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 ガチャ、と電話をフックに戻して、俺はため息をついた。

 頭が少しばかり痛いのは、飲んでいる酒の量のせいではないだろう。よりにもよってあいつが来ないとなると、抑止力が足りなくなるんじゃないか。

 いや、いやいや。弱気になるな、俺。そもそも、あいつが来るってことはもう一人厄介な奴も来るってことだからな。場合によっては事態はそうひどくならないのかもしれない。

 そう思いながら俺は振り返ろうとして、そして

「とぉもぉやぁ」

 背後から抱きつかれた。この質量感、この温もり、この匂い。間違いなく俺の嫁だ。

「どぉこにいってたんだぁ?わたしはぁ、とおってもさびしかったんだぞぉ?」

 とろーんとした目で智代が聞いてくる。いつもは雪も恥らうほど白い肌が、今はピンクを通り越して赤く染まっている。

「おう、悪かった。今ちょっと電話だったんだ」

「でんわとわたし、どっちがだいじなんだ」

 少しすねたような口調の智代。普段はそんなことを聞かない(というか俺が電話に出ることに疑問を抱かない)ことからして、智代がどれくらい酔っているかわかるだろう。

「もちろん智代が大事だ。だけどな、もし智代に大事な電話がかかってきて、誰かが取らなかったから智代に迷惑がかかるようなことがあったら、俺、すっごく悲しくなると思うんだ」

 すると智代はしばらくの間考え込むと、急に何度も頷いた。

「それはぁ、つまぁり、わたしのことをだいじぃいにおもってくれてるとぉ、そうだな」

Yes, that's right

 無駄に英語を使ってみた。すると智代ががばっと俺に抱きついてきた。

「うれしぃぞ、ともやぁ」

「おう」

「ともやはぁ、わたしがだいすきなんだな?だな」

「ああ、智代は俺が超大好きな智代だ」

「ふふ、わたしも、ともやが、だぁいすきだぞぉ」

 そう言って、智代が俺に唇を押し付けてきた。ああくそ、ともぴょんかわいすぎる。

「ともやぁ」

 そう言って頬擦りしてくる智代に、「あ、甘え方というのが、その、よくわからないんだ」とか言ってしょげ返った少女の面影はまったく見当たらなかった。まぁ、結婚して十五年も経てばそりゃ変わるものなんだろうけど。あと、酔っ払ってるし。

「ともやはぁ、わたしだけのものぉ……わたしもぉ、ともやだけのぉ、わたしだぞ」

「ああ、知ってる。お前がいるから俺がいる。俺がいるからお前がいる。岡崎二人で」

「おかざきさいこおぉっ!だな」

 ぐっと拳を握って天に突き出すポーズをしたかと思えば、次の瞬間にはまたしなだれかかられた。うーむ、まずい。智代さんスーパーゴールデンアマアマモードに突入されていらっしゃる。

「でも、もうそろそろ起き上がらんと」

「や」

「や、って言われても……なぁ智代、頼むよ、そうしないと……あいてっ」

 案の定後頭部を蹴られた。おー痛え、すげぇ痛ぇ。そんな蹴りを容赦なくできるのは

「とーさん、わらひのかーさんになにおしてりゅ……ひくっ」

 こちらもよーく出来上がってらっしゃる我が長女、巴ちゃんでした。どうやら巴は酒に酔うとしゃっくりが止まらなくなるらしく、さっきから可愛げな声をあげては口を塞いだりしている。うーん、智代の次にかわゆい。

「いやぁ、母さん、父さんのこと好き過ぎて、ちょっと動けないみたいなんだ」

「ちがう……くふっ……かーさんは、ともえがいひばんしゅきなんら」

「だとさ、智代。どう思う」

「わたしはぁ、ともえもぉ、だいだいの、だぁいすきだぞ」

「わーい」

「……じゃあ、俺のことは」

 はしゃいで隣の部屋に戻る巴を確認すると、俺はぼそっと聞いた。

「もっとすきぃ」

 ですよねー。

 さすがにこんなにはっきり言ったら巴も傷つくだろうが。

「さってっと、戻ろうか」

「だっこぉ」

「わかったわかった」

 お姫様抱っこして立ち上がると、智代がもぞもぞと動いてさらに体を密着させてきた。くそ、マジ可愛すぎだ。

 普通ならこのまま二階に連れて行って両親部屋(完全防音仕様)にてSUPER☆ずばこんタイムに移行するのだが、今夜はそうも言えない事情があった。俺は客間のドアの前まで歩くと、その向こうに広がる光景を思い浮かべてため息をついた。

 ガチャ

「おーい、今戻っ……た……はぁ」

 扉を開けるなり、俺はため息をついた。そりゃつきたくもなるさ。だってなぁ


「あははー、よ〜へ〜だ〜」

「でへへへへ、そーいうあなたはきょーちゃんじゃ、あーりませんか」

「……(くかー)」

「……(すぴー)」

「あー、とーさん……ひくっ……それわ、わらひのかーさんなんらぞ」

「あおー」


 何たるカオス。



 

 

 





 

 

 どうしてこうなった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてこうなった、あほい、どうしてこうなった、よいさ、どうしてこうなった、よっとっと、どうしてこうなった。

 「どうしてこうなった音頭」を頭の中で踊ってみたが、これっぽっちも効果がなかった。しょうがないから思い起こしてみた。

 確か一週間ほど前の夕飯時に、家族で「でも母さんの誕生日祝いに春原のおじさんとかがこれなかったのは残念だったな」「なー」とか話していると、ちょうど杏から電話がかかってきた。

