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 智代お姉ちゃんへ

 

 今日、先生に中学のことについてお話がありました。この村から一番近い中学と言えば、隣町にある第三中学です。結構遠くなるようだけど、友達もいっしょなのであまりさびしいとは感じません。でも、さとみ先生とお別れするのはちょっとさびしいです。

 中学をそつぎょうしたら、わたしはどこにいくんだろう。何だかよくわかりません。

 できれば智代お姉ちゃんや朋也おにいちゃんといっしょがいいな。

 それではお元気で

                                           とも


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ともアフター

第七話 歩く

 

 

 

 








 

 宴が始まった頃は明るかった外も、今ではすっかり紺がかり、夏の夜独特の色に染まっていた。

 外の光景が変わるとともに、中の光景もだいぶ変わった。一番変わったのは、やっぱり春原さんだろうか。

「でへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」

 これ以上緩めたら何かが外れちゃうんじゃないかと思うほど顔を緩めて春原さんが笑った。

「ちょっと陽平、変な笑いしないでよ。ともちゃんが引くじゃない」

「だってさー、これがさー、笑わなきゃ損だしさー、むしろ笑わずにはいられますかってんだよねー」

 くいっとビールを呷って春原さんが「くっくっく」と含み笑いを漏らした。そんな春原さんを見て、杏さんがため息をついた。

「どうしてよ」

「えー、聞きたい?聞きたい?」

「聞いたげるわよ、しょうがないわね」

「それはね」

 きらりと目を光らせる春原さん。次の瞬間、目にもとまらぬ速さで春原さんは杏さんに抱きついた。

「きょーちゃんが僕の傍にいるからでーすっ」

「なっ」

 いきなり抱きつかれて瞬時に殴る蹴る絞める沈めるなどの反撃を加えるかと思っていたんだけど、杏さんは顔を赤くしたまま立ちつくした。

「んー、きょーちゃんだいすきー」

「は、恥ずかしいこと言ってるんじゃないのっ、バカッ!!」

「えー、いっむぁさらぁー」

「ていうか見てる、ともちゃん見てるって、教育上悪いって」

「ともちゃん、僕みたいなおとなになっちゃー、だめだぜー?」

「自分で言わないのそういうことっ」

「うん、安心して。ならないから」

「うん、安心したー。というわけできょうちゃんらぶー」

「らぶー、するかっ」

 何と言うか、すごい。さっきとは立場が真逆になってる。春原さん攻めの一方です、春原押す、春原押しますっ!杏さん耐えきれるかっ

「えー、杏は僕のこと、きらいなの」

「え、い、いや違うわよ、嫌いだなんてそんな」

 あ…ありのまま今起こった事を話す

さっきははちゃめちゃに毒舌だった杏さんが、春原さんにデレデレしてる』。

 な…何を言っているのかわからねーと思うけど

 私も何がどうなってるのかわからなかった…

 頭がどうにかなりそうだった…自由恋愛だとか作者の都合だとか、

 そんなチャチなもんじゃあ断じてない

 もっと恐ろしいものの片鱗を味わっちゃった…てへ☆

「じゃー、らぶーするのいやー?」

「い、いやじゃないとかそういうのじゃなくて……もうっ、朋也、あんたも見てないで何とかしなさいよ」

 そんな二人を遠くからぼんやり見ていた朋也お兄ちゃんが我に返ったように頷いた。

「わかった、今ここに智代を連れてくる」

「早くしてよねっ、って、何で智代がここに来るのよっ」

「何なんだ一体」

