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 奇跡、というものはあるんだと思う。

 私は、この頃よくそう考えるようになった。私の中学時代の荒れ具合を考えれば、今の幸せな一時は、やっぱり奇跡なんじゃないかと思う。

 でも、道は平坦だったわけじゃない。朋也と出会い、そして別れたこともある。一晩中泣き暮れたこともある。また会っても、その隣に私の居場所があるかどうか不安になったことも何度もある。

 そうだな、確かに大変な時期もあった。ふふ、一度なんかはな、アパートの大家さんに家賃の滞納で蹴り出されそうになったこともあったな。あれは結局、ただ朋也の払い忘れだったんだけどな。でも、その度に、そういう苦難を乗り越えるたびに私は私達の絆の強さを確信してきた。そしてその絆の強さは、私自身の強さにもなった。

 

 では、どうだろう。お前達には、私達の一番大変だったときの話をしてあげようじゃないか。

 

 

 

 

 LOST DAYS

 ZERO

 

 

 

 

「ん……」

 短く呻いて、朋也が顔をしかめた。私は咄嗟に、その手を握った。

「朋也っ」

「う……あれ……智代……?」

 しかめっ面のまま私の顔を見て、朋也がそう言った。私は最初、何も言うことができずにただ子供のようにこくこくと頷いた。

「ここは……どこなんだ?」

「病院だ。何も覚えていないのか?」

「病院……ああ……俺は仕事の最中に……あれ?どうしてここにいるんだ?」

「岡崎……」

 私の背後から重苦しい声が聞こえて、朋也は私の肩越しを見た。そこには歯を食いしばって痛みをこらえるかのような表情の芳野さんがいた。

「芳野さん、どうしたんすか」

「岡崎、すまない、俺のミスだ」

「ミスって、どういうことですか」

「お前は俺と組んで、電柱の配電盤の整備をしていたんだ。整備自体はいつものことだ。何の問題もなく終わった。だけど、さあこれから降りよう、という時に、不意にお前は落ちたんだ」

「落ち……た」

 そして芳野さんは腰からケーブルのような物を取って、朋也に渡した。

「これがお前の命綱だ」

「……あ」

 命綱の一端が、長い間の腐食で細り切っていた。そして一端にある留め具が、もう一端にはなかった。

「千切れちまったのか……そうか」

「ああ。すまない、俺の監督不行き届きだ」

 そう言うと、芳野さんは私達に深々と頭を下げた。

「岡崎朋也さん、坂上智代さん、本当に申し訳ない」

「謝らないでくださいよ、芳野さん」

 朋也はそれでも笑い返した。そしてしげしげと命綱を眺めた。

「命綱の状態に気づかずに仕事してたなんてさ……馬鹿な話だよな、智代」

「……ああ、馬鹿だな。お前はノシつきの大馬鹿者だ。ここら辺半径十キロにわたって、お前ほどの馬鹿はお前だけだ」

「……そこまで言うかよ、普通」

「言わせてもらおう」

 そう言って、私達は笑った。そして芳野さんに向き直る。

「この馬鹿は私が面倒を見ます。芳野さん、朋也のためにいろいろとして下さってありがとうございます」

「いや、俺のできたことといえば救急車を呼んで会社に連絡して、一応の応急処置をすることだけだ。大したことじゃない」

「それでも、そうしてくれていなかったら、俺、生きてなかったかもしれませんよ」

「そう言われると困ってしまう。とにかく岡崎、仕事のことは心配するな。俺が首になってでも、お前の場所は残しておいてやる」

「無理しないでくださいよ。俺は芳野さんとまた仕事がしたいです」

「……じゃあな、岡崎」

 芳野さんは朋也の言葉に何か言おうとして、目を見張り、何か言いかけた後で、短く別れを告げた。恐らく涙は見せたくなかったんだと思う。

「やれやれ。とんだ夏休みになっちまったな、智代」

 朋也が私に向き直って笑ったが、正直私ももう限界だった。

「朋也……」

「何だよ」

「朋也っ」

 私はその胸にすがりついた。涙が堰を切ったかのように溢れてきた。

「よかった……朋也が……朋也がもう……起きないんじゃないかって……もう私の名を呼んでくれないんじゃないかって……すごく心配したんだぞ?とっても心配したんだぞ」

 吐き出すように、叩きつけるように私は言い放った。

「何度呼んでも……目を覚まさなかった……これから私だけ取り残されるなんて……そう考えただけで……私は……私はっ」

 不意に、ぽんと手のひらが私の頭の上に乗せられた。それはごわごわで不器用で、でも優しくて暖かい手のひらだった。

「ごめんな、智代。俺はもう大丈夫だからな。ずっと智代の傍にいる。何が何でもいる。そしてずっと好きだって言い続けるからな。お前の名前を呼ぶからな」

「……朋也」

「智代、好きだぞ」

 正直、朋也の顔は見えなかった。でも、その言葉の温かさが、その奥に秘められた優しさが、私に安堵感を与えてくれた。

「うん……私もお前が大好きだ」

 その胸に顔を深く埋めながら、私は笑った。

 

 

 

 

