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 ともよおねえちゃん

 お元気ですか。わたしは元気です。

 今日、たつみちゃんのパパとママのはなしをききました。たつみちゃんのパパとママは、おみあいっていうのをしてけっこんしたんだけど、今日がパパとママがいっしょになってから十年なんだそうです。じゃあ、たつみちゃんのパパとママ、なかがいいんだね、と言うと、うん、とたつみちゃんがこたえました。でも、あんまりちゅーはしないそうです。なかがいいんだったら、ともよおねえちゃんとともやおにいちゃんみたいに、いつもちゅーしてると思ったのに、なんだかがっかりです。

 ともよおねえちゃんは、ともやおにいちゃんとまだまだなかよくいてくださいね。

 

 とも

 

 

 

 

 

 

 ともアフター

 第三話 同じ空

 

 

 

 

 

 習慣って、やっぱり抜けないものだなぁ。

 そう思いながら私は布団から出た。いつもならもう少し寝てたい、とか思っているのに、時計を見たら五時半だった。顔を洗いながら髪を梳かし、そして

「何だ、ともに先を越されてしまったな」

 後ろから急に来た白い髪の幽鬼に声をかけられた。

「うわあっ」

「どうしたんだ?私の顔に何か付いているのか?」

「う、ううん、いやその」

「……む。確かにこれでは驚くな」

 智代お姉ちゃんがくすりと笑った。いつもは流れるようになっている智代お姉ちゃんの髪の毛は今や少し前衛的な芸術作品にも見えた。

「あまり朋也には寝起きの私を見られたことはないんだ」

 ブラシでその腰まで伸びた髪を梳く智代お姉ちゃん。

「そうなんだ」

「何と言っても、私が起こしに行かないと起きない寝坊助さんだからな。まったく、困った奴だ」

 そういう割には、智代お姉ちゃんは実に楽しそうだった。

「昨日はちゃんと眠れたか?」

「うん。ぐっすり。なんだか一昨日あまり眠れなかったんで」

「そうだったのか。どうしてまた?」

 改めて聞かれると、少し恥ずかしい質問だった。

「え、ええっとね」

「うん。私にどんと言ってみてくれ」

 智代お姉ちゃんが胸をトン、と叩いた。何というか、今更ながら大きいなぁと思った。ついでに少しへこんだ。

「えっとね、大好きな智代お姉ちゃんにまた会えるって思ってたから、かな」

 私の答えに、一瞬智代お姉ちゃんは面食らった顔をした。あ、こんな表情斬新かも。

「そ、そうか……じゃあ、私と同じだな」

「え?」

「私も、大好きなともが来るというだけで、夜も眠れなかったんだ」

「……智代お姉ちゃん」

 髪の毛を梳き終わった智代お姉ちゃんが、私の頭を撫でた。

「じゃあとも、朝ごはんを一緒に作らないか?私たち姉妹の共同作業だぞ?」

「夫婦じゃないんだけどね」

 私は苦笑しながら智代お姉ちゃんについていった。

 

 

 

 