『あ、智代?あたし。ごめんねー、誕生日に顔出せなくて』

「気にしないでくれ。杏も春原も忙しいのはよくわかってるからな」

『そう?まぁ、とにかくごめん。でさ、実は予定見てみたんだけどね、ちょっと再来週も難しそうなのよ』

「再来週……ああ、朋也の誕生日だな。来れないのか、残念だな」

 その時、俺は黙々と夕飯を食べていたのだが、そんな俺を見て、智代が電話越しに杏に言った。

「うん、今朋也も話を聞いていたんだが、今ので肩をものすごく落としてしまったが、まぁしょうがない」

『えー、そうなの?』

「む、今体で『違う違う』と言っているがな。どうだか」

『ふーん?あ、じゃあいいニュースね。それでさ、そっちの都合がよければなんだけどさ、来週末にあたしたちだけで二人の誕生日祝うのって、どうかなぁって』

「来週末?ああ、ちょっと待ってくれ」

 そう言って智代が電話の口に手を添えて、俺に聞いた。

「なぁ朋也、来週末に杏たちが私たちの誕生日祝いをしたいと言っているが、いいな」

「いや、別に?俺はさ、春原たちが来ようが来まいがどうでもいいんだけどさ、あいつらがどぉっっっしても来たいと言うんだったらな、まぁ俺も鬼じゃないしな、そこまで言うんだったら……」

「大歓迎のようだぞ。わざわざすまないな、杏」

「っておいっ」

「では、来週末、楽しみにしているぞ」

 ピッと智代が受話器を元に戻した。

「というわけで春原のおじさんたちが来週末来ることになったぞ」

「わーい」

「つばめちゃんもくるだろうかっ」

「来るんじゃないか?巴はいい子だから、お姉さんできるな」

「うん。わたしはかーさんのじまんのむすめだからな、いいおねーさんっぷりをみせてあげるんだ」

「ふふ、そうか。じゃあ、まずはお部屋のお片づけをちゃんとしないと」

 はーい、と返事をしてはしゃぐ子供たち(通称小熊ちゃんたち)を尻目に、俺はうーむ、と唸った。

「うん?どうしたんだ朋也、そんな重い顔をして」

「いや、まぁ……」

「幸い予定も何もなかったしな。私たちの誕生日を祝ってくれるんだ、うれしくないなんてないな」

「ああ、まぁ……」

 すると、心配そうな顔で俺の可愛い長男であり、巴の双子の兄の朋幸が俺の顔を覗き込んだ。

「もしかして、いやなの」

「え」

「しょーたちくるの、いやなの?すのはらのおじさんと、けんかなの」

 翔とは春原家の長男で、一歳下の朋幸にしてみれば兄のような幼馴染である。ちなみに先ほど会話に出た椿芽ちゃんとはその翔の六歳下の妹である。

「い、いや、そういうわけじゃないけど……」

 どう言ったらいいのだろうか。それはもちろん、俺と智代の誕生日を祝ってくれるのはありがたい。ありがたいのだけれども、それが春原と杏からとなると、素直に喜べない。何というか、こそばゆいというかむずむずするというか、そんな気分になってしまう。いや、嫌いだからだというわけではない、と思う。だけど何だろうか、特に普段からバカなことを言ったりやったりしている春原の場合、顔を合わすのも気まずい気がするような。

「大丈夫だぞ、朋幸」

 どう答えていいのかわからない俺の代わりに、智代が朋幸の頭に手を乗せる。

「父さんと春原のおじさんは、本当にすごく仲がいいんだ」

「ほんとうに」

「ああ、もちろんだ。だからな、父さんは実は春原のおじさんに祝ってもらえてすごくうれしいんだ」

「え、でも」

 複雑そうな顔をしている(らしい)俺の顔を見て、朋幸が不安気な顔をした。

「ああ、あれか。気にしないで大丈夫だ。父さんはな、春原のおじさんに関しては、『ツンデレ』と言ってだな」

「お、おいおい」

 智代を止めようとしたが、俺の声を無視して智代は続けた。

「本当は仲がいいのに、そうじゃないってポーズを取っちゃったりする、仕方のないところがあるんだ」

「えー、ともだちなのになかよしじゃないっていうの」

「まぁ……そんなところだな」

 すると朋幸は俺のほうを見て、智代を見て、考え込んで、そして不思議そうに言った。

「それってさ」

「うん」

 断っておこう。朋幸には一片の悪意もなかった。あいつは素直でいい子だ。人の悪口をめったに言う奴じゃない。そもそも七歳の子供に、そんなツンもデレもわかるはずがない。そう言った大人の駆け引きを理解するには、朋幸は幼すぎた。世界のツンデレの方々にまずはそう断っておく。


「それって、つまり、ばかなの?」


 絶句したまま固まった智代が非常に印象的だった。





 その次の週末。

 夕方ぐらいになった時点で、俺は朋幸に声をかけた。

「なぁ朋幸」

「はーい」

「おつかい、頼めるか」

 朋幸は少し考えた後、うん、と元気よくうなずいた。確かさっき、智代に部屋の片づけをするように言われたようだったが、そんなのよりもこの新しい「おてつだい」の一種の方がやりたかったんだろう。

「なにかってきてほしいの」

「お酒なんだけどな、ちょっと特別なんだ」

「とくべつ?たとえばらふろいぐのじゅーごねんものとか」

「いや、そうじゃない」

 そもそもラフロイグの十五年物はもう売ってない。というか、朋幸君、何でそんなにウィスキーに詳しくなったんだ?

