「はー、クリスマスも終わっちゃったねー」
河南子がため息をつきながらコーヒーをかき混ぜた。
「うん。まあ、一年に一度あるから特別なんだろ」
「そうよねえ。歌に『I Wish It Could Be Christmas Everyday』ってあるけどね。毎日クリスマスだとありがたみも薄れるわね」
「どーかなー。あたしは毎日がお祭り騒ぎでもいいと思うけどなあ」
そういう河南子のところでは双子の娘が幼稚園に入ったところだった。鷹文たちのところではむしろ毎日が戦場なのではないかと思う。
「それに、クリスマスって、ぶっちゃけ大変じゃない?お祭りって、成功させるには結構準備がいるものよね」
「あー、そういうもんかな」
「そうよ。クリスマスの劇とか、ツリーの飾りつけとか……おととしは特に大変だったわよね」
「う、うむ」
杏が意地悪そうに笑うと、私は視線を逸らしつつ紅茶を啜った。一昨年は天使役の朋幸がセリフをトチっているところへマリア役の巴がハイキックをお見舞いするというハプニングがあった。いくら何でも聖母マリアが顎への前蹴りで天使をノックアウトするのはどうかと思った。朋也はその場で立ち上がって歓声をあげた後、杏に二時間半ほどお説教を食らった。
「智代にも、『クリスマスめ』と思ったこと、あるんじゃない?」
「もちろんあるとも」
「えっ?先輩でもそんなのがあるんですか?」
「……何だか失礼なことを言われた気がするな。私だってそういうブルーな気分に浸る時だってある」
「へー。例えばどんな?」
「朋也が側にいなかった高校二年、あのクリスマスは辛かった……!!」
私は遠くを見る目をして、あまつさえ涙を眦に浮かべたのだが
「いや、二十年近くも前のことを持ちだされてもねえ」
「つーか、先輩にしてみれば、あいつがいるんだったらクリスマスも何も無いんじゃないすか」
「うっ」
河南子に痛いところを突かれた気がする。
「そ、そ、そういう河南子も杏も、鷹文や春原がいればクリスマスもへちまも関係ないだろう!?べ、別に私だけじゃなくてだな、既婚女性なら旦那が側にいればハッピーじゃないかっ」
顔が赤くなるのを自覚しながら、私は反論した。少しばかり声が上ずったりどもったことは、この際どうでもいいことだった。
「えー、そんなことないわよぉ。クリスマスってほら、行事の一つでしょ。それを如何にして夫婦で盛り上げるかって、これ結構大事だと思うのよね。例えば、あたしが陽平と一緒にいるんだったら、やりようによっては最高のクリスマスになるでしょ?じゃあ最高にしないともったいないじゃない。だから……」
そこで杏は一瞬だけ表情を鬼のように変えた。
「サンタ帽とサンタコス(上着だけ)とブルマを持ってえへらえへら笑いながら来た時なんかはもう遠慮容赦なく広辞苑を叩きつけることにしてるのよね」
「……何だか経験者は語るっぽいけど、あたしも杏ちゃんと同感かなぁ。つーか、クリスマスに採点で追われてる旦那ってどうよ、先輩」
「申し訳ないが、返品は不可だ」
「別にいいっすけどね」
そう言いながらソッポを向くところからすると、言っているほど夫婦仲は悪くないのかもしれない。うむ、善き哉善き哉。
「それじゃあさ」
杏が手をぱんと打ち合わせて笑った。
「今日はそれぞれのワーストクリスマス経験談と洒落こみましょうか」
ワーストクリスマス座談会
ふむ、と私はしばらく考え込んだ。
最悪のクリスマス、か。これは手厳しい。そもそもそういう記憶はできるだけ早く忘れようとするものなので、詳細は思い出せない可能性が高い。
「これは難しいお題ですなあ」
「でしょー?彼氏と別れたんだとか、風邪引いたとか、まあいろいろテンプレはあるでしょーけども、あたしらって複数の人と付き合ったりってわけじゃないでしょ。だから彼氏と別れた、ってのはなしで」
