智代お姉ちゃん
お元気ですか。私は元気です。
写真をどうもありがとう!お友達のウェディングドレスもきれいですけど、智代お姉ちゃんのドレスも似合ってます。私も智代お姉ちゃんみたいなドレス着て、朋也お兄ちゃんみたいなだんなさんと一緒に出てみたいなあ、とか思っちゃうんですけど、だめですか?だめなんでしょうね、はいはい。
前に聞かれたことですけど、私にはそんな人いません。学校の男子ってバカでエッチで、そのくせ何かと「女なんかなぁ」とか言うんだもの。ま、そう言うこと言ったとたんに向うずねをイヤというほどけってやりますけどね。朋也お兄ちゃんとは大ちがい。だって朋也お兄ちゃんって、何だかとっても「智代お姉ちゃんオンリー命」って感じがしますからね。
いつか智代お姉ちゃんに、どうやったらそんな人に会えるのか、そのひけつみたいなのを聞いてみたいです。教えてね。
それではお元気で
とも
ともアフター
第二話 僕らだけの唄
「しっかしまあ、本当に大きくなったなぁ」
肩からカバンを降ろしながら、朋也お兄ちゃんが私の頭を撫でる。
「えへへ。朋也お兄ちゃんは、ちょっと大人っぽくなったね」
「そ、そうか?ははは」
「うん。もっとカッコ良くなった」
「お、ともはやっぱりいい子だな。小遣い十万円ほどやろうか」
うわ、わかりやすい。
「朋也、気前良すぎだ」
苦笑しながら智代お姉ちゃんが台所に立った。何だか、智代お姉ちゃんイコール台所という気がしてならない。あと、しいて言えば絵本、かな?
「朋也君、そんな甲斐性あるんだったら、もうそろそろ孫の顔が見たいんだけどね」
「うぐ」
「あ、私も見てみたいな。何ならお手伝いしよっか」
「いやいいって!大体手伝いって、どんなだよっ!!」
「朋也は……そうか、私よりも若い女の子が好きだったのか……」
「違うっ!俺は生涯ずっと智代一筋智代オンリー智代命だっ!!」
「き、近所に聞こえるぞっ、バカッ!!」
ふふふ、と笑いながら直幸さんがビールの瓶を台所から居間に運んだ。今夜のためにって昼間のうちに買って来たらしい。
「ともちゃんも飲むかい?」
「義父さん、ともは未成年ですよ?お酒は二十歳からです」
「まぁまぁまぁ、ここは私が責任取りますから」
「え?ビールってお酒だったんですか?」
びっくりした顔で三人が私を見る。
「だって近所の吾郎さん、『お酒は二十歳からだけど、あれは清酒って意味だよ。ビールや濁酒、焼酎はお酒のうちに入らない』って言って、結構飲ませてもらってるんですけど」
「……つっこむところが多すぎて困っているけど、とりあえず吾朗って誰だよ」
はぁ、と智代お姉ちゃんがため息をついた。
「まあ、ともはしっかりしているからな。今夜は大丈夫か」
「わーい」
「よーし、今夜は俺と一緒に酒飲み大会をしよう。どっちが最後まで残れるか勝負だ」
「負けないよ、朋也お兄ちゃん」
「……前言撤回。ともと朋也はジュースだ」
『ええっ!』
一転して冷たい視線を送る智代お姉ちゃん。そんな横暴な……
「智代、おいおい智代ちゃん?ねぇねぇともぴょん」
「だめだと言ったらだめだ。全く、朋也はいつも悪乗りするんだから」
「そうだね。朋也君も、智代ちゃんを見習ってだね、もう少し大人としても自覚を持って欲しいと私はかねがね思っていたんだよ」
「お、親父まで……」
孤立無援の朋也お兄ちゃんは私の手を取った。
「とも、俺たちが、俺たちが何をしたというんだっ!」
「現実って、世界って残酷だね、朋也お兄ちゃんっ!」
「そうだ、こんな世界から逃げようっ!二人で誰も知らないところで、幸せに暮らそう」
「うん、今から用意するよ」
「というわけだ智代。止めても無駄だからな」
「もう好きにしてくれ」
そこは引き止めてくれると思っていたのか、朋也お兄ちゃんは智代お姉ちゃんの反応を見てこけた。盛大に。
「智代〜、そこはせめて『行かないでくれ』とか言ってほしかったぞ」
「うん、でも私も朋也が意地悪な事を言うものだから、朋也の望んだ引止めもしなかったんだ。これでおあいこだろ?」
