ママへ
おげんきですか。ともはげんきです。
きょうはごろおさんのところでとまとをうえるのをみました。とまとはまだなってませんでした。おもしろかったです。
ともはむらのくらしになれてきました。たのしいです。
いつかまたあそびにきてね。
ばいばい
とも
ともアフター
第八話 強さ
目が覚めた時、何となく胸騒ぎがした。
それはもしかすると、過去の夢を見ていたからなのかもしれない。私にとっては忘れようにも忘れられない、あの光景。元は病院だった建物、その中の一室。開け放たれた窓、そこから入る風に揺れるカーテン。所狭しとベッドの周りに立ち尽くすみんな。つらそうに、何かに耐えるように唇をかみ締めた聡美先生。目の赤い、真剣な顔の真菜さん。そして、腕にチューブを差し、すごくやつれたお母さんの顔。
遠くで窓の開く音がして、ばさばさと鳥が飛び立つ音が響いた。私は我に返ると、布団をさっと片付けて顔を洗いにいった。
「おはよう、とも」
後ろから智代お姉ちゃんが私を呼び止めた。
「調子はどうだ?」
「うん、元気だよ。智代お姉ちゃんは?」
「うん、大丈夫だ。ちなみに朋也はまだ寝てる」
そう言うと、智代お姉ちゃんは笑った。どことなくぎこちない笑いだった。
「えっと……どうかした?」
そっと聞くと、智代お姉ちゃんは一瞬体をこわばらせた。
「……どうもしないが、何だ、私の顔に何かついているのか」
「そうじゃないけど……朋也お兄ちゃんと何かあったの?」
「……そうだな」
そう言って智代お姉ちゃんは笑ったけど、私には何となくわかった。違う。朋也お兄ちゃん絡みじゃない。朋也お兄ちゃん絡みだったら、こんな風にすら笑えないんじゃないだろうか。
「それよりとも、今日は何かする予定とかはあるのか?どこか行きたいところはあるか?」
「え、ううん。特にないよ」
私が首を横に振ると、智代お姉ちゃんはあたかもそれを切望していたかのように表情を陰らせ、肩を落として「そうか……」と呟いた。
「智代お姉ちゃんは、どこか行く予定があるの」
「いや、ないが」
「じゃあ、今日は二人で何かしようよ。二人だけの探検って、面白いかもしれないし」
「……そうだな」
智代お姉ちゃんは力のない声でそう言うと、遠くを見るような目をして「そうだな」と繰り返した。
本当に、どうしてしまったのだろう。いつもはきはきとした姿勢の智代お姉ちゃんなだけに、こんな意気消沈した智代お姉ちゃんを見ると、何かとんでもないことが起きたのではないかと思ってしまう。あるいは、何かとんでもないことが起きるのを知っているのではないか。
「って、うわ、もうこんな時間」
何気なく腕時計を見た途端、私は素っ頓狂な声をあげた。時間は七時四十五分。このままじゃ、朋也お兄ちゃんが遅刻してしまう。
私は智代お姉ちゃんがなぜこんな時間になるまで朋也お兄ちゃんを起こさなかったのかを考えることもなく、朋也お兄ちゃんの布団にかじりついた。
「起きて!朋也お兄ちゃん起きて!!」
「ん……むぬぅ……んご」
「幸せそうに寝てたらだめだよ!ほら、起きてって」
「ぬむぅ……智代……」
「智代お姉ちゃん、朋也お兄ちゃんが呼んでるよ」
智代お姉ちゃんを呼びつつも、私は朋也お兄ちゃんを揺さぶり続けた。
「どうしたんだ朋也」
「ん……智代……おっぱい……」
「智代お姉ちゃん、朋也お兄ちゃんが病んでるよ」
「いや、これで普通だ」
きっぱりと切り捨てる智代お姉ちゃん。そして朋也お兄ちゃんの両側の頬に手を伸ばす。
「朋也、起きてくれ」
「……んご……でへへ……」
「何を夢見たいるのかはよくわからないが、私が出ていてそして楽しそうで何よりだ。それよりすまないが起きてくれ」
「……ぐが……むにゃむにゃみぃ」
「……そうか」
観念したように呟くと、智代お姉ちゃんは朋也お兄ちゃんの頬を思い切り左右に引っ張った。
「むにゅぃだだだだだだだだだだだだだだだだ」
「ふむ、面白い顔だな。こうすればもっと面白い」
