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 秋。

 それは勉強の季節。

 というわけでもないんだろうけど、僕の周りからはやたらとカリカリカリとシャーペンを紙の上に走らせる音が響いていた。授業はとっくに終わっているけど、僕の前に座っている三人の生徒は、少なくとも手持ちのプリントを終わらせるまでは教室を出られない。早い話が居残り補習である。そして監督役の僕は、この時間を使って中間テストの採点をしているという塩梅だ。

「あのー、坂ピー先生、ここんとこわかんないんすけどー」

「勉強しろ。さすれば道は開ける」

「坂ピー先生、今夜、俺、見たいアニメあるんだよね」

「勉強しろ。さすれば道は開ける」

 正直不毛な会話が続く。どこかの教室から吹奏楽部が練習する音が聞こえた。学園祭が最近終わったので、新しい曲を練習しているのだろう。まだぎこちなく音を出しているところが微笑ましかった。

 と、少し保護者めいた現実逃避に浸っていると、僕の前に少しどころじゃなく問題のある答案が現れた。おいおい、誰だよこれと思って生徒名の欄を見て、僕は顔を覆った。お前か。

 楠仲博。

 この男子生徒(二年生)の「武勇談」はすごいのがある。

 入学当時は持ち物検査では必ず不適切な書物がカバンから検出され、没収を食らっていたのだが、二年になって隠匿術を身に着けてからは教師陣と激しい攻防戦を繰り広げていること、とか。

 保健体育の時間に「大きさはやっぱり重要か」という問題を掲げて熱烈な演説を行った、とか。

 陸上部のエースを気取って体育祭でクラス対抗リレーのアンカーを名乗り出た揚句、本校陸上部の歴史的汚点たる「1年4組陸上部五人抜かれ」(もう何があったのかは名前から想像してほしい。頼むから説明してくれなんて言わないでほしい)をやってのけた、とか。

 ちなみに「五人抜かれ」は某動画サイトにその映像がコメント付きでアップロードされ、すさまじい反響の嵐となった。削除依頼しようにも雨の後のタケノコの如くコピーがアップされるので、むしろ野放しにしておいた方が注目されにくいだろう、ということが職員会議で決まった。今でも「霞ヶ丘中陸上部ざまぁw」とタグ検索すると、その映像が見つかるかもしれない。

 閑話休題。こいつの答案について少し語ろう。

 まず、字が読みづらい。細長い上に、あっちこっちで線が一本多かったり抜けてたりしている。

 次に、年代の覚え方があっているようででたらめだ。鎌倉幕府はいい国作ろう、と覚えるはずなのに、良い国作ろう、と暗記したのか、二千年以上も未来の4192年にできたと答えている。お前はドラえもんか。

 それに「1600年に繰り広げられた、所謂天下分け目の戦とは、どの戦を示すか」に、さすがに「壇ノ浦」はないだろ。どれだけ長引いてるんだよ源平合戦。そのくせ「勝者として有名な者は誰か」と聞かれた時には「徳川家康」とまじめに答えやがって。お前は何だ、おちょくってるのか。

 終いに答案の裏側には、女の子があられもない姿で卑猥な事をしているイラスト付きだ。セリフが「も、もうっ、限界なのぉっ!!ゆ、許してぇっ」なんて洒落になってる。ああ、こっちもいい加減我慢の限界だよ。

「あのー、坂ピー先生」

 僕は答案の裏でフケッテらっしゃる女の子から目を離して、質問者を見据えた。というか睨んだ。

「何でよりにもよって俺、ここにいるんすかね」

「それはっ!!先生のセリフだぁあああああああああああああっ!!」

 僕は楠に向かって吠えた。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにいる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



「ったく、お前らは」

 僕は眉間にシワ大集合な顔で呟いた。目の前にはこたつ。その上にはことこと煮える鍋。それを囲むは、我らが陸上部の部員たちだった。ついでに言うと、さっきまで学校で一緒に居残りをしていたメンバーでもあった。

