「なぁ朋也」
とある日曜日、智代が味噌汁をおたまでかき回しながら俺に言った。
「来週の日曜日、なんだが」
「……あ、ああ。どうかしたか」
少々、どころではなく歯切れ悪く俺は言った。
「その、な、私の誕生日なんだが」
「お、おう」
「……何だそのびくついたリアクションは?む、忘れていたのか」
「いや、それはない。ちゃんと覚えていたさ」
ああ、忘れるはずがないじゃないか、はにぃ。
ただ、あれだ。プレゼントをどうしようかと考えてもいいアイディアが浮かばん。
そろそろクマさんネタも尽きてきたが、アクセサリー類は俺にセンスがないために智代がそれを身につけて恥をかくなんて事があったら嫌だし、そもそも財布の中身との交渉が絶賛決裂中だ。
「……まぁ、忘れていてもいいんだけどな。朋也のことだから、どうせ前日か当日になって思い出してあたふたするけど結局は思い出してくれるんだからな」
「いや、だからそれはないって」
「そうか?確か去年は……」
「わかった悪かったすまん許してくれ」
確かに去年はものの見事に当日の朝「あるぇー、今日は何かあったぞぉー」と思った瞬間に思い出したのだった。その後ソッコーで町中走りまわって誕生日プレゼントを探しまわったのはあまりいい思い出とは言えない。
ぱん、と手を合わせて拝むような格好で謝ると、智代がふふ、と笑った。
「まぁ、それはともかく、要は朋也が傍にいればそれでいいということだ。その日でなくても結局は祝ってくれるしな」
「あ、ああ」
「朋也が忘れんぼなのは承知しているからな。まぁ、さすがにまた私のことを忘れられたら少し凹むが」
「そいつは俺も勘弁してほしいさ」
俺が肩をすくめるのを見て、智代がまた笑った。いつの間にか俺たちは客観的に見れば悲劇でしかなかったあの事件の事も笑い合えるようになったらしい。
味噌汁を火から降ろすと、智代が俺に向き直った。
「本当に、朋也の忘れんぼには困ったぞ」
「ははは、まぁ、そりゃ俺も自覚してる」
「あの時は、まぁ、あれだ、うん、プロポーズしてくれたからまぁ許したけどな。今度ああいうことがあったらどうするつもりなんだ」
「……どうしてほしい」
俺の口調と自然と浮かんだ不敵な笑みに、智代は何か感じ取ったらしい。すっと後ずさりをした。
「い、いや、ちょっと待て。ちょっと待つんだ朋也」
「洗脳か。洗脳が必要なのか。智代を見たらビクンと体が『ああ、智代は俺の嫁異論は認めない、だな』と反応するように」
「ビクンって何だっ!あと、反応するって、体のどの部分の話だっ!!」
「カエサルは言った!『破城鎚を持って来い!この城門はきつそうだ』と!!」
「でたらめを言うなっ!!そもそも私にしてみればお前が世界史の授業に出た経験があるのかどうかすら怪しいぞっ」
「いやぁ、出てたさ。寝てたけどな」
「自慢するなっ!!って、いつの間に角に追い詰められていた?!」
智代にツッコミ役を与えることでフェイントをかけ、その間にじわじわと物理的に追い詰める。それこそが岡崎式クマちゃん生け捕り作戦。
「ふっふっふ、覚悟するのだ智代。クマさんは猟師のおっきな☆鉄砲でダウンするのが相場だ」
「……お前の言動にどうツッコんでいいのか、私にはもうわからない」
「安心しろ、突っ込むのは俺の役目だ」
「……もう、本当にどうでもいい。それより本当に無駄な抵抗だとはわかっているのだがな、一応言っておこう。お味噌汁が冷めてしまうぞ」
「それはつまりまた温めればいいという回答を俺が知っているうえで言ってるんだな?」
智代の腰に腕を回しながら俺は笑った。
「まったくお前という奴は……」
それ以上智代に反論されるといろいろと分が悪かったので、俺は早々にその唇をふさいだ。
「それで、誕生日の話だったよな」
結局三ラウンドまでもつれ込んだ末に勝利(何にだ?)を得、メロン二つに特大白桃を思う存分堪能した俺は、智代の無言の「ケダモノ」「暴発カウボーイ」「犯崎朋也」と言った非難の視線に耐えきれず、白々しくも話を智代に振った。
「……ここのところずっと忙しかったから、来週の日曜日は思い切り甘えさせてくれ、と頼むつもりだったんだ」
「うっ」
智代の純情な願いに、俺は言葉を詰まらせた。急に形容しがたい罪悪感が込み上げてきた。
「なのにどっかのドスケベな襲え!ボッキッキーズの言うこと機関銃のせいで、台無しだ」
「うぐ……」
布団に顔を埋めつつ上目遣いで睨んでくる智代。やべぇほどかわいいのに、冷や汗が出るほどやべぇ。
「だから、プレゼントのお願いを変更だ」
「……」
厳粛なる判決を言い渡す裁判官の如く、智代は告げた。
「来週の日曜日。私に本気で甘えさせろ。ただしエロ禁止」
「なっ何ぃいいいいいいいいいいいいいいっ!?」
俺は頭を抱えて絶叫した。ただでさえかわいい智代が、本気を出して甘えてくるのだから物凄くかわいいに違いない。なのに、なのにエロ禁止だと?俺の理性をいぢめるつもりなのか?
