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ウィッチの目は見逃さない

 

 

捜査編

 

 私には見えていた。

 母さんを連れて行った男は、始終薄気味悪そうに母さんを見ていた。無知な悪意が体中に纏わりつき、気持ち悪かった。まるで大きな蜘蛛の黒い糸に体中を締め付けられるようだった。

 車は町を早めに通り抜けて行った。助手席の男がラジオで何かを言う時以外は、誰も一言も喋らなかった。

 重い空気。

 喉に石を詰め込まれたみたい。

 そして車は駐車場に入って

 そこで

 

 

 

 カチリ

 火花が散り、小指の先ほどの焔が浮かび上がる。神経質になっている警官の鋭い視線を無視して、ライアンは煙草に火をつけた。

 イギリスのパトカーは白地に青と発光系の黄色のチェックがスタンダードである。そしてほんの数分前、この物体はそのような外見だった。

 塗装はすべて燃えて黒ずみ、窓ガラスは割れている。内部を覗くと、人工革のダッシュボードも布製のシートも跡形もなく消え、金属製の細い骨が大雑把に何がどこにあったかを示すのみだった。内部にいた四人の乗客に至っては、痕跡すら残っていなかった。

「監視カメラを見た結果、こいつが警察署の駐車場で停車した途端に炎上した模様です。状況から判断して、内部からの発火かと」

 ピーターズが渋い顔を精一杯押し殺してやってきた。

「火の回りが早かったようで、異常を察知した奴が消火器を持って出てきたときには、もう手遅れだったようです」

「まあ、そうだろうな。ヘンリー一家の能力を考えれば、そうなるわな」

「能力?」

「そのうちじっくり聞かせてやるよ。それより、通信記録とかそういうのはないのか?」

「あ、はい、こちらです」

 ピーターズはライアンを署内の一部屋に連れて行った。ヘッドホンと何らかの音声再生装置が机の上に置いてある。ピーターズは素早くヘッドホンを抜くと、机の下にあった段ボールからスピーカーを二つ取り出し、接続した。そしてカセットを再生機に滑り入れると、ボタンを操作する。

「ここです」

<665、署に入る。取調室、どれが空いてる?>

<D55が今フリーだ>

<了解……っと。よし……おい、どうし……あがぁああああああ>

<おい、おいどうした!665!>

「ちょっと待て」

「え?」

 若い警官の断末魔を聞いて若干白くなった顔を向けながら、ピーターズが聞いた。

「今の絶叫のところ、繰り返し聞きたい」

 白い顔が蒼くなっていく。

「い、今のところですか?」

「ああ。全員が何を言っているのかを聞き取りたい」

 ピーターズの目に畏怖と拒絶の色が浮かんだ。この人は何を言っているんだ?ひとの断末魔を、あれを繰り返し聴こうなんて、聞いていられるなんて、どういう神経をしているんだ?

「……別に俺一人でいいぞ。ヘッドホンを貸してくれ」

「ええ……何かほかに入用でしたら、呼んでください」

「紙とペン、くれないか」

 胸ポケットからボールペンを、そして机の引き出しからA4用紙を二枚取り出すと、ピーターズは安堵のため息とともに部屋を出た。ドアが閉まる前に振り返ると、熱心にヘッドホンを耳に押しやるライアンの背中が見えた。

絶対にまともじゃない。

 

 

 

「魔法 − まあ、俺らはマギア、って呼んでるんだがな、それは二つに分けられるんだ」

 コーヒーを啜りながらライアンは切り出した。カフェのテーブルの上にはローカル紙が畳んで置いてあり、「魔女、自殺?」というトップの見出しが上にされてあったのが妙にピーターズの癪に触った。

「まず魔法ってのはな、この世界との契約なんだ。まあ、宇宙を自在に操れる奴なんざ俺は聞いたことがないんで、この星と契約してると考えてくれ。魔法を使うってのは、この星に何らかの方法で力を貸してもらうってことだ。空を飛びたいんだったら、何らかの反重力を使用するわけだが、人には持ちえない力を星から借りるってわけだ。ここまではわかるか?」

「ええ……まぁ」

 おずおずと頷く。

「で、星に直接契約を持ちかけることをガイオマギー、星渉魔法、というんだ。これはつまり星に何らかのメッセージを送ることで力を貸してもらうわけだ。あるいはあらかじめ何らかの契約を行い、そしてメッセージを送ると力を貸してもらう、とかな」