 杏さんの制止の声を無視して、朋也お兄ちゃんが智代お姉ちゃんを引っ張って来た。

「智代、ごらんのとおり、春原が酔っぱらって杏といちゃついている」

「そ、そうなのよ、もう、陽平ったらしょうがないわねー」

「……それで」

 急に引っ張られてきたことが少し癪に障ったのだろう、智代お姉ちゃんが朋也お兄ちゃんをじとりと睨んだ。

「俺もイチャイチャしたい」

「するかっ」

「えー」

「そんな残念そうな声を出すなっ」

「やだー、俺は智代とイチャイチャしたいー」

 じたばたと子供のように朋也お兄ちゃんが手足をばたつかせた。その隣ではあいかわらず杏さんを放さない春原さん。そんな二人に翻弄される智代お姉ちゃんと杏さん。

 うーん、何ていうかなぁ、と思っていると、椋さんが真面目な顔でぼそりと呟いた。

「ダメだこいつら……早く何とかしないと」

 何する気ですか、椋さん。

「ともさん、人生の成功には三つの秘訣があります」

 急に花も恥じらうような笑顔を作ると、椋さんが私に話しかけた。

「ひとつ、イケメンで優しい男性とお付き合いすること。二つ、お料理がうまくなること」

「ツッコんでいいかしら、ねぇ……って、陽平どこ触ってんのっ」

「えー」

 ふに

「ちょっやめっきゃっもうっ」

「ともさん、あそこの四人は忘れてください。あとで私が始末しますから」

「う、うん」

 一瞬だけ椋さんの瞳から光が消え失せて、杏さんを見る目が人じゃなくて物でも見るかのように見えたけど、別にそんなことはなかった。と思う。

「で、三つ目は?」

「それはですね」

 するといきなり椋さんの手にトランプが現れた。まるで手品だった。

「私の占いを念頭に入れて行動することですっ」

「……はぁ」

「では、いきます」

 そう言って、椋さんはトランプをシャッフルし始めた。何だか危なっかしい手つきだったので、私は思わず声をかけてしまった。

「あ、あの、お手伝い……」

「しっ。静かに。トランプの神様が舞い降りますので」

 ダメ出しされてしまった。というか、ヒトデが好きだったりトランプの神様を信じたりと、いろんな人が智代お姉ちゃんの周りにいるんだなぁ。感心を通り越して心配しそうになっちゃうよ。

「あっ」

 そう思っている傍から、椋さんの手からトランプが零れ落ちた。

「あーらら、今手伝います」

「え、あ、いいです」

「でも……」

 このままじゃまた落としそうだし、と思っていると、椋さんの手がふと止まった。

「ともさん」

「はい」

「ともさんの夏休みは、何事もなく終わるでしょう」

 厳かにそう告げると、椋さんは黙々とトランプをしまった。

「ええと?」

「占いの結果です。よかったですね」

「はぁ」

 何か癪に落ちないまま、私はそう言いながら智代お姉ちゃんと朋也お兄ちゃんを見た。朋也お兄ちゃんは無表情になり、智代お姉ちゃんは顔がこわばっていた。





 その後はいろいろな人と話をして楽しい時間を過ごした。古河家の人たち(秋生さんと早苗さんはあれから一時間ほどしてから戻って来た)と風子さんのゆるい会話が何だか聞いててすごく楽しかった。ただ、その会話の中で一つだけ気になる名前が出てきた。

「ゆうま?」

「ええ。悠馬君です」

 そう言って渚さんが笑うと、秋生さんがけっ、と顔をしかめた。

「すみません、悠馬さんって、どなたですか」

「ともさん、悠馬さんは渚の夫で、私たちの家族なんですよ」

「へっ、あんな奴、俺は認めないがな」

「お父さんっ」

「秋生さん、もうそろそろ諦めてもいいんじゃないですか」

「ふんっ」

 秋生さんは腕組みをして鼻を鳴らした。しかしここにいる古河家は四人。渚さんの娘である汐ちゃんを含めて六人構成の古河家フルメンバーには二人足りない。私は恐る恐る渚さんに聞いた。