「そう怒んないで下さいよー、坂ピー先生」

 そう言ったのはキングオブお調子者という称号を持つ大堂。正直、こいつが陸上部のキャプテンであることが少し信じられない。

「そーですよー。飯はみんなで仲良く、ね」

 続いて言ったのは副キャプテンの鈴木。大堂と混ぜると危険なほどハイテンションかつグダグダな会話になるので注意。

「何で僕は陸上部の幹部たちと居残り補習やった後で、残念会みたいな夕餉を振る舞わなきゃならないんだよ……」

 目の前の鍋に野菜を入れながら、僕は唸った。頭を抱えて部屋の隅で寝転がりたくなる。

「っていうかさ、お前ら緩みすぎなんじゃないか。成績もだけど、タイムも遅くなってるだろ」

「えー、そっすかー」

「俺、脚は早い方なんすけどね」

「陸上部代表の二人が、普通より足が遅くてどうするんだよっ!それって前提だよ大前提!」

 あっはっはと笑う大堂と鈴木。

「いいか、もし次のテストで居残りだったら、鍋パーティー参加禁止だからな」

「ええっ!!」

「そんなぁ」

「坂ピー先生、そりゃないっすよぉ。先生ん家で鍋パーティーって、うちの中学陸上部の伝統じゃないっすか」

「坂ピー先生の鍋がなけりゃ、俺らの青春の日々はなかったも同然っ」

「そんな大げさな話かなぁ……って、あれ、楠は?さっきから静かだけど……」

 そう言えば、と言いながら大堂が部屋の周りを見渡すと、部屋の隅でうずくまってる楠を見つけた。

「おい楠、お前どうしたんだ、そんなところで?お腹が痛くなったのか」

「……」

「え、お、おいウソだろ?楠?変なモン食ったのか」

「楠、おい」

「……がふ……」

 その音が何かピンときた僕は有無を言わさず楠を引っ張り上げて立たせ、こっちを向かせた。いくら僕が筋肉質じゃないとは言え、体育顧問と中学生とでは力比べにならなかった。

「何やってんだお前はっ」

「はふ、へんへぇ。ひふ、ふはひっふへ(あ、先生。肉、旨いっすね)」

『あああああああっ』

 口をもごもごさせる楠を見て、大堂と鈴木が素っ頓狂な声を挙げた。

「このヤロー、それ、俺らの肉だぞっ」

「お前、さっき材料の買い出しで白滝しか買わなかったくせにっ!!『こっちの方が体にいいし』とか言ってよぉっ!」

 ちなみに楠が持っていた(肉がいっぱい入ってあっただろう)茶碗には、もう肉汁が一たらししか残っていなかったりする。

「ほふほふはんはい(暴力反対)」

「肉返せてめぇええええええええっ」

 ぎゃーぎゃーわーわー騒いでいると、河南子が肉の入った皿を持ってやってきた。

「……あんたら何騒いでんの」

「あ、河南ちゃん。あのさー、河南ちゃん、楠の奴、肉全部食っちゃうんだよ」

「河南ちゃん呼ぶな厨房。で、楠、またお前か」

「はふはふ……うま」

「こらてめえ。礼儀違反もいい加減にしろ」

 河南子が楠の胸倉を掴んだ。いいぞ河南子、そのまま「人の話は聞きましょう」「食事はみんなが集まってから」「肉を一人占めしてはいけません」と教えてやれ。

「その肉はあたしのだぁああああああああああああああああああああ」

 ……………………えー。

 「吐けやこのぉっ」「もうやめて!とっくにお肉は消化器官の中よ!もう勝負はついたのよ!」「リクエストにお応えしまして」「応えるな!応えんでいい!!」とまあ阿鼻叫喚な世界が繰り広げられようとしている時、僕は窓の外に見える星空を見上げ、にぃちゃんとねぇちゃんの優しい笑顔を思い浮かべた(※イメージです。実物とは異なる場合がございます)。

 ねぇちゃん、僕、何やってんだろうね。




「つーかさ、あんたら、いっつもここに来るけどさ。彼女とかいねーの」

 河南子の人によってはアウトな質問に、さらりと三人が答えた。

「俺、河南ちゃん命」

「河南ちゃんの手料理うまいし」

「河南ちゃんハァハァ。河南ちゃんハァハァ」

「ばっきゃろー。あんたらにモテたってぜんぜん嬉しくねーよ」

 あっけらかんと人の彼女に告白するこいつらも大概だけど、かんらからからと笑う河南子も何だかすごい。

「つーかさ、河南ちゃん。坂ピー先生なんて忘れてさ、俺と付き合わない」

「あ、そこは間に合ってますんで」

「フラれた上に惚気られた?!」

 結構真面目に傷ついた顔をされた。少しばかり、どころじゃなくイラッとなった。

「河南ちゃん、こんな奴のどんなところがいいわけ?教えて」

「こんな奴で悪かったな。鈴木も大堂も、明日も居残りな」

「わーっ!坂ピー先生、それなしっ!今のなしっ!」

「坂ピー先生マジカッケェし、マジ尊敬しちゃうっ」

 一転して態度の変わる二人を見て、僕は「ああ、キングアンドプリンスオブお調子者」の称号って伊達じゃないんだな、と思った。ちなみにここに楠が加わって「我が校開校以来の三大バカ」が揃う。

