それに先生にもいろいろ教えてもらってるし」
そう。私には聡美先生という、優秀な家庭教師がいる。私を幼稚園の頃面倒を見てくれた先生だ。今でも、あの朋也お兄ちゃん達が作った学校で教えている。家庭教師と言っても、時々顔を出して何かを聞いたり、お手伝いに行ってる時に何か尋ねたりと、そういう間柄だった。
「バス通学とかはきついんじゃないか?朝、早いだろうに」
「ううん。七時にバスが出るから、余裕だよ。だいたい、真菜さんのところじゃ、鶏鳴いた時に起こされるし」
私の村は、私が来るまでは「人生の終着駅」と呼ばれていた所なんだそうだ。希望も何もなく、ただ安息を求める人の辿り着くところ。それを変えたのは、何と河南さんらしい。
そう、あの河南さん。
どうやってかは知らないけど、河南さんによって村の人たちは心を開くようになり、一致団結して、あの学校を建てたらしい。そして私が近くの町の小学校に行くようになるまでには、普通の田舎の村になっていた。
それでもやっぱり農業が盛んで、朝は鶏のコケコッコーで始まる。そして村の管理人であり、私の後見人の真菜さんも、私を実の娘のように扱う。つまり、いろいろと家のお手伝いがあるってことだ。
「お手伝いか……たとえば?」
「そうだね、ほら、あそこってもともと病院だったでしょ」
「ああ、そうだったな」
何でも真菜さんの祖父は、村唯一のお医者さんだったらしい。その祖父が亡くなってからはもう営業はしていないが、機材やベッドはそのままになっていた。
「で、最近お医者さんが住み込みになったから、またあそこ開業するかもしれないって。で、お掃除やら何やらを任されたりしてる」
「そうなのか……」
「あと、他には銅像拭き、とか」
「銅像?」
「うん。何かね、ずっと昔にクマと闘って倒れた健気で優しい美少女の像なんだって。河南さんに似てなくもないんだけど、ちょっとかわいすぎかなぁ……どうしたの」
「い、いや。なんでもないんだ」
そう言いつつ、智代お姉ちゃんは視線を反らして「本当に建てたのか……」と呟いていた。
「あ、そうだ。智代お姉ちゃんにはお土産があったんだ。できれば冷蔵庫に早く入れた方がいいんだけど」
「そうだったのか?それは、うん、楽しみだ」
「でしょ?何せ畑で取れたとっておきのウシガエルだからね」
「……」
智代お姉ちゃんの顔が引きつる。そしてぎぎぎ、という音とともに、私のバッグに視線を落とす。
「そ、そうか。と、てもうれしいぞ、とも」
ああ、この人はなんて優しいんだろう。
無理して笑ってるよ。時々バッグが動かないか不安げな視線を飛ばしつつも、笑顔は絶やさないよ。
智代お姉ちゃん、こんな妹でごめんなさい。
「冗談だよ?」
「……」
「本当はね、真菜さんの畑で採れた野菜。いくらあそこでも、カエルをそうそう食用に飼ってるわけじゃないよ」
「そ、そうだったのか、ははは、ともは冗談がうまくなったな」
ほっと胸をなでおろして、姉は笑った。
『なぁとも。夏休みになったら、遊びに来ないか?』
智代お姉ちゃんとしばらく電話で話していると、不意にそんな話が持ち上がった。
「え?でも、いいの?」
『もちろんだ。私のところに少し泊まりに来てくれないか?もうそろそろまた会って話がしたいしな』
智代お姉ちゃんや朋也お兄ちゃんとは、ちょくちょく電話で話をしたり手紙の交換をしたりするが、あまり顔を合わせることはなかった。それは、私が光坂市から結構遠い村に住んでいることもあるだろうけど、もう一つ、とても重い理由がある。
私は、いてはいけない子だった。
私と智代お姉ちゃんは、いわゆる異母姉妹である。智代お姉ちゃんの両親が喧嘩している時期に、智代お姉ちゃんのお父さんが浮気相手と作った子供。それが私だった。
もしそのまま智代お姉ちゃんの両親が離婚でもしていたら、あるいは私にも父親ができたのかもしれない。だけど、あまりその話はしてもらえなかったけど、鷹文お兄ちゃんが何かをしたらしい。そして智代お姉ちゃんたちの両親は仲直りをして、そして私の母だけが残された。
もちろん、そのことについて誰かを恨んだり悔やんだりはしない。結果論から言わせてもらえば、何だかそういう普遍的な家庭の幸せよりも、私の手にしている普通でない物のほうが素晴らしい気がする。
だって、もし智代お姉ちゃんの両親が離婚していたら、私は河南さんにも鷹文お兄ちゃんにも、そして大好きな智代お姉ちゃんにも朋也お兄ちゃんにも会うことなく母を失っていたかもしれないんだから。
『真菜さんと話をしてみてくれ。待ってるからな』
真菜さんと母がどういう経緯で知り合ったのか、私は知らない。母は自分が不治の病に冒されていることを知ると、私を坂上家に預けようとして、そしてその後いろんなところを彷徨った挙句に「人生の終着駅」と呼ばれる村にたどり着いた。そしてそこの病院だった建物に住まわせてもらい、村の管理人とも言える真菜さんのお世話になった。
