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 いただきます、と四人分の声が重なる。夕日も沈んだ、少し蒸し暑い夏の夜。

「うわ、これ、すっごくおいしい」

 一口食べて、朋幸が笑った。

「口にものが入っている時は、口を開けてはだめだ」

 一応そうたしなめるが、私も頬が緩んでしまったのも事実だった。

「母さんのごはんは、いつもおいしいな。父さん、母さんはさいしょからお料理がうまかったのか」

「はっはっは、母さんは父さんと出会った頃から料理は町一番だったんだ」

 巴の質問に、朋也が豪快に笑って答えた。て、照れるじゃないか。

「そうなのか……私もがんばらなくてはいけないな。およめさんになるには料理がうまくならなくてはな」

「え……巴、まさかもう……」

 不安そうに尋ねる朋也に、巴は不思議そうな顔をして言った。

「何を言っているんだ、父さん。私は生まれてこの方ずっと母さんのおよめさんだが?」

「あっそう」

「しきにはよんであげるからな」

「はっはっは、残念だったな巴。母さんはお前が生まれるずっと前から父さんの嫁だ。この歴然たる差、どうやって埋める?」

「くっ、ひきょうだぞ父さん。私が生まれる前からリードしてるとはっ」

「いや、それふつーだろ」

「というより、毎度毎度私を巡って親子で争わないでくれ。頼むから」

『だが断るっ!!智代(母さん)には争うだけの価値があるっ!!』

 親子同時にそんな恥ずかしいことを言うな。

 私が「仕方のない奴らだな」と呟くも、諍いは続く。

「あいだっ!あいがあれば、何でも解決できる!!」

「はっはっは、残念だったな。父さんと母さんの愛は永遠、そして無限大。巴の愛が入り込む余地など、そもそもないわっ」

「くっ、おのれ父さん、さっきから聞いていれば私の邪魔ばかりして」

「どうした?己の力のなさに今更ながら気がついたかっ」

「そんなに私が邪魔かっ」

「何を言う、俺は巴も大好きだっ」

「じゃあ母さんを譲ってくれ」

「はっは、それはだめだ」

 以下ループ。

 もう岡崎家では恒例になった「智代は俺・私の嫁戦争」を横目に、私と朋幸はため息をついた。

 

 

 しかし。

 

 朋也が言ったことは、八割五分方正しい。料理は最初から得意だったし、光坂に転入する際にあたって普通の女の子を目指し始めた私は、女の子らしさをアピールするために料理の腕を磨いた。そしてそれは朋也という大切な存在ができたことにより、いっそう鍛錬されていった。

 だがしかし、そこまで完璧だったとは言えない。

 私だって、間違いぐらいはする。杏に言わせてみれば、私もいわゆるボケ属性なるものがあるそうだ。だから、もしかするとポカは多い方かもしれない。ただまぁ、それを臨機応変に処理することで何とかカバーしている。料理においてはそこら辺で応用がきいたりする場面も多い。しかし、上手く行かなかった場合はそれを隠蔽するのに力を注いだりする。
だから、朋也と出会った時から私の料理が完璧だったというのは、正確ではない。真実は、朋也と出会った時から朋也にはおいしい料理しか出していない、というものだ。

 

 

 

 

 これは、ここまでお付き合いいただいた読者諸君にのみお見せする、私のちょっとしたポカ集だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 智代さんぶるーぱーず

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Blooper

1 ((主に米・カナダ))(放送での出演者の)間違い, とちり, NG;(一般に)間違い, どじ.

 

 

 

 

 

 

あさごはん

 

 これは、私がまだ高校生だった頃の話だ。朋也は電気工としての生活が始まったばかりで、いろいろとサポートが必要な時期だった。無論私も高校三年になったばかりで、進路とかの悩みもあったが、それよりも朋也が私を必要としている、朋也を支えてあげられる、という実感があったため、それだけで幸せだった。

 しかし、最初の頃は大変だった。朝早く起きると、私は朋也のアパートに行き、そこでお弁当と朝ごはんを作ってから朋也を起こす。もちろん、そこから学校に直行するため、家を出る前に宿題などの支度は済ませていなければならない。しかしそこは高校三年、勉強の量もそんなに少なくはない。宿題を片付ける速さにおいてはいささかの自信を持っているが、それでも時々結構遅くなる時もある。その次の朝は、眠い頭を叩き起こしながら朋也の家に直行ということになるのだった。私が睡眠の質を凝縮することで短い時間でも充分な睡眠をとる術を手に入れたのは、朋也と結婚してからだ。