俺にはその時、その日がとんでもないことになる予想がついていた。しかし、まだ甘かったのだ。
何せその時の俺には、智代の本気がどういうものか、あまりよくわかっていなかったのだから。
智代さんの本気がマジパネェ件について
正直に言おう。当日の朝は智代のお願いのことを忘れていた。
どうやら「プレゼントを考えずに済んだ」ことで安堵しきってしまったらしい。あるいは「智代が甘えてくるのにえっちぃことをしてはいけない生殺しタイム」について考えるのを極力避けていたらしい。
とりあえず、日曜日の朝は轟眠した。その前の日の休日出勤が以外とキたたしく、できるかぎりなら昼ごろまで寝ていたかった。
まぁ、そんなこと
「……や。朝だぞ朋也。起きてくれ」
うちの嫁様が許してくれるはずもないけどな。
「ほら、起きろ朋也、いい朝だぞ」
「ん……あと五分……」
「ダメだ。いつもそうやってぎりぎりまで動かないんだから。ほら、起きろ」
ちなみにこのやり取りは現在ではうちの娘とやっているわけだが、何から何まで智代と瓜二つなので何だかすごくうれしい。
「そうか……没交渉か。ならば……」
不意に、俺の体の上に柔らかい重さが加わった。特に胸のあたりに弾力のある何かが押し当てられていたりするような。
それらが何を意味するか半ば寝ぼけている俺の脳が理解するより早く、智代は俺の耳元で囁いた。
「朋也、起きてくれないと、困ってしまうぞ?」
「うおっ」
頬と頬が重なっている状態で俺が見えたのは、智代の長く色の薄い髪の毛と、俺にしなだれかかっているボディだった。
「と、智代っ?!」
「そうだぞ?他にこういうことをする女性がいてたまるものか」
「い、いや、まぁそうなんだが」
すりすりと頬をすり合わせてくる智代に、俺なんかが抗えるはずもなく、俺は小動物のようなかわいらしい仕草の智代に圧倒されていた。
「起きたか?起きたら早く顔を洗ってくれ。面白い顔をしているぞ」
ぺたぺたと顔を触りながら、智代が囁いた。何だかやべぇ。すげぇやべぇ(理性的に)。
「でも、やっぱり私のカッコいい旦那様だぞ?」
その一言で、何かが崩壊した。
一瞬で俺は寝床から脱し
「智代っ」
「む」
いくら智代でも反応できない速度で宙に舞い
「うぅぉおおおかずぁああきぃいい、すぅぅぁぁああいくぅぅぉぉおおおおおおおおおおおおおお……」
びた
「アノ、智代サン」
「何だ、朋也」
「コノ、空二浮カビ上ガッテイル魔方陣、何デスカ」
「うむ。こんなこともあろうかと、朋也が邪な心で私に触れようとすると、自動的に魔方陣が展開されて、接触を阻止するように有紀寧さんにおまじないをかけてもらったんだ」
「ナルホド」
だから俺はもっこりに失敗したXYZの人みたいな無様な格好で宙に浮いているのか。ちなみに魔方陣がどう見てもオレンジ色に光る八角形にしか見えないのはあれだろうか、絶対恐怖領域と関係があるのだろうか。そんなことを考えつつ俺はその魔方陣あるいはATフィールドあるいはビックリ斥力場からずり落ちた。
「まったく、やっぱり不埒な事を考えていたのか。仕方のない奴だな」
そう言ってため息をつくと、智代はまた台所の方に行ってしまった。
今、俺が垣間見たのは、もしかすると、あれか?
