本作は、岡崎智代女史が収録後に公開せずに滅却することを殊更希望したものだと、ここに記す。
月下狂乱
その時は、いいアイディアだと思ったんだ。
朋也の誕生日に、「今日の予定はどうするんだ(はぁと)」「智代に任せるぜ(はぁと)」「なら、私は朋也に一任する(はぁと)」「ははは、マイッタゼ(はぁと)」「ふふふ、マイッタカ(はぁと)」という会話を延々と繰り返した後、朋也が提案した。
「どうせ秋なんだしさ、夜、月を見ながら酒を飲むのってどうだ」
「月見酒盛りか?うん、ではみんなに声をかけよう」
「あー、いや、俺と智代だけの、うん、デートだデート。大人のデートinムーンライト」
その提案は、素晴らしくロマンチックなものに聞こえた。
だから、その時は「さすが朋也だっ」と二つ返事で頷いてしまったんだ。
今じゃ後悔している。
「夕飯は軽めにしたんだ。お酒を飲むとなると、おつまみも出るからな」
そう言いながら私は食器や料理をちゃぶ台に並べた。普段なら手伝ってくれる朋也には、誕生日だから座っていてくれと頼んであった。何もしないことに慣れていないせいか、少しばかり居心地が悪そうだった。
「さすが智代、全部ちゃんと考えてるんだな」
「量は少ないけど、朋也の好きな料理を厳選したからな」
「智代の料理なら、全部俺の好物だ」
ふふん、とよくわからないけど得意そうに朋也が笑った。でも、そんなことを言われて悪い気はしない。
「ありがとう、朋也。そう言ってもらえると、作った甲斐がある」
「いや、そんな……おおおおっ!こりゃ本当にうまそうだな、おい」
鳥の空揚げに、豆腐ハンバーグ。ご飯はあんかけ五目チャーハンだ。お味噌汁は白味噌と赤味噌を両方入れて(味噌の比率は秘密だ。いつか娘ができたら教えるだろうけど)豆腐、ネギ、油揚げと具もたっぷりだ。
「俺、この料理だけで『生まれてきてよかった』と思えるよ」
「ふふ、大げさな」
「いや、ホント」
いただきます、と言ってから全部食べ終えるまで、朋也は自分からは何も言わず、私が何か言っても「ああ」とか「ん」としか答えず、その間ずっと料理を味わっていたところからして、どうやらお気に召したらしい。
「ふう、ごちそうさま」
「早かったなっ」
思わずツッコんでしまった。私はまだ半分も食べていないのに。
「なあ智代、提案なんだけど」
「何だ?今日は朋也の誕生日だからな、善処するぞ」
「ん。結婚してくれ」
「すまない。私にはもう素晴らしい旦那がいてな。もう結婚することもできないし、今の旦那で満足しているから、またするつもりはないな」
「俺、智代に毎朝味噌汁を作ってほしいんだ」
「作ってるじゃないか。寝坊しなければ飲んで出勤できるぞ」
「俺、プレゼントとして、智代にずっといてほしいな」
「わかった、それなら了承だ。ずっと一緒にいよう」
断わっておくが、この時点では二人とも素面だ。一滴も入っていない通常運転である。
私がご飯を食べ終えると、朋也が食器の片付けを手伝ってくれた。何でも、何にもしないのがどうしても悪い気がしてしまうのだそうだ。もう、朋也ったら、仕方のない奴だ。
「ケーキもあるんだ。楽しみにしてくれ」
「お、古河パンのパティシエール、腕の見せ所です、ってか」
「惜しいが違う。今年は私が作った」
「何っ?!智代の手作りか?ひゃっほい」
「そんなに嬉しいのか」
無邪気にはしゃぐ朋也に、私は思わず苦笑した。
「智代の手料理なので、いつもより多めにはしゃいでおります」
「ふふ、バカ」
「バカで結構。智代の料理がこんなに食べられるなら、俺はいくらでもバカになってみせる」
「いや、そこでドヤ顔されてもリアクションに困るんだが」
