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ともざくら

「ねー、もうそろそろあの桜、咲き始めるよね」

「まだだよ。何、君江はあの桜のこと知らないの?うちの学校の七不思議じゃん」

 

 


 春になると、私はこの手の話をよく聞くようになる。今日は二年生二人が廊下で盛り上がってるようだった。

 

 


「七不思議ぃ?何それ」

「あのね、あの桜は夏にならないと咲かないんだよ。みんな夏休みに入っちゃった後に、あたかも春の訪れを祝うように盛大に咲くんだ」

「うっそぉ」

「ほんと。部活の先輩も顧問の先生も、夏の練習期間によくあれを見て首捻ってるんだよね。何で夏に、って」

 

 

 


 私は知っている。あの桜は、ただの桜じゃないから。

 

 

 


「あ、岡崎先生だ」

 二年生のうちの一人が、私を見て声をかけてきた。


「先生は知ってますよね、この学校の七不思議を?」

「えーっとどれどれ、真夜中にボンバヘッを歌い始めるベートーベン、好きな人と二人だけで入ると、上半身裸にならないと開かない体育館倉庫の扉、ウサギとシカと好きな人の幻が時々見える一ノ瀬寄贈図書館、時々学食に出回る最凶のパン、あと」


 

「ともざくら」


 

 一瞬、時間が止まった気がした。

「ともざくらと、ともざくらの美女」

「ともざくらの美女?何それ」

 不思議通の二年生が、連れを憐れむような目で見る。

「あんた本当に何も知らないのね。ともざくらが咲き始めると、どこからともなく現れる謎の銀髪の美女よ。何かをするってわけじゃないんだけどね、ただ、その人ずっとともざくらを見守ってるんだよね」

「へー、誰だろそれ」

「でさ、聞く噂だと、ともざくらの美女は学校の事なら何でも知っていて、知恵の神様なんじゃないかって」

「何なにぃ、ともざくらの話?」

 二年生がもう一人やってきた。高校生はほんと、こういう話が好きなんだね。

「ともざくらの美女の話。ほら、知恵の神様よ」

「えー、違うよ」

「え」

「ともざくらの美女はね、恋愛の女神よ。会えたら恋愛が成就するだけじゃなくて、永遠に続くの」

「ホントそれ?」

 私も会いたいなぁ、と物知らずの女の子が桜を見ながら呟いた。

 

 

 

 

 職員室に戻り、机に置かれた冷めかけのお茶を啜る。

  ともざくら。二本しかないから共桜、と書くんだろうか。それにしても出来すぎた名前である。まさかね、と思ってしまう。

 しかしともざくらの美女に関しては、もう言葉も出ない。そりゃあ、知恵の女神でしょうよ。伝説の生徒会長が毎年毎年誰かの悩みを聞いては助けになってあげてるんですもの。恋の女神?あの人ほどそれが似合いそうな人はいない。永遠の愛を地で行ってる人だ。

 私は苦笑した。

 

 

 

 

「今日ね、またママの話が出てきたよ」

 ママはふとキョトンという顔をすると、苦笑した。

「またか」

「ママはもう学校じゃ七不思議にされちゃってる」

「学園祭にクマが出回って不埒な連中をなぎ倒しているんだとしたら、あれは私ではない」

 ですよね。

「私の弟子だ」

 でしたか。

「それじゃなくてね、そうじゃなくてね」

 ふと、私は言葉に詰まる。

 この人は強い人だ。母に捨てられてからの数週間、そして母が亡くなって私が上京する際にこの人の養子になってから八年、私はこの人の強さには驚いてばかりいる。

 でも、それでもあの話は自然と避けている。私が弱いのかもしれない。私自身、話すと嘘のような量の涙を流してしまうかもしれない。それほどあの夏の一時は輝いていたから。

「どういう話だ」

「ママは、知恵の神様だとか、恋の女神だとか言われてるよ」

「女神か。私が高校生の頃は、どこぞの馬鹿が私が女だということを疑っていたようだが、その疑いが晴れてよかった」

「何それ、ひっどーい」

 私とママは笑いあった。笑った後、沈黙が訪れる。

 

 

 

 

「とも」

「何」

「私の噂は、ともざくらの話、ではないだろうか」

 一瞬、息が止まるかと思った。

「知って…いたの」

「あの桜以外の場所で、生徒が私のことを知る機会はもうないからな」

 まったく進学校の生徒がそんな話にうつつを抜かしていて、とママはメガネを拭きながら笑った。

「ともざくら、か。まさかな」

「片方がオスで、片方がメス。だから、ともざくらは伴桜かもしれないね」

「そう、だな」

 