 そしてそういう寝ぼけた私は、いつもより自制心が効かなくなってしまうのだった。いや、別に性的にどうこうという話ではなく、ふと気づけば無駄な事をして時間を潰していたとか、一つのことに気が捕らわれてしまって、本来すべきことをすこーんと忘れてしまったりとか、そういうことだ。

 さて、その日の前の夜、私は思っていたよりも夜遅くまで勉強をしていた。何時に終わったのかは覚えていないが、朦朧と、ああこれではお肌が荒れてしまうな、朋也はそんな私でも付き合いたいと言うだろうか、と思ったのは覚えている。だから正直、何時間寝たのかは記憶にない。

 無情に鳴る目覚ましに呪詛の言葉を短く吐くと、私は少々慌ただしく身支度をして、私のお弁当と朋也のお弁当、ついでに鷹文のお弁当を作ると、いそいそと家を出た。

 一応小声で「お邪魔するぞ、朋也」と言いながら朋也の部屋に上がる。玄関で靴を脱いでいると、くかー、と少し間の抜けたいびきがかすかに聞こえてきたので、私はくすり、と笑った。普段は私を導き、引っ張ってくれる朋也が、柄になく可愛く聞こえた。

 炊飯器を開けてみると、ちょうど三膳分のご飯があった。これから肉体労働が待っている一日、朋也にはしっかり食べてもらわないといけない。だから、それにはお味噌汁とおかず、これをうまく作る必要がある。私は心の中で気合を入れると、私専用のエプロンを着て台所に立った。

 眠くはあった。だがしかし、女の子たるもの、睡魔ぐらいで料理を作り誤ってたまるものか。ましてやそれは私と私が愛する男性の朝の食卓を飾るもの。完璧でなくてはいけない。私は大根を角切りにして、大安売りだったので買った乾燥わかめを用意すると、鍋に水を張って材料を入れた。そしてその間に、卵をさっと焼いてしまい、また焼いた後の余熱で海苔をあぶる。魚がないのが残念だが、それは今夜買って明日の朝のおかずにしよう。などと考えていると、鍋の中の材料がいい具合に煮えてきた。味噌を混ぜてだしの素を入れれば、あと少し煮るだけでお味噌汁の出来上がりだ。

 ここまではよかった。ここで終わっていれば、全ては丸く収まった。

 しかし

「……んんん……ともよぉ……」

「!!」

 不意に呼ばれて、私は振り返った。見ると朋也が寝癖だらけの頭を枕に乗せて頬ずりしていた。

「な、何だ、寝言か……びっくりさせるな、馬鹿」

「……くかー……おいおい、ともよぉ」

 またか、と思いながら、私は朋也の傍まで行くと、枕元に座った。

「お前は全く……しまりのない顔をしているぞ」

「……」

「どうせえっちな夢でも見てるんじゃないか?全く、スケベで仕方のない奴なんだから」

「……」

「でも、そんなお前のことを大好きな女の子がここにいるんだぞ?ありがたく思え」

「……んん……」

「もちろん手を離すんじゃないぞ。と言っても、別れると言っても別れてやらないからな」

「むぅんん……んー……くかー」

 もぞもぞと寝返りを打つ朋也。不意に向けられた寝顔があまりにも無防備で、いつになく可愛くて、どうしようもないほど愛しくて。

 

 

 ちゅ

 

 

 唇をあわせてしまった。止められなかった。しばらくの間、私は重なった唇の感触を指で確かめていた。この頃はまだ朋也の傍に戻ってから日が浅かったから、こういうことができるということがまだ斬新だったというか、馴れていなかったというか。朝昼晩計六回のキスがデフォルト、週に三日は一晩中キスされるという現状とはまだほど遠かった、若かりし頃の私。純情だった私。乙女だった私。

 別に今の私が幸せではないとは決して言えはしない。どこにいようと何をしていようと感じる家族のぬくもりや安らぎ。これが今の私の、決して手放せない幸せだ。ただあの頃の私は、今とは違って色鮮やかな、繊細な幸せを感じていた。朋也の寝息。朝の陽ざし。唇の温もり。味噌の匂い。

 

 味噌の、匂い?