その後、ケーキを食べる際に「あーん」の応酬になったり最後のイチゴの譲り合いになったりと、普段よりもケーキが甘く感じられた。
くどいようだが、通常運転である。
「……冷えるな」
朋也がぽつりと漏らしたので、私はくすっと笑った。
「でも、綺麗だ」
「そうだな。綺麗な月だ」
ちょうど満月が空に浮かんで夜空を青白く照らしていた。私たちは部屋の照明を消して、窓を全開にしたまま、ちゃぶ台の傍で隣り合わせに座った。
「でも」
「でも」
「月も綺麗だけど、月の光に照らされた智代がすげえ綺麗だ」
「ふふ、バカ、そんなこと言うな」
「じゃあ言わない、もう一生言わない」
「い、一生は長い。時々なら少し言うのを許す」
「…………」
「あ……う……」
「智代」
「すまない、実はいっぱい言ってほしい。気の向いた時に好きなだけ言ってほしい」
すると朋也は開け放たれた窓の前に仁王立ちすると、腹式呼吸を最大限に使った大声で怒鳴った。
「智代が綺麗すぎて生きているのが最高に楽しいぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
「うっせーっ!近所迷惑だっ」
「TPOをわきまえろっ!ボケエッ!!」
「リア充爆発しろよもおっ!!」
近所の人や通りすがりの人から非難GOGOな朋也の私への想い。
「もう少し静かに言え、バカっ」
ぺちん
「っつー。だけど、好きなだけ言えって言っただろ」
「それは……言ったが」
「おし、じゃあもう一丁」
ぺちん
「あいてっ」
「仕方のない事ばかり言っていないで、ほら、熱燗が冷めるぞ」
そう言って、私は徳利を手にした。
「はい、朋也」
「お、おお」
朋也のお猪口になみなみと日本酒を注いだ。お酒独特の甘い香りがつんと鼻をついた。
「じゃあ、返杯な」
「うん」
そしてお酒を注いでもらったお猪口を手に取る。徳利よりも朋也に返杯してもらったお猪口の方があったかく感じられるのは気のせいだろうか。
くぴ、と飲んでみる。甘い。だけど、しつこさの残らない、清らかな味だった。と同時に頭にヘリウムガスを注入されて膨らまされているような、そんな妙な気分になった。
「おっ、うまいな、この酒」
「そうか。いいお酒だな」
「智代はそうは思わないのか」
「美味しいとは思う。だけど、それとは別にいいお酒だと言っているんだ」
「その心は」
「朋也が気に入ったお酒なら、朋也を喜ばせるお酒ならいいお酒だ」
「そうか……その基準、何にでも応用が利くのか」
「うん。私の善悪の基準は、朋也が中心だ。例えば私の料理も、朋也が好きならいい料理だ」
そう言って、ちょん、とおつまみのお皿を朋也の前に置いた。
「お、里芋の煮物。俺、これ大好きなんだよな」
「うん、じゃあ、とってもいい料理だ」
笑ってお箸を渡すと、朋也はそのまま食べてくれた。
「うん、いける。って、智代、これは」
里芋に刻まれた二本の縦線を指して、朋也が訊いた。
「お月見と言えばお団子だろう。だけどお団子はお酒には合わないからな、だから」
「だんご大家族、か。まさかまた流行ってるのか」
「全国的には流行っていないが、ご近所ではまたブレイクしてるぞ」
「……古河の影響か」
「古河さんの、な、熱意に絆されてな」
熱意にほだされた揚句「NAGISA'sブートキャンプ 〜だんご大家族は永遠〜」という合宿に参加してしまい、テンガロンハットにサングラスの古河さんが「喜べ蛆虫共!今朝の分の『だんご大家族』のビデオを持ってきてやったぞ。全員観賞すること。いいな!返事はどうした」と怒鳴り散らすところを見てしまったのだが、それはさておき。
「で、さっきの基準だけどな」
「うん」