「でさ、何で坂ピー先生を選んだわけ」

 誤魔化せたかな、と思っていたら、よりにもよって楠に話を引き戻された。大堂も鈴木も、ずずい、と顔を河南子に寄せる。楠は普段は天然記念物レベルのバカなのだが、こういうところでブレないのが長所だったりする。いや、この場合短所だ。恩師を困らせるようなことするなんてさ。

「そうだなぁ……カッコいいところとか、優しいところとか、王子様みたいなところとか」

「結局適当に答えるんかいっ!!」

 某物語からそっくりパクってきたところからして、信憑性がないにもほどがあった。

「っていうか、理由なんて特になくてもいいんじゃないかなぁ」

「はぁ?何それ河南ちゃん」

 楠が首を傾げると、河南子は恥ずかしそうに笑った。

「何つーかさ、こいつって特にかっこいいってわけでもないし、すっげぇ優しいってわけでもないし、金なんてほとんどないけどさ、そういう明確な理由って特に必要ないんじゃないかなって」

「よくわかんないんだけど。だってさ、付き合ってるって、好きだってこったろ?そしたらさ、どこかしら好きなところがあるんじゃないの」

「うーん、そういう人もいるけどさ……でも、まぁ」


「とりあえず、そんなの探さなくても総合的に何となく満足できちゃうんだよ、あたしは」


 そう言って笑う河南子があまりにも可愛くて、僕の方こそ恥ずかしくて顔を逸らしてしまった。

「あ、でも逆に細部に至るまで好き合ってるんで、好きなところ指摘し出したらキリがないってカップルもいるよ」

「えー、冗談。そんなのいるわけないじゃん」

「そうだよ河南ちゃん。そこまでいったら、もうメルヘンの世界っしょ」

「ふうん。信じてないんだ。じゃあ賭けてみる?あたし、結構勝つ自信あるよ」

 不敵に笑う河南子を見て、僕には嫌な予感しかなかった。

「ちょうど、来週の週末が先輩の誕生日だしね」




 その次の週末。

 僕は岡崎家に開校以来の三大バカを連れてきたことを、即座に後悔した。

「ちいーっす、先輩。誕生日おめでとうですぜ」

「ああ、河南子か。ありがとう。よく来てくれたな」

 そう言って微笑むねぇちゃんに、その三バカが群がった。

「うっわwwwwwマジマブいんすけどwwwwww

「お姉さん、何歳?付き合ってる人いるの?どっかお茶行かない?」

「まずスリーサイズ教えろ。話はそれからだ」

 ねぇちゃんが足を上げ……るまでもなく、三バカは河南子の拳骨をもらって沈黙した。

「てめーら、誕生日迎えた女性への第一声がそれかっ」

『すんまへぇん』

「……まあ、いいだろう。私は岡崎智代。坂上鷹文の姉だ。ちなみに」

 不意に、ひょいと三バカが宙に浮いた。何のマジックかと思いきや、三人とも襟の所で何かに掴まれているところを見て察した。

「悪い子いねがぁ!?人の妻に色目使う悪い子いねがぁ!?あァ!?」

「そこで憤怒の形相で金属バットを小脇に抱え、お前たちを持ち上げているのが私の夫の岡崎朋也だ」

『ひ、ひぃいいいいいいいいいいいいいいい』

「にぃちゃん、相変わらずだね」

「おう鷹文。全く大変だぜ、智代の夫でいるってのも。道を一緒に歩く度にどいつもこいつも智代に色目を使うからな。まあ、智代だったらわからんでもないか」

「ば、バカ。そんなことを言うなっ」

「愛してるぞ、はにぃ」