 

 ちょっと待て私。さっき私は朋也に呼ばれた気がした。よし、ここは覚えている。だけど呼ばれていなかったから、調理に戻った。うん、そうだった。だけどまた呼ばれたから、私は

 

 

 

 

 私は、何をした?

 

 

 味噌の焦げる独特の匂いと、黒ずんだ鍋からもうもうと舞い上がる黒い煙が、私がポカったことを雄弁に語っていた。

 

 

 

 

「まぁ、こいつだって食べるために買ったんだし」

「う、うん、そうだなっ!食品を棚の奥に置きっぱなしというのはよくないなっ」

 私はできるだけ明るい笑顔を取り繕って朋也に同意した。

「それにしても悪いな、智代。味噌切らしてたなんて、俺気がつかなかった」

「いいんだっ!私が管理するべきだったんだから。これからは気をつけよう。だけどこの卵焼きは、今夜でも明日の朝にでも食べてくれ」

「ああ、わかった」

 そう言って、朋也はコーンフレークの箱をがっさがっさと振った。

「くっそぉ、コーンフレークだと、智代の弁当が待ち遠しいぜ」

「な、何だ、そこまで楽しみだったのか」

「俺は日々智代の味ってのを楽しんでいるからな」

 ちょっと残念そうな朋也を見て、私はちくり、と罪悪感を感じた。そこで私は一計を案じて、朋也に向き直った。

「と、朋也」

「おう」

「………………あーん、だ」

 私は顔を真っ赤にしながら、震えるスプーンを朋也に差し出した。

「……」

「…………そ、その、精一杯コーンフレークで私の味というものを出そうと思ったんだが……」

「……」

「……何とか言ってくれ。このままじゃ、コーンフレークとミルクが零れてしまう……」

「あ、ああ。悪い」

 そう言うと、朋也も顔を赤くしながら、ぱくりと食べた。

「…………」

「…………」

「……その、何だ……うまかった」

「あ、ああ」

 赤い顔で相手をちらちら見ながら、私たちは朝ごはんを食べ終えた。今では時たまやるあーんだが、あの頃はまだ初々しかったというか、ぜんぜん馴れていなかったというか、これぞ青春というか。

 

 

 ああ、無論その朝は遅刻した。

 

 

 

 

 

 

ひるごはん

 

 

 お弁当は元来いの一番で作る。そもそも朋也は朝はあまり食べなかったから、本当に急いでいる時は朝ごはんを抜くこともあった。だからその分お昼ごはんは大事で、朋也の弁当には腕によりをかけたし、休日は二人で一緒の時間だから、手を抜くなどありえなかった。だから、お昼ごはんで失敗したことはあまりない。

 その日だって料理で失敗したわけではない。これは、私の苗字が変わってからの話なのだが、その前の晩、朋也が新人教育を優先的に任せられるようになったと嬉しそうに私に話した。高卒の俺がだぜ、と得意げに言う朋也を見て、私もうれしくなり、二人で朋也の「新人係祝い」をした。とても幸せな夜だった。

 だから、その幸せの余韻を朝まで引きずっていたのだろう、私は朝台所に立つと、少し豪華なお弁当を作ることにした。アスパラガスのベーコン巻に、豚肉の生姜焼き、プチトマト、ブロッコリーとカリフラワーのマヨネーズあえ。

「む。作りすぎてしまったか」

 そうは言ってみたが、あとの祭りだった。だが、これぐらいでは私はめげない。そうだ、お弁当箱一つに入らないのなら、二つに分けて一つをおかず用に、もう一つをご飯用にすればいいじゃないか。逆転の発想、コロンブスもびっくりだなっ!

「朋也も、こんな機転の利く女が妻なら文句もないだろう」

 ふと考えてみた。

 

 

「朋也っ!お弁当だ」

「うおおっ!美人でかわいい智代っ!その二つのお弁当箱は何だっ!」

「普段頑張っている朋也への、私からの気持ちだ」

「何てこったっ!!俺、生まれてきてよかったぜ!!こんな気の利く奴が嫁だったなんて!!」

「本当は、お前にはもっとしてあげたいんだが、今はこれで我慢してくれ」

「何言ってんだ、智代。ありがとうな」

「朋也……」

「智代……」

 

 