「しっかしまぁ、運がいいやら悪いやら」

 朋也は病院からの帰り道に私に笑いかけた。肩を並べながら歩く私達に、夏の日差しは少し眩しかった。いや、それはもしかすると朋也と一緒の世界が輝いて見えたからなのかもしれない。

「結局、異常は見られないんだってな。電柱から落ちて脊損もなく障害もないなんて、運がいいんだけどさ。やっぱ落ちた時点で運勢最悪だな」

「そうだな。まったく、人騒がせな奴だ」

 私はおどけて拗ねて見せた。しかし、こう言っては何だがやっぱり運が良かったんだと思う。朋也は数日の入院で帰ることを許され、また仕事の方も特別手当が出るそうだった。こんなご時勢に朋也をそこまで買ってくれている人たちがいると聞いて、私は涙が出るほどありがたかった。いや、実際少し朋也と泣いて笑った。

「でもまぁ、やっぱ運がいいんだろうな」

 そう言いながら、朋也が急に私を抱き寄せた。

「俺にはお前がいる。それだけで、世界中の誰よりも幸運な奴さ。もしかすると、お前って俺の幸運の女神かもしれないな」

「朋也……」

 普段なら「そんな恥ずかしいことを言うなっ」とか言うのだろうけど、そのときの私は、そんな朋也の言葉を素直に受け入れていた。

「さあ帰ろう。俺達の居場所に。あの部屋に」

「ああ」

 それは、確かに少しばかり狭くて、夏は暑くて冬は寒いアパートの部屋。しかし、両親や鷹文にはすまないが、そこは私にとってかけがえのない場所だった。

「暑いな」

「これから厳しくなるそうだ。朋也も体には気をつけてくれよ?とまぁ、退院したばかりのお前に言うのも何だけどな」

「ははは、心配するなよ。お前を置いて死んだりどっかいなくなったりしないって」

「だといいがな」

「それよかさ、今年の夏の予定、入っているか」

 笑いながら朋也が私に聞いた。

「もちろん、ぎっしりだ」

「そう、か」

「今年の夏はな、朋也と一杯楽しいことをする、そんな予定でパンク寸前だ」

 少し気落ちした朋也の顔を見て、私は不敵に笑った。

「そう、か」

 先ほどとは少し声のトーンが違う。悪戯に引っ掛けられた小さな怒りと、そんな悪戯の甘さに喜ぶ無邪気さが混じった、楽しい声。

「だけどこれといった予定はないだろ」

「そうだな。でも、こういう風な何でもない一日、何もない一時も、私にとっては楽しい。朋也と過ごせるのなら、何があっても何もなくても私は幸せだ」

 大学ではいろんなことがあった。クラブやサークルの歓迎会、飲み会、イベント。勉強とともにそんな刺激の多い日々を過ごしていても、私は朋也がいたら退屈はしない。岡崎朋也は、いつの間にか私にとってそんな存在となっていた。

「こいつめ」

 頭を抱きしめられて、髪の毛を滅茶苦茶によしよしされた。

「と、このっ、朋也っ」

「ははは、ほら、抵抗できるもんならして見やがれ、おらおらおら」

「いい加減に、わっ、しろっ」

「無駄無駄無駄無駄む……いてえっ」

 不意に踏まれた足をぶんぶんと振りながら、朋也は私を放した。

「思いっきり踏んづけやがって……おい、智代」

「ふふふ、悔しかったら私を捕まえてみることだな」

 そう言いながら私は下り坂を駆けていった。

「このっ、待ちやがれっ」

 朋也の追いかけてきてくれる足音が聞こえてきた。風が私達の間をすり抜けるのがすごく気持ちよかった。

「ほら、私を捕まえてごらん」

「ははは、待て待てぇ」

 夏の青空の下、私達は駆け抜けた。

 

 

 

 

「でな、さっき言おうとしてたんだけどさ」

「うん、何だ」

 朋也の肩に頭を預けながら、私は囁いた。公園の木下で、木陰に涼みながら大きな雲が流れていくのを二人で眺めていた。そんな私の頭に乗せられた朋也の手が嬉しかった。

「今年の夏さ、海に行かないか」

「海?」

「ああ。ちょっと二人で旅行って感じでさ」

「海……か」

 まだ見もしない海岸に、私は思いを馳せた。潮の匂い。波の音。踊るヒトデ。

 む?踊るヒトデ?いや、それはおかしいな。

「しかし海なんかに行ったら、朋也は他の水着の女の子に釘付けになっちゃうんじゃないか」

「まぁ、俺には智代がいるからな」

「どうだかな。案外私のほうが、他の狼達に攫われているのかもしれないぞ」

「はっはっは、それはない。そんな奴がいたら、俺がぶちのめしてやる」

「ふふふ、期待しているぞ」

 馬鹿な会話だった。中学時代の私なら、恐らくそんな私達を見下して、くだらない大人と一くくりにしていただろう。でも、今ならわかる。

 形のあるものでなくていい。目に見えるものでなくていい。大層なものなんかじゃなくていい。私は、不変的な、絶対に変わらないものが欲しかった。誰かに愛して欲しかった。誰かを愛したかった。そしてその愛が永遠に続いて欲しい、そう願った。