淡々と言いながら、智代お姉ちゃんは朋也お兄ちゃんの顔を左右に揺らした。すごく痛そうだった。
「わひゃった、わひゃったはらひゃなひへ。おひはおひはっへば」
「そうか、起きたんだったらいいんだ」
にこりと笑う智代お姉ちゃんに、朋也お兄ちゃんは頬をさすりながら「敵わないな」と言わんばかりの苦笑を漏らした。
「って、そうだった、朋也お兄ちゃん、お仕事!」
「……ああ」
ふっと吹き消したかのように、二人の顔から笑顔が消えた。
「いや、今日は俺、休みを取ったんだ」
「え」
私はまじまじと朋也お兄ちゃんを見た。
「仕事は休みなんだ。だから、急がなくてもいい」
「……そっか。うん」
私は笑顔で頷いて見せたが、内心は安らかではなかった。朝感じた胸騒ぎと一緒に、本当に何かがすでに起こったか、何かがこれから起こるんじゃないかという気が強くなった。多分、あまりいいことではない気がする。
誰かが前に「幸せは徐々に積み重なっていくものだけど、不幸は一瞬で来る」って言ったのをふと思い出した。そう、正常かつそれなりに幸福だと思っていた自分の世界が暗転して、どん底に落ちていくまでに一瞬の時間しかかからないことぐらい、私は知っている。
朋也お兄ちゃんが着替えるので、私と智代お姉ちゃんは部屋を出た。ちらりと見た智代お姉ちゃんの暗鬱な横顔が、私の疑惑を強めた。
「ところで、ともは今日、何か予定あるのか」
どことなくぎこちない朝食が終わりそうになった時、朋也お兄ちゃんが意を決したかのような感じで私に聞いてきた。そこには智代お姉ちゃんの時のような必死さは感じられなかった。その代わり、何の感情も伝わってこなかった。
「……ないよ。どうして」
「いや、ただ訊いてみただけ」
「さっき、智代お姉ちゃんも同じような事を訊いたんだ。何だか二人とも、本当に考える事似てるよね」
「うん、私と朋也はラブラブだからな」
「……」
「む、何の反応もないのか朋也」
「え、あ、悪い」
「そうか……今の沈黙、それの意味するところは『うっわ、何言ってんのこのスイーツ(笑』と言ったところだろうか。つまりあれだな、私と朋也が分かり合えていたというのは、あくまでも私の妄想だったということか。それならば朋也もさぞかしうざかっただろうな、そんな知った風な顔をする勘違い女などは」
「いや、今考え事……」
「なのにすさまじい思いこみで突っ走った挙句に、気付けば引き返せないところまで来てしまって……疲れ切った朋也は一人どこかに消えてしまい、周りは残された私に冷笑する。そして私はようやく気付くんだ。『ああ、気付いていなかったのは私だけだったんだな』と」
「おーい智代」
「プリズムを通した世界は色あせて見え、全ては灰色に埋もれてしまう。朋也を失った私に生きていく意味も希望もなく、一人たたずむプラットホーム。ああ、ここで力を抜いて前に倒れたなら、どれだけ楽になるだろう。そんな声に耳を傾け……」
「智代、愛してる」
不意に智代お姉ちゃんの自虐トークが止む。しばらくして、おずおずと智代お姉ちゃんが上目遣いで朋也お兄ちゃんを見ながら呟いた。
「……いきなり、だな」
「いきなりも何も、俺は智代と付き合ってこの方ずっと247智代ラブだぜ」
「ば、バカ。い、いや、その、私もだっ」
「智代っ」
「朋也っ」
本日、晴れ時々曇り、そんでもって岡崎家はラブラブ。
内心いささかげんなりしたけど、それをおくびにも出さず私は笑顔で訊いた。
「で、何考えてたの」
「ああ…………」
いきなり黙りこむ朋也お兄ちゃん。何だろう、急にシリアスな雰囲気が部屋に訪れた。
「…………」
「……………………」
「…………………………」
「……………………………………実は」
沈黙が三人を一周して朋也お兄ちゃんのところに戻って来た時、ようやく朋也お兄ちゃんが口を開いた。その一言で辺りの漠然とした真剣な雰囲気が引き締まった。私たちは黙って朋也お兄ちゃんの次の言葉を待った。