「で、悠馬さんはどこに?」

「えっと……お仕事があるからお留守番だって言ってました」



「不幸だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」

「パパ、それ何か違う」



 ぴょこ、ぴょこ

「にしても渚の知り合いにはいい奴しかいねーな」

「そうですね、みんないい人たちばかりです」

「そ、そうでもないです」

 えへへ、と恥ずかしげに笑いながら渚さんが笑った。何と言うか、智代お姉ちゃんや杏さんとは違うタイプのかわいさを見つけた気がする。

 ぴょこ、ぴょこ

「いい仲間を持ったな、娘よ」

「はい。とってもラッキーですっ」

「しかし、みんないい子だな……あの小僧三人は別としてよ、何かこう、見てて男として嬉しくなるよーなあだ、あだだだだだだ」

 話の途中で秋生さんが苦悶の表情を浮かべ、奇声を上げ出した。

「秋生さん、どうかなさいました?」

 表情は笑ったまま。しかし早苗さんの周りの空気が一瞬気でどす黒く染まり歪んで見えた。

「さ……早苗」

「秋生さん、どうかなさいました?」

 遠くから地響きのような音がごごごごごご、と聞こえてくる。秋生さんは顔から汗をだらだらとたらし、ごくりと生唾を飲み込んだ。顔はすでに紙より白くなっていた。

「す、すまない早な……」

「秋生さん、 ど う か な さ い ま し た ?」

「……いや、どうもしねぇ。早苗、愛してる」

「ありがとうございますっ!私も秋生さんのこと愛してますっ!」

 影は一瞬にして身なりをひそめ、早苗さんの顔が太陽の如く輝いた。と同時に、さきほどから感じていた空気のぴりぴりとした緊張感も霧散した。

 私はほっと一息をついて、辺りを見回した。そして、微妙に気になるものを見つけた。

 赤い玉の髪留め二つ。

 そしてそれによってまとめられたサイドテールの一部が、ぴょこりと鷹文おじさんの背中からのぞいた。

「……?」

 どうもそちらから視線を感じる気がしたけど、何となく気になる程度で、間違っても殺気とか憎悪とかがこもっているようではなかった。

「……まぁ、いいか、な?」

「ともさん、どうかしましたか」

 くい、と袖を引かれて、私は風子さんと向き直った。

「ううん、何でもないです」

「そうですか。風子、こう見えてもアダルトな教師ですから、何かあったら言ってくださいっ」

「あ、ありがとう」

 うれしかった。素直にうれしかったんだけど、一つ気になることがあった。アダルトな教師、ってつまり大人なんだよ、と言いたかったんだろうけど、ちょっと違う気がする。何と言うか、ビデオ屋さんの大人しか入っちゃいけないようなエリアに置いてあるシロモノのタイトルっぽい。

「ふぅちゃん、アダルトな教師、はちょっと違うんじゃないかな」

 すると髪の短い女性が苦笑しながら風子さんの傍にやって来た。

「お姉ちゃんには大人の駆け引きというものがわからないんですっ!」

「一応、お姉ちゃん結婚してるんだけどね……」

「おねえ、ちゃん?」

 私は女性と風子さんを見比べた。

「はじめまして。芳野公子と申します。風子の姉です」

「姐さんなのですっ」

「ふぅちゃんっ」

 もう、と公子さんが困った顔をした。

「……すみません、こういう子ですが、よろしくお願いします」

「あ、はい、いえ、ええっと」

 しどろもどろな返答に、公子さんが笑った。

 私がしどろもどろな返答になったのにはわけがある。風子さんと公子さんの関係だ。風子さんの破天荒な性格から鑑みるに、私は風子さんの姉などいようものなら、こんな人なのではないかと思ってしまったのだった。