「朋也」

「ん」

「ずっと、ずっと二人は一緒だからな。お前と私は、もう番だからな」

「ああ。わかってるさ」

 目を閉じて、風の音に耳をすませた。

「本当に不思議なもんだよな。生まれてから、俺、もう数え切れない人と出会ってさ。ほとんどは興味も何も持たずに別れて行くんだけどな」

「ああ」

「そんなすれ違う人達の中で、お前と出合った。お前と恋に落ちた。お前と付き合った」

「うん」

「そう考えるとさ、何つーか、すごいなぁって……ああくそ、うまく言えないな」

「いいんだ。お前の言いたいことはよくわかった。私も同感だ」

 頭を持ち上げて、私は朋也に向き直った。

「私の出会ってきた何百幾千もの人たちの中で、私の胸を打つもの、私に安らぎを与えてくれるもの、私を幸せにできるもの。それがお前の中にあったなんて、本当に縁というものは不思議だな」

 あるいは、それこそ奇跡なんだろうか。同じく愛のない境遇で育ち、不器用で素直に愛を求めることもできずに荒れた二人。そんな二人が違う立場に立ったままで知り合い、魅かれた。これは、奇跡と呼んでもいいと思う。

 よく覚えていてくれ。お前たちは、そんな奇跡の結果知り合った二人の奇跡のような幸せの形なんだと。私たちにとって、お前たちはいつでも特別なんだということを、忘れないでいてくれ。

 

 

 

 

 あれは、いつの頃のことだっただろう。

 私は、いつものように朋也のアパートで、朋也の帰りを待っていたんだ。その頃、私の得意料理と言えばな、五目あんかけにかぼちゃのコロッケ、豆腐のハンバーグとかだったな。朋也は私がいないとすぐコンビニ弁当とかインスタントラーメンとかの食生活に直行するからな。全く、仕方のない奴だ。

 夏の夕焼けの、ほのぼのとした日の終わりを感じながら私は朋也を待っていたんだが、どうも帰りが遅かった。今日は残業かな、と思っていると、壁を叩く音が聞こえてきた。誰かの悪戯かと思って私は外に出てみた。

「……朋也?」

「お、智代?ちょうどいい、このドア、何だか開かないんだ」

 朋也は自分の目の前を指差した。

「ドア?」

「ああ。おっかしいな、ノブが見えるんだけど、掴んだ気がしないっていうか……」

「ちょっと待て朋也。ドア、だと?」

「ああ」

「朋也、そこは」

 

 朋也の目の前には、白くて何の変哲もない壁が広がっていた。

 

「え?でも、ほら」

「玄関はこっちだぞ?暑さにやられてしまったんじゃないか、朋也?」

「え?あ、はぁ?いや、でも……」

 朋也は納得していないようだったが、結局首を捻りながら家の中に入った。

「まったく、仕方のない奴だな」

「悪い悪い。にしても美味そうだな」

 玄関を上がったところは台所で、そこの鍋を覗き込みながら朋也が言った。

「ひとつ摘んでいいか」

「だめだ。大体お前は手を洗ってもいないじゃないか」

「まは、ほんなははいほほをいふは」

「って、食べるなぁっ!!」

 ぽかぽか

 少し怒り気味になって朋也の腕を叩く私と、悪戯っぽく笑う朋也。そこにはいつもの日常があるように思えた。窓の外では、そんな一日が終わって夜が空を覆い始めていた。

 もしかするとまだわからないかもしれないが、六畳一間という空間は、狭いなりにいいところがある。移動は極力少なくてすむから、物を出したりしまったりするのに便利だ。それからわかりやすい、というのもある。そして何より、ずっと一緒だ。だから夕食の支度も二人で話をしながらできた。

「でさあ、そこで芳野さんが言うんだよな。『それも愛だ』って」

「ふむ、芳野さんもわかっているじゃないか」

「……いや、俺としてはそこで『何でもかんでも愛の力で説明するのはどうかと思う』と言って欲しかったんだが」

「む?」

「このままじゃ地球が太陽の周りを周回するのも愛のおかげだという話になっちまうぞ」

「違うのか?」

「何てこった。俺の彼女まで愛情万能説に侵されつつあるとはな」

 はぁ、と朋也がため息を吐いた。

「ため息を吐くと幸せが逃げていくというぞ、朋也」

「誰のせいだ誰の」

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「えっ、私のせいなのか?」

 二度目のため息は前よりもずっと深かった。

「そんなことより、飯にするか」

「う、うん。今日は少し、上手くいった気がするんだ」

「お前の飯はいつも美味いさ」

 そう言って朋也がお箸を手にとって

 

 

 

 カラーン

 

 

 

 澄んだ音がして、私達は一瞬辺りを見回した。実際には朋也が取り落とした箸が茶碗に当たった音だと気づくのに、少し時間がかかった。

「あれ……はは、おっかしいな」

「まったく、仕方のない奴だ……」

 な、と続けようとしたが、朋也が再度箸を取り落とすのを見て、言葉を失った。朋也もびっくりして自分の手を見つめていた。

「……きっと、今日は指先が疲れているんじゃないか?細かい作業が多かったとか」

「いや、そんなことは特にないんだけどな……」

「暑い中、あんな長袖の服を着ながら配線作業をするんだ、無理はいけないぞ、朋也」

「ああ……そうだな」

 結局朋也は指を休ませるためにスプーンでご飯を食べた。

 

