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 皆様、ここまでお楽しみいただけてますかな。

 キネマクラナ座脚本担当のクロイ≠レイでございます。

 え?普通は黒子に徹している私が、なぜしゃしゃり出ているのかって?

 まず、皆様のご安全のための注意を。

 皆様、この作品は欠陥品でございます。とにかくいろいろ壊れております。ですので、真剣に考えず、過度にツッコまずにゆるく構えておられたほうが、精神衛生上望ましいかと存じます。

 また、この作品を楽しまれる際には、腹筋をリラックスさせてください。深呼吸、それも腹式呼吸を行うとよろしいでしょう。それから万が一の事を考慮し、上映中の飲食はお控え下さい。スクリーンが悲惨なことになったら、お困りでしょう?

 あと、過度の興奮状態は排泄機能を促進させてしまうこともあります。よもやとは思いますが、気づいたらちびっていたという事態を防ぐためにも、お手洗いには頻繁に行かれるか、オマルの購入を考慮されては如何でしょうか。

 でもね、私が舞台に上がったのは、別の理由があるからです。

 我々は、今までキネマクラナ座として作品を上映してきました。それは、必ずしもCLANNAD本編と同軸の世界ではなく、ある意味独自のアフター世界として発展してきました。

 しかし、残念ながら本作品はその世界から外れたものとなります。

 キネマクラナ座をご贔屓になされている皆様には申し訳ないのですが、これは別シリーズ、外伝として楽しんでいただければ幸いです。

 まあ、つまりそれだけひどい壊れ様なわけです。

 では、皆様、ごゆるりとお楽しみ下さい。
















 坂上智代の少女時代は、幸福なものとは言い難かった。

 両親の不仲は、自分の家から自分の居場所を奪い、その孤独感から暴力に身を委ね、だからこそ大事な弟との接し方が上手く行かなかった。

 本当に最悪な日々だった。でも、だからこそ、それらが過去となった今、智代は家族として機能している自分たちの価値をよく知っていた。まだぎこちないかもしれないが、父と母、そして智代と鷹文は、足並みを揃えようと努力し、そしてその努力を心地良いと感じていた。

 ある意味、智代ほど今の自分の状況に満足している者は、少なくともこの街では珍しいかもしれない。

 そして、その思いは家族が集って喜びを分かち合う時などは殊更強く感じられた。

 だから、みんなで智代の誕生日を祝おうと弟が言い出した時、面映ゆい気はしたものの、これを素直に受け入れた。母親が、鷹文さんはお姉さん思いですね、と嬉しそうに笑い、父親もその日は必ず早く帰ると宣言したのだから、自分の感じた恥ずかしさなどは取るに足らないものに感じられた。むしろ、素直に祝ってもらえることに感謝し喜ぼうと心がけた。

 誕生日が近づくにつれ、鷹文は智代のプレゼントについて悩み始めた。本人に聞くのは失礼かと思ったのか、父母に聞いたりしたらしい。また、いろんな店を歩きまわっているのか、帰りが遅くなったりした。そんな鷹文を見ながら、智代は、そこまでしなくてもいいのに、と引き目を感じ始めていた。