「何ていうか……」

 私はどんどんできていく料理を見ながら呟いた。

「朋也お兄ちゃんって、朝からこんなに食べるんだ」

 何だか全国の忙しい旦那さんが羨むような朝の食卓だった。

「うん、これぐらいでいいだろうか」

「あ、智代お姉ちゃん」

 エプロン姿にミットを手にはめたまま、智代お姉ちゃんが腰に手を当てた。その誇らしげな顔を見ていると、少しばかりニヤニヤが止まらなかった。

「よし、ではとも、朋也を起こしてきてくれ」

「了解」

 私は襖を襖を開けると、未だに布団の中でもぞもぞしている朋也お兄ちゃんの傍に寄った。

「朋也お兄ちゃん、朝だよ」

「んご……ぐぅ……」

「朋也お兄ちゃん、起きてってば」

「……がごぉ……んん……ともよぉ」

「へ?智代お姉ちゃん?」

「むにゃ……んご……でへへ」

 何故だか無性に腹が立った。智代お姉ちゃんが一生懸命料理しているというのに朋也お兄ちゃんったら。
こうなったらオシオキの時間です。


「大変だよ智代お姉ちゃん!朋也お兄ちゃんが夢の中で違う女の人の名前を!」

「何……だと」

「誤解だ智代っ!俺は智代の夢しか見ていないっ!!」

 智代お姉ちゃんの顔がぴきーんと固まるや否や、先ほどまで爆睡中だった朋也お兄ちゃんが跳ね起きた。

「そ、そうなのか」

「ああ。夢に智代現に智代、四六時中智代尽くしだなんて、何て俺は幸福なんだろう!!」

「あ、朝からそんなことを大声で言うなっ、馬鹿ぁっ」

「じゃあ静かに言おう。智代、愛してる」

「え、あ、わ、私もだ」

 何だかなぁ。

 智代お姉ちゃんと朋也お兄ちゃんが仲がいいのは、こりゃすんばらすぃことなんだろうけどさぁ。朝っぱらからこんな感じで夜まで続くのかと考えると、どことなくげんなりしてしまう。

「早く支度をしろ。まったく、私はお前の遅刻癖を治すために嫁いだのか?」

「いやあ、それはないな。だって智代」

「何だ」

「智代が家にいるんだったら、俺、毎朝遅刻したい気分だし」

 それを聞いた途端、智代お姉ちゃんは顔を真っ赤にして「なっ」と言ったきり、黙り込んだ。キャパ越えしてしまったらしい。

「あー、朋也お兄ちゃん、とにかく早く支度してあげて。ご飯が冷めちゃう」

「何っ!そりゃ大変だ」

 朋也お兄ちゃんがどたばたと箪笥の中を引っ掻き回した。

「こら朋也っ!女の子がいる前で着替えるなっ!!」

 

 

 

 

「じゃ、行ってくる」

 朋也お兄ちゃんが靴の紐を結びながら言った。さっきはそのままつっかけようとしたんだけど、智代お姉ちゃんに見つかってやりなおし、ということになった。

「鞄は……あるな。ハンカチは持ったな?携帯は?」

「おう、持ったぞ」

「うん。お弁当は持ったな」

「それだけは忘れない」

「ふふ、うん、そうだな。何かあったら電話してくれ」

「ああ」

 そう笑いかけると、頬に軽くキスした。こういうところを見ていると、何だか夫婦なんだなぁ、とちょっとおませなことを考えてしまう。

「今夜は、何がいい?」

「そうだな……智代のコロッケが食べたい」

「よし、わかった。作っているから待っていてくれ」

「おう。じゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃい」

 さきほどの言葉を繰り返して、朋也お兄ちゃんは出かけていった。智代お姉ちゃんはそんな朋也お兄ちゃんが見えなくなるまで手を振っていたが、やがて扉を閉めてふふふ、と笑った。

