ウィッチの目は見逃さない
解決編
苦味が口の中に広がった。ピーターズはもう一口啜ると、デスクにコーヒーの入ったマグカップを置いた。
「あ、警部補。さっきの件ですが?」
「はい、どうなりました?」
部下が顎で留置所の方を指した。
「今夜はあそこにぶち込んで、頭が冷えるのを待ちましょうや。連中、まだ興奮気味ですしね」
「女性を三人がかりで、しかもナイフを使って脅していたんです。暴行罪に、対人法十八条未遂も付け加えてやってください」
「しかしねぇ」
部下が頭をポリポリ掻いた。どう考えても乗り気じゃないのが見て取れた。
「何か?」
「いやねぇ、そうしたいのはやまやまなんですが、相手が何せ、例の魔女の娘、でしょ?」
「……エリザベス=ヘンリーに関する報告書は現在作成中です。彼女が何かできるとは立証できておりません」
「や、それはわかります。ただ、連中がもしナイフを取り出したのが自己防衛のためだとか言いだしたら、難航しますからね」
「こちらが目撃した限りではそうは見えなかった。あの三人はミス・ヘンリーに対して敵意を抱いて接近しました」
そう。
敵意を持って接近したのだった。
ナイフを持って。
なのに、無傷。
エリザベス=ヘンリーはなぜパイロプトを使わなかったんだ?
アンディ=ヒギンズの場合、言動のみでパイロプトが発動した。危険性を考慮すれば、今頃あの三人が消し炭になっていても、おかしくはない。いや、逆に無傷であることが不自然だ。
「まあできるだけのことはしてみますよ。でもまぁ、結局は裁判官次第なんですけどね。あんまり悪い印象持ってないといいんだけどなぁ」
そう言うと、部下がドアのほうに歩きだして、
突き飛ばされた。
「何だあんたはっ!」
「ピーターズ!ピーターズはいるか!?」
息を切らして、鬼のような形相でライアンが入ってきた。ピーターズを見つけると、素早く歩み寄り、噛み合わせた歯の間から静かに言った。
「エリザベス=ヘンリーに合わせろ。今すぐ」
「え?でも彼女は今別件で……」
「悠長なことを言ってる場合じゃないっ!下手をすると」
ぐっと顔を近づけて囁いた。
「この署ごと炎に包まれるぞ」
ライアンの姿を見ると、エリザベスはようやく安堵の表情を見せたが、その真剣な表情を見ると身を固くした。
「お譲ちゃん、時間がないから単刀直入に聞くぜ」
固い声でライアンが言った。
「弟さんの薬、あとどれくらい持つ?」
それを聞いた途端、
エリザベス=ヘンリーの中で
彼女を束縛していた物がようやく切れた。
「……あと二十分です」
懺悔するかのように、エリザベスは告げた。
「そうかい。じゃあ詳しい話は後回しにして、今は生き残る話だけをしよう」
同席していたピーターズがぴくりと眉を動かした。
「生き残るって、どういう……」
「説明している暇はない。本当にないんだピーターズ。ただ俺の言うことをよく聞いて、そのまま実行してくれ」
二分後、ピーターズはライアンに食ってかかった。
「そんなこと、おいそれとできるわけないじゃないですかっ!わかってるんですか、それは人権無視で……」
「死んじまったら人権もくそもないんだよ、いい加減わかれよっ!」
負けじとライアンが怒鳴り返す。
「いいか、こうでもしないと、この機会を逃すと、ヘンリー一家のウィッチは焼き続けるぞ。人が死に続けるんだ、これはそういう話なんだよ」
「……わかりました。やってください」
ピーターズが驚いてエリザベスを見た。
「でも約束して下さい。弟は……」
「言っただろ、お譲ちゃん。アドヴォケートは調停人だ」
上着を引っ掛けながら、ライアンは言った。この時、彼は警察署に入ってきて、初めて破顔した。
「バッドエンドを何とかするのが、俺たちの仕事だ」
いつ起きたのかわからない。
長い間、眠っていた気もするし、今でも夢の中、という気もする。
手足の感覚も、夢現の区別がつかずにもがくのみ。
いっそ、全てが夢であってくれたらよかったのに。
いっそ、全てが嘘で、現実が白紙で、やり直しがきけばいいのに。
それこそ、夢のような
「起きる時間だぜ、坊ちゃん」
声がする。
優しさも威圧感も同情も蔑みも何もない、ただ事実を伝えるだけの声。
「夢の時間は終わりだ。あんたはこれから目を覚まして、自分の目で物事を見るんだ」
自分の、目
「あんた、見えてるんだろ?」
「誰ですか?」
「アドヴォケート……なんつっても知らねえよなぁ」
