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前編

 発動:オペレーション・サンタドリーム

 後編 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 




 さて、後から聞けば他の三人も何らかの妨害があったようなのだが、この時点まで俺には何の障害もなく、順調に六件目のプレゼント配達を終えていた。

「……さてと」

 時刻を確認。六時四十五分。ここから家まで戻るのに二十分、着替えてレストランまで走るのにさらに二十分。つまり七時二十分ぐらいまであと四件を終わらせればいい。

「少しきついか。一応連絡しておくべきだろうな」

 そう一人つぶやいて、俺は智代の携帯に電話した。

『もしもし』

「もしもし、智代?俺だけど……」

『ああ朋也か。すまない、本当にすまないのだが、今夜の件で少し問題発生だ』

「どうしたんだ」

 一瞬のばつの悪そうな間があって、智代が「実は……」と切り出した。

『急にクライアント側で緊急状態が発生して、こちらに伝播しているんだ。申し訳ないんだが、今夜遅れて着くかもしれない。いいだろうか』

「ああ、わかった。気にするな」

『すまない……この埋め合わせは必ず』

「愛してるぜ、はにぃ」

『……私もだ、だぁりん』

 そう言って電話が切れた。そうか、埋め合わせか。つまり、あれだな。合わさって間を埋めると。ほうほう、そういうことをご所望でしたかウチの嫁さん。いやぁ、そうだよなぁ。ここんとこ忙しくてご無沙汰で、寂しがってるところもよぉっくわかるぜ。そこへサンタコスの智代さん。プレゼントはもちろん智代さん。

「ふっふっふっふっふ」

 邪悪な笑みを浮かべる俺。っと、これではサンタのイメージが崩れてしまうな。よし、平常心平常心、と。

「よっし」

 掛け声一発、俺は走り出した。状況は少し好転、智代が遅れるということは、俺にとって時間の猶予ができたということだった。ちょっとペースを上げていけば、何とかなるかもしれない……って

「うぉっと」

「イテッ」

 逸る心に足がもつれ、思わずよろけて通行人にぶつかってしまった。

「っと、悪かった。大丈夫か」

 そう笑ってすませようとしたが、帰ってきたのは悪意どころか憎悪のこもった視線だった。

「ったく、どこ見てやがんだクソジジー」

「人様にぶつかってんじゃねぇぞ」

「ぶっ殺されてぇのか」

 俺がぶつかってしまったのはあまり話のわかってくれなさそうな三人組、そのうちの少し丸めな金髪君だった。精一杯強がっているように見えるわけだが、学生時代から田嶋夫妻や須藤、佐々木と比べれば全然大したことはなかった。

「悪かった。ケガないな?じゃあ」

 もう一度だけ頭を下げると、俺は走り出そうとした。すると

「待ちなよオッサン」

 剣呑な口調に少しだけ笑いを含ませて、三人組の一人が俺の肩に手を置いた。

「このまま謝らずに帰ろうなんて、考えてないよな」

「いや、謝っただろ」

「るっせぇ、そんなの謝ったうちに入んねえのよ、くらぁ」

「せーい、見せなよ、うら」

 調子に乗って俺を取り囲むガキンチョ三人。昔なら切れていたかもしれなかったが、今ではやってられないという気持ちが強かった。

「はいはい、わるぅござんした。じゃあな」

 適当にあしらって戻ろうとした時、ガキの一人が俺の付け髭をはぎ取った。

「あ」

「へん、こんなん付けてサンタのカッコしてやがる。ダッセー」

「ぎゃはは、マジ受けるー」

「ばっかじゃねぇの、こいつ」

 響き渡る嘲笑に対して、怒りが込み上がってくる。だけど、こんな奴らに説明してもわかってもらえるはずもない。俺は怒鳴りたい気持ちを抑えて、努めて静かに言った。

「返してくれないか、それ」

「うっわ、マジで頼んでやんの、超ダッサァ」

「お願いしますはどうしたんだよ、オッサン?言葉づかい間違ってますぇんかぁ」

「返してほしけりゃちょっと面貸しなよ、なぁ」

 調子に乗って挑発するガキ共。過ぎていく時間。

「……上等だ」

 低く押し殺した声に、一瞬だけ戸惑う三人。しかし次の瞬間には勇気を奮い起すかのように「死ぬぞあんた、はい死亡確定」だの「カッコつけちゃって大変でちゅねー」だのと囃し立てながら、俺を路地裏に引っ張っていった。