ものすごくいい笑顔で返す智代お姉ちゃんに、朋也お兄ちゃんは黙り込んで、そして
「あーくそ、俺の負けかよ」
「ふふふ、私たちの愛に挑んだ時点で朋也に勝算なんてなかったんだぞ」
何だかおしどり夫婦といわれる所以がわかった気がする。
七時ごろ、河南さんと鷹文お兄ちゃんがやってきた。
「誰だお前はっ!」
それが河南さんの私を見て発した一声だった。
「三島ともです。よろしく」
一応礼儀正しくお辞儀してみたが、河南さんははン、と鼻で笑った。
「うっそだぁ。ともさんはちっちゃくて可愛くて、森のパンダさんを歌いながらお芋のアイスを作るのに一生懸命な美少女だよ?」
「それ、いつの話……どころじゃないよっ!」
鷹文お兄ちゃんが突っ込む。河南さんの頭の中じゃ、私ってそういう子だったんですかそうですか。
「って、私河南さんの頭の中でどういう子になってるわけ?!」
「いや、今言ったじゃん」
「とも、落ち着け。相手は河南子だ。どんなサイケデリックでメンヘルな世界が待っているか、俺たちには全く予想がぐあっ!!!」
後頭部に手刀撃ちを喰らって、朋也お兄ちゃんが倒れた。
「誰の頭の中がどうだって?できの悪い弟子の癖に」
「おふざけはもうそれぐらいにしてくれ。河南子」
「はっ」
呆れたように智代お姉ちゃんが言った。ぴし、と背筋を伸ばして直立不動の姿勢になる河南さん。
「あそこにいる愛らしくてたまらない女の子がともだ。わかったな」
愛らしくてたまらない……智代お姉ちゃんにそう言われると、何だかとても照れてしまう。
「はっ!あそこにいらっしゃる愛らしくてたまらない女の子殿が、先輩の妹君でいらっしゃいます」
何だろう、河南さんに言われてもあんまり胸に来るモノが感じられない。
「うん。だからそんなお花畑な妄想は封印してくれ」
「はっ!お花畑な妄想は封印して海に捨てます!」
「海に捨てたら、環境に悪いだろう?焼却せよ」
「はっ!焼却しますっ!」
す、すごい……
あの河南さんが、智代お姉ちゃんの言いなりになってる……
鷹文お兄ちゃんに視線を送って、「いつもこんな感じ?」と聞いてみた。目だけで頷く鷹文お兄ちゃん。そうですか。いつもこんな感じなんですか。何と言うか、智代お姉ちゃん、すごすぎない?
「それが智代クオリティ」
いつの間にか回復した朋也お兄ちゃんがぐっ、と親指を立てて爽やかに笑った。
「にしてもともさん、おっきくなったね」
河南さんがうしゃしゃしゃしゃと笑いながら言った。
「あっという間にこんなにおっきくなっちゃってまぁ」
「どれだけ長い間『あっ』って言ってられるの、河南さん」
「あと数年したら、木よりも大きくなるのかな。将来楽しみだね」
「人は木より大きくなったりしないから。そんな将来楽しみじゃないから」
「ねぇともさん、大きくなっても、あたしたちだけは大人にならないって約束して」
「やー、河南さんもう大人でしょ」
「河南子はもう大人だろ」
河南さんの発言一つ一つを、私と鷹文お兄ちゃんで手分けして突っ込んでいった。何というか、アイテムなしバリアーなし残機なしの状態でシューティングゲームのラスボスを相手にしているような疲弊感を感じた。何か言うたびに突っ込める箇所がある河南さんは、ある意味すごいと思った。
「何だか賑やかでいいね」
直幸さんが幸せそうに目を細めて言った。うん、何と言うか、この人もすごい。心の広さは太平洋くらいありそうだ。
「すみません、こいつがうるさくて」
「いやぁ、鷹文君が謝るようなことじゃないよ」
「さっきから気になってたんだけどさ」
腕組みをして河南さんがさらりと
「この人、誰?」
とんでもなくさらりとは言ってはいけないことを言ってしまった。
「か、河南子っ?!」
「え、ええっと、河南さん?」
「会ったことあるっけ?さっきから妙に馴れ馴れしいけど」
「会ったことあるし、だいたい、それ、物凄く失礼だよっ!!」
「そうだよ河南さん、そんなこと言ったらだめだよ……って、うわ」
