智代お姉ちゃん
お元気ですか。私も村のみんなも元気です。朋也お兄ちゃんはどうですか。何だかお仕事と勉強で大変そうですね。体に気をつけるよう……と言っても、智代お姉ちゃんがいますから、何があっても大丈夫だろうけど。
明日……というかあと数時間で中学生になります。バス通学になるから、朝はもっと忙しくなるようです。でも、村から数人一緒に通学すると聞いてちょっと安心しました。
中学生……何だかしっくりきません。いろいろと不安もあります。でも、明るくいきたいと思います。友達いっぱいできるといいです。それから、もう少しまともな男子も。できれば朋也お兄ちゃんみたいにかっこよくて頼りになる男子がいるといいんですけど。智代お姉ちゃんは中学生の頃、どういう女の子だったんですか。少し興味があります。いつかお話を聞かせてくださいね。
とも
ともアフター
第五話 出会い
「あづ〜」
夏の夕方は昼間の太陽の照りはないものの、湿った空気の沈殿した感じがまとわりついて不快であることには変わりなかった。
「にしても、智代お姉ちゃん、どこ行っちゃったんだろ」
私はタオルで顔を拭きながらそう一人つぶやいた。智代お姉ちゃんは今朝から何かとあわただしそうな様子で、昼ごろからどこかにふらっとでかけてしまった。何かあったら携帯に連絡してくれるとのことだったが、充電器に刺さったままの携帯はうんともすんとも言わない。
「ま、いいんだけどね」
一人でいることには慣れていた。村がある程度の大きさになるまでは、私には遊び相手らしい人がいなかったから、自然と一人で遊んだり過ごすことが多かった。次第にそれが当たり前だと思っていた。だから今でも友達と呼べる人はそれなりにいるけど、仲間と確信を持って呼べる人は家族以外いない。その家族も、この町に住んでいる智代お姉ちゃんと朋也お兄ちゃん、それから鷹文お兄ちゃんに河南さんだけだった。普通の生活においては、周りに人はいるけどいつでも一人で何とかできる、という心構えで過ごしている。
と、その時、聞きなれた電子メロディーが流れ始めたので、私は携帯に飛びついた。
「もしもし?」
『もしもし、私だ。あれから何かあったか?』
「え?ううん、何にもないけど」
『そうか、うん。とにかく、こっちは準備が終わったから、朋也がともを迎えに行くことになった。もう少し待っててくれ』
「へ?ちょっと待って、準備って何のこと?え?迎えに来るって?」
『すまない、今は言えないんだ。まぁ、楽しみにしていてくれ』
「楽しみにって……」
『ではな』
そう言って姉は電話を切った。何というか、電話がかかってくる前よりも何が何だかわからない状況に陥ってしまった気がした。うだる頭をどうにか冷却して、私は今の会話からできるだけの情報を取り入れようとした。
まず、楽しみにしていてくれ。つまり何かやばいことが起きたとかそういう悪い状況というわけではない。むしろ何か楽しいことを計画している、と。準備が終わった、ということは、それなりの規模であることを示している。朋也お兄ちゃんが私を迎えに行く、ということは朋也お兄ちゃんもこれに一枚噛んでいる(まぁ智代お姉ちゃんがらみで関係ないなんてことはなさそうだけど)ということ。そして最後にもう少し待ってくれ、ということからしてそんなに遠くには行かないようだけど……
「うー、やっぱりわからないよ」
私は一旦起き上がらせた体を後ろに倒して畳の上に転がった。遠くでセミの鳴き声がまだ響いていた。
悪い癖だとは思う。だけどこういう宙ぶらりんの時、私はよく過去に思いをはせてしまう。
小学校にあがった時、いろんな人、特に私と同年齢の子供と初めて出会った。班に分けられ、私たちは仲良しグループを作ったりした。今まで一人で遊んでいたから戸惑うところもあったけど、今でもそれなりに溶け込めていたんだと思う。
そんなある日、班の女の子が私に声をかけた。
「ねえともちゃん、きょうのほうかご、わたしのうちにあそびにこない?」
「え?いっていいの?」
「うん、いいよ」
同級生の家に遊びに行ったのは、それが初めてだった。その女の子は、私の他に数人の友人を誘うと、放課後を待って一緒に連れ立った。
「ねー、なにするの」
「おにんぎょうさん、あそぼっか」
「ゆかちゃん、いっぱいおにんぎょうもってるもんね」