「俺を幸せにしてくれるお嫁さんは、いいお嫁さんなのか」
「うん、いいお嫁さんだ……その、な」
「よし、じゃあ智代は最高の嫁だ」
そう言って、朋也が私の頭をわしわしと撫でた。普段は髪の毛が乱れるのが嫌で、止めてくれるよう頼むのだが、今日はそのまま続けてほしい気分だった。
「ん?今日は抵抗しないのな」
「ん。何だか今夜は、思う存分甘えたい気分なんだ」
「何だ智代、もう酔っぱらったのか」
「違うぞ、バカ。強いて言えば」
くい、とお酒を飲み干して、私は朋也によりかかった。
「月が綺麗すぎるのが悪いんだ」
(一時間半経過)
朋也によると、私の肌は赤く染まりやすい体質らしい。
「何かこう、普段はスズランみたいに白い智代の肌がさ、桜色にぱぁって染まってさ、すっげえ綺麗に見えるんだよな」
「ふん、うまいことをいったって、ようはわたしがよっぱらいやすいといいたいんだろ」
「そんなことはないって。はは、膨れた智代もかわいいよな」
「ぷんだ」
本人としては全く自覚がないので恥ずかしい限りだが、少しお酒が入った私は、「ツン度があがっていじけやすくなる」(朋也談)とのことだ。ただ、相手をしないといじけてお酒を一人でごっきゅごっきゅと飲んだ挙句潰れるから、目が離せないのよね、と杏が言っていた。本人としては自覚も覚えもないのだが、家族友人旦那には感謝するばかりである。
ちなみに、この時点でおつまみはなく、ちゃぶ台には冷のままのお酒が入った徳利が数本樹立していた。
「だいたいだな、ともや、おまえはさっきからぜんぜんのんでないじゃないか」
「悪い悪い、智代に夢中でさ」
「どうせわたしとのむおさけなんて、おいしくないんだろう」
「旨いさ、世界一旨い。だけど今はお酒よりも智代の方が重要だ」
「しかたのないやつだな。だったら、そのおさけもわたしがのんでやろう」
「え?これ?飲むのか?大丈夫か智代、ピッチ上げすぎなんじゃないか」
「ばかにするなっ」
ぐびっぐびっぐびっ
「……ふぅ」
「そこで『ぷはっ』とせずに上品に息継ぎするところが、すっげえ女の子らしい」
「ふん、うまいことをいったってだまされないんだからな」
くい、と背を朋也に向けた。
「おーい、智代」
「ぷん」
「智代ぉ。智代さぁん」
「ぷんぷん」
「ともぴょーん、愛してるんだったら返事してくれー」
「むー、しかたのないやつだな。どうしたんだ」
背中を向けたまま、私は答えた。正直、こんなに態度の悪い私でも好きだと言ってくれる朋也は、ものすごく懐が広くて深いんじゃないかと思った。まあ、朋也だしな。私の最高の旦那様だしな。
「隙ありっ」
「なっ、なにをする」
一瞬の間に、朋也は私を背後から抱きついてきた。頬と頬がくっついて、お互いに火照っているのがわかった。
「と、ともや、なんなんだいきなり」
「いやあ、そんなところで一人で座ってたら寒いだろうと思ってさ」
そう言いながら足を私の下に滑り込ませた。所謂旦那椅子の出来上がりである。
「ふ、ふん。ちがうんだからな」
「そうか?俺は寒かった」
「さ、さむかったのか」
「ああ。智代が傍にいないと、すっげえ寒い。主に心が寒くなる」
「……そういうことなら、すわってやらないこともないぞ」
「有りがたき幸せです、奥様」
そう言いながら、朋也が頬ずりしてきた。正直な話、酔っていたことを後悔している。素面の時にこんなに甘えてくる朋也を、一度は見てみたいものだ。
「どうせわたしは、ともやをしりにしくわるいよめさんだ」
「え?でも俺は智代の尻に敷かれてるの悪くないと思うけどな」
ああわかってる。だが、もう遅い。朋也はすでに末期だ。
「こんなわたしのことを、ともやがすきでいてくれるはずがない」