 あるいは、それが悪かったのかもしれない。


「誕生日おめでとう、ねぇちゃんっ」

「おめでとう、智代」

「おめでとう、智代さん」

 家族の祝福に、智代もはちきれんばかりの笑顔で応えた。

「ああっ、ありがとうっ」

 ロウソクを吹き消し、母の料理に舌鼓を打ち、いろんな話をして笑った。数年前は思いもよらなかった光景だった。その時、坂上智代は己の幸せを噛み締めていた。

「では、プレゼントの時間だな」

「そうですね」

 そう言って、父と母は智代に上品な包装紙に包まれた箱を手渡した。

「ああ……ありがとう。これは今開けてもいいのか」

「そうだな、それは智代の自由だ。でも、後でにした方がいいかもしれない」

「そうですね」

「そうか。では、部屋に戻ってあけるとしよう。本当にありがとう。ところで、鷹文はどこに行ったんだ」

 ふと見ると、さっきまでそこにいた弟がいなくなっていた。

「ふふふ、智代、鷹文はお前に素敵なプレゼントを持ってきてくれたぞ」

「そうなのか?楽しみだな」

「ええ、楽しみですとも。ふふふ」

「ふふふふふ」

「うふふふふ」

「そ、そうか……それで、それはどこに」

 両親の笑い声にどことなく不穏なものを感じた智代は、それでも笑顔で訊いた。

「あそこに、ほぉら」

 父親が指したところには、大きな ― そう、ちょうど巨大なぬいぐるみを包装紙でくるんだサイズの ― 物体が、布に覆われていた。

「鷹文め……まったく、この歳になって巨大なクマさんだなんて」

「ふふふふふ」

「うふふふふ」

「……」

 一瞬。

 ほんの一瞬、嫌な予感がした。したのだけど、智代はそれを振り払って布を取り払い

 そして硬直した。


 何だこれは


 なんだこれは


 ナンダコレハ





「誕生日おめでとう、ねぇちゃんっ!もしかしなくてもプレゼントは僕だよっ」



 正解は黒いストラップ水着を着用した弟のセクシーアピールポーズである。

 ではあるのだが。

 よしんば視覚がそう伝えてくるのを脳が必死に拒んだとしても、誰が智代を責めることができるだろうか。

「ねぇねぇ、ねぇちゃん、どう思う、これ?ねえったら」

「…………」

「ん〜?不満気だね?じゃあさ、背中で語ってみようか。ふんっ」

 いくら筋肉を強張らせたところで、細身の体にストラップ水着では無様を通り越して不気味である。

「ダメかなぁ。じゃあ、M字開脚行ってみますか」

「ちょっと待て貴様」

 さすがに捨て置けなくなったのか、智代は低い声で唸った。

「鷹文。私は年頃の夢見る女の子だ。前提としてその時期の女の子は男子というものを上手く理解できないことが多いらしい。それを踏まえて聞こう」

「うん」

「鷹文、お前は今、何を着ている」

「セクシー水着」

「鷹文、お前は今、何をしている」

「セクシーポーズ」

「鷹文、お前は今、どう見えると思っている」

「超♪セクシー」

 ここまで会話が続いただけでも智代を讃えなければ酷であろう。十年前だったら泣いて逃げたであろう。一年前だったら蹴っていたであろう。

「……父さん、貴方の長男に何か一つ物申すことはないのか」

 話の矛先を父に振ってみた。

「そうだな……言いたいことは多々あるが、まずは取り敢えず鷹文」

「はい」

「なっちょらん」

「……え」

 厳かな顔で、父は言った。



「パピヨンのマスクを忘れているではないか」

「あ、そうだった〜」

「もう、この、おっちょこちょいさんめ〜」

「あはははは〜」



 石化した智代を尻目に、鷹文はアゲハチョウを模したマスクを父から貰うと、嬉々としてそれを装着した。

「ん〜、気分は蝶・爽快ってねっ」

「……鷹文」

 智代は、なけなしの自制心を振り絞って、弟と会話を試みた。

「お前は……何でそんな格好に」

「決まってるじゃないか。ねぇちゃんの目の保養のためにだよ」

「……そうか。私のためか。では、私が頼めば、普通に服を着てくれるのか」

「うん☆それ無理」

「……………………」

「これを装着しちゃったら、もう、普通の人間なんてやってられないじゃん」

「…………確かにそれを着けたら、普通の人としてやっていくのは困難だろうな」

 淡々とした口調で智代は答え、先を促した。

「今や僕は普通の人間を超越した存在、超人。いや、蝶人さっ」

 爽やかな笑顔で宣言する鷹文を見て、智代の最後の堤防が決壊した。ぶっちゃけた話、魔法少女であったら魔女になるレベルだった。

「そうか」

「うん」

「蝶人か」

「あは」

「もう、不可逆というのだな」

「ねぇちゃん、知ってるぅ?蝶ってさ、脱皮したらサナギには戻れないんだよぉ」

「そうだな……そうだった。サナギに還れないのならば、残る道は死あるのみだな」

「ん〜」

「鷹文」

「なぁにぃ」

 へらへら笑う鷹文に、智代は絶対零度の視線を投げかけた。

「贓物をブチ撒けろっ!!!!」

 次の瞬間、智代の足元が爆発し、

 鷹文の姿が消失し、

 居間の一角が瓦礫と化した。土埃が舞う中、智代は父親に詰め寄った。

「父さん、言わせてもらうがな、一体今まで家長として何をやってきたっ?!」

「時代はラブ&ピースだぞ?鷹文の趣味には口出しをせんつもりだが」

「少しは口出しをしろっ!仮にも坂上家の嫡男だろうがっ!!このままではこの家も絶えるぞ」

「でもさぁ、どうせさぁ、あと一歩で一家離散だったしぃ」

「ふざけるようなネタかそれはっ!!」

 と、その時、智代は体を強張らせた。背後に何か不気味な気配を感じたからである。

「……ふぅ。せっかく買った水着が、少し汚れちゃったじゃないか」

「…………まさか」

 智代が振り返ると、そこにはポンポン、と埃をはたき落とす鷹文の姿があった。

「……無傷……だと……?私の渾身の蹴りを受けて、か……?」

「無傷だなんて失敬だなぁ。それじゃあ僕は化物みたいじゃないか」

「今の私にとって、お前はまさに人外だ」

「ダメージは食らったって。その証拠にほら、服が台無し」

 そう言った時

 鷹文の水着の肩の部分が

 蹴りの衝撃に耐え切れず

 とうとう裂けて






 ぽろりっ


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」





「はっ」

 坂上智代が誕生日もあと数日という朝に目を覚ました時、最初に感じたのが頬を流れる涙の熱さだった。徐々に今のは夢だったという実感が湧いてきて、実際に智代は暫くの間安堵の涙を流した。