考えてみればたしかにそうだった。しかしそれにしても、その選んだ一人が春原だとは……いや、何も今更言うまい。
でも、まあ私の場合は、ひどいクリスマスと言えば朋也のいなかった……
「あ、でも智代の場合は朋也が一緒にいた時期オンリーだからね」
「なっ」
「先輩、そんな安易な手であたしたちの苦労話を簡単に聞けると思うなよー?」
「ぐっ」
これは厳しい。本当に厳しい。朋也がそばにいるクリスマスで、ひどいのなんてあるわけがないじゃないかっ
「ていうかさ、ぼっちのクリスマスってのもノロケに聞こえるしね。その線もなしってのはどうかな」
「ハードル上げちゃって、いいのかなぁ?杏ちゃんの尻敷座布団じゃあ、もうあっまあまーなカップルクリスマスなんじゃないですかー」
「まあ、ハンデとして智代は一番最後ね。河南ちゃんは?」
「んー、まだですねー。つーかこういうのは言い出しっぺの杏ちゃんが始めるべきっしょー」
「んー、それもそうね。じゃあ」
こほん、と溜息をついて、杏が居住まいを正した。
「あたしが最悪だわーって思ったクリスマスはね、二年前かな」
つまんないって思うかもしれないけどね、この年、あたし風邪と変なウイルスに罹っちゃってさ。
二年前だから、翔が四歳の頃ね。背景としていっておくけど、もうもっのすごく期待しちゃっててね。ほら、陽平ってボランティアで幼稚園のサンタさん役するでしょ。もちろん今でも家で尻尾見せるなんてしたことないんだけどね、とにかくサンタさんの話が得意なのよね。今までずっと子供にいろんな質問聞かれるでしょ。例えば「さんたさんはどこからくるの」とか「さんたさんのとなかいはどこにいるの?みせて」とか「さんたさんはどこからプレゼントをもってくるの」とかね。
− わしはね、みんなの夢の国から来とるんじゃよ。みんなが夢の国を信じている限り、わしはやってくるよ
− トナカイたちもね、夢の国の住民じゃよ。ただしわしよりも力が弱いから、もっと強く信じなきゃダメなんじゃ
− わしの袋は、夢の国と繋がっておっての。そこからプレゼントが来るんじゃ
あいつね、結構ノリノリなのよね。だから翔にもサンタさんの話をするのよ。しかも辻褄がちゃんと合ってるの。で、まあ、翔も素直っていうか、バカっていうか、そういう話を聞いてたから、今でもサンタさんのことを信じてるのよ。いつかはバレるんだけどさ、できればそんな日が一日でも遅れてほしいなあ、とかね。
ちょっと脱線したかな。あ、でもそうでもないか。
陽平がそんなんだから、翔もすごいノリノリになっちゃったのよ。四六時中あたしにサンタさんのことを聞いてきたりね。あ、違うか。むしろあたしにサンタさんのことを教えに来てくれたりしたのよ。「とーさんがね、さんたさんにてがみかいたほうがいいって」とかね。考えてみれば、いい手よね。サンタさんのお手紙で読み書きを練習したり、サンタさんを引き合いにしてしつけとかそういうことをスムーズに教えたり、サンタさんのことで親子の間のコミュニケーションをとったり。そうなのよねえ。あたしもびっくりしたけど、陽平って結構いいお父さんなのよねえ。生まれる前は「父親になるのなんて、罰みたいなもんだって思ってる」とか言ってたくせにね。
で、まあ。
そんなふうにはしゃいでる親子のクリスマスに味噌をつけたあたしってどうなのよって感じなの。
もちろん、わざとじゃないわよ。
まあ、少し無理してるなって自覚はあったかな。クリスマスってね、幼稚園の教師にとってはデフォルトで忙しい時期なのよね。まず園にクリスマスデコレーションを施さなきゃいけない。結構手間よ。え?園児たちに手伝わせたら?冗談。あの子たち、エネルギーは有り余っていても、分担作業とか全体のバランスとかわからない、というかわかれっていうほうが無茶なのよ。もちろん年長組にデコレーションの手伝いはさせるけどね、全体から見れば本当に微々たるもの。むしろデコレーションをめぐってのケンカとか、バランスがおかしくなったりとかを修正してるほうが疲れるわね。
