大人のBirthday
電車のボックス席に着くと僕はビールを飲み始めた。窓の外は既に暗く沈んでおり、ホームの明かりが余計に寂しさを際立たせる。
ただでさえ人気のないホームなのに誰を照らすわけでもなく光る電球がまたわびしい。
一口、また一口とビールを飲んでいく。田舎の街では夜の電車利用はぐんと少なくなる。
できればこんな遅い時間ではなく昼間に乗りたかった。遅れて行くというのはなんともバツが悪い。
今日は高校時代の悪友の誕生会が行われる。そいつも僕と同じくらいどうしようもない奴だったが、今では同棲する彼女の為に頑張っているらしい。
独り身の僕にとってなんとも羨ましい話である。
そもそも、その彼女も高校時代からの付き合いなのだが、僕はその彼女に対して戦いを挑んだり、挙句にはおっぱいを貸してくれなんて暴言をはいたことすらある。
今思い返すと自分のピエロぶりに呆れる。悪友を連れて彼女の教室まで乗り込みいつもやられていた。そして悪友が彼女と談笑する。
いわば二人の笑い種となり潤滑油になっていた。だけど、あの頃は辞書を投げるような女と関わっていたせいか、女の子に対する接し方が分からなかった。
だから彼女に接するのも一方的に戦いを申し込むような粗暴なものとなった。そのおかげで、僕は挑んでは負け続け悪友は上手く彼女との距離を詰めていった。
本当にうまいことやりやがった。
電車が走り出しても、電灯の少ない路線で満足に景色も見えない。かわりに窓に映った自分の顔を見ると、ネクタイが不釣合いに思えてなんだか笑えてくる。
ここでも僕は道化を演じているようだ。かつては一日中緩めていたネクタイが今では簡単に緩めなくなった。
僕はネクタイを緩めようやく一息ついた。ビールも美味しくなってきた。
本当は有給をとって昼間から向かいたかったのだが、なんせ誕生会の知らせを聞いたのは昨日なのだ。
あいつらしいムチャぶりと言えばそうだが、ギリギリでも呼んでくれたことを喜ぶべきなのか、直前に存在を思い出されたことを嘆くべきなのかモヤモヤする。
しかし、会社に連絡をとっても融通がきかないので、夜から参加する旨を伝えたら待っていると言ってくれたのは喜ぶべきところだろう。窓は相変わらず僕の顔を映し出していた。
そこで僕は肝心の誕生日プレゼントを買い忘れていることに気がついた。しょうがない、向こうに着いたら何か買おう、そう思ったが何を買おうかまったく思い浮かばない。
女の子相手ならともかく、男相手に一体何をあげれば良いのか分からなかった。結局、酒屋で一番高い酒を買っていくことにした。
窓の外で線路の電灯が一瞬の閃光となって通り過ぎていく。振り返れば高校はあっという間だった。充実していたとは言い難い。
でもつまらなかった訳でもなかった。それはこれから会いに行く悪友やその彼女がいたからだと思う。朝早くに叩き起こされる生活は嫌だったが。
いつの間にか眠っていたのだろう。目的の駅に着くとちょうど目が覚めた。僕は郷里と同じ位寂れたホームを横切り改札をでる。そして酒屋で酒を買って家に向かう時にふと思った。
どんな顔して行けばいいのだろう?