「おっす!オラ風子の姉だっちゃっ!風子はヒトデが好きだけど、オラはリュウグウノツカイが大の大好きっちゃ!!」


 うん、何というか、ごめんなさい。

「え、どうかしましたか?」

「い、いえいえいえ」

「もう、お姉ちゃんが来るまでは、ともさんの大事な告白タイムが待っていたのに」

「いや、告白なんてしないし」

「しないんですかっ!『実は風子さんに憧れてますっ!親衛隊を結成させてくださいっ!』という告白シーンはないんですかっ」

「ふぅちゃんっ!もうっ!!」

「残念ですが、ここはひとまず退散しますっ!でも、次こそはともさんと世界征服を目指したいですっ」

 ではっ、と手をあげて風子さんは小動物のようにさささとどこかに行ってしまった。

「……世界をヒトデ色に染める気なんだろうな、風子さん」

 ぼそりと呟くと、公子さんがまた笑った。

「本当ですね」

「えっと、公子さんは風子さんを通して智代お姉……姉と知り合ったんですか」

「いいえ、智代さんとは岡崎さんを通して知り合いました。そして、岡崎さんとは渚ちゃんを通して」

「渚さんとですか」

 朋也お兄ちゃんと渚さん……?そういえば、渚さんは演劇部の部長だったそうで、演劇部のたち上げに貢献したのが朋也お兄ちゃんだと聞いた。

「私は昔ここで美術を教えていたんです。渚ちゃんは、私の生徒でした。だけど妹が事故に遭ったから、妹の看病に専念するために退職したんです」

 私はびっくりして公子さんを見た。公子さんは、相変わらず穏やかな笑顔を湛えたままだった。

「風子さんが……事故……」

「ええ……ずっと眠ったままだったんです」

 遠くで風子さんと朋也お兄ちゃんの口論が聞こえた。そんな過去があるとは思えないほどの、元気あふれる声。

「私は、教師を辞め、妹のためにずっと生きていこうと、そう思いました。そのためなら、結婚も諦めていたんです。だけど、それを引きとめてくれたのが渚ちゃんと岡崎さんでした。妹なら幸せになってほしいって願ってるって。そう言ってくれました」

 私たちは今もなお口論する朋也お兄ちゃんと風子さんを見つめた。

「そして岡崎さんは祐君……私の夫と仲良くなり、そして夫を通して就職。智代さんと私も仲良くなり、そして妹が目覚めた時、みんなで迎えてあげることができました」

 一瞬だけ、公子さんの口調が湿っぽくなった。

「本当に……よかった……」

 しばらくの間、私と公子さんの間に周りの喧騒に彩られた沈黙が訪れた。

「人の縁って不思議ですね」

 ぽつりと公子さんが呟いたので、私はちらりと横顔を見た。

「渚ちゃんを通して岡崎さんを知り、岡崎さんも私を通して夫を知り、岡崎さんを通して智代さん、そして他の方々を知り、夫と私を通して妹は皆さんを知り……もし、渚ちゃんが体調を崩して留年していなければ、私たちはみんなすれ違っていたかもしれませんね」

 ふと、考えてみた。

 そう言われてみれば、私だって似たようなものだった。もし、あの時鷹文お兄ちゃんが私に気づいていなければ、私は確実に朋也お兄ちゃんや河南さんとは出会わず、そして私と智代お姉ちゃんとの出会いも違ったものになっていたかもしれない。私たちは、いろんな偶然の結果、あの部屋で一夏を過ごしたのだった。

「人生って、わからないものですね」

 そう大人ぶって言うと、公子さんはくすくす笑った。

「ですね。まるで絵を描くみたいです」

「絵、ですか」

「ええ。見てる物は不変的なものなのに、絵は筆運び鉛筆運びによって、徐々に現実からずれていってしまったりします。どんなに綿密に思索しても、思い通りにはいかない。それこそ人生みたいです。でも、時々、ちょっと考えていたことからずれた筆筋が、新しいひらめきを生んだり、ずれを矯正する結果になったり」

 そこまで言うと、公子さんは一息ついた。

「そうだとすると、わからないものも、いいんじゃないでしょうか」





 さて、あと少しで解散という時、ちょっとしたハプニングが起こった。

 原因は、さっきから視界の隅でぴょこぴょこ揺れる、例の変なものだった。

 それはずっと私の背後にあったというかいたというか、まぁそんな感じだったんだけど、それは気配からして私に興味を持っていながら私に怯えている感じがした。だからまぁ、私は放置していたのだけれども。

「はぁっ?!」

 ぽつぽつと人が帰り始めた頃、杏さんが素っ頓狂な声をあげた。

「きょ、杏ちゃん……」

「あんた、ずっとそうやってたの?バッカじゃない?」

「お姉ちゃん、言いすぎだよ……」

 見ると、杏さんと椋さん、そして見知らぬ女性が三角を描くように立っていた。そばに、渚さんがおろおろしながらやってくる。

「きょ、杏ちゃんっ!どうかしたんですか」

「聞いてよ、渚、あのね……」

 そこで杏さんは私の視線に気づいた。というより、もうすでにそこにいた人たち全員の視線を集めていたことに気付いた。

「まったく、もうっ」

 そう言って、杏さんは杏さんの後ろに隠れようとしたその人を捕まえて、私の方に押し出した。

「いつものように言えば大丈夫だってっ!やっちゃいなさいっ!」

「え、あ、ええっ」

 そうやって頼りなさそうに私の前に立ったのは、長い髪を左右にまとめた、つまり私と同じ髪型の女性。背丈は杏さんと同じくらいだから、結構高い。だけど、なぜか小動物的な雰囲気がぷんぷんした。