で、クリスマスパーティーとかの準備もあるし、年長組では劇もやるしね。この劇がねえ。どこまで期待するべきか、どこから笑って許してあげればいいか、線引きが難しいのよね。え?わかる気がする?あ、なるほど、鷹文くんがね、うん。いや、智代、朋也はさすがにわからないと思うわよ?だってほら、巴ちゃんのハイキックに「ブゥルァヴゥォオオオオオオ」って拍手喝采だったし。
ちょっと脱線したかな。
その年はね、園長先生が体調崩しててね。あと、先輩の先生も風邪を引いちゃってたのよ。おまけに新米の先生がいてね、あたしはその先生を指導しながら全部やらなきゃいけなくて。で、実際にいろんな準備してる際もクラっときたり……え?新米の先生?女性だけど……そういう意味の「クラっとくる」じゃないっ!目眩がするって意味よっ!!と、とにかく、それで遅くまで飾り付けとかやったり、衣装の手直しとかしたりしたのよ。まあ、新米の先生は私より早く帰したけどね。
確か風邪が結構流行ってた年だったのよね。でもまあ陽平はピンピンだったし、平気かなあって。ただまあ、陽平は何だか気がついてたみたいで、時々「無理しすぎちゃダメだからね」って言ってくれたりしたのよ。そう言われると、なおさら頑張っちゃって。えっと、反発、とは違うのよ。そういうこと言われると、「大丈夫じゃなかったら休もう」って気持ちになっちゃって、それが「大丈夫じゃなくなるまで頑張ろう」になっちゃうのよ。で、気が付けば大丈夫じゃなくなってたって話ね。
劇の最中に、何だか肌が分かれてもう一層できた感じになった。あ、これ、悪寒になるかなあって思ってたら、すごいのが来て。
え?悪寒の予感?寒いわっ!!あ、ちょっと智代も笑うんじゃないわよっ
で、学芸会が終わって、みんな帰った途端にバタン。気がついたら病院だったのよ。久しぶりに陽平に叱られたなあ。
「ねえ杏、頑張って全部成功させるのってすごいと思うよ。っていうか、今回すっごく頑張ったよね、考えてみりゃ。孤立無援で、新人も引っ張っていかなきゃなんない。うん。
でもさ。
ひとつ言わせてもらえるとさ、何でそこで一人でやろうとするわけ。頑張り屋さんによくある悪い癖だよ。
僕がいるじゃん。飾り付けとか家に持って帰ったら、二人でできたでしょ。家の中のほうがリラックスできただろうし。
とにかく、僕をもっと頼ること。春原サンタの辞書に、不可能の文字はないからね」
何だかね。だって、本当にやりそうなんだもの。残業で遅くなって、寒い中帰ってきても、もしあたしが頼めば絶対に二つ返事で手伝ってくれたりするのよ。もう、何だか嬉し恥ずかしで、毛布の中に隠れたら、こらー、逃げるなーって怒られた。
これで終わり?いえいえ、むしろここからなのよ。
その年は確かクリスマスと週末が重なってたのよね。だから家族みんなで楽しく過ごせるって聞いて、翔ったらすっごく舞い上がっちゃって。
だから、すっごく悪い結果になっちゃった。
あたしね、陽平の作ったお粥食べた途端、気持ちが悪くなっちゃってね。陽平の料理じゃないわよ、念のため?お粥ぐらいはさすがに作れるわよ。だからピンって来たのよ。ははあん、これは風邪以外の何かも拾っちゃったなって。それっきり、あたしたちの部屋があたしの隔離病棟になってね。椿芽の面倒もうちの母がわざわざ来てくれてね。
で。
ドアの向こうで、翔が泣いてるの、ずっと聞こえてるのよ。
「えーっ!クリスマスはいっしょだってかーさんいってたじゃんっ」
「翔、わがまま言うなよ。母さん風邪で辛いんだから。お兄ちゃんらしくないぞ」