河南さんを諌めている場合ではなかった。見ると、直幸さんは目を細めて笑ったまま大量の涙を滝の如く流していたのだった。
「ニクール一応出たのに……ちゃんと直幸ルートも無事放映されたのに……映画にも出演したのに……SSリンクには私の名前で検索すらできるのに、それを友情出演したキャラに『誰』扱いされるなんて……」
「あっ、思い出した。この人……」
「この人は朋也のお父さんにして私の義理の父親、つまりは家族の一員だ」
ゴゴゴゴゴ、という効果音とともに、炎を背負って智代お姉ちゃんが仁王立ちしていた。手に持ったお料理のお皿が小刻みに震えている。
「あ、あはは先輩、おいしそうなお料理で……」
じりじり、と河南さんが後ろに下がろうとしたが、智代お姉ちゃんの鋭い眼光を受けてぴたりと悪あがきを辞めた。知らなかったのか?智代お姉ちゃんからは逃げられない。
「河南子も鷹文も知っているな?私にとって一番大切なのは家族の絆。ましてや直幸さんはこんな私でも理解を示してくれる素晴らしい義父。朋也みたいな息子がいれば舅として厳しくねちねちと苛めたくなるのもわかるもの。しかしそれでも私みたいな嫁でも温かく迎えてくれた、正に父親。そんな人に、『誰』だと?挙句の果てには涙を流させたと?」
「ね、ねぇちゃん、その……」
鷹文お兄ちゃんが間に入ろうとしたが、智代お姉ちゃんの冷たく光る青い目に睨まれて、動きを止めた。
「鷹文も鷹文だ。そもそもだな、鷹文、お前が彼氏としてもっとしっかりしていればだな……」
そして始まる説教の嵐。いつの間にか河南さんや鷹文お兄ちゃんはおろか、横で聞いている私まで正座になって叱られていた。そこに智代お姉ちゃんとおそろいのエプロンを着た朋也お兄ちゃんが顔を覗かせた。
そして見た。自分の義弟と義妹(恐らく予定)が嫁に説教をさせられているのを。
そして見た。自分の父親が体を動かさずにどばぁっと涙を流しているのを。
そして見た。正座になって雰囲気に呑まれ何もいえずにいる私を。
「……悪い。ここ、何て異次元空間?」
お察しします、朋也お兄ちゃん。
智代が窓を開け放つ。切り取ったような青い空。遠くで聞こえるセミの鳴き声。
「わぁー」
ともが窓辺に走っていく。はちきれんばかりの笑顔で身を乗り出す。
「あおーーーい」
それだけで満足そうな笑み。それを見ていて、自然に智代の頬も緩んでくる。
「あーいい風だね」
「お前、何か臭うぞ……」
「毛染めの匂いだよ」
不貞腐れたように鷹文が言った。苦笑しながら、朋也も窓辺による。自然と智代の隣に立った。
「すっかり夏だな」
嬉しそうに智代が空を見上げて言った。風に乗って、遠くからはしゃぐ子供たちの声がした。学校が終わったんだろうか、とふと朋也は考えた。
「もうすぐ、なつやすみだよー」
ともがにこにこしながら言う。それにつられて笑顔でうなずく智代。
「そうだな。もうすぐ夏休みが始まる」
その笑顔にはこれから始まる日々の期待しかなくて
とても輝いて見えた。
四人で過ごす夏休み。僕らだけの歌。
世界はこの狭い六畳一間を中心としていて、そこに朋也がいて、智代がいて、ともがいて、時々鷹文もいて、そしてかけがえのない、輝ける時間が流れる。
そう思うと、朋也も胸に期待を宿してしまった。智代と顔を合わせてふふ、とほほ笑む。
七月十二日。あれが四人で、そして河南子が来てから五人で過ごした最初で最後の夏休みだった。
もう、戻れないと思っていた、そんな昔の話。もう、ありはしないと思っていた、そんな時間。
道は続いていく。足は止まらずに進んでいく。そしてやがて、五人の夏休みにも終わりが訪れた。
だけど、あの別れがあったからここまでこれた。終わりがあったからこそ、次に繋げられた。立ち止まらずに進んだからこそ、また会えた。
これは繰り返しではない。これは、さしずめ、彼らだけの唄、その二番、と言ったところだろうか。
「じゃあ、夜道に気をつけて帰ってください」