「ビールをな、買ってきてほしいんだ」

「あー、しってる。どーぶつさんのビール」

 恐らくはキリリンビールの絵柄のことを言っているのだろう。確かに俺が飲むビールはキリリンだけなのだが、今夜は少しばかり勝手が違う。

「いや、エビっすビールもほしいんだ」

「えびっす、びーる」

「ああ、えーっと、福の神って知ってるか?えっとな、ほっぺが大きくて、耳たぶも大きいおじさんの絵があるんだけどな」

「あー、しってる。めたぼのひとのびーるだ」

 朋幸、その言い方、ほんとーにいろいろと問題があるぞ。神様仏様智代様、どうぞこんな息子にも幸多き未来を。

「でも、とーさん、どーぶつびーるのむのに、めたぼびーるなんてなんでかうの」

「だから、そのめたぼびーるやめような。ビール作ってる人に失礼だから。ついでに戎様にも。キリリンビールを六缶に、エビっすビール六缶、頼むな」

「うん……あのさ」

「ん」

「ぼくも、のんでいい」

 いつかは来ると思った、未青年飲酒宣言。しかしそれには鉄壁のガードがあったのだ。

「ビールなんて、大人にならないとおいしくないぞ」

「え、なんで」

「滅茶苦茶苦いんだ。ぜんぜん甘くない。だから朋幸にはお勧めできないな」

「ふーん……あまかったら、いいの」

「甘かったらって、どんなお酒の話だ」

「あまざけ」

 ふむ。

 確かに子供が小さい頃から多分のアルコール分を摂取するのは、育成上あまり好ましくはないかもしれない。しかし酒とは言うものの、甘酒はアルコール飲料とは分類されていなかった、と思う。ので、大丈夫かもしれない。それにせっかく俺たちのお祝いなのに、小熊ちゃんたちだけ置いてきぼりというのも少し酷かもしれない。

「おーし、じゃあ特別買ってきていいぞ。でも、それじゃあ重すぎるから、父さんもやっぱ一緒に行こう。用意してくれ」

「はーい」

 そう言って元気に駈け出していく朋幸を見送って俺が振りかえると、そこには意味ありげな笑みを浮かべた智代が。

「な、何だよ」

「いや?別に?ただまぁ、朋幸は誤魔化されたかもしれないが、私は簡単には誤魔化されないからな」

「何の話だかな」

「ほほう、そこまで白を切るつもりか」

「……」

「確か朋也は、『ビールはキリリン異論は認めない』派だったな」

「ま、まあな」

 俺は主に日本酒派で、ビールはあまり飲まない。理由は簡単で、智代がお酌をしてくれる時にビール缶や瓶よりも徳利の方が絵になるからだ。だけど、俺たちが付き合い始めた頃に坂上さんと飲む機会があって、その時に勧められたのがキリリンビールだった。全部智代絡みだが、何か?

「そう言えば、お前の友人に一人、その異論を唱える奴がいたな……おお、そうだ、今夜来るんだっけな、その友人とやらは」

 俺は確かに金髪だった頃から「やっぱビールはエビっすビールだよ、岡崎」とのたうちまわっていた悪友を一人知っている。どうでもいい話だが、智代も杏も特に柄は気にしないほうだったりする。もっとも、「あまり飲まないから、どれでもいい」智代と、「ビールはビール、何でも飲むわよ」な杏とでは事情がいささかばかり違うわけだが。

「で、確か、何だったっけな、その友人が来ても来なくてもどうでもよかったんだったっけな、お前は」

「……あー……うー」

「ふふ、素直じゃないんだからな、お前は」

「あー、俺、買い物に行ってくるから準備しないとな。ああ、しないとしないと」

「はいはい、行ってこい。ついでにこれも頼んだぞ」

「へいへい」

 そう言って俺は智代の顔を見ないで買い物のメモを受け取った。背後から智代のニヤニヤ視線が突き刺さって来た。




 で、まぁ。

 春原家ご一行ご到着→宴会開始→出来上がった春原が「飲みっぷり大会しようぜ」と提案→勢いづいた朋幸、翔、ともに轟沈→巴潰れる→その他ほぼ同時に出来上がる・極←今ここ。

 甘酒はアルコール飲料というわけではないが、それでも原料に含まれるアルコール分のせいで大量に飲んだ場合は酔うこともあるのだった。それを、翔も朋幸も我先に浴びるように飲んだので、酔っぱらう暇もなく眠ったのだった。

 智代は言葉が妙に間延びし、巴は可愛らしいしゃっくりが止まらなくなった。春原夫妻に関しては、笑いながらいちゃラブという、もうお前ら爆発しろな状況だったりする。唯一シラフなのは、まぁ当たり前なのだが、一歳児である椿芽ちゃんである。

「あ〜、ともやだ〜」

「おかざきじゃ、あーりませんかー」

 真っ赤な顔の杏と春原が俺たちを見て何故か笑った。

「あ〜、ともよ〜、おひめさまだっこ〜」

「だっこー」

 杏が智代を指差すと、春原もつられて指差した。

「ともやぁ」

「はいはい」

「だっこぉ」

「いや、してるし」

「じゃあ、すりすりぃ」

 お姫様抱っこしている時に頬ずりするとは、畜生、智代、かわいすぎだぜ。

「ん〜、よ〜へ〜」

「なーにー、きょーちゃん」

「あたしも〜」

「きょーちゃんも」

「だっこ〜」

「あははー、ちょっとむりでしょー、だってきのーさー、たいじゅーがfあべしっ」

 春原が失言しかけたところを容赦なく引っ叩いて沈黙させるところ、いくら酔っぱらっていてもさすが杏だなぁと思ってしまう。

「とーさん……ひっく……おとなひくかーさんをわたひにあけわたすんら……そーだ、それがいい」

「いー」

「何で俺、嫁をよこせと娘に脅迫されているんだろうな」

「ん〜、つばめは〜、ともえちゃんのみかたなの〜」

「のー」

 こくんと椿芽ちゃんが頷いた。うーん、昔は朋幸も巴もこんなかわいい時期があったんだよなぁ。今じゃ涎垂らして寝てる奴一人に、嫁を奪わんとする奴一人。まぁ、二人とも最高に可愛いけど。

 にしてもただ一人のシラフが俺の敵に回るとは、何だか分が悪い。

「でも〜、い〜んじゃな〜い?智代はど〜なの〜」

 杏っ!さっき俺が直答を回避しようと頑張ったのにっ!!

