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みんなぁああああああああっっ

「うわっ」

 私は不意に、私の夫である岡崎朋也の大絶叫によって目を覚ました。

「な、何だ何だ?どうかしたのか朋也」

 起き抜けの混乱で辺りを見回しつつも朋也を探すが、残念ながら愛する夫の姿はダブルベッドの反対側には見られなかった。

「……朋也、どこだ」

宴の始まりじゃぁああああああああああああああああああ

「わっ」

 私の問を吹き消すような大絶叫に、私は再度びっくりした。何がなんだかわからずに呆然と立っていると

「おーっ」

「わああっ」

 双子の息子・朋幸と娘・巴が元気よく返事した声と同時に、ドタドタと廊下を走る音が聞こえた。まったく、廊下は走るなと言っておいたのに、仕方のない小熊ちゃんたちだ。私はため息をついて服を着ると、寝室を後にして家族が集まっているであろう居間に入り

「こら、大声を出したり廊下を走ったり……」

 そして絶句した。

 どこから説明すればいいだろうか。まずはレディーファーストということで巴から始めよう。巴はどこから持ってきたのか、小さな槍を片手で振り回しながら、フェイスペイントらしいもので幾何学的な模様を描いた顔を真っ赤にしながら、頭をフリフリしていた。息子の朋幸はというと、これまた顔に幾何学的模様を描き、奇怪な踊りを踊っていた。そして最後に朋也だが、これは末期的だった。まず上半身が裸だ。次にその上半身に真に精密な模様が描かれている。手には、何かの木の枝と杖が握られていた。そして最後に

「宴ぇえええええああああああああああああああ」

 正直泣きたい。

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。頭のなかを少し整理してみた。


 先週、TVをつけるとラグビーの国際試合がやっていた

 ↓

 ニュージーランドのチームが試合前に奇妙な踊りを始めた。どうやらニュージーランド原住民に伝わる戦の舞らしい

 ↓

 朋也が小熊ちゃんたちの教育のためと図書館からマオリ族に関するDVDを借りてきた

 ↓

 昨夜はみんなでそのDVDを鑑賞した

 ↓

 朝起きてみると、家族が奇妙な宗教に目覚めていた ←今ここ


「……」

「ウンババウバウバウンバッバッ」

『ポウッ』×

「…………」

「ウンババウバウバウンバッバッ」

『アイッ』×

「………………」

「ウンババウバウバウンバッバッ」

『ヴェッ』×

「う、うわああああああああああああああああ」

 限界だった。

「と、朋也、私を、お、おい、見てくれ、見るんだっ」

「ウンババウバウバウンバッバッ」

「な、何だ?どうしたんだ?お腹が空いたのか?今朝ご飯の支度をするからな」

「ウンババウバウバウンバッバッ」

「違う、のか?では何だ?掃除か?掃除なのか?よしわかった、今すぐやり直そう」

「ウンババウバウバウンバッバァッ」

「ち、違うのか?ま、まさか昨日のことか……?す、すまない、少し疲れていたんだ……でも約束しよう、今夜は三回以上は持ちこたえるとっ」

「ウンババウバウバウンバッバッ」

「し、仕事か?何か大変なことがあったのか?辛いことがあったのか」

 すると、朋也は不意に動きを止めた。静寂が居間に訪れた。

「……え?そ、そうだったのか?そうか……よし」

 私に何でも話してくれ。そういうつもりだったのだ。どんな話でも受け入れるつもりだったのだ。でも

「……ァ」

「え」

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

 絶叫してくれと頼んだ覚えはない。

「おつげじゃー」

「おお、おつげじゃー」

 小熊ちゃんたちが不意に平伏した。

「ちょっ、まっ、巴、それは何の宗教だっ」

「シサイどの、おつげはいかにっ」

 巴は私の声を無視して朋也に質問した。すると朋也は絶叫を止め、そして厳かに言った。

聖誕祭は……」

「せ、せいたんさいは……?」

十月十四日、開幕と相成り申したぞっっ」

『おおおおおおおおおおっ』

「じゅうがつっ」

「じゅうよっかっ」

『ははあぁっ』

 いや、本当に何がなんだかわからない。わからないがともかく、これで踊りや奇怪な叫び声は取り敢えず止んで

「準備祭じゃっ!皆の者、踊れぇえええ」

『おーっ』×

「って、お義父さん?!」

 くれなかった。むしろ増えた。

「ウンババウバウバウンバッバッ」

『ポウッ』×

「……もう嫌だぁあああああああああああああああああああああ」

 私は泣きながら、家を出た。



「これから、どうすればいいんだ……?」

 宛もなく街をさまよいながら、私は誰にともなく尋ねた。しかし答えは返ってこない。当然だ。私だって「ある日起きていたら最愛の夫と子供たち、ついでに義父までもが変な宗教に取り憑かれてしまったんですが、どうしたらいいでしょうか」と訊かれたら返答にものすごく困るだろう。