 タイムリミットは、刻一刻と近づいているというのに。




 風切音を耳にして、春原は本能的にしゃがみこんだ。一瞬後、春原の首のあったであろう高さを、藤林敬一の放ったマチェテが回転しながら通過し、そして街灯に刺さった。刺さった、と言ってもほぼ両断したというところまで食い込んでいて、下手に抜くと街灯が折れかねなかった。

 マチェテは片手で扱う山刀である。柄よりも切っ先の方が幅が広く、その重心のアンバランスを利用して重い一撃を比較的簡単に放つことができる武器である。しかし、いくら使い勝手がよくできていようと、刃渡りおよそ六十センチ、厚さ三ミリほどの重量系刀剣は、普通投げて使うことはない。恐るべくは藤林パパの膂力とその動力源たる負の力であろう。

「ふははは、楽しい、楽しいねぇ春原君。君が妻のお気に入りだというのがわかるよ。こんなにも逃げ回ってくれるなんてねぇ」

 ゆったりとした足取りで街灯に歩み寄る藤林パパ。マチェテを抜くのに気を取られている時こそがチャンスだと春原は思い、そのまま駆けた。しかし、不意に耳にする金属系の不協和音に、思わず足が止まる。

 ギリ、ギャリリ、ゴリ。

 音が響く度に街灯が点滅し、そしてとうとう消えた。そして多少苛立たしげに藤林パパはマチェテを引き抜く。切り口から火花が散り、やがて自重に耐えきれずに街灯が悲鳴を上げながら二つに折れた。がしゃんとランプが地表に激突し、もうもうと土埃が立ち込める中、ゆったりと歩く藤林パパのシルエットが不気味だった。

「ひぃいいいいいいいいいい」

 逃げ出す春原の足元に、マチェテが突き刺さる。

「さて……楽しい鬼ごっこもここまでというわけだが……一ついいかね」

 春原の無言を肯定と受け取って藤林パパは心底不思議そうに言った。

「その袋、察するにプレゼントなどが入っているようだが、それを手放したらもっと早く逃げられたはずだ。なぜそうしなかったんだね」

 藤林敬一の質問には、皮肉も何もなく、ただ純粋な疑問しかなかった。しかし、それでも春原にはそんな質問をした彼が滑稽に思えてならなかったようで、聞いた途端に吹き出したのだった。そしてそのままくっくっく、と笑いをかみ殺す始末。

「何がおかしいんだね」

「何がって……その質問自体がさ、ありえなくてさ」

「ふむ」

「ま、どうしても知りたきゃ教えてあげるけどね。隠す理由もないし。僕がこのプレゼントの袋を手放さなかった理由はただ一つ」

 そして春原陽平は

 死を覚悟してもなお

 ニヤリと不敵に笑ったのだった。

「僕がサンタクロースだからさ」

 しばしその回答を咀嚼した後、藤林パパは頭を振った。

「理解できんな。サンタクロースなど夢幻想の類。それになりきることが寿命を短くするだけの理由になったとは思えない」

「そりゃあまあ、袋を捨てたらもっと速く走れたかもね。でもさ、それだってどれくらいの時間稼げたかって話でしょ。でさ、もしサンタであることを放棄してて、それで追いつかれて、結局今の局面に陥ったとしたらさ、僕、今みたいに笑えてないと思うんだ。後悔しまくりで情ない顔してると思うんだよね」

「……そうか。理解はできぬが君は今、この結末に満足しているのか。ならば重畳。そのまま満足しながら」

 ゆっくりと。

 藤林パパは地面に突き刺さったマチェテに手を伸ばし

「死ね」

 宣言した。


 バチッ、という音とともに、マチェテが横にすっ飛んでいった。唖然とする二人の周りに、砲弾の如き物体が次々と着弾する。再度立ちこもる土煙。その中で、春原は聞き慣れた駆動音を耳にして