「そ、そんなことを今他人様の前で言うんじゃない、バカっ……ち、ちなみに、私もだ、だぁりん」

 赤くなって俯くねぇちゃんを見て笑うと、にぃちゃんは表情を一転させて三バカを睨んだ。

「というわけだ。俺と智代はすげぇ激ラブだから、お前らなんかとかまっている暇はない。わかったら、一昨日出直してこい。いいな」

「は、はひっ」

「わかりましたっ」

「でなおしてきまふっ」

 と、にぃちゃんの背後で声がした。

「朋也お兄ちゃんも、そこまで人を脅かしちゃだめだよ。話ならともが聞くよ」

「問答無用、言語道断。俺と智代の間に入る奴は悪即斬だ」

 ふはははは、と高笑いするにぃちゃんを見て、ねぇちゃんととものため息が重なった。

「とりあえず、三人とも降ろそうよ。何だか息、苦しそうだし」

「そうか?まあ、ともがそう言うんだったら」

 降ろされた途端、三人がぜーぜー喉を鳴らして息を吸った。

「で、鷹文、こいつら、何なんだ?間男候補だったらただじゃおかないんだが」

「ああ、これ、僕の学校の生徒で、陸上部の部員なんだ」

「陸上部?ああ、そうかそうか」

 にぃちゃんがぽん、と手を叩いて頷いた。

「お前が部長務めてるのな」

「僕は顧問だよっ!先生だよっ!コーチだよっ」

「コーチ?ああ、鶏の一種の」

「それはコーチンだよっ!どこまでボケれば気が済むんだよっ」

「甘いな、鷹文。ボケに終着点なんてないさ。たださらに高い極みがあるのみだ」

「無駄にカッコいいセリフありがとうございましたぁっ」

 荒い息を整えるのは、僕の方になった。と、その時

「うおっ、坂ピー先生、この子誰?ねぇ、誰?」

「すっげ、マジやべー。レベル高すぎって感じ?」

「ねー彼女ー、名前教えてよ」

 三バカはにぃちゃんを手ごわい相手だと悟ったのか、ねぇちゃんからともに目を映して騒ぎ立てていた。ともはというと、しばらく茫然とした後で、頭を掻きながら言った。

「え、ええと、三島ともです。智代お姉ちゃんと鷹文お兄ちゃんの妹です。ああ、あと」

「いねがぁっ?!悪い子ォいねがぁっ!?人の妹に手ぇ出そうとする悪い子いねがぁっ!!?」

「そこで怒り狂ってる朋也お兄ちゃんの義理の妹です」

 と言っても、三バカに聞こえているはずがなかった。三人ともにぃちゃんの振り回す金属バットをかわすのが精いっぱいだったから。





「で、結局賭けにまでなったわけか」

 河南子の話を聞いて、ねぇちゃんはため息をついた。

「仕方のない奴だな、お前らも、河南子も鷹文も」

「まあまあ、ここは先輩、こいつとの愛を耽美に語れるチャンスってことで」

 にしし、と河南子が笑うと、にぃちゃんがばしんと自分の膝を叩いた。

「よく言った!そしてよく集まったっ!ならば教えてやろう、俺と智代の愛の絆をっ」

 あ、やばいかも、と思った時はすでに遅かった。

 それから一時間ほどと思える時間を、僕たちは苦痛のうちに過ごした。にぃちゃんはねぇちゃんとどう出会ったかから始め、如何にしてその「この世のものとは思えぬほどの美しさ」に心奪われ、如何にしてその「神々しくも気高い」心に打ち震え、「烈火のごとく」恋に焼かれ、「連なる山の如き」試練を乗り越え、「大海の如き」愛に育まれてやってきたのかを熱弁した。その芝居がかった口調からして、絶対にいつかは言いたかったんだろうなぁ、絶対に一人で練習とかしてたんだなぁ、と思った。何と言うか、にぃちゃん哀れ。