「智代と今日どうやっていちゃつこうか真剣に考えていた」
「そんなことを真剣に考えてどうする!!」
「そんなこと真剣に考えてどうするの!!」
朋也お兄ちゃんに私と智代お姉ちゃんがシンクロツッコミを行った。
「限られた時間の中で愛する妻をどう愛でようか。くっ、深い命題だぜ」
「普通でいい!普通でいいから!!」
「こういうところで考えずに行動すると、後々夫婦の関係に深刻なひびを残す気がするんだ」
「朋也お兄ちゃんと智代お姉ちゃんに限ってそういうことないから!N2爆雷落としてもひびなんて割れそうにないよ!!」
「ははは、大げさだなぁともは」
そう言って朋也お兄ちゃんは笑ったけど、私はその笑いにどことなく苦いものを感じた。そしてなぜか朋也お兄ちゃんは今何かを誤魔化したんじゃないかと、そう思った。それはおぼろげで、捉えどころのなくて、まるで蜃気楼のように不確かなものだった。だけど、それに対して私は確信めいたものを感じてしまった。
それは、あるいは唐突に、でもあるいは来るべくして来た。
朝ごはんを済ませると、智代お姉ちゃんは私に静かにこう言ったのだ。
「とも、少し、話をいいだろうか」
私は智代お姉ちゃんの顔を見て、そして朋也お兄ちゃんの顔を見た。朋也お兄ちゃんは無表情、そして智代お姉ちゃんはどことなく辛そうだった。いつもの慈愛と笑いに満ちた二人の面影はなく、それは初対面の人と向き合っているかのようだった。
「うん、もちろん」
そう快諾したものの、それからしばらく智代お姉ちゃんは口を開かなかった。時々朋也お兄ちゃんに助けを求めるかのように目を向け、何度も深呼吸をしたが、口から漏れたのはため息ばかりだった。とうとう朋也お兄ちゃんが口を開こうとした時、智代お姉ちゃんはそれで背中を押されたかのように、しっかりと言った。
「とも」
「うん」
「父さんに……父親に会いたい、とは思わないか」
そのしゅんかん せかいから いろがきえた
「……え」
かろうじて絞り出した答えは、言葉ですらなかった。単語ですらなかった。ただのかすれた音だった。
「父親って……私のお父さんって……智代お姉ちゃん、の」
混乱した頭の中に浮かんだ言葉が、制御できずに口から滑り落ちていった。
「会う……なんで…………何で会う、の……」
わからない。なにもわからない。
「……とも、実は、父さんが……私たちの父さんが、ともに会いたがっているんだ」
智代お姉ちゃんは、口にする言葉が刃物でできているかのように、喋るごとに顔を苦痛と悲痛で歪ませた。
「会いたい……何で……今まで、会ったこともないのに、何で……」
「とも……」
「何で今更、会いたいって……お母さんが死んだ時も、会いに来なかったのに、今までずっと、会いに来てくれなかったのに」
「知らなかったからだ」
今まで黙っていた朋也お兄ちゃんが低い声で言ったので、私と智代お姉ちゃんはびっくりして朋也お兄ちゃんを見た。
「今まで、とものことを、俺が坂上さんに話していなかったからだ。許してくれ」
それで、私は察した。何で今まで私に父親を名乗る者が来なかったのか。母の今際にも立ち会わなかったのか。
私は、いるだけで悪い子。
私は、存在そのものが害である、罪深き子。
ワタシハ イテハ イケナイ コ
捨てられる。
そう思った。
朋也お兄ちゃんたちが今の今になってこんな話をするということは、つまり朋也お兄ちゃんたちも私を持て余しているからだと思った。
ここで頷いたら、私は智代お姉ちゃんの手を離れて、真菜さんからも見捨てられ、別のところに行く。そしてそこでもお荷物と見なされたら、また見捨てられ、そして捨てられて、そして何もなくなる。
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
「……いいよ」
否定のニュアンスを含んだ答えに、智代お姉ちゃんが私を凝視した。