「メッセージ?」

「いちばんいい例が魔方陣だ。地面に記号書いて、それで力を貸してもらうことになる。まあ、星と対等にタメ口聞ける奴なんてざらにいないから、ほとんどはマギの連中の使うのがこれだな」

「マギ?」

 いきなり出てきた単語に、ピーターズは困惑した。

「マグスの複数形。つまり星と契約を交わして、力を借りることができる連中だ」

「はぁ……それでマギなら誰でも何でもできるんですか?」

「あんた、射撃うまいか?」

 唐突に話題をがらりとライアンが変えた。

「は?え、あ、まぁ」

「そいつは才能か?努力か?」

「両方……かな?限界があるのはわかってますけど……」

「魔法、特に星渉魔法はそれと同じだ。要は交渉術さ。努力して経験積めば何とかなるところだってあるし、才能がモノを言うこともある。結局星と交渉して、要求を飲ませればいいんだ」

「あれ、そうするともしかすると普通の人でもマギになれるんですか?」

「まあそうとも言えるが、向き不向きはあるわな。誰でもサッカー選手になれるわけじゃないし、警官も弁護士もミュージシャンも、そいつに向いてるからできる職業だろ?とどのつまり、訓練に訓練を重ねれば、誰でも初歩中の初歩をやることはできる。でも向いている奴はそれ以上のことが可能だし、才能があれば世界をどうとでもできる」

「はぁ……じゃあもしヘンリー一家が星渉魔法を使っていたら、魔方陣とかがあるわけですか」

「星渉魔法を使っていたらな」ライアンは内ポケットに手を伸ばして、渋々引っ込めた。そして胸の中で禁煙法を恨んだ。

「使って……ないんですか?」

「星渉魔法ってのは、大雑把なところがあるんだ。例えば俺が雷系の星渉魔法を、あの黄色い車に放つとする」

 ライアンの指の先を追って、ピーターズは黄色いミニに目をやった。

「あれですね」

「ああ。しかし星渉魔法をピンポイントであれに中てるのは難しい。例えば、あのスポットに雷を落としてくれって頼む場合、星はその契約通りのことしかしない。つまりあれが動きだしたりすると、あの車にはもう当たらないことになる。追尾能力なんてないんだ」

「はぁ」

「で、今度は『黄色いミニに雷を当てる』という契約に変えるとする。すると」

「今度は無差別にすべての黄色いミニに雷が落ちる、ってわけですか」

「あるいはどっかの関係ないミニ一つがな。へたすりゃ、すべての車に落ちるかもしれない。今回みたいに、一人の男を焼き殺したり、ドアホの目の前に炎の壁を作ったり、車の中だけを炎上させるには向いていない。無論、さっき言った才能のある奴なら、契約内容を自分の好きなように設定することができるが、そんな奴はコングレスの中でも十人いるかどうか、といったところだ」

「でもそれじゃあ……もう一つの魔法、ですか」

 にやり、とライアンが笑う。

「そうだ。人間の体を媒体とする魔法だ。アントロポマギー、人媒魔法と言うんだが、こいつは契約を体の一部で行っているわけだ。例えば掌から水を召喚できる人媒魔法があるとするだろ?そういう場合、大体は手の骨の中に何か刻まれていたりする。人媒魔法は何らかの感情により発動するんだが、それはつまり特定の物を狙うことができるというわけさ」

「……例えばあの老人が店長に魔法を仕掛ける場合、感情の対象になっているのは店長だからどこに行こうと店長だけを狙うってことですか?」

「そういうことだ。まあ人媒魔法も星渉魔法の一部だから、人媒魔法の方が弱いんだけどな。こういういろいろできる点、そして契約が既に組み込まれているから予備動作が必要ないというのが人媒魔法の強みだ」

「ヘンリー一家は人媒魔法を?」

「そう思ってちょっくら北まで行ってきた」

「北?」

「マンチェスターにアドヴォケートの支部があるんだが、恐らくロンドンよりも近いことからして、ヘンリー一家はそっちに登録されてる可能性がある」

「家族が登録、ですか?」

「魔法ってのは遺伝されるものなんだよ。ほら、駆けっこがうまいガキの親父が昔大学で陸上部だったとかあるだろ?魔法を交渉術と考えれば、そういうスキルも遺伝されてもおかしくない。で、人媒魔法の場合、契約が体内に刻まれてることからして遺伝の要素はもっと強い」