「ん?どうした?私の顔に何かついているのか?」

「ううん……ただ、その、仲がいいなぁって」

 すると智代お姉ちゃんの顔がなおさらしまりなくなってしまった。あまりにも緩み切っているので、地震でも起こったら顔が落ちたかもしれなかった。

「そ、そうか?」

「うん。私の知ってる限り、こんな朝の一シーンがあるのはテレビドラマの中だけだったんだけどなぁ」

「それはおかしい。大体私に朋也とキスをしろ、と言っていたのは、ともじゃないか」

「だっけ?」

 頭をかいてみた。え?そんなおませなことを言った覚えないんだけどなぁ。そう思っていると、智代お姉ちゃんが苦笑した。

「おかげで近所じゃ一、二を争うバカップルになってしまったぞ?責任を取ってくれ」

「……どうやって」

「ともも早く恋人を見つけて、私たちよりもすごいバカッポーぶりを見せつけに来てくれ。うん、それがいい」

「恋人、ねぇ?」

 クラスのみんなを思い浮かべる。特にそんな人は思い当たらなかった。

「まあ一人だけなら知ってる男の人でかっこいいのがいるんだけど、その人とだったらいい?」

「もちろんだぞ。全力で応援しよう。で、誰なんだ?」

「朋也お兄ちゃん」

 ぴし。

 いやぁ、智代お姉ちゃんって本当に可愛いなぁ。からかわれるために生れてきたんじゃないだろうか。言った途端に石になっちゃった。

「そ、それは、うぅ……」

「全力で応援してね、智代お姉ちゃん」

「だ、だけど、朋也はその、私と結婚しているんだ……で、でもともの幸せを奪って泣かせてしまったらどうしよう……しかし私はもう朋也から離れられない……うぅぅ」

「あ、冗談だからね?智代お姉ちゃん?ねえってば!?」

 さすがに泣かせたら悪いんでそう言うと、智代お姉ちゃんは涙目で頬をふくらませていじけてしまった。

「……みんなして私をいじめるんだな?ともだけは、ともだけは朋也みたいな意地悪はしないと思ってたのに

……」

「だって、智代お姉ちゃん、かわいいんだもの」

「そうか。全然褒められた気がしない」

 ぶす、とされてしまった。

「でも、さ」

 私はもう一度玄関の方を向いていった。

「冗談抜きで、朋也お兄ちゃんってかっこいいよね」

「うん、そう思うだろ?」

 沈んだりいじけたり明るく咲いたり、智代お姉ちゃんって忙しい人だなぁ、とふと思った。

「仕草がシャキってしてるっていうかさ、はきはきしてて。うん、私の知ってる人で一番かっこいい男性ってやっぱり朋也お兄ちゃんかな」

「そうか……でも、朋也は渡さないぞ」

「ん、何だか今の見てたら、私の入りこむ場所すらないなって実感した。それに、私朋也お兄ちゃんのこと恋愛感情抜きで好きなんだと思う。ええっと、あと、智代お姉ちゃんと一緒だから、私の好きな朋也お兄ちゃんなんだと思う」

「そうか。うん、それはうれしいぞ」

 くしゃり、と頭を撫でられた。

 

 

 

 

「それより、智代お姉ちゃんは急がなくていいの?」

 食器をこれまた二人で洗いながら、私は智代お姉ちゃんに聞いてみた。

「ん?急ぐというと?」

「いやぁ、智代お姉ちゃんも仕事とかあるんじゃないかなって」

 ああ、と智代お姉ちゃんは納得したように手を打った。

「うん、実は私も今は夏休みなんだ」

「え?夏休み?」

「うん。ちょうどいい時期に取れたと思っている。まぁ、朋也と一緒じゃないのは残念だが、こうしてともと一緒に時間を過ごせるし、朋也を妻として支えてあげられる。うん、いいな」

 噛み締めるように頷く智代お姉ちゃん。しかしその時私はつい最近日本を襲った不況のことを思い出して、まさかこれが巷で言う「終わらない夏休み」なんじゃないかと、危惧してしまった。まぁ、智代お姉ちゃんがリストラの対象になるなんて想像もつかなかったけど、念のため。

「智代お姉ちゃん」

「うん、何だ」

「それって、期限付きだよね?ずっと続くわけじゃないよね?」

「ああ。ともがこっちにいる間だけ、ということになっているのだが……」

 そこまで話すと、不意に智代お姉ちゃんはスカートにあった携帯を取り出した。光が点滅し、ブルブル振動するそれの蓋を開けると、耳に押し当てた。

「もしもし……はい、岡崎です……え?……それは……うん、確かにそうだな……それで先方は何と?」

 今までにこやかに話していた口調とはうって変わった冷静沈着、かつスピーディーな会話。それは、これまたテレビドラマでしか見たことのないような、「仕事の女」の姿だった。

「わかった……その件だけだぞ。それが終わったら、私は休暇に戻る、いいな?……ああ、すぐ行く」

 ぴっと通話ボタンを押すと、智代お姉ちゃんはため息をついた。

「せっかく、ともとの楽しい時間が始まるというのに……」

「お仕事?」

「ああ。普段は任せられる部下がいるんだが、どうも体調を崩しているようなんでな……」

 そう言いながら智代お姉ちゃんはエプロンを脱いで、箪笥に向き直った。取り出したのは、紺色のスーツ。スカートタイプではなくて、もっと大人っぽいズボンタイプだった。タートルネックとスカートというシンプルな私服姿からきりりと決まったスーツ姿に変身。

「これはあまり女の子らしくないんだけどな」

 そう苦笑しながら智代お姉ちゃんはスーツに合ったスカートを摘まんだ。そして一瞬だけ逡巡すると、指を放して箪笥を閉めた。何でも、ズボンのほうが走りやすいから緊急の際には使い勝手がいいそうだ。

「とも、すまない。すぐ戻ってくるからな」

「うん。あ、ちょっとそこらへん探検しててもいいかな」

「気をつけてくれ……と言っても、ともも大人だしな。道に迷ったりしたら、私に電話してくれ」

「うん、ありがとう」

 そう言って頷く私に微笑みかけると、智代お姉ちゃんはささっとお化粧をすまし(まぁ、元々美人なので必要ないかなぁとも思ったけど)、そのまま颯爽と出て行った。何というか、とてもカッコいい。

