タイトル「夢の向こうは」
主演:岡崎朋也
誕生日――――それは誰もが一つ歳をとる毎年恒例の行事であり、家族や恋人、友人と祝い祝われるべきイベントである。
そして、明日。その誕生日を迎える一人の男性、いや父親と言ってもいいその人物は、最愛の妻と愛娘に囲まれて明日の誕生日を迎える事になる。そんな幸せ者の彼の名前は、岡崎朋也。
彼自身は知る由は無いが、いくつものifの世界でいくつもの運命を辿った彼は、知らず知らずの内に集めた光に見守られ、本来は不運で悲運の運命を辿る事になったストーリーを正反対のものへと導いた。
そんな彼は誕生日の前日、不可思議な夢をみることになる。
いつものように仕事から疲れて帰った俺を出迎えてくれたのは愛して止まない妻と娘、彼女たちの出迎えの笑顔を見るだけで一日の疲れがどこかへ吹き飛んでしまうような気がする。
そんな毎日と変わらない帰宅後に夕食やらお風呂を過ごした俺は、最後はいつものように親子川の字になって眠りにつき……そこで俺は不可思議な夢をみた。
茜色の日差しに照らされた見慣れた商店街。家族三人でよく買い物をするその通りに気付けば俺は立っていた。ただ立っているだけならばこれが夢だなんて気付かなかっただろう、それほどまでに感じるものすべてがリアルな夢だった。
踏み締めた地面の感触、肌を撫でる風の心地、耳に入ってくる雑踏や環境音。そのどれもが現実のような雰囲気をかもし出していたのだから……。そんな中でどうして夢だと気付けたのかというは、今の俺は人に触れられないという事と、今視認出来ている一番の問題があったからで……。
「ねぇ、朋也」
「ん? どうした?」
目の前を歩く仲の良さそうな男女。彼らを見て俺はこれが夢だと気付いた。なんせ、その歩いている男女の内、男の方は俺自身だったのだから。
「ううん、なんでもない」
「なんでもないって、なんだよ」
「こうして連れ添って名前を呼べる今って幸せよねって思ったら急に呼びたくなったのよ」
俺の名前を呼んだ彼女も、俺が知っている奴だった……むしろ、そこでこれを夢だと思ったくらいだ。彼女は俺の高校からの付き合いで、妻との共通の友人でもあり、娘の先生でもある藤林杏だった。
「…………そっか。なら……なあ、杏」
「どうしたの、朋也」
「なんでもない。俺も幸せだから急に呼びたくなっただけさ」
肩を竦めて杏の隣にいる夢の方の俺は先程の杏が言った言葉と似たものを返した。それを聞いた杏はくすくすと笑い、隣にいた夢の俺も笑い出す。
一方の俺は、一緒にいるのが自然という言葉がピッタリと当てはまるそんな二人を見て、なんだかこそばゆいような感覚に襲われていた。
「それにしても、今日はたくさん買ったんだな」
「まあ、今日は朋也の誕生日だしね」
「…………そうだっけ?」
「って、やっぱり忘れてたわね。今朝、今日は早く帰ってくるようにって言った意味考えなかった?」
「あー……なんかいい事でもあったから夕飯が豪華になるかもって程度だったな、考えたけど」
「はぁ……。まあいいけどね、こうして早く帰って来てくれたし」
そう言って杏はにっこりと、今まで見たことが無いほど幸せそうに微笑んだ。その笑顔を向けられているのが夢の中ではあるが自分だと思うと、他人事ではあるが顔が熱くなる。
一応、これでも一児の父親で、最愛の妻がいる身であるんだけどな、と思わないでもない。
「こんな大荷物、一人じゃ大変だったろ」
「買い過ぎたってのは正直認めるわ。でも、こうして朋也に持って貰ってるし、結果オーライじゃない?」
「まぁ……別に結果オーライならそれでいいんだけどさ。……これじゃおまえと手を繋いで帰れないだろ」
「…………」
顔を赤くし、ひったくる様にして無言で荷物を一つ奪う杏。
「こ、これで繋げるでしょ?」
そう言って手を差し出してきた彼女を見て、笑いを堪えつつも「ああ、それじゃ遠慮なく」と彼女の手を取って指を絡める。俗に言う“恋人繋ぎ”というものをして歩き出す。
「……なんか負けた気分なんだけど」
「そうか? 幸せを感じまくってるぞ、俺は」
「来年のあたしの誕生日は絶対朋也を負かしてやるんだから……」
