智代お姉ちゃん
お元気ですか?私は元気です。
最近、急に暑くなってきました。こまめに畑にお水をやらないと、のうさくぶつがかれてしまうかもしれないです。
村のみんなも元気です。近所のごろーさんがおとといよっぱらって頭を柱にぶつけちゃいました。まなさんがわらってました。
学校では、ゆきちゃんとひでくんがデートしたってうわさです。二人とも、ふだんはすっごく仲が悪くて、ケンカばかりしてるのに、ちょっと変です。つきあってるんだったら、智代お姉ちゃんと朋也お兄ちゃんみたいにすっごく仲良くしたらいいのに。
これからもいっぱいお手紙書きます。ではお元気で
とも
ともアフター
第十話 うまく合わない足でも
「ねぇ智代お姉ちゃん」
とんとん、とネギを刻みながら、私は隣に立つ姉に聞いた。
「うん、何だ」
「朋也お兄ちゃん……怒ってる?」
私が戻って来た時、朋也お兄ちゃんは留守だった。基本的には何も言わなかった朋也お兄ちゃんだったけど、それは構わないからとかそういう理由ではなくて、私の気の済むようにさせなければならない、そう思ったからなんだと思う。だから、朋也お兄ちゃんは本当は聞き分けのない私の態度に苛立ちを覚えても、そのまま外にふらりと出掛けていって何時間も戻ってこない私の身勝手さに怒りを覚えても、それは仕方のないことだと思った。だって、何も言わないからって何をやってもいいわけじゃないことぐらい、私にだってわかるから。あの時の自分の、その唐突さには自分だって今更ながら恥ずかしいと思うから。
「その心配はないと思うぞ」
「そう?」
「朋也はむしろすまないと思ってるんじゃないか。とものことにいろいろと口出しをしてしまったからな」
そこで一旦言葉を切ると、智代お姉ちゃんは私に向き直った。
「わたしもすまなかった」
「え、どうして」
「本当は、最初からお前に言うはずだったんだ。何で呼んだのかを。どういう状況なのかを。それを告げずに今日まで来てしまったのは、偏に私の弱さのせいだ。姉として恥ずかしいと思っている」
「……それでも」
私は智代お姉ちゃんの視線を受け止めて、そしてそのつぶらな瞳を見返した。
「嬉しかった。いろいろ、本当にいろいろあったけど、それでも何だか今まで抱えていた物が解決した気がしたんだ。今日の事のおかげで、私はこれからも歩いて行ける気がするんだ。だからね、そのきっかけをくれた智代お姉ちゃんと朋也お兄ちゃんには、すごく感謝してる」
そして、と心の中で呟いた。そしてもちろん、渚さんにも。私に力を、強さを見出す力をくれた渚さんに。
「……ありがとう」
そう呟くと、智代お姉ちゃんは鍋に向き直った。
「さ、さあとも。朋也がどこをほっつき歩いているのかは知らないけどな、早く美味しいご飯を作って、朋也をあっと驚かせちゃおう」
「おー」
声をあげると、眦に滲んでいたしょっぱさが少し消えた気がした。そのまま私と智代お姉ちゃんは少し笑った。
夕飯の準備がほぼ終わったちょうどその時に、玄関の扉が開いた。
「ただいま」
本当に朋也お兄ちゃんと智代お姉ちゃんは、どこか普通の人が感知できないところで繋がっているのかもしれない。ニュータイプとか電波とかシンクロ率百パーセントとか、そういう感じで。
「おかえり、朋也」
「おかえりなさい、朋也お兄ちゃん」
「よぉとも。お、うまそうだな」
あたかも何もなかったかのように、朋也お兄ちゃんが笑った。その笑顔に笑顔を返しつつも、私はどことなく拍子抜けしてしまった。智代お姉ちゃんの言葉を信じなかったわけではないけど、やっぱり一日の出来事をスルーされたかのようで、もやもやが胸に残った。
そんな思いを隠しつつ食器を並べていると、朋也お兄ちゃんが私のところに歩いてきて、その大きな手を私の頭に乗せた。
「おかえり、な、とも」
たった一言。
それは短い一言だった。でも、その一言に、朋也お兄ちゃんの優しさと気遣いと、安堵と嬉しさが込められていた。不意に涙腺が緩みそうになるのを堪えて、私はこくんと頷いた。
「……うん」