「あ」

 ひょいと持ち上げられ

 ギシ

 気付けばスクーターの後部座席に乗っていた。

「はぁい、陽平。浮気せずにいい子してたかな」

「あ、杏」

 駆けつけたのは、確かめるまでもなく妻の春原杏だった。トロロロロとスクーターをアイドルさせながら、不敵に自分の父親と対峙した。

「ねぇパパ、陽平がお世話になったようだけどね」

「……む」

「ちょっと今回は冗談が過ぎたかなぁって思うからさ。一つだけ言わせて」

 そこで杏の笑みに、不敵さばかりでなく獰猛さが混じった。

「あたしはパパの事が好きだけどね、陽平に何かあったら、あたしは全力で敵に回る。その覚悟があるんだったら、いつでもどうぞ」

 そう言い捨てると、杏はアクセルを開いて爆音を響かせた後、クラッチをつないだ。

「じゃーねー……ほら陽平、次はどこなの」

「えーっとね……」

 去っていく二人を見ながら、藤林パパは苦笑いをして肩をすくめた。

 ぽん

 その肩を、掴む者がいた。

「あらあら敬一さん」

「……………………香織、か」

 音もなく気配も悟られることなく藤林パパの背後に立ったのは、藤林香織、通称藤林ママである。

「あれほど杏ちゃんや春原さんの御迷惑にならないようにって言ったのに、こまりましたね」

 落ち着いた声と笑顔に怒気を込めながら藤林ママは言い放った。

「さて、とにかく帰りましょう」

「そ、そうだな」

「お説教はそれからです」

「……そうだな」

 先ほどの溢れんばかりの覇気もどこへ行ったやら、藤林パパは項垂れた。





「……はっ」

 不意に風子が我に返った。

「風子、ヒトデさんの魅力で、一瞬我を見失っていました」

「……そうか」

 疲れ切った笑顔とかすれた声で、芳野は答えた。その一瞬とやらの長さに絶望しかけたことや、寒さで凍えそうになったこと、現在進行形で凍えていることに関して言及しないのが愛だと思った。

「では、もう帰ろうか、風子ちゃん」

「いいえ」

 断固とした口調で告げる風子に、芳野の方が落ちる。

「もう、いいんじゃないか。風子ちゃんはやり終えたんじゃないか。よかったんじゃないか」

「祐介さん、何でそんなに燃え尽きた父親のような口調で言いますか。風子はまだヒトデさん、一つも売ってません」

 そこで凍りかかった芳野の頭の中で、電球が点滅した。

「それだ。風子ちゃん、ヒトデを売るのは、果たして正しいのか」

「え」

「現代社会において、人はみな、金さえ払えばモノは手に入るという。しかし本当にそうなのか。お金で人の真心は、夢は、命は買えるのか。違うだろう」

「祐介さん」

「ましてやそのヒトデは、誰かの夢の形、願いの欠片。そんなものを売りさばくのは、人を売り買いするほどに卑しい行為なのではないか」

「……」

「俺には何もできない。ただ、風子ちゃんが目を覚ましてくれることを願うだけだ」

 決まった、と思った。近くで拍手すら起こった。そして風子は

「……祐介さん、そんな甘い事を言っていては、生きていけませんよ」

「さっきと言ってることが真逆?!」

「夢見る夢子ちゃんでは、世の中渡っていけません。祐介さんがまだそんな青い事を言ってただなんて、風子、大人としてショックです」

「……そうか」

 熱い涙が頬を伝った。俺は何と無力なのだろう。自分の義理の妹とも上手くやっていけないとは。

 すると

「あ、芳野さんだ」

「お、風子さんじゃん」

 声を掛けられて見ると、そこには坂上鷹文とその彼女の河南子が立っていた。

「ああ……お前たちか」

「あっ!河南さんですっ」

「風子さん、やっほー」

「河南さんもやっほーですっ!あ、ちょうどいいところに来てくれました。河南さん鷹文さんはいつも元気なヒトデの似合うお二人さんなので、これはクリスマスプレゼントです」