僕は久々に悪友・岡崎に会うのだが、数ヶ月どころの話じゃない。少なくとも五年は会っていない。
別に会いにいけないほど忙しいわけでもなかったのだが、卒業してからはお互いに忙しくて僕らの連絡は途絶えがちになり、最後に会話したのはもう三年も前だからだ。
人見知りではないが、こうなると妙な気恥しさというかもどかしさというか、何か得体の知れないものが僕のなかに渦巻くのだ。
バカバカしい。男に会いに行くのにこの感情はなんだ?僕は思わず早歩きになって頭から追い出そうとした。
別に普通の顔をして行けばいいじゃないか。片手挙げてよっ、と言えばいいじゃないか。僕はホモでもないし岡崎を性的に好きなわけでもない。
それでも沸き上がるこの青々しい気持ちに僕は振り回されていた。
普段しないような早歩きで来たからだろう。岡崎のすむアパートには比較的早く着いた。階段をのぼってすぐの角部屋に目がいく。岡崎の部屋だ。
階段を登っていくにつれて窓の明かりか近づく。磨ガラスを通した電球色の光が妙に眩しく感じる。
そしてインターホンを押そうとしたとき、つい手がそのまま止まってしまった。僕の指とインターホンは五センチも離れていない。でもその先に指が進んでくれない。
僕がそのまま立ち尽くしていたら部屋からどわははは、と笑い声が漏れ出した。岡崎の声だった。
続いて女性の笑い声が複数聞こえた。長い間聞いてなくても分かる。智代と杏の声だ。
その瞬間僕はこの渦巻く感情と、どうして指が進まないのか分かってしまった。それは不安だった。
僕はこの街に住んでいない。だけど岡崎や智代、杏はこの街に住んでいる。だとしたら顔を合わせる機会もあるだろうしすれ違うことだってあるはずだ。
それが僕にはない。しかも智代や杏に合うのは五年ぶりなのだ。卒業してから連絡もしてないからどんな大人になっているのかも知らない。
しかし岡崎は違うだろう。この笑い声も、これは久々に再会した時の思い出話に花が咲くといったものではなく、昔の高校時代を彷彿とさせるような
リラックスした気のゆるんだ笑い声なのだ。間違いなく彼らは頻繁に会っているだろう。その輪の中に入っていけるかの不安だった。
薄い木で出来たいかにも安そうなドアが、僕と彼らの間を目で見える形で遮っている。物理的にではなく心理的に。
僕は指を降ろすと、音をたてないように階段を下った。そして岡崎の部屋を見つめながら僕は深呼吸した。心地よい夜風を感じ、木々が揺れる音を聞き、土産の酒を抱えた。「くっそがぁぁぁぁーーーー!!!」
僕は勢いに任せてダッシュで階段をかけ登る。
いけ!いくんだ春原陽平!何を不安に思っている。お前はそんなに頭でっかちに考える奴だったか?違うだろ。
もし、社会に出た五年間が僕を臆病にしたのならそんな五年間なんて忘れちまえ!
階段を駆け上がる音が静かな住宅街に高々と響いていく。そのまま、おらぁぁとドアを蹴破り
「岡崎、誕生日おめでとう!」といい笑顔で言った。言ったつもりだった。言ったはずだった。「うっせーぞコラァ!何時だと思っているんだ!」
「おごがぁぁぁぁぁ」
足を上げ蹴破る直前でドアが力強く開かれたのだ。しかも引き戸で僕はドアと欄干にサンドイッチになった。
「おいコラ。近所迷惑って言葉知らねーのかよ?あぁん?」
胸倉をつかまれ欄干の外に落とされそうになる。ひいいいぃぃぃぃぃ。なんて恐ろしいおっさんがいるんだ。
つぶった目を開けてみると岡崎が阿修羅のような形相で胸倉つかんでいた。「ま、まて岡崎。ぼくだよ、ぼく。春原陽平!す・の・は・ら」
「あぁん?」
岡崎は顔を寄せ僕の顔をじっくりと眺める。にこっと笑うと岡崎は何故かはにかんだ。「よし。やっぱり落ちろ」
「ちょっとまてーーーーー!」
本気で落とそうとする岡崎に抵抗して何とか欄干の内側に足をつけた。
学生時代もそうだったけどこいつのやることは遠慮がなさすぎる。荒げた息をととのえ顔を上げると、岡崎の真上に蛍光灯があり顔が陰になって見えなかった。「ちょっとーなにしているのよ」
そこへドアの向こうから杏がちょこんと顔を出した。長い髪が蛍光灯の淡い光でおぼろげに滲む。
いや実際に滲んでいた。それほど先ほどの行為が恐ろしかったのだ。小便ちびるかと思った。「おおっ、杏!ちょうどよかった。岡崎を何とかしてくれ!」
「あー……。朋也、そいつ落としていいわよ。どうせ大した高さじゃないし」
「おいっ、ちょっとまてぇぇぇ!あんた久々に会ったっていうのに薄情っすねぇ。下手すりゃ殺人未遂だよ」
「未遂にはしない。ちゃんと殺ってやるさ!」
キランと、そのまま星が出そうな笑みを浮かべ再び僕を落とそうとする。目が全く笑っていない上にどこかぎらついていた。
「こら!人の話を聞けって。なんでそんなに怒っているんだよ」
「お前が…お前が邪魔したからだろ」
はぁ?思わずそう言ってしまうと。さすがに岡崎の顔から笑みが消える。さすがにヤバいと思ったので杏に助けを求めた。
「はぁ〜離してやって。それで陽平。中に入ればわかるから」
ものすごく残念そうに舌打ちして岡崎は「中に入れよ」とあごで指図した。確かに大声で階段を駆け上がったのは悪かった。
でも僕だってわざわざ遠くから仕事終わりで来ているのだ。もうちょっと労いの言葉とかあってもいいのではないか?