くしゃり、と頭を撫でると、朋也お兄ちゃんは歩き去っていった。つまりは、「それ以上は何も言わなくていい」という気遣いだろうか。確かに今のままでは私が達した結論をうまく説明できなかったかもしれないから。
本当に全く、朋也お兄ちゃんは肝心なところでカッコよく決めすぎる。
そう思っていると
「ただいまはにぃッ!!外の世界を散歩してみれば心奪われる景色とかそういうのに巡り合えるかと思ったけど、そもそも智代に心を奪われているから別にそんなことはなかったぜ!!」
「そ、そんな恥ずかしいことを大声で叫ぶなダーリン!!」
「ははは、怒りながらダーリンと呼んでくれるのかぁ。こいつぁ胸に来るモノがあるなっ」
「お前が呼べって言ったんだろうっ!!」
「『怒っていても大好きだからね、ダーリン』(笑)」
「お前が呼べって言ったんだろうっ!!!!」
「こんな可愛い奥さんがいるなんて、俺は今猛烈に感動しているっ!!」
「だからそんな大きな声で言うなぁっ!!!」
「智代、愛してる」
「え、あ、うあ、きゅ、急にそんなことを言うな、バカ」
「智代、結婚しよう」
「え、その、うん、しよう……って、もうしてるじゃないかっ」
うがーと吠える智代お姉ちゃんをあやすようによしよしと撫でる朋也お兄ちゃん。さっき撫でてもらった時に感じた感動を返せと言いたい。言い詰めたい。小一時間(ry
「あのさ、ご飯冷めちゃうけど」
ご飯よりも幾分か冷めた口調で言うと、朋也お兄ちゃんがはははと笑った。
「おおっと、それはまずいな。せっかくかわいいともと、かわいいかわいい智代が作ってくれた晩飯だからな」
……まぁ、確かに弄られてる智代お姉ちゃんは私よりかわいいんだろうけどさ。
「何なんだお前は……」
顔を赤く染めたまま、智代お姉ちゃんが怒った口調でつぶやいた。
「ん。お前の旦那」
「そんなにさらりと言ってのける朋也の神経がうらやましい時もある」
「ははは、そんなに褒めるなって。照れるじゃないか」
「…………」
智代お姉ちゃんは何かを言おうとしていたが、結局ため息をついて諦めたようだった。うーん、何だろう。朋也お兄ちゃんと智代お姉ちゃんは二人で一つ感がすごく強くて、すっごく仲が良くて、ラブラブで、すっごくお似合いで。そこは認める、っていうか認めざるを得ないんだけどさ。
先天性弄り魔である朋也お兄ちゃんの嫁であることって、実はものすごく疲れることなんじゃないかなぁ。
「……とりあえず、ご飯にしよ」
朋也お兄ちゃんが手を洗いに行っている間、私はそう自分に言い聞かせた。うん、考えすぎたら負けだ。うん。
「あのね、朋也お兄ちゃん」
晩ご飯も終わりにさしかかった時、私は意を決して言った。
「その、お父さんのことなんだけど」
「……ああ」
しばしの沈黙の後、朋也お兄ちゃんが頷いた。ちらりと智代お姉ちゃんを見ると、智代お姉ちゃんは励ますように私に頷いてくれた。
「あ……会ってみよう、って、そう……思って、るんだ」
「……そうか」
しみじみと言われた朋也お兄ちゃんの言葉が、私に言葉を繋げさせた。
「あ、あのね、許すとか許さないとか、そういうのじゃなくて、ていうかそういうの実感わかないんだけどさ、でも、恐らく今会わないと、もう会えない気がするんだ。それに、会わなかったら絶対後悔すると思う、私。今のままじゃあ、私、ずっとこのままなんだと思う」
「うん」
「それに、お父さんだって、朋也お兄ちゃんも智代お姉ちゃんも信用してるんでしょ?だから会うべきじゃないかって思ってるんでしょ」
「……そうだな。少なくとも、ともに辛い思いをさせるような人ではないと、そうは信じてる」
そもそも、父が今まで私と会おうとしなかったのは、私の存在すら知らなかったからであって、私を拒んでいたわけではなかった。もしかしたら、今更考えても詮無い事ではあるのだろうけど、もし父が母の病気のことを知っていたら、墓参りに来てくれたのかもしれない。いや、末期を看取ってくれたかもしれない。
今となっては詮無いことだけど。