 そう言って風子は河南子と鷹文に厳かな仕草でヒトデを進呈した。

「あ、ありがとう」

「サンキューッ!これで二枚……あと百四十九枚で百五十一匹ゲットだぜ」

 パケモンではないので、そんなに集める必要はない。

「それでは風子、これで失礼します。メリークリスマスです」

「あ、どうも」

「じゃーねーっ!!」

 お辞儀をして風子は帰路についた。一連の出来事に圧倒されて茫然としていた芳野は、不意に我に返ると、ぼそっと呟いた。

「え、あれ?それで終わったのか」

「どうかしましたか」

「……いや、何でもない。では」

 そう言って歩き出そうとした芳野だったが、その姿を河南子がまじまじと眺めた。

「へー、サンタさんね……」

「……何か」

 警戒した口調で芳野が言った。何となれば、芳野に風子がいるように、朋也に河南子がいるのだ。これ以上時間を取られるのははっきり言って避けたい。

「プレゼント配りですか。大変ですね」

「まぁ、そんなところだ」

 一応そうは言ってみるが、実のところあまり配れていない。

「じゃあ、あたしたちが手伝ってやりますよ」

「……何」

 敬語が滅茶苦茶だったが、意味は伝わった。

「何か手伝えることとかありませんか」

「いや……そうだな。確かにルートの把握や荷物を交代でもってもらえると助かるが……いいのか」

 恐らく二人で出掛けたということは、クリスマスデートなのだろう。そんな二人を邪魔してはいけないという気持ちが湧いてきた。

「え、でも楽しそうだし。鷹文もいいよなー」

「あ、うん」

「はい決定。じゃ、行きますかー」

 そう言って河南子が歩き出した。

「ちょっと待て河南子」

「んんん」

「次の家は、そっちの方角じゃない」

「アッタマ硬いなぁー。結局つけばいいじゃん?真逆の方向だって歩き進んで世界一周すれば目的地に着くよ」

「………そうか」

 また歩き出す河南子を見て嫌な予感がしないでもなかったが、とりあえず芳野は鷹文と共に河南子の後についた。





 狭い路地裏で、俺は俺を囲んでいる頭の悪い連中と没交渉を続けていた。

「だから、怪我はないんだろ?悪いがこれ以上付き合ってる暇もないから、それを返してくれないか」

「オッサン、頭悪いんじゃねーの?返してほしけりゃ、セーイ出しなよ、ほら」

「誠意、って出す物じゃないぞ。見せる物だ」

「ウダウダうるせえんだよ。とっとと出すモノ出さねぇと、この髭、どうなってもいいのか」

「……っ」

 両手で髭を摘まんで、金髪が憎たらしく笑う。これ以上はいくら口で言っても意味はない。しかし、荷物を担いだまま、三人を相手にして何とかなるだろうか。壊れた右肩で。髭を人質にとられたまま。

 いっそ、髭は置いてこのまま行くか?いや、ダメだ。それではサンタのイメージが崩れる。しかし……

「おい、ジジイ、何やって……うわっ」

「何だてめえは」

 不意に背後が騒がしくなったので振り返ると、そこには

「幸村のじいさんっ?!」

「ほっほっほ」

 あのじいさんがあの頃のように目を細めて笑って立っていた。その後ろには尻もちをついた奴が一人に、警戒して俺たちを睨む奴が一人。

「……ジジイ、何だテメーは」

「なぁに……ただの老いぼれよ」

「じいさん、何でここに」

「ふむ……おぬしがよからぬ連中に絡まれているのを見てな……」

「そうか……ありがとうな」

 口では礼を言うものの、状況はさらに悪化した。じいさんを守りながら状況打開、か。

「して……おぬし、この付け髭が欲しかったのよのう」

 じいさんが何気なく俺に手渡したものは、正しく連中に奪われた付け髭だった。

「なっ、い、いつのまに」

 俺が言おうとしたことを、金髪が言った。信じられないとばかりに、握っていたはずの手と、俺の手にある髭とを見比べていた。

「じいさん」

「何……この老いぼれにも、使い道はあるということじゃ……さて、長居は無用……行くとするかの」

「……ありがとう、じいさん」

「うむ……」

 そう挨拶して、俺は路地裏を飛び出て行った。




「ジジイ、何のつもりだ」

 三人が剣呑な態度で幸村を囲んだ。

「ふむ……これから家に帰って風呂に入ろうと思ったのじゃが……いかんかったかのぅ」

「フザケルンじゃねぇよっ!!帰すかよバーカ」

「ふむ……ダメかのぅ」

「あったりまえだ……」

 ろ、と続けようとして、金髪の仲間が鼻を押さえた。少しひりひりした感触に違和感を覚えた。と同時に、他の二人も、脇腹をさすったり、顎を撫でたりしている。

「頼んでも……ダメかのぅ」

「あ、当たり前だっ!ざけてんのかてめぇ」

 すると幸村は手の指をまっすぐに伸ばし、壁に指先を付けた。そして少し屈みこんで


 見ると、壁に拳が埋まっていた。


 腕の筋肉を使う打撃は、ある程度の距離を必要とする。肩を支点として動かすため、最大限の力を発揮するには肩から拳までの距離が最低限必要である。威力を増すには、打撃対象へ移動することによって勢いを付けることも必要だ。