「……っと」

 私は我に返った。楽しい妄想に浸っているのもそれはそれでいいのだが、朝は忙しい時間なのだから、できるだけ手早くしかし堅実にこのお弁当を作らなければ。この相反する二つの面を持つ作業がお弁当づくりだ。世界の幼馴染お節介焼き彼女婚約者妻愛人並びにお母さん、ここはテストに出るらしいぞ。

「うん、できた」

 私は朋也のお弁当を青い布で包むと、お箸を挟んでテーブルの上に置いた。

「さて、今度は私の……」

 そこで気付いた。私のためのおかずを作るにはおかずも時間もあんまりない。むぅ、仕方がない。ご飯だけを持って行って、おかずはどこか適当なところで買おう。そもそも肉体労働をしている朋也と、オフィスで座るだけの私が食べる量が同じではヘンではないか。朋也は誰もが惚れるほど心の広い素晴らしい男性だが、私が見る影もなく太った後でも今と変わらぬ愛情を注いでくれるとは限らない。そう、私は朋也がご飯をおいしくいただけるのならば、喜んで粗食に甘んじよう。
と考えていると、ふと時計が目に入った。そして次の瞬間、私は血の気がさっと引いて卒倒する前に、襖を開いて未だに寝ている良人に向かって怒鳴った。

「朋也っ!!遅刻するぞっ!!」

「……んん……むにゃ」

「『むにゃ』じゃないっ!!起きろっ!!」

「智代……朝は……優しくキスって……」

「まだそんなことを言うかぁ!!」

 私は寝ぼけたままの朋也の顔を掴み、そしてその頬を横に引き伸ばした。ここだけの話、面白い顔だな、と思ってしまった。

「いひゃいいひゃいいひゃいいひゃい……」

「よし、起きたな?じゃあこれを見ろ」

 そう言って目覚まし時計(ご丁寧にアラームをオフにしていた)を朋也の顔に突き付けた。

「何だ、こんな時間か……って、うおっ」

 一瞬にして朋也が跳ね起きた。

「やべえ、寝過した!遅刻する遅刻する遅刻する」

「だから言っただろう」

「何でもっと早く起こして……すみません失言でした奥様」

「よろしい。お弁当はテーブルの上だからな」

「おう、サンキュ」

 この場合、スーツを着なくてもいい仕事場というのは便利なのかもしれない。朋也は急いで支度をすると、そのままアパートを出て行った。私はため息をつくと、ささっと支度をして仕事に行った。ちなみに言わせてもらうと、朝の大変さは今の方がもっとすごい。朋也はスーツがどうのネクタイがどうのと大わらわだし、朋幸は寝坊するし……まったく、仕方のない。

 さて、お昼頃私はお弁当を取り出して思いだした。そうだった、おかずを買わなければならないんだった。会社の近くのコンビニに入りながら、私は朋也がお弁当を喜んでくれるといいな、とふと思った。普段よりも多めだけど、食べきれるだろうか。いや、朋也はいつも全部食べてくれる。そしていつも一言「おいしかったぞ」と言ってくれる。ああ、朋也。

 うん、私は恐らく三界一恵まれている奥方だろう。こんなに優しくて頼りになる、しかもかっこいい男が傍にいてくれて、そして愛してくれているのだから。金銭的には確かに裕福とは言えない。だけど、それは何とでもなる。私も頑張るし、朋也だって未来に向けて電気工と通信大学生の二足の草鞋を履いて頑張っている。こんなに努力している二人だ、絶対に実を結ぶ。
あまりにも朋也のことで頭がいっぱいだったので、正直いつどこで何をやっていたのかは覚えていない。気がつけば、サラダセットと鮭カツを一切れ買っていた。

「これでは風子ちゃんと同じではないか」

 そう苦笑しながら、私はお弁当箱を開けた。そして、目が点になった。

 私分のお弁当箱には、ご飯しか入れていない。だから私の目の前にあるお弁当箱は、潔白の白一色であるべきだった。

 では、この緑のアスパラに巻かれているベーコンは何なのだ。

 この生姜焼きはここで何をしている。

 プチトマト、お前は何でこんなところにいるんだ。

 そこの緑の奴とクリーム色の奴、何がお前たちをここに呼び寄せた。

 ちょっと待て智代、よく考えろ。これは孔明の罠、ではなさそうだ。デビッド・カパーフェィールドも関係なさそうだ。ええっと、私はこれと対になるお弁当箱をテーブルの上に乗せて、そして朋也を起こして、朋也がお弁当箱を手にとって、そして私はテーブルにあったお弁当箱を

