ともよお姉ちゃん
お元気ですか。わたしは元気です。
こっちでは夏休みになりました。といっても、プールもなにもないから、することと言えば山のたんけんだったりするんだけど。あと、まなさんのおてつだいとか。
夏休みの自由けんきゅうはアサガオのかんさつにしました。もともとやさいとかのさいばいを手伝ってるから、植物をそだてるのはとくいです。
ともだちのかおりちゃんはしんせきがいる海にいくって言ってました。いつかわたしも海にいきたいです。いくんだったらともよお姉ちゃんとともやお兄ちゃん、たかふみお兄ちゃんとかなさんの五人で行きたいです。
まなさんがとかいの夏はすごく暑い、って言っていました。部屋にいると汗が止まらないって言ってました。ともよお姉ちゃんもともやお兄ちゃんもだいじょうぶですか。ずっと元気でいてくださいね。
それではお元気で。
とも
ともアフター
第四話 ひとりで
「というわけで」
風子さんがあたりを見渡していった。
「迷子です」
「いや、そんな得意そうに宣言するようなことじゃないし」
苦笑いをしながら、私は答えた。すると風子さんはむっと顔をしかめた。
「ともさん、そんなんじゃだめですっ!ポジティブ深々ですっ!もっと状況を楽しみましょう」
「それを言うんだったらポジティブシンキングでしょ。あと、今の優先事項はこの迷子っていうステータスから抜け出すことだからね」
本当は黙々と歩いて体力を温存したいんだけど、この自称大人がそうはさせてくれなかった。
「それに、ほら、迷『子』って子供っぽいし」
「ともさん、さっさと行きましょうっ!大人は迷子になんてなっていてはいけないのですっ」
さっきからずいぶんとバテて歩く速度が遅くなっていた風子さんが、急に元気になった。何だかだんだんこの人の扱い方がわかってきた気がする。
本当はこういうことになるはずじゃなかった。私は気の向くままに足の選ぶ道を歩いて、そしてただの探検ごっこを楽しむはずだった。なのにふと気がつくとひとりじゃなくて二人で、気ままにじゃなくてとあるパン屋に向かっていて、自由じゃなくて(よくわからないけどおそらく)責任があって。
なのにそれなりに嫌じゃないのだ。風子さんに言われるまでもなく、この状況をそれなりに楽しんでいるのだった。
それは、目的がある喜びとか、孤独じゃない安堵とか、そういうものとは恐らく違うと思う。むしろ、誰かを助けているという、そんなところがいいんだと思う。どうも、私はやっぱり朋也お兄ちゃんの義妹で、智代お姉ちゃんの妹みたいだった。
「あ、渚さんですっ」
不意に風子さんが嬉しそうな声をあげ、そして駆けだした。
「ふぅちゃんっ」
見ると、百メートルほど先のところで、白いワンピースとポニーテールの似合う女の人が手を振っていた。
「風子、参上っ」
「こんにちはです、ふぅちゃん」
「渚さん、外は危ないですっ!ふと気がつくと迷子になりますっ!!」
あたかも外をうろついたら誰でも100%の確率で迷子になるような口ぶりだった。
「そうですか……迷子にならなかったふぅちゃんはすごいですっ」
「それほどでも……ありますっ」
……何なんだろ、このボケボケ空間。
私ががっくりと肩を落としていると、風子さんが私の方を向いて、そして嬉しそうに言った。
「はっ、風子、あまりに渚さんのところに辿り着けたのが嬉しくて忘れていましたっ!渚さん、あそこにいるのが」
そして風子さんは私を指差して言った。
「私についてきた迷子のともさんです」
「って、うをいっ!!」
私が迷子になってるとはどういうことだ。
「あ、あのね、風子さん、私が迷子だったわけじゃないでしょ」
「……そう言われてみればそうじゃなかった気もしないでもないです」
「何だか完璧には納得のいかない返事だけど、まァいいや。で、私は一体、誰ですか」
「……はっ、わかりました」
風子さんがいかにも思いついたような表情をした。そしてポーチをごそごそと漁ると、さっきの木彫りの……ヒトデだっけ、それを取り出した。
「ともさん、これは何ですか」
「えっと、ヒトデ」
「そうですっ!それがわかったからには、ともさん、これを進呈します」
「……えっと」
さっき、自分でヒトデだと言ったよね、確か。
「はぁ……ありがとう」
「これで風子とともさんはヒトデ仲間ですっ!そして」
風子さんはこれ以上うれしいことはない、と言わんばかりに渚さんを見た。
「渚さんともヒトデ仲間ですっ!!」
「はいっ!!」
いつのまにか渚さんの手にも木彫りのヒトデが握られていた。今の、どこから取り出した?