 

 まさか。

 まさか智桜でも朋桜でもないだろう。

 

 

 

「学校の方はどうだ?」

「今年はもうね、大変だよ。最近増えてるのかな、進学校でも騒いでいたいとかいう馬鹿」

「それは大変だな。そうだ、私が一度」

「結構です」

 ママが驚いた顔をした。

「どうして」

「どうしてって」

 ママは知恵と恋愛だけでなく、武勇の女神にもなりたいらしい。

「生徒会…はどうだ」

「がんばってるみたいだね。今年の会長なんか、『この学校の二人の名生徒会長に負けないよう、がんばります』って息巻いてるし」

「そうか」

 台所で食器を二人で洗う。ずっと昔から、台所はママと一緒に過ごした。

 

 

 

 

 

 そう、あの夏、私はママとずっと一緒だった。パパ、そう、私のたった一人のパパは、確か鷹文おじさんと一緒だった気がする。あの二人はできてるんだぞ、とママが真剣な顔で言ったせいで、その言葉がどういう意味なのか知った時は、息ができなくなるくらい笑った。

 

 

 

 もう昔の、一夏の話だ。

 

 

 

 

 

 

「うす。あれ、義姉ちゃんは」

 ジィ、ジィという蝉の声にも慣れてきて、日傘が必要になり始めた時期、あの人がひょっこりやってきた。

 連絡ぐらいしてくれればいいのに。

「何言ってるの、かなちゃん。今日は」

「あ、そっか」

 馬鹿だねあたし、と笑った後で、かなちゃんの表情が陰る。

 

 

「あの日なんだよね」

「そうだね」

「ともは、見に行かないの?」

「だって、ね。無粋な感じにならない?」

 私が肩をすくめると、かなちゃんも笑った。

「そうだよね。二人きりがいいよね」

 蝉の鳴き声が青空に響く、暑い夏の日。

 今日は特別な日だ。

 そう、今日はともざくらが咲く日。

 

 

 

 

 

 

 

 夏の入道雲に似合わない、桃色の雪が降る。

 私は母校の前で、たった二本だけ残った桜の美しさに、声を失う。

 

 毎年毎年、ちゃんと咲いてくれてるんだな。

 

「朋也」

 声に出して言ってみる。桜が風に揺れた気がした。

「また、来たぞ」

 桜の花びらが私の髪にかかる。

「ともは元気だ。生徒にも好かれているようだし、見ていて勇気というか、そういうものが湧いてくるからな。いい先生になっているようだ。
 鷹文と河南子も心配はいらない。そうだ、最近娘の文子に会って来た。河南子に似ているんだが、鷹文みたいにおとなしい子だ。お前が会っていたら、ベタ惚れだったと思うぞ。実際、私が目に入れても痛くないんだ」

 さぁぁ、と枝が揺れた。笑い声に、聞こえた。

「私…か。いつも通りだ。リハビリセンターでやっていってる。そうだ、ともに言わせると、私とお前の逢瀬は、この学校の七不思議になったそうだ。夫婦らしいだろう」

 それ以上言葉が続かない。言葉に出してはいけない気がした。

 そう、私は幸せなのだ。ともがいて、鷹文がいて、河南子がいて

 

 

 

 

 お前がいない。

 

 

 

 

 固い感触が頬を刺激して、涙が止めどなくこぼれだした。いつのまにか私は桜の木を抱きしめていた。

 なんだこれは。泣かないと決めたじゃないか。悲しまないと決めたじゃないか。私と朋也は永遠の愛で結ばれている。最高の夫婦だ。悲しむことはない。憂うこともない。嘆く理由など、ありはしない、はずだ。私は強いんだろう?強い、はずだろう?

 

 

 泣かない。

 

 

 嗚咽なんか漏らさない。

 

 

 

 無理だった。

 私は桜の木にすがった。樹皮に顔を押し当て、手で幹をさすった。

「すまない…わた…私は、お前が…ぁ…お前を…」

 かけがえのない日々があった。それだけで生きていこうと思った。世界は美しく、人生はかくも素晴らしい。だから生きていこう、朋也が見せてくれたこの世界で。そう誓った。

 

 

 

 リハビリセンターで働き始めたころは大変だったんだ。一人ひとりがお前に見えてきてな。それだけで涙をこらえるのがきつかった。大変でしょう、最初はみんなそうだものね、と何も知らずに言ってくれた先輩の胸に泣きついたこともある。

 今はだいぶ慣れた、と思えるようになってきた。でも、それは違う意味で辛かったんだ。

 

 

