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アホポーズ

作 水澄 URL:http://nekogaita.blog116.fc2.com/

「杏ー! 俺だーっ! プロポーズの仕方教えてくれーっ!」

 とりあえず殴られた。

 

 

 岡崎朋也は恋人と同棲中である。そりゃあもう誰もが想像する桃色空間を常に繰り広げている。ときどき遊びに来る恋人の弟はやってらんねーと言って最近は週に二日くらいしか来ていない。来ているだけでも勇者の栄冠を授けたい。それは星の彼方かどこかに置いておくとして、同棲している恋人の次のステップといえば結婚である。結婚というと戸籍をひとつにすることで正式的に○○は△△の一族の一員になったと、世間的に認められる、古代より伝わる世界共通の男女の花道である。

 朋也は先輩と酒の席にいて毎度毎度語られる愛の嵐をスルーしつつ智代の裸エプロン姿などを妄想しながら酒を口にしていたのだがそのときに思ったのだ。

 そろそろ智代の誕生日かー。もう俺ら出会ってから5年経つんだなー。あれ、そのときって智代16歳だったよなー。俺の誕生日が10月30日だから……おおっ、すげーっ、丁度16日間違うじゃん! やっべーなこれ、どんなミラクルだよこれ。せっかくだしそろそろプロポーズしねえとな、と。

 だが彼はドラマに興味がなければ正直漫画にも興味はない。智代に出会うまでロマンティックなどという言葉とは無縁の生活を送っていた男である。ぶっちゃけ智代にしか興味がない。ただのバカップルである。今更女々しい雑誌やドラマや映画などを鑑賞し「こんなふうにすればいいのかメモメモ」などという好意は恥以外の何ものでもない。

 考えた。彼はひたすらに考え抜いた。普通ならば一ミリたりとも動かない歯車は、智代という潤滑油を差しただけであっという間に回転し始めた。犬のウンコを踏もうが猫に小便をかけられようが子どもたちに水鉄砲をかけられたところで流石にキレたがひたすら考え抜いた。

 そうして辿り着いた先が「そういうことに興味のある友人に助けてもらう」だった。だが朋也の高校生活といえば智代と過ごした日々以外はほぼ暗黒時代といってもいい。友人など指で数える程度しかない。春原? なにそれ? 新しいラーメンの具? 状態だった。しかし奴がいたとしても猫ほども役に立たないのは間違いない。ロマンティックは気取っているがロマンティックな恋など一度もしたことないのだ。そんな奴がプロポーズの言葉を考えるなんて仏陀に謝らなければならない。仏陀とロマンティックって関係ねーな、と思った。かといって一日中愛だのヒトデだのを語る隣の先輩は正直言って宛てにならない。一応既婚者ではあるが、彼の語る愛≠ニいうのはある種の固有結界(失礼)であり教えてもらいたいものとはあまりにもかけ離れている。

 そんなわけで、酒で酔っていた朋也は帰路で見つけた杏に対し走りこみながら冒頭の言葉をかけたのだった。そして殴られたのだった。五メートルくらい吹っ飛んだのだった。

「何あんた、殺されたいの。殺されたいのよね。言ってみなさい。はい、殺されたいーっ。よっしOk殺す」

「まあ待て落ち着け酔ってたんだ酔ってたんだよ悪気はなかったんだ。ただムラムラっとしただけで」

 背後に阿修羅のオーラを漂わせて近づいてくる杏に弁解してみるが、あれ、これってなんか浮気発覚したみたいじゃね? と気がついた。杏の拳は何と酔いすら醒めるのだ。一家にひとりは……やっぱりゴメンナサイ。
 土下座して頭を踵でにじられてようやく許してもらった。世の中不公平である。きっと見知らぬ人であればごめんなさいの一言で済むのかなと思ったがやっぱり済みそうにないから黙っておいた。

「で、何、プロポーズの仕方?」

「そうだ」

「結婚しようでいいんじゃないの?」

「それじゃあロマンティックがない。ロマンティック大統領がマーーーーンと飛び出してくるかもしれない」

「誰よそれ」

「今考えた」

「フンッ!」

「ナイスコースクリューッ!?」

 衝撃と打撃を伴う一撃が朋也の鳩尾に炸裂した。酔っている原因のものと手羽先が喉から溢れ出そうになるがキッチリキュッと胃を締めて耐える。男の子は強くないと好きな女の子を守れないのだ。いや、その、目の前にいる御仁はそういうのを超越した存在なのではあるが。