「……はぁ」

「智代さん、どうかしたんですか」

「え」

 振り返ると、そこには友人の妹がいた。

「芽衣ちゃんじゃないか。どうしたんだ」

「ええ、お兄ちゃんたちに会いに行こうと思って、ちょっと寄り道です。あ、一緒に行きませんか」

「春原のところに、か」

「はい」

「……」

 ふと、閃いた。そうだ、もしかしたら春原、はともかく、春原の妻で私の親友である杏なら、何か助言してくれるかもしれない。

「そうだな。ではお言葉に甘えるとしよう。そういえば春原ともここのところ会っていないしな」

「はい」

 春原家は家長の仕事の都合で戸鳴町に住んでいる。電車ですぐの距離だ。電車に揺られている間、私は芽衣ちゃんに訊いてみた。

「あの、な」

「はい」

「もし、もしだぞ?もし芽衣ちゃんの大事な人が、例えば春原や杏がだな、ある日突然変な宗教に囚われてしまったら、どうする」

「……兄がまた変なことをしたんですか」

 切実そうな目だった。こんな良い子に心配をかけるなんて、春原、お前は……

「いや、そうではなくてだな、あくまでも仮の話だ」

「そうですか……難しいですね」

「……だろうな」

 それから私たちは一言も喋らずに、春原の家にまで歩いた。家の前に来ると、芽衣ちゃんが言った。

「あ、あの」

「うん」

「さっきの話ですけど……私ならそう心配することではないと思います」

「……そうだろうか」

「はいっ!だって、岡崎さんは強いひとですから。間違った方向になんて行きませんから」

「……」

「いつも正しい道を示して、みんなを導いてくれる……そういう人ですから」

「芽衣ちゃん……!」

 私は感動して、思わず芽衣ちゃんの手を握った。芽衣ちゃんも私の手を握り返した。そうだ、何てバカだったんだ私は。朋也のことをもっと信じるべきだろうに。

「だから……」

「うん」

「だから……岡崎さんは、私たちの」

「……うん」

「司祭様なんです」

「…………あれ」

 急に芽衣ちゃんが手に力を込めてきた。咄嗟には振り払えないほどの力だった。そしてそのまま芽衣ちゃんは春原家の扉を開けた。

「お兄ちゃぁんっ!!主役姫様をお連れしたよおっ!!」

「ウンバアアアアッ!!」

「ポウッ!!」

 廊下の向こうから幾何学ペイントの顔が奇声をあげながら走ってきた時、ふと、ああ、死にたいな、と思った。非常に信じがたいことだが、一応。「ポウッ」は杏の掛け声だった。

「……もう何だかどうでも良くなってきたんだが……その主役姫様というのは?」

「何言ってるんですか。この宴の主役は智代さんと岡崎さんお二方の誕生日を祝う宴ですよ?

