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 ふんふ〜んふんふん♪

 彼はご機嫌な顔で廊下を闊歩した。その顔の左半分を覆う髪のせいか、あるいは眼鏡のせいか、彼は普通暗いイメージのある人物として知られていたので、鼻歌交じりのスキップは、一般生徒どころか教師たちをもびっくりさせた。

 彼の名前は末原悠仁。光坂高校生徒会の、栄えある副会長である。

 副会長というからには生徒会長という一ランク上の存在がいるのだが、その生徒会長殿は高校の歴史上珍しい女生徒であるがため、一番偉い男子と言えば彼になる、とも言えた。

 そして今日は男子生徒にとっては結構お得な日だった。二月十四日、巷で言うところの聖バレンチアヌス祭、またの名をバレンタインデーである。全国で恋する乙女が憧れの彼にチョコレートという形で愛を表現する日である。

 ならば、と彼は眼鏡を光らせた。

 ならば、男子生徒一偉い僕には、チョコレートがいっぱい来るはずじゃないか。それに僕は生徒会の役員の一人。現生徒会は何とも嬉しいことに七名中実に五名が女子。義理であっても五個は堅い。これを楽しみと言えずに何を楽しみと呼べるだろうか。

 無論この考えにはいろいろと問題がある。実際には彼の嫌味っぽい態度や空気の読めないところ、そして少しばかり自分の立場を鼻にかけた雰囲気からして、彼はあんまり一般女子から好かれていなかった。彼に好意を抱いている生徒は実のところ、光坂高校在学生七百余名中一人しかいない。これを知ったらさぞかしがっかりするだろうが、これは彼が見下し唾棄する岡崎朋也なる生徒のことが好きな女子に遠く及ばない。数値とは実に残酷なものである。

 

 この話は、そんな彼の見識違いが生んだ、ちょっとした騒動である。

 

 

 

 

 

 

 

 末原悠仁副会長は大変なフラグを立ててしまいました

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、禁句なんですか」

 私は金森さんに訊き返した。

「そうね。できるだけ会長の前では普通にふるまってた方がいいと思う」

「坂上さんは、件の方のことを今でもお慕い申し上げているようですから」

 野中さんも眼鏡をくい、とあげげながら微笑んだ。少し鋭そうなところのある金森さんとは違って、野中さんを見ていると和むなぁ。

「じゃあさ、会長も岡崎さんだっけ?岡崎さんにチョコ渡せばいいのに」

「渡したら、辛い思いをしてまで別れた意味がないんじゃないの?会長ってば、桜並木の一件を何とかしてからでないと岡崎先輩に会わないって決めてるようだし」

 金森さんがため息をついた。

 坂上智代生徒会長は、今では光坂高校の名物とも言える人物である。美人で凛々しく、無理や理不尽を押しつけてくる上級生には一歩も引かず、しかし下級生には優しい。運動神経もずば抜けていて、そんじょそこらのいわゆる「エース」では話にならないくらいスポーツは得意のようだ。噂ではそんな好人物である上に女の子らしさを求めていると聞く。自然と超人気な有名人となり、生徒はもちろん教師からも一目置かれている存在である。

 しかし、彼女の道は決して平淡ではなく、また彼女の目指す場所は決して低くはなかった。一度は決まった通学路の拡張、そしてそれに伴う桜並木の伐採計画を阻止することを目標としている彼女には、想い人がいた。岡崎朋也というその三年生はしかし、会長とは逆の意味で有名だった。遅刻や無断欠席の常習魔であり、また補習などの常連であった彼に、なぜ会長が魅かれたのはわからない。しかしこのまま行けば会長の目指す高みには辿り着けないだろう。そんな懸念が生徒会役員の間で囁かれ始めた頃、この二人の関係は唐突に終焉を迎えた。二人の間にどんな話し合いがあったかはわからないが、私達女生徒会員同士のコンセンサスは、少なくとも会長はこの岡崎という男への想いを捨て切れずにいるということだった。

「こっそりでもいいんじゃないかなぁ……下駄箱に入れとくとかさ」

「そういう器用な真似ができないのが我らの会長じゃない」

「乙女心とは、かくも奥深い物なのです」

 うんうん、と金森さんと野中さんが頷いた。

「だから、会長としては恋人恋愛とかのキーワードが飛び交う今日なんてさ、もう仏滅と十三日目の金曜日が重なるくらい気の重い日なんだろうね」

 ふと思い出した。確か、去年のクリスマスも会長は教師陣の提案した「風紀が乱れるから」と校内でのクリスマスプレゼント交換禁止令を結構真面目に検討していた。確かにあげたい相手がいるのにあげられないという辛さはきついものがあるだろう。特にそれが自分だけ、という状況なら尚更だ。