「ねぇ朋也お兄ちゃん」
「ああ、何だ」
「一つ、いいかな」
「ああ、何でもいいぞ」
私はしばらくの間、言葉を選んだ後、ようやくその疑問を口にした。
「どうして、朋也お兄ちゃんはそこまでしてくれるのかな」
「……あー」
しばらく黙りこんだ後、朋也お兄ちゃんは少し間の抜けた声を出した。そしてそのまままた黙り込んでしまった。沈黙に耐えきれずに私が最後に残った焼き魚の欠片に箸を伸ばそうとすると、朋也お兄ちゃんがぽりぽりと頬を掻いた。
「あれだ。ともは智代のかわいい妹で、智代は俺の大事な嫁で……って、そんなん関係ないか。ともは俺たちのところに来た時から、智代と俺の子供というか妹というかそんな微妙な位置づけだったけど、そんなややこしいことすっ飛ばして楽に言うと」
そして朋也お兄ちゃんはにっと笑った。
「家族だからな」
家族。
母に死なれ、父なんていなかった私の、本当ならいるはずもない、家族。
「そんな大事な家族に、家族が増える。まぁ、本来ならもっとともが年上になってから『朋也お兄ちゃん、智代お姉ちゃん、私、このラッキーなコン畜生と結婚するんだ』『認めんっ!ともが欲しければ、まずは俺を倒してだな、交換日記から』『了承』『って、ともよぉおおお』とか、そういう会話があってからなんだけどな。とにかく、ともを支えてくれる人、ともが支えになってあげられる人、そんな人が増えるんだったら、手伝ってあげたいな、って。そう思ったんだよ」
ずずっと照れ隠しにお茶をすすると、朋也お兄ちゃんは不意に目を伏せた。
「それに」
「それに?」
「……仲の悪い親子っての、好きじゃないんだ」
「……朋也」
心配そうに声をかける智代お姉ちゃんに、朋也お兄ちゃんは笑いかけた。
「悪い。変なこと言っちまったな」
そう言って朋也お兄ちゃんに誤魔化された感はあったけど、俯いた時に一瞬だけ見た暗さは、常識とか一般論とかを口にするだけではない何かを孕んでいた気がした。
そんな私の思考を中断するかのように、壁に取り付けてあった電話が鳴った。
「あ、俺がとる」
「うん、頼む」
その電話が引き金になったかのように智代お姉ちゃんが夕食の後片付けを始めた。
「はい、岡崎です……ああ、親父。どうかしたか……へぇ……いや、俺が箪笥見てもわかるわけないだろ……何だよそれ、ははは」
台所で食器を洗っていると、居間の方からは時々楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「朋也と義父さんの話なんだが」
毛布にくるまったものの、目が冴えわたっていて眠れずに困っていると、智代お姉ちゃんが話しかけてきた。
「うん。直幸さんは朋也お兄ちゃんの事を君づけするんだよね」
「ああ。今では、その、普通に接しているから少し違和感があるだけだけど、私と朋也が出会った頃は、まさに逆だったんだ」
「逆?」
「朋也と義父さんの関係が、義父さんが朋也を君付けしてもおかしくないような、そんなものだったんだ」
君付け。つまり他人行儀。
「あの頃の朋也は、義父さんとはほとんど口もきかず、顔も合わせなかった。学校が終わったら春原 − ああ、春原は男子寮に住んでいたんだ − 春原の部屋に遊びに行って、家に帰るのは夜中だ。親子どころか、一緒に住む者同士としても接点はなかった」
「朋也お兄ちゃんのお母さんは」
「いない。朋也のお母さんは、朋也が幼い頃に事故で亡くなってしまったんだ」
淡々と語られる朋也お兄ちゃんの過去に、私は言葉を失った。
「恐らく家族のサポートがない孤独感、不安、荒廃感を、朋也はよくわかっていると思う。だから、ともの傍に誰もいないっていう状況が、どうしても嫌だったんだと思う」
「……そう、なんだ」
「無論、私だって嫌だ。ともは私たちの大事な妹だからな」
くしゃり、と智代お姉ちゃんが私の髪を撫でた。どことなく朋也お兄ちゃんと似ているようで、だけど少し違う。もう少し優しいのが智代お姉ちゃん。もう少し元気が出るのが朋也お兄ちゃん。