「敵ですか」
「やめときな、坊ちゃん。あんたの能力では、ここにいるおいちゃんは殺せねえよ」
「……何を知ってるんですか。さっきから知った風な口を利きますね」
「それはな、坊ちゃん。そいつはだな」
知ってるからなんだよ
そうその男の人は言った。
「おいちゃんはな、仕事だから坊ちゃんみたいな人といっぱい知りあって来たんだ。だからまぁ、坊ちゃんの気持ちもわからんでもない」
何を
何を言っているんだこの人は
「わからないでもない、だって?」
笑いが口から洩れる。
「あんたに、人を焼き殺すってのが、どんな気分かわかるんですか?目の前で皮膚が黒く焦げて剥がれ落ちていくところを見なきゃいけないのが、どんなのか?苦悶の顔を浮かべた口が大きく開いて、中がどんなふうになっているかを見せられる気分が、わかるって言うんですか?」
「全部、守りたかったんだろ」
「全部、守りたい人たちだったんだろ?お袋さんもお姉ちゃんも」
「……」
「お前の能力な、まあ二つともだけどな、強い思いがなきゃ発動しない、そういう魔法なんだ。一つ目は家族を思う気持ち。もう一つは自分を守りたい気持ち。この二つが重なって、ようやく起きるんだよ。だからな、おいちゃんは坊ちゃんのことを、そう一概に悪って決めつけられない」
ちがう
違う
チガウ
「そんな崇高なものじゃないんです。僕は、僕はただ見たかっただけなんです、また外の世界を。だからお母さんやお姉ちゃんに甘えた。それだけなのに」
殺した。
焼いた。
脅した。
「それはな、甘えって言うんじゃないのか?」
「え?」
「甘えだよ。お前さん、お袋さんやお姉ちゃんに世界を見せてもらってたんだろ?そいつはな、つまりこの人たちなら、って思ったんじゃねえか?」
家族への思いじゃないか、と男の人は言った。
「ただまぁ、今回は頼りすぎちまったな」
「え?」
「お姉ちゃんの話だ。お姉ちゃん、倒れちまっててな、意識不明なんだ。全力で何とかしようとはしているけどな」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。その証拠に」
今繋がっていないだろ?
そう。
姉にいくら呼びかけても、返ってくるのは闇だけだった。
こんなことは、今までなかった。
もしかすると
もしかすると本当に
「だから」
もう甘える時間は終わりだ。
もう頼りっきりの日々に幕を閉じよう。
これからは
「自分の目で」
世界を見ろ。
「はい……わかりました……はい、そう伝えます……はい」
ピーターズは携帯電話を切ると、エリザベスに向き直った。
「弟さんが、保護を受け入れたそうです」
はっ、と小さく息を呑む声が聞こえた。エリザベスの頭を覆っている黒い魔遮の頭巾が震えた。
「弟は、無事、なんですか」
「無事に全部終わった、そうデイヴィーズ氏は言ってました。だけど一応その魔遮の頭巾は被っていてほしいとのことです」
魔遮の頭巾とは、文字通り魔法の干渉を遮断する布でできた頭巾のことである。視界を完璧に遮るため、対象には少なからず精神的圧力がかかり不本意な対象にしてみれば拷問ともとれるのだが、ライアンはこれをエリザベスに被せるしかない、と言っていた。
荒い息。壊れたようなため息とともに、エリザベス=ヘンリーは泣き始めた。
果たしてそれは両親を含む犠牲の重みを訴えるものか、自分が解放されたという安堵感からか、それとも全てが無事に終わったということからなのか、ピーターズにはわからなかった。
デイビッド=ヘンリーが失明したのは、九歳の頃だった。
サッカーをやっている最中に壁に激突し、そして脳挫傷により光を失った。
しかしここで二つの奇跡が起こった。
一つは父親ジェームズ=ヘンリーより受け継がれてきたパイロプトの能力開花である。皮肉なことに、デイビッド=ヘンリーは失明した事故によって、目視した対象を炎上することのできる能力を手に入れたのである。しかし、ここで疑問が湧く。何故パイロプトの能力は開花されていなかったのだろうか。これは適切な保護や修正もなしにデイビットとエリザベスを一般市民と生活させる期間を延ばし、結果このような事件を起こした要因とも言える。