「ともえはぁ、わたしのじまぁんのむすめだぞ」

 よしっ、無難な答え、ナイスだ智代。ここではっきりと「でも朋也の方が好きだ」とか言ったら、巴ちゃんが泣いちまう。

「でもぉ、わたしは朋也のことがぁ……」

「わーっ!!と、そ、そうだった、さっき、鷹文がさ……えっと、何だっけなぁ……あ、そうだ、来ない、んだっけ?確かそう言ってた気がする」

「え〜、鷹文君と河南ちゃん〜、これないの〜」

「そうだ、そうだったんだよ、はは、忘れてたなんて俺もひどいなー、あははー」

「で……ひくっ……かーさん、とーさんがどうしたんだ」

「ああ、そうだったな……わたしは朋也の事が……」

「あーっとっと、朋幸息してねーぞっ!翔もだっ!!」

「ななななんだって〜」

 みんなの注意が二人に向けられている間に、話題を変えなければ……

「すかー……いーまーこのうでーにーながれーるー……すぴー……」

「むにゃむにゃ……りらーいおーざらーいっいまっときっはなってーっ……むにゅう……」

 二人同時に一瞬だけ覚醒し、腹式呼吸を使った見事なアカペラを披露したことにより、俺の作戦は失敗した。

「なによ〜、びっくりするじゃない〜」

「つぎに……っく……じゃまをしたら、けっちゃうんらからな」

「らからな」

 巴の宣言に椿芽ちゃんが同意……したことになるのかな。ちなみにうちの娘の蹴りは物凄く痛い。まったく、誰に似たんだか。

「で〜、智代は〜、巴ちゃんと朋也、ど〜っちが大事〜?」

「私はぁ……」

 口を開きかけたが、巴が睨んでいるのを見て俺は押し留まった。でもなぁ、この答え聞いて傷つくのお前だぞ?お前、そういうところ母さんに似てるから、ずっと一週間は愚図りっぱなしだぞ?俺、かわいい巴ちゃんがそんな愚図るところ見たくないんだけどな。

 頼む、誰か、誰でもいいからこの場を紛らわせてくれっ!


「あっ、そーいえば、こんなん買ってきたんだ……だがががっ」


 急に起きた春原の、まさに弁慶の泣き所に、巴のフルスイングキックが命中した。





「いやぁ、マジで悪かった」

「いや、別にいいけどさ。そもそも、巴ちゃん出来上がってるし、それ、僕のせいでもあるし」

 杏が水で冷やされたタオルを春原の足に当て、智代が巴をたしなめている間、俺は春原に頭を下げていた。まぁ、これで大体俺と春原の酔いは覚めたわけだが、女性陣はまだ少し顔が赤い。