「……背の高い奴の子供が背が高いように?」

「そういうこった。ああ、ちなみに人媒魔法使う奴のことをウィッチと呼ぶわけだが、こいつらも外見上は全く普通なんだ。契約だって見えないところにある。だからどこのどいつが何できるかっていう記録が必要なわけさ」

「で、ヘンリー一家の登録された情報ってのは?」

 ライアンは自分の目を指さした。

「邪眼の一種だ。炎系で、目標を燃やすタイプなんだが……」

 ライアンは傍にあった朝刊を指さした。

「ちなみにこれは公式見解か?」

 記事の書かれ方は、キャサリン=ヘンリーが魔女だということ、そして彼女の死によって事件は終結したという事を強く匂わせていた。

「公式見解はノーコメントです。一応捜査は続行中」

「それはよかった。で、非公式には?」

「その記事と大同小異です。捜査の続行は、半分グロウヴズ警部とパトカーに乗っていた他の二人の遺族を納得させるため、そして安易に魔術とかの存在を肯定しないためです」

「そうだな。ああ、ちなみに公式文書では絶対に魔法とかが存在するなんてことは書かないでくれ。あと、アドヴォケートの関与もな」

「は、はぁ……何か不都合でも?」

「……いろいろとな」

 顔を背けると、ライアンは椅子の横に置かれた鞄から、フォルダを取り出した。

 

「で、だ。果たしてキャサリン=ヘンリーは炎の魔女だったのか?」

 

 ピーターズはライアンの目に挑発的な光を感じ取って、一瞬逡巡した。

「……違う、と言いたいんですね?」

 くたびれた背広の内ポケットから、ライアンは四つに折った紙を取り出した。

「これ、さっきの断末魔の記録な」

 ぴくりとピーターズが眉をひそめた。

「あの断末魔、一人のものじゃなかった」

「……何だって?」

「悲鳴はな、警官の声が三名。キャサリン=ヘンリーの声は当初はない」

 ピーターズの目が見開かれた。吐き気がこみあげてくる。

 三人の警官があの車の中で焼き死ぬ光景を思い浮かべたからではない。

 

この人は

人の断末魔を

聞き分けた?

 


目の前でコーヒーを何事もなく啜るライアンが、人の皮を被った何かに見えた。少なくとも人じゃない。まともな、良心をもった人間じゃない。

「ここで問題だ」

 とんとん、と朝刊を指で叩いた。

「もし自殺なら、何で他人を焼いた?自殺は、自分を殺すことだろ?」

「え?」

「ああ、そうさ。走っている車の中で、運転手含む乗員を全員炎上させることは自殺行為だ。だけどな、自殺行為は単なる結果を指した言葉だ。目的を指しているわけじゃない」

「で、でも……その、死んだ人のことをどうこう言うわけじゃないですけど、グロウヴズ警部は、その、あまり理解を示さない人だったんで……そういう人に対して怨恨を含んでの行為だったら……」

「道連れ、という線は確かにある。だけどな、さっき言っただろ?キャサリン=ヘンリーの断末魔は聞こえなかったって?つまり」

「あ」

 キャサリン=ヘンリーは炎に包まれなかった。

「それじゃあ……キャサリン=ヘンリーが乗員を道連れにしたんじゃなくて、むしろ道連れになった?」

「本末転倒もいいところだ。これじゃあ自殺、とは言えないだろ?」

 ピーターズは喉元に手をやって、ネクタイを緩めた。ボタンを外しても、息苦しさは続いた。

「よくわからない……それじゃあまるでキャサリン=ヘンリーは……」

 フォルダが開かれる。中からホチキスで留められた五ページほどの紙が取り出される。

「これはマンチェスター支部の登録書だ。これを見てどう思う?」

「……フレデリック=ヘンリー。登録日一九一二年五月二十二日。パイロプト……パイロプト?」

「目によって捕捉された目標の発火。つまりヘンリー一家にはその能力があるってことなんだが……変じゃないか?」

「え?」

「パイロプトは、ヘンリー一族の血が遺伝しているものだ。つまり苗字が同じでも、外部の人間には、受け継がれない」

 

 同じ苗字で

 外部の人間

 そう、例えば

 

 

 キャサリン=ヘンリー

 

 

「まさか……」

「そうだ」

 ライアンは断定した。

 

「キャサリン=ヘンリーにはパイロプトは備わってなかったんだよ」

 

 

 

尋問記録より抜粋

対象:アンドリュー=ヒギンズ
尋問者:ライアン=デイヴィーズ

 

― ヘンリー一家のところに行った時のこと、全部話してくれないか

話すことはもう全部言ったよ。あんたら、同じ話を聞いてて退屈しないのか?