見知らぬゲームをするのではないかと案じていた私は、お人形遊びと聞いてほっとした。それなら、今まで雨の日とか遊んでいたからだ。
その子の家はちょっとモダンな感じのするマンションで、番号を押して入る自動ドアやエレベーター、インターホンなどが印象強かった。と同時に、エレベーターの中でも普通に話していられる友人たちが、感嘆の声を必死になって押さえている私にとっては異質に感じられた。
マンションの部屋はマンションとしては広かったのだろうが、そもそもが廃病院で寝起きしていた私にとっては狭く感じられた。しかしその女の子の部屋にはたくさんのお人形さんがあり、これもクマとパンダしかもっていない私とは全く違う世界だった。
少なからず戸惑いつつも遊んでいると、マンションのドアが開いて、その子の母親が帰って来た。
「あら、ゆか、帰ってきてたの」
「あ、おかあさん、おかえりなさい」
おじゃましてます、とみんなで声をかけると、その子の母親は顔を綻ばせて笑った。
「あら、どうもこんにちは。みんな、ゆかのお友達?今日は楽しんでいってね」
はーい、と声を合わせたものの、私は正直逃げ出したくなっていた。自分とはまったく別世界に、家族と一緒に住んでいる女の子。それに何の違和感も感じず、むしろそれを普通とする友達。それらが、私にはあまりにも異質に感じられた。
嫉妬、とは違うと思う。その子は確かに私にはない物をたくさん持っていた。だけど、それは私も同じで、その子たちの知らない世界が私にはあった。私の感情は嫉妬というよりは畏怖だったのかもしれない。違いすぎる世界、違いすぎる価値観。それを受け入れるだけの深さが私にはなかった。
私に似た境遇の友達がいたのなら、話は違っていただろう。しかし、周りを見渡すと、私は自分一人が異質な環境に住んでいることを否が応でも認めざるを得なかった。
その子の家から帰りながら、私は初めて孤独感というものを知った。歩く度に涙がこぼれた。泣き出すというよりは静かに涙が零れ落ちていくという感じだった。家についた頃にはそれも引いたが、その頃にはもうすでに覚悟はできていた。
私は基本的に一人。誰かが構ってくれることはあっても、それを期待してはいけない。私は、一人ででも平気でいなくちゃいけない。
そんな私の思考を遮ったのは、玄関のベルだった。
「あ……ええっと……あれ」
私は玄関に出てもいいのか逡巡したが、結局は返事をするべきだと決めて玄関に出た。のぞき穴を見てみると、扉の向こうにはどことなくのほほんとした男の人が。
「あの……どちらさまですか」
「え、あ、えーっと、あれ、君、誰?」
「えっと……三島とも、と言います」
「三島?え?ウソ、マジで?あれ?」
男の人は首をかしげた。
「あ、わかった、これ何かの冗談でしょ。ははは、やだなぁ、もう。僕をからかおうったって百年早い」
そう言って、男の人は扉に手をかけた。私は急いでチェーンが掛かっていることを確認すると、ドアノブを掴んで開けまいとした。
「おいおい、こんな冗談性質悪いよ?せっかく僕が来たんだから、開けてよ」
「知りません冗談じゃないですていうかあなた誰ですか」
「またまたぁ。知ってるくせにぃ」
ガタガタドアを揺らしながらにたりと笑う男の人。魚眼レンズののぞき穴を通した光景だったことを差し引いても、それは充分トラウマモノだった。
「……何やってんだお前」
不意に、聞きなれた声がして、ガタガタが止まった。
「お、岡崎じゃん。よお」
「よお。で、ここで何やってんだ、春原」
扉越しの会話からして、朋也お兄ちゃんの知り合いらしい。朋也お兄ちゃん、もうちょっと知り合いを選んでお付き合いしてください。
「ははは、何だかさ、僕を家の中に入れてくれないんだよね。杏とか智代ちゃん辺りの悪戯だと思うんだけど」
「……杏も智代も、ここにはいないぞ?」
「ほえ?」
「みんな会場に集まってる。つーか、お前、まさかここでやるって思ってたのか」
「え?違ったの?」
はぁ、と朋也お兄ちゃんのため息が聞こえた。
「じゃ、じゃあ、ここにいるのは……」
「おーい、とも」
朋也お兄ちゃんの呼び声に、私は安堵のため息をついた。
「はい、朋也お兄ちゃん」
「迎えに来たぞ。ここ、開けてくれ」
がちゃり、と開けると、私は朋也お兄ちゃんに抱きついた。
「朋也お兄ちゃんっ」
「おっとっと……おいおい、どうしたんだよ」