 それからだ。朋也が寝ている時に不意に抱きしめてくるようになったのは。それは私を包み込むような一親のような抱擁ではなくて、むしろ縋り付くような、救いを求めるようなものだった。

 

 

 

 

 おかしなことは続いた。週末明けだというのに、朋也は寝過ごしたりした。早く仕事に行けと言っても、日曜日に仕事はないだろ、とか言ってなかなか布団から出ようとしなかった。今日は月曜日だ、と言い聞かせても、不思議そうに私を見るようになった。

 約束を破るようになった。買い物を頼んでも、買ってきてくれなかったりするのはまだしも、頼まれていない、といい始めたときには少し頭にきた。

「朋也、忘れただけなんだったら、そう言ってくれていいんだ。でも、私が言わなかったなんて、それはないだろう?」

「だから聞いてないだろ。いつ言ったんだ?」

「一昨日の夜に決めたじゃないか。もう忘れてしまったのか?仕方のない奴だな」

「……ああ、そうかい。どうせ俺は仕方のない奴だよ」

 そう言って朋也は私に背を向けてしまった。そうだな、この頃からだ。朋也の一挙一動に苛立ちが感じられるようになったのは。

「……朋也?」

「うるさいな。俺が悪いんだろう?悪かったな、こんな奴で」

「違う。どうしてそんなことを言うんだ?私は何もお前を責めているんじゃないぞ。大丈夫か朋也、この頃調子が変……」

「じゃあ、そんな変な奴と一緒にいないで、まともな奴と付き合えばいいだろっ」

 

 ああ。

 あの言葉は、確かにきつかった。気まずい沈黙が私たちの間に訪れた。

「……悪い。言い過ぎた。本当にゴメン」

「いや……私こそ」

「これからは、気をつけるよ。買い物も、ちゃんと行く」

「ああ、助かる」

 歪み始めてきた日常。軋み始める二人の関係。色あせ始める二人の日々。

 それでも私は自分に言い聞かせてきたんだ。違う、大丈夫だ。こんなのはどこのカップルでもあることなんだ。普通だ普通。ちょっとした口論なんて、よくあることじゃないか。

 私と朋也が別れてしまって、まだ日が浅い頃だった。この夏より三年前の痛みは、まだよく覚えている。あの頃はそれがもっと鮮明だったんだろう。だから朋也を失うのが怖くて、私は自分に言い聞かせていたんだろうな。全ては正常だと。

 だけどズレは尚更広がっていって、私もとうとう疲弊してしまう寸前になった日の夜だ。食事の後、朋也が改まって話をしよう、と言ってきた。

 怖かった。朋也に「別れよう。お前とはもうやっていけない」と言われてしまったら、私はどうすればいいのだろう。中学の頃や、高校生になりたての時は、他人との別れは自然なもの、むしろ面倒がなくていいと思っていた。朋也と会って、そして別れた時は胸が張り裂けるかと思ったが、それでも何とかやっていけた。抜け殻のような日々だったけど、それでもぼろぼろの体を引きずって前に進んだ。だけど、今度ばかりは無理だ。ここで捨てられたら、私には生きる希望も意味もなくなっていただろうな。そこまで私は朋也を必要としていた。ある意味、依存していたんだ。

 だけど、朋也から聞いた話は、ぜんぜん関係のない話だった。

「……記憶……障害……」

「……ああ」

 俯いたまま、朋也が私に血を吐くように言った。

「それって……私のことがわからないのか?」

「いや、そうじゃない。俺にとって智代は智代だ。一番好きな、俺の愛する女性だ。だけどな」

 しばらく黙った後、朋也は深呼吸をした。それすらも疲れて聞こえた。

「お前とのデートの思い出とか、お前と話したこととか、それらの記憶は曖昧なんだ。お前以外の奴は尚更悪い。仕事の仲間なんて、名前すら覚えていないんだ。高校のときの奴がどうだったかなんて、ゼンゼンさっぱりだ。それに、それだけじゃないんだ」

「それだけじゃない?どういうことだ」

「……あれから、俺、箸持てないだろ?それに時々壁にぶつかったりするだろ」

 言われて、私はびくっ、と体を震わせた。そうだった。今の今まで、私はなぜそういうことにも疑問を抱かなかったんだろう。何で見てみぬ振りをしていたんだろう。

「だから、俺、仕事を休もうと思うんだ。こんな状態じゃ、俺達の町を守ることなんてできないからな」

「……そうだな」

「それと……あのドアが見えるんだ」

「ドア?」

「ああ。壁にあるドア。あれ、まだ見えてるんだよ。俺、やっぱり頭がおかしいんだよ、智代」

 朋也は憔悴しきった目で私を見た。

「それで……でも、頭がおかしくなったりしたら、智代に迷惑がかかるって思っててさ……できるだけ普通に生活しようとしたけどさ。智代に苦労ばっかりかけちまって……それで智代が離れていっちまいそうで……」