少なくともこれでは再会を不安がっていた僕がバカみたいだった。
玄関を上がり中に入ると二人の女性が机を挟んで座っていた。智代となんと椋であった。
しかも二人ともすごく変わっていて僕は口をあんぐりと開けてしまった。まず智代だがあの背中の中ほどまで伸びていた髪が肩口でバッサリ切られていた。
トレードマークのヘアバンドもしていない。なんだかスーツがとても似合いそうな風貌になっていた。俗にいうできる女というやつだ。
そして椋は逆に髪を伸ばし今では杏よりも髪が長い。両サイドに髪をたらし、残りは後ろでポニーテールになっていた。
でも二人ともそれだけではない。服を大きく伸ばす大きなお腹をしていたのだ。「えっ、二人とも妊娠していたの!?」
「大きな声を出すな、バカ」
「春原君、久しぶりですね」
むすっと機嫌の悪そうな智代と対称に、にこにこと笑いかけてくれる椋。僕はどんな顔をしていいか分からなくて、後ろにいた杏の方をむいた。
「なによ金魚みたいに口あけて。ふんっ。どうせ私は諒に先を越されましたよ」
「またお姉ちゃんそんなこと言って。先を越したとか思ってないから」
「現に先を越してるじゃない!」
いーっと、悔しそうな顔をする杏。そしてそれをなだめる椋。かつての藤林姉妹といえば姉の杏が妹の椋をリードしていたのだが、今ではすっかり立場が逆になってしまったようだ。
その様子を見てようやく僕は顔に笑みが浮かんだ。「なになに杏。椋ちゃんに先を越されちゃったんだ。これじゃあ椋ちゃんのほうが……」
「うっさい!」
「っがぁぁぁぁぁぁ!」
おもいきり鳩尾を殴ると「まだまだこれからなんだから」と強気に言い放つ。相変わらず凶暴な女だ。
うずくまっていると机の向こうで「お前たちあんまり騒ぐな。胎教によくないだろ」と智代が頬をふくらましていた。「ぼ、僕の心配は…?」
「自業自得だ、あほ。ほらこれがなんだかわかるか?」
そう言って岡崎は机の上にあった封筒を手に取った。お腹を抱えたまま僕は封筒の宛名を読む。
「智代へ……?」
「そうだっ。これは誕生日を祝ってくれた智代に感謝とこれからの意気込みを綴った手紙なんだよ!これを読むときにだなぁ、お前が騒ぎながら階段を上がってきたんだっ!」
「それは…悪かったよ。あっ、ほら誕生日おめでとう岡崎!これプレゼントのお酒だ。みんなで飲もうぜ」
「春原、妊婦が酒飲んでいいと思うか?あぁん?」
「ごめん……というかプレゼントとかケーキってもう食べちゃった?」
「とっくに。お前遅すぎるんだよ。だから締めに手紙読もうとしてたんだろ」
どうやら僕はことごとくタイミングや選ぶものを間違えたようだった。しゅんとなっていると杏が酒瓶を持ち。岡崎に言った。
「まぁ朋也、陽平も反省しているみたいだし、それにこれってかなり高価なお酒よ。私たちだけでも飲んであげないとこいつも立つ瀬ないし」
銘柄を見せながら言うと岡崎もしょうがないと言ってくれた。「そのかわり朝まで付き合え春原!」
その言葉にやれやれと智代と椋がため息をついた。
「それじゃあ、みんな飲み物はいいかい?」
乾杯の音頭をとることになった僕はグラスを持つと意気揚々と皆に聞いた。もちろん智代と椋はジューズで乾杯となった。
「じゃあ、岡崎。誕生日おめでとうー!」
グラスの音が重なり、ようやく岡崎も機嫌を直してくれた。
「ねぇ、もうどれぐらいになるの?妊娠してからずいぶん経つんでしょう」
さすが高価なお酒だけあって味もおいしく、度数も高いのですっかり陽気になった僕は二人に気になっていたことを聞いてみた。
「私はまだ五か月かな」椋が答えた「つわりもなくなって安定してきたの。だから今日来れたの。でも勝平さんを振り切るには苦労したかな」えへへと彼女は笑う。
「勝平って?」
「椋のダンナ」今度は杏が不機嫌になっていた。「まったく、あいつのどこがいいのかしら……」
酔いが回ってきたのかすっかり杏はぐちぐちと小言を言っていた。椋はそれに慣れているようでむしろ「結婚していないお姉ちゃんには分からいよ」と反撃すらしていた。