「ケーキはっ?!ケーキはみんなでたべられるよね?ねえっ」
「翔くん、ごめんなさいね。おばあちゃんでよければ一緒に食べますよ」
「やだ、やだやだぁっ!かーさんがいっしょじゃなきゃやだっ」
「こら、翔、いいかげんにしなさい」
そういう声がするから、椿芽も泣きだしちゃってね。
悪いのはあたしなんだけどね。さすがに応えたわ。正直、風邪やらウイルスやら、そういうのよりも翔と椿芽の鳴き声のほうが応えた。
陽平からは何も言われなかったけど、母からは結構厳しく言われたわね。子供にとって、誕生日とクリスマスは特別な日なんだから、倒れてちゃダメなんだって。本当に翔には悪いことしたって思ってる。
結局、ケーキは一緒に食べられなかったし、プレゼントも開けられなかった。あとで陽平に聞くと、最初はあまりにも聞き分けがないから、プレゼントはよそうかな、って考えたんだって。でも、それじゃあ厳しすぎるし、それじゃあ自分が腹を立ててるからプレゼントをあげないようで嫌だって思ったから、こう言って聞かせたんだって。
− いいかい、サンタさんは世界中を回らなきゃいけないんだ。でもね、母さん、風邪引いてるだろ?風邪を移しちゃいけないよね。サンタさん、おじいさんだからね。
だから、父さんがプレゼントを取りに行ってあげる。
でも、父さんは母さんがよくなるまで、母さんの面倒を見なくちゃいけない。おばあちゃんと一緒に、椿芽とお前の面倒も見なくちゃいけない。
いいかい?約束だよ?母さんがよくなったら、父さんがサンタさんからプレゼントを貰いに行くから、それまで翔は母さんがよくなりますようにって祈って、おばあちゃんやお父さんに迷惑をかけないようにするんだよ。そうでないと、母さん、いつまでたってもよくならないからね。
つくづく思うんだけど、陽平って子供の心掴むのうまいのよね。ヘタしたらあたしなんかよりもうまいかもしれない。
これはちょっとした後日談なんだけど、あたしも数日間寝込んだら元気になって、改めてプレゼントやら何やらクリスマスっぽいことができたのよ。で、翔がプレゼント……あー、どこで買ってきたのかしらね、銀玉鉄砲なんてレトロなものだったんだけど……それを手にしたまま寝ちゃった後、陽平があたしにこぼしたのよね。
「今回はオッケーだったけど、本当は父親がプレゼント取りに行くのって危ない裏ワザだから、もう勘弁ね」
「はい、ごめんなさい」
「ん。まあ、翔の気持ちもわからないわけじゃないけどね。クリスマスの何がいいって、杏が一緒なのがいい、杏が一緒じゃ嫌だってのがちょっと我が息子ながらよく言ったって感じ」
「ん……」
「それに」
「それに?」
「……………………僕だって正直クリスマスを杏ちゃんとイチャイチャ過ごしたかった」
「ってのが、あたしにとって最悪のクリスマス」
ふう、と一息ついて、杏がコーヒーを啜った。
「子供ってきついもんねー。ずけずけ言いたいこと言うんだけど、言われてもしょうがないって場合が多いし」
「そうねえ。でも、陽平の拗ねた顔がねえ」
そう言いながら杏がくすくす笑った。リア充爆発しろと言いたくなったが、そう言おうものなら杏と河南子から盛大な「オマエモナー」が返ってきそうだったのでやめた。
「というわけで、次は河南ちゃんの番だけど……覚悟はいいかしら」
「あ、杏ちゃん、ろうそく吹き消さなくていいの?」
河南子、これは百物語ではない。
「まー、杏ちゃんの場合あれだよね、アレがいい旦那でよかったねって話なんだよね」
「アレ……陽平のことね。うん」
納得するのか杏?納得してしまうのか、そこっ?!
「うーん、あたしの場合は、鷹文がねえ」
「鷹文が、どうかしたのか」
何だか気になる話になってきた。鷹文、私に何か隠していないだろうな?
