しめくくり
火照った体を冷やそうと、俺はベランダに出た。正直、飲みすぎたかなと思った。
夜の空には冷たい月が貼りつけられたかのように浮かんでいた。普段はいろいろと店が少なかったり交通の便が悪かったり時たま高速で走ってくるパン屋の夫婦を命がけでかわさなけりゃいけなかったりと文句の多い町だが、こんな夜空を見れるんだったらいいな、と思った。
背後からは、まだどんちゃん騒ぎが聞こえる。あまり大っぴらに騒ぐのは好きじゃないが、みんなが楽しんでいるのはいいことだった。
「よぉ小僧」
不意にオッサンが顔をのぞかせた。片手にはビールの入ったコップが。
「パーティーの主役が、何逃げてんだよ」
「逃げたわけじゃねえよ。ちょっと熱くなってただけだ」
まさか酔いが回って来たからとは言えなかった。
「そうかい。まぁ、酔いが回って来たからとかそういう理由じゃないんだったらな」
「ははは、そんなわけないだろ」
「だな、ははは」
口調はさっぱり爽やか、だけど表情は疑心暗鬼という器用な返し方をオッサンがした。
「ちなみに、さっきすげえ悲鳴とか聞こえたんだけど、何だったんだ」
「ん?ああ、あれか。いや、何だか裸踊りを始めようとした奴がいてよ」
なぜか即座に春原の顔が頭に浮かんだ。いやいや、待て。いくら春原でも、杏や智代の前でそれはないだろう。
「それとも春原はとうとう自分の存在に疑問を抱いて自殺したくなったとか……」
「……何だかよくわからねえが、裸踊りをしそうになったのは春原じゃなくて悠馬だけどな」
悠馬。古河悠馬。古河渚の夫で、古河汐の父親。オッサンにしてみれば可愛い娘をかっさらっていった(婿養子だけど)挙句に汐の愛情を奪い合うライバル。当然いい扱いはさせてもらえず、これという時に「留守番」だの「店番」だので出番がほとんどもらえない、すっごく不幸な人。
「そうか……悠馬さん、自分の待遇の悪さをきっかけにこの世を儚んで、それでこんな奇行を……」
「まぁ、悠馬にそうするよう仕向けたのは俺だけどな」
……
…………
……………………
「あんたは悪魔かっ!!」
ひでぇ。いくらなんでもひでぇよそりゃ。そう言いたかったのだが、口をふさがれてしまった。
「静かにしろ。俺様がここにいるとばれたらいろいろと面倒なんだよ」
確かに耳をすませると「いたか?」「いなかったわ」「秋生さん、どこにいってしまったんでしょう……」という聞きなれた声が。
「自業自得だろ。罪を購ってこい」
「ふん、いいのか小僧。俺はただじゃ捕まらねぇ。どうせ捕まるなら……」
ぎろ、とオッサンが俺を睨んだ。
「ともぴょんにてめぇに貸したエロ本のレンタル代を請求してから捕まってやる」
「うわ、ひでぇ……」
オッサンは俺にとんでもない条件を持ちかけてきた。ちなみにオッサンからエロ本なんて借りてはいない。だけどその事実はそれほど重要じゃない。智代に「エロ本を借りていない状況」と「エロ本を借りてはいるけど、見つからないところに隠している状況」を見分けられるかどうかは疑問だし、そもそも今日は俺の親父や坂上さんたちも来ている。その場でエロ本を借りていたという疑惑が浮かび上がってきたら、どうなるんだろうか。恐らくコンクリートでドラム缶に詰められて海にぽい、なんだろうな。
「わーったよ。静かにしてりゃいいんだろ」
「そうだ、そうしてろ」
誕生日祝いのイベントの打ち上げなのに、何でこうもとほほな気持ちになるんだろうか。(日頃の行いがああだからです 母)
「にしても去年よりかは盛り上がったんじゃねえか」
オッサンが煙草をくわえながら言った。
「そうだな。一応前からやる構想はできていたからな、準備はできたわけだ」
「去年は……確か最初は知り合いのSS作家の間で各自のサイトにて作品を公開しよう、と思っていたのが祭りに変わったからな。そりゃあ準備期間が違うわな」
「そうとはいえ……今年は現役の先輩SS作家の方々が参加できなかったな。やっぱり告知期間が短かったんじゃないか」
ため息を漏らした。誰を恨むわけでもない。怨むとしたら運営側の手落ちだろう。
「まあ、正直な話、今年は土壇場になって祭りをやるかどうか決まったからな。うちの制作担当が移転するかどうかとかの話があったから、移転するのか、したらサイトをいじれるのかわからない状況だったらしい」
「ま、何にせよ来年はもうちょっと早くわかればいいけどな」
俺は背伸びをした。背後では、何やらまた騒ぎが起こっているようだった。
「わー、ようへーったら、おさけつよいんだー」
「へっへっへー、きょーちゃん、ぼくだってやるときゃやるんだよぉ」
「じゃーさ、これ、いっきできる?」
「え……ああ」
「えー、ほんと?すごいわねー」
「ええっと、まあ、もしかしたらね」