「で、何買ってきたんだ」

「あー、そうだった。ねぇ、杏。あそこの袋とって」

「はいはい」

 そう言って杏が春原の指差したコンビニの袋を持ってきた。

「へへへ、じゃーん」

 得意げに春原が袋からポンキーを取り出した。サクッとした細長い棒に、薄くチョコレートが塗ってあるチョコレート菓子だ。

「……今、バレンタインじゃないし。俺、男に興味ないし。お前既婚だし」

「何で僕が岡崎にバレンタインチョコあげなきゃなんないんだよっ」

「陽平、まさか浮気してるんじゃないでしょうね」

「してないよっ!つーか杏、何でそこで目を光らせてマジになるんだよっ」

「陽平の浮気だけは許せないからじゃない」

「だからしないって!それよりも」

 何だか今のは遠まわしに惚気ていたんだろうか。そう思っていると智代が俺に腕を絡めてきた。

「朋也は、春原と浮気なんてしないよな」

「ははは、はにぃ、お前がいるんだったらするわけないじゃないか」

 俺は無論直球で惚気るけどな。

「で、そこのバカッポーにぴったりなゲームがあるのさ」

「ゲーム?」

 首をかしげる智代に、春原はふふん、と不敵に笑った。

「名付けて『チキチキ!バカッポー最強決定戦!ポンキーゲームちゃんぽんリーグ』」

 ……

 …………

 …………………………………………

「なぁ、何でちゃんぽんが出てくるんだ」

「チャンピオンって言いたかったんじゃないの」

「言ってやってもいいものだろうか……今、結構得意げに」

「すのはらのおじさん……ひくっ……それを言うならちゃんぽんではなくてチャンピオンじゃないか」

「って、巴っ?!」

 三人で密談をしている最中に、巴がはっきりと春原に言ってしまっていた。

「え?あ、そうだっけ。まぁいいか」

「って、華麗に流したっ!!」

 何とまぁ。こいつのタフさは肉体だけではなかったらしい。

「とまぁ、これはあれだよ、ポンキーゲームってあるでしょ」

「ああ、カップルがポンキーの両端咥えて中心までにじり寄る奴だろ」

 成功すればキスにつながるわけだが、失敗したらポンキーの切れ目が縁の切れ目になることもないわけではないらしい。

「で、これで勝ち抜き戦してみようって話」

「……春原」

 俺は鋭いまなざしで春原を睨みつけた。

「それは、『永遠』の二つ名を持つ俺と智代の愛への挑戦か」

「へっ、僕と杏ちゃんの驚異のシンクロ率、見せてやるよ」

 不敵に笑う春原。オーケーだ。そのケンカ、買ってやろう。

「ともえも……ひっく……さんかしていいだろうか」

 不意に巴が挙手した。

「え、ええと……ねぇ」

「あー、巴、これは何つーか、大人がやることで……」

「ともえだって、じゅーぶんにおとなだ」

 えへんと威張って見せる巴。うん、どう見ても小学一年生にしか見えない。

「だいたいさ、巴ちゃんにはパートナーが……」

「風子っ、参っ上!!」

 春原が言い終える前に、厄介な奴が出現した。

「話は全部聞きました。巴ちゃんのピンチとあっては、見過ごすわけにはいきません。女伊吹風子、ここは一つ、胸を貸しましょう」

「え、貸せるものなんだ?」

「岡崎さんには貸しませんっ!エッチですっ!」

「おっぱいを貸すだとっ!そんな授業があってたまるかっ!」

「いや、もうそれいいよ智代ちゃん……どうする、岡崎」

「まぁ……巴がいいと言うんだったら」

 巴を見ると、少し複雑そうな顔をしていた。

「とーさん」

「何だ」

「とーさんとかーさんにかったら、かーさんをゆずってくれ。それでてをうとう」

「まぁいいけどな」

「にごんはないな」

「ないない」

 よし、と巴が拳を握りしめた。

「じゃあ、ここに箱があるから、この紙に名前書いてこの箱に入れて。アトランダムで取り出した二名がやるってことで」

 春原の指示通り、俺たちは名前を紙に書いて箱に入れた。春原はその箱をシャカシャカヘイと揺すると、二枚の紙を取り出した。



春原 × 杏


「最初から難関じゃないか、春原くんよぉ」

 腕を組んでにやりと笑うと、春原が笑い返した。

「へっ、僕と杏のタッグに恐れをなしちゃったらゴメンよ……もぐ」

「ヘマしたら許さないんだからね……ぽり」

 はい、スタート。

 ぽりぽり、と春原がゆっくりと齧り始めた。それに対して杏は

「……あれ」

 何もやっていなかった。微動だにしてすらいなかった。

「おーい杏、始まってるぞ」

 声をかけても、杏は不敵に口元で笑って、目で「わかっている」と答えた。その間に春原はどんどん距離を縮めていく。と、その時

「……っ」

 何かの拍子で春原の体が揺れた。春原の体が傾き、その角度がポンキーの耐久能力を上回るほどの力をその細い身に加えそうになった時、杏がさっと動いて軌道修正した。

「……」

「……」

 息を整えるかのように、動きを止める春原。そして一度だけこくんと頷く。それに応えるかのように、杏も小さく頭を上下した。

 その後は何のハプニングもなく、春原は杏の元に辿り着いた。短いキスを交わした後、杏が勝ち誇るように言った。

「ま、あたしにまかせて誘導されなさいって話」

「なるほど」

 結論:杏の言うとおりに春原が従えば、万事うまく行くらしい。

 すると春原が苦りきった顔でこっちを見た。

「あのさぁ岡崎」

「何だよ」

「いくら勝ちたいからって、僕の足を揺らすの、反則じゃないか」

「は」

 妙な言いがかりをつける春原に、俺は眉をひそめた。

「ちょっと、朋也は何もしてないわよ。変な動きしてたら沈めてるし」

 さらっと物騒な事を言ってくれました杏。

「じゃあ、誰なのさ、さっき僕の足をおもいっくそ左右に揺らしたのは」

「さあな。そこでこそこそと逃げようとしている風子にでも聞いてくれ」

 ぎくり。

 そんな音が聞こえてきそうなほど、風子は動揺して立ち止まった。

「……風子ちゃん」

 低い声で春原が言った。

「ふ、風子はっ、あくまでも巴ちゃんの夢を叶えるために頑張ったんですっ!崇高な目的のためには手段も選びませんっ」

「それが高校教師の言うことかっ!!」

 よりにもよって開き直る風子に、春原が絶叫突っ込みを入れた。



俺 × 智代


「まぁ、真打ち登場ってところだな」

「へぇ、僕らを見てもそんな事が言えるんだ」

 春原の軽口を聞き流して、俺と智代はポンキーを咥えた。そしてお互いをじっと見つめた。

 やべぇ、かわいすぎる。

 酒がまだ残ってるからか、目が少し閉じかけになっているのがHITだ。頬が染まってるのはしかし、それだけではないと信じたい。

 くそ、邪魔だこのポンキー。俺と智代の間に入るな。

 あ、やべぇ。智代が俯き加減に上目遣いをしてきた。極大HIT。よぉっし、何か俺、スイッチ入っちゃったぞー。今夜はわくわくどきどきタイムだぞぉ。

 結論:智代とのキスはチョコレート味。

「って、おい。ポンキーどこ行った」

 確かに咥えた記憶はあったのだが。あと、非常に邪魔だった記憶も。

「……いや、アンタ、さっき滅茶苦茶な勢いで食べてたじゃないですか」

「何、そうだったのか。それと、頭が重いんだけど、これまたどうしてだ」

「そりゃあ、ね。巴ちゃんが頭にしがみついてたら、そりゃ重いわよ」

 見ると俺の頭の上に巴がしがみついて必死になって俺の頭を左右に動かそうとしていた。

「うー……ひっく……とーさんがかっちゃった……」

「ははは、悪いな巴、父さんと母さんの愛は、こんなことじゃ揺らがないのさ」

 ぷぅ、と膨れる巴をゆっくりと頭の上から降ろした。

「朋也」

「おう、どうした」

「今のでは、私はあまり何もやっていなかったように見えた。というより、何かをやる前にお前が一人勝ちしていた感じだ」

「あれ、そうだったか」

「だから」

 そう言って智代がもう一本ポンキーを俺に差し出した。

「朋也の傍へ行く。全力で、そこに行く」

 極大HIT

 何と言うか、あまりにHITだったので、目の前で踏み切り場のラインが青空に向かって上がっていったような錯覚を覚えた。なぜだかは全くわからない。とにかく差し出されるままにポンキーを咥えた。もう片方を智代が咥える。