まったく本当に立場が逆転することになるなんて高校時代には考えもしなかった。「それで、智代ちゃんはどうなの?」
「もう七か月になる。最近は動いているのがわかるんだ。そんな時はお腹を撫でてやると落ち着いてくれる。それがなんだかうれしくて。母親になるんだっていう自覚がわいてくるんだ」
「俺と智代の愛の結晶だっ!」
顔を真っ赤にした岡崎が肩を組みながら絡んでくる。「どうだぁ?羨ましいだろ。俺と智代の子供だぁ。さぞ可愛い子になるに違いない!」
「あぁ…そうだな」
完全に出来上がっている岡崎は絡みに絡んでくる。僕は顔をひくひくさせながら適当にやり過ごしていると智代が岡崎の耳を引っ張って襖の奥に連れて行く。
「ってえな、智代!なにすんだよ」
「ほう、朋也。あれほどお酒で人に迷惑をかけてはいけないと言わなかったか?」
「えっ…あっ。はい。そうです」
「懲りずにまたお前は……。今月はこずかいなしだっ!」
「そんなぁ〜」
襖の向こうで岡崎が智代に尻に敷かれている様子が聞こえてくる。苦笑いをしながら杏が言う。
「あの二人いつもそうなのよ。同棲始めたころは余裕がなくて二人とも頑張るしかなかったんだけど、貯金も貯まってくると家計を握っている智代のほうが強くなっちゃってね。
ほんと見てて面白いわ」「高校のころは岡崎が智代ちゃんを引っ張っていたのにね」
「そういえば岡崎くんも変わりましたよね」
そういう椋に僕は笑ってしまった。本当にその通りだ。
「岡崎だけじゃない。杏に椋ちゃんも、智代ちゃんもすっかり変わっちゃったね」
久々に会って輪に入れるかという不安もいつしかなくなっていた。お酒の力を借りたけど、僕らはあの頃みたいに笑ったり話すことができた。
でも、やっぱり卒業して五年も経つと人は変わる。社会的にも人間的にも。僕があくせく働いていた同じ五年間で現に智代と椋は母親になろうとしている。岡崎も父親に。子供の親になる。子の先に立って育てていくと言うのはなるべくしてなるのではなく、天災のようなものだと僕は考えている。
その天災が仲間内で三人も訪れた。生まれてから親が僕にしてきたことを彼女らはこれからしていくのだ。僕が過ごす時間の中で同じ時間を使って。「なに言ってるの、陽平。あんただって変ったわよ」
「僕が?僕のどこが変わったのさ」
「どこだろう。でも確実に変わったよ。久しぶりに見たとかじゃなくてね、相変わらず空気読めないしバカなんだけど、なんだか雰囲気が違うよ。社会人の顔ってやつ?」
「なんだそれ、そんなこと言ったら杏だって社会人だろ?保育士だっけ?」
「うん、そうなんだけど私のそれと陽平のそれは違うよ。なんだろ責任感かな。スーツも浮いていないしどこからどう見ても大人のリーマンにしか見えないかな」
「リーマンか……あの頃はそんなのくだらないって思っていたけれど、結局なっちゃったな」
「だからかな、さっき陽平見たとき一瞬誰って思っちゃったもん。髪も黒いし」
「確かにww」椋が鼻で笑う。
まさか鼻で笑われるとは思ってなかった。本当に椋は立場が変わって強くなった。高校のときは僕や岡崎に接するときはビクビクしていたのに。
これも母親になる者の強さだろうか。というか変わりすぎ…。そんな風に過ごしているといつの間にか十二時近くになっていた。
「さて、椋もそろそろ帰らないとね。妊婦がこんな時間になっても帰らなかったら勝平も心配するし」
「えーっ!まだ岡崎くんともそんなに話してないよぅ」
「いいのっ!あんたには勝平がいるんだから。じゃあね陽平。後のことは頼んだ」
そう言って杏はぶーぶー文句を言う椋を引っ張っていきながら帰って行った。帰り際に彼女らはそれぞれまたねと、言ってくれたのがちょっと嬉しかった。
「あれ?杏と椋はどうしたんだ?」
襖の奥からようやく智代が出てくると部屋を見回してそう言った。「もう遅いからね。杏が連れて帰ったよ。岡崎は?」