「怖かった……変質者に襲われて誘拐されて口に出すのも憚られるようなビデオに出演させられた後、ドイツ辺りの変態肉屋に売られるかと思ったよ」
「心配するな。俺も智代もついてるじゃないか」
「何だか、僕、ひどい言われようっすね……で、岡崎」
さっきの変質者が苦い顔をして朋也お兄ちゃんに話しかけた。
「いつのまにお前、愛人囲って『お兄ちゃん』って呼ばせられる環境になったんだよ」
「んな環境、絶対に俺には無理だ。そんなことしたら智代に殺される。いいか春原」
朋也お兄ちゃんは、私の肩に手を置いて春原と言うらしい変質者に私を見せた。
「このさっきからお前が怖がらせた挙句に失礼な事を言った愛らしい女の子は、三島とも。智代の最愛の妹で、今日の主役だ」
(間)
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ」
絶叫したきり、春原さんは腰を抜かして口をぱくぱくさせた。
「で、でも、だって……智代ちゃんの?」
「ああ」
「最愛の?」
「そうだ」
「僕、今失礼な事言っちゃったよね」
「春原」
そういうと、朋也お兄ちゃんは春原さんを安心させるかのように肩に手を置いた。
「何か言い残すことはあるか」
「僕、デフォルトで死ぬことになってますよねぇっ?!」
「安心しろ、杏はお前なしでも元気に生きてきてるさ。すぐにいい男も見つかる」
「ぜんぜん嬉しくもないし、安心もくそもねえよっ!!」
「芽衣ちゃんにはよろしく言っとくさ」
「何をどうよろしく言うんだよっ!『お前のお兄さん、智代に殺されました』『お兄ちゃん……無茶しやがって』なんて展開、誰も見たくないよっ!!」
「俺は見てみたい」
「僕たち友達じゃなかったんかいっ!!」
ぜーぜー、と春原さんが肩で息をした。まあ、あれだけ絶叫できれば上等だと思った。
「……で、みんなは」
「ああ、そうだった。これからともをそこに連れていくところだったんだ」
そういうと、朋也お兄ちゃんはぽん、と私の肩に手を置いた。
「じゃあ、行くか」
「どこに行くのさ」
春原さんが、私の聞きたかった事を先に口にした。
「お前、電話で言っただろ。補習の時間だってな」
光坂高校、という名前は、確かに聞いたことがあった。
全国でもそれなりに名の通った進学校で、結構厳しいカリキュラムの元みっちりと勉強法などを仕込まれるという噂だった。そこに行く学生はみんな勉強一筋で、そのせいか学業以外の面はあまり重視されていないとも聞く。印象としてはガリ勉系の人の行くところという物が強い。
だから、智代お姉ちゃんはともかく、朋也お兄ちゃんや春原さんが光坂に通っていたと聞いて、私はかなり驚いてしまった。
「と言っても、僕たちはスポーツ特待生だったんだけどね」
「あ、何だか納得」
「何だか失礼な意味で言ってない?」
春原さんが苦い顔で言ったので、私は慌てて手を振った。
「いや、そういうわけじゃなくて、その、朋也お兄ちゃんも春原さんも、それなりに仕事とかそういうの以外で人生楽しんでる人だしなぁって思ったんで。ほら、勉強一筋の人って、何だか楽しくやっていくような余裕なさそうだし、クラスメートの中でそういう人いるんだけど、何だか暗そうだし」
そう言うと、朋也お兄ちゃんが大きく頷いた。
「そうだな。俺は仕事もそれなりに好きだが、俺が人生を楽しく過ごしているのは他でもない、智代がいるからだからな」
「例によって例のごとくノロけてますよね、アンタ」
「ははっ、ほめるなって」
「ほめてねえよっ」
こんな調子の二人の会話を見て、私は何だか二人のことがとてもうらやましく思えてきた。何と言うか、二人とも何だかんだ言ってすごく仲が良くて、そうやって話している時間がとても楽しそうだったから。
「って、おい」
不意に朋也お兄ちゃんが見えてきた校門の方を指差した。そこには、長い髪をポニーテールにまとめた、すらりとした女の人が立っていた。
「杏じゃないか、あれ」
「あ、ホントだ。何やってんだろ」
「お前が遅いんで、見に来たんじゃないか」
「……ったく、いちいち見に来られたりまとわりつかれたり、迷惑だってのにさ」
そういう割に、春原さんの頬は緩み切っていた。
(実を言うとだな、こいつと杏って、あそこにいる奴な、すげえツンデレカップルなんだよ)
そう言ってみると、朋也お兄ちゃんが私の肩を抱き寄せていたずらっぽく囁いた。
(え?そうなの?)