あれが、智代さんの、本気の一瞬だったのか?
あれが?俺の理性を吹き飛ばしたあれが?
あんなのが一日中続くのか?
とりあえず顔を洗って寝癖も一応整え、台所に向かった。先ほどから胃を刺激するような匂いと音がしてきて、寝ていられる状況ではなかったのだ。
「ああ、朋也。うん、やっぱり朋也はさっぱりしていたほうが格好いいな。文字通り、水の滴るいい男だ」
卵の溶いた物を炒めながら智代が笑った。ああ、智代さん、そんなことをそんな笑顔で言われたら、「俺生きててよかった」って涙ぐみたくなるではないですか。
と、そこで俺は大事な事に気付いて智代をそっと抱きしめた。智代もそこら辺は心得ていたのか、火を止めてフライパンを別のコンロの上に乗せていた。
「誕生日、おめでとうな、智代」
「ありがとう」
「俺、智代がいてくれたから今があるんだなって、そう考えると今日という日があるのがすごくうれしい気がしてさ」
「でも、私だって、朋也がいるからここにいられるんだ。だから」
そう言って、智代は俺の顔に手を添えると囁いた。
「これでおあいこだ」
軽い接吻の感触を唇と頬に感じた。額と額、鼻さきと鼻さきを合わせて悪戯っぽく笑った。
「大好きだぞ、智代」
「うん、私も朋也が大好きだ」
もう一度だけキスをすると、俺たちはゆっくりと体を放した。
「まずは朝ごはんにしよう。朋也、ご飯とお味噌汁をよそってくれ」
「おう。にしても、美味そうだな、その卵焼き」
「そうか?ふふ、これは実は少し特別なのだ」
「なのか」
「なのだ」
えへんと胸を張る智代。年下なのにいろんなところですごくって大人びて見える智代が、何故かその時は無邪気に見えた。
「じゃあ、つまみ……」
「ダメだ」
しゅっとのびた指先を、智代が軽くぺチンと叩いた。あくまでも軽く、というところが実に女の子らしかった。
「まったく、仕方のない奴だな。あと少しでどうせ出来上がるじゃないか」
「いやあ、智代の反応がかわいくてさ」
「からかわれてるこっちの身にもなってみろ。まったくお前は」
ぷんすか怒っているように見えて、目が笑っていたので、肩をすくめておどけて見せた。
「スキンシップって大事だなぁ、って思ってさ。あるそうだぞ、こういう夫婦の会話とかおふざけがなくて、定年迎えたら空中分解しちゃう夫婦って」
「お前と私には無縁の話だな」
クールさを装ってはいたが、どことなく嬉しそうだった。
「定年を迎えたら……って、気が遠くなるほど先の話だけどな」
「鬼が笑うどころの話ではないな」
「何つーか、二人並んで縁の下でお茶を飲みながら日向ぼっこ、『じいさんや、今日もいい日じゃのう』『おおぅ、本当にのう、ばあさん』とはいかない気がする」
「いかないのか?意外だな」
ジャー、と何か別のものがフライパンに入った音がした。
「まず俺とお前でじいさんばあさん、ってのがいただけない。ずっと『はにぃ』『だぁりん』の仲だ」
「あたかも私が普段からお前をそう呼んでいるかのように言うなっ」
「んー?俺の中でははにぃはいつでもまいらぶりーえんじぇる智代たんなわけだが?」
「そんな恥ずかしい名前で呼ぶなっ!ぶち殺しますよお兄さんっ」
照れ隠しで怒鳴ったようだったが、思わず身がすくんでしまったのはここだけの話。
「でもまぁ、真面目な話、例えば俺とお前が縁の下に隣り合わせに座ったとしても、日向ぼっこで終わるか?」
「どういう意味だ?」
「絶対にイチャイチャするに決まってる。頬をつつき合ったり、肩に頭乗せたり、膝枕したり、ちゅっちゅしたり」
「それでは今とあまり変わらないじゃないか」
「だが、それがいい(キリッ」