「あのバカは寝かせておいた。まったくお酒に強くもないのに飲むからこうなるんだ」
その言い分だと智代のほうがお酒に強そうだなと思った。ジューズをグラスに入れて智代に渡してあげる。受け取るとグラスを持ったまま智代は天井を見つめていた。
「なぁ」智代は続ける「なんで今日はきてくれたんだ?」
「なんでって岡崎の誕生日だからさ。その本人は寝ちゃったみたいだけどね」
「そっか……」
僕には物憂げに天井を見つめる智代の気持ちが理解できなかった。それと同時に岡崎には申し訳ないけれど綺麗だと思ってしまった。
表情が僕の何かを刺激するのだ。だからだろうか、僕はここに来るまでに思っていたことを口にした。「本当のこと言うとね。今日どんな顔して行けばいいのか分からなかった」
それを聞いてえっと、智代は言葉を漏らした。
「だって久しぶりに会うわけだし、どんな話していいのか分からなかったんだ。それにアパートの近くまで来たら楽しそうな声が聞こえてね。尚更だよ」
「でも来てくれただろ。空気読んでなかったけど」
智代は乾いた笑みを浮かべながら机の手紙を指さす。さすがにこれには笑うしかなかった。
「朋也が言ったんだ。春原は絶対に来てくれるって。どんなにギリギリになっても来てくれるって。どうして長い間連絡も取っていないのにそんなこと言えるんだろうってずっと思っていた」
「岡崎は…どうしてそんなに僕を信じられたんだろうね」
「さあ。今となっては真相も夢の中だ」
「でさ、どうしてそんな顔しているの?」
「私も春原と同じだからさ。どうしてお前を信じていたのか分からないから」
「……あんた、この期に及んで僕をバカにしているの?」
「違うっ!そういうことじゃない。その…言葉を交わさなくとも信じていられることが分からないんだ。私にはそういった友達はいないし、
そういう意味なら朋也だって信じられないかもしれない」「とんでもない問題発言じゃない?それ。杏や椋ちゃんだっているじゃん。」
「それはそうなんだが…。私の中で彼女らはまた別なんだ。それに今日は朋也が手紙を読んでくれるはずだっただろう?
それでなにか変わるかなとおもったんだ。朋也の真摯は言葉に改めて信頼できるかもしれないと」「智代ちゃん…」
「いや、違うな。私はただ単に自信がないだけかもしれない。子供も生まれるし生活が大きく変わるだろう。
そうしたら朋也だって今までのようにかまえないし、かまってもらえないかもしれない。そんな中で暮らしていく自信がないんだ」正直な話僕には難しい話だった。僕には今までに交際した人はいないし、ましてや岡崎と智代は上手くいっているものだと思っていた。
そりゃあ高校時代は紆余曲折あった二人だけれども、それを乗り越えたのだ。もう二人には山は残ってないと思っていたから意外でもあった。「多分ね、信頼とか自信とか簡単につくものじゃないよ。僕も営業で会社の外回ったりするんだけれど、初めはなかなか上手くいかない。相手だってこちらを信用してくれない。でもね、何度も何度も会いに行って言葉を交わしていくうちに、この人がどんな人なのかってわかってくる。そこからやっと深い話ができるんだ。信頼はその次だよ」
「でも私たちは同棲しているんだぞ?今更相手が信頼できないとか自信ないとか…」
「信頼できないのは赤ちゃんに対してじゃないの?」
智代は虚を突かれたのか息をのんだ。
「さっき自分で言ってたじゃん。生活が大きく変わるかもって。そりゃそうだよ。気心触れた仲に一人入ってくるんだもの。しかも幼いから掴みどころも分からないかもね。
でも地道に接して信頼して信用されて自信になっていくんじゃないの?岡崎の手紙にはそういった決意が書いてあるんじゃないのかな?」「分からない…。でもそうだな。さっき母親の自覚がわくと言ったが、同時に怖かったのかもしれない。でも手紙に朋也なりの決意が書いてあるのなら私はそれを受け入れよう」
ようやく笑ってくれた智代の顔には、いつか見た生徒会長に立候補するときの凛とした様子が戻っていた。