 それ以上を言わせるわけにはいかなかった。私は、朋也を抱きしめた。幼子のようにその頭をかき抱いて撫でた。

「とも……よ」

「大丈夫。大丈夫だ。私はここにいる。お前と一緒にいる」

「……見捨てないで……いてくれるか?こんな俺でも……一緒か?」

「ああ。ありがとう、話してくれて。これなら、二人で一歩ずつ前に進める。一人で抱え込んできたものも、二人ならすぐに何とかなるだろう?」

 ひしっ、と朋也が私を抱きしめ返した。嗚咽が聞こえ始めた。

「思い出なんて、また一緒に作っていこう。仕事を休んでもいいさ。私もな、バイトはしているから少しは蓄えはある。私達は二人なんだ」

「智代……ともよぉ……」

 そうやって私の名を呼ぶ朋也のことを、私は心底愛しいと思った。

 

 

 

 

 二人なら何とかできる。

 今までは大変だったけど、今なら解決できる。

 二人はいつでも一緒だ。

 

 この晩、私はそう思っていたんだ。

 

 

 

 

 カーテンの隙間から覗く朝日に顔を照らされて、私は起きた。そのまま起き上がると、私はとりあえず顔を洗って今日の事を考えた。

 今日は、私と朋也の新しい一歩の日。二人で歩き出す、新しい日々。そう考えると、心が躍った。その興奮を胸に、台所に立って朝ごはんを作る。昔はあまり入らなかったと聞くが、やはり肉体労働がメインの朋也にはしっかり食べてもらわないと。と、そこまで考えて私ははっと思い出した。そうだった、朋也は仕事を休んでいるんだ。まぁ、それでもお腹は減るだろう。しかしそれよりも、朋也はやはり気を使うだろうか。自分が仕事を休むということで変な風に悩んだりしないだろうか。どうすれば、私はそんなことはぜんぜん気にならないとわかってもらえるだろうか。

 そう考えながらお味噌汁を作っていると、背後で朋也が動く気配を感じた。腕時計を見ると、いつもよりもずっと早い。

「ああ、起きたか、朋也?待ってくれ、まだ支度をしているんだ」

「……」

「早く顔を洗ってきてくれ。朋也の寝惚けた面白い顔も好きだけどな?やっぱりかっこいい朋也が一番だ」

「……ああ」

 のそのそと朋也が洗面所にいくのを聞きながら、私は笑った。仕方のない奴だ。でも、それが朋也。かわいいところもあるし、だらしのないところもある。でも、それを全部ひっくるめて、私の愛しい朋也。そして朋也も私のことをそう思ってくれているだろう。いや、いるに違いない。二人の間には形はないけど確かな絆がある。絶対に壊れないものがある。

 布団をしまって、ちゃぶ台を設置して食器類を並べる。うん、今日も上出来。朋也なら絶対に褒めてくれる。そう思っていると、朋也がやってきた。

「うん、おはようさんだな、朋也」

「……ああ」

「さあ、早く座ってくれ。今日のお味噌汁は少し自信があるぞ」

「……ああ」

「うん。ではいただきます」

「……なぁ」

 

 

 

「あんた、一体誰なんだ」

 

 

 

「そういう冗談は、笑えないぞ、朋也」

 ようやく私はそれを搾り出すようにして言った。

「昨日言ってくれたじゃないか。一番好きだって……愛する女性だって」

「……昨日」

「お前には私がいるって……そう言ったじゃないか。変な奴が来たらぶちのめしてやるって、そう言ったぞ」

「……いや、言ってないだろ」

 だんだん、私は言葉を抑えることができなくなってしまった。顔には笑みを張り付かせていたが、それでも涙はどんどんこみ上げてきた。

「私のことを好きだとっ!何度も何度も言ってくれたじゃないかっ!愛していると、大事に想っているとっ!ずっと、ずっと一緒だって、そう言ってくれたじゃないかっ!」

「いい加減にしてくれっ!」

 そんな私の声を掻き消すかのように、朋也が怒鳴った。考えてみれば、あれほど朋也が私に声を荒げたことなんてなかったと思う。いつだって朋也は、少し暴走する私に冷静にいろんなことを指摘してくれた。なのに、そんな朋也が苛立たしく私に大声で怒鳴ったのだった。

「……朋……也……」

「何なんだよ、一体っ?!朝っぱらから知らない部屋にいて、あんた一体誰なんだ?さっきから俺に指図したり、一体何様なんだ?大体、ここどこだよっ」

 正直、私は楽観視していたんだと思う。朋也の問題が記憶障害だとわかった時点で、私はその可能性に気づくべきだったんだろう。朋也が私のことを、私と朋也の関係を、そして二人でともに過ごしたこの部屋のことを忘れるという可能性は、あったはずだった。でも、私はその時がこんなに早く来るとは思っていなかった。いや、もしかするとそんな時が来ることすらないと思っていたのかもしれない。

 だから、朋也に私達の関係を説明しろと聞かれた時、私は叱られた子供のように言葉を失って俯くしかなかった。私が大事に抱きしめていたものが壊れる音に気づいた時、私は竦み上がって何もできなかった。

「くそっ、訳わかんねえ……やってられるかっ」

 そう言うと朋也は立ち上がった。私にとめる暇も与えずに、朋也はそのまま出て行ってしまった。

 情けない話だが、私はその時、ただ放心していた。頭の中を、「どうしたらいい?」という質問がこだましていたけど、答えは出なかった。

 