「ああっと、先輩。最初に断っておきますが、これはあたしたちが結婚する前のことで、しかも結局は何にもなかったって話です、はい」
「えー、ちょっと河南ちゃん、それネタバレ」
ぶーぶーと不満そうな杏に、河南子が肩をすくめた。
「しかたないっしょ。最初にこう釘を差しておかないと、先輩が話の途中で暴走しちゃうし」
「何だそれは。それでは私が凶暴だということになるじゃないか」
私はれっきとした女の子なんだぞ。朋也だってそう言ってくれるんだからな。(注:小学生二人の母親でsぐほおっ)
「まあ、本人がそう言ってるからそうしておきましょうか」
「何なんだお前たちは」
「はいはい、じゃあ河南ちゃん、スタート」
あたしにとっての最悪のクリスマス、っつーたら、鷹文が他の女とクリスマス・ショッピングしてた年のことだね。
あ、だからあ、何もなかったんだってっ!先輩どうどう、どうどう。
ほらね、危なかったじゃん。
えーっと、結婚する前だから……十年ほど前の話かな。
その年、鷹文の勤めてる学校に、新しい先生が来たんだけど、これがね、結構かわいい女の人なんだ。何だかすっごく女の子っぽくてさあ。あ、ほら、面白いパン屋の家族いるでしょ。そうそう古河パン。あそこの、渚さんだっけ?その人によく似た先生だったんだよね、雰囲気的に。
なぁんか嫌な予感がしたんだよね。ほら、あたしって特に女の子女の子って感じじゃないし、むしろ女の子って聞いてあたし連想するほうがレアっつーかさ。だから、まさかとは思ったけどさ、警戒はしといて損はない、くらいには思ってたわけ。
クリスマス前に実際に会ったのは、一回だけだったんだけど、鷹文と待ち合わせしてる時だったんだよね。久しぶりに二人でどっか遊びに行こうって話になってさ。それで、あたしの方もパートが終わったら学校の表門で待ち合わせってね。ただ、終わるのが鷹文のほうが早い日だったんだね。あたしが学校に着いた時には、鷹文はもう待ってたんだ。その先生と。
何だかすっごく楽しそうに話しててさ、最初はそれが鷹文だって気が付かないほどね。で、だんだん近づいてくると、あ、鷹文だ、誰としゃべってんだろう、何笑ってるんだろうって感じになって。
はい、先輩どうどう。
で、あたしが声かけると、鷹文の奴、何でもないかのように手を挙げて挨拶してきたんだけど、相手の先生があたしのことをじっと見てたんだよね、何か値定めでもするように。
「あ、これ、僕の彼女の河南子です」
「あ、どうもこんばんは。近江と申します」
「……どうも」
「あれ?何かあったの」
「別に。どうもしないよ」
「ふーん……?あ、じゃあ近江先生、ここで」
「あ、はぁい、お疲れ様でした。あと、坂上先生」
その近江っていう先生、歩き出しながら鷹文ににこって笑ったんだ。
「くれぐれも、忘れないでくださいね」
「あ、うん、忘れませんよ」
「内緒ですからね?ばらしたらダメですよ」
「わかってますよ。じゃあ」
そりゃもちろん、ご機嫌ななめになりましたよー。だって彼氏が、別のかわいい女と内緒の約束してるんだもんね。気にならないわけないっしょ。
「ねえ、さっきのアレ、何?」
「え、ああ、近江先生って、ほら、話したでしょ。最近うちの学校で音楽を教えることになった先生」
「……ふぅん。女の先生なんだ。人気者なの?」
「結構人気っぽいよ、生徒たちの間でも」
生徒たちの間でも。でも。つまり、先生たちの間でも人気ってことっしょ。
「ねえ、さっきの秘密とかの約束。あれ、何?」
「え?ああ、アレね。大したことないよ、別に」
これには面食らったなあ。何かもっとちゃんと説明ないのかよって。
「あれ?河南子、どうかしたの?足早になったようだけど」
「別に。どうもしてない」
「ちょっ、待ってよ河南子。何があったのさ」
「何もない。しつこいぞ、バカ文のくせに」
「……悪い」
普通は「何だよ、バカ文って」とか言い返すのに、その日に限って何だか困ったような顔で謝るんだからさ。なおさら疑わしくなってきちゃってさ。結局楽しみにしてたのに、その後二人でどこ行って何やったのか、全然覚えてないんだ。
それからしばらくの間、あたしと鷹文の間に何だか微妙な空気が流れた。鷹文はどうだか知らないけど、あたしの中では少なくとも「もういいやい、バカ文のやつ」っていう突き放したい気持ちと、「本当に何約束したの」っていう知りたい気持ちがせめぎ合ってたんだよね。
そして、クリスマスまであと数日って日に、あたしは町中で鷹文がその近江先生とデートしてるところを見たんだ。
先輩、お゛・ぢ・づ・い゛・でっっっ!!杏ちゃんも見てないで手伝ってよっ!!