そうこうするうちに、智代がオムレツらしきものを持ってちゃぶ台にやってきた。らしきもの、と言っても失敗作だったわけではない。ただ、卵からのぞく野菜の切れ端が俺の興味をそそった。
「面白そうだな。何だこれは」
「面白いと言う表現が的確かどうかは知らないが、トルティーヤだ」
「え?あれって小麦粉で作るんじゃないのか」
「うん、あれはメキシコ風のトルティーヤだな。もともとはインディアンの料理だったんだけど、スペイン人がやってきたときにその料理を見てスペインオムレツに似ているからってトルティーヤと呼んだんだ。スペイン発祥のトルティーヤは、ジャガイモやほうれん草、ベーコンの入ったオムレツのことを指すんだ」
「ふーん……やっぱお前すごいよな」
博識な智代さんに敬意を表して、頭に手を載せてなでた。普段なら「また私を子ども扱いして」とか言うのだが、今日はどうも何も言わない。
「……今日は何も言わないんだな」
「きょ、今日ばかりは許してやろうと思ってだな、うん。感謝しろ」
「はいはい感謝感謝」
ワロスワロスとばかりに頭をなでていたが、不意に智代が黙々と何らかの作業をしているのに気がついて手を止めた。
「……智代、何をしてるんだ」
「うん?飾り付けだ。ディテールは大事だからな」
「……そうか。やめてくれって言っても、無駄なんだろうな」
「無論そうだし、そもそもお前がそこまで抗議しないとわかっているからな」
改めて実感。俺、智代に何もかも解読されてる気がする。
「はい、めしあがれ」
そして差し出されたスペイン風オムレツを凝視した。でかでかとケチャップで描かれているハートマークに「LOVE」の文字。どう考えても恥ずかしすぎでした本当にありがとうございました。
「朋也と私はラブラブだからな」
勝ち誇ったような智代の笑顔がまぶしかった。
「……いただきます」
「ちょっと待ってくれ」
「?」
めしあがれと言われたそのすぐ後に待てと告げられ、俺は訝しげに智代を見た。いそいそとナイフでトルティーヤを一口サイズに切り取る智代。ああ、これはあれか。
「さて、朋也」
答えてはだめだ、と俺の理性が言う。答えたら不可逆の道に足を踏み入れることになる。そうなったら最後、ハートマークも愛の言葉もままごとにしか感じられないほど恥ずかしい思いをすることになる。もしかしたら壊れてしまうかもしれない。
「……ああ」
されど、俺を呼ぶは智代。俺の智代。いかなる精神力を以てしても、俺に眩しい笑顔で笑いかけながら俺の名を呼ぶ最愛の嫁を、どうして無視できよう。どうして無碍に扱えよう。
そして告げられる、拒否できぬ命令の言葉。
「あーんだ」
「……あーん」
おぞましいほどの甘さで脳天が焼き切れるのを感じつつ、俺は智代のお手製オムレツを頬張った。うまかった。
「なぁ、これ、邪魔じゃないか」
「うん?いや、そうでもないぞ」
俺の心配をよそに、智代は何事もないかのように洗い物をすませていた、かのように見えた。時たま鼻歌が聞こえてくる。
「ご機嫌だな」
「そうか?私は朋也がいればいつもご機嫌だぞ」
「……そうかい。で、これはいつまで続くんだ」
「もちろん、食器を全部洗い終えるまでだ」
どことなく勝ち誇ったかのように言う智代。さっき何事もないかのように、と言ったが、騙されてはいけない。智代の顔はこの位置からでは確認できないが、絶対にどうしようもなくしまりのないものになっているに違いない。
しかし
「やっぱなんとなくおかしくないか?」
「ん?そうか?とても女の子らしい光景だと思うぞ?」
もうそろそろいいだろう。ものすごく恥ずかしいので言いたくなかったが、これ以上説明せずにいると読者がわけがわからなくなってしまうかもしれないから仕方がない。