ある程度見送りに出たところで、直幸さんが慇懃な口調と仕草で挨拶をした。慌ててしどろもどろになる鷹文お兄ちゃん。
「あ、あ、は、はいっその、今夜はどうもお騒がせしましたぁっ」
「おじさん、また遊ぼうぜっ!!」
体を屈めてお辞儀する鷹文お兄ちゃんとは対照的に、すっかり出来上がった河南さんが親指を立てた。それでも、直幸さんは目を細めてうん、うん、と頷いた。
「河南子さんも、また会いましょう」
「おうよぉっ」
「河南子、馬鹿っ!じゃあ、これで失礼しますっ」
「馬鹿って何だ馬鹿って、馬鹿文の癖にっ」
「河南子酔いすぎだってっ!少し頭冷やせよ」
酔って絡む河南さんを肩で支えながら帰っていく鷹文お兄ちゃん。何だか、あの二人は朋也お兄ちゃんと智代お姉ちゃんとは別の意味で仲がいい気がした。
「とても、仲のいいお二人さんだね」
ふと直幸さんが漏らしたので、私は笑ってしまった。
「何か、変なことを言ってしまったかな」
「いえいえ、私もたった今同じことを考えていたんです」
「そうか……それはいいね。仲のいい二人というのは、大事なことだ」
「まぁ、朋也お兄ちゃんと智代お姉ちゃんほどじゃないと思いますけどね」
「うん、私もあの二人はちょっと常軌を逸している気がしているんだけどね。我が息子ながら」
「おいおい、智代、大丈夫か?風邪か?」
「そういう朋也こそ、急にくしゃみなんかして。体には気をつけてくれないと、心配してしまうぞ」
「大丈夫だって。俺はほら、何があっても智代を置いていくなんてことはないんだから」
「馬鹿、そんな不吉なことを言うなっ!何もなくて、それでずっと傍にいろ!」
「智代……」
「朋也……」
「智代」
「朋也」
「智代っ」
「朋也っ」
「しばらくは戻らないほうがいいかもね。ともちゃん、少しゆっくり歩こうか」
「あ、あはは、そうですね」
居間で展開されているであろうピンクな空間を想像してみた。一瞬後、お腹一杯になった。
「ねぇともちゃん」
不意に直幸さんが立ち止まった。
「その、何だ、私は、朋也君の父親なんだ」
「あ、はい」
「だから、その、君の義理の父親でもあるんだ」
言われてみれば、そういうことになった。初めて会う、私の正式なお父さん。
「まぁ、外見はおじいちゃんなんだろうけどね」
「い、いえ、そんな」
「私も、ともちゃんみたいな若い娘がいたなんて知ったときは驚いたけどね。だから、本当はこんなことを言える立場ではないことは承知しているんだ」
そして直幸さんはしばらくの間躊躇ったりしながら、ようやく言った。
「私と朋也君のことは……智代さんのことだ、話していないんだろうね」
「……はい」
「うん。朋也君とは、その、いろいろあってね……ちょうど朋也君がともちゃんぐらいの年頃の話だよ。それから長い間、本当に長い間、私と朋也君は他人行儀な暮らしをしていたんだ」
思わず息を呑んだ。今の二人からはちょっと考えられなかった。だって、それぐらい朋也お兄ちゃんと直幸さんは仲がよさそうだったから。 すると、直幸さんは笑って頭をかいた。
「ああ、今ではさっき見たとおり、仲がいい。少なくとも、私は朋也君とはそんな関係だと思っているよ。それもこれも、智代さんのおかげなんだけど、それはともかく。こんな親でも、いや、こんな親だからこそ、一つだけ私が自分の子供に求めることがあるんだよ」
「……それは」
「笑って、いてほしい」
私は直幸さんを凝視した。
「ずっと、笑っていてほしいんだ。今の朋也君や智代さん、鷹文さんや河南子さんみたいに、ともちゃんには笑っていてほしい」
「笑って、いる」
「うん。ともちゃんの笑顔は、他の人に元気を与える、いい笑顔だ。他の人にはない、大事な宝物なんだよ。だから、その笑顔で、みんなに元気を、そしてもちろんともちゃん自身にも元気を与えてほしいんだ」
そこまで言うと、直幸さんは困ったように頬をかいた。
「いや、やっぱり慣れないことは言うものではないね。どうも格好がつかない」
「ううん……そんなことない」
私は直幸さんに微笑んだ。
「わかりました……お父さん」