 結局は手付かずになった朝ごはんを私が片付けたのは、それから一時間もしてからだった。

 

 

 

 

 私達の部屋の扉が叩かれたのは、昼頃だったと思う。それまでの記憶は、あまりない。恐らく、あれだけのことを言われた私を呼び起こすには、それ以上のショックが必要だったんだろう。そういう意味では、私の目の前に広がった光景は、まさに私が必要だったものだった。

「ねぇちゃんっ!大変だよ、にぃちゃんがっ」

 鷹文がその肩に担いでいたのは、意識のない朋也だった。

「朋也っ!朋也っ!!」

「補習の帰りにこっちに寄ってみたら、にぃちゃんが通路で倒れていたんだ。どうしちゃったんだよ、これ」

「朋也っ!お願いだ、目を覚ませっ!朋也ぁっ!!」

「ねぇちゃん、落ち着いてよっ!まず、にぃちゃんを横にさせなきゃ」

 ああいった状況では、鷹文のほうがどうやら冷静に対処できるらしい。そうだな、私は弱かったんだ。力は強くても、大切な人が倒れてしまったり大変なことが起きてしまうと、私は何もできずに泣く子供に戻ってしまう。やがて医者が来るように手配すると、鷹文は私にことの次第を尋ねた。

「……大丈夫?」

「わからない。できれば記憶を早く取り戻してほしいが……」

「ううん、そうじゃなくて、ねぇちゃんの方だよ。大丈夫?結構すごい顔してるよ?」

 そう言われるまで、私は自分の顔がどういう風に見えるのか気がついていなかった。だから顔を見て驚いた。まぁ、化粧も何もしていない上に、泣き腫らした目や涙の跡が頬に残ったままなんだからな。そんなことにも気づけないんじゃあ、女の子失格だな、とふとその時思った。

「お医者さんに診てもらって、もし大丈夫なんだったら病院に行った方がいいよ」

「そうだな。このまま状況が好転するはずなんて、ないものな」

 私は何を期待していたんだろう。朋也が扉を開けて、「智代、さっきは悪かった、もう大丈夫だ」と言うとでも?

「僕は、もう行くね」

「え?」

「にぃちゃんが起きたとき、僕のことも覚えていないだろうからさ。そしたら、やっぱり混乱しちゃうんじゃないかなって」

「鷹文……」

「ま、よろしく言っといてよ」

 そう笑う鷹文の横顔は、どことなく寂しそうだった。そして鷹文が部屋を出て行ったとき、私ははてしない孤独感と心細さに囚われてしまった。医者が来るまでの間、私は朋也の額に濡れたタオルを置いたりして待った。

 医者は私の話を聞きながら朋也を診察していたが、結局失神自体の原因は日射病だと診断した。日射病。朋也は、この炎天下の中、どこをどう彷徨ったのだろうか。もしかすると、アスファルトの上にできた陽炎、その先に、忘れてしまった日常があると考えて当てもなく歩き回ったのだろうか。そして最後にここまで辿り着いたのだろうか。

 輸液パックを吊るして管を朋也の腕に差しながら、医者が顔を曇らせて言った。

「でも、次に倒れるときにどうなるかまでは保障できないよ。この輸液が終わったら、すぐに病院に連れて行った方がいい」

「……はい」

「でも、運がいいね。この人は何だかんだ言って自分をこんなに心配してくれる人がいるんだからね。早くよくなって、あなたやさっき電話に出た……ええっと、弟さんだっけな……安心させなきゃいけいないね」

 そうは言うものの、私の中には後悔の念が渦巻いていた。何で私は朋也をあの時引き止めておかなかったのだろうか。私は一体、何をしていたのだろうか。ただ心配しているだけだったんじゃないだろうか。

「……んん……」

 掠れた声にはっとなって見ると、朋也がうっすらと目を開けていた。

「ああ……あんたか……ここは、どこだ?」

「お前の家だ。お前はここに帰ってくる途中で、倒れてしまったんだ」

「……そうか……くそ、何も思い出せない……」

「落ち着け。今は絶対に安静だ。お前は日射病で倒れたんだからな。この輸液が終わったら、一緒に病院に行こうな」

 朋也は納得した様子ではなかったが、何も言わずにそのまま目を閉じた。そんな朋也が痛々しくて、見ていられなくて私は視線を窓の外に移した。

 大きな入道雲が青空の下に浮かんでいた。

 

 

 

 

 夜になる頃には、朋也は落ち着いていた。下手に動かしたら状況が悪化するかもしれない、そう思って私はタクシーを呼ぶことにした。電話帳を探している間、朋也がぽつりぽつりと話し始めてくれた。

「俺さ……あんたには謝んなきゃなって」

「何を謝ることがあるんだ。私と朋也の仲じゃないか」

「その仲って奴を思い出せないことを、さ。悪いな」

 私は不思議そうに朋也の顔を眺めた。おりしも半月が窓から顔を覗かせて、部屋を白銀に染めていた。

「俺さ、あんたの名前も、あんたと俺がどんな関係だったのかも、どういうふうに接していたのかもわかんないんだけどさ。あんたが俺のことを大切だって思ってくれてたことぐらいはわかるんだ。あんた、何だかんだで優しいしな」