「よく今日も廃止にしなかったね、会長」

「まぁ、結局そこでわがままになりきれないところもまた、会長らしいけどね」

「凛とした態度で問題に立ち向かい、節度をもって行動する。しかしそのために他人の楽しみを奪ってしまうほど冷徹になれない。そんな坂上さんだから、皆さんが惹かれたんじゃないでしょうか」

 野中さんの話に、私は確かに、と思った。結局クリスマスの時だって「節度ある行動を」と触れ回っただけに留まったわけだし。

「そんな会長なんだったら、私達のことも大目に見てくれても……」

「岡崎先輩と別れろと暗に言ってた私達生徒会役員を?大目に?」

 うぐ、と私は金森さんの鋭い発言に言葉を詰まらせた。

「特に末原さんなんて、露骨に言ってましたからね……坂上さんのお気に触るようなこととかおっしゃらなければよろしいのですが……」

「好きな人があんなんじゃ、大変だよね、ちーちゃん」

「な、なななななっ?!」

「ななが三つで二十一ですよ、安倍さん」

 のほほんと微笑む野中さんを無視して、私は金森さんに食って掛かった。

「わ、私が末原君のこと、好きだなんてっそのっ」

「恋って顔によく出るものなのよねぇ。ちーちゃんよく副会長のこと見てるしぃ」

「しのぶれど 色にいでにけり わが恋は、ですね」

「違うよっ私、末原君のことなんて好きってわけじゃなくて、違うよ、ホントだよ?」

「そうむきになる所がねぇ」

「恋とは面白いものですねぇ」

「もうっ!!」

 ふふん、と涼しそうに笑う二人の前で、私は確かに真っ赤になってたと思う。

「でもちーちゃん、もし副会長が部屋の外で盗み聞きなんてしてたら、今の言葉どう取るかなぁ」

「えっ……あっ、ええっ?嘘、聞いてるの?」

 私は思わず廊下にババン、と出て辺りを見回した。大丈夫、来てない。聞かれてない。

「もうっ!いないよ、末原君」

「こういう風に反応してくれるとねぇ」

「悪い悪いと思いつつ、ついつい遊んでしまう。ああ、人の性とは何とも罪深きものですね」

 くすくす笑う金森さんと野中さんが恨めしかった。そんなに乙女の恋心を弄ぶのが楽しいかっ

「とまぁそういうわけで、副会長への愛情のこもったチョコは、会長のいないところで渡すべきだと思うよ」

 ぽんぽん、と金森さんが私の肩を叩いた。く、屈辱だぁ。

 

 

 

 

 

 その頃坂上智代は頭痛に耐えながらも何とか自我を保って生徒会長室へと歩いていた。

 今日はバレンタインデーらしい。朋也。自分の好きな人に女の子がチョコを渡す習慣が日本にはあるらしい。朋也。町には恋人があふれ、店のショーウィンドウにはLOVEの字が散りばめられている。朋也。そんなこととは無縁だった私にも、好きな人が去年の夏あたりにできた。朋也激ラブ。本来なら私だってこういう行事に参加する資格はあるはずだ。朋也。それはとっても女の子らしいことに違いない。朋也。そういうプレゼントを渡せたら、どんなにいいだろう。朋也ぁ。なのに私ときたら、あんなにいい人の手を離してしまうなんて……朋也……ああ、会いたい会いたい。朋也。会って抱きしめたい、今すぐ。朋也ぁ。

 と、この通り一杯一杯な智代さんである。そんな彼女が廊下を歩いていると、

「……しっかしいつ見てもダセぇ高校だよな、ここも」

「ああ。ったく、生徒もどいつもこいつも澄ましやがって」

 ぴくん、と智代は反応した。今の口調、絶対にこの学校の生徒ではないな。他校の生徒がここに侵入しているだと?許すわけにはいかないな、学校の治安のため、朋也みたいな生徒の安全のため、そしてちょびっと私の精神ストレス解消のため。

 智代は話し声の聞こえた部屋を確認した。資料室、か。そう言えば、資料室には面白い生徒がいるという噂を聞いたことがある、と智代はふと思い出した。何でも、資料室に行けばコーヒーが飲めるとか、ピラフが食べられるとか、強面のあんちゃんに絡まれるとか。とにかくそういう噂があるのだったら、生徒会長としては確認せざるを得ない。そんな使命感も先ほどの動機に付け加えられ、智代は資料室の扉を開け放った。