「ま、待て杏、今のお前はとても園児たちに見せられない顔をしている」

「誰のせいでなったってのよ」

「んーと……俺?」

「男として死ぬか人として死ぬか選ばせてあげようか」

 ワキワキを動かす手は頭を潰すのか股間を潰すのか。はたまた両方か。朋也は全力で土下座した。地面とキスするくらいの勢いで土下座した。世界一安い男の土下座である。

 こんなところで話し込むのも通行人の邪魔になってしまうのでさっきとは違う居酒屋に寄ることになった。
 カウンター席の端を陣取り、ビールと手羽先を注文する。

「あんたまだプロポーズしてなかったのね」

「面と向かってみると恥ずかしいんだよ」

「女友達にプロポーズの仕方教えてくれなんていってる男が何言ってんのよ」

「そりゃあ酔いとテンションが混ざり合った産物というかなんというか……。あれだ、うん、一時のテンションに身を任せたらそのあれだ、うん、ダメだよねってことで」

 しみじみと頷く。杏は意味不明な行動を始めた名探偵を眺める大量殺人鬼のような表情で朋也を見つめていた。朋也はえっち、と胸を隠すポーズをした。殴られた。居酒屋のカウンター席で正座することになった。きっとあらゆる店のカウンター席でまじめに正座をさせられる成年男子は自分が初めてだろう。想像すると興奮した。しゃーらーらーえーくすたしー。

「ってことでだ杏、お前がロマンティックだと思うプロポーズの仕方を教えてくれ」

「うーん、トラックの前に飛び出して、僕は死にまっせん、僕は死にまっせん、って叫び続けるとか?」

「智代がトラックを蹴り飛ばす想像しかできないんだが」

「奇遇ね、あたしもよ」

 人間最終兵器は愛する人のためだけにキャスト・オフするのだ。文字通り最終兵器彼女である。

「それ以前にお前パクリじゃねえか」

「車のライトを五回点滅させてアイシテルのサイン、とか」

「お前何歳だよ」

「うっさいわねー。そもそも人にプロポーズの仕方を請おうって時点で既にロマンティックじゃないのよ」

 予想もしていなかった正論にグッと朋也は黙ってしまう。

 朋也だって劇的なプロポーズを考えていなかったわけではない。プロポーズは大切なものだ。ある意味これから一生の宝物だ。公園のベンチで座って、結婚しようと耳元で囁く、あまりにもオーディナリー且つロマンティックな方法だって考えたことはある。だが朋也のプライド的に普通なプロポーズをするのは何か違った。酔いの勢いというのもあるかもしれないが、自分にとっても智代にとっても、若かったなあと笑い合えるプロポーズをしたい。それが朋也の純粋な願いだった。

 しかしロマンティックといっても限界はある。杏の引き出した提案は全てドラマや楽曲で使われた、ある意味オリジナリティ性を失ってしまった、ベタな方法である。ベタ過ぎて笑えない。そもそも智代が元ネタを知っているのかどうかすらもわからない。

「あの子の誕生日って30日でしょ」

「ああ」

「じゃあ俺がプレゼント≠チて感じで裸リボンでずっと家で待ってればいいんじゃない?」

「お前は俺を変態にさせたいのか。春原と同じポジションにさせたいのか?」

「あんたたちって本質は違っても根本は同じような気がするのよねー」

 何となく合っているような気がしてグウの音も出せなかった。
 しかしかといって協力要請した朋也は杏を蔑ろにすることはできない。文句は言えても本気で拒否できない。あれ? 春原と同じじゃね? と思い至ったところで朋也はビールを一気に煽った。

 見かねた杏がため息をつきながら、

「じゃあ、あの子の好きなものって何よ」

「好きなもの……食べ物?」

「違うわよ」

「わかってる」

「頭割る」

「いやまじでごめんってちょっと冗談だってほらあれだよあれなんかさ久しぶりに友達とかに会うとテンション高くなっちゃうじゃん予想外な場所でさいや俺はお前が帰る時間知ってて狙ってやっちゃったんだけどわかった奢る奢るから許せ許して許してください!」

「絶対奢れよ」

「はい」

 どこのヤクザだよと思いつつ考えてみる。智代の好きなもの。可愛いもの全般は女の子らしく好きというのだろうが、杏のいう好きなもの≠ニは違う気がする。好きなものの中でも特出して好きなもの。好きな体位? 智代はキスしながら密着できるからといってあの体位が好きだと言っていたような気がする。

 そうか、つまりそういうことだったのか!
 ムード的にも最高じゃないのか!?