 もういない。

 もうお前の代わりなんていない。

 誰も、お前じゃない。

 

 

 

 

 

 


 どれだけ泣いただろうか。

 誰かのぬくもりが、肩に感じられる。心を温めてくれる、優しい、ぬくもり。

 振り返ると、私はあり得ない光景を目の当たりにしていた。

 満開の桜並木。雨の如く流れる桜花の花びら。春の優しい日差し。そして

 

 

「待たせたな」

 

 

 私のたった一人の、最初で最後の、かけがえのない人。

「朋也…」

「悪い、寝坊しちまってさ。やっぱお前が起こしてくれないとダメみたいだ」

 ははは、と笑う朋也。視界が歪み、私は彼の胸に飛び込んだ。

「朋也…朋也っ!」

 言葉にならない思いだけが、喉から溢れ唇から滑り落ちていく。それを、彼は全て受け止めてくれた。

 

 

 

 

「私は…ひとりになっても、歩いたぞ。お前との日々で、お前のいない日々を埋めたぞ」

「わかってる…お前はすごい人だ」

「強さは、それはお前と私の心の絆だ。そう想いながら歩いたぞ」

「ああ、わかってる。お前は強いな」

「ずっとお前だけを愛した。お前だけを想った。お前だけを慕った。こんな女、世界中のどこにもいないぞ」

「ああ、わかってるよ智代。お前は俺の最高の妻だ」

 

 

 

 しばらく目を瞑って彼に抱かれた。懐かしい匂いが胸を満たした。

「実は、あの後も何度かお前の所に行こうと思ったんだ。この世界は美しく、しかし残酷だった。美しさの理由は、ところどころにお前がいたからだ。お前との日々の欠片が、光を浴びてキラキラ輝いていたからだ。だけどお前がいないのなら、それもすべて色あせてしまうからな」

 彼は私を責めずに、ずっと黙って聞いてくれた。

「でも、それは望んでいたことじゃなかった。私が望んでいたのはお前だ。お前のいない世界から逃げることじゃない。この世界に少しでもお前が残っているんだったら、私はそれを見守っていてやろうと思ったんだ」

 だから、こんなに遅れてしまった。そう弁明したつもりだった。

 

 

 

「言っただろ」

 不意に朋也が私の耳元で言った。

「だったら、俺がお前の所に行くって」

 桜並木が光を増していく。私は顔をあげて、朋也の顔を見つめた。

「迎えに来たぞ、智代」

 彼が私の顔を引き寄せる。唇が重なる。

 長い間していなかったはずの接吻。しかし私はあたかもそれが昨日の出来事であったかのように覚えていた。忘れて、たまるものか。

 

 

 

 

「愛しているぞ、智代」

「愛しているぞ、朋也」

 

 

 

 

 

 

 

 義姉が桜参りから帰ってくるのがあまりにも遅いんで、私たちはアパートを出た。この時私は、もし義姉がまた悪漢を退治しているとかいう話になったら厄介だな、としか思っていなかった。

 しかし、学校の校門に来た時、私とともは立ち尽くしてしまった。

 

 

 ともざくらの美女。その呼び名にふさわしい女性は、オスの桜に体を預け、眠っていた。何故だかわからないけれど、もう目覚めないんだな、という気がした。

 

 

 義姉の周りには桜の花びらでできた小さなハートマークが落ちていて、彼女の周りに輪を作っていた。華奢で、本当に女として羨ましいほどきれいな指は、左の薬指にしてある銀色の指輪を愛おしげに包んでいた。

 寝顔は、ハッとするほど美しく、見ているこちらが幸せになるほど優しげで安らかだった。

 

 

 

 医師によると、クモ膜下出血だったらしい。

 この頃、頭痛を訴えていたとかそういうことはありませんでしたか、と聞かれたが、私もともも首を縦に振ることはできなかった。そんなことはおくびにも出さない人だった。

 

 本当に、突然逝ってしまった。

 

 

 

 

 

 葬儀には、本当にいろんな人が来てくれた。通いつけのパン屋や文子の保育園の先生に交じってあの芳野祐介や、世界的に有名な一ノ瀬博士が来た時は、さすがに驚いた。

「義姉ちゃん、こんなに知り合いがいたんだ…」

 春原エンターテインメントの社長が号泣するのを見て、私はふと呟いた。鷹文が苦笑する。

「やっぱすごかったよな、ねぇちゃん」

 うん、本当にそう思う。

 

 

 

 強い人だった。あの山奥の村で、熊の着ぐるみ姿の義姉と戦った時、かなわないな、と思ったことがある。どこをどうやって闘っていけば、あんなに強くなったんだろう、と悩んだ時もあった。

