運動会における我が家の戒律



まえがき



「おーい、智代〜。何でもいいから出てきてくれ〜…」


 時間は俺の嫁・智代の誕生日の1日前の13日の午後8時半。やっぱりと言うか何と言うか嫁はご機嫌斜めなようで、いわゆる“お籠もり状態”になってし まっていた。今朝は休日ともあってゆっくりしていたわけなのだが突然会社のほうから“どうしてもやってくれないと困る仕事がある”と言うことで呼び出され てしまった。で、嫌々ながら会社に行く俺。送り出す智代はぶつぶつ何事かを呟いてはいたんだがまあ笑顔で送り出してくれたんだ。うん。で、夜8時、仕事が 思いの外長引いてしまって這う這うの体で会社から帰って来てみるとこの有様だった。しかも今回はなぜそうなったのかの原因が分からない。智代の異母妹・と もに聞いてみたところが、“ともがお友達のおうちから帰ってきたときからこうだったよ?” と、鷹文の彼女・河南子の作ったホットケーキをもぐもぐ食べな がらこう言う。河南子は河南子で、“あたしが来たとき、そうねぇ〜、昼過ぎだったかなぁ〜? このときからこうだったよ?” と言う。まあうちは家庭上ご ちゃごちゃとしていたわけだが、それも昔の話で、今は同居の義弟とその彼女、俺たち夫婦と智代の異母妹と言う家族構成なわけだ。しかし美味そうなホット ケーキだな? と見ていると気がついたのかともが“お兄ちゃんも食べる?” そう言って切り分けたホットケーキを差し出してくる。あーんと食べてみる。味 は美味かった。最近河南子の料理のスキルも上がってきたのか食べてもまずいと言う料理はほとんどなくなったよな? 最初のうちは犬も嫌がるような料理だっ たわけなのだが、師匠が徹底的に仕込んだおかげでこの通りちょっとは食える代物になってきた。まあこの師匠と言うのは他ならぬ智代なんだが…。


 しかし何を怒って籠もってるんだ? 智代は。今回ばかりは理由が分からない。前述の通り今朝は何の問題も起こらなかったわけだし、最近は早く帰ってきて るしな? 俺関係では何の問題もないはずだ…。うん。鷹文も河南子もこれと言って何の問題もないはずだし、ともに至っては智代がちゃんと言って聞かせてあ るのか、悪いことは絶対しない。むしろそう言うことをしているやつを注意しているみたいで、この間学校へ電気工事の仕事で行ったときにともの担任の先生か ら“ともちゃんは心豊かで優しい子ですね?” と褒められた。家族のことを褒められて嬉しいやら恥ずかしいやらで何ともな気分になる俺がいたわけだ。と何 か引っ掛かるものが…。何だろうとよくよく考えてみるに、明日は町内会の運動会じゃないか?! と…。しかも今日は一日走りの練習をしような? と約束し ていたのに、そのことをすっかり忘れてしまっていたわけで。今から…、じゃあもう遅いしなぁ〜。と、とにかく謝ることが一番だと思いいつもの押し入れの 前、土下座をして謝る俺。今回も俺の不手際が招いたものであるから誠心誠意謝ることにする。と、ぐすぐす言いながらも籠城を止めて出てくる智代。顔を見れ ば完璧に拗ねた顔になっていた。


「せっかく新しいお揃いの体操服も用意したっていうのに…」


 とまるで子供が駄々をこねているようにぶつぶつと俺のことを言い始める智代。こうなりだすと際限なく言ってあとで自分で判断してまた例の“お籠もり”状 態になってしまうことは分かっていたので、機先を制するように俺は、“じゃあ明日頑張って優勝すれば文句はないな?” と言った。“文句はないけど…”  とやや不満げな顔の嫁。おそらくまだ何か言い足りなかったのだろうはと思ったが、まあこの話はこれで終わりと言うことで、いつも通り美味しい晩飯をわいわ い言いながら食べた。智代は何か言いたげに俺の顔を見遣ってはいたけどな? 高校時代みたく肉体的なものが来るわけじゃなくて精神的に来るのでこっちはそ れを何とか避けたいわけで…。風呂に入って寝る頃には嫁もすっかり機嫌を直したのか、ニコニコ顔で俺の布団に潜り込んで来て、“明日は頑張ろうな? 朋 也…” と言うとすやすやと寝入ってしまった。まあ明日はどこまで頑張れるか分からないが、嫁と家族のために頑張りますかねぇ〜。そう思いつつ目を閉じる 俺がいた。






 さて翌日。まあ晴れの特異日の本領発揮と言うくらいな気持ちのいい好天に恵まれた。智代と河南子はもう起きて弁当の用意に余念がない。俺も起きて手伝う か? と思いつつまだ布団の中でもぞもぞ動いている。といきなり布団がひっぺ返される。寒っ! と思って返された方を見てみると案の定にこにこ顔の嫁だっ た。“朝だぞ、朋也。起きろ” と言って敷布団の裾を引っ張る。当然俺はごろごろ転がって箪笥で背中を強打…、と言ううちではごくごく当たり前な日常の朝 の風景だ。ただ違うところは今日が法定休日であることぐらいか…。弁当の残り物とちょっとしたサラダで朝食を済ませ、スポーティーなジャージに着替える。 智代も同じように着替える。ふっと家族のジャージを見るとみんな同じ服で統一されていた。智代に聞くところが、“探すのに苦労したんだぞ?” と言うこと らしい。まあ最近はこう言うふうな統一された服と言うのも少ないわけで。智代のことだから店をそれこそ何十軒も回ったんだろうなぁ〜なんて考えると嬉しい ような恥ずかしいようなそう言う気分になった。