「失礼するぞ」

「なっ、何だてめえはっ!!」

 そこには二人の茶髪にピアスをつけた男が机に腰掛けていた。そのうちの一人が立ち上がる。

「ずいぶんな挨拶だな。私はこの学校の生徒会長だが?」

「生徒会長?生徒会長が何の用だ」

「生徒会長が学校の敷地内にある資料室に入ってはいけないのか?それともお前らの学校なり工場なり動物園なりには資料室がないのか」

「てめぇ、言わせておけば言いやがってっ」

「訊かれているから答えただけだ。それより今度はこちらからも質問させてもらうぞ」

 不意に智代の周りの空気が張り詰めた。汗が男達の頬を伝い、未だに座っていた男も立ち上がった。

「この学校に何でお前らがいる?この学校が私、坂上智代が会長を務める高校と知っての狼藉か」

「さ、坂上……!!」

「智代、だとっ!」

 一歩下がって半身の構えをとる男達。

「ほう?私に戦いを挑む気か?」

 しかしその一言で、男達は唇を噛んで腕を下ろした。

「お前とやるつもりなんて、ハナからねぇよ」

「くそっ、よりにもよって坂上の高校に来ちまうとはなっ!」

 吐き捨てるように一人が呟く。その忌々しそうな表情を見て、智代は内心ほっとした。どうやら本当に彼女に決闘を申し込んだりするつもりで来たわけではないらしい。

「では、再度訊こう。何でここにお前達がいる?」

「俺達はただ、ゆきねぇに会いに来ただけだ」

「ゆきねぇ?」

 智代は訊き返した。聞きなれない名前だった。

「ああそうさ。今の時間なら俺達以外に時間空いてる奴いないからちょうどいいって思ったんだがよ」

「何でまたその女子生徒に会いに?」

 まさかいけない企みとかあるんだろうか。恐喝とか、そういう類の話なら容赦はしない。

「その……何だ、あれだよ」

 不意に男達の目が泳ぐ。智代は目を鋭くして、一歩彼らに踏み出した。これでいつでも戦闘状態に移行できる。

「何だ?言ってみろ。男子生徒、しかも体格の大きめな他校の生徒が、多勢に無勢で我が校のいたいけな女子生徒に、こんな人気のない部屋で何の用だ?」

 返答次第では、こいつらは生きてこの部屋を出られないだろう、そう智代が心に誓った時、不良の一人が漏らした。

「今日はその、バレンタインデーだしよ……」

「……は?」

「い、いやだからその、今日はバレンタインデーなんだし、ゆきねぇからチョコを貰おうと思ってよぉ」

 でへ、でへへと照れ笑いをする不良たち。茶髪にピアスがそんな風に笑ってもゼンゼンかわいくなかった。

「よりによってこいつらですら楽しみにできる日なのに……」

「あ?何か言ったか?」

「うるさい黙れ。お前達のような不良は今すぐ私が引導を引き渡して地獄の底に蹴り落としてやるべきなのだろうが、今日は恋人達の祝いの日ということで特別に免除してやろう。どうだ、女の子らしいとは思わないか」

「え、女の子、らしい?」

 思ってもみない言葉が智代の口から洩れたのを聞いて、男達は顔を見合わせた。

「女の子らしいかと聞いている!返事は『はい』か『イエス』か『左様で』のいずれかだっ!!」

『さ、サーイエッサーッ!!』

「私を馬鹿にしているのかっ!『サー』は男に使う尊称だろう!!」

『さ、左様でございますっ!!』

 あまりの剣幕に押されて、二人は直立不動の体勢で答えた。

「まったく……くれぐれも人様に迷惑をかけるなよ?」

「お、おう」

「わかったって。じゃあな、坂上」

 ふん、と鼻を鳴らして智代が部屋を退出し、男達が一命を取り留めようとした時、

「あ、そう言えばよぉ」

 一人の勇者(バカと読む)が言わずともよいことを言ったため、事態は急変した。

 

 

「坂上はチョコとかやらねえの?」

 

 

証人:野球部員谷口

「いやさ、何だか『余計なお世話だぁあああああっ』とかいう叫びと、絶叫が聞こえてさ。何か校舎のうちの一つの部屋が青白く光ったんだよね。で、次の瞬間何だかすごい勢いで何かでっかい物が二つ、空の彼方に飛んでったわけ。あれ、何だったんだろ?」