 と、そこで私はその女性の髪をまとめている飾りに気がついた。赤い玉が二つ。さっきから私を見ていたのはhこの人だった。

「まったく、ほら、そこでぼさぼさしてないの。早く自己紹介。あ、ともちゃんは待ってて、こっちが先にやるから」

「はぁ」

 すると女性は覚悟を決めたような顔をした。

 あれ、この人、どっかで見たことがある。本人と出会うのは初めてだけど、写真は見た覚えがある。

 そう考えていると、その女性は予想外のことを言ってのけた。

「えっと……こんにちは。はじめまして。ハーヴァート大学の一ノ瀬ことみです。ひらがな三つでことみ。呼ぶ時はことみちゃん。趣味は読書です。もしよかったら、お友達になってくれるとうれしいです」

 少しばかりぎこちない挨拶。それはまるで小学生が転校してきた時の自己紹介のようだった。しかし、そんなことはどうでもよかった。

「い、一之瀬って、あの一之瀬博士?!えっ嘘でしょ!?」

「あの一之瀬博士、って?」

 春原さんが「ほえ?」という感じの顔をした。

「だって、でも、学校でビデオ見ましたよ?!物理の授業で!えっ、ほんとにほんと!?」

「いじめる?いじめる?」

 一瀬博士は傍にいた朋也お兄ちゃんの後ろに隠れて震えだした。

「いじめいないから……こいつ、ちょっと人見知りなところがあるから、こうなんだよ。だから、俺たちの間ではことみちゃんな」

 そうやっていちの……ことみちゃんの頭を撫でて落ち着かせた。あ、智代お姉ちゃん、面白くなさそう。

「あ、はい、ええっと、こちらこそよろしくお願いします、ことみちゃん」

 そう言って手を差し出すと、ことみちゃんの顔がぱぁっと明るくなった。そして差し出した手をおずおずと握った。思ったよりも柔らかくて華奢な手だった。

「よかったわね、ことみ」

 ふぅ、と苦笑しながら杏さん。

「どうかしたのか」

「この子ったらね、たった今あたしに『ともちゃんとお友達になれないの』って泣きついてきたのよね。恥ずかしがらずに行けばいいのに」

「……そうだな。一ノ瀬らしい」

 智代お姉ちゃんも苦笑する。

「ともちゃんのお名前は、どう書くの」

「ひらがな二つで、ともです」

「苗字は一ノ瀬」

「三島です」

「A型」

「私もA型です」

「カツサンド」

「肉じゃが」

「アフリカゾウ」

「森のパンダさん」

「朋也くん」

「朋也お兄ちゃん」

「ちょっと待て」

 そこで智代お姉ちゃんが私たちの間に入った。

「そこで何で朋也の名前が出るんだ」

 私たちは顔を合わせ、朋也お兄ちゃんを見て、智代お姉ちゃんを見た。

「だって」

「ねぇ」

「何なんだ」

 ぴく、と智代お姉ちゃんのこめかみ辺りが動いたようだった。横目でジトリと朋也お兄ちゃんを睨む。

『一番身近な男性の名前だから』

 それを聞いて智代お姉ちゃんは胸をなでおろした。

「そうか……『浮気をしやすい男性』とかだったらどうしようと思っていたんだ」

「ははは、智代、俺がお前をおいて浮気だなんて、何のジョークだい、はにぃ」

「朋也……すまない」

「ふっ、智代、お前のそんな嫉妬する姿も可愛らしいぜ」

「朋也……」

「智代……」

「朋也…………」

「智代…………」

 朋也お兄ちゃんと智代お姉ちゃんが二人だけの世界に入るのを見ながら、私は思った。

 公子さんはさっき、わからない人生も悪くないんじゃないか、と言った。確かに今日一日だって、私には何が起こるかわからない日で、いろんな人と出会ってこんなことが起きるなんて思いもよらなかった。

 だから足を止めずに歩いていけば、一歩ずつ足を踏み出していけば、また明日も今日とは違うわからないことに出会い、そして進んでいけるんじゃないか。そしてそう思えれば、そう、悪くないんじゃないか。

 

 

 

 

 

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