はぁはぁ。
続けてオッケーっすか?暴れない?おし。
その日、鷹文はちょっとした用事があるって言って夕方ぐらいに出かけたんだけど、あたしは夕食の支度しようかなあって思って冷蔵庫覗いたら、何にもなくてさ。急いで買い物に出かけたところで、二人の後ろ姿を見ちゃったってわけ。
見間違いじゃないよ。鷹文の着てた服だったし、ずっと暮らしてるんだから見間違えるわけないじゃん。
何だかすっごく楽しそうに買い物しててさ。しかも男物の店とか、女物の店とか、交互に回って、それですっごくいい笑顔で笑ったりしてたんだ。それを見て、あたしはふっと疑問に思っちゃったんだよね。あたし、こいつのこんな笑顔、最近見てないんじゃね?ってね。
何だか悔しかったけど、どこかでもうどうでもいい、て気分にもなったかな。だってさ、あたしどうやったって乙女力で勝てるタイプじゃないしさ。ん、ありがと、杏ちゃん。
それで、どうしたかって。
う……ん。気がついたら家に戻ってたんだよね。おそらく全速力で走って帰ったんだと思う。暗い玄関に座り込んだまま、どうしようかなぁってずっと考えてた。
携帯で話すこととかも考えてみたけど、電話って切ることできるしね。
黙って出てく。うん、考えた。けど、何だかそれじゃあ何もせずに負けを認める感じであたしのスタイルじゃない。
飲んで荒れる。あはは、あたしっぽいけど、鷹文がそれを見たら何もかも終わりっぽいよね。
え?ボコる?何なら助太刀する?いいよ先輩。落ち着いて。
どうしたのかって?どうもしなかった。
バカな話だけどね、どうしようどうしようって考え込んでる間に、鷹文が帰ってきちゃった。
「ただい……ま……」
「……・」
「どうしたの、河南子。すごい顔だけど」
「……あのさ……」
「うん」
「…………いや、何でもない」
何を言っても無駄っぽかったんだよね。だったら、別れの言葉は聞きたくなかった。
「あたしたちさあ」
「え、うん」
「別れよっか」
「え?あれ?何でそうなんの」
「何でって……あたしと鷹文じゃ合わないし」
「ちょっと待って、どうしてそうなる」
「あたしとじゃあ鷹文楽しくないし」
「河南子、ちょっと話噛み合ってないよね、これ」
「どうせあたしなんかより近江先生のほうがお似合いだろうし」
その時、鷹文が凍りついた。と言っても、ドラマでよくある「な、何でそのことを」って感じじゃなくて「ずぇんぜんわかりません」ってな具合だったけど。
「ごめん河南子、どうしてそこでその名前が出てくるのか、まったくわかんない」
「だって……秘密とか約束とか……あとデートとか」
「え、デート」
「今日してたじゃんかっ!そこまで白を切るのってひどすぎるだろっ」
「今日……あー」
間の抜けた声を鷹文が出したから、あたしは拍子抜けしてガードを下ろした。
「それかー」
「何だよ。ごまかすのかよ」
「いやあ……とんでもない誤解だなぁって」
「誤解?」
「うん、まあ、これはちゃんと説明しなかった僕のせいだけどさ、とりあえず河南子、シークレットサンタって知ってる?」
それから膝詰めあわせて聞いた話なんだけどさ。シークレットサンタって、つまり参加者の名前を使ってくじ引きして、引いた名前の参加者に贈り主不明でプレゼントを贈るってゲームなんだよね。で、新任の近江先生が他の先生方ともっと打ち解けるためにクリスマスにそれやろうって話を持ちだしたんだけど、近江先生が引いたのは、よく知らない男性の先生。変なプレゼントを買ったら気まずくなるんじゃないかってことで鷹文に聞いてみたんだって。そしたら鷹文も女の先生へのプレゼントに困ってたから、二人でプレゼント選びに行こうって話になったんだって。それが約束。ただ、それがバレたら近江先生が何を買ったのかで彼女が誰の名前を引いたのかわかっちゃうから、内緒。とまあ、そういうオチだったんですわ。
ちなみに、近江先生はすでに婚約者がいたから、鷹文とは何でもなかったとさ。ん、婚約指輪とか見なかったからさ。やっぱそこらへんが乙女力アップ必要ってことなのかな。
とにかくまあ、あたしとしてはそういうふうに勝手に困惑して勝手に振り回されたクリスマスが、今んとこ最悪だったってわけ。
