いない人への祝い方
今までの自分の生き方を否定するのではなく、これからの道を切り開いていくことが大事。
私はそれに気づくのにどれ程の時間が掛かったのだろう。
答えを教えてくれた人物はその問題を与えたまま、私の隣から居なくなってしまった。
ずっと傍にいると約束をしたのにも関わらず……。
10月の夕暮れ時、私は買い物を終え、家に帰宅している途中のことだった。
「とーもよっ! 元気してた?」
「ああ、杏か、久しいな」
バックを片手に手をヒラヒラさせて挨拶する彼女は数年前から変わらない。
「元気にしていたさ、杏こそ、元気に……って聞くまでもないか」
「そうね……、元気じゃなきゃ子供たちの面倒は見きれないもの」
ふふっと笑う杏が今の私には少し眩しかった。
「よかった、そういえば式の日程が決まったんだって?」
そう、杏は結婚する。
相手は高校時代からの友人である春原だった。
「うん……、日程は決まって順調なんだけど……」
少し、言いにくそうにする。
「けど……、どうした?」
「私、結婚するとこの町を離れなきゃいけなくて……」
ああ、そうか、春原は自身の地元で働いている。
それだと保育園を辞めると言う事になるのか……。
「わかってはいるんだけどね、でも、この町は辛いことも楽しいこともあったから離れにくくて」
「確かにな、私もこの町ではいろんなことが起こりすぎた」
その言葉を聞いた杏は切なそうに目を細めた、懐かしむように傷むように。
「私はね……、この町を離れることが逃げることなんじゃないかなって時々思うのよ」
「逃げる……か、……変化を求めることは逃げることなんかじゃないと思うぞ?」
そう言ったとき、私は内心動揺していた。
自分に都合のいいよう言ってるだけではないのだろうかと。
「そう……ね、うん、そうよね……」
杏は自分に暗示でもかける様、なんども呟く。
「何より、幸せをつかむことが悪いわけがないだろう?」
「……ありがとう」
杏は力なく微笑んだ。
力なく微笑んだ理由を私は聞けなかった。
「……ともよは、智代は今、何をしているの?」
何をしているの?か……。
……ふふ、答えにくい質問をしてくるなぁ。
「私か……、私は何をしているんだろうな……」
ただ、仕事をして、ご飯を食べて、寝る、その繰り返しだ。
まるで、機械の様だな……。
「何をしているのでもなく、何もしていないわけでもないと思う、強いて言うなら仕事をしているぐらいだろう」
仕事もしているだけ、入社したての頃のように必死にやっているわけでもない。
無難にこなしているだけに過ぎなかった。
「そう……」
もどかしそうで哀しそうな顔をした杏を見たのは初めてだった。
「それじゃ、私は行くね……」
左腕に着けていた腕時計を見て杏は言った。
「ああ、そうか……」
杏はそのまま、帰路に着こうとするが途中で振り返った。
「最後に一つ、お節介させてもらうけど、周りをよく見て、あなたが見ているものだけが全部じゃないから……」
「心に留めておくよ」
私もその言葉を聞いて家に帰る。
――――――家につき、カギを使い、扉を開ける。
「ただいま」
誰もいない部屋は当然、返事が返ってくる訳がない。
「……ご飯にしよう」
調理場に立った時、家のインターホンが鳴る。
「どちら様で……って鷹文か」
訪問者は私の弟、鷹文だった。
時々、家に来て私の様子を両親に報告しているらしい。
「様子を見に来たよ、ねぇちゃん」
「ちょうど、夕飯を作っているところなんだが食べていくか?」
「んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうね」
簡単に2人分のシチューを作ってテーブルに置く。
「最近、河南子とはどうなんだ?」
「んー、特に何もないと言えばないかなー」
「そうか、平和ならそれに越したことはないからな」
そう、平和なら越したことはない。