「私、今までだって大丈夫だったもの。お父さんもいなくて、お母さんもいなくて、でも、そんな人生でも幸せだから。ぜんぜん寂しくなんてないよ。私は、智代お姉ちゃんや朋也お兄ちゃん、鷹文お兄ちゃんと河南さん、真菜さんや村のみんながいるだけで、すっごく幸せだもの」
そう口にして、私は気付いたのだった。これはすべて仕組まれていたこと。私が呼ばれた時から、いや、それよりもずっと前から、こういう展開になることは予想されていたんだと思う。つまり
つまり、私はもうすでにみんなにとって背負いきれない重荷になっていたんだ。
「坂上さん……とものお父さんな」
朋也お兄ちゃんが静かに話した。その口調からは、何の感情も聞き取れなかった。
「坂上さんは、『知らなかった』じゃすまされないことになっているって知ってるんだ。ともが坂上さんに会ってどうなるかは、正直言って俺にもわからない。だけど、あの人は全てと向き合う覚悟を決めて、それでともに会いたい、会わせてくれって頼んだんだ。そのためなら、自分がどんな犠牲を払ってもいい、そこまで言ってた。それだけは酌んであげてもいいんじゃないか」
朋也お兄ちゃんの言葉は冷静で、だけどどことなく優しくて、私は首を簡単に横に振ることができなかった。だけど頷く事も出来ず、私は俯いて黙りこんだ。
「もちろん、無理にとは言わない。ともにだって、いろいろとあるのはわかってる。どうしても嫌だったら、そう言ってくれ」
それだけを言うと、朋也お兄ちゃんは言うことは全部言った、というような感じでため息をついた。しばらくして、私はようやく喉を震わせた。
「ちょっと……考えさせてくれないかな」
「……ああ」
「……ちょっと出かけてくるね」
「……ああ」
智代お姉ちゃんは何か言おうとしたけど、私がゆっくり立ちあがったら悲しげに俯いた。
特に行こうと思っていたわけではなかったけど、気が付いたらすごく懐かしいところに辿り着いていた。
「……あ……」
古びたアパート。ガタのきている鉄の階段。その前にある小さな公園。
そこは私の世界だった。あの頃は、ここと幼稚園だけが私の知っている全てだった。だけど目の前に広がっている光景は、あまりにも小さくて、あの頃の光なんてどこにもなくて、私は言いようのない悲しみに満たされてしまった。そしてそのまま階段に座り込んだ。
みし、という音がした。あまりにも小さな段差だったので、私は一瞬何でこんなところに座り込んだのか考え、そして思い出した。
(とも、お待たせ)
(あ、まま!おかえりなさーい)
(ごめんね、待たせちゃって。お夕飯、すぐに作るからね)
(わーい)
そう、私はここで、よく母を待っていたのだった。夕暮れ時、公園で遊び疲れたら、この階段に座って買い物に出かけた母の帰りを待った。
その母の笑顔とセミの鳴き声で、私はあの日の光景に引きずり込まれていった。
風は凪いでいたけど、時々入るそよ風がカーテンを揺らした。耳をふさぎたくなるような音量でセミがずっと鳴いていた。白い壁も太陽の光も、重い空気のせいで心なしか暗く見えた。頬を伝う汗の感触も、ピリピリと肌を刺すような雰囲気も、全部覚えている。
ベッドの周りで立ちすくむみんなは、私を見た途端に顔をくしゃくしゃにした。誰かが「ともちゃ……」と小さくつぶやいた。声にならない音をつぐんだ口から漏らしながら、聡美先生が私の背中を押してくれた。真菜さんが、小さく、でもしっかりと頷いてくれた。そうやって励まされて、私は母の枕の傍に立った。
「……おかあさん……」
「と……も……とも……顔を……見せ……て」
苦しそうな息の合間に、母は言葉を途切れ途切れ混ぜて送り出した。身を乗り出すと、母の両手が私の頬を包んだ。あまりにもがさがさな感触だったため、私は一瞬だけ怖くなり、泣き出したくなった。そして次の瞬間にその事を母に心の中で詫びた。
「ごめん……ね……とも…………もう少し……一緒にいて……あげられたら……」
「おかあさんっ」
母の手が震えだした。小刻みに、最後まで私に触れていようと抗うかのように、手が震える。