「というわけで新しいヒトデ仲間のためにもヒトデ祭りです」
「はいっ」
本能的に、何となく一刻も早くそこから抜け出さなければならない予感がした。何というか、目を引く広告があったので会場に行ってみたら壺を買わなきゃいけなくなるような雰囲気に出くわしたかのような、そんな感じだった。
「え、あ、ああっと、オット、モウコンナ時間。ゴメンナサイ、実ハ待チ合ワセガアルンデス」
「そうなんですか……残念です」
「デハ、私ハココデ」
そう言うと、私は駈け出した。
いつまでも手を振っている風子さんが印象に残った。
土地勘はあるつもりだった。
子供のころから道路標識とか目印になるようなお店とかない山の中で遊んだり、本当に周りの大人がびっくりするくらい遠くに歩いていったりしてきたから、どんな場所に行っても少なくとも帰り道はわかると思っていた。
認めます。都会を甘く見ていた。
「何なの、ここ」
私は喘ぎながら恨めしげにつぶやいた。誤った。間違えた。ポカった。えーえー、さっき散々迷子じゃねーのまよいやしねーのと大口叩いてましたよコン畜生。今更ながらひとりで古河パンを出ていったのが悔やまれた。
店とかのない住宅街では、どこがどこなのか非常にわかりづらく、しかも週日の真昼間にそういうところを歩く人なんてほとんどいないので、道を尋ねようにも尋ねられる人がいなかった。おまけに携帯は(一応持ってるけど、何か?)電池切れだし、ここら辺には公衆電話ないし。
考えてみれば、私は山の中を目印もなく歩き回ったわけじゃなかった。どこかしらに木があって、花があって、茂みがあって。そういう小さな特徴を見ながら進んでいたのだった。
しかしここはアスファルトの道路に何の変哲もない電柱、そしてコンクリートブロックでできた塀があるだけだった。こんなの落書きでもない限り、特徴も何もない。個性が見当たらなくなった現代社会。都会の暮らしの中で、ふと「らしさ」を見失ってませんか。まぁ、電柱が個性的な角度で建っていたり道路が個性的な具合に凸凹っていたりコンクリート塀が個性的な感じでゆがんでいたら、それは問題なんだろうけど。
とまぁ、こんな考えが右から左へと流れていく私の頭の中は、考えてみるまでもなく大丈夫じゃなかった。陽炎が空気を捻じ曲げて視界をぼんやりさせているのか、私の目がおかしくなったのか、もうよくわからなくなってしまった。
上は大火事、下は洪水、なぁんだ。
答えは麦藁帽子。かんかんと照りつける太陽のせいで被ってる部分は業火に焼かれるがごとくだけど、顔の部分はさっきから水分が枯渇しちゃんじゃないかと思うくらい汗をかいてる。時々汗が目に入って、ものすごく痛い。というか、大丈夫か私?小さい頃に日射病にかかってぶっ倒れたことがあるから、自分の限界はある程度把握している。そしてそんな私の頭の中で警鐘が鳴り響いてるってことは、これって結構危ない状況なんじゃないかな。
ああ、天国のお母さん、何だかどっかでパシパシ乾いた音がするよ。幻聴が聞こえるってことは、もう、私、ダメってことなのかな。もう、ゴールしてもいいよね?夏だし、鍵だし、空気と智アフの主題歌作った人たち同じだし。
答えを聞く前に視界が真っ白になって、私は倒れた。
天国の風景は、どこかの天井を床から見上げるような感じだった。
屋内独特の薄暗さに彩られた木目。畳の匂い。どこからか聞こえるセミの鳴き声。
「って、ここ天国じゃないじゃん」
私はびっくりして飛び起きた。そして頭の中を整理した。えーっと、暑い暑いと思っていたら意識がぼうっとなって……それで?
あれ?
私はどうやってここにあがりこんで布団を出して横になったんだっけ?夢遊病?いや、ないない。
そもそも、ここ、どこだろう?