それはまるで、本当にパパとママみたいで。実際に私が母に捨てられた時も、両親代わりに面倒を見てくれたのは二人だったわけで。
だから不安になる。
近いうちに、私は父と、そして父の奥さんと出会うことになる。どういう結果になるかとか、それは今は何とも言えないけど、絶対にその二人を、朋也お兄ちゃんと智代お姉ちゃんと比べてしまうだろう。そしてもし落胆でもしてしまえば、上手くいくかもしれない何かも破綻してしまうかもしれない。
「ねぇ、智代お姉ちゃん」
「うん、何だ」
「……私のお父さん、どんな人」
夜の闇。沈黙。
「……弱くて、強い。厳しくて、甘い。そんな人だ」
逡巡の先に紡がれた言葉は、私を困惑させた。
「どういう、こと」
ゆっくりと智代お姉ちゃんの方に顔を向ける。その蒼いまなざしは、天井に向けられていた。
「父は、仕事については本当に何も言わないから私もよくは知らない。だけど、いろいろと厳しいものだと聞く。だからそんな中で父は自分を律するような、ルールのような物を作って、それで生きてきたと、昔聞かされた。だけど、元来強かったというわけではなく、そうだな、椅子に体を縛りつけて背筋を伸ばしているようなものかな。だから、そういう風に自分を抑えていても、いつかは弱さが前に出てしまい、甘さが出てきてしまったりする。そんな」
そこで一旦切ってから、智代お姉ちゃんは言い切った。
「――――普通の人間だ」
「……智代お姉ちゃんのお母さんは?」
最初の質問よりももう少しの時間と勇気を要したけど、私は聞く事が出来た。
「母は……我の強い人でな。自分の意見を変えるのに時間がかかるんだ。ここだけの話、まだ朋也の事をあまりよく思ってくれていないところがある」
「朋也お兄ちゃんの事を?何で」
「未だに、その、私を盗られた、と思っているらしい。普通は父親がそういう風になるはずなのに、父さんは朋也とは仲がいいのでな、余計へそを曲げてしまっているらしい」
くすくすといかにもおかしいと言わんばかりに智代お姉ちゃんが笑った。
「とにかく、自分の意思を貫こうという意味では強い人だけど、これと決めてしまったら周りが見えず、他を受け付けない。そんな弱いところがあるのも事実だ。というかすごくある。これも、うん、つまりは普通の人という意味じゃないか」
「……そっか」
「だけど、そんな弱くてもろい人たちだから、許されない罪を犯してしまった」
一転して、智代お姉ちゃんの言葉に厳しさが強く出た。
「……」
「そして私たちも道を間違えた。この問題は、もっと早くに何とかするべきだったんじゃないかって、今では思っている」
そっと智代お姉ちゃんが私の手を握った。
「すまない、とも。私も朋也も、もっと早くにこういう方向に話を持っていくべきだった。その間にともをずっと一人にして置いてしまった。なのに、私たちだけが正しいことをしているだなんて、私たちに父さんも母さんも糾弾する権利なんてないのにな。本当に、すまない」
しょげ返った姉にかける言葉を探しあぐねていると
―― 一人じゃ、ない、から
どこかで、懐かしい声が聞こえた。
「……え」
「どうかしたのか、とも」
「あ、ううん、何でもないよ」
そうは言ったものの、私の頭の中に、その声はずっと響いていた。
誰の声だろう。どこで聞いたのだろう。いつの記憶なのだろう。
わからない。
「何だか、夏休みが始まったばかりなのに、もう一山越してしまった気がしないでもないな」
「そうだね」
「とも、いつ、父と会おうか。こればかりはともの好きな時でいいんだ。何なら、また日を改めても」
「……そうだね。でも、いいよ。もうそろそろ向こうでも」
そこまで言ってから、私の頭の中に鮮明な情景が浮かんだ。
白い壁。揺れるカーテン。窓の外の緑。
一人じゃない。
私は一人じゃない。
「ねぇ、智代お姉ちゃん」
「うん。何だ」
目を閉じて、深呼吸。そして智代お姉ちゃんを見据えた。
「明日じゃ、ダメかな」
月明かりに照らされた智代お姉ちゃんの驚いた顔は、どことなく幻想的だった。