― 全部じゃない。まだ聞いていないことがある

……わかったよ。何を聞きたい?

― あのアパート群に行った時、あんたはキャサリン=ヘンリーに会ったのか?

会ってねえよ

― じゃあ、ヘンリー一家が炎を使ったとお前が言いふらした根拠は?

窓のところに人影が見えたんだよ。あいつら、じっと俺を見下してやがった

― あいつら?キャサリン=ヘンリーだけじゃなかったのか?

あまりよくは見えなかったけどな。恐らく娘だろ

― その時お前は何を言っていた?記録には悪態をついたとされているが、もっと具体的に

……そりゃ、酔った勢いでよ……

― その辺の事情は聞いている。私情は挟まずに、事実だけを言えばいい

「この魔女め!」とか「出てっちまえ」とかは言ったさ

― もっと具体的に。実際に何を言ったんだ?

……「くたばれ、この人でなし共」。酔ってたんだ

― それから?

……「これからぶっ殺しに行ってやる」

― そう言った後でアパートに近付いたとたん、火の壁が現れたんだな?

そうだ

― 怒鳴っていたのはどれくらいの間だ?

十五分……くらいか?よく覚えていない

― 最初の尋問では三十分以上、と供述しているが?

……

― 結構怒鳴ったようだな。もしあそこで寝ている奴がいても、起きてくるわけだな

……酔っていたから、どれくらい大きかったかは覚えていない。でも、結構うるさかっただろうな

 

 

 

 弟が寝ている時、私は安らかな気分になれる。

 私はじめじめした廃墟の中でも寝息を立てている弟をしばらくの間眺めると、支度をしてアパートを出ようとした。

 アパートの最後の階段を降りようとした時、足音が聞こえてきた。

「誰?」

「ああ……これは失礼。驚かすつもりじゃなかった」

「……誰?」

 男はくたびれた背広によれよれのネクタイをしていた。

「俺はライアン=デイヴィーズ。『調律師』、と聞いたらわかるか?」

 私は首を横に振る。するとライアンと名乗った男は「まあいいさ」と肩をすくめて苦笑した。

「なぁ」

「何?」

「煙草、この中でも吸ってもいいか?」

 禁煙法、煩わしくてさ。そう言って、ライアンは胸ポケットに手を伸ばした。

 彼の話はあまり良く理解できなかった。でも、彼が私達のことをウィッチだということを知っているということ、警察と一緒に、でも警察とは違うやり方でこの騒動を「調停」しようとしているということ、そしてとりあえず私の敵ではないことは理解できた。

「弟さんは今?」

「寝てます」

「そっか……大変だろうな」

「あの子は優しい子だから、尚更辛いんだと。今、お薬で寝ているところ」

 そう。

 デイビッドは優しい。優しい子だから

 優しすぎる所があって

 だから

 

「あの」

「うん?」

「もし、もし私に何かあったら、その、弟はどうなるんですか?」

「お譲ちゃん、あんたとあんたの弟さんはね、アドヴォケートのデータベースに登録されてる家系の者なんだ。そして今回の件で、あんたらの血は契約を引き継いでいる、ってのがわかった。だとすると、アドヴォケートとしては何もしないわけにはいかないんだ」

「お願いです。酷いこととかしないでください。あの子は十分苦しんでますから」

 すると、ライアンがふっと笑った。

「お譲ちゃん、アドヴォケートは魔女狩りを行ってた連中とはわけが違うんだ」

「……どういう風に?」

「アドヴォケートはさっきも言ったように調律師であり調停人だ。裁くんじゃなくて収める。だから最悪の状況下で、出された選択肢の中でも最高のを取るのが仕事さ」

 悪いようにはしねえよ、と煙草を足でもみ消しながらライアンは言った。

 

 

 

 ライアンがアドヴォケートに報告のメールを打ち終えたのは、夜の十時過ぎだった。

 警察から借りた資料のコピーに目をやる。一番最初に目につくのは、ヘンリー一家が四人で並んだ写真。クリップで留められたそれを凝視して、ライアンはため息をついた。

 不謹慎ではあったが、ライアンは写真で見るキャサリン=ヘンリーを美しいと思った。夫のジェームズ=ヘンリーも、自分があのような死を遂げるとは夢にも思わず、一家の長として誇らしげに笑っていた。娘エリザベスも、息子デイビッドも、屈託のない笑顔をカメラに向けていた。