「……10月もそろそろ、終わりだねー」
おもむろに鷹文がそう言った。
「ああ、そうだな」
私は鷹文の話の意図を大体察した。
「今年は行くの?」
「どうだろう、わからない……」
本当は行く気などない、行っても私はどうすればいいかわからないからだ。
「……そっか、僕はねぇちゃんが決める事についてどうこう言うつもりはないよ」
少し哀しげな表情をして鷹文は言う。
鷹文もそんな顔をするのか、なぜ、皆同じような顔をするんだ。
「でもね、1つだけ言わせてほしいんだ」
そんな顔で私を見ないでくれ……。
「逃げても現状は変わらない」
そんな目で私を見るな……。
「ねぇちゃんは現実を受け入れてない」
やめてくれ……。
「にいちゃんだって今のねぇちゃんを……」
「やめろぉ!!」
私は力の限り叫んだ。
そしたら、何故か涙が溢れ出て止まらない。
「私だってわかっているさ!今の自分の情けなさを!でも、どうすればいいかわからないんだ!」
涙が溢れると同時に感情が押し上げて来て吐き出すのをやめない。
「この感情を何処に降ろせばいいのかわからないんだ!何を糧に進めばいいのかわからないんだ……」
溜め込んでいた感情を吐き出したら残ったのは言いようがない苦しさだけ。
「私は、私は……どうすればいい?」
そんな私の感情を黙って鷹文は受け止めた。
いつの間にか膝を着いていた私の目線に鷹文は合わせる。
「ねぇちゃんがどうすればいいかなんて僕も正直わからない、でも、一緒に考えるぐらいは出来るよ」
鷹文の言葉が灰色の心に色を染み込ませる。
「だって、家族なんだよ? 溜め込んだ感情は分け合おうよ、道に迷ったら考えようよ、ねぇちゃんは1人じゃないから」
その言葉がどれほど……、どれほど嬉しくて、欲しかった言葉なのだろう。
灰色の心から道が拓いた様な感じがして透き通るような青色に変わる。
「ほら、にいちゃんはどんな人だった?」
「朋也は……、意地悪で、口も悪くて、人の事ばかり考えて、褒めてほしいときに褒めてくれて、案外寂しがり屋で、そして、誰よりも私を愛してくれた……」
そうだ、朋也はそういう人だ。
「そんなにいちゃんの誕生日をねぇちゃんはどう過ごしたの?」
「朋也が好きなご飯を用意して、朋也が喜んでくれるプレゼントを用意して、用意したご飯を一緒に食べて、プレゼントを渡して一緒に笑顔になって一日を過ごして……」
そう、ただ、一緒に感情を共有する一日だった。
「にいちゃんは寂しがり屋なんでしょ? そんなにいちゃんを1人にして大丈夫?」
「大丈夫なわけがないな、もしかしたら泣いてるかもしれない」
私の言葉を聞いて鷹文は笑う。
「なら、どうするべきだと思う?」
「……朋也と会わないとな」
杏の言っていた言葉がわかった。
私の周りには支えてくれる人がやっと見えた。
「うん、もう大丈夫だね、僕は帰るよ、河南子が待ってるからさ」
言って、私の部屋を後にする。
出て行った後、扉の前に私は立った。
「……鷹文、ありがとう」
10月30日になって私は朋也の墓の前にいた。
ずいぶん時間を掛けてしまった。
「朋也は嘘をついたからな、誕生日を何回かすっぽかしてしまったぞ」
そう、私の隣にいてくれると言ったのに急にいなくなったんだ、すっぽかしたのは仕方ない。
「でも、朋也は寂しがり屋だから、このくらいで許してやる」
なんて、ふざけて言わなければ本心が出てこないのはなぜだろうか。
「だから、私の事も許してほしい」
私は鞄からマフラーを取り出す。
「お詫びと言ってはなんだが朋也がいなくなる前に編んでいたマフラーだ」
ずっと渡したかった、それがやっと叶う。
「……朋也、誕生日おめでとう」
今日、一番言いたかった言葉をやっと言えた。
サァッと秋の風が私の頬をなでる。
「また、来るから」
私はその一言を残して墓場を後にする。
隣に居なくても居てくれる、私はそれを今日、再認識した。