 やべぇ、凛々しすぎる。

 何つーか、やる気満々だっていうのがありありとわかる。後ろでクマ型のオーラが燃え盛っているのが見えた。だけど、猛々しいところとか野生に飛んでしまったところとかは微塵もなく、本当に戦乙女という形容句がぴったりな感じだった。かわいかったり凛々しかったりと、こんな素敵にチャーミングなレディーを射止めたラッキーな野郎は誰だよ、とか思っていたら自分だった。てへ。

「んー」

 見ると、目の前で智代がキスのおねだりをしていた。長く待たせてはいけないと思ったので、智代の後頭部に手を添えて唇を触れ合わせた。智代にしてみればそれでは不満だったらしく、両腕で抱きついてもっと深いキスを求めてきた。

 しばらくそのままの格好でいたが、徐々に名残惜しそうに体を放したところで俺はふと気付いた。

「あれ、ポンキーどこ行った」

 杏、春原と巴が深いため息をいっせいに吐いたのが、背後で聞こえた。



巴 × 風子


「今の、結局一カウントだからね」

「まぁ、何度やっても結果は同じだろうけどな」

 そう言っているうちに、巴と風子の準備ができたようだった。

「そういや岡崎さ、さっきの約束、心配じゃないの」

「何が」

「だってほら、巴ちゃんと風子ちゃんが勝ち残ってさ、そんでもってまた卑怯な手で僕らを妨害したらさ」

「まぁ、お前の言いたいこともわからんでもないけどさ、風子と、少し酔ってる巴が組んだ時点で」

 ぽきん

「…………」

「…………折れちゃった」

 巴がぽつりと呟いた。

「ひ、品質ですっ!このポンキーのパケット、時化ってましたっ!」

「いや、みんなそのパケットからだったんだけどね」

「風子は、オリジナルをポンキーとは呼ばないのです。イチゴ味ポンキーにあらずばポンキーにあらず、ですっ」

「そんな甘いことを言われてもなぁ、お菓子なだけに」

「こんな判定認めないのですっ!さぁ巴ちゃん、風子と一緒に帰りましょ」

 ドサクサ紛れに風子が俺の大事な娘を攫っていきそうになるが、ところがどっこい。

「わたしは、かーさんといっしょにいる」

「風子、裏切られましたっ?!」

 崩れ落ちる風子に巴が慰めの言葉をかけている間に、俺は春原に言った。

「な、問題ないだろ」


「じゃあ、次は、と」

 そう言って春原が箱に手を入れ、そして引き出した二枚は……

「……あのさ、岡崎」

「何だ、固まったりして」

「これ、どうする」

 そう言って見せた手のうちは「岡崎朋也」と「春原陽平」だった。

「……いや、無効だろ、普通に」

「ですよねー」

「なわけないでしょ。さっさと準備しなさい」

 振り返ると、笑顔を貼りつけた、しかし目だけはマジな杏が立っていた。

「いや、でもさ」

「ルールはルールなんだから。さっさと準備。ほら、男に二言はないんでしょ」

「……本音は」

「前から見てみたかったのよね〜、男同士のモノホンの絡みって。朋也も陽平もなかなかにナイスガイだし」

「アンタ一応僕の奥さんですよねぇっ?!」

「奥様。様付けしなさい」

「あ、はい」

 どうやら春原組の交渉は決裂したようだった。

「な、なあ智代。俺と春原がキスするなんて、そんなの見たくないよな」

「ああ、見たくない」

「ですよねー」

「でも……自分で決めたルールなんだ。ルールは守るべきだ。特に、それが己の決めたことなのであれば。残念だが、そうなる」

「……ですよねー。智代さん超マジメですもんねー」

「……どうしたんだ、朋也。泣いているのか」

「……ぞんな゛ども゛よ゛にぼれ゛だんだじな゛、じょーがな゛い゛よ゛な゛」

 忍び泣きをしていると、春原が俺の背中をつついた。

(岡崎、こうなったらやるしかないよ)

(やるって、おい、キスなんかしたくねえぞ……いっそのこと、最初にぽきんと折っちまうのはどうだ)

(僕もそれ考えたけど、そんなんで杏が許すと思う)

(……思わねぇ。やり直しだな)

(だからさ、お互い、三分の一までは真面目にやる。最後の三分の一で、示し合わせて折っちゃえばいいんだよ)

(……よし、その線で行くか)



俺 × 春原


「は〜い、じゃ〜、頑張ってね〜」

 満面の笑顔で俺たちを応援、もとい、監視する杏を見て、俺は春原にぼそっとこぼした。

「あれ、お前の嫁だろ。何とかできないのか」

「できると思う?岡崎だって智代ちゃんが暴走したら止められないでしょ」

「……」

 いい反論が見当たらないどころか、それもそうだと思って俺は無言でポンキーを咥えた。

「……」

「……」

 春原と目があった。目がマジだった。想像してほしい。ノンケな男が二人、マジな顔でポンキーゲームをしているところを。

「は〜い、はっじめっ」

 杏の明るい掛け声で俺たちは少しずつポンキーを齧り始めた。くそ、春原には悪いが、このアマ、いつか泣かしたる。

 ぽりっぽりっさくっさくっ

「……とーさんもすのはらのおじさんもがんばれー」

 不意に巴の声が聞こえた。くそっ、父さんたち頑張る気がない時に何で応援するかなぁ。そうだ、教育上悪いとか、そういう風に言い逃れできたんじゃないか、くそっ

(もうそろそろか)

(だね、よし)

 そこで俺と春原は思いっきり口に力を入れてポンキーを折ろうとした。

 あれ、折れねぇ。

 いやいや、ちょっと待て、何でここで折れなくなる?