「憧れちゃうなあ、智代お姉ちゃん」

 私はため息をついた。私もいつかスーツ姿で出勤するのだろうか。勤め先……まだ漠然としていてよくわからない。友達はみんな「えー、わっかんないなー」という具合だし、男子は「俺は海賊王になる!」「俺のドリルは天を作るドリルだ!」とか変なことしか言わないし。村のみんなは、「ともちゃんは宇宙飛行士が似合うな」「いいや、作家だ」「何を言うか、ともちゃんは売れっ子漫画家になるんだ」とかてんでばらばらだし。

 あるいは、私に両親がいれば的確なアドバイスをもらえたのかもしれない。

 そんなことをふと考えてから、私は頭を左右に振った。考えてはいけない。そんなこと、決して考えてはいけない。私には、朋也お兄ちゃんと智代お姉ちゃんがいる。村のみんながいる。真菜さんが保護者としている。お母さんは今でも心の中にいる。絶対にこれ以上求めてはいけない。不幸せなんだと、そう思っちゃいけない。

 私はしばらく目をつむって深呼吸をすると、よし、と気合を入れた。

 

 

 

 

 町。それは出会いの場所。

 考えてみれば、智代お姉ちゃんが河南さんと出会ったのも、夜の町だった(あまり詳しくは教えてくれなかったが)。

 様々な人が、様々なきっかけで、様々な道を歩いていく。この時私の経験した出会いも、そういう幾多の偶然の一つなんだろう。

 最初、私はそれを星だと思った。彼女を小学生、あるいは同年代の中学生かと思った。
まず服装。多分に偏見なのだろうけど、赤いヨットパーカに黄色いTシャツ、水色の半ズボンといういでたちは、結構若い人の着るものだと思う。次に仕草。きょろきょろと左右に頭を振って周りを見渡すその姿は、小動物を連想させた。どう考えても「大人」の仕草ではなさそうだ。そして最後に外見。背は私よりも低く、しかも顔だってまだあどけない。こんな統計は取ったことがないからはっきりとはわからないけど、恐らく道を行く人に聞いてみたら私の方が年上だと思われると思う。

「失礼ですっ!風子は大人です!近所でも『ああ、あの子はようやく大人の品格が感じられなくもなくなってきたね』と評判ですっ!」

 ……

 ……あー、その、えっと?

 それって、どう考えても大人扱いされてませんよね?むしろ大人(笑)という感じですよね?

「風子はこう見ても学校の先生なんですっ!高校生に芸術のなんたるかを教える大役を任せられてるんですっ」

「……じゃあお聞きしますが」

 恐る恐る手を上げてみた。

「芸術って何ですか」

「ヒトデですっ」

 この間、零点零一七秒。

 「いちたすいちはなんですか」とかの質問じゃあるまいし、せめてもう少し考えてから答えを出してほしかった。っと、いけない。そっちが問題じゃなかった。

「何でヒトデなんですか」

「そんなこともわからないなんて……」

「いや、それが当たり前であるかのように話されても困るんですけど、わりと」

「いいですか、このヒトデ、これをよく見てください」

 そう言って、風子さんは木彫りの星を私に突き出した。

「……これ、星じゃなかったんですか」

「よく見てくださいっ!ヒトデですっ」

 どう見ても違いがよくわかりませんでした本当にどうもありがとうございました。

「わかりませんか……こんなにかわいい……かわいい……はぁぁぁああああああああああ」

 そういうと風子さんは光悦とした表情で固まってしまった。周りがメルヘン色に輝いて、光の星……いや、ヒトデなのだろうか。とにかくそういったものがふわふわと浮かんでは消えた。私?私は茫然とその場で立ちつくしていた。

「……はっ。風子、危ない所でした」

 や、もうアウトでしょ、確実に。

「というわけでヒトデのかわいさがあらかたわかったと思いますが、どうですか」

「えっと……ヒトデって何だか触手とかのびたり気持ち悪いイメージがあるんですけど……」

「気持ち悪くなんかありませんっ!そこはヒトデの希少価値ですっ!ステータスですっ!!」

 


ここに、新たな名言が生まれた。

「そこはヒトデの希少価値ですっ!ステータスですっ!!」

風子さん、ヒトデの触手を評して

 

 