「一つだけ、いいだろうか」
私は河南子が一息ついたところで静かに言った。
「私はそうやって恋愛に真剣になっている河南子は、とても女の子らしいと思うんだ」
「そうねえ。命短し、恋せよ乙女ってね」
「やだなぁ、先輩も杏ちゃんも、あたし、女の子っていう年齢じゃないっすよ」
ビシ、ボキン。
私たちのコップの取っ手が粉々に砕かれた。
「ふむ、つまりお前よりも歳上である私たちは」
「尚更自重しろって、そういうことなのかしら?ん?そうなの?ねえ」
「いひゃいいひゃいっ、しぇんひゃいもひょうひゃんも、ひょっへつねりゅのひゃへへ」
左右から私と杏にほっぺを抓られて、河南子が白旗を上げた。
「しかし鷹文も、言葉が足りんな」
「まあね。でもそう言ったら朋也だってそうじゃない」
「む」
「でも、杏ちゃんだって、前に『陽平ってホント言葉足りなくて参っちゃうわ』とか言ってたくせにぃ」
「う」
「……とりあえず、男というものが不器用で言葉足らずだというところに落ち着くわけか」
「あ、さんせーい。じゃあ、今度は智代の番ね」
「…………むぅ」
二人の視線を一身に受け止めて、私は唸った。
「…………朋也なしというのがきついのだが…………」
「ダメね。そんなんだったら、あたしは陽平と付き合う前の一人で過ごすクリスマスが一番つらいってことになるし」
「ほらほら、先輩も観念して、さあ」
「……わかった。あまり期待しないで欲しいのだが」
「わかったわかった」
「さあさあさあ」
「……本当に仕方のないやつだな、お前たちは」
紅茶を一口啜ると、私は話を始めた。
「これは、去年の話だ」
私たちの家の側に、べあ☆らんどという、クマをモチーフとしたものしか扱わない店がある。小さな置物やワッペンから、等身大のリアルぬいぐるみまで手広く扱っている店だ。朋也に教えてもらった店で、私も巴もよくそこを覗きに行く。
ある日私と巴が買い物の帰りにべあ☆らんどを通り過ぎると、巴がショーウィンドウに張り付いたんだ。
「かーさん、このしろくまさん」
「ん?何だ……ああ、これはかわいいな」
それは本当に愛くるしいしろくまさんだった。いっそ私自身が衝動買いしそうになったほどだったが、なんとか踏みとどまることにした。すると巴がこう言ったんだ。
「なあ、かーさん、サンタさんにおてがみをかいたら、これをプレセントしてくれるだろうか」
「それはいいアイディアだなっ!では、家についたら早速お手紙を書こう」
私たちは家に戻り、そしてさっそくサンタさん宛の手紙を書いた。あの時の巴の真剣な表情は、本当にかわいかった。
その夜、私は朋也にその日のことを知らせたんだ。
「へえ。それならしろくまさんは絶対にゲットだな。朋幸のプレゼントも希望は聞いておいたから、今年のプレゼントは大丈夫だな」
「うんっ」
それからしばらくして、私と朋也はべあ☆らんどに行き、巴がどんなしろくまさんがほしいのかを確認した。
ところが、クリスマスイブになってからだ。巴と朋幸は結構遅くまではしゃいでいたが、結局ははしゃいでいたのが仇となったんだろう、寝入ってしまった。二人を寝室まで抱きかかえて布団に入れると、私と朋也はプレゼントを包装紙にくるんでツリーの下に置く作業を始めたんだ。その時
「朋也……・これはまさか」
私は朋也が買ってきたしろくまさんを見た。それは「しろくま」ではあったが、私たちの言っていた「あの」しろくまさんではなかったのだ。すると朋也がバツの悪そうな顔をした。
「あれな……例のやつ、売ってなかったんだ」
「えっ」
「店員にも聞いてみたんだけどな、『さぁ……売り切れちゃったんですかね』とか言われて、しょうがないからさ」
「うん……まあ、売り切れたのならしょうがないな」
私は頷いた。まあ、朋也の責任じゃないな。それはわかった。問題は、それを巴が受け止められるかどうかだったが……
「まあ、巴には俺が話すよ」
「そうか……悪いな」
「いいさ」
案の定、巴は怒った。せっかく手紙まで書いたのにって、涙を目に溜めてプンスカさんだった。朋也が何を言おうと、巴は聞かなかった。