……そうか」

「あ、でもテーマが誕生日ってだけで、語り部は誰でもいいし、カップリングも自由なんですけどね」

「む?何を言っているのかよくわからないが……

「まあいいですよね。さあ主役姫様、一緒に踊りましょう」

「ウンバー!!」

「アイアイア!!」

……

 ばたん。

 私はドアを閉めると、一目散に駈け出した。



 どこをどう走ったのだろうか、まったく記憶になかった。気がつけば私は光坂市の公園で途方に暮れていた。

……もう……昔には戻れないのか……

 半分疑問半分諦観の呟きを漏らした。今までの楽しい記憶が目の前に浮かんでは消えていく。不意に視界がぼやけたが、泣いているのだと気づくのに時間がかかった。

……私は……もうどうすればいいのか……

「あれ?智代お姉ちゃん」

 背後から声をかけられて振り向くと、そこには最愛の妹がいた。

「とも……

「って、え?ええ?何で泣いてるの?何か辛いことあったの?ともが聞くよ」

……ありがとう、とも。優しいな」

「ううん、そんなことないよ。さあ、どうしたの」

「実はな……

 私は口を開きかけ、そして止まった。ちょっと待て、このような会話はさっきあったような気がする。誰とだっただろうか。

「それとも、とも一人じゃ心細いかな」

「いや、そういうわけじゃないんだが……

 誰だっただろう。心を開いた途端に激しく裏切られたような気が。

「鷹文お兄ちゃんも呼んでくる?そっちの方が聞きやすいかな」

 鷹文。弟。兄弟。兄。

 とも。妹。

 兄妹と言ったら、もう一組。

……すまない、とも」

「え」

「私はっ」

 私は身を翻しながら、泣き叫んだ。そうするしかなかった。だって、春原兄妹・夫妻に嵌められた後、鷹文や河南子、ともにまで裏切られたら、私はそれこそ壊れてしまうのだろうから。

「弱い人間なんだぁああああああああああああああああああああああああああああ」



「とにかく……

 ともから一目散に逃げた後、私は息を整えながら考えた。

「恐らく私の周りの人間は、何かとんでもないものに取り憑かれている。ああ、きっとそうだ。あれが正常であるわけがない」

 確認するように声に出して言った。特に最後の方は自分に言い聞かせないとダメだと感じた。

「向こうは少なくとも七人……いや、九人」

 実際に見たわけではないのだが、あの杏ですら取り憑かれた邪教だ、春原家の子供たちもそっち側と見なした方がいいだろう。あの二人はいつもうちの小熊ちゃんたちと遊んでくれているのに。くっ

「それに対してこちらは確認できるところ私一人だけ……多勢に無勢もいいところだな」

 ほんの一瞬、強行突破を考えたが、次の瞬間それを捨てた。みんな私の大事な人たちだ。攻撃などできるわけがない。

「しかし、このままでは……あ、そうだ」

 もし朋也が邪教に乗っ取られているのならば、それ以上に強いショックを与えれば、正気に戻ってくれるはず。ではそのショックとは?打撃?ノー。そんなことでひどい結果になったら、目も当てられない。一人で僕らは歩けるか、と問わねばならなくなるかもしれない。ではどうする?

……あの、究極のクリティカルヒット必中物資を使えば……

 もしかしなくても早苗パンである。

「実際にあの興奮状態の朋也にどう食べさせるかは問題だが……そんなこと、早苗パンを入手してから考えよう」

 善は急げと古河パンに直行すると、店前で古河さんが箒がけをしていた。

「あ、智代さん」

「古河さん、こんにちは」

「いらっしゃいです……えへへ」

 ああ。古河さんの笑顔はいつ見ても癒やされるな。

「今日は何かお探しですか」

……妙なことを聞くのだが、許してくれ」

「え、あ、はい」

…………早苗さんの自信作を、売って欲しい」

「えええっ」

 古河さんが背後に雷を光らせて驚いた。普通なら自分の母親が作った製品を売ってくれという要望に対してこれだけ驚くのはいかがかと思うのだが、早苗パンの場合は特例として認められてもいいと思う。

「あ、あれを、ですか」

「ああ、あれを、だ」

 私が頷くと、古河さんは黙って考えた後、私の目を見据えた。

「わかりましたっ、お売りしましょうっ」

「ありがとう」

「訳は、訊かないほうがいいですね」

「そうしてくれるとありがたい」

 パンの売買に関する会話である。念のため。

 ともあれ、パンを売ってもらうことが決まった。あとは、これをどうやって朋也に食べさせるか、それが問題だ。そう思いながら私が古河さんの後ろについて店の中に入った途端

「今だっ」

「何っ」

 反応するより早く、頭の上からネットをかけられてしまった。

「主役姫様、かくほぉぉおおおおおおおおおお」

「ひゃっほおおおおおいっ!!ともぴょんGETだぜ!!」

「アイディアの勝利ですっ」

「すみませんっ、智代さん」

……待て。ちょっと待て」

 網の内側から恨みがましい視線を送りながら、私は訊いた。

「なぜ古河さんたちがグルになって私を陥れようとしたのか、なぜ私はたやすく他人を信じてしまったのか、これのどこがアイディアの勝利なのか、いろいろ聞きたいことはあるが、とりあえず最初にこれだけは訊かせてくれ」