 記憶を失っても、朋也は朋也だ。やっぱり不器用で、ぶっきらぼうで、少し強情なところがあって。でも優しくて、心の中は本当に優しくて、そして強い。自分のことですら間々ならないのに他人のことも気遣えるほど強かった。

「そんなことは、もう、言わないでくれ。朋也は安静にしていて、な?タクシーを呼んだら、二人で病院に行こう」

「……悪いな、何から何まで。くそ、本当に何も思い出せないのかよ……」

 朋也はばつの悪そうな笑顔を作ったかと思うと、すぐに怒りと苛立ちの入り混じった顔でそれを吹き消した。そして深呼吸をすると、私の手を握った。

「なぁ、頼みがある」

「ん。何だ」

「俺を、外に出してくれないか」

「外に?何をするつもりなんだ?」

「いや、ただちょっと、な」

 お茶を濁した答えに戸惑いつつも、私は朋也と一緒に外に出た。昼間とはうって変わって涼しい夜風が髪を揺らした。朋也は玄関を出てすぐのところに立つと、壁をじっと見た。そして、何もないところに手を伸ばした。

「あんたには、ここには何にも見えないんだよな」

「あ、ああ」

 すると朋也は弱弱しい笑みを見せた。

「俺にはここが扉に見えるんだ。何だかすげえ大事な扉でさ。ここさえ開けば、全部片がつくんじゃないかって」

 そして朋也は中に握った手を開くと、壁を叩き始めた。

「朋也、何を……」

「ここさえ開けられれば、俺は全部取り戻せるんじゃないかって、あんたとの記憶や、自分自身、そして俺の世界が全部取り戻せるんじゃないかって」

 モルタルの壁に、朋也の拳が当たる。相当痛いだろうに、それでも朋也は拳を振り上げた。

「俺は、もう嫌なんだ。あんたに辛い思いをさせるのが、もう嫌なんだ。だから、この扉はぶち壊してでも」

「もういいっ、もういいんだ、朋也っ」

 私は朋也に抱きついた。後ろから抱きしめられて、朋也はそのまま座り込んだ。その手を私の掌で包み込んだとき、朋也はびくんと体を震わせた。

「……痛いか」

「……ああ」

「……馬鹿だな、朋也は。自分を傷つけて何になるんだ」

「……」

「お前はお前だ。記憶を失っていても、お前はやっぱり、お前のままだ。そして、それで充分だ」

「充分かな」

「少なくとも、私には充分だ」

 その時、タクシーがアパートの前で停まる音が聞こえた。運転手がボロい階段を上ってくるまで、私達は抱きしめあったままぼんやりと月を眺めていた。

 

 

 

 

 暑い、暑い日だった。

 セミの音がひっきりなしに聞こえている。空気が綺麗で、木陰が気持ちいい。

 林道を抜けると、そこには綺麗な村の景色が広がっていた。

「あ、ともよおねーちゃんだ」

 遠くで私を呼ぶ声がする。振り返ると、あぜ道を懐かしい者が走ってきた。

「やあとも。随分大きくなったな」

「えへへ。ともよおねーちゃんも、すっごくきれいだね」

「そ、そうか?ともに言ってもらえると、すごくうれしいぞ」

「でも本当だよ。ともよおねーちゃん大好き」

 そう言って、私のかわいい異母妹は私に抱きついてきた。

「おーい、ねぇちゃーん」

「せんぱーい、早く来なよーっ!すっげえアイスがあるんですよーっ」

 また、私を呼ぶ声が。とものやってきた道を見ると、そこには鷹文と河南子が手を振っていた。

「何だ、あの二人もいたのか」

「うん。だって、ここは私たちだけの夏だもん」

「私たちだけの、夏」

 それはいつの話だろうか。ずっと昔の話だったかのように聞こえた。遠い遠い過去の、一瞬の記憶。

「ねぇ、ともよおねーちゃん」

 ともが私の顔を覗きこみながら聞いた。

「ともやおにーちゃんは?」

 一瞬、世界が停まったような気がした。私は笑顔を張り付かせたままで、ともはあどけない顔をこちらに向けたままで。

「朋也は……」

 何と言えばいいのだろう。ああ、朋也か?朋也は私たちのことをもうすっかり忘れてしまってな、あと、見えないものが見えるようになってしまったんだ。あれはもう、治らないかもな。仕方のない奴だが、もうしょうがない。

 そう言えたら

 そう言えれば

 そう言える

 

 

 

 

 言える、わけがないじゃないか。

 不意に私の世界が一転する。見慣れた場所。思い出の詰まった空間。私と朋也の世界。

 夕焼けが窓から差し込んで、寂しさを引き立てるようだった。煮物の匂いがして、私は台所に立った。くつくつと音を立てながら、鍋が煮える。火を止めながら、小さなお皿にそれを取り出して、味を見てみた。

「うん、よくできてる」

 煮物は得意だった。考えてみれば、それは母から最初に教わった料理だった。まだ家族の間に亀裂がなかった、幸せだった頃の話だ。それからいろんな料理を覚えた。野菜も大事だが、肉体労働にはやはり肉が必要だ、と思って、肉料理にも凝った。味付けも、少し変わったかもしれない。今までは家族に適した味付けを心がけたが、今では違う誰かのために料理をした。