「夢で……本当によかった」

 そう智代が呟いた時

「ねぇ、ちょっと、ねぇちゃん大丈夫?今すごい声が聞こえたけど」

 智代の部屋に鷹文が顔を出した。

「お前は来るなぁああああああああっ」

「おわぶふぅっ」

 動転した智代の蹴りで閉まった扉を顔面に受けて、鷹文はノックアウトされたのだった。

































 見つめ合うと素直にお喋りできない






























 その日の朝、智代と鷹文は珍しく通学時間をわざとズラした。

 無論、智代にもわかっている。鷹文は至って普通だ。自分は悪い夢を見ていたのだ。夢から覚めた今、鷹文が変なことをしだすはずがないことはわかっている。

 そう、わかっている。理解っているのだ。

 それでも、起きる瞬間まで見せつけられた痴態が瞼に焼き付いて離れない。心配そうにこちらを見る顔が嫌らしい笑顔に歪むのがどうしても見えてしまう。

 終いには

「ねぇ、ねぇちゃ」

「ヒッ」

 ビクッ、と体を震わせて、智代は悲鳴を出してしまった。さすがにこれが続くと、いくらその後で弁解しても鷹文も傷ついてくる。

「智代、どうかしたのか」

 父が朝食の時に見かねて尋ねた。

「……」

「何かあったのかね?ケンカでもしたのか」

「え、し、してない……よ?ね」

「あ、ああ」

 確かにケンカはしていない。だから、そこは否定する。否定できる。だけど、次の質問がいただけない。

「では、一体何があったんだ」

 この質問を答えるには勇気が必要だ。

 すぅ。

「ではお答えしよう。父さん、鷹文がストラップ水着で私を襲おうとした夢を見た」

「……何だと」

「え」

「智代……それは本当か……?」

「……うん」

「ストラップ水着……あの股間と双肩を伸縮性のバンドで覆っただけの水着……あれだけか」

「ああ」

「ちょっ、まっ、ねぇちゃん」

「鷹文、ばっかもぉおおおおおおおおおおおん」

「ええっ」

「私は、ストラップ水着のみ着用で姉を襲うような漢にお前を育てた覚えはないぞっ」

「い、いや、普通親からそんな教育は受けないよね、つーか夢の話だよね」

「シャラップッ!まったく、だから智代がお前の側に寄りつかないんだろうが」

「……すまない、鷹文」

「……ねぇちゃん」

「まったく……何度パピヨンのマスクを使えといえばわかるのだ」

「……父さ……え」

「ほら、使え。使うのだ鷹文」

「あ、はい」

 パッ

「蝶★爽快ッ」

「いやだぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


(とかなる可能性がないわけでもないしな)

 こめかみ辺りがじわじわと痛むのを抑えつつ、智代は言った。

「本当に何もない……すまない、鷹文」

「……いや、別にいいよ。でもねぇちゃん気をつけてね」

「そうだぞ、智代。無理はいかん。特に、もうそろそろお前の誕生日じゃないか」

「ひっ」

「……」

「…………」

「す、すまない」

「……………………」

「……………………………………………………」

 という具合の朝食だったので、智代は通学路を浮かない顔で歩いた。こんなに憂鬱なのは、本当に久しぶりだったので、自然と視線が足元に行ってしまい

「っと」

「ああ、すまない……岡崎」

「ああ、智代か」

 知り合いにぶつかってしまった。自分とはどことなく似た雰囲気のする、一年上の先輩、岡崎朋也。

「おいおい、大丈夫か?何だか元気ないな」

「そうか……」

「生徒会長ともなると、いろいろ大変なんだな」

「まぁな……でも、私が望んだことだからな」

「……そっか」

「ああ。決めたからな。家族と一緒に、この桜並木を毎年見ようと。それが弟の」

 蝶・爽快☆

「…………」

「お、おい、智代、大丈夫か?お、おおい」

 冷や汗が頬を伝って流れた。目眩がする。今では弟という言葉だけであの不気味な蝶変態が頭に浮かんでくる。

「だ、大丈夫だから、な」

「いや、大丈夫じゃないだろ。保健室行くか」

「あっ」

 そう言って、朋也は智代に肩を貸した。

「でも、岡崎、授業は」

「一時限目はサボるためにあるようなもんだ」

「いや、それは違うと思うが……」

 ツッコんでみたものの、足元が覚束ないのではあまり力も出なかった。

「仕方のない、奴だ」

 誰にともなく呟くと、智代は朋也の肩に寄りかかった。





「じゃあ、坂上さん、ゆっくり休んでいるのよ。岡崎君はもう教室に戻りなさい」

「だが断る」

「ふーん……ま、いっか。どうせ授業に出ても寝てるだけだもんね」

「話が早いな。そのとーりっ」

「威張るようなことか……」

 はぁ、と智代はため息を吐いた。どうも朋也と、その相棒の春原がいると調子が狂う。でもまあ、そのイレギュラーさが、実は智代と何となくどことなく似ている気がする。

 ばたん、と保健室の扉が閉まると、静寂が訪れた。

「……いやに静かだな」

「だろ?時々ここに忍び込んでは寝たりしてるんだ」

「だから威張るなと……まぁ、いい。しかし、そんなに疲れているのか、私は」

「みたいだな。何かあったのか」

「うーん……」

 説明するとバカにされそうな気がして、智代は唸った。というより、普通の人ならバカにするだろう。夢のせいで家族とうまくいっていないというのは、言葉にしてしまえば少しばかりおマヌケな気がする。