 

 ちょっと待て。

 問1。私は朋也に「今日はお弁当が二つあるぞ」と言っただろうか。否、そんな暇はなかった。

 問2。私はどのお弁当箱を手にしたのだろうか。テーブルの上にあったお弁当箱だ。

 問3。私は自分用のお弁当箱を、果たしてテーブルの上に置いたのだろうか。

 答えが頭の中に浮かぶ前に、私は駈け出していた。そしてタクシーを捕まえると、急いで光坂電気へと向かった。

 

 答3。否。朋也はテーブルにあった二つのお弁当箱を私と朋也のものと考え、一つだけを手に取った。そして私も急いでいたので、台所に置きっぱなしにしたお弁当箱ではなくて一つのこったテーブルのお弁当箱を私のだと思い込んだ。つまり今朋也が持っているのは、朋也用のご飯だけのお弁当箱なわけで。

 

 

 

 

 私が事務所に着いて扉を開けると、そこにはどす黒い空間が広がっていた。

「ねぇ、もう一度考えてごらんよ岡崎君。何か、本当になかった?」

「……」

 親方の声に、力なく首を横に振る朋也。それは見ているだけで痛々しかった。

「ご飯だけ……梅干しすらない……どれだけあいつに嫌われちまったんだろう……」

 肌から血の気が失せ、心なしか髪の毛も真っ白な朋也が、聞くだけで生気を奪われるような声でぼそぼそと呟き、そしてまたまたずぅぅんと沈んだ。

 「困ったな……ああくそ、ここに智代さんが……いた……ら」

 先輩が処置なしと言いたげに辺りを見回して、私と目を合わせた。

「お、おかおか、おい、おいおか」

「ともととともととよとも」

 親方とその先輩が一斉にどもり、そして朋也が私に気がついた。

「とも……よ……?」

「朋也、この慌てん坊め。おかずだけを置いて行くとは、器用なのか不器用なのかはわからないが、とにかく仕方のない奴だな」

「……え?」

 呆気にとられている朋也を見ながら、私はバッグから朋也のおかずの入ったお弁当箱を出した。途端に生気を取り戻していく朋也。

「……智代」

「まったく、親方や先輩に迷惑をかけて……私が朋也のことを理由もなく嫌うと思ったか」

「……ああ、そうだな」

「まぁ確かに朋也は極刑に処してもおかしくないくらい鈍感だから、時たま私を無意識にしかも的確に怒らせることができるが」

「…………」

「でも、そういう時は私だって何か言う。逆に言えば、私が何も言っていない時は、私はいつだって朋也が大好きだ」

「智代!」

 朋也が子供のように抱きついてきた。よしよしと頭を撫でながら、本当にどっちが年上なのかな、と苦笑した。

 

 

 朋也の事務所に行ったりしたから、結局はお昼ご飯は抜いてしまったが、それでも朋也の笑顔が見れたからよしとした。あと、その晩、いろんな意味で朋也にお腹一杯にされてしまった。

 

 

 

 

 

 

ばんごはん

 

 一日の始めである朝ごはん、そして仕事の最中の補給であるお昼ごはんに比べて、晩ごはんは栄養上あまり重要でないかもしれない。

 しかしそれはあくまでも栄養上のこと。私にしてみれば、慌て気味の朝ごはんや離れ離れで食べるお昼ご飯よりも、朋也と一緒にゆっくり食べられる晩ご飯がかけがえのないものに思える。仕事から帰ってくる朋也、それをオタマ片手に迎える私。無論二択を提案したら三択目がコールされる。そして晩ご飯。朋也と一日の締めをくくり、朋也と一緒にいられる幸せをご飯と一緒に噛みしめる。時々朋也の「やっぱ智代が嫁でよかった」が私を赤くさせたりする。思えば、朋也のことを好きになってからずっと心に浮かべていた光景だった。

 残念ながら、若い頃はこうはいかなかった(注:智代はまだまだ現役です。昨晩それを確認しましたし、今夜も確認する予定です by朋也)。私がまだ学生だった時は、私にも時間があった。勉強なら同棲しているアパートでできるし、どうしても外せない用があった時は予め作っておいて、戻ってきた時に温めればいい。私が同棲学生として朋也と暮らしていた時は、朋也にインスタント食品を手に取らせなかったのが、ちょっとした誇りだった。しかし、私が就職するとそうも言っていられなくなった。朋也の方が私よりも早く帰ってくることが多くなった。一応お互いに連絡を入れて夕飯は誰が作るかを決めていたが、馴れないうちは結構大変だった。また、同じ料理が食卓に並んだ時もあり、時間のなさと己の不甲斐なさを呪ったことも何度もあった。そんな私を見捨てずに未だに愛してくれている朋也は夫の鑑と言えよう。