私のことに関しては、どういう取り決めがあったのかは知らない。しかし推測してみると、他に選択肢が余りあったとは思えない。いくら面倒を見てもらったとはいえ、智代お姉ちゃんも朋也お兄ちゃんもまだ未成年で、智代お姉ちゃんはまだ高校生だった。そして村のほかの人に関しては、自分もそうだった様に一度人生を諦めた人に子供を預けるには抵抗があったのだと思う。朋也お兄ちゃんたちが結婚するのも、村が隠居先としてではなく普通の村として機能しだすのもずっと後の話で、要するに母には時間がなかった。そして限られた時間の中で少しずつ全てがよく変わっていくのを見届けながら、母は差し出された選択肢の中で最良のものを手にしたのだと思う。
智代お姉ちゃんの家は、私たちが一緒に過ごした家とは違う。
何でも結婚してからしばらく経って、もう少し大きなところに、と朋也お兄ちゃんが提案したらしい。
「まあ、いろいろと客が来るようになったから、それはそれで便利なんだけどな」
「お客さん?鷹文お兄ちゃんとか?」
「うん。あと、高校時代の友人とかな」
「へえ。会ってみたいなあ……智代お姉ちゃんは高校時代、どんな人だったの」
「ともと出会った母性愛溢れる女の子らしい女の子が、高校三年の私だ」
えっへん、と胸を張る智代お姉ちゃん。女の子らしさをアピールしてるけど、何かあったんだろうか。
「女の子らしいって……智代お姉ちゃん女の子でしょ」
「うん、そうなんだ。だから女の子らしくて当然だな!」
「いや、得意げに言われてもね……」
本当に何かあったんだろうか。
「ともには会わせたい人がたくさんいるんだ。高校時代の友達が主だな」
「ええっ!ほんと?楽しみだなぁ」
「ああ。でも、今夜はまあ鷹文と河南子で我慢してくれ」
「我慢してくれだなんて、そんな。私もあの二人には会いたくてしょうがなかったよ」
そうはしゃぐ私に笑いかけながら、智代お姉ちゃんはバッグからカギを出した後、苦笑してカギを使わずにドアを開けた。
「ただいま、義父さん」
「ああ、おかえりなさい、智代さん」
初老の男の人が奥から顔を覗かせた。
「おや、かわいらしい子だね。この子が智代さんの妹なのかい?」
「はじめまして。三島とも、と言います」
うんうん、と頷く老人。
「はじめまして。岡崎直幸です。朋也君の父です」
言われてみれば、顔立ちが似ていないこともない。うん、朋也お兄ちゃんにメガネをかけさせれば、案外そっくりかもしれない。
「お茶を入れますから、義父さんは座ってて下さい」
台所に向かって歩き出しながら、智代お姉ちゃんが言った。
「あ、いや、ここは私が」
「だめです。私は朋也の妻ですから」
「いや、でも」
「義父さんは座っててください」
何だか、直幸さんが朋也お兄ちゃんにすごく良く似てきた。特に智代お姉ちゃんに何も言えないところとか。
「ともちゃんは今、何歳なの?」
「十四歳です。今、中学二年生です」
「そうか……中学生か……」
遠くを見るような目になる直幸さん。そして小さく「中学生、か」と呟いた。何か、中学生の頃の思い出でもあるんだろうか。
「とも、お茶の手伝いを頼めるだろうか」
台所から声がかかる。
「はいはい」
小奇麗に整頓されている台所に二人で並ぶ。
「驚いたか?」
「え?」
「義父さんは、朋也のことを君付けするんだ。中には驚く人もいる」
「……あー」
そういえば、さっきから少し違和感があった。
「だけど、まぁ、私の母も私や鷹文を『さん』付けするんだ。おかしいだろ」
「そうかな。智代お姉ちゃんらしいよ」
「そうか?」
ふふふ、と二人で笑った。
「そう言えば鷹文お兄ちゃんと河南さんは、今でも?」
「ああ、今でも恋人以上夫婦未満だ。まったく、仕方のないやつらだな」
料理が一通り終わったのだろう、エプロン姿の智代お姉ちゃんが手を拭きながらやってきた。何だかこの口癖がなきゃ智代お姉ちゃんじゃない気がする。
「ただ、まぁ、あの二人にもいろいろあるんだろう。見る限りではそれなりに円満らしいから、後は当人たちに任せるか」
「まぁ、誰もが朋也君と智代さんみたいに仲睦まじくて即結婚、というわけじゃないからね」
直幸さんがそう言うと、智代お姉ちゃんが顔を赤くした。
「い、いや、私はそういう話をしてたんじゃなくて……」
「ともちゃん、智代さんと朋也君はね、近所じゃ有名なくらいのおしどり夫婦なんだよ」
「そうなんですか……ふーん?」
意味ありげな視線を智代お姉ちゃんに送ると、顔を真っ赤にしながら、智代お姉ちゃんがうつむいた。あ、かわいい。
「二人して、私をいじめるんだな……」
「でも、朋也お兄ちゃんがね……少し意外かなぁ」
「意外かい?」
「だって智代お姉ちゃんは手紙からして『朋也お兄ちゃん命、朋也お兄ちゃん一筋』ってのがよくわかるんだけど」
「と、ともっ!私信の内容を公開するなっ!」
「朋也お兄ちゃんって、何だか少しそういうのとは距離を置いてる気がしちゃって」
「ふむ」
直幸さんは口に手を当てると、考え込んだ。そして、しばらくして頭をかいた。
「朋也君にもそういう側面があるのは確かなんだけどね。人ってのは、結婚したりすると結構変わっちゃうんだよ」
そういうものですか、と答えようとしたとき、玄関がガチャリと開いて
「ただいま帰ったぞ、まいはにぃ」
「うん、お帰り、朋也」
……
……
……うわぁ……
まいはにぃって。まいはにぃ、って。
しかもすぐに素のまま返したよ智代お姉ちゃん。
突込みどころ満載だよ。
「ほらね」
直幸さんの苦笑が、とても印象に残った。