少しばかりツンとしてしまった杏をなだめる様なやり取りをして商店街を出て行く彼らを見送った。どうやらこの夢の中では商店街から外へは出られないようになっているらしく、俺は商店街の出口で立ち止まる。
俺は幸せそうな杏と夢の方である自分を見て、もしもこれが別世界で夢の中ではないのならあの二人には幸せになってもらいたいと思った。
そして、二人が見えなくなったところで風景は一転して、商店街からいつも過ごしているアパートの一室に移った。
「岡崎さん」
「なんだ?」
ただし、そこには前の風景と同じでもう一人の俺とまたもや知り合いが寄り添っていた。
「今日は岡崎さんの誕生日です」
「ああ、そうだな」
小柄な彼女、と言うか同い年のはずのそいつは全くと言っていいほど成長しているようには見えない。まあ、実際今でも変わった様子は無いのだが……。
ただ、今回は連れ添って歩くではなく、彼女をすっぽりと覆うようにあぐらをかいた足の上に乗せて抱きしめている格好だったせいか驚きのあまり声を上げてしまった。
夢の中の登場人物たちに俺の声が届かないのは幸いなのかどうなのかは不明だが、正直今は走であってよかったと思っている。…………なんか邪魔しちゃ悪いし。
「なにか欲しいものはないですか? 風子、岡崎さんに喜んでもらいたいです」
「俺は風子と一緒にこうしていられるだけで幸せだぞ?」
今回、一緒にいた知り合いは伊吹風子。旧姓:伊吹公子さん、今の俺が働いている職場の上司である芳野さんの奥さんである彼女の妹だ。
「それでも、風子はなにか岡崎さんに喜んでもらえる事がしたいです」
「……なあ、風子。だったらさ……あるものを貰ってくれないか?」
「え? でも、今日は岡崎さんの誕生日ですよ? 風子がもらうのはなんか変です」
抱きしめられながら、小さく首を傾け不思議そうにする風子。夢の中の俺はごそごそと自分のポケットを漁って取り出したのは小さな箱。
「まあ、俺にとってコレを受け取ってもらえた時点で誕生日プレゼントになりそうなんだけどな」
「これを風子がもらえば岡崎さんは喜んでくれるんですか?」
「貰うだけじゃあまり喜べないんだけどな」
「よくわからないですが、風子……岡崎さんが喜ぶなら、これもらいます」
夢の俺から風子はそう言って小箱を受け取ると、椅子にしていたあぐら座布団から立ち上がり、さっそく開けてみた。
「……岡崎さん、これって」
「ああ、もしよかったら……風子、俺と結婚してくれ」
きょとんとした表情で固まる風子、それもそのはずで開けた箱の中身は指輪。それがどんな意味をしているかなんて野暮な事はこどもっぽ過ぎる言動や容姿の風子とはいえ、すぐに思い至ったのだろう。
そんな固まってしまった風子の瞳をじっと見つめる夢の中の俺。そして、そんな二人を眺めている夢を見ている側の俺は、自分の事ではない自分の事だというのに固唾を呑んで緊張しながらそれを見守る。
そんな沈黙の中、最初に言葉を切り出したのは固まっていた風子だった。
「あ、あの……岡崎さんは風子なんかでいいんですか? その、風子はあまり発育もよくないです。色々ちっこいです。岡崎さんに告白された時はうれしかったですし、今も幸せすぎて怖いくらいで……」
けれど……その風子がこぼす言葉は、嬉しいという気持ち以上に不安がしめていた。
「風子、また眠ったら目を覚まさないかもしれないってこわい日もいっぱいあります。その度に岡崎さんに慰めてもらいました。そんなめんどうくさい風子でも……岡崎さんはいいんですか」
「ああ、どんなに面倒臭い奴だったとしても。俺は風子がいい。いや、風子じゃなきゃダメなんだ」
そう言って夢の中の俺は風子の持つ小箱から指輪を取ると彼女の手を取り、優しく薬指へとはめる。
「風子、俺は俺の一生をかけておまえを幸せする。だから、俺の隣にずっといてくれないか」
夢の中の俺は、風子の手を両手で優しく包み言葉を重ねた。
「………………はい。風子はずっとずっと、岡崎さんの隣にいますっ」
それに対して、風子はポロポロと大粒の涙を零しながら返事をして抱きついた。抱きついたというのか飛びついたというのはそれぞれの感想だが、抱きつかれた夢の俺も、飛びついた風子も、とても幸せそうだった。