 

 

 

 

 

「だ、だいたいさ、そういう野口さんや金森さんはどうなわけ?わ、私のコイバナなんかよりもそっちの方が興味あるよ」

「義理なら配ったわよ?あ、ごっめ〜ん、生徒会のメンバー忘れてた。これからちーちゃん愛しの末原君にチョコあげてくるね」

「私も情けないことに安倍さんが想い焦がれる末原君にチョコレートを進呈することを失念しておりました。申し訳ありません」

「もうっ!だから、何でそこに行きつくわけ?だいたいさぁ、私だけじゃないでしょ、生徒会メンバーの恋愛つーたら」

 私は近づいてくる足音を感知しながらそう怒鳴った。

「というと?」

 あくまでもとぼける金森さん。いいよもう、今見せてあげる。

「生徒会メンバーの公認カップルと言えばぁあああああああっ!!」

 すさまじい勢いで扉を開け、そしてこちらに歩いてくる者二名の首根っこをつかんだ。

「こぉいつらのことだぁああああああああああああ!!」

 そのまま二人を生徒会室のテーブルに乗せる。何がなんだかよくわからんという顔をする書記の箕島君と一年平役員の草津ちゃん。

「は?え?何の話?」

「いやぁ、生徒会の中でのコイバナと言ったら、君達二人だよね、って話」

「あ、安倍先輩、そ、そんな」

 草津ちゃんが顔を赤くした。うんうん、いいねぇ初々しくて。

「でも頼ピーと草っちの恋はもう成就してるしねぇ」

「まだ咲き誇っていない花にも、趣というものはあるんですよ?」

「え?何の話、それ?」

 箕島君が身を乗り出した。草津ちゃんも興味津々という様子。

「聞いて聞いて、そこにいるちーちゃんにもね……」

「わーわーわーっ!!」

 慌てて大声を出す私に、金森さんが意地悪く笑う。

「いいじゃない、どうせ公になるんだし」

「しないでよ公に!生徒会機密事項だよこれは!!」

「減るもんじゃなしぃ」

「私の青春の楽しみが減るのよっ!!」

 当分、生徒会室に平穏は訪れないらしい。

 

 

 

 

 

 その頃、男子寮では相良美佐枝が午後の緑茶を啜っていた。この時期になると、三年生は部活を引退して勉強に打ち込むから、男子寮はいつもより少しばかり賑やかになる。少しといっても、進学校であるために部屋に勉強仲間が集まるという程度なので、どこか清楚な空気がする。何といっても、今までさんざん平和をぶち破ってくれた馬鹿が実家で就職活動中なので、道理で静かにもなるわけだった。

「あ、馬鹿と言えば」

 美佐枝は相棒の虎猫に話しかけた。うなぁ、と返事をする。

「岡崎はどうしてるのかしらねぇ」

「なおー」

「何だか二学期になってから全然来ないわよねぇ」

 風の噂では、勉強とかをまじめにこなしていたらしいが、今では春原同様就職に勤しんでいるという話だった。

「ああいうのって、心配になるのよねぇ。ほっといたら、どうなっちゃうんだか」

「……」

「あら?何よ」

「……ぶにゃ」

「何不機嫌になってんのよ?」

 すると虎猫は「不機嫌になんてなってないやい、他の男のことを話されて嫉妬なんてしてないやい」と言いたげに鳴くと、美佐枝に背中を向けてしまった。

「まったく、何なのかしらね」

 美佐枝がため息をつくと、こんこん、と寮母室の扉を控えめに叩く音が聞こえた。

「はいどうぞ」

「あ、あのっ、美佐枝さんいますかっ」

 その声には聞きおぼえがあった。扉を開けると、確かに見知った女の子がそこにいた。確かラグビー部の主将の彼女の……名前は忘れたが、ちょくちょく恋愛のアドバイスを求めにやってくる子だった。