 しかし、あるいは朋也なら。

 朋也なら、わかってくれるのではないだろうか。根拠はなかったが、なぜかふとそんな気がした。

「なぁ、岡崎。相談に乗ってくれないだろうか」

「え、なになに?人生相談?智代が俺の妹って設定?」

「……」

「…………」

「……………………」

「……………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………すみません調子に乗ってました黙って聞きます聞きますのでどうかその冷たい視線をやめてくれませんか」

「いいだろう。心して聞くがいい」

「……何でそんな尊大なんだよ……」

「ん?何か言ったか」

「いやいや。はい、どうぞ」

 朋也に薦められ、智代は息を吸った。

「実は……」

(智代が朋也に昨晩見た夢を説明している間、幻想世界の光景をご覧ください)

「というわけなんだ」

「そうかーおまえもーたいへんだなー」

「……ちょっと待て」

 智代が起伏の少ない声で言った。

「岡崎、何でそんな遠くにいるんだ」

「やー別にーつーかふつーだしー。別にー智代の話でー引いたとかーそんなんじゃないしー」

「滅茶苦茶引いてるだろっ」

「智代、どんなことがあっても、俺とお前はずっと他人だからなっ」

「他人なのかっ!友人ですらないのかっ!確かにこれは普通のキネマクラナ座じゃあできないネタだな全くっ」

「ははは、そう怒るなって」

「おまえが言うなあっ」

 ぜーはーと荒い息を必死で智代は整えようとした。

「と、とにかく、そういうわけでいろいろと大変なんだ。でも……どうすればいいんだろう」

「笑えばいいと思うよ」

「怒ってもいいか、もうそろそろ」

「すんません調子に乗ってました」

「まったく、仕方のないやつだ」

「とりあえず、もう少しその弟に慣れるとかはどうだ」

 案外真面目そうに朋也が言うので、智代も体を起こした。

「それができれば苦労はしないが……でも顔を見たりすると、あの気持ち悪い顔が浮かんできてだな」

「だから、顔を見ないで話しかけるとか……例えば一緒にTVを見ると、顔は画面に向かってるけど、話とかはするだろ?やばくなったら画面に集中できるし」

「岡崎……それはいけるぞ。そのアイディア、今夜試させてもらうぞ」

「おう」

 ぽんぽん、と智代の肩を叩いた。

 凛とした笑顔が返ってきた。





 その夜。

「鷹文……その、一緒にテレビでも見ないか」

「……うん、いい、けど」

 恐る恐る声をかけてみると、鷹文もどことなくぎこちなさそうに答えた。それでもオッケーはオッケーなので、二人でソファーに座り、テレビを点けた。

『……というわけで、次は僕にとって懐かしいこのミュージック・ビデオ。ジャイケル・マックソンの「Smooth Bad Thriller」』

 どうやらミュージックチャンネルだったらしく、軽い感じのする司会が満面の笑みで合図をすると、画面が一転して墓場が映しだされた。

「あ、ジャイケルだ。懐かしい」

 ジャイルズ・ケリー・マックソン。通称ジャイケル。今までになかったダンスとシャウトで「ポップの皇帝」とまで呼ばれたアーティストである。

「鷹文はジャイケルが好きなのか」

「ん、まあね。まあ、『Smooth Bad Thriller』は特にそうかな」

「そうなのか」

 よし、と智代は心のなかでガッツポーズを作った。画面を見ているからか、鷹文とも無事会話が成立できている。

「ん?何だ、墓場だったのが、ギャングが出てきたぞ」

「うん、この『Smooth Bad Thriller』は何だかハチャメチャなストーリーのPVで有名なんだ。あ、でも、ジャイケルのダンスもカッコいいんだけどね。ねぇちゃんは見たことあるの」