「わかったぞ杏!」

 朋也はもうこれ以上ないというくらいの笑顔で杏の顔を見た。

「甲斐性ナシに翼が生えるときが!」

 杏もこれ以上ないというくらいの笑顔で答えに辿り着いた。
 もう迷わない。この道を進むって決めた以上、朋也のすべき行動はただひとつのみ。覚悟を決めて貫かれた道に、正義も悪もないのだ――

「今度エッチするとき対面z」

 ガッシリと、万力の如く朋也の頭に杏の手が食い込んだ。

「ぎゃああああああああああああああああ!」

 ギリギリと指と頭蓋が軋んだ音のハーモニーを奏でる。

「ブッ殺されたいのねあんたは」

 殺意というのは無意識の内に内側からにじみ出る意欲のことであり、それが強くなりすぎて外に放出されるものを殺気≠ニ呼ぶ。今の杏からは殺気が滲み出るを通り越して放たれていた。覇気の如く朋也の動きを悉く封じている。背筋の凍りついた朋也は必死に生き延びる術を考え、結果、鮭を咥えているある動物の木彫りが頭に浮かんだ。

「待て、わかった、冗談だ熊だ熊! 智代は熊が好きなんだよ!」

「熊ぁ?」

 頭に引っかかっていた爪は呆気なく取れた。朋也は動悸と抑えつけながらふうと息をついた。思えば智代は常に熊とともにあった気がする。学生時代のとき、熊の着ぐるみを着て周りの目を誤魔化そうとしたり、春原を蹴っていたときに見えたスカートの中身が熊だったり、好きなネズミの国の作品がプーだったりよくよく考えてみると熊と繋がっている。

 現在のバイトもデパートの屋上の子どもの遊ぶところの熊の着ぐるみだった、らしい。らしいというのは彼女がバイトを始めたことと場所を知り、ちょっと冷やかしに行ってやろうと目的地へ赴いたのだがなかなか智代は見つからず、結局鷹文に教えてもらったというなんとも間抜けなエピソードがあったりするからである。

「……熊、ねえ。それでどうするつもりなのよ」

「着ぐるみ着て抱きついてプロポーズ……とか?」

「顔赤くすんな気持ち悪い」

 酷い言われようだった。

「それか某ネズミの国の熊とおそろいの格好になって」

「赤いTシャツ一丁でやるつもりなの」

「智代が喜んでくれるなら」

「その前に逮捕ね」

 だってあれ下半身露出してるし。
 しかし熊というキーワードだけ見つけられただけでも朋也にとっては捗ったようなものだった。どのくらい捗ったかというとガラスの靴を片手にシンデレラを探しに来た王子様が一発でシンデレラを見つけちゃいました、くらいの捗りようだった。要は単なる偶然である。そしてその偶然を呼び起こしたのは杏の力である。暴力的な意味で。

 つまり朋也=王子様 智代=シンデレラだった。継母と義姉を逆に説き伏せそうなシンデレラだった。平和に解決しそうな物語だった。

「はあ、でもどこに熊の着ぐるみがあるってんだよ」

「お困りのようだな若えの」

 聞き覚えのない声に朋也たちは振り向いた。朋也の隣に不良少年が更生し損ねたまま成長してしまった可哀想な人物がいた。ビールを煽り手羽先を食っているその姿に朋也は貫禄を感じた。オッサン的な意味で。ちなみにオッサンが食っている手羽先は朋也たちのものだったのだが気づくことはなかった。

「あんた誰」

「この界隈じゃあ俺を知らねえ奴はいねえ。そうだよなあオヤジ」

 居酒屋店主は、そースね、と手羽先を作りながら返した。どうでもいいらしい。実際朋也たちがこのオッサンの実態を知ったところで何の得にもならない。正に誰得。

 ほらな、とどや顔するオッサンにふたりはこの人ヤバイ人なんじゃね? と思い始めていた。実際居酒屋で絡んでくるオッサンにはまともなお人はいないのが現実である。しかし胡散臭さは漂っていてもこの男、怪しさというものは秘めていない。それなりにまともな御仁であるのはわかるのだが、先の通り居酒屋で何事もなく絡んでくるオッサンは性質が悪い。

「大丈夫なのかよこのオッサン」

「なんか怪しいわよね」

「おい小僧」

「俺はもう小僧って年齢じゃ――」

「いいのか、お前」

 突然真剣な声色になり、文句を思わず引っ込める。

「さっきから話を聞いてる限りじゃあ女にプロポーズするみてえじゃねえか。プロポーズってのはあれだ、男の一世一代の勝負みてえなもんだろ。断る断らねえって騒いでないのを見るとその女とはよっぽど通じ合ってる仲だと見た。そしてそんな仲だからこそハッチャけたプロポーズをしてみたい。ねえちゃんもされてみてえだろ?」