「あ、あの、実は、今日藤島君にどうやったらチョコを渡していいか、あの、その……」

 ふふ、と美佐枝は苦笑した。私に恋愛のことで聞くのは得策とは思えないんだけどねぇ、と思いつつも、美佐枝には首を横に振ることができなかった。

「そうねぇ、ま、とりあえず中に」

 そう言って彼女を招きいれようとすると

「みっさえさぁあああああああああああああああんっ!!」

 もう一つ聞き覚えのある声が聞こえてきた。何というか、あまり今聞きたくはない声だった。

「春原、あんた、何しに来たの」

「きまってるじゃないか。今日はバレンタインデーなんだし」

「……だから?」

「美佐枝さんからチョコを貰いに帰ってくるのは当たり前じゃないか。もう、照れちゃって」

 美佐枝はこめかみを押さえた。春原とは三年の付き合いだったが、未だにこの男の頭の中、そこで行われている理論構成を理解することはできていない。恐らく一生無理だろう。

「あのね、何が悲しくてあんたなんかにチョコをあげなきゃいけないのよ」

「またまたぁ、僕と美佐枝さんの仲じゃないか」

「どんな仲よ」

「ハンサムボーイとそれに惚れる母親役の美人さっ」

「はいはい。とにかくあんたにはチョコないからとっとと帰って就活してなさい」

「えー」

「えーもあーもいーもおーもうーもない。とっとと行きなさい」

「ちぇっ……あれ、君、その包み……」

 びくっ、とラグビー部主将の彼女が体を震わせる。怯えた目で春原を見ながら春原から逃げる。

「あはは、何だ、君、わかってるじゃん。僕のために用意してくれたんだ。んじゃ、いただき……」

「てんばぁあああああああああああああああああああああああああああああああああつっっ!!」

 怖がる自分の客人を見かねて、美佐枝はとっておきのプロレス技を春原にかけ、そしてゴミ箱に突っ込んでおいたのだった。

 

 

 

 

 

 再び生徒会室。

「でもなぁ、副会長をなぁ」

 箕島君が物好きめ、と言いたげに私を見た。ああ、いっそ泣きたい。

「まぁいいんじゃない?人それぞれで?」

「蓼食う虫も好き好き、と昔の人もおっしゃってますし」

 野中さん、それずぇんぜんフォローになってないよ。

「でも、そんなことを言ったら、会長と岡崎先輩だって……」

 草津ちゃんがおずおずと言った。そこにいた役員は全員「あー」と言ったきり、頭をかくなり視線を反らすなりした。

「そうだよな。まぁ、後味の悪い話ってのは承知なんだけどな」

「ちーちゃん、副会長にしっかり言っておいてね」

「だ、だから何でそうなるのっ?」

「噂では末原君が何度か岡崎さんと接触したと聞いておりますが」

「あー納得……じゃなくて、私が末原君を叱るって、何でそんなことまでしなくちゃ」

「将来を約束した者の務めでしょ」

「あ……そうなんですか……箕島君」

「え、あ、ああ、その、よろしく」

「箕島君……」

「草津……」

「だーかーらー」

「何の話だ?」

 不意に生徒会室の扉が開き、会長が聞いてきた。

「かかかかか会長っ!!」

「あ、会長」

「こんにちは、坂上さん」

「うす」

「あの……こんにちは」

 めいめい会長に挨拶をする。

「うん、遅れてすまない。少し何とかしなければならない問題があってな……」

「あ、そうでしたか」

 会長がコの字に並んでいる机の中心部に座ると、私達も定位置についた。その時会長の上履きに何だか赤い物が付いている気がしないでもなかったけど、とりあえず無視しておいた。

「む、副会長は欠席か?」

「さぁ……何か知らない、ちーちゃん?」

「知りません」

「仕方がないな……みんなを待たせるのも悪い。彼にはすまないが、始めてしまおう」

 おほん、と会長は咳をして、眼鏡をかけた。こういう仕草一つ一つ似合う人だなぁ、と感嘆してしまう。

「今日は集まってもらってありがとう。バレンタインだというのに残ってもらったのは……バレンタインなのに……バレンタイン……」

 会長から悲しみのオーラが漂い始める。ああ、やっぱりバレンタインは禁句だね、こりゃ。箕島君と草津ちゃんがそわそわと視線を逸らしたりするのを見て、私は咳をした。

「すまない。うん、今日はだな、桜並木の一件で進展があったんだ」

「と言いますと?」

「今まで計画撤回に難色を示していた市議会の会派がな、とうとう折れてくれたんだ。これで事実上伐採計画も撤回される」

「やったじゃないですかっ!!」

 おおっ、とみんなが湧きあがり、拍手をした。会長も顔を赤くしながら、誇らしげに笑った。

「ありがとう。ここまで来れたのもみんなのおかげだ」

「でも坂上さんが一番頑張ったのは、みなさん御存じですよ」

「よかったね、会長」

「おめでとうっす」

「本当にありがとう。でもまだ正式じゃないからな。まだ気を緩めるのは早い。それよりも、今日のことなんだが・・…」

 勝利の感情を冷まして、さあ仕事、とみんなの気持ちが切り替わった時

「やあすまない、遅れてしまった」

 末原君が部屋に入ってきた。

「ああ副会長。ちょうどいい、今から議題に移るところだったんだ……」

「ああそうだ、そういえば今日はバレンタインデーだったな」

 