「そういえば……歌は聞いたことがあるかもしれないが、ビデオは見てないな」

「そっか。ジャイケルの踊りは一見の価値はあるよ」

「よし、鷹文がそう言うんだったら、見てみるか」

「ねぇちゃん……」

 鷹文の嬉しそうな声に、智代は勝利を確信した。これでトラウマは払拭され、私も鷹文も通常運転に戻るはずだ。

 と、思っていたのだが……

「……鷹文」

「何、ねぇちゃん」

「そ、そのだな、ジャイケルのダンスだが」

「うん」

「……腰をカクカク振り過ぎではないか」

「何言ってんのねぇちゃん。それがジャイケルのダンスの特徴じゃない」

「そ、そうか」

 しかし、大勢の若い男性が腰をカクカクさせながら迫ってくるのは、若い女性にとっては少し抵抗のある映像だ。無論智代にそのような経験があるわけでもないので、実際の場面に鉢合わせしたことはないのだが、いろんな友人の話を聞くうちに、「ああいう時」男性は得てして「そういうこと」をするのだと知識としてストックしてあったりするのだ。

「って、うわっ」

「あっ、クロッチ・ハット・フックだ。うわー、すげえ」

 クロッチ・ハット・フックとは、ジャイケルの代名詞的踊りの一つで、パナマ帽を股間部前面にある突起に引っ掛け、それを腰の動きでぐるぐる回したり、パタパタ上下させたりするものである。小道具が必要な分マーズスライドほど模倣者は多くはないが、知名度はダントツ一位だったりする。

「……っ」

 カメラがパナマ帽にズームするにつれ、智代は顔を赤くして俯いた。

(よくあんなものを直視できるな、鷹文は……はっ)

 その時、ふと頭のなかにある疑惑が浮かんだ。なぜ鷹文はこれを智代に薦めたのだろう。

 そもそも、このビデオは何だ。「俺はワルだ」と歌いながら若い男性たちが、オスの群れが性行為を連想させるような動きをシンクロさせているではないか。そう考えると、タイトルも「滑らかで悪くてスリルを感じさせるもの」と、卑猥な感じもする。

 こんなものを鷹文が勧めるということは

 まさか

 そういう集団で

 ワルな行為をしたいということなのか

「うわあああああああああああああああああああああ」

「ね、ねぇちゃん」

 急に大声を出した姉を呆然と見る鷹文。智代はそんな弟を尻目に、家を飛び出して走り始めた。

「ビリー・ジェーンは、私の恋人ではなかったのかぁああああああああああああああ」

「あ、それは別の歌」





「というわけで、とんでもない失敗だったわけだが」

 またもや保健室で、智代はぼやいた。腕に点滴の管が刺さっているのは、ジャイケルの件でものすごい心労を新たに背負い込んでしまい、不調どころの話ではなくなってしまったからだった。

「ちなみに岡崎、さっきからなぜそっぽを向いて体を震わせているんだ」

「い、いや……フプクッ……何でもない」

「そう、か?うむ。さて、どうすればいいだろうか」

「そうだな……ヒー……ふぅ。でも会話はできたわけだろ」

「うん、そうだな。そこまでは行った」

「だったら、この路線でもうちょっと頑張ってみないか」

 朋也の提案に、智代が顔をしかめた。

「私に、また変な番組を見せるつもりか」

「いやいや、そうじゃないって。例えばだな」

 朋也は窓の外に目をやった。

「桜の木の下に呼び込んで、桜を見上げながら話をしたり」

「おおっ、それはいいアイディアだな……しかし、何の話をすればいいんだ」

「何のって……趣味の話とか」

「趣味、か……ふむ」

 智代は考え込んだ。そう言えば

 鷹文の趣味とはどういうものなのだろうか?

 事故の前は、走るのが趣味だったと言えた。陸上部のエースだったと聞く。そう言えば彼女もいた。

 だが、事故のせいで足を負傷してから、もうそれもできない。もう、その頃のことを聞くことはできない。そういう話はするべきじゃない。そう考えていた。しかし、それでいいのだろうか。鷹文だって、生きていく上で前に進んでいる。新しい夢、新しい道を見つけていくだろう。もしかしたら、もう見つけているのかもしれない。

 もうそろそろ、鷹文の新しい世界を一寸覗いても、いいのかもしれない。

「感謝するぞ岡崎。道は拓けたっ」

 そういうが早いか、智代は点滴の管を勢い良く抜くと、すっくと立ち上がった。

「この戦、私の勝ちだ。私は諦めないぞ。鷹文の趣味を知るまでは。知って知って知り抜いて、そっちの方面で博士号が取れるほど詳しくなるまではな。ふ、ふふ、ふはははは」

「お、おい。落ち着け」

 どうどう、と宥める朋也。智代なら本当に博士号を取って「分野最年少の博士号授与 − 天才か?」などというセンセーショナルな見出しの下でピースしていそうだから怖い。

「お、すまない。とにかく、だ。これで進路は決まった」

「ああ。後は実行するのみだな」

「うん」

「頑張れっ」

「ああっ」

 ぽんぽん、と智代の胸を叩いた。

 智代が笑った。

 次の瞬間フックが飛んできた。岡崎朋也、入学以来初めて保健室を本来の利用法で満喫する。

 朋也が頭部複雑骨折により生死を彷徨っている間に、智代は教室に向かっていたが、ふと図書室が目に入ったので、少し寄り道をすることにした。

「失礼する」

 中に入ると、知り合いが裸足のまま読書に熱中していた。

(今日もここは平和ということか)