 

 

 

 でも、これは別の強さだった。あいつが倒れてからも、義姉は希望を捨てず、あの残酷な運命の遊戯に付き合い、泣きながらもあいつの傍を離れなかった。そしてあいつが記憶を取り戻した時も、最後の日々を美しく歩んで行った。あいつが亡くなった後、私は義姉が壊れてしまうのではないかと悩んだこともあった。山奥の時みたいに錯乱するのではないか、と。でもそれはすべて杞憂だった。

 ある日、私は夕焼けの海を一人で見つめる義姉の背中を見たことがある。黄昏の海はそれだけで寂しげで、並の女なら悲壮感満点のお涙頂戴なシーンだっただろう。全米が泣いた、って感じで。

 でもあの人は違った。その背中は強く、凛々しく、美しかった。あれは証しだったのだ。人は一人では生きていけないかもしれない。でも、二人の絆は死なんかでは壊れない。私と朋也は繋がっている。だから永遠の愛は存在するのだ。あの背中はそう語っていた。誇らしげに。気高く。後悔なんて、どこにも見当たらなかった。

 それを見た途端、私は赤子に戻ったかのように泣きじゃくり、鳴き喚いた。私の浅はかで子供っぽい信条なんて、あの人の信念に比べたら、ひどく矮小で下らなく感じられた。

 どこをどうやって歩いたら、あんなに強くなるんだろう、と思った。

 かなわない、と思った。

 

 

 

 

 

「しかしまあ」

 鷹文がふと微笑んだ。

「にぃちゃんとの結婚記念日に、あんなに安らかに眠れるなんてさ、やっぱすげえよな」

「あるからだよ」

 え、と鷹文が私を見る。

「永遠の愛って、あるからだよ」

 鷹文は私を凝視する。

「何よ」

「意外だなぁって。永遠の愛なんて存在しないって、ずっと前から言ってたじゃないか」

「いつの話?大体さ、そんなの、あの二人見てたら間違いだったってわかるじゃん」

 そっか、そうだよなぁ、と夫は頭を掻いた。こいつもすごいな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 義姉の死で一番悲しむのは私かともなんじゃないか、と思っていた。いや、ともだろうな、そう予想していた。しかし鷹文は義姉の遺体を見た途端、咆えた。こいつこのままどうなっちまうんだろうと思うくらい泣いた。声が嗄れ、涙も涸れてもまだ悶えた。私が抱きしめ、頭をさするまで鷹文は悲しんだ。それだけ悲しんだのに、喪主として立派に頑張っている鷹文。

 本当にこいつらにはかなわない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「七不思議ぃ?何それ?」

 廊下で二年生がけたたましく笑う。

「知らないの?あのともざくらの話?」

「ともざくらって、校門の前の?」

「そうそう。先輩から聞いたんだけどね、あそこで愛を誓うと、その愛は永遠のものになるの」

「うっそだぁ」

「ちょっと聞いてよ。でね、先輩によると、誓ったら辺り一面桜並木が見えてさ、その先に青髪の男と銀髪の女が見えたらね、叶うんだってさ。何でも、あの桜の木の精らしいよ」

 

 

 

 

 

 桜の木の精、ね。

 私は苦笑する。そして窓の外で仲睦まじく立つ二本の桜に目をやる。

 いつか、教えてやろうと思った。

 悲しくも美しい、そして気高き愛の話を。

 

 

 

 あの夏の思い出を。

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき
 この作品は、「智代アフター」をクリアしたあとに考え付いた、私なりの答えです。

 あのゲームには確かに満足できない所もあったかもしれません。最後のところは、確かにもう少し書いて、朋也と智代の会話を聞きたかった。しかしそれでも私は言いたい。あれは素晴らしい作品であった、と。

 朋也の死は確かに辛かった。何でお前死んじまうんだよ、何で智代はこんなに苦しまなきゃいけないんだよ、と思いました。

 しかしその一方、あの終わり方だからこその感動もありました。鬱になりかけ悩んだ結果、あれでいいのだ、と肯定できるようになりました。だからこれはその後のみんなを補足するような話と見ていただければと思います。

 ちなみにあのEDは卑怯だと思います。智代の後姿を見て泣きそうになりました。で、泣けなかったから「もしかするとここで泣けない俺は人でなしなんじゃねえか」と思ったりしました。あれを見て、可愛い、とか可憐だ、とかいう形容が智代には合わなくなったと感じ取りました。美しくなったな、お前。それが素直な感想でした。

 駄文を読んでいただき、感謝します。

 

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