二人のそんな表情を、雰囲気を見ていると不意に風景が遠くなっていく。先程までのパターンから考えると、変わった風景の先には、また別の夢の世界での俺がいるのだろう。
次に現れた風景、それは友人の家の庭だった。彼女の誕生日に向けてみんなで綺麗にした、俺の思い出も埋まっていたあの庭だ。
「………………」
「………………」
庭へ通じる家屋の窓を見ると、そこには幸せそうな二人がいた。一人は言うまでもなく、夢の俺……もう一人はこの庭の主、一ノ瀬ことみ。小さい頃に知り合い、不幸な事故以来高校最期の年まで忘れてしまっていた同い年の友人。
そんな二人の状況は、ことみに夢の中の俺が膝枕をしているところだった。
「なあ、ことみ」
「…………」
この世界の俺がそうことみの頭を優しげに撫でつつ名を呼んだが、一方でその呼ばれたはずのことみは反応を返さない。
よく見てみるとことみはとても気持ちよさ気にすやすやと寝入っていた。それを眺めるもう一人の自分は、優しげな表情で彼女の頭をもう一度撫でてから、こう呟いた……いや、呟きというよりかは独白に近いものがあった。
「……俺はおまえと付き合い始めてから、俺はたくさん助けられてきたよな。当ても無く家を出た時もそうだったし、親父との関係も……ことみなしじゃ向き合う事さえしなかった。だからな、ことみ……その、ありがとな」
この俺も、俺と同じように親父との溝を寄り添ってくれた彼女に埋めてもらったのだろう。だからこそ分かる……目の前で幸せそうにしているこの夢世界での俺が、どんなに彼女に感謝し、愛しているのか。
「私も、朋也くんにはいっぱいいっぱい、助けてもらってるの。だから、朋也くん……ありがとう」
いつの間にか目を覚ましていたことみ。彼女が見上げる視線と見下ろす視線がぶつかり、見詰め合うような形になった彼らは微笑みあう。
すごく今更な事だが、寄り添ったとか色々言った手前気付いていなかったという事実が恥かしい限りなのだが、この二人……どうやら既に結婚しているらしい。薬指には互いに結婚指輪がはめられていた。
「これからも助け合っていけるといいな……」
「うん。……ねえ、朋也くん」
「なんだ?」
「今日は朋也くんの誕生日なの。いっぱいいっぱいお料理作るから、全部食べてくれるとうれしいの」
「ああ、それはお安い御用だ。それじゃ、そろそろ買い物にでも行くか」
そうして、また世界が遠退いていく。幸せそうな二人がリビングから出て行ったところでまたそのような感覚に襲われて、その後も俺は色々な自分の世界を巡った。
高校時代、春原が入っていた男子学生寮の寮母さんだった美佐枝さんとの未来だったり、後輩にして生徒会長であった坂上智代、第二図書室で喫茶店みたいな事をしていた宮沢有紀寧、春原の妹である芽衣ちゃんだったりと交友関係の未婚女性を網羅する勢い、というか既に網羅している。
そんな世界を巡り、幸せそうな二人を見て……とてつもなく、家族に会いたくなってしまった自分がいた。自分もあれ以上に幸せなんだと、そう実感したかった。そう思ったあたりで、視界がゆがみ、桜散るあの坂道が一瞬だけフラッシュバックして暗転し、光が差した。
チュン、チュンチュン……
「………………」
「パパ、はやくおきてっ」
「朋也くん、起きてください」
目を覚ますとそこには見慣れた、いつもの光景。
俺の布団に乗ってゆさぶる娘と、台所から朝のすきっ腹に響くおいしそうな匂いを作り出している妻の後姿。
「おはよう……渚、汐」
「おはようございます、朋也くん」
「おはよう、パパ」
それから俺は布団をたたみ、いつもの日常へ。
ただし、日常とは言っても、愛する妻と愛すべき娘に囲まれた朝食を取った後は、自分が誕生日と忘れてしまっていた俺が娘や妻に呆れられたりもした。
そんな妻と娘は俺に内緒で、俺の親父や祖母も招いて古河パンで誕生日パーティーと言う名の家族での会食を企画していたりと手の込んだドッキリを仕掛けてきて、いつも以上に賑やかな一日を過ごす事になったのはいい思い出だ。
……夢の世界の俺も、こんな幸せを感じていたのだろうか?
いや、きっと感じていたに違いない。なんせ、ふと夜の暗幕の下りた窓の外を見た際に窓に映った俺の表情が、あの世界の俺と同じように幸せでゆるゆるになっていたのだから。