「なんか春原は変わったな。大人になったというか」
「さっき杏にも言われたよ。社会人の顔だってさ」
「社会人の顔か。なるほど杏らしい表現だ」
「そういう智代ちゃんだってさ髪バッサリ切ったじゃん。すっかり印象が変わって驚いたよ。なんだろう、とにかく切れる女ってやつ?」
「切れる…。私が切れやすいというのか?確かに昔は切れやすかったけれど今は違うぞ!」
「違うって!そっちじゃなくて頭が切れるのほうだよ。なんというか理知的というか」
「ああ…なんだそっちか。春原が珍しく難しいこと言うから勘違いしてしまったではないか」
「やっぱり僕をバカにしているね……。まぁいいや。なんで髪切ったさ?」
「さぁ?乙女の秘密というやつだ。どうだ女の子らしいだろ」
「この年になって乙女も女の子もないですけどね…」
「言ったな…。ではたっぷりご奉仕して女の子らしいところを見せてやろう」
えっ?まさかこんなことを言うとは思ってもみなかったので、突然僕の鼓動は高鳴りだした。どっどうしよう。悪いな岡崎。智代ちゃんを頂いちゃうよ。
僕がどぎまぎしている間、智代は台所にいき冷蔵庫から日本酒を数本持ってくると、そのままグラスにつぎはじめた。「えっと、何してるの?ご奉仕は?」
「だから日本酒でご奉仕してやるんじゃないか。もちろんストレートでな!」
「は、ははっ。お手柔らかに……」
僕はどうやらとんでもない引き金を引いてしまったようだ…。
朝、カーテンの隙間から僕の体に朝日が差し込んでいた。何とか起き上がると、頭がぐわんぐわんする。見事な二日酔いだった。
「おう、起きたのか。もう朝だぞ。さっさと起きてさっさと帰れ」
「あんたぁ、ひどい言い草っすねぇ〜」
喉もがらがらでうまく呂律が回らない。そんな僕の様子を見て岡崎は仕方ないとばかりに肩に手を回し、僕を立たせる。
「あれぇ〜?智代ちゃんはぁ〜」
「奥で寝てるよ。ったく。こんなになるまで飲みやがって。昨日は気が付いたら寝ていたし散々な誕生日だったな」
どうやら僕に飲ませるだけ飲ませて智代ちゃんは自分のタイミングで寝てしまったらしい。
そのまま台所で水を飲ませてくれると、ようやく意識もはっきりしてきた。昨日は日本酒を何杯飲んだだろうか…。
はっきりとは思い出せないが、台所の隅に瓶が何本も転がっているところを見ると相当飲んだようだ。「いてぇ、頭がガンガンする…。岡崎。すまないけど駅まで送ってくれないか?」
「いいけど、すぐに帰れよ。俺だって今日は仕事があるんだぞ。お前だってあるんじゃないのか?」
そう言われて時計を見ると八時をとうに超えていた。当然、有給なんてとってない。無断欠勤だ。
「お前クビになるな。ははっ」
「笑いごとじゃ……。まぁいいか。無断で休むなんて高校以来だ」
「本当に変わらないなぁ、お前は」
岡崎は呆れたように顔をしかめた。僕はその顔を不思議なものを見るかのように眺めていた。皆が変わったとしきりに言うのにもかかわらず、岡崎だけは変わらないと言い切ったのだ。
「お前だけだよ、変わらないなんていうの」
「そうか?お前はどんなに恰好がかわたって変わらないだろ。根っこの部分は同じままだ」
自分でも変わってしまったと思っているのにどうしてそんなこと言うのか、その確信はなんなのだろうか。僕には全然分からなかったがそれでいいのかもしれない。
やがて岡崎は駅まで送ってくれた。昨日は暗くて分からなかったが、こうしてよく見ていくと町並みはずいぶん変わったように見える。
商店街はシャッターを下げている店が目立つし、新しい家もちらほらと目に入った。「この町も変わっていくな…」ぼそりと岡崎が呟いた。表情は変わらなかったけれどどこか寂しそうだった。
「なぁ智代ちゃん、なんで髪きったんだ?」僕はこの空気に耐えられずに、思い切ったことを聞いてみた。
「多分、覚悟だと思う。ほら、俺たちまだ結婚してないのに子供ができちゃっただろ?智代の両親にも色々言われた。でもその時に智代が言ったんだ。絶対に産むって」