とどのつまり、朝飯の後、智代に「私の前にはエプロン、前掛けがあるからいいが、後ろには何もないのがさびしい。だからずっと抱きしめていてくれ」と頼まれてしまったのだ。その結果、俺は先ほどから智代を後ろからハグして密着しっぱなしという格好だ。
まあ俺と智代の仲だしこんなの余裕だわははウソですごめんなさいマジ勘弁してくださいはずかしゃあ。
しかし本気で甘えさせてやると言うのがプレゼントなだけにノーとは言えない。それにもし拒みでもした日には……
『朋也は私といるのが嫌なのか?そうか、そうだろうな。うん、わかっていたんだ。どうせ私は朋也と一緒に入られるようなレベルの女じゃないんだ、な?当然だな、ずっとケンカなどに明け暮れていた獣のような女が、こんないい男と一緒に暮らせるはずがないんだからな。ふふ、あはははは、何て滑稽なんだっ?!私は今まで何を考えてきたんだ?!ふふ、ふふふ、もう、何もかもがどうでもいい。いっそ、そうだな、朋也のいない世界なんていらないしな、うん、隣にいられないのなら、ならばいっそのこと……』
やっぱ、あれだよな、誕生日に嫁さん泣かせたらまずいよな。うん。
「お、もうそろそろ終わりそうだな」
肩越しにのぞくと、智代が最後のお茶碗を手に取るのが見えた。すると智代はその手の動きを止め、一瞬思案に暮れるそぶりを見せた後、台所洗剤を手に取った。
「ん、どうした」
「いや、べつにどうもしない」
どことなく棒読みのセリフに、俺は何となく嫌な予感がした。しかし次の瞬間智代のとった行動を、誰が一体予想できようか。
智代は手に取った台所洗剤を、今しがた洗った食器にかけたのだった。
「なっ」
「あー、しまったー、せんざいがあらったばかりのしょっきにかかってしまったー。わたしとしたことがー。これではまたやりなおしだなー」
「ちょっ、おまっ、今のどう考えてもわざとだろっ」
「わざとじゃないぞー?」
「どう聞いても棒読みでした本当にどうもありがとうございました」
「むー」
顔を覗き込もうとすると、智代が不機嫌そうに首を左右に振った。
「おい智代、顔が赤くなってるぞ」
「ぷい」
「……もしかしてわざとらしさが恥ずかしすぎてそれでもかまってもらいたくて顔向けできないからすねたフリをしているとか」
「…………」
図星らしい。俺の嫁さんかわいすぎ。
「なぁ智代」
反対側に回って声をかけると、智代が首を振った。
「智代ったら」
「……」
「智代っ」
「っ」
首を再度振ろうとした智代。しかしその動きは読まれていたのだよななななんだってー。俺のフェイントに見事引っかかり、ともぴょんは哀れ俺に唇を奪われてしまったとさめでたしめでたし。自分の奥方にフェイントかけなきゃいけないってどんだけーとも思ったが、気にしたら負けかなとも思った。
「……ずるいぞ」
「ずるいのは俺だけか」
「うん、お前だけだ。私がいつもより子供っぽいのも、ムキになってしまうのも、少しばかりずるいのも、全部お前のせいだ」
「そんな不公平だ」
「うん、だけど、女性とはまぁそういうものだ。どうだ、こういう不条理なところも女の子らしいだろう」
「お前が女の子らしくなかったら、世の中には女の子らしい女の子なんていないってことになるぞ」
「……そんなこと」
「ある。大有り。智代は女の子の中の女の子だ。いうなればクイーンオブ女の子だ」
「……もう、朋也は」
くすぐったそうに笑いながら、智代が唇を重ねてきた。そして熱っぽい視線で俺をじっと見つめる。
「朋也……」
「智代……」
「…………好き」
ぷつん。
その小さな呟きで、俺の中の何かが弾け飛んだ。野性、再起動。そんなっ、動けるはずありませんっ!まさか?