 さて、私もようやく仕事体系になれてきて、また小さな昇進を少しずつ重ねていくと、それほど夜遅くまで残らなければならない、ということはなくなってきた。無論仕事は多くなり、忙しさはむしろ増したが、それは朝早く出勤することで解消することができた。そうなると朋也との朝ごはんが犠牲になるかと思ったが、ちょうど朋也もその時期通信制の大学に通い始めたのだった。だから残業時間を減らして勉強する代わりに、少し早めに仕事に行くことになった。こうして、朝ごはんは一緒に、でも夕飯は私が、という理想の時間割ができた。

 そうなると少しばかり余裕も出てくる。朋也に夕飯のリクエストもできるようになった。長い前口上だったが、この話は、朋也が私に夕飯のリクエストをしたところから始まる。

「お好み焼き?」

 お味噌汁をかき混ぜながら、私は聞き返した。

「ああ。智代のお好み焼きが食べたい。ついでに、今夜も智代が食べたい」

「お前は週に何回私を摘み食いすれば気が済むんだ……」

「ん。軽く三千九百六十八回」

「さらっと言うなっ」

 はぁ、とため息をついた。どちらにせよ、今夜も徹夜か……

「しかし……」

「お、どうした」

「お好み焼きは、作ったことがないな。その、上手く出来なかったら、勘弁してくれ」

「智代の料理で上手くいかなかったことなんてないさ。何せ、俺の嫁大明神だしな」

 ははは、と笑う朋也。照れるじゃないか……

 とまあ、何だかんだでお好み焼きを作ることになったのだが、まぁまず普通に作り方は知らない。材料も知らない。調理に何か必要なのかも知らない。今になって思えば、失敗の布石が見事敷かれていたと言えるだろう。

 しかし時代はインターネット。パソコン通信なんて、と昔思っていた私だったが、鷹文がそれにのめり込み、そして仕事でも使うようになり、そのありがたみがわかってきた。特に電子メールの練習として齢二十六にして初めてラブレターを書いて送った時の興奮を、感動を、私は未だに覚えている。

 というわけで昼休みの時にぱぱぱっとグーグルで検索(巷ではこれを「ググる」というそうだ。知っていたか?)してみたら、確かに溢れんばかりの情報が手に入った。材料は小麦粉とベーコン、ネギ、青のりにキャベツとそう入手困難なものではない。水に溶いた小麦粉に具を入れて、それを鉄板またはフライパンで焼くだけ。

 それを読んだ時、私は勝利を確信した。天は我に味方せり、我奇襲に成功せり、殿、今川勢は田楽狭間で酔いつぶれておりますっ!

 その日の午後、私は嬉々として過ごした。無論仕事には影響は出ない。入社してからしばらくの間に、私はともや関連のことが頭に入ると、脳と手を遮断する術を手に入れた。だから雨の日も晴れの日も朋也を案じている時も朋也に会いたくてウキウキしている時も、指先は正確にキーボードを叩く。そしてオートパイロットのまま同僚の一.五倍の仕事量を終わらせると、私はコンビニに寄って物資補給した後、アラ・クイズイン。

 数分後に、私は具を整え、フライパンもいい具合に熱を帯び、にやりと唇を左右に吊り上げた。

 

 が

 

 その時点で詰みだったのだ。「自分は天下の織田信長だと思っていたら、舞台は本能寺になっていた」何を言っているのかわからないとは思うが、私も何がどうなったのか、その時はよくわからなかった。気がつけば、フライパンの深みが三センチほど減っていた。

 そもそも、熱して焼くということは水分を奪い、熱を通して化学反応を起こすということ。ではなぜ化学反応が必要か。そのままでは消化できないからである。全体に火を通さなければならない食材の場合、じっくりと弱火で熱しなければ内部に熱が伝わる前に焦げてしまう。豚肉でもとり肉でも立証されてきた、いわば料理の常識。