「とまぁ、ここまでが過去編として区切っておこう」

「ちょっと待て」

「ん、どうした河南子」

「過去編って、あとどれくらいあるわけ」

「え、そうだなぁ……日常編、明日編、明後日編、未来編、永遠編とあるけど……足りないか」

『多すぎだっ』

 その場にいた全員が怒鳴った。

「何だよぅ、聞きたいって言ったのはそっちじゃんかよぅ」

 にぃちゃんが拗ねた口調で言った。お判りかもしれないけど、ぜんぜんかわいくなかった。

「あ、あのね、朋也お兄ちゃん、それはそうなんだけどね、これ以上続けたら」

「続けたら」

 ともは恐る恐るねぇちゃんを指差した。

「智代お姉ちゃんの頭が炉心融解するほど熱くなっちゃうかもしれない」

 見ると、ねぇちゃんの顔は赤を通り越して白くなりかけていたようだった。ようだった、というのは、顔から発された熱のせいで周りの大気が歪んで見えたからだった。

「だから、もうそろそろ総括してくれるといいかなって」

「総括ったってなぁ、俺の智代への愛って、まとめられるもんじゃないしなぁ」

 ぽりぽりとばつの悪そうな顔でにぃちゃんが言った。

「何つーか、海を水筒にどうやったら入れられるかって問題みたいでさ。そもそも智代と俺の……」

「あ、じゃあ、じゃあさ」

 また始めようとするにぃちゃんを河南子が押しとどめるようにして言った。

「先輩のどこが好きなのか、一言で頼んます」

 すると、にぃちゃんは不敵ににやりと笑った。

「どこ?どこだって?んなこと決まってるだろ」

 すぅうう。

「全部だぁあああああああああああああああああああああああああああああ」

「大声で叫ぶな、バカッ」

 ねぇちゃんがにぃちゃんの口をふさいだ。ちなみに少しばかり落ち着いたのか、顔の色も赤にまで「落ち着いて」いた。

「というわけで愛してるぞ、智代」

「わかった。もう充分わかった」

 いちゃつき始めるにぃちゃんとねぇちゃんを尻目に、河南子が三バカに向かってにやりと笑った。

「つーわけであたしの勝ちね」

「ぐっ」

「い、いや、でもさ」

「旦那のほうがそこまで想ってたってさ、奥さんの方も同じでないといけないし」

「そうそう」

 三バカが食い下がる。河南子はヤレヤレと肩をすくめると、ねぇちゃんに訊いた。

「じゃあさ、先輩。先輩はこいつのどこが好きなんですか」

「わ、私か」

「うん。こいつだけ語ったって、意味ないじゃん」

「で、でも、その話はみんな聞き飽きたんじゃないか?私から語ることなど今更」

「いや」

 ずい、とにぃちゃんが身を乗り出した。

「俺が聞きたい」

「っ」

「俺、智代の言葉が聞きたい。智代にどう思われてるのか、やっぱり智代から聞きたい」

 ねぇちゃんはその一言で俯いたり、そっぽ向いたり、上目遣いでにぃちゃんを見ていたりしたが、やがて小さくつぶやいた。

「……ぶだ」

「え」

「だから…………んぶだ」

「ごめん、聞こえないよ智代お姉ちゃん」

 すると、ねぇちゃんは徐に顔を上げてきっ、とみんなを睨むと、うがーと怒鳴った。

「全部だっ!朋也の全部が好きだっ!嫌いなところなんてどこもない、一般的には欠点ととられるところだって好きだっ!どーだ、満足かっ!満足かと聞いているんだっ!!」

 ねぇちゃん、ヤケになった。

「ああっ!大満足だ智代っ!愛してるぞっ!!」

「ええい、私もだ、バカッ!!」

 そう言って鬼のような形相でにぃちゃんに抱きつくねぇちゃんを見て、河南子がふふん、と笑った。

「どーだ、あたしの勝ちだな。さてと、あんたら全員、あたしにアイス奢れ」

「くっそー」

 今度こそ文句のつけようもなく負けを認めざるを得なくなった三バカだった。

「っていうか、あんたずる過ぎだろっ」

 大堂が逆切れっぽくにぃちゃんに指を突き付けた。

「あ?何の話だ」

「だってよぅ、そんな美人な奥さんがいて」

「ともちゃんにはお兄ちゃんって呼んでもらえて」

「どうせ河南ちゃんにだって好かれてるんだろ、コンチクショー」

 するとにぃちゃんははっはっは、と豪快に笑った。

「まあそうだけど、じゃあ何だ、替わるか」

「え?いいんすか?じゃあ、俺」

「邪魔だよ大堂。そこは俺でしょ」

「お前らどいて、その座奪えない」

「ただし、鷹文が身内になるわけだが」

『あ、やっぱ今の話なしでいいっす』

「何でそこでお前らシンクロするんだよっ!!」




 秋。

 結局、僕らにとって秋とは勉強の季節なんかじゃなくて、にぃちゃんとねぇちゃんの誕生日の季節なんだと思う。誕生日祝いに続々と集まってくるみんなを見て、尚更実感した。

 大堂は杏さんにルパンダイブしようとしたところ、「応急治療入門」を顔面に受けて沈黙。

 鈴木は汐ちゃんを口説こうとしたところ、一瞬姿を消したのち、近所の電柱に縛られた状態で見つかった。口にはパンらしき物体が詰め込まれていて、そのせいか顔が汗と涙と鼻水と形容しがたい体液でぐしゃぐしゃだった。