 

 ぴし。

 

 

 空気が割れる。会長の顔から笑顔が吹き消され、無表情が沈殿する。私達は金縛りにあったように動けないでいた。

「バレンタインデーと言えば、女子からのプレゼントだよな」

「副会長……ちょっとさ……TPO」

 しかし末原君は止まらない。あ、会長が俯いた。やばい、とてもやばい。 何つーかその、地雷原でよそ見しながら歩いてる感じ?核兵器実験場に迷い込んじゃった感じ?親熊が後ろにいるのに気づかずに、小熊をいじめてる感じ?

「誰か僕に……って、あれ、安倍、どうしたの、泣いちゃったりして」

「……末原君、君ってそういう奴だったよね」

「は?よくわからないな」

 そうだよね、こういう時に空気読めないのが末原君だよね。遅れてきたのももしかすると誰かがチョコくれるの待ってたってことかな。で、手ぶら、と。で、進退極まって今の発言しちゃったと。何だか末原君のことをここまでわかる私が悲しくなってきた。 というか何でこんな末原君のことを好きになっちゃったんだろ?恋の神様、いくら何でもこんなに命知らずな人を私の運命の人にしなくても……

「副会長」

 会長が澄んだ声で呼ぶ。感情も何もない、まさに絶対零度の声。

「あ、坂上。何だ、君もkれr」

「自惚れるな。貴様は自分が何者か、理解しているのか」

 やばい、人格がスイッチした。

 会長には、二つの面がある。一つはみんなの知っている優しくて凛々しい、太陽のような会長。しかし時には優しさや柔らかさでは動かない相手がいる。そんな時、会長は月の如く冷たい面をつける。両方とも綺麗だけど、両者の間には間違えようのない温度差がある。

 どうやら末原君は大変なフラグを立てちゃったようだった。精神死亡フラグを。

「貴様は生徒会の副会長。そうだろう」

「あ、ああ」

「生徒会は何のためにある?そんなこともわからないのか」

「生徒会は、生徒のために」

 たじたじと末原君が答える。どうも周りに助けを求める余裕すらないようで、蛇に睨まれた蛙よろしく会長を見ていた。

「そうだ、言わば公僕だ。その公僕が個人の恋愛に現を抜かすだと?しかもよりによって神聖たる生徒会室にて?よりによって他者がその使命を全うせんと集まっている会議の席でか?」

「う……あ……その……」

「失望したぞ。それでも栄えある光坂高校の生徒会副会長か?自分の立場に酔いしれているだけの愚者にしか見えんがな」

「わ、悪かった、その……」

「何だ、反論もせずに謝るとはな。つまり図星だったということか」

「い、いや……」

「見下げ果てたものだな、副会長。そんな者が副会長とも言える責務についているのは遺憾としか言いようがない。いい機会だ、副会長。投票してくれた生徒に詫びて腹を切って果てるがよい。後のことは私達が処理しておこう」

「ぁ……さか……がみ……」

「さあ出ていくがいい。生徒会の空気が穢れる」

「ぐ……くぅ……ぐ」

 末原君は顔をしかめ、そして退室していった。野中さんが私に意味ありげな視線を送り、金森さんが私を小突いた。わかった、わかったわよ、まったく。

「失礼。では会議を続けよう」

「あ、あのっ」

 私は立ち上がりながら挙手した。会長は不思議そうに私を見ると、目をぱちくりした。元に戻ったようだ。

「わ、私、ちょっとトイレに行かなくてはいけなくて、その……」

 すると会長は少し考えるようなそぶりを見せると、ふふ、笑った。

「わかった。では」

 私が扉を開いて一歩踏み出そうとすると、会長が私を呼んだ。

「安倍さん」

「は、はいっ?」

「……いや、謝っておいてくれ。確かに大人げなかった」

 その一声で生徒会室の空気が緩んだ。私は頷くと、扉を閉めて彼のもとに走って行った。

 

 

 

 ちなみに誠に奇遇なことに、当生徒会の会長、会計、書記及び一年役員の恋は成就するわけだが、それがいかなる経緯でゴールインしたかはまた別のお話。

 

 

 

 

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