魔法とは能力の一つである。そして一個人の能力には限界があるため、何かに秀でていたら、別の何かをする能力が欠如していることがよくある。この原則は魔法にも当てはまり、何らかの力を持っている者は、他の力を持つことはできない。つまり、一個人が自由自在に使える魔法は、一種類に限定されるということである。無論例外はあるし、抜け道もある。高い能力値を持つ者同士を交配させることにより、総合能力値の高い個人を生み出すことは可能であり、またそういうことを古くから行ってきたマギやウィッチの家系はある。そして何らかの由来を持つ遺物やアイテムは、それ自体が契約の道具であるため魔法のベクトルが違えども、契約を使うことができればその遺物の能力を引き出すことができる。
しかしそれはあくまでも例外の話。マギやウィッチのサラブレッドは、百年単位で作り上げてきた血統がなせる業であり、また遺物やアイテムも知られている範囲ではコングレスや教会が厳重に管理している。ヘンリー一家のような庶民的家庭には縁のない話である。
そう
ジェームズ=ヘンリーのパイロプトが子供たちに開花されなかった理由は、そこにある。
結局、キャサリン=ヘンリーもまた魔女だったのだ。ただし人々の恐れた魔法とは全く無縁な形で。
キャサリン=ヘンリーの旧姓はモーアズという。この家系には微弱ながらも魔法の才能があり、それは結局デイビッド=ヘンリーの代まで受け継がれていた。ただ、これと言って用途のない魔法であり、またモーアズ家は魔法の使用は一家の存続を危ぶむ物と考えたために使用を控えたため、誰もそれに気がつかなかっただけだった。
モーアズ家に伝わる魔法を「グライアイ」という。
ギリシャ神話に登場する三人の老婆の名前にちなんだこの魔法は、英雄ペルセウスを助けたその老婆たちの習慣と酷似していた。三人の老婆は、互いに歯一本と目一個を共有していたのだった。
グライアイ。その能力は契約者内での限定的な視界の共有。
非常に限られた魔法ではある。まず、人媒魔法であるから契約者は家族に限られる。そしてできることと言えば見ている景色を一緒に見るだけ。音声も共有されず、同時に何人もの人間と視界を共有することもできない。また、人媒魔法であるからそれを強く求めなければ使えず、集中力が途切れればそれで魔法も解ける。
しかし、そんなコングレスから見れば取るに足りない魔法も、組み合わせによっては最悪の結果を招く。
デイビッド=ヘンリーに起こった、もう一つの奇跡とは、パイロプトの能力が開花されたにもかかわらず、グライアイの能力は失われなかったということだった。
「二〇〇〇年の事件の発端も、無関係ってわけじゃなかったんだ」
ライアンは紫煙を吐き出しながら、公園の緑、その先にある物を見るかのような遠い目をした。
「あの頃近所でボヤ騒ぎがあったって言っただろ?あれはデイビッドの才能が開花し始めたことを意味する。そしてそれについて口論があった」
「ちょっと待って下さい。そんな事件があった時点で、何でアドヴォケートもコングレスも動かなかったんですか?」
「ああ……まずアドヴォケートだが、要請がない限り動かないのが原則だ。調律師がしゃしゃり出ていたら、それこそ混乱ばかり起きるだろ」
ピーターズは何か言おうとして、そして黙り込んだ後頷いた。
「次にコングレスだが……あまり気に留めていなかったんだろうな」
「気に留めていない?憎い相手を炎上させるような危険な魔法を?」
「あんたらの規模じゃあ、そりゃあ大事だよな。だけどな、コングレスの中ではそれこそ世界を変えちまえるような魔法をひょいと使えるような奴もいるんだ。まあ無論制御化に置いているがな。逆に人を一握り殺せるような魔法なんて特に大したことじゃない。そんでもって、ヘンリー一族の魔法は、ここんところ減少の傾向があった」
「減少……ですか」
「ああ。死んだジェームズ=ヘンリー、いやその祖父の世代辺りから、すでに魔法は使えていなかったんだ。デイビッドの場合はたまたま隔世遺伝と頭部へのショックで、それが全部繋がった、って感じかな」
夏の風が二人の頬を嬲った。
事件が一応の収束を迎えてから半年たったある日、ピーターズ警部のもとにライアンが顔を出した。エリザベス=ヘンリーを襲った三人には執行猶予が下されたが、当のエリザベス=ヘンリーはショックから立ち直れずに、人知れずこの町を去った。噂を残したまま、ヘンリー一家の魔女狩り事件の真相はうやむやになった。それがこの件に関する一般認識だった。