「いや、あたしは普通にして欲しい」

「空気嫁」

「いやーダメっすよオッサン。こいつに空気読めとか言っても。多分あんたを越える暴君なんだから」

「マジでか」

「あんたら表出ろ」

「で、話の続きだけどな」

「ナチュラルに続けよった」

「俺は強制しようだなんて思ってねえ。ただ、若い頃を思い出して、お前に手助けしてやろうと思ってな」

「オッサン……」

 遠い目をするオッサンに不覚にも濡れそうになった。どこかは言えない。詳しく話を聞くに本当にここら辺では一大権力を持っているこのオッサンが商店街の方々に口を聞いて一晩だけ熊の着ぐるみを貸してくれるそうだ。あいつ等は俺に逆らえねえからな、と言った顔は暗黒面に満ち溢れていた。今の朋也にとっては些細な問題だった。

 杏は自分よりもおかしなオッサンの登場で冷静さを取り戻し酔いから醒めはじめていた。
 中学生のようにはしゃぐ男ふたりを見て、なんか違くない? と思ったが空気に紛れて霧散した。

 

 

「まったく、いきなりどうしたんだあいつは」

 突然の電話に困惑しながら智代は朋也が指定した公園まで歩を進めていた。先ほど、「公園にまで来てくれないか」と妙に篭もった声で言われたのである。朋也の番号でなければ変質者として通報していたかもしれない。

 だが智代はもしかして、と期待で足を動かしていた。何せもうすぐ21歳。大学生ではあるが、結婚してもおかしくない年齢になっている。いつもは家で何気なく、冗談交じりで会話していることが、現実になるかもしれないのだ。ひとりの女として嬉しいに決まっている。ただ、予想でもない予感に過ぎないのが彼女を現実の一線から逃そうとしていない。

「あれか」

 一角の陰に見えた公園に見つけ、そこに入る。
 一見誰もいないように見えた。

「坂上智代さんですね」

「わっ、だ、誰だ――って熊?」

 少々小柄な熊が智代の肩を叩いたのだった。思わぬ行動にトキドキしながらも智代はイエスを返した。

「朋也の知り合いなのか」

「あちらをご覧ください」

 質問には答えなかった。多分、そういわれるよう頼まれているのだろう。
 熊が指差す先(本当に指を差しているのかはわからない)には、なぜかバットを持った熊とそれと相対しているピッチャーグラブを装着した熊がいた。応援席らしいビニルシートの前には、やはりもう一匹熊が。
智代は混乱していた。なんで熊の野球観戦に巻き込まれなくてはならないのか、と。いや、熊は好きだがそれとこれとでは月と太陽くらい話が違う。誕生日まで後もう少しなのにどうしてこうなった。

 あとこれを、とグラブを差し出される。ちょっと言ってる意味がわかりませんと言いたくなったが、要は打たれたボールをこれで捕れとのことらしい。どうしてこうなったと踊りたくなった衝動を抑えた。

 ピッチャーグラブの熊が投げる。よくあんなのを着て投げられるものだ、と感心した。
 もう一頭の熊がバットを振りぬく。

 カッキーンと打たれたボールは、見事なアーチを描く。智代は知らずの内にグラブを装着した手を空にかざしていた。
 ボールは当たり前のように、智代のグラブの中に吸い込まれて行った。

 智代はボールを取り出してみる。白球には、「結婚してくれ」という文字が大きく書かれていた。
 ハッとなって熊に顔を向けると、バットを横に放り投げた熊が一目散にこちらに走ってきた。だがそれは走るための勢いづけではなく、飛び上がるための助走だと気づくのに三秒ほどかかった。
 熊と智代の距離は二十メートルほど離れている。

 残り五メートルだというときに、

「今だっ、小僧ォッ!」

 ピッチャーミットの熊が吼える。
 それを合図にして走っていた熊が跳んだ。いや、飛んだ――ように見えた。
 平生の朋也ならばそのまま丁度良く智代の目の前まで到達できただろう。だがしかし、現在の彼は着ぐるみという無駄に錘にしかならないものを装着している。

 つまり―――

 ――智代の少し手前で顔から地面に激突した。
 勢いをつけていたせいで数センチ地面に引きずった。

「!?」

「小僧ォォォッ!」

 ピッチャーミットの熊が倒れた熊に駆け寄った。
 シュールすぎる光景に智代は一瞬朋也の心配を忘れてしまった。

「バッカヤロオオォォ! だから無理だって言ったんだ……! 空中キャスト・オフなんて……!」

「てめえがやれって言ったんだろうが! さり気なく責任逃れしようとすんな!」

「……チッ」

「チッってなんだああ! もういい! 俺は行く!」

「行ってふられてこい」

 ものすごい勢いでおそらく中身が朋也であろう熊が走ってくる。智代は恐れを感じず、黙ってその到着を待った。が、数メートル先で明かりが照らし出され、作られた笑顔が闇に浮かび上がった。智代の恐怖ポイントが30溜まった。
 熊はその勢いのまま膝を地面に滑らせて突っ込んできた。智代の恐怖ポイントが70溜まった。