暴 走
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……どわああっ?!」
獣の如く咆哮し、獣(ビースト)モードで智代に襲いかかろうとした時、俺はいきなりすさまじい力で
台所から居間まで吹き飛ばされ、押し入れに体当たりした揚句に押し入れの扉を頭に被り、落ちてきた布団の下敷きになった。
「朋也?朋也っ!朋也っ!!」
「とも……よ……」
これからはここまで過激な結果にならないよう、田嶋におまじないの威力を調整してもらおう。
薄れゆく意識の中で、俺はそう思った。
昔々、つーかたった今。
あるところに電気工がいました。つーか、俺。
その電気工が配線修理をしていると、間違えてスパナを落としてしまいました。
「馬鹿野郎!」
「すみませんっ」
先輩にどやされながら、俺はスパナを拾いに行く。しかし下にあったのはスパナではなく、いつの間にかできた大きな水たまりと
「……智代?」
「智代ではない。女神様だ」
まぁ、俺にとっちゃ似たようなもんだ。
「で、まいはにぃ女神様が何の用だ」
「変な名前で呼ぶなっ!と、とにかく、お前が欲するのは、この金のスパナか?銀のスパナか」
水たまりから太陽の如く煌めく金のスパナと、月のように輝く銀のスパナが浮かび上がった。
「どっちが欲しいか、って話か」
「いや、そうではない。何が欲しいか、という質問だ」
そう言ってすいーとはにぃ女神様が俺にウインクした。そうか、そういう質問か。なら、答えは一つだ。
「お前が欲しい」
「なっ」
「何が欲しいって聞かれたら、そりゃ俺の嫁さんが欲しいって答えるに決まってるだろ。俺は智代が欲しい」
「……智代ではなくて女神様だと言っているだろう」
「智代は俺の女神様ですが何か?」
「……もういい。金のスパナ、銀のスパナ、ただのスパナ、いずれでも答えた場合はそれでお前の頭を殴って再度記憶喪失にしようと思ったのだが、本当にもうどうでもいい。とっとと現実世界に戻って、嫁さんといちゃいちゃしていろ」
目を覚ました時、視線の先に映る見慣れた天井。そしてそれを遮るように天から垂れ下がる、二つの山。
垂れ下がる山というのはしかしおかしい。山とはそもそも盛り上がった大地なので、下から来るものだ。そびえ立つこそすれ、垂れ下がるはずがない。
と、そこまで考えて俺はようやく山の正体に思い当たった。
「智代のおっぱいいおっぱい」
「気がついてから最初に言う言葉がそれか」
ぺちんと額を叩かれてしまった。
「どうせ続いて『でかいぞーでかいぞー』とでも言うつもりだろう」
「はっ、智代のおっぱいに大きさ以外の夢を見出せない奴と俺を一緒にしないでくれ」
「ふーん」
本当にどうでもよさ気に − そしてほんの少しだけだと信じたいが侮蔑もこめて − 智代が俺を見た。ここNGなコメントでもしようものなら、俺への好感度は一気に落ちるに違いない。これが恋愛アドベンチャーゲームならバッドエンドに直結するかもしれない。
「まったく……では何というつもりだったんだ」
「よくぞ聞いてくれた」
俺は拳を握り締めて肺に空気をため、そして思いを吐き出した。
「美味いzあだぱ」
ぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちん
NGワードだったらしい。
「そんなことを大声で言おうとするバカがいるかっ」
「ここに(ぺちん)いてぇ」
「まったく……お前と言う奴は仕方のないにもほどがある。無事ならさっさと起き上がってくれ」
「んー、智代の膝枕が心地よすぎてさ」
改めて俺は状況を把握する。さっき失神した後、俺はどうやら智代に介抱されていたようだった。そのまますりすりと智代の太ももにほお擦りする。ちなみにこの足から放たれる蹴りがどういう威力のものか、身をもって春原が教えてくれたのは遠い昔のようであって実のところ先週だったりする。
「まったく、仕方のない奴だな」
「へい」
「仕方のない奴はこうして私の膝の上で拘束しておくに限る。感謝しろ」
「感謝感謝」
しばらく無言のまま俺たちは時間を浪費した。昔は苦手だった無言も、今はどことなく心地よかった。
「朋也」
不意に名前を呼ばれる。
「おう」
「朋也」
少しばかり甘えたニュアンスを感じ取って、俺は苦笑した。
「智代」
「うん、何だ」
「甘えんぼなんだな」
「ああ、そうだとも。奥さんらしいだろ」
「奥さんらしい奥さんらしい」
「……子供扱いしてないか」
少しばかり不機嫌そうな気配を感じた。無論、こういう反応が見たいこともあってわざと子供扱いするときもあるのだけど、言ったら喧嘩になりそうだよなぁ。