 しかし、ここにその常識を覆す猛者がいた。私が語ったのはあくまでも固体の調理法。私の目の前にあるそれは、どろりとした流動体だった。含有する水分に邪魔され、熱が通りにくく、そうこうするうちに表面がフライパンと化学反応を起こして焦げ始める。ひっくり返そうにも、まだねばねばどろどろなので上手くいかない。そして結果、お好み焼きになるはずだったものはフライパンと同化し、台所には敗北のにおいが充満して、私の目からはいろんな意味を含む涙がこぼれた。

 ううむ、どうしよう。一応、初めてだからとは言ったが、ここまで見事に失敗するとは。かくなるうえは、「失敗しちゃった☆てへ」「ははは、おっちょこちょいさんめ」てなノリでやり過ごすしか

 

『 智代の料理で上手くいかなかったことなんてないさ』

 

 ずぅぅぅううううううううううん

 しまった。朋也に期待されていたんだ。ここで失敗したりしたら……

 

 

「智代……」

「……」

「おいおい、何だよ……俺、お好み焼き楽しみにしてたんだぞ」

「すまない……」

「すまないで済むかよっ!何だよそれ、ったく、ふざけやがって」

「……」

「あーあ、お好み焼きが食えるから残業もがんばれたのに、やってられねえよ、こんなんじゃ」

「……朋也」

「気安く呼ぶなよ、何だよ一丁前に女房面しやがって。あーはいはい、元不良の暴力女さんには女の子らしい家庭料理なんて夢のまた夢みたいなものですね」

「……うぅ」

「泣くなよ、気色悪い。そんなに辛いんだったら、とっとと実家帰れよ。いいか、これからマックで飯済ませてくるから、戻ってくる前に荷物まとめて出て行けよ」

 

 

「絶望だ……」

 私の脳裏を、最悪の事態が掠めた。料理はこれでも得意な方なんだ。そんな長所で負けて朋也を失うなんて、私にはできない。

「な、何とか……何とかしなければならない」

 私は腕まくりをして、そしてまずは後片付けとばかりに雑巾を手にしたのだが

「あ」

 腕が醤油のボトルに当たり、それがこっちに傾き

「なっ」

 私のタートルネックが醤油まみれになった。泣きたくなった。

 

 

 

 

 

 二十五時間後。

「やっぱこれだよなぁ」

 朋也が満足と宣言しているような顔でお好み焼きを頬張った。

「やっぱ智代って最高だな。飯もうまいし掃除もうまい、顔もうまけりゃ全部うまい。よっ、銀河一」

「そ、そんなに褒められると、照れてしまう」

「くぅ、照れてるところもかわいいぜ智代」

 さっきから俯いたりそっぽ向いたり朋也を見たりで忙しい私だが、顔が赤いのは最初からだった。

「でも智代、本当にこれ、今日作り始めたのか?何だかすごい経験者って感じなんだけどな」

 朋也がふと不思議そうに私を見た。すると私は少し誇らしげに胸を張った。

「うん、いい先生がいたからな」

「へぇ」

「私が生まれる前から主婦をしていたベテランだぞ?」

「そりゃすごいな」

 

 

 

その会話より五時間前、つまりお好み焼き黒焦げ事件より二十時間後

 

「いいですか智代さん」

 はい、と私はかしこまって返事をした。

「お好み焼きを甘く見て挑んだとは言語道断。お好み焼きは温度差とタイミングの芸術。繊細な神経と大胆な判断が織り成す、まさにアート。おわかり?」

「はい」

「よろしい……まぁ、あんなどこの馬の骨ともわからない男に食べさせるには黒焦げの失敗作ぐらいでももったいないのだけれど」

「む、何か言ったか、母さん」

「いいえ」

 ふふふ、と笑う母さんを見ながら、私はどことなく背筋がむずがゆくなるのを感じた。

「というわけで、お好み焼きに熱を通しきるには、そのねばねばどろどろを固体にしなければいけません」

「ふむ」

「そこでまずは最大火力でいきます」

「む」

 私は眉をひそめた。しかしそれでは表面だけが焼けてしまうではないか。

「そう、その通り」

「しかし……ああ、なるほど」

 私が納得すると、母さんは頷いた。

「そう。表面を焦がして引っくり返しやすくすれば、あとは弱火でも大丈夫。これがお好み焼きを倒す唯一の手段なのです」

「くっ、奥が深いっ」

 そののち、私は血がにじむような特訓をこなして、朋也の待つ家に帰ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やしょく

 

 

 

 

 

 ん?