「拳法の地である中国でもとりわけ武術の盛んな州に、頑固者の爺がおってのう

 ならば、幸村の指先から拳までの距離 − そう、五センチあるだろうか怪しい距離だ − で、拳が壁に陥没するだけの威力は発揮できるだろうか。答えは否。腕力を原動力とする拳撃では無理である。

「一度北京の武術家が、この爺を招き寄せて、衆目集まる中で己の方が上だと示してやろうと企んだ。爺は企みを看破したが、出向かなければ敗北を認めたことになると思い、招きに応じた」

 しかし、それはあくまで腕の筋肉を意識して打撃に転じた場合である。熟練者の打撃は腕力からなる物にあらず。それは足の筋肉、腰の筋肉、背中の筋肉を自在に操り、妙なる重心移動術を基礎に積み重ねた芸術である。よって、距離は無意味。発動に要する動作も、素人目では捉えにくい。

「小柄な爺を見下した武術家は、『まずは貴様から技を見せい』と抜かした。爺は拳を構え、『まずわしはこう拳で相手を威嚇し』と武術家に拳を当てた。その途端、武術家は倒れてしもうた。周りが脈を測ったところ、すでに事切れておった」

 寸頸。中国拳法における発頸の中でも、もっとも有名なもののひとつである。

「さて」

 幸村は壁から拳を抜いた。頑丈なそれを打ち抜いたにもかかわらず、拳にはかすり傷一つなかった。悲鳴を上げ、腰を抜かして三人は幸村を見上げた。そこには小柄な好々爺の面影はすでになかった。

「帰してくれぬとまだ言うのであれば、この老いぼれ、『二の打ち要らず』と呼ばれた李氏八極を馳走せねばなるまいが……如何にするね」





「ふぅ……次ので最後ね」

「そうそう。お疲れ様」

 スクーターが甲高いエンジン音を響かせながら町を走った。

「この後どうしよっか。一杯いきたいところだけど」

「んー、この後は古河家でクリスマスパーティーのお誘いがあるのよね。まぁ、汐ちゃんもいるだろうからあまりお酒は飲めないけど、その後二人だけで飲もっか」

「おー、ナイスアイディア」

「でしょ……と」

 スクーターが停止する。よっこらせ、という掛け声とともに、春原が降りた。

「んじゃ、最後の一仕事、頑張ってくるね」

「はいはーい」

 手をひらひらと振って、杏は玄関に向かう春原を見守った。チャイムが響き、足音が近づいてくる。

「はい、どちらさま……あっ、良君、誰か来たわよっ」

「えー、だれ……あーっ」

「はっはっは、メェリィイイ、クリスマァアス」

 豪快に笑う春原サンタに、男の子が抱きつく。

「サンタさんだぁっ!すごいや、本当にいたんだぁっ」

「良太君は君だね?いい子にしてたかなぁ」

「うん、してた。ちょー、してた」

「はっはっは……お母さん」

「ええ、してましたよ。ねえ」

「うん」

 笑って頷く二人に、春原サンタも満面の笑みを浮かべる。

「そっかぁ……じゃあ、プレゼントだ」

 そして手渡される包装された箱に、男の子は歓喜の声を上げた。

「良君、何て言うの」

「ありがとーっ」

「うんうん、良太君は、いい子だねぇ……それでは」

 袋を背負いこんで(中にはもうスクーターのヘルメットしか入っていない)春原サンタは宣言した。

「メリーッ!!クリスマースッ!!」

 親子の歓声を背中に聞きながら、春原サンタはその家から出て杏の待っているところまで歩いた。

「ふー、終わった」

「はい、お疲れ」

「いやあ、今のはいいよね。あまり質問とかなくってさ。中にはホント、『本当にサンタさん、パパじゃないの』とかしつこく聞いてくるのもいるしさ。まさか帽子と髭取るわけにはいかないし」

「まぁ、上手くやったと思うわよ。子供も親御さんもあんなに喜んでたし」

「だね」

 そう言って笑うと、二人はスクーターに腰掛けた。

「じゃあ、終着点は古河パン、古河パンということで」

「あいよー」

 そしてスクーターが動き出す。流れるように過ぎ去っていく景色を眺めていると、杏のヘルメットに白い物がくっついた。

(あ)

 見上げたい衝動に捉われたが、そこはぐっと抑えて前を見た。代わりに、少しばかり苦い思いが胸に浮かぶ。

(雪、降ってきたわね……みんな、無事に終わってるといいんだけど)