「いや、無理でしょ春原の兄ちゃん。それ、ビールグラス一杯分のスピリタスだし」
「もしできたらー、そうねー……ごにょごにょごにょ」
「……え……ま、まじで……」
「でね、ごにょごにょごにょ……」
「……むっはーっ!!みててよ、きょーっ!!」
「……うわああああっ!春原さんがぶっ倒れたっ!!」
「衛生兵っ!!えいせいへえええいっ!!」
……あーあー、キコエナーイ。
「にしても今回もまた新しい参加メンバーが来れてよかったじゃねえか」
にかっとオッサンが笑った。
「そうだな。特に今回はpixivからの参加者が多数派だったから、イラストが結構来たな。SSの数は去年よりも一作少ないけど、イラストは比べ物にならないくらい増えた」
「これからもpixivってのが結構影響力持つんじゃねえか、こういうイベントで」
そう言われてみれば、頷ける話だった。
「pixivには小説機能もついてるからな。今まで話は書きたかったけどサイトがないから公開できない、とか思ってた作家希望も、これで公開する機会ができたわけだし、告知イラストを使えばいろんな人にアピールできるし」
「そういや今年はお前も祝ってもらえたんだっけな。よかったじゃねえか」
「ああ、そうだな。しかも」
「しかも?」
俺はぐぐっと拳を握って、そして声高に宣言した。
「今回は巴と朋幸のイラストまであるなんて、俺は感動だあああああああっ!!」
「ちょっと、小僧、静かにしろ」
「かわいいぞ巴ちゃんっ!!さすが俺の息子だぞ朋幸君っ!!岡崎最高だぞ智代っ!!!」
「だから小僧……」
するとその時、ぴしゃんとベランダの扉が開いた。やべえ、見つかった。
「そこにいたのかぁ、ともやぁっ!!」
現れたのは、雪すらも恥じらうほど白い肌の持ち主、智代さん。ただし、今現在は赤く染まっている。焦点の合ってない目といい、間延びした口調といい、何が原因かだなんて聞くまでもない。
「ともやは、わたしをほっぽいて、なにをしてたんだぁ?いろんはみとめないぃ、ともやのよめというたちばでだな、きかせてもらおぅ」
「智代、酔っぱらってるだろ」
「よってなんかないぞぉ?」
どう見ても酔いつぶれる寸前でしたどうもありがとうございました。
「それとも、ともやはわたしのことが、き、きらいになってしまったのかぁ?」
自分の言葉にショックを受けたらしく、智代の背後で雷がぴかりと光った。
「そんなことはないだろ。俺はいつでも智代のことだけを見てるぞ。智代が一番好きだ。これは譲れない」
「ほんとうかぁ」
上目遣いで智代が俺を睨んだ。だけど真っ赤な顔に間延びした口調が逆に可愛かった。HIT。
「もっちろん。ああ、智代が俺の嫁だなんて、俺って何て幸せなんだろう。このまま死んじゃってもいいなぁって思えるほど幸福な奴だな、俺は」
「だめだぁっ!ともやはしんじゃだめなんだっ!ともやはわたしとずっといっしょ」
軽い口調で言ったのに、智代は急に抱きしめてきた。そして拗ねたような口調で「ずっといっしょなんだからな」と付け足した。クリティカルHIT。
「ははは、そうだな、ずっと一緒だ」
「ずっと、うん、いっしょ……」
そう呟くと、智代はすぅすぅと寝息を立て始めた。いつもはしっかりしている智代が、俺に抱きついたまま無防備で寝ている。ああ、萌え萌え。
「けっ、見せつけやがって。よそでやれよそで。お前らがそういちゃついてると、俺と早苗の愛がかすむじゃねえか」
しっし、とオッサンが手でジェスチャーした。よそでって、一応ここ、俺の家なんだが。
「まあ、早苗ラブだったら負けないがな」
「そりゃそーだ」
「早苗のくそまずいパンを食っても愛は減らないからな。これこそ俺の愛の強さの証よ」
と、そこまで言ってから、オッサンは「しまった」という顔をした。家の中、カーテンの向こうにあるシルエットの一つが、肩を震わせた。
「私のパンは……私のパンは……」
さささ、と早苗さんの周りから人が離れた。走り出したら止まらないぜ、人身事故に要注意。
「秋生さんの愛を測るために使われるほどくそまずい物だったんですねぇええええええええええええええっ」
早苗さん、見事なスタートダッシュです。(校閲)歳とは思えないほどの走りっぷり。するとオッサンは内ポケットから早苗さんのパンを取り出すと、口にくわえた。いつも持ってるのか、それ。
「俺はっ!大好きだあああああああああああああああ」
「ん?今の声……あっ、そこにいたっ」
「いたぞっ!アッキーだっ!!」
「てめえらに構ってる暇はねぇっ!!早苗、あいしてるぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
「まちやがれえええっ!!」
家の中が喧騒に包まれている間、俺はふっと笑うと、智代の頭を撫でて、頬にキスをした。
ま、とりあえずみんなご苦労さん。