「でもなあ、巴、お店になかったんじゃないか?お店になかったものなら、サンタさんだって手に入れられないよな」
「でもっ……でもうってたもんっ!うってたんだっ」
「わかった。よし、じゃあ、こうしよう。これからべあ☆らんどに行って、もし売ってなかったら残念だったけどなかったんだって、そういうことにしような」
「…………わかった」
そう言って私と朋也、巴と朋幸はべあ☆らんどまでお出かけしたんだ。すると
「……え」
「……何だって」
何とそこには求めていたしろくまさんがいたんだ。凝視すると、くまさんの耳に縫い直しの跡が見えた。つまり、くまさんは売っていなかったのではなく、修理されていたんだな。すると
「……なんだ、しょせんはサンタさんもうそつきか」
十二月の気温よりも冷たい声で、巴が言った。
「い、いや、そういうわけじゃなくてな、あのな」
「とーさんはもういい」
「巴、少し落ち着いて話そう。これはだな」
「かーさんももういいんだ。さあともゆき、わかっただろう、これがげんじつだ。だれもしんようできない、そんなせかいなんだ」
「ともえ……そうだね」
「朋幸までっ?!」
「とーさん、かーさん、いままでありがとうございました。でも、もうぼくたち、いっしょにはくらせません。おげんきで」
そう言って朋幸は巴の手を取って歩き出した。
「ま、待て、待ってくれ二人とも……朋也、早く止めなければ」
「俺の……俺のせいなんだ……俺があの時」
そう言って朋也は頭を抱えて、膝を崩した。私はそれでも小熊ちゃんたちを追うために一歩踏み出したんだ。
「巴っ!!朋幸っ!!」
遠ざかる二人は、やがて人ごみの中に消えていく。それ以上前に進もうとして、私は足が動かなくなった。見ると、朋也が私の足にしがみついているではないか。
「巴っ!!朋幸っ!!こら、朋也、脚を放せっ」
「俺の……俺の……俺のせいで……」
「やめろ、足を放せったら……巴ぇっ!!朋幸ぃっ!!」
そして、私は小熊ちゃんたちを永遠に失った…………
「……夢を見た」
その一言で、二人はずっこけた。
「夢ぇ?」
「先輩、結局夢オチっすか……」
「言っただろう、あまり期待しないでくれ、と」
我ながらしれっと返すと、杏が苦笑した。
「で、実際はどうだったのよ」
「うむ。朋也はちゃんとしろくまさんをGET、ついでに巴からのほっぺにチューもGET、そのまま朋幸と新しいバットを試しに野球に行った。めでたしめでたしだ」
「あ、そ」
「リア充爆発しろ」
「オマエモナー」
そんなこんなで、私たちは店を出た。三人と別れた後、私は嘆息した。
最悪のクリスマスなら、朋也と出会う前に経験した。鷹文が入院する前の、最後のクリスマスだ。
両親は、昨晩よりいない。二人ともお互いの愛人のところに出かけていたのだ。そして私は苛立ちを紛らわそうと街に繰り出し、ガラの悪そうな者と戦って勝った。鷹文は、恐らくずっと一人で家にいた。私が家に戻ってきた時、両親の口論が家の外まで響いていた。私は何も言わずに自分の部屋に戻ると、今日は何て最低だったんだろうと思った。
不意に携帯が振動した。液晶画面を確認すると「だぁりん」とあった。
「もしもし、朋也か」
『おう、智代、今どこだ』
「うん、杏たちと別れて、買い物を済ませて買えるところだ」
『そうか。いや、今夜の夕飯、何かな』
「リクエストならまだ受付中だが」
『お、そうか?じゃあ……おーい、朋幸、巴、今日の晩御飯、何がいいか大声で言ってくれ』
『『はんばぁぐぅっ!!』』
元気な声が聞こえたので、私はクスクスと笑った。
『というわけなんだが』
「わかった、そうしよう。ああ、それと朋也」
『おう』
私は微笑みながら言った。
「私は……幸せ者だな」
『……ん。まあ、そう言ってもらえるんだったら、俺も幸せ者だ』
『あーっ、ずるいっ!とーさん、今、かーさんにあいしてるって言ってもらったっ!!そーにきまってるっ!かーさんは、ともえがだいすきなんだぞっ』
『はっはっは、残念だが父さんが上だ』
『そんなことないぞっ!!』
『いやいやいや……あ、じゃあ一旦切るからな』
「うん。また後でな」
そう言って電話を切ると、私は商店街へと足を向けた。