「こんな、なんて言うなよ」
ぽん、と朋也が私の頭の上に手を置いた。声から少しだけ笑いが消えた。
「こんな、なんて言うなよ。岡崎智代は、坂上智代だった頃から俺が大好きだった、最高の女の子なんだからさ。そんなふうに言わないでほしいんだ」
「……」
「好きに決まってるだろ。俺にしてみりゃ、智代より魅力的な奴なんていないんだからさ」
「……いってほしい」
「ん?何だ」
「どこが、どうすきなのか、いってほしい」
「おいおい……」
朋也は苦笑すると、どこから始めていいのかわからないという風に私の髪を弄った。
「まず、すごい美人だってこと。俺にとって智代はストライクゾーンをミリ単位でど真ん中HITなんだよな。例えばテレビのモデルとか見ててもさ、ああ綺麗だなとかは思うよ」
「おもうのかっ」
「思うけどな、まあ聞けよ、次に智代と比べると、ああ、やっぱ俺世界一幸せだわって実感するんだよ」
「……せかいいちしあわせなのか」
「そりゃそうだろ。何たって、智代は世界一の美人なんだから」
「……ん」
「次にな、普段からの性格がさ、俺に足りないところ全部補ってくれてるって言うかさ。例えば俺がだらしないところ、ちゃんと引っ張ってくれたりフォローしてくれるだろ?そのかわり、自分ではちょっと無理かなってところは俺にちゃんと相談してくれたり頼ってくれたりするだろ?何かさ、そういうことされると、俺たち二人でいるのが当たり前、というより俺たち二人じゃなきゃだめだなってさ」
「そうだ。ともやはわたしがいなきゃだめなんだぞ。わたしもともやがいないとだめなんだ」
「そう、それ」
「だからずっとそばにいてくれ」
「あいよ」
ぎゅう、と抱きしめられて、髪にキスをされた。何だかくすぐったかった。
「それからさ、前から言おうと思ってたんだけどな、お前かわいすぎ」
「かわいすぎ、か」
「ああ、もう反則。普通は凛々しいのに、ふとした拍子で俺に甘えてくるところなんか、何か狙いすましてるのかって疑いたくなるくらいにな。そこの差がさ、俺にとってはたまらない」
「ぷん、あまえてなんかないもん」
「ちなみに、智代は俺のこと、好きか」
「…………」
「ん?あれ?どうしたんだ?返事がないな」
「……きらいじゃない」
「嫌いじゃない?それだけなのか?朋也君ショックだなぁ」
「……うー」
「…………」
「……ともやはいじわるだ……」
「…………」
「……………………だいすきだ」
「ホントに?そうなのか」
こくん、と頷いた。
「俺、そういうところも好きだな。やっぱ智代って、一生懸命俺のことを好きでいるだろ。お前ほど俺のことを必死で愛してくれる奴、いないよな。だから、そんなところが俺、好きだ」
「……しかたのないやつだな」
「ははは。とまあ、何だかんだ言ってみたけどな、やっぱ俺、智代のこと全部好きだわ」
「…………ん」
「てなわけで、理解してもらえたか」
「……うー……」
「ん、いい加減理解してもらえないと、ちょっと俺、悲しくなっちゃうよな」
「……ん。りかいした。ともやはわたしがだいすきなんだな」
「んだんだ。それさえわかってればオッケーだ」
わしわし、と頭を掻き回される。
「ともや、それよりもうそろそろおろしてくれ」
「ん、どうした。これ、嫌だったか」
嫌じゃない。朋也とこう密着していられるのは嫌じゃない。けど。
「これじゃあともやがみえないじゃないか」
(更に一時間経過)
ここらへんから、意識の正常性が物凄く怪しくなってくるわけだ。この時点でいつでも潰れて眠れるようにちゃぶ台は部屋の隅に置いて布団を敷いてある。
「ともやぁ……ふふ、ともやだぁ」
「おう、ともよ」