辺りを見回した。枕元にはさっき被っていた帽子。部屋の二面は落ち着いた色の漆喰の壁。一面が押し入れ。そしてもう一面は障子があり、それを開くと眩しいばかりの日の光が顔に当たった。磨き上げられた廊下の向こうに、
ちょっとした庭園があった。
すると、不意にパシッと乾いた音が聞こえてきた。そういえば、さっきこんな音が聞こえていたっけ。音の音源を捜して、私は外に出た。そして
……あー、えっと?
子供のころから、ヘンな物を見るのには慣れていた。仲がいいはずのクマとパンダが「遊び過ぎて」パンダの腕がもげたり、茶色い紙袋を被った謎の男に人質として捕まったり。だけどまぁ
だけどまぁ、とっくに定年が過ぎたであろうお爺さんが、中国の岩山を連想させるような筋肉隆々な上半身を惜しげもなく見せながら、その拳の一撃で一抱えもある松の木を震わせる光景に比べたら些細なものだった。
「ふむ……」
おじいさんは震え続ける松の木を見て、そして呟いた。
「震脚の伝わり具合がイマイチじゃの……まだまだ修行が足らんのぅ」
これで足りてないんだ?!これでまだまだなんだ!?
「こんなことでは、小龍の奴に、あの世で笑われてしまうの……」
ほっほっほ、と笑いながら、おじいさんは振り向き、そして私を見つけた。
「おお、気がついたかの……」
「はい、えっと、あの、ここは……」
「ここはわしの家じゃ……お前さんは、その家の前の門で倒れておったの……」
「ええっ」
あのままぶっ倒れてたんだ、私!?いや、そんな気がしてたけど結局そう知らされるとショックなわけで。
「それで……おじいさんが助けてくれたんですか」
「ほっほっほ……こんなおいぼれでも、やれることはしたいからの」
「あの、ありがとうございますっ」
ぺこぺこと頭を下げた。
「ほっほっほ……いい返事だの。お前さんを見ていると、すがすがしい気分になるの……」
「きょ、恐縮ですっ」
「さて……確かに日が強いの。しばし、茶でも飲もうかの」
おじいさんはしわだらけの顔でまさに好々爺という感じに笑い、視線で「お前さんも飲むかの」と聞いてきた。
「あの、おじいさん」
「俊ピーでもいいがの」
セミの鳴き声がみぃんみぃん、と夏の午後に響いた。沈黙がいっそう痛く感じられた。
「ふむ……受けなかったかの」
「あ、じょ、冗談でしたか。あ、あははは、面白いですね」
にしても俊ピー……
「あ、あの、それよりさっきの……」
「ふむ……あれかの」
「はい」
そう。人間は三十歳を過ぎると、体力や筋力が衰えてくる。だというのに、さっきのあれは何だったんだろう。
「ふむ……八紘より外、八方の彼方まで威力を伝え、敵の門を破砕する拳」
そしておじいさん はにやりと笑った。
「すなわち、八極拳じゃ」
「八極拳……」
「さよう……足を踏みしめ、その力を拳に伝える……これを震脚というのじゃな……」
「あ、あのっ」
「何かの」
「私にも、それ、できるでしょうか」
おじいさん は私をまじまじと見た。
「……何ゆえ、学びたいと?」
「私、強くなりたいんです。強くならなきゃいけないんです。ある人よりも」
「ふむ」
「その人と約束したから……強くなるって、そう約束したから……」
ずっと昔。今は遠いその場所で、私は姉と、確かにそう約束した。
智代お姉ちゃんは、私の知らないところでいろんな経験をして、確かに強さを手に入れていた。それに答えるためにも、私は今からでも強くならなければいけない。
「……ふむ」
おじいさん は立ち上がって歩き回りながら、しばらく思案していた。
「強くなって……それでどうするのかの」
「え……」
私は口を開きかけて、そしてためらった。強くなること。それは私が昔からしようと思っていたことだった。しなきゃいけないことだった。するほかないことだった。私はそのことを今まで疑いもしなかったし、理由なんて約束を守ることだけで充分だと思っていた。だから、強くなってからのことなんて、ちっとも考えたことなんてなかった。
「強くなって、それで約束を守って……それから……」
言葉は言うそばから勢いを失って消えていった。私が困っていると、おじいさん は一つ頷いた。
「理由もない強さとは、時には危険な物になる……特に、肉体的な強さになるとの」
そしておじいさん は私の隣に座ってお茶を啜った。
「昔、あるところに一人の小童がおっての……ちょうどお前さんと同じくらいの年だったわい」
おじいさん は空を見上げた。
「その小童は、ふとしたことから拳法に興味を持った……何、特にこれといった理由はない。その年ごろになると、少年とはそういうものに興味を持ち始めるものじゃからの……努力した甲斐もあってか、めきめき強くなったの……しかし、ある時ふと気づいてしまったのじゃ」
こんなに強くなって、何になるんだ?