 ふっと微笑みを漏らすと、智代は学術書コーナーに向かった。手に取るのは「心理学入門」という本。

「会話によって相手のことを知るのならば、その裏にあるものも読み取れねばな」

 誰にともなく宣言すると、智代はページをめくり始めた。

「ふむ……ふむむっ……なるほど……ううむ……」





 坂上鷹文が下校時に携帯を点けると、姉からメールが一通届いていた。

『あの例の桜並木で待っている。話がある』

 鷹文は姉に何かがあったのだろうかと一瞬心配したが、すぐにそれを振り払った。姉に?何かが?恐らくはクマをも倒すような姉だ。

「うーん……何だろ。まさか恋に落ちた……なんて、ないよなぁ」

 頭を捻りながら鷹文が光坂高校まで来ると、何故か顔を包帯で覆った男 − 恐らくは姉と同年代ぐらいの − が立っていた。

「……あの」

「お前が、鷹文か」

「あ、そうですけど」

「智代の弟の」

「はい……姉はその」

 すると顔面ミイラ男はぽん、と鷹文の肩を叩いた。

「ねぇちゃんの言葉、受け止めてやるんだぞ。いいな」

「は、え、それって、はぁ」

 鷹文の頭が混乱しているうちに、その男はスタスタと歩き去っていった。鷹文は呆然と立ち尽くしながら、ねぇちゃんはもうちょっと知り合いを選ぶべきじゃないかなぁ、などと思ったりした。

「鷹文」

 不意に自分を呼ぶ声が聞こえたので、鷹文は辺りを見回した。

「え、ねぇちゃん、どこ」

「私はここにいる。ああ、だが鷹文はそのままでいてくれ」

「……はぁ」

 この時点で、鷹文は自分が悪い夢でも見てるんじゃないだろうかと思い始めていた。

「た、鷹文、そ、そのだな」

「うん」

 姉の声がどもる。何だかなぁ。何だろこれ。この、あたかもこれから告白しますけど恥ずかしいから顔は合わせたくないです、的なシチュエーション。これで趣味の話になったらお見合いだよね。そう思っていたら

「ご、ご趣味は」

「ありえねええええええええええええええええええええええええええ」

 思わずツッコんでしまった。

「い、いきなり大声を出すな」

「いきなり変なコト言わないでよっ!何そのお見合いで聞かれる質問第一位?!」

「お、お見合いだなんて、わ、私はお前にそんなケはないっ!むしろお前のほうが問題だろうっ」

「はぁ?何それ」

「え、あ、いや、こっちの話だ。そ、それより、趣味だ。そうだ、趣味だ趣味。お前の趣味を語るがいいっ」

「何でそんなに偉そうなの……まあいいけど」

 鷹文はため息を吐いた。まあいいや、どうせこれ以上何を言ったって、ねぇちゃんの言うとおりにするのが手っ取り早いんだろうし。

「えーと、プログラミングかな」

「ほう……」

「まあ、ネットとかもいろいろ見たりするけど」

「プログラミング、というと、やっぱりあれか、ハッキングとかか」

「何でそういう方向になるわけ……僕が手がけてるのは、ゲームだね。ゲームを作りたいなぁ」

 言葉にすると、失われてしまう。感情やアイディアなどの形のないものには得てしてそういう現象があると聞くが、この時の鷹文はむしろ逆だった。話せば話すほど、アイディアが浮かんできたのだ。

「ジャンルは……ファンタジーがいいかな。冒険系の、ね。あ、でも、普通のファンタジーじゃあつまんないよね……じゃあ、未来的ファンタジーはどうかな。破滅した未来の先にはファンタジーの世界が広がっているって感じで」

「いいんじゃないか。面白そうだな」

 智代に合いの手を入れられて、想像に拍車がかかった。

「そうだね……その世界では、人間よりも獣人の方が優れていて、人間は隅で震えているような存在なんだ。それで、それで……そう、ダンジョン!ダンジョンにしよう」

「……鷹文、ダンジョンというのは、牢屋という」

「そうだよ。ロールプレイでは典型的かな」

「ロールプレイ……典型的、だと」

「そう。あ、でも王道すぎるのもなぁ……よし、じゃあ勇者はいなくて、剣士が三人に、魔法使いが一人っていう設定にしよう……女の子が剣士ってのはどうかな」

「ちょっと待て。女の子だと?女の子が出てくるのか」

「え、そりゃあまあ。魔法使いっていう設定よりも、凛々しく前に出て戦うのがやっぱ受けるかな。で、四人とも有名な二つ名があって……実は女の子同士が敵ってのも斬新だよね。で、魔法使い……老人ってのはベタすぎるから……よし、小さな女の子の姿ってのもありかもっ」