「これがわからないうちは、風子の家で強化特訓する必要がありますっ!一緒に行きましょうっ!!」

 光坂市に来てから二日目。すでに私は誘拐の対象になっていた。

「……それはそうと」

 風子さんは一歩踏み出してから不思議そうに私を見た。

「風子のお家はどこでしょう」

「知らないですっ!!ってぇ、迷子だったんかいっ!!」

 思わず本気で突っ込んでしまった。

「迷子とは失礼ですっ!風子はこれでも土地勘があることで有名ですっ」

「土地勘があるんだったら、帰り道ぐらいわかるはずじゃ……」

「わかりません」

 断言された。もう何が何だか……

「っていっても、私もこの町のことはあまり知らないし……」

「あなたも迷子なんですか」

「いや、迷子とはちょっと違うような……」

 頭をかいていると、地響きのようなものが聞こえ、そして

 

「……パンはっ!古河パンのマインスウィーパーだったんですねぇえええええええええええっ!!」

 

  ものすごい勢いで人……かなぁ……とにかくそれらしいものが走り抜けていった。あれはなんだったんだろう。そんな感傷に浸る間もなく、また地響きが聞こえてきた。

 

「……とえ最初にクリックした時点でゲームオーバーでもっ!俺はっ!大好きだぁぁあああああああああああっ!!」

 

 あれも人に見えた気がしたけど、疲れてるのかな。目をこすっている間に、その怪現象は霧散した。智代お姉ちゃんはこんなはちゃめちゃな町に住んでるのか。ちょっと感動した。すごく尊敬した。とてつもなく同情した。

「はっ!そうですっ!古河パンですっ」

 不意に風子さんが声高に言った。

「何、その古河パンって」

「パン屋ですっ!素敵なヒトデパンを作るので有名です」

 ヒトデパン。ヒトデペースト100%で焼き上げたパン。もしくはヒトデが入っているパン。

 どちらにしろ、売れなさそうだった。古河パンとやらの評判がとても気になった。

「でも、まぁパン屋の名前だったら他の人に聞けるかも」

 そう楽観的に考えていると、運よく一人の女性が歩いてきた。

「すみません」

「はい、何でしょうか」

 女性はきょとんとした顔で答えた。その顔に、どことなく見覚えがあった気がした。

「……あの?」

「あっ、すみません」

 しばらくの間見つめてしまっていたのだろう、女性が声をかけたので私は我に返った。

「ここらへんに、古河パンという名のパン屋があると思うんですけど、どこにあるか知っていますか」

「古河パン……ああ、はい、存じております」

 中学生と年齢不詳の見た目は子供実は自称大人の二人連れに対しても、実に慇懃な返事をする女性。その服装といい、落ち着いた物腰といい、何だかすごそうな人を捕まえて声をかけてしまったようだ。

「ただ、近くというには語弊があります。古河パンにいくには、ここ − 三丁目です − をあっちの方向まで行きまして、一丁目で右折した後、約一キロ直進。そして左折して公園が見えるまで歩きますが、よろしいのですか」

 ぜんぜん近くなかった。風子さん、あなたはどこをどう歩いたらここまで辿り着いたんだろう。

「パン屋なら本当に近くにもありますが……」

「いえ。どうもこの人が迷ってしまっているので、その古河パンというところに行こうとしているんです」

「あら、そういうことでしたか。となりますと、あなたは善意の協力者、といったところですか」

「え、えええ、い、いやぁ、そんなたいしたのじゃないですよ」

 善意の協力者などという大層な肩書に、私は驚き半分照れ半分の笑いを浮かべた。

「……近頃の若者というものはあまり信用できない、と思っていたのですけど。どうやら浅はかな思い込みだったようですね」

「は、はぁ……」

「……いえ、すみません。息子の恋人のことを思い出したら、そんな考えが浮かんでしまって……おや、これも言わずもがなことでしたね」

 そう言ってその女性は上品そうに笑った。

「では、これにて失礼いたします」

 ぺこりとお辞儀をすると、その女性は歩き出した。その後ろ姿に見覚えがありすぎて、私は思わず声をかけてしまった。

「あ、あのっ」

「はい?」

 しかし、不思議そうな顔で振り返った女性を見ても、どこでどうその後ろ姿を見たのか、まったく思い出せなかった。

「え、えっと……その……」

「……また、会える」

「……え」

 意味深な言葉に私が反応すると、女性はにっこりと笑った。

「あなたとは、また会えるような、そんな不思議な気がします」

 そう言って、今度こそその女性は歩き去っていった。

 

 

 

 

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