まあ、朋也も全く酔わないわけではないので、ここら辺で徐々に呂律が回らなくなり始めた。
「ともやぁ、なんだかさむくないか」
「ん、そうらな。まど、しめるか」
朋也がふらりと立ちあがって、窓を閉めた。しかしまた座りなおした時にバランスを崩して、ちょっとこけた。結構かわいかった。
「ふふふ、ともや、よっぱらってるなぁ」
「まだまだだぉ。おれ、まだげんえき」
「そうなのか……えい」
そんな朋也に、その胸に、私は飛びついた。抱きしめられたまま床に着地する。月の光に包まれて、口にかけている錠前が緩んだ気がした。
「ともやぁ」
「ん、どうした」
「しってるかぁ?わたしはなぁ、ともやのこと、だぁいすきなんだぞ」
「しってる……とおもぅ」
「ほんとかぁ」
「ほんとら」
私は朋也の頬に手を添えて、じっと覗きこんだ。
「あやしぃなぁ?めが、およいでるぞぉ」
酔いが回っているのだ。焦点を欠いていてもおかしくはないと思う。今更過去の私に対してツッコんでも仕方がないとはわかっているが。
「ききたいか、ともやぁ?わたしがどうしてともやのこと、す、すきなのかぁ」
「しりたい。ききたい」
即答だった。この素直さも、酔っぱらっていてこそのものだと思う。普段なら「い、いいよ別に。わかってるし」と恥ずかしげに言うか、「言葉にしなくてもわかってるさ、ははは、かわいいな智代は」と笑うかのどっちだ。何にしろ、聞きたいというのであればやぶさかではない。
「ともやはなぁ、まず、かっこいいぃ。かっこいいんだぞ、ともや。すっごくおとこまえなんだ。かおやみかけだけじゃないぞぉ?こころがまえとかぁ、たいどとかもめりはりがきいてて、ああ、こんなにかっこいいのがぁ、わたしのぉ、だんなさまでいいのかぁ、とおもうくらいだ」
そこで一旦切ると、私は伸び上って朋也の頬にキスをした。ちなみに外見だけじゃないというポイントがミソだ。世の中にイケメンと呼ばれる男性は数え切れないほどいるのだろうけど、総合的に朋也ほどカッコいい人を私は二人とは知らない。だぁりん最高。
「かっこいいのにぃ、つよいところがあるのもぉ、わたしはすきだぞぉ。けんかだけじゃないぞぉ、ともやはだらしないようにみえて、しっかりしたしんがあるもんな。いい。すごくいい」
朋也は、私に強さを見せてくれた人。私自身の強さを見つけさせてくれた人。私の世界を変えた人。
そして今でも、私を前に進ませてくれる人。朋也の胸に頭を預けながら、私は微笑んだ。
「それでな、それでなぁ、ともやはやさしいのがぁ、とってもみりょくてきなぁんだ。つよくてやさしいなんてぇ、チートだ。そんなにおもってもらわれたら、めろめろぉ、になるしか、ないじゃないか」
「おれがともよにやさしいのは、おれがともよのことをすきらからだ」
それが尚更いけないんだ、朋也。お前は基本的にみんなに優しいから、結構気になったりするんだけどな。私に対しては殊更優しいのがずるいんだ。
「ふふ、わたしもぉ、ともやがいちばんすきぃ」
鼻と鼻を合わせてくすくす笑った。
「そして、さいごにぃ、ともやがわたしをあいしてくれるのが、すっごくうれしい。ともやにあいしてもらえて、しあわせでぇ、だからそんなしあわせをくれたともやがぁ、いとしいんだ」
「ともよ」
朋也が私をじっと見た。
「ともやぁ」
私は朋也の首に腕をまわして、唇を重ねた。キスの応酬の合間に、愛し愛されることの幸せが押し寄せてきて、少し涙が出た。
「ともよ、なくなよ」
「んん、だいじょうぶ。すこしぃ……しあわせすぎるだけだ」
「でもなくなよ。ずっとわらっていろ」
そっと涙を拭いて朋也が笑った。
話はこれで終わりだ。
― 本当に?