 びしっ、と指差す。

「何でそこに芽衣ちゃんがいるんだ!?もう芽衣ちゃんは振り切ったはずだぞ?!」

「やだなぁ、智代さん。この宴では一人何作提供しようと、制限はないんですよ」

「また訳のわからないことを……で、これから私に何をするつもりだ?言っておくが、破廉恥なことならば全力で阻止するぞ」

「あ、それは安心して下さい。この宴、ぶっちゃけ裏切りとかダークとかわけわかんないこととか、ジャンルはフリーダムそのものなんですけど」

「けど」

18禁だけはなしなんです」



 正直言って、悪夢としか思えない事態になっていた。

 私は古河パンの前にある公園に建てられたポールに縄で縛り付けられていた。主役姫とは何だかわからないが、普通このような名称の者にこんな扱いはないだろう。まあ、それはともかくとして、問題はその他の者たちだった。

「ウンバババッバッ!」

「ウンバーッ!」

 朋幸。巴。母さん、子供が巣立って行く時の覚悟はできるつもりでも、そっちに逝っちゃった時のことは考えていなかったぞ。

「ウンババッ」

「ウンババウバウバッ」

「ウンバッバ」

「ポウッ」

 春原。家族全員そっち側でよかったな。むしろ楽しそうだな。家庭平和は大事だな(遠い目)。

「イァアアアアアアアアアアアッ!ウンババババババッ」

「ウンバッバッ!ですよっ」

「アイッ!です。えへへ」

「ヤヴァヴァッ」

 秋生さん、ノリノリだなぁ。私もあそこまで吹っ切れたらなぁ。

「ウンババウバウバウンバッバッ」

「ポウッ」

「ウンババウバウバウンバッバ」

「アイッ」

 うん、その、何だ。父さん、母さん、鷹文に河南子。もうやめてくれ。

 もう涙も枯れて、目から光すら消えようとした時。

「ストォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオップ」

 ともの声が公園に響いた。しん、と静まる異文化。

「みんな……何やってるの」

 ともが珍しくキツイ声で言った。

「こんなことされても……智代お姉ちゃんが嬉しいわけないよっ」

 ああ、とも。

 大好きなとも。

 よくぞ言ってくれた。

「演出が全然なってないじゃん!ちゃんとやろうよっ!!ほら、みんな槍を持って」

 ああ、とも。

 大好きなとも。

 お前は何を言っているんだ。

「篝火を焚いてっ!灯を絶やしてはダメだからねっ!!和太鼓も景気よくっ」

『ははあああっ』

 とものテキパキとした支持に皆が平伏して従った。おかげさまで作業も捗り、公園はすっかりカオスな状況に。

「みなさんっ!静まって下さいっ」

 すると、いつの間にかみんなの中心に、とんがり帽子を被った風子ちゃんが現れた。

「これより、長老によるお告げがくだされます。心配はいらないです、風子が責任をとって翻訳しますから」

「ウンババッ!」

「バンババ!!」

「ウバッバ!!」

 ドンドン

 ボゥボゥ

「では長老、こちらに」

「うむ」

……幸村先生、何をなさってるんですか」

 思わず訊かずにはいられなかった。はっちゃけとは無縁だと思っていた老教師が、腰ミノに羽飾り、トーテムを模した杖を持って現れたなら、誰でもそう反応するしかないと思う。

……

……

 幸村先生は黙って私を見つめた。私も先生の顔を凝視した。事態を打開してくれるかもしれないという期待を胸に宿して。

…………

…………

…………ポ」

「ぽ?」

 嫌な予感がした。

「ポォァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

『はァはあああああああああああ』

 変な叫びをあげる幸村先生と、それに平伏するみんなをみて、私は頭の片隅で、だろうなー、と思ってしまった。

「巫女殿、果たして長老は何と?」

「お待ちください。今考え中ですので」

 そうか、風子ちゃんは巫女だったのか。翻訳ではなくて、答えを考えているのか。

「風子、わかりましたっ!長老は、宴は主役姫の誕生日に始まり、主役尊の誕生日が過ぎた後の日曜日に終わる、つまり十月十四日から十一月三日に終わるとのことですっ」

「おおおっ」

「アヴァヴァアアアアアアアアアアアィィイイイィアアアアアアアアアアアアアアア」

「何とっ……長老が、宴参加作品はHTML、テキストファイル、ワード文章(SSの場合)またはDNMLのタイトルとリンク(DNMLの場合)またはJPGGIF形式の イメージを、クロイレイまでにメールで送べし、その時、作品名、作者名、ジャンルとメインキャラを明記するべし、また、Pixiv 稿の場合はタグに CLANNADダブル誕生祭4」と記入して連絡を取っていただければ、それを会場にてコピー&ペースト方式で公開する 、とおっしゃいました」