(ああ。ま、おいおい見ることになると思うけどな)
などと話しているうちに、私たちを見つけた杏さんがこちらにやって来た。
「陽平、おっそーい。何やってたのよ」
「あ、あはは、実はさ……」
「部屋にこもったともを襲おうとしてたんだよな?」
朋也お兄ちゃんの一言で、辺りが凍りついた。
「……あ、お、おか……」
何か言おうとする春原さんの頭を、杏さんの(割と綺麗な)指が掴んだ。ミチミチと不気味な音が聞こえ、春原さんが声にならない叫びを発した。
「……ねぇ、そこのあなた。本当にうちのバカがそんなことを?」
「僕はいつから杏のに……あだだだだだだだ」
「いえいえ、誤解です。まぁ、確かに何だか教育上不適切な事をされるかなぁ、と危惧はしましたけど」
「けど?」
「何だかそういう話じゃなかったみたいです」
そう言うと、杏さんは小さくため息をつくと手を放した。ずしゃり、ぞぶ、と不気味な音を立てて春原さんが床に崩れ落ちた。
「なんだ、誤解だったの。それならそうと言いなさいよね、朋也」
「や、面目ない」
「だいたい、陽平も陽平よ。間違いだったんなら、そう言えば……」
そこまで言って、杏さんは未だに立ちあがろうとしていない春原さんを見た。
「陽平?」
そして自分の手に付着している血を見て
「えーっと?」
春原さんの頭を再度見た。
「あはは、またやっちゃったみたい」
「えーっと……これ、大丈夫ですか」
「大丈夫、平気よ平気。陽平はこれぐらいで死んだりしないもの」
「でも……モザイクがかかっててよく見えないけど、頭蓋骨が陥没して脳に物理的な損傷があるように見えるんですけど」
「気のせいよ気のせい。モザイクのなせる技ね」
というか、自動的にかかるものなんだ、モザイクって。
「それより、ここの後始末大変よね。モップでも持ってこようか」
「って、少しぐらいは僕の心配してくれてもいいんじゃないですかねぇっ!!」
杏さんが笑って言うと、春原さんが立ちあがって怒鳴った。いつの間にかモザイクが消えていたし、どう見ても完全復活していた。
「まぁまぁ、生き返ったんだからいいじゃない」
「よくないよっ!つーか杏、僕が生き返らなかったらどうするつもりだったんだよっ」
「それはヒ・ミ・ツ」
「セクシーな声で囁いてウインクしてもぜんぜん誤魔化されないってっ!あっ、今舌打ちしたよねっ?!しただろっ!僕たち、曲がりなりとも付き合ってるんですよねぇっ?!!」
「朋也お兄ちゃん、生命って神秘に包まれてるよね」
「そうだな……奇跡と言い換えてもいいな」
春原さんが悲哀の混じった声で絶叫するのを聞きながら、私と朋也お兄ちゃんは悟りきった顔でそう呟いた。