 楠は風子ちゃんに目を付けたところ、木彫りのヒトデで暴打された後、通りすがりのギター弾きにスパナでぶったたかれ、親衛隊を名乗る連中に連れ去られていった。

 春原さんの「懐かしいな……僕にも、こんな時代があったなぁ」という呟きが非常に気になった。

 そんなみんなを苦笑いを浮かべて見ていると、ねぇちゃんがやってきた。

「今日は来てくれてありがとう。久しぶりにお前と河南子に会えてうれしいぞ」

「ん。何だかここんとこ忙しくてさ。悪いとは思ったんだけどね」

「忙しい事はいいことだ。頑張ってるな」

「まあね。あのバカの面倒見たり、居残りしたり、陸上部の成績について弁解したり」

 そこで思わず苦笑が漏れた。

「いつになったら先生みたいにできるんだろうなぁ」

「もう充分なっている、だそうだ」

 ねぇちゃんが真顔のまま、思いがけないことを言ったので、僕は思わず顔を凝視してしまった。

「何だ、私の顔に何かついているのか」

「い、いや。え、誰が何」

「だから、お前はもう充分に河南子のお父さんみたいだと、そう言っていた」

「誰が」

「河南子が」

 しばらくの間、僕は恐らく呆けた顔でねぇちゃんの顔を見ていたらしい。しばらくして、ねぇちゃんが居心地悪そうに言った。

「本当に何もついていないのか」

「え、あ、うん、ごめん。へえ、河南子が」

「前に電話で話した時、本当に昔みたいだって、そう言って喜んでいたぞ」

「そう、なんだ」

「ああ。だから、そう気負わなくてもいいんじゃないかって、そう私は思う」

「……そうだね」

 なぁ、とねぇちゃんが優しげに続けた。

 その会話が終わってからしばらくして、僕はみんなに戻るよ、と号令をかけた。

「えー、まだ夜は始まったばっかじゃん。ね、みんな」

「……顔……痛い……」

「パン……あれは……パン……なのか……」

「ヒ……ト……デ……ひぃいいいっ」

 何だか三大バカは結構大打撃を受けているようである。まあ、月曜日までには全快しているんだろうけど。

「こいつらだって、家に帰んないといけないしさ。勉強だってあるだろうし」

「何だ、もう行くのか」

 にぃちゃんが残念そうに言った。僕はそんなにぃちゃんをじっと見た。何も言わず、ただ少しばかり笑って。

「……んじゃ、またな」

「うん、またね」

 にやりと笑って僕の肩に手を置くと、にぃちゃんは小さくつぶやいた。

「何があったかわからないけど、いっちょまえの顔をしやがって」

 僕はまた何も言わず、にやりと笑い返した。

「んじゃ、おじゃましました」

「ちっす」

「あざーした」

「ともちゃんまたね」

「あァ」

「ひぃっ」

 帰り道、河南子は少しばかり不機嫌そうだった。帰りの電車の中でも(僕は免許はあっても車はない)唇を尖らせてぶーたれた。

「もうちょっといたかったのにー」

「いや、もう結構遅くなっちゃってるって。親御さんも心配するだろ。一応連絡入れとくか」

「あんなにすぐ行ってぱっと戻って来ちゃったんじゃ、行った意味ないじゃん」

「結構長い間いたって。それに、意味なくなんかないよ」

「そうかな」

「そうだよ」

 僕は河南子に笑いかけた。そして他の三人が寝ているのを確認すると、すっと唇を奪った。


 



「あのな、鷹文。お前がお前なりの目標に向かって進んでいるのはよくわかる。それで、時には自分の能力を疑ったり、こっちでいいんだろうかと迷うこともあるのもわかるんだ。それでいいんだ。それが普通だ。ただ、これだけは忘れないでほしい。

 私たちは、ここにいる。

 もし、お前や河南子が迷ったり疲れたり傷ついたりして、支えが欲しい時は、いつだってここに来い。何ができるかわからないが、私も朋也も、父さんも母さんもともも、お前たちの味方だ。

 だから、好きな方向に好きなだけ進め。今のお前なら、大きく後悔するようなことはしないと思うからな。壁に当たったら、ぶち破るなりよじ登るなりしろ。どんどん進め。後ろの事は気にするな。私たちがついているからな。

 ああ、そうだ。それと、あまり私の後輩を待たせるんじゃない。女の子は繊細なんだぞ?早くウェディングドレスを着せてやったらどうなんだ。全く、仕方のない奴だな」

 

 


 

 

 

 

 

 

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