 感情が動き出す前にライアンは写真を伏せた。ずっと昔、自分にも家族があった。父がいて、母がいて、姉はいなかったが兄がいた。そして

 全てを失ってライアンに手を差し伸べたのは、アドヴォケートで後に上司となる男だった。彼は物体となり果てた自分の家族を茫然と眺めるライアンをアドヴォケートに連れてきた。「魔法」に関係した者、特に大事なものを失った者をアドヴォケートに引き入れることは、今でも変わりないプロセスだった。その上司も、同僚も、そこで出会った妻も、全員何かを失くしている。

 まとわりつく記憶を振り払うように、ライアンはキャサリン=ヘンリーに関する資料を手に取った。そして、何気なしにアドヴォケートのウェブサイトにアクセスすると、キーボードの上に指を這わせた。

 数分後、ライアンは思わず立ち上がり、スクリーンを凝視した。そして事実を咀嚼すると、頭をかきむしった。

 

 

 

 同時刻。

 エリザベス=ヘンリーは町から少し離れたガソリンスタンドの売店から出ようとしていた。母親を魔女と断定するような記事が地方紙のトップに掲載されてからは、日常必需品を買う時ですら人目を避けなければいけなくなっていた。だから本当に必要な時だけ、彼女は深夜に町中を避けてガソリンスタンドで買える物を買っていた。

 まるで人としての最低限の生活すらも許してもらえないようだ。そのことを改めて実感した。

 いろんなことが頭の中を占拠していた。これからの生活への不安。自分と、特に目の不自由な弟がこれからどうやっていけるのか。またどこかに動く時期になったのか。だとしたら、母親の遺体などはどうする?どこにいく?

 そういった考えにのめり込んでいたため、エリザベスは自分が警察に監視されていることに気づいていなかった。そして、もう一つ、彼女が気付いていないことがあった。

 最初は、低いエンジン音がやたらと耳についた。視界の隅でちかちか光るヘッドライトが鬱陶しかった。煙草の匂いと、下卑た笑い声が癪に障り始めた時にはすでに

 エリザベスは三人のガラの悪い男に囲まれていた。

「よぉ……へへ、こんな夜更けに何やってんだぁ?」

 逃げれるか?とふと考えたが、三人のうち一人がバイクに跨っているのを見て、エリザベスは歯軋りをした。

「別に……通してください」

「おいおい、人に見られちゃあまずいことでもやってんのかなぁ?」

「気をつけろよ?近頃ここいらには魔女の家族がいるそうだからよぉ」

 イギリスの統計では十人に一人の若者がナイフを持ち歩いている時勢になったらしい。そして三人のうち、二人がその十人に一人だった。

「そういうアブネエやつから、身を守んないとな」

「正当防衛正当防衛」

「……通してください。お願いします」

 唇を噛んでエリザベスは言い放った。しかしナイフの切っ先に釘付けになっている瞳と、そこに映る恐怖は三人を増長させた。

「魔女のくせに調子こいてんじゃねえぞ?」

「てめえ、魔女なんだったら何かやってみろよ?」

 それは所謂暴奪などというものではなかった。

 男たちはエリザベスに金を払えだのと言っているわけではなかった。

 ただ自分たちとは違うモノに対する興味と、そしてナイフを出せば抵抗しないだろうという優越感に裏付けされた、どす黒い排他意識だった。

 そして自分たちの言動に酔いしれて、男たちが更なる暴力へと動き出そうとした時

「っ!!」

「何だお前らっ!」

「そこまでだ。ナイフを下ろして。はい、すぐにする」

「お前達を暴行罪の現行犯で逮捕する。はい、おとなしく」

 振り返った男たちを、逆光で隠された影が囲んでいた。いきなり懐中電灯で目をやられ、他人に無勢であることをシルエットから何とか理解した男たちの指から、ナイフが滑り落ちた。

 緊張の糸が断ち切られたエリザベスの前に、影が立ちはだかった。

「エリザベス=ヘンリー、ですね」

 体を強張らせてエリザベスは影をにらんだ。そう、まだガードを下ろすには早かった。

「ピーターズ警部補と申します。署まで同行願います」

 

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