「智代ーっ! 俺だーっ! 結婚してくr」

「怖いわあああああ!!」

 恐怖ポイントMAXの智代にそんなものが通じるはずもなく。
 朋也は熊のまま夜空に先のボールと同じようなアーチを描いて落下していった。もちろん無表情な笑顔のままで。

 

 

 オッサンとその家族に協力してもらった礼を言って、ふたりは帰路についていた。

「なんだったんだ、あれは」

「その、なんだ、普通のプロポーズじゃあつまらないと思って」

「予想外すぎるだろう」

 熊の着ぐるみを着て愛を叫ぶ、というタイトルはどうだろうか、と朋也はどや顔した。蹴り飛ばしたくなったが何とか抑えた。
 あの後、オッサンとその家族に謝罪をしたが、三人とも笑顔で気にしてない、楽しかったと言ってくれた。オッサンに限っては面白い玩具を見つけたような表情だったが、それも好意だと受け取っておくことにする。

 ロマンティックを目指していたんだと弁解され、アレのどこがロマンティックなのか200回くらい思い出せと言った。朋也的にはあれ以上にロマンティックなプロポーズはないと言い張ったが、智代はツッコミをするわけでもなく、呆れのため息をつくだけだった。ちょっと虚しそうな顔をされた。

「馬鹿、そんな顔をしたら構いたくなるだろう」

「どんな顔してた」

「捨てられて雨ざらしになった子犬のような目をしていた。抱きしめたくなるぞ」

「抱きしめてくれ」

「やっぱり嫌だ」

「えー」

「帰ったら……いっぱいしてやる」

「……新手のツンデレか?」

「何の話だ」

「こっちの話だ」

 いつものことだがちょっと言っている意味がよくわからなかった。
 意味がよくわからないのは今に始まった問題ではないが、今日はその度を越している。なんでプロポーズで野球? 男的にはロマンティックかもしれないが女的にはロマンティックではない。百歩譲って野球でホームランを打ちプロポーズ、なんてシチュエーションはロマンティックかもしれない。しかし、なんで熊の着ぐるみだったのかを小一時間ほど問い詰めたかった。

 智代は考える。熊といえば、最近町の方に降りてきては建物の中に立てこもったり、散歩中の人を襲い病院送り、最悪死亡させてしまったりとろくな事件がない。その理由とは何か。答えは簡単で飢餓である。今年は異常気象なんたらかんたらで熊の餌である木の実などが実らず、熊は生きるために仕方なく山を降りてくる。

 ――まさか。智代はある考えに行き着いて立ち止まった。

「どうした、智代」

「朋也」

 がっしりと朋也を抱きしめる。

「と、智代」

「朋也。安心しろ。お前の御飯はずっと私が作ってやるからなっ」

「……智代、お前」

 何を勘違いし≠ニ言いかけたところでもう一度深く抱きしめた。
  智代は己の力が普通の女の子よりも、下手をすればそこら辺の男子よりも強いことを忘れていた。

「いたぁ――――ッ!?」

「お前が毎日満腹になるよう、私は努力するからな」

「いやいやいやしなくていいから少なくとも今はしなくていいからっていうか痛いから離してええええ」

「なんでそんなことを言う。もう私はお前のことを離さないぞ。……なんて、なんだか私のほうからプロポーズしたみたいだな」

「いやいや照れなくていいから可愛いけど今照れるのはやめて離さないどころかお前と一体化するくらい抱きしめられてるからああああ僕らは別々の生き物だからああああひとつにはなれないからああああ」

「そ、外でそういうことを言うのは……」

「誰かああああ助けてくださああああああああぁぁぁぁ………」

 朋也の声がだんだんとか細くなっていく。
 朋也との確かな未来を思い描いている智代の耳にそんなものが入るはずもなく、いやんいやんと身体を捻るばかりであった。その度に朋也の肋骨も悲鳴を上げるのであった。

 どこの家からかわからぬが、カレーの匂いが鼻を過ぎる。
 団欒の声が響き渡る。
 近い未来をより身近に感じて、智代は少しだけ幸せな気分になった。

 

 

 

 

 

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