とある春の午後。
二つの麦藁帽子が、長閑な自然に囲まれた草原で並んだ。そのうち、麦藁帽子は立ち止まり、そして座り込んだ。
「いい天気ですね、聡美先生」
「そうですね、ともちゃん。空気も澄んでて、とても気持ちいい」
青い風に乗せられて、楽しげな声が聞こえてきた。
「ともちゃんは、中学を卒業したらどうするのか、考えてますか」
「え……そうですね……とりあえず高校は出たいですけど……」
「けど?」
「近くにいい高校なんてないから……一人暮らしなんてできないし」
「そうですか……力になれたらいいのですけど」
背の高めの麦藁帽子が俯いた。そんな雰囲気を破るかのように、小柄の麦藁帽子が明るい声で言った。
「じゃあ、今度は私から質問。ねぇ聡美先生」
「何でしょう」
無邪気に小さな麦藁帽子は尋ねた。
「強さって、何でしょう」
一瞬逡巡した揚句、大人の麦藁帽子は状況把握に努めた。
「どうしてそんなことを?」
「私実は……って、あれ?聡美先生ならもう会ってるのか。ほら、私に姉がいるじゃないですか」
「ああ、智代さんですね。はい、お会いしたことがあります」
「その姉とですね、強くなる競争ってのを約束してるんですよ」
「そうなんですか」
そう言って、大人の麦藁帽子は遠くを見る仕草をした。そしてしばしの沈黙の後、静かに答えた。
「陳腐な答えで申し訳ないのだけれども、それは私が答えるべきじゃないと思います」
「えー、そうですか」
「はい。ともちゃんにはともちゃんの強さの定義があると思います。私にもあるように」
「私、そんなの持ってないんですけど」
「今はそうかもしれません。だけど、ともちゃんみたいに探し求めているのならば、いつかは見つかると思います。いいえ、必ず見つかりますよ」
そう言って笑う大人の麦藁帽子の視線に、小柄な麦藁帽子ははにかんで笑った。
「私、別にそんな……じゃあ、聡美先生の強さって何なんですか」
「私のですか」
大きな麦藁帽子は少し首を傾げた後、静かに言った。
「あきらめないこと、でしょうか」
「あきらめない、ですか」
「ええ。恥ずかしいことですけど、私は一度教壇を降りてしまった者です。そしてそのまま全てをあきらめて、逃げ回った挙句にここに辿り着きました。そして、あきらめの後の安堵感に浸ってしまった。それがその時はどうしようもなく心地よかったんです。このまま世界に忘れ去られ、誰からも期待を押しつけられずに朽ち果てていくのもいいかもしれない、そう思ってしまいました」
それは淡々とした口調だった。誰かに許しを乞うでもなく、自分を卑下することで同情を求めるでもなく、ただ単に事実を口にしているだけだった。しかしだからこそ、そこには冷めた目で辛い頃を振り返る強さがうかがえた。
「でも、そこである方に出会いました」
しばらく間をおいた後、大人の麦藁帽子は微笑んだ。
「その人は、誰も協力してくれなくても走り回って、頑張って、あきらめずに道を探していました。無茶でも無謀でも、あきらめませんでした。そんな彼を見ているうちに、長い間忘れ去っていた感情が湧きあがってきました。
「感情?」
「恥です」
短くきっぱりと言い切られたその言葉に、小柄な麦藁帽子は息をのんだ。
「その人を見ていくうちに、ここで何もせずにいるのをよしとしている自分がどうしようもなく醜く感じられました。諦観することが吐き気を覚えるほどおぞましい行為に思えました。自分を前に進ませないことがたまらなく情なく感じました。そしてそれらを私は弱さだと自覚したんです」
だから、と続けた。
「私にとっては、あきらめないことが強いことなんです。格好悪くても、惨めに見えても、本当に心からあきらめていなければ、それは力強いことなのではないかと、私はそう思うんです」
「あきらめないこと、ですか」
反芻するように小さな麦藁帽子が言うと、大人の麦藁帽子は諭すように笑った。
「あくまでも私の、です。先ほども言ったように、ともちゃんにはともちゃんの強さがみつかるでしょう。自分で見つけられるかもしれませんし、誰かに教わることだってあります。でもそれは弱さを知ることでもあり、辛いことなんだと思います。答えが見つからないままの人だって、いるかもしれません」
ともちゃんの答えが見つかりますように、と大きな麦藁帽子は願いを風に乗せた。