その少年は、日頃からいじめられていたというわけではなかった。有名になってやろうと思ったわけでもなかった。一人っ子であった少年が守るには、両親の存在はあまりにも大きすぎた。
守るべきものもなく、勝ち得るものもない。
むしろ、強くなれば強くなるだけ、戦えば戦うだけ、みんなはその少年から離れていった。遊びの声がかからなくなった。少年を見る目が、どんどん歪んで見えた。
理由のない強さ、訳のない力。それは、人から暴力と呼ばれるものだった。
「小童は散々悩んでの……答えを探すために少々手荒なことをした……場末に行って良からぬ者と諍いごとを起こしたり、自ら喧嘩の仲裁を買って出たり、の……」
そしてわかったのが、正義正論の空しさだった。正義をかざして戦っても、満たされはしなかった。正論に反発して掛かってくる相手をねじ伏せても、何かを達成したようには感じられなかった。戦えば戦うたびに心の空洞がきしみ、痛んだ。
「やがて問題ごとが手におえなくなったとき、小童の担任が言ったのじゃよ……」
じゃあお前、そりゃ、教えるために強くなったんだろ
「強さを次の世代に伝えるものは、まず己の強さを高めなければなるまい……そう言われて、小童は目から鱗が落ちたようじゃった……人に教える強さ、それは腕力だけでは意味がないからの。教えるからには、いつ、どうやって使うかも教えてやらねば」
おじいさん はお茶を啜った。
「そやつが思うたのはの、強さとはひとりでは磨くことはできないんじゃないかの……誰かがいて、そして初めて強さというものが出てくる……その誰かを守るため、誰かを支えるため、誰かに強さを教えるため」
「その男の子は、今、どうしてるんですか」
「はて……今頃はこのような爺になっておるだろうよ」
そう言うと、おじいさん はほっほっほ、と笑った。その時、私はなぜか隣に座っているのが老人ではないかのような錯覚を覚えた。あるいは夏の暑さだったのかもしれない。日射病で倒れたのだからまだ体は本調子ではなかったし、午後の太陽が見せた錯覚だったのかもしれない。しかし何はともあれ、私にはそこにいるのが少し無邪気な感じのする同年代の男の子に思えた。
「お前さんも、もう少しだけ強さに理由を求めてみなさい……それでもわからなかったら、この爺が教えてあげられるやもしれんの」
それが、私が師匠からもらった最初の教えだった。
「強さ、か……」
私は暗い部屋の中で呟いた。
「ん?何か言ったか」
ごろり、と体を動かす気配がして、智代お姉ちゃんが聞いてきた。今夜は智代お姉ちゃんが私と一緒に寝る夜だった。朋也お兄ちゃんはそれを宣言されると肩を落としていたけど、智代お姉ちゃんに「ずっと前から姉妹で寝てみたかったんだ。許せ」と言われて納得したようだった。
「ねぇ、智代お姉ちゃん」
「ん。何だ」
「智代お姉ちゃんにとって、強さって何」
すると、しばらくの間沈黙が流れた。
「そうだな……信じること、だろうか」
「信じること?」
「ああ。友達を、家族を、そして朋也を信じて、そして信じ続けることなんだと思う」
「……じゃあ、例えば智代お姉ちゃんは、何で強くなるとか、そういうのは」
「ん。朋也の隣にいるためだ」
それは揺らぐことのない答え。一本に絞られた道。
「そっか……そうだよね」
「朋也はあれでおせっかい焼きだからな。知り合いを全員まとめて幸せにしなけりゃ気がすまない奴なんだ。そんな力がなくてもな。だったら、私も強くなって、朋也の傍に立って、朋也を支えてあげるしかないだろう」
そして、どことなく誇りに満ちた声で、智代お姉ちゃんは言い切った。
「だから傍にいて、信じる。どんなことがあっても、朋也にはできると信じる。朋也ならやれると信じる。それが、私の強さなんだと、そう思う」
ああ。
この人はもうすでに、答えが見つかっていて、それでそこに進んでいっている人なんだな。
もう、私よりも数歩先のところにいるんだな。
私は智代お姉ちゃんにおやすみ、と告げると、そう思いながらまどろんだ。