 



 ことみ。

 ひらがな三つでことみ。呼ぶ時はことみちゃん。

 今の「衝撃!折れないポンキー!」の謎を解明しに来たの。

 具体的に説明すると、ある作用点を中心に力を入れると、その力を入れたところ、つまり力点と作用点との距離によって、結果となる力は倍増されるの。この原理をうまく利用したのがてこなの。厳密にはてこの原理とは違うけど、とどのつまり、朋也くんと春原くんが結果的には二分の三もポンキーを食べちゃったから、折れるポイント、作用点にかかる力が弱くなっちゃったの。





 なぜだかわからないが、ことみまで乱入観戦。しかしおかげで大事な事がわかった。

 こ れ 以 上 、 こ の ポ ン キ ー を 食 っ ち ゃ い け ね ぇ

 俺は春原に目配せして、必死になってポンキーを折ることに集中した。

「あ、ちょっと〜、止まってるわよ」

 杏が余計な事を言ったせいで、春原がぽりぽりを始めた。いや、やめろって!ストップ、春原ストップ!!

 想像してほしい。イケメンだの何だのと呼ばれたが結局はいい年こいた親父二人が、汗びっしょりの必死の形相で、ポンキーの両端を咥えて睨み合っている姿を。日傘を持った赤いヘアバンドの女に「……美しくないです」と言われた気がしたが、別にそんなことはなかったぜフォオオオオオオオ。

 やべぇ、マジで近づいてきた。

 やめろとめろやめろとめろやめれとまれやめれとまれやまろとめれやまととまととやまっ


 ぽきん


『ふう……』

 俺と春原が安堵のため息をついた。

「岡崎、僕さ、頭の中で『折ーれ、折れ折れ折れー、強いじゃーん、はよ折れー折れ』って歌ってたよ」

「その気持ち、よーくわかる」

 そんな俺たちを見て、杏が片眉をあげた。

「……あんたたち、わざとじゃないでしょうね」

「まーさか。俺たちの必死の形相、見てただろ」

「最後で折れちゃうなんて、何てアンラッキーなんだろーねー」

 アハハーと笑う春原を尻目に、杏が俺を睨む。

「……本当にわざとじゃないの」

「ああそうさ。それよりもお前、自分の心配しろよ」

「どういうことよ」

 すっと箱を指差した。巴と風子はすでに脱落しているので、残っているのは杏と智代だけだった。



杏 × 智代


「あ、でもこれって無効よね〜」

 杏が事態に気づいてちょっとした抵抗を見せた。

「んでも、みんなで従ってるルールだしねぇ」

「陽平、あんた誰の味方なの」

「ひいっ」

 そこで俺の後ろに隠れるなよ。

「それに、陽平だってあたしが他の人とキスするの、嫌じゃないの」

「じょ、女性同士のキスはオッケーっす。っていうか社交辞令じゃん」

「あっ、で、でもっ、巴ちゃんも見てるし、教育に悪いわよっ」

「……高校時代に、いろんな『いじめ』をした杏ちゃんが言うのは、変なの」

 ナイスだことみ。その一言で杏の顔が真っ赤に染まった。

「ちょっ、あんた、何そんな古い時の話をっ」

「きょーせんせーはいじめっこだったのか」

「いじめないいじめてないいじめっ子じゃないっ」

「きょーせんせーのほんは、せーぎのためにあるんじゃなかったのか」

「正義のためよっ!悪を討つための本に決まってるじゃないっ!!」

 本は読むための本だ。

「なぁ巴、規則を守るのは、正義か」

 そう聞くと、巴は少し考えてから答えた。

「せーぎとルールをどうぎとなすのはどうかとおもうが、いちおうきそくをまもるのはひととしてとーぜんのことだ」

「だとさ。さあ準備しろ、杏先生」

 追いつめられて杏は智代を見た。

「ね、ねぇ智代、あんたも、朋也以外とキスだなんて」

「すまない杏。こういう不都合な事態でもルールはルールだ。ちゃんと遵守し、正々堂々と立ち向かいたい」

 杏が最初から智代に聞かずに、最後になるまで話を向けなかった理由。それは智代の性格上こうなることを知っていたからだった。

「しょうがないわねぇ……あんたたち、後で覚悟なさいよ」

「ひぃっ」

 だから俺の後ろに隠れるのはよせって。まがりなりにも亭主だろ、お前。

「じゃあ、スタート」

 ぽりり、と智代がポンキーを齧る。杏はと見れば、先ほどのように咥えたまま動かない。どうしても嫌だと言うのだろうか。いや、むしろ相手に来させるというのが杏のスタイルらしい。

「おお……」

 春原が少しばかり興奮した声を出した。

「何だか、智代ちゃんが杏に迫っていってる感じだよね」

「ああ」

 そうこうするうちに、智代が半分地点までさしかかった。そして止まる。

「あれ、どうしたんだろ」

 訝しげに二人を見る春原だったが、智代をよく知る俺にはわかった。

(さあ、あとは杏の番だぞ)

 そう目で言って、智代は待ちの体勢に入ったのだった。

(ちょ、冗談じゃないわよ、あんたがやると言ったんだから、あんたが来なさいよ)

(私だけでやるとは言ってないぞ。二人でやるんだから、杏も来なくてはいけない)

(……わかったわよ。やりゃーいいんでしょやりゃー)

 観念して杏がぽりぽりとポンキーを齧り始めた。あの唯我独尊あたしが法律異論は認めない、な杏を動かせるあたり、さすが俺の嫁だと思った。

 遅々とした杏の前進だったけど、それでも残り三センチにまでポンキーは減った。そしてそこで止まった。

(……いや、いやいやいや。これ無理だし、無理だからっ)

(ルールなんだ。しょうがないだろう)

(智代、まだ酔ってるのよね?そうなのよねっ?だったら、ちゃんとした合意じゃないから)

(酔ってなんかないぞ)

(酔ってる人はみんなそういうのっ)

(……仕方のない)

 智代が観念して目をつぶる。それに杏が安堵したのも一瞬だけだった。

(……あんた、何やってんの)

(杏が来ないのなら、私がいくしかないだろう……む、これはたしかに恥ずかしいな)

(恥ずかしいでしょっ!恥ずかしいわよねっ!だからやめるっ!!)