「な、何だとっ」

「そ、そのようなことを……!!」

「ハマナハマナハッハ、ウンバアボォァアアアアアアアアアアアアアアア」

「長老が、あと、参加作品は製作者の方が自分のサイトなどで公開なされても問題ない、とおっしゃってます」

「ははぁ!」

「ウンババッ!!」

「ではいざ!総ぅぅうううう員っ!!究極奥義百発百中天元突破楽しむこと、魂の限界までっ!!!

『ウンバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

 私の見知った人々が狂ったように奇怪な踊りを踊り、和太鼓を叩きまくり、篝火を燃やしているのを見て、私は意識を失った。



「は!」

 私は布団から跳ね起きた。そして辺りを見回した。静寂。見慣れた光景。いつもの空間。

「……」

 そこには奇怪な模様で彩られた顔も、変な踊りも、和太鼓も火もなく、ただただ日常があるだけだった。

「……夢だったのか」

 私は安堵の溜息を吐いた。不意に涙腺が緩みそうになる。知らなかった、普通の毎日がこんなにありがたいものだったなんて。

「ふふ」

 時間を見ると、結構寝坊してしまったようだった。私が笑いを漏らしたその時

「キアー・リッテ!(準備しろ!)」

……………………え」

 おかしいな。私の日常ではこのような野太い声は聞こえてこないはずなんだが。

「キアー・リッテ!」

 ああ、そうか、これは夢か。

「キア・マォウ!(構えろ!)」

『ヒィ!(応!)』

 そうだ、夢だ、夢に違いない。そうに決まってる。

「リンガ・パッキア!(太ももに手を打ち付けろ!)ワィワィ・タカヒア・キア・キノ・ネイ・ホォキィ!(全力で足を踏みしめろ!)」

『キア・キノ・ネイ・ホォキィ!(力の限り!)』

 いや。いやいやいや。現実逃避をしている場合ではないぞ智代。この怒声にも似た声は、どう考えても朋也と春原、そして朋幸と翔の声だ。私は急いで身づくろいをし始めた。

『アァ、カ・マテ(私は死ぬ!)!カ・マテ!カ・オラ!(私は生きる!)カ・オラ!カ・マテ!カ・マテ!カ・オラ!カ・オラ!』

 掛け声とともに、ばちん、ばちんと何かを叩く音も聞こえてきた。急いで階段を駆け下りて、居間の扉を開いた。そしてそこには

『テネイ・テ・タンガタ・プフル・フル!(見よ、この勇気ある者を!)ナァナ・ティキ・マイ・ファカフィティ・テ・ラア!(この毛深き者が我のために太陽を昇らせた!)』

 四名の男性が、足をガニ股に開き、腰をぐっとおろし、手を動かしたり拳を握ったりしながら、私のよくわからない言葉を口にしていた。

『ア・ウパネ!(一歩高く!)カ・ウパネ!(更に一歩高く!)アァ、ウパネ・カウパネ!(頂上にて!)』

「と………………

『フィティ・テ・ラ(太陽は輝く!)』

「な……にを……

『ヒィ!(昇れ!)』

 最後の掛け声の後、一瞬の静止の後に四人はゆっくりと立ち上がった。

「ふぅ、何かいいよね、これ」

「ぼく、すきー」

「ぼくもー」

「カ・マテ!」

「カ・マテー」

「お、智代だ」

「あ、そうだ。智代ちゃんもちょっとこれ、やってみない」

 これは後ほど知ったことなのだが、朋也と朋幸はあまりにニュージーランド・オールブラックスが踊る「ハカ」という戦舞に魅入られたので、春原にも連絡して四人で練習していたのだそうだ。ハカの中でもこの「カ・マテ」という踊りは有名なもので、ニュージーランド人にとっては英国女王より騎士勲章を授かるよりもオールブラックスの一員としてハカを踊る機会を与えられる方が栄誉と感じるのだそうであるのだが。

 この時の私にとってはそれどころではなかった。

「嫌だあああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「のわっ!え、あ、あれ、智代ちゃん!」

「え、お、おい、どこ行くんだ?!」

 



「ま、とりあえず、始まるよ?」

 

 
 

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