ああ。満足しただろ。喜べ、こんな甘い話、滅多に聞かれるものじゃないぞ。
― あんなに後悔したとか言う割には、そんなに恥ずかしい話じゃないようでしたが。
そ、そんなことないぞ?結構、こ、これでも恥ずかしかったんだ。
― …………
……………………
― わかりました。本当にこれで終わりなんですね。
あ、ああ。本当だ。わかってくれたかっ
― ええ。これ以上聞きだすのも野暮でしょうし、続きはあそこでニヤニヤしていらっしゃるご主人にお伺いします。
ちょっ、ま、待て、朋也に訊くのは反則だっ
― でも、これで終わりなんでしょう?だったらいいでしょう、後はあってもなくてもいいディテールなんでしょうから。
そ、そうだ、あってもなくてもいいんだったら、なくていいじゃないか、な?な?
― でも、あったっていいでしょう。記録は正確に残さないと。
……………………わかった。朋也め、覚えていろ
気がついたら、朋也の腕の中で寝ていた。服を着たままということから察するに、抱きしめ抱きしめられキスしキスされながら眠ってしまったらしい。
「朋也、起きないと」
酔いは少しばかり覚めていたが、それでも少しばかり視界はぼやけている。
「ん、んぁ。ああ、寝てたのか」
「服を脱いで、布団で寝ないと、風邪をひくぞ」
「そうだな、ふぁああ」
そう言いながら私たちはのろのろと服を脱いでパジャマに着替えた。
「ん、少し冷えるよな」
「そうだな。まあ、明後日……もう明日か。明日から十一月だしな」
後で聞いた話だが、朋也はただ、私が赤くなってあたふたするところが見たかったらしい。仕方のない奴だ。
「なあ智代」
「何だ、朋也」
「俺的には暖まって寝るには、等身大の暖かい抱き枕が必須だと思うんだよな」
断わっておくが、この時私は、まだ酒が抜けていない状態だった。普段からこう思っているわけではないんだ。本当だぞ。
「じゃあ、朋也、お前が私の抱き枕になってくれ」
「え」
「朋也枕だ。暖かそうだ」
「と、智代?ちょっ、まっ」
「ともやまくらぁ、ゲットっ」
「アッー」
「……いったい私は何考えてたんだ」
次の日、「Folklore」にて。
「あんまり考え込まない方がいいわよ、酔ってる時のことなんて」
杏が覚めた口調で言った。まあ、散々惚気た後に酔って旦那を押し倒したという話の後では、そうならざるをえまい。むしろよく最後までついてきてくれた。
ズキズキする頭と気だるさ。しかし、それだけが私が頭を抱えたくなっている理由ではなかった。
「それで?朝起きた時、朋也はどうだったの」
「…………うう」
「真っ白に燃え尽きても、粉しか出なくなるまで絞り取られた朋也君は、今朝のご様子は如何」
「そこまで具体的に言うな……ううう」
「で、どうしたのよ」
杏の口に、薄い笑みが浮かんだ。ああ、これはあれだ。面白い何かを見つけた顔だ。私から欲しい情報を得るまで、ずっと責め続けるつもりだ。
「か、顔を合わせてくれなくなったんだ……」
「は」
「何だか何を言っても上の空で、顔を合わせると赤くなって背けるし……うわーん、朋也に変態だと思われて嫌われてしまったっ」
「んー、そんなことないと思うけどね」
杏がコーヒーを飲みながら言った。
「どうしてだ」
「これね、あたし、前から思ってたんだけどね、で、彼氏ができてから確信したんだけどね」
教諭らしく人差し指を立てて、杏が言った。
「男ってそんなデリカシーがあるわけでもない、バカな生き物なもんよ」
「ねえ岡崎、どうしちゃったのさ」
「…………」
「まぁたこれだよ。あーあ、昼間っぱらから呼びつけたくせに、魂ほとんど抜けかかってやんの」
「…………」
「っていうか、これ、岡崎のおごりだよね?そうだよねそうだと思ったよ」
「……………………春原」
「ん?どうしたのさ。智代ちゃんと喧嘩でもしたの」
「……………………あのな」
「謝っちまいなよ。どうせ岡崎がケンカして勝てるわけないんだし」
「俺、嫁さんがすっげえ萌え萌えでどうしたらいいか困ってんだ」
「何言ってんですかアナタ」