(そうはいかない……でも……)

 二人の熱いやり取りに、俺と春原は同時に汽車の如く鼻から熱い息を吹き出した。直後、ふくらはぎに鋭い痛みが。

「あががっ」

「うぉおっ」

「とーさんもすのはらのおじさんも、やらしそうだった」

「そうですね、巴ちゃん。岡崎さんは危険だから、風子と一緒に帰りましょ」

「んーん。かーさんをみてる」

「また失敗です……」

 そうこうするうちに、杏と智代の距離は二センチ未満、いや、一センチまでいった。ここまでくれば折れる事はない。躊躇する智代、身動きの取れない杏。そして




「……ねぇちゃん、一体全体何やってんの」




 空気が凍りつき、そして割れる。

「……鷹文、お前、今日来れなかったんじゃ」

「にぃちゃん、話半分しか聞けなかったんだね。今夜来れないのは河南子で、でも僕は顔出すって言ったじゃん」

「……そうだっけな」

「そうだよ。で……ねぇちゃんたち、本当に何やってるわけ」

 ぽろ、とポンキーが落ちる。そして智代が口をわななかせて何かつぶやいた。

「……れ」

「は」

「お……んか……まえ」

「は、だから聞こえないって」

 すると智代が怒れるクマの形相で拳を握りしめた。

「お前なんかっっっ帰ってしまええええええええええっっっ」

「うわっちょっまっ」

 高速のパンチを繰り出す智代。それを一応かわす鷹文を見て、ふと、ああ家族なんだなって思った。

「ねぇちゃんっうわっあぶねっ死ぬってっ」

「殺しはしないっ!ただ三年は入院してもらうっ!それで時効だっ!!」

「無茶苦茶だよねっ!?三年入院って、ひっ」

 智代が鷹文を角に追い詰めた。ぽきぽき、と拳を鳴らす智代。

「さあ鷹文、覚悟はいいか」

「いやいやいやいや、まだ遺書書いてないし、生命保険まだ入ってないし」

「お前結構余裕な」

「にぃちゃんも避難してないで助けてよ」

MU☆RI

Deathよねー……にぃちゃん、河南子によろしく言っといてよ」

「ああ、お前は智代のスカートめくろうとしてぼこられたって言っとく」

「それじゃあ死んでも死にきれないよねっ?!」

「では鷹文」

 智代が拳を振り上げた。

「さらばだ」

 すると、俺の肩の上に避難していた巴が呟いた。

「……かーさん、かっこいい」

「っ!!」

 娘の声に我に返った智代。そして巴の方に振りかえった。

「か、かっこいい?」

「うん。やっぱりかーさんはつよくてかっこいい。あこがれてしまうな」

 智代は自分の拳と自分の娘を交互に見ると、慌てふためいて肩車されている巴に駆け寄った。

「で、でも、こういうことは、あんまり、そのだな、見習わなくていいからなっ!巴はおしとやかなところが最高なんだからなっ!乱暴はよくないからなっ!!」

「……かーさんは、でも、ともえにかーさんみたいにならないでほしいって、そういうのか」

「え、あ、うう……」

 言葉に詰まる智代に、俺は助け船を出した。

「大丈夫だぞ。智代も充分すぎるほどお淑やかだからな」

「……それはしってるんだけど、でもいま」

「今のは母さんと鷹文おじさんの冗談だ。困るよなぁ、こういう冗談、母さんと鷹文おじさん昔っからよくやったからさぁ」

 俺は体を反転させて、居間の壁にめり込んだ拳の痕や、破損した家具が巴に見えないようにした。

「じょーだんだったのか」

「そうそう、冗談。な、智代」

「え、あ、ああ。そうだ、そうなんだ、ははは」

「それより巴、冗談も終わったことだし、母さんのところにいくか」

「いく」

 巴を智代に任せて、俺は鷹文の方に向かった。

「おー、鷹文、大丈夫か」

「にぃちゃん……」

「腰抜けてんぞ。手を貸すか」

 手を差し伸べる俺。それを掴む鷹文。笑顔

「にぃちゃん」

 笑顔。

「死に去らせっ!!」

 俺の顔にパンチ炸裂。

「たかふっちょっおまっ」

「死ぬかと思ったよっ!マジで今度ばかりはっ!娘二人と嫁一人にっ!挨拶する間もなしにっ!!」

「いっつっ!てめっ!のやろぉ」

 ぼかぼかと殴り合いを始める俺と鷹文に、巴と智代は呆れた風にため息をついた。椿芽ちゃんを抱きかかえた杏が一言ぼそりと呟いた。

「……男ってバカよね、椿芽」

「ね」





 後日談。

 俺は受話器を持ったまま硬直していた。

『さて……岡崎朋也君』

 静かなその声には、しかし確かに無視できないほど熱くたぎった憤怒が含まれていた。

『嫁に行った私の大事な娘が、別の男の妻と淫らな遊戯に耽っていたという話を鷹文から聞いたのだが、本当かね』

 鷹文の野郎。俺は歯ぎしりしたがあとの祭りだった。と、その時、赤い点が俺の額に現れた。その点は一つから二つ、そして五つに増えた。病気ではない。むしろ、赤い光を収束させて照射すればそういう風になるだろう点だった。早い話、レーザードットだった。


『ぜひとも納得のいく説明が聞きたいのだがね』

 

 

 

 

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