「よ、幼女……!」

 智代が思わずという感じで声を上げた。それで勢いづいたのか、鷹文は次々とアイディアを口に出していった。

「武器は……実は杏仁豆腐だったとかどうかなっ!あ、で、案内役は各階ごとに違う奴が……そうだね、何かの感情を司るというか象徴するというか、そういう感じでどうだろう……うわあ、何だかすごいゲームが出来そうだ!ありがとう、ねぇちゃん……ねぇちゃん?あれ、ねぇちゃん?え」

 ふと気づくと、智代の気配は消え、鷹文は夕暮れの桜並木で一人ぽつねんと立ちすくんでいたのだった。





「というわけで、鷹文のアイディアと私の読んだ心理学入門によると、あいつは牢屋で鎖に繋がれながら幼女に獣のように扱われたいという願望があるらしい」

「な訳あるか」

 即座にばっさり切られてしまった。ちなみに例によって例のごとく保健室である。智代はあの後一晩中眠れず、体の衰弱に拍車がかかり、今日は心拍数をモニターする機械に繋がれていたりするのだった。

「しかし……これでは溝は広がるばかりだな」

「誰のせいだよ誰の」

 ツッコむ朋也も元気がない。それもそうだろう。あの後道行く人々に不審な目で見られ、結局家につくまでに六回も職質されたとしたら、誰だって精神的に参るだろう。

「でも、これ以上頑張っても、このままでは……うう」

「そう思うんだったら、道はひとつだろう」

 そう言って、朋也は智代に笑いかけた。

「ひとつ、だと」

「ああ。つまりだな、無理に回ると話がややこしくなるんだったら、もうぶつかっていくしかないだろ」

「そうか。やはりそうか。暴力に訴えるのはよくないとは思っていたが、生ぬるい方法ではダメみたいだな。よし、これから」

「ちょっと待て。何だか話が食い違ってないか」

「む?そうか?ぶつかってぶつかって、魂を削り合ってまでぶつかっていけ、と、そういうことだろう」

「そういうことじゃねーよ」

「まったく、さっきから何なんだお前は、人をバッサリ切ってばっかりだな。人斬り岡崎とでも読んでやろうか」

「やめてくれ、もう警察に職質されるのは……って、そういう話じゃなくてだな。俺がぶつかっていけというのは、もう全部かなぐり捨てて、裸で向き合ってだな」

 ポキポキポキ

「無表情のまま指鳴らすのはやめようよ、なぁ?言葉の綾だよ綾。だから、本音をぶつけろって、そういう話だよ」

 朋也がそう言うと、智代は拍子ぬけたような顔をした。

「何だ、案外普通のことを言うんだな」

「お前は俺にどういうことを言ってほしかったんだ」

「『ありがとう。お前のおかげで

「おっと、そこまでだ。とにかく、智代は鷹文に普通に祝ってほしいんだろ。まあ、結局そうなると思うけどな。でも心配なんだったら、ちゃんと向き合って話しあえばいいだろ」

「そうだな……でも」

 智代は俯いて、彼女にしては珍しくぼそぼそと言った。

「どうも、な、その、勇気がいる、よな」

「そりゃそーだ」

 いついかなる状況であれ、「誕生日にアゲハチョウの仮面を被ってストラップ水着で登場するのはやめてくれないか」と誰かに告げるのは、勇気が必要だと思う。

「よし、じゃあこれからマジで勇気のある奴のところに行って、勇気を出すコツを聞いてくるか」

「勇気のある奴……?そんな人が岡崎の友達にいたのか」

「いるさ。ていうか、ひでぇな」

「岡崎に友達なんていたのか」

「…………」

「岡崎に友達なんて」

「大事なことじゃないから二度も言うな。つーか二度と言うな。言わないで下さい」

 そう言いながら二人は保健室を後にして廊下に出た。

「しかし、いきなり出向いたりして迷惑ではないだろうか」

「まあ、智代も知らないわけでもないしな」

「そうなのか」

「ああ。そいつは、どんな強い奴を前にしても軽口を叩くし、どんな結果が待っていようと自分の思うことを宣言するし」

「おおっ!勇ましいな」

「ラグビー部の猛者の前にパンツを被って突撃したり、授業中に立ち上がって歌を歌い始めたりなんて奇行だって堂々とやってのけるし」

「……む?何だかおかしいな」

「どんなに死亡フラグが立っていても、体を張ったネタを見せてくれるスーパーチャーミングな敵役」

「……ああ、あいつか」

「そうっ!俺たちの愛すべきスーパーアイドル、春原陽平は」

 朋也は空き教室のドアに手をかけて

「ここにいるっ」

 ガラガラガラ


「杏ちゃん、降りて下さい。そこは私の席です」

「お姉ちゃん、ずるいよ自分だけ。私だってそこに座りたい」

「ふふん、ダメよ。陽平の膝の上は私の居場所って定石なんだから♪あんたたちはせいぜい隣に寄り添ってなさい」

「春原君、ウーロン茶どうぞなの」

「あ、ありがと。にしても……ふぅ……モテル男って罪だねぇ」

 アハハハハハハハハ


 ガラガラガラ、ピシャッ

「俺は何も見なかった」

「私は何も見なかった」

 朋也と智代は同時に言った。




 智代の帰り道の足取りは重かった。

「結局……何の勇気も得られないまま、帰るのか」

 はぁ、と嘆息する。自分でもわかっているのだ。自分が勇気を出して「パピヨンだけはやめてくれ」と言えば済むのだと。いや、いっそ「もうそろそろ私を卒業してくれ」ぐらいは言ったほうがいいだろうか。