「弱くて……私が……弱くて……ともに……つら……い……思いを……」
「おかあさんっ!おかあさんっ」
ただ母の名を繰り返し繰り返し呼んだ。口にするたびに、体の底から感情が込み上げてきた。もしかするとそれは、母に向かって母の名を言える回数が減ってきていることを実感していたからなのかもしれない。
「ごめんね……ごめんねぇ……」
部屋のあちこちから、くぐもった唸り声が聞こえてきた。みんなが必死に嗚咽をかみ殺しているのだと気付いて、涙が止まらなくなった。
「とも……ひとつ……これだけお……覚えて……て……」
「おかあ……さん」
母の手は私の頬を滑り落ち、そして私の小さな手に辿り着いた。
「と……もは……強い子……だから……強いから……私……なんかよ……りも……ずっと……強……い」
そう言いながら、泣きながら母は笑った。こんな状況でも笑える母より、私なんかが強いわけないと思った。
「おかあさん……」
「だって……」
そこで母は
山奥にある村の夏の昼下がりから、私は朝の光坂市に引き戻された。唐突と言えば唐突だが、私には引き戻される理由はあった。とどのつまり、その後母が何て言ったのかよく思い出せなかったからなのだった。途切れた白昼夢から覚めた私にあったのは、どうしようもない孤独感と、言いようのない無力感だった。
強さって何なんだろう。どれくらい強ければ、私は世界と立ち向かえるんだろう。何をどうすれば、私はこの世界で生きていけるんだろう。
答えを見つけなければならない。だけど見つからない。このままでは私は自分の父親にも、智代お姉ちゃんにも、誰にも会えない。
どうしよう。
如何しよう?
ドウシヨウ
答えのない問いが私を苛む。誰にも見せまいと思っていた涙が、自分があらゆる意味で一人なのだと理解できた途端に溢れ出てきた。
昨日はいろんな人と知り合えたのに。いっぱい人と会って、話して、笑ってたのに。気付けば一人、また、いつもの一人。私が見た輝かしい世界は、私の覗いてはいけない光景で、私の見てはいけない夢だったのだ。だって私はいらない子だから。いてはいけない子だから。いつも結局は一人だから。
「どうしよう……お母さん、どうしよう……」
私は泣きじゃくりながら呟いた。
「これじゃあ……これじゃあ私……もう立ちあがれないよぉ……」
言葉を口にするたびに力が霧散していく気がした。嗚咽が漏れるたびに勇気が萎えていく気がした。光が消えて、全てが絶望色で塗りつぶされそうになった。
そんな時、声がした。
「……ともさん?」
それは、どことなく優しくて、ものすごく柔らかくて、でも芯のこもった強さも秘めている声だった。
まるで、我が子を呼ぶ母親の声だった。
泣き濡れた顔を上げると、そこには太陽を背にした女性の姿があった。
お母さん?
そう言いだそうとしたのを必死になって堪えたのは、その女性が母にすごくよく似ていたからだった。姿かたちというわけではなく、身にまとっている、光のように優しそうな、海のように広そうな雰囲気が似ていた。
「ともさん」
今度は確認ではなく、確信を持って、その人は私を呼んだ。そしてその人は私の目の前にしゃがみこんだ。
「ともさん、何で泣いてるんですか」
「……」
「辛いことがあったんですか。悲しいことでもあったんですか」
「…………」
「…………私なんかが言うのもなんですけど、よかったら、少しお話しませんか」
「……ぁ……」
「私、ともさんとお話がしたいです」
そう言って渚さんは、古河渚さんは優しく微笑んだのだった。その笑顔に解かされて、私の中でいろんな質問が爆ぜた。
私はこれからどうすればいいのでしょうか。
私は生きていていいのでしょうか。
私はどうすればこの世界で歩いて行けるのでしょうか。
それでも、最初に口から滑り出たのは、こんな言葉だった。
「……教えてください」
私は渚さんに縋りつきながら、言った。
「強さって、何ですか」