 これで話は終わりだ。

 いや、ほ、ほんとうだ。嘘なんて、ついてなんか、ないからな。

 ……

 …………

 ……………………

 仕方のない奴だな。あまりしつこいと嫌われるぞ?

 ああ、確かにさっきのは後日談のような話だ。実際にはまぁ一悶着あったわけだ。まぁ、なかったら私の妄想した最悪が現実となっていたわけだからな。

 さて、慌てて片づけていると、醤油まみれになってしまったわけだが、私は慌ててそれを脱いで洗面所に駆け込み、できるだけ水で流して、そして洗濯機を起動。時間がないのでそのままエプロンを着て、フライパンから焦げたお好み焼きの素を引っぺがしす。くそ、とれない。早くしないと朋也が帰ってきてしまう。これからまた作らなければならんと言うのにっ

「あー疲れた。おーい、帰った……ぞ」

「……」

 終わった。

 私たちのアパートは、前に住んでいたところと同じように玄関からそのまま廊下を通れば台所である。だから、その時も私が必死になって飯マズ不良嫁の失態を隠そうとしている醜態は、見事朋也に見られてしまったわけである。私はあまりのことに、朋也から目を逸らして淡々と台所の片づけを続けた。そうでもしないと、泣いてしまいそうだったから。

「……智代」

「おかえり、朋也。その、お疲れ様」

「……ああ」

 感情のない声で朋也が答えた。ああ、私たちの愛は終わった。朋也の目には、私が醜くあがこうとしていたところが焼き付いてしまったのだろう。マクドナルド、せめて今夜は朋也においしいご飯を。私には、そもそも無理だったようだ。

「すまない、まだ用意ができてないんだ。その、もう少しだけ待ってくれると、その、ありがたい」

「……」

「ま、まだ不慣れなんだ。妻として失格なのは自覚しているが……」

「……」

 ダメ、か。

 朋也はもう、私に何も言わない。答えてくれない。呼んでくれない。

 私はどうしたらいいのだろうか。

「…………ぃ」

「い?」

 朋也がいきなりぼそっと「ぃ」と言ったこと、そしてその声が真後ろから聞こえたことにびっくりして振り返ろうとしたが、それは叶わなかった。

「いやっっほおおぉおおおおおおおうっ!!岡崎最高っ!!」

「なっ」

 よくわからないまま抱きあげられ、そしてそのまま叫ばれてしまった。

「と、朋也、何だ、何が起こってるんだ」

「いやぁ、確かにお好み焼きを頼んだけどさ、そりゃそうだよな、こりゃ俺の好みだわ」

 すりすりと頬ずりしながら朋也が言った。声からして、どこかにトンでるようだった。

「あ、でもまだ調理は終わってないのか……まぁいいや、俺が料理するって楽しみを残しておいてくれたんだな」

「すまない、何を言ってるのかぜんぜんわからない」

「ははは、恥ずかしがるなって。ツボのど真ん中だぜ、智代」

 それでも何が何だかわからずにいると、朋也がとうとう鼻の下が二メートルほど伸びた状態で言った。

 

「半裸エプロンなんて、結構狙ってくれちゃうじゃないか、智代」

 

 あ。

「ちょ、ちょっと待て朋也、違うんだ、そういうわけじゃなくてだな」

「そーか、まだ作りかけ、つまり生か。つまり今夜は生でしてほしいわけだな」

「違うっ!い、いや違わないが、想定外だっ」

「しかし旦那が腹をすかせて帰ってきたのに、まだできてないってのはいけませんねぇ。あーくそ、あんまり腹が減ってるんで丸ごと食べちまいたいぜ」

「どうせそうするくせにっ!あ、ま、待て朋也、私の話を……」

 とうとうお姫様抱っこされる私。ぽかぽか叩いても朋也には効果がなかった。目がマジだった。

「言い訳は褥で聞く。さてと、好みの材料は入手したから、あとはじっくり熱して料理するだけだ」

「だから、お前はいつからこんなに聞き分けが悪くなったんだっ!って、わ、もうこんなに立派になって……じゃなくてだな、だからやめ、ちょっおまっ、料理中なのにエプロンをぬが、ぬがす、ああっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この後夕飯夜食朝ごはんときっちり美味しくいただきました。 (朋也)

 

 

 

 

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