僕はなるほどなと思った。昨日の智代の様子といい何か変だった。あの問いかけも覚悟をしたのはいいが、やがて現実味を帯びてくる子供というものに
押しつぶされそうになっていたのだろう。「支えてやれよ、智代ちゃんのこと。意外と脆いところあるから」
「そんなの分かっているさ」強張った顔で岡崎はそう言った。岡崎なりの覚悟を垣間見た気がした。
「電車あるのか?」
「あと三十分はあるね。岡崎仕事あるんだろ。見送りはここまででいいよ」
「そうかじゃあこれをやる。餞別だ」
そう言って岡崎は胸ポケットから一通の封筒を取り出して僕に渡した。それは昨日岡崎が智代に読むはずの手紙が入った封筒だった。
「お前これ、なんで僕に渡すんだよ。智代ちゃんに読んであげろよ」
「いいんだよ、今朝智代の寝てる顔見たらいらなくなった。もともと文才なんてないからな。捨てるならお前にやる」
無理やり押し付けてくると岡崎は踵を返し、ホームから去っていく。ポケットに手を入れて歩く後ろ姿はどこか高校時代を思い出させた。「確かにな、根っこは変わんないや。あいつも」
僕はホームにある椅子に腰かけると、ただぼーっと電車を待っていた。穏やかで吹き抜けのホームには風も日差しもよく入り、昨日のさびれた雰囲気はどこにもなかった。
やがて電車の時間が近づくと人も増えてきた。かつん、かつんと足音が交錯する。いよいよ電車が入ってくるとなったとき僕は腰を上げ、大きな伸びをした。
こんなに気持ちよく伸びをしたのはいつ以来だろう。スーツで凝り固まったこの身が解けていく。
電車に入ると高校生がすれ違っていく。僕の母校だ。彼らは三人組で談笑しながら降りていく。僕にもあんな時代があったんだなと思ったらなんだか笑えてくる。
こんなこと思うなんて年をとった証拠だ。
席に座ると、岡崎から渡された封筒を思い出した。取り出してみると便箋のほかに写真が一枚入っていた。それは昨日の昼間とったのだろう。
アパートの前で昨日の四人が笑顔で写っていた。それを見たとき自分が入っていない寂しさと、僕と彼らが過ごす時間と距離のずれが手に取るように分かった。
次来たときは昨日みたいに打ち解けるだろうか?ふとそんなことを思ったが、写真をめくったらそれは打ち壊してくれた。
「いつでもこいよ」
岡崎の汚い字で書かれていたそれはなんと力強いものなのだろうか。きっとまた不安になっても大丈夫。きっとまた仲間に戻れるだろう。
僕はその写真を大事にポケットに入れると便箋に手をかけてやめた。これは次に智代にあったら僕から渡そう。きっとその時には必要なくなっていると思うけど。
みんなそれぞれの人生を覚悟をもって生きている。僕もそろそろ覚悟を持たないといけない。
電車が緩やかに走り出した。景色があっという間に過ぎ去っていく。思い出やそこに住む人の思いも。地元に戻ったらまたいつのも日常が始まるのだ。
でもきっとそれは道化ではなくなるだろう。地に足つけた本当の生活が始まる。「誕生日おめでとう。岡崎」
僕は揺れに身を任せると深い眠りについた。
あとがき
緋芭です。いかがでしたでしょうか?
クロイさんの企画にはお世話になって三回目?になります。誕生祭ということで、変わったものを書きたかったのですが難航に難航し自分でもよくわかってないです…笑
まず春原視点というのが難しかったです。というか書いていて自分でも「こいつ本当に春原か?」と何度思ったことか
ですから読んだ人が違和感持っても仕方ないです。書いた人ですら違和感バリバリですから。あと、これを書いている時点で誕生祭には間に合っていません。二か月くらい時間があったのにこの体たらく。執筆は計画的にいかないといけないですね。
夏休みの宿題は最後まで残るタイプです。
さて次何か書くとしたら楽しいものにしたいです。前回と前々回と重いSSだったので。感想いただけたらとても嬉しいです!
最後まで読んでいただきありがとうございました!