「HAHAHAHA、してないさはにぃ」
「本当に?」
「ホントホント」
疑わしそうに俺を見ていた智代だったが、その顔が不意に綻ぶ。
「まあいい。朋也がそこにいるんだったら、それでいい」
「俺も、智代がそこにいるんだったら、そこで笑っててくれるんだったら、それでいい」
そう言うと、智代が覗き込むような姿勢でキスをしてきた。少し体勢に無理があったのか、そのまま崩れこんで二人して床に寝転ぶが、それでも唇は離さなかった。
「どうだ、朋也」
「ん?」
「私はここにいるぞ。お前の隣で笑ってるぞ。ずっとこのまま笑っているぞ」
その瞳が俺に問いかけてきた。
お前は今、幸せか。
「ああ」
その無言の問いに答えるように、俺はそっと智代の額にキスをした。
幸せだ。
夜も更けて、秋の満月が寝室を照らした。
あれからも俺と智代はずっと一緒にいた。先ほどのいちゃいちゃのせいか、どことなく心が安らかになっていた。だから夕飯を食べた時も恥ずかしげもなくいちゃいちゃできたし、久しぶりに一緒に風呂に入った時も(魔法陣が何度か現れかけたが)いちゃいちゃしていたし、風呂上りにテレビドラマを見ていた時など「そこでもう一歩踏み込めよ」「ここは熱い愛の言葉が聞きたいな」とか言いつつもいちゃいちゃのしっぱなしだった。
やがて夜も更け、俺たちは寝る支度を整えた。
「ああ、すまない朋也。そこにあるマグを台所に片付けておいてくれ」
「おう」
智代に頼まれたら仕方がない。俺は先ほどコーヒーを飲んだ(無論二人で半分こだ)マグカップを台所の流し場に持っていった。さっと水で洗っていると、ふとした弾みで俺は時計を見た。いつの間にかこんな時間になっていたのだろうか。楽しい時間はすぐ過ぎるというのは本当らしい。
と、その時、俺の中の何かが脈を打った。何かこう、ずっと奥底に押し込めていたものがわらわらと活動再開するような気分だ。なぜかこの時を待っていた、そんな気分になった。
そんな気分になった理由を求めて辺りを見渡した時、俺は納得がいった。
そうか、そういうことだったか。
「ふふ、ふはは、はははははは」
「どうしたんだ、変な笑いだぞ」
さきほどのほんわかいちゃいちゃ雰囲気をまとって智代が抱きついてきた。致命的なミスだった。
「智代……」
「…………朋也?」
俺の声に何か感じ取ったのか、智代がばっと俺から離れた。しかしにやにやが止まらない俺が歩み寄ってくるのに対して後ずさった時、足を滑らせて後ろ向きに転びそうになった。
「っ!!」
「おっとぉ」
光のごとき速度で智代を抱き上げた。無論お姫様抱っこだ。そしてその恐怖に染まりかけた顔を眺めた。
「その目……その邪悪なオーラ……まさかっ」
「さぁんざぁんそのせくすぃなぼでぃを見せ付けてくれたなぁ、ともぴょんちゃんよぉ」
「朋也、正気に戻れっ!今なら遅くないっ!!」
「へっ、智代みたいな美人にいちゃつかれて、正気を保てる奴がいたら、そいつぁ男じゃねぇ」
「ちょっと待て、そ、そうだ、私には有紀寧さんのお呪いが……って発動しないっ?!」
そう。
もし田嶋のお呪いが邪な心に反応するのだとしたら、俺は智代を抱き上げた時点で吹き飛んでしまっていただろう。しかし、田嶋のお呪いにはいかなる邪な心にも反応するという代わりに、重大な枷がひとつはめられていたのだった。
「……まさか」
智代の顔がさらに白く変わる。そして左手首にはめられた腕時計を確認して、その絶望は確定した。
十月十五日。午前零時三分。
「……ふーん、それで……そうなんだ。でもさぁ、そもそも大変な仕事だってわかってて幼稚園の先生目指してたんでしょ……うん……杏はそうでなきゃ……へいへい。つーか、いい加減眠いっす。明日も仕事っす。え、今週末?何かあったっけ……ああ、智代ちゃんのね。へん、杏がどうしてもって言うんだったら「キャー」……ごめん、杏。何だか僕マジで疲れてるみたい。今、智代ちゃんの悲鳴みたいなの聞こえた気がするんだよね……え?杏も?……お互い疲れてるんじゃない?まあ、じゃあ、今週末。じゃーね、切るよ」
『……しかし昨夜は惜しかったですねぇ』
『ええ、第10ラウンドまで挑戦者が耐え切ったのはよかったんですが、そこで一気に勝負に出ましたね。猛烈なラッシュ、しかも一発一発が昇天モノですからね。最後の方は息も絶え絶えという感じでしたね。最後の一撃でノックアウトというのは、むしろチャンピオンの慈悲というところでしょうか』
「お、何だか俺たちの話してるみたいだな」
「なっば、バカっ!」