「だからな、ジェームズのパパにしてみれば、怖かったんだろうな。さっきも言ったように、キャサリン=ヘンリーとその子供たちには、モーアズ家の能力が備わっていて、実際に稼働していた。だから、ジェームズを除いたヘンリー一家は、目に関する魔法を使えたというわけだ。まぁ、大っぴらには言わないだろうがな、そこは家族だからパパさんは知ってただろう。で、だ」
「……事故の後、息子が炎の魔法を使いだした時に」
「ああ、思っちまったんだろうな」
この化け物。
化け物どもめ。
魔女の血を引く化け物家族め。
「そうしてパパさんは勢い余ってママさんを引っ叩いて、それをママかお姉ちゃん経由で見ていたデイビッドが危ないと感じ」
「炎上、と」
ライアンは黙って煙草の火をもみ消した。
「この町に着いてからしばらくして、あのヒギンズがいろいろやっちまっただろ?あれの結果として警察が動き出した時、キャサリンとエリザベスは話し合って決めた。母親が自首して、子供たちは遠いところに行くと。まあ自首したとしてもやっぱり証拠が足りないわな。それにその時点で俺達がキャサリンを保護する手筈は整っていた。これは自動的なものなんだよ。ウィッチやマグスが警察の御用になると、アドヴォケートに連絡が行って保護することになってる。だから、要はそれまでの間にどうやってデイビッドに事態を悟られないようにするか、だ」
「どうしたんですか」
「グライアイは一対一の視界の共有だ。グライアイには目が一つ。だから使用中の回線は使えない」
「それって、エリザベスがキャサリンと繋がっていれば」
「デイビッドは割り込めない。はずだった」
ピーターズは思い出した。キャサリンが自首した時、エリザベスは怖い顔でじっとキャサリンの乗った車を見ていたことを。
もしあれがグライアイを使用している際の意識の集中だとしたら
「あ」
だとしたら、その集中を妨げたのは
「しかし最後の最後でエリザベス―キャサリンの繋がりは切れてしまった。そしてデイビッドがキャサリンに繋がり、恐慌をきたして」
断末魔が聞こえる。
四人の人間の断末魔。
俺は、あの時エリザベスに何をやった?
肩に手を置いた。
(心配なさるのはわかりますが、大丈夫ですよ。何もなければ数日で釈放されます)
話しかけた。
「それからはエリザベスのやり方は変わった。グライアイを完璧に封じることにしたんだ。そしてそのためにデイビッドには常に寝てもらっていたというわけだ」
弟さんの薬、あとどれくらい持つ?
「睡眠薬で、ずっと眠らせていたんですか」
「そういうこった。だからあの時の譲ちゃんには、魔法が使えなかったのさ」
しばらくしてピーターズが頭を抱え込んだ。
「俺……俺がパトカーのみんなを焼き殺しちまったんですか……俺が」
「どうかな。お前が声かけなくても、他の警官だっているところに立っていたんだ。大体、警察署に着いたとしても、こっちも一瞬にして行けたわけじゃないからな。苦肉の策だったが、穴が大きすぎた」
だから手を出すなって言ったんだよ、とライアンは呟いた。
「あの二人は、どうなったんですか?」
別れ際に、ピーターズが聞いた。
「デイビッドには、あの手の魔法は強すぎだからな。使えないようにしたさ。魔法ってのはとどのつまり、ないに越したことはないからな」
「どうやって?魔遮の布でも使ったんですか」
ライアンはきょとんとした顔をすると、苦笑した。
「いいや。目が見えなくなったからパイロプトが使えるんだったら、目が見えるようにしてやればいい」
「……義眼ですか」
ゆっくりとうなずいた。
「ただまぁ、コングレスはいい顔しなかったがな。登録された魔法が断絶されるのは、連中好きじゃないんだよ。これでパイロプトとグライアイの奇妙な組み合わせがなくなっちまう、と考えるとな」
「それでも説得したんですか」
「いや、交渉したんだ。言っただろ、俺は交渉人だって。どっちかの顔を立てるんだったら、それなりの代償を払うさ」
「……この場合は?」
「エリザベス=ヘンリーの身柄の確保、及び将来子供ができた場合その子供の登録と訓練機関への入籍」
「身柄の確保って……」 ピーターズが怪訝そうな顔をした。
「心配なさんな」ライアンは笑いかけた。「コングレスってのは、魔法から一般人を守るための機関じゃない。数が少なくて差別と暴力に晒されがちなウィッチやマギを、狂走しがちな一般人から守るためにあるんだ」
魔法が使えていいことなんて、一つもないからな。
そう最後に締めくくって、ライアン=デイヴィーズはピーターズ警部の前から姿を消した。