 会場はともの学校だ。会社の同僚やなんかに会う。“気合入ってるねぇ〜” などと茶化すやつもいたが。まあいろいろあって開会式に臨む俺たち。と町内会 長を見て思わずぎょっとなった。何でかっていうと幸村のじいさんじゃないか? ありゃ…。と智代に言うところがさも当然そうに、“当然だ! というか今の 今まで幸村先生が町内会長だって知らなかったのか?” とやや怒ったような顔になる。“いやぁ〜、聞いてはいたんだがすっかり忘れていた…” とごまかす ように言うと、“またそんなウソばっかりつくんだからな。朋也は…” と俺の考えていることが分かるかのようにぷんぷんと言う擬音も聞こえてくるかのよう な顔で俺の顔を上目遣いに睨む嫁。そんな嫁の目に怯えてふっと目を横に向ける。ここの運動会は結構有名で他の地域からも見に来る客も多くいるわけで…、現 に今、春原や杏や古河一家なんかが見に来ていた。
 競技はいろいろあってバラエティーに富んだものもあった。例えば○×クイズとか体育には全然関係ない、と言うより文化祭に近い形のものや、前にともの学 校でやっていた踊りなど多種多様な形でいろいろとやったが…。やっぱりどこの運動会も最後はリレーと言うことになるわけで…。しかも俺がアンカーなんだそ うだ。“何でそうなる?! って言うかいつ決めたんだっ?!” と嫁に言うと、嫁はぷるぷる唇を噛みしめて泣く寸前のような顔になるわけで。俺がその顔に だけは逆らえないことを知った上でやっているので卑怯と言うのか何と言うのかだが、まあこれが我が家の戒律みたいなものだからなぁ〜っと、もう諦めて従う ことにした。第1走者・とも、第2走者・河南子、第3走者・鷹文、第4走者・智代、アンカー・俺と言う具合に順番まで先に決められていてしまっていたわけ だが…。先にも言っているようにうちではこれが戒律と言うか決まりとなっているので今更どうのこうの言っても無駄だし、もし文句なんかを言って機嫌を損ね た嫁に何日も籠もられたらそれこそダメだ。そう思って競技に臨む俺たち一家だったわけだが…。








「や、やっぱり普段の運動不足がもろに出たって言う形か…。ふ、太ももが痛てぇ〜!」


 とその夜に智代やともにマッサージなどをしてもらう羽目になってしまったわけだ。だけど、飾られた賞状を見てそれも心地いい痛みだな? と思った。智代 のごぼう抜きはすごかったな? などと感心しつつアンカーになぜか古河のオッサンが出ていて、“勝負だぜ? 小僧!!” なんてにやりと笑いながら挑戦的 なことを言うものだからこっちも無茶苦茶に燃えてしまって、結局ゆっくり行くつもりが小競り合いのようにお互い前へ前へと走り込んでしまっていたわけだ。 まあ優勝出来たからいいものの、あれで出来なかったら今頃はとんでもないことになっていただろう。そう思いながら賞状と同じ位置に掛けられたメダルを見 る。と嫁がくすくす笑いながらこう言った。


「やっぱり運動は毎日するべきだな? …あっ、そうだ! 明日から朝、私とジョギングでもするか? 朝の空気は気持ちがいいぞ?」


 嬉々とした顔でそう言ってくる嫁。まあ最近運動不足気味だとは思ったが朝はやっぱり眠い。そう思って何の気なしにそのことを告げると、嫁の顔色が変わっ た。目に涙を浮かべつついつもの定位置へ向かおうとしているではないか? これはいかん! と思って、“わ、分かった。ジョギングでもなんでもする。だか ら籠もらないでくれ〜!!” と大慌てに謝るように言うと、パッと花が咲いたようににこにこ顔に戻ってあれやこれや具体的な時間まで決める嫁。最近はどう も頭が上がらないよなぁ〜? 俺…。と心の中で大きなため息を一つ。前に智代と2人だけで出掛けた際に見た映画で“辺境の女” と言う映画があったが、今 の嫁とある意味その映画の主人公の女が被って見えてくるのは俺の気のせいだろうか…。ともかくも女と言う生き物は年を取ると肝が据わってくると言うがうち の嫁は若干20歳代でこんな形だ。これから歳を取ってくるとどうなるのか空恐ろしい気がしてくる、そんな今日10月14日は俺の愛する嫁・智代の25歳の 誕生日だ。



END



おまけ

 で、次の日の朝。気持ちよく寝入っているとゆさゆさと体を揺すられる。な、何だ、地震か〜っ? と思って薄目を開けるとちょっと怒ったような顔を した嫁の顔が見える。ここで何故に昨日のことを思い出さなかったのか、自分自身でも不思議なのだが眠気とぼ〜っとなっている頭では分からなかったわけ で…。“も、もう少し寝かせてくれ〜” と言ったが早いかゆさゆさ揺すっていた手が離れた。かと思ったら今度は押し入れの戸をす〜っと開ける音とバシャッ と勢いよく閉められる音。その音ににびくっとなって飛び起きた。飛び起きた拍子にふっと昨日のことを思い出したんだが…、時すでに遅く嫁は案の定いつもの 定位置でグスグス泣きながら俺のことをぶつぶつ言う始末で。まあ今日が遅番で本当に良かったなぁ〜などと思いつつ押し入れの前、いつものように宥めすかす 俺がいたのだった。……我が家の戒律の第一条。それは“嫁には絶対逆らわぬこと” だと思い知った嫁・智代の誕生日のあくる日の朝だ。とほほ〜。

TRUE END?

あとがき



会場に戻る