 と、その時、智代の携帯が鳴った。

「もしもし」

『ねぇちゃん』

「鷹文……か」

『うん……あのさ』

 智代はどことなく鷹文の声色に違和感を感じた。どうとは説明できない。だけどどこか違う。自分たちのぎこちなさを差し引いても、あいつはこんな重くて堅苦しい話し方をしただろうか。

『ねぇちゃんさ……明日誕生日だよね』

「あ、ああ」

『ねぇちゃんは……やっぱ明日ぐらいは楽しく過ごしたいよね』

「ちょっと待て、鷹文。何を言おうと」

『僕さ、僕はさ、だったら、いない方がいいよね』

 一瞬、智代は凍りついた。

「鷹文……お前……」

『僕、明日はどっかいなくなってるから』

 背後でいろいろと音がした。だけど、次の言葉だけははっきりと聞こえた。


『ねぇちゃんは僕なしで楽しく誕生日を祝っててよ』


「いいか、鷹文。よく聞け」

 智代は静かに、しかしはっきりと言った。

「そこを一歩も動くな。動いたら、私はお前を一生許さない」

『ねぇちゃん……』

「すぐ行く」

 そう言って、智代は電話を切った。最後に聞こえた雑音で、鷹文の居場所は見当がついた。

 雑踏。

 電子チャイム。

 駅内アナウンス。

 智代は走り始めた。





「鷹文っ!どこだっ!!」

 銀色の髪をなびかせながら、智代は駅の中を駆けまわった。みんなが驚いてこちらを見ている。偏屈そうな老人が眉をしかめていた。見覚えのある制服を着た女子中学生が、こっちを見て指差して笑っていた。

 どれも些細な事だった。智代はそんな好奇の、あるいは迷惑顔の視線を振り切って走った。

 ジャージ姿の若者とぶつかった。詫びる間もなく突き飛ばされた。足がもつれそうになるも踏み留まって走る。

 誰かが捨てた紙袋に足を滑らせて転んだ。膝を擦りむき、肩に痛みを感じながらも立ち上がって走る。

 走る。

 走る。

 −−−いた。

 智代は鷹文の背中を見つけると、その肩に手を置いた。

「鷹文」

「え……ひっ」

「…………」

 智代としては「ねぇちゃんっ」「探したぞバカモノ」「うわーん」な展開を予想していたので、これは結構傷ついた。しかし、誰だって人類最強が髪を乱し膝から血を流したまま背後から声をかけたら肝を冷やすと思う。

「というか……ここはさっき見たはずだが、お前はどこにいたんだ?一歩も動くなと言ったはずだが」

「あ、それなんだけどね、さっき電話をかけたのが男性トイレの中だったんだよね」

「……」

「で、そこで待ってたんだけど、それじゃあ見つけられないよねって気づいて、あとすっげぇ邪魔っぽかったからさあべしっ」

 気づいたらでこピンしていた。思い切り手加減したので戸愚呂(弟)のような事にはならなかったが、それでも結構痛かったらしく鷹文は額を抑えて悶絶していた。

「お前は全く、救いようのないバカだな」

「……ってぇ」

「本当に、バカだな」

 そう言って、智代は鷹文を抱きしめた。

「ねぇちゃん……」

「いいか鷹文。よく聞け。一度しか言わん、なんてみみっちいことは言わない。わからなくなったら何度でも言ってやる。お前と私は家族だ。誕生日は家族で祝うものだ。だから」


 私は、お前に誕生日を祝ってほしい


「……うん」

「って、恥ずかしいことを言ってしまったな。よし、帰るぞ」

「え、ちょっ、ねぇちゃ、腕をひっぱっ……」

 鷹文の抗議の声を無視して、智代はつかつかと駅を出た。琥珀色だった空は濃紺に変わり、ビルの隙間から夕日が微かに見えた。

「……遅くなっちゃったね」

「そうだな」

「…………母さん、怒ってるかな」

「あまり怒らないと思うぞ」

「ん、でも書き置き残してきちゃったし」

「む、それはまずいな。早く帰るか」

「そうだね」

「それより鷹文」

「何」

「パピヨンだけはNGだ」

「………………はい?」







「誕生日おめでとう、朋也君っ!もしかしなくてもプレゼントは僕だよっ」

Oh……

 

 

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