 うん、私はいいお嫁さんになれるんじゃないか。そう思うと顔がほころんで、私は振り返った。

「なぁ、朋……」

 がらんとした空間。誰もいない部屋。音もない静寂。私は迷い子のように辺りを見回した。

『へえ、美味そうだな』

 不意に響く、あの声。

『ひとつ摘んでいいか?』

 いつもの会話。悪戯っぽい声。不意に後ろから包み込むような温もり。

『智代……』

 最後に、こんな風に抱きしめられたのはいつだろう。最後に二人とも心底安心して相手の腕の中に身を委ねたのはいつだろう。最後にこんな優しさを感じたのはいつだっただろうか。

『智代っ』

 私を呼ぶ、愛しい声。私を求める、一つの道しるべ。私に導かれる、一筋の光。

「朋也……朋也ぁ……うああ、ぁ、あああああ……」

 私は崩れ落ちた。耐えられない。私は耐えられない。

 朋也のいない人生なんて耐えられない。

 朋也に愛されない人生なんて耐えられない。

 そんなの生きていることなんかじゃない。そんなの人生なんかじゃない。

 

 

『あんた、一体誰なんだ』

 

 

 それでも響く、無情な声。顔を上げると、病室のベッドで朋也が私を見ていた。視線には、目一杯の恨みが篭っていた。

 お前のせいだ。

 お前がもっと早く気づいていれば。

 お前がもっとちゃんとしていれば。

 お前がもっと強ければ

 俺はこんなところにはいない。

 俺は倒れていたりなんかしない。

 俺は幸せだった。

 

 そう、お前のせいで俺は幸せじゃない。

 

 その視線に耐え切れずに、私が目を逸らそうとしたその時、世界が暗転して。

 

 ぱさ

 

 私の頭に、何かが被さった。

「はい、これあげる」

 振り返ると、ともが笑っていた。私は頭に被せられたそれを手に取った。

「これは……」

 どこかで見た、花のリングだった。遠い昔、こんな花束を少女にあげた熊がいたな。

「誓いのブーケ、だね」

「おっ、ともさん、先輩にプロポーズか?いやぁ、モテる女は辛いねぇ」

「ともよおねーちゃん。だいじょーぶだよ」

「大、丈夫」

「ともよおねーちゃん、だってともと競争だもん。どっちが強くなれるか、競争するってやくそくだもん」

「あ……ああ、そうだったな」

「だからここでとまったりしないもん。やすんでも、くじけないよ。だって、だってそれでこそ」

 そこでともは笑った。力強くて、優しい、いい笑顔だった。

「それでこそとものママだもん。それでこそともよおねーちゃんだもん」

 そして世界は光に包まれていく。森が、畑が光の粉となって消えていく。

「やくそく、わすれちゃだめだよ」

「ああ。そうだったな。負けないぞ」

「ともも負けないからね」

「ふふ、頑張ろうな」

 鷹文と河南子はもう光の中に消え、ともも散り始めていた。

「うん。こんどくるときは、パパと、ともやおにーちゃんといっしょだよ」

「ああ。今度こそ五人の、私たちの夏をまた楽しもう。約束だ」

 そして差し出された小指に私の小指が絡み、

 

 

 

 

 目覚めたところは、病室だった。いつの間にか、私はベッドの上で寝る朋也の上に頭をあずけていたようだった。ぼんやりした頭で辺りを見回し、ぎょっとなった。窓辺に置かれた花瓶、あれは誰のだろう。その中には、私が夢の中で見た花束の欠片が、私を励ますかのように生けてあった。

 

 

 

 

 

 

 朋也。

 まず謝らせてくれ。すまない。

 私は弱かったんだ。お前がいないと、私は弱いままなんだ。

 だから朋也にとんでもない迷惑をかけたと思う。本当にすまない。

 でも、これからは違う。

 私はもう泣かない。終わるまで、全部終わるまでお前の前では泣かない。

 私は強くなる。いや、強くなろう。二人で一緒に強くなろう。どんなことがあっても、私はお前を見捨てない。私はお前と一緒に勝ってみせる。

 そして朋也

 あの夏を

 あの場所を取り戻そう。

 あそこに二人でまた行けるんだったら

 そこでまた笑えるんだったら

 私は何度でも生まれ変わって強くなれる。

 

 

 

 

 朋也

 私は、お前に会いたい。

 今すぐお前に会いたい。

 会って、また話をしよう。そうだな、甘い話がいいな。世界中が渋い顔をするくらいの甘さでも、私たちにとってはちょうどいいんだ。

 馬鹿なこともしよう。そ、その、何だ。にゃんにゃん啼いたり、変な格好をさせられるのは勘弁したいがな。でも、またお前と笑いたいんだ。

 

 だから、また会える日を楽しみにしている。

 どんなにかかっても、待ってるからな。

 だって、この思いは永遠だから。遥かなときを超えていくから。そういう思いは絶対にあるから。

 だから、その時まで、おやすみ、朋也。

 

 

 

 

 

 私は朋也の寝顔に笑いかけた。そしてその髪を撫でると、その腕に頭を乗せて、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 LOST DAYS

 ZERO  変わらないもの

 

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