 降り始めたな、と思っていると、雪はあっという間に勢いを増して世界を純白に染め上げていった。職業柄、これは電線とかが切れたりケーブルが凍ったりして仕事が大変だな、と思ったりしつつ、俺はブーツを軋ませて雪道を歩いた。

 十件中九件が終わり、今まさに最後の家に行くところだった。距離は歩いておよそ二十五分。ここで雪が来たのはきつかった。

「智代に……連絡……くそっ」

 悴む指で携帯を操作したが、返ってきたのは俺が圏外であるという録音音声だった。

「これじゃあ……レストランに連絡……遅れるって言わなきゃなんねえのに……くそ」

 足を雪にとられまいと悪戦苦闘するが、そのうちに妙な事に気付いた。

「おい……何で家とか少なくなってくるんだ?これじゃあまるで、ここから先は……」

 言ってふと気付き、俺はさっきコンビニで買ったポケットマップを取り出した。そして自分がどこにどう行こうとしているのか理解した。

 確かに最後の一件までの道は、地図の上では一本の道を辿るだけですむ。しかし、それは立体を平面に押し込んだ紙上の図の話であって、実際のルートはそう甘くはなかった。

 俺はこれから、この雪の中、街灯もない山道を歩くことになっていたのだった。

 雪道。坂。街灯なし。この三点だけでも困難な旅であるのに、この町のこの辺りには足を運んだことがない、つまり正しいルートを辿っているという確証を持てずに歩かなくてはならないという不安がこの先俺に付きまとい、足を遅らせるだろう。これはもう、二十五分などというレベルの話ではなくなった。そもそも、着けるのかどうかさえ怪しい。

 無理。

 その二文字が、俺が必死になってかき消そうとしていた二文字が俺の目の前で点滅した。

 俺は

 俺は結局

 妻との約束も守れず

 子供の夢も守ることもできない、ただのダメな男だったんだな。

 絶望が体に沁み渡り、俺は膝を崩した。クリスマスの幸福の象徴であるサンタが、現実に屈した。

「……もう、終わったのか」

 俺は誰ともなく呟いた。力がどんどん抜けていく。このまま


「終わっていないだろう、朋也」


 聞くはずのない声に、俺は振り返った。

 いつの間にか、俺の後ろにはライトバンが停まっていて、ヘッドライトをこちらに向けていた。そしてその逆光を受けて

 例によって例の如く

 俺が困っている時いつもそうであるように

 俺がこれ以上進めないと観念する時いつもそうしているように

 腕を組み

 背筋を伸ばして

 凛と


「まだ、終わっていない」


 あいつが立っていた。

「智代……」

「うむ。お前の大好きな奥さんが駆けつけてやったぞ。感謝しろ」

「智代、何でお前、ここに」

 すると、ばつが悪そうに智代が笑った。

「思っていたよりも仕事が長引いてな。レストランに電話をしたら空きを待っている客がいるのでこれ以上待てない、と言われたんだ」

「……そうだったのか」

「それはつまり、お前はそこにいないということだろう?忘れたにしては先ほど電話をしてきたから、これは何かあるなと思ってみんなに聞いてみたら、こういうわけだったんだ」

「……そうか。悪い、智代を仲間外れにしようと思っていたわけじゃないんだ」

「わかってる。私にこの話をしたら、じゃあ今夜の食事はキャンセルしよう、という流れになるからな。まったく、仕方のない奴だ」

 その口癖と笑顔に釣られて、俺も笑った。元気が体の中に漲っていった。

「よし、では乗れ」

「おう……って、これ、会社のバンじゃないか。どうしたんだ」

「芳野さんが手配してくれた。どうも鷹文と河南子が手伝ったおかげで向こうは早く終わったらしいからな」

「鷹文と河南子?どういうことだ」

「説明は後だ。さあ行こう」

「おうっ」

 俺と智代はライトバンに乗りこんだ。

「智代」

「うん、何だ」

「ありがとな。あと、愛してる」

「……うん。私もだ、バカ」





「なぁ」

 俺はクリスマスケーキを小さくフォークで切りながら、智代に話しかけた。

「どうした」

「どうしてこんなに大げさな話になったんだろうな」

「……クリスマスの奇跡、という奴じゃないか」

 少し答えが投げやりなのは、智代自身事態を把握できてないからなのだろう。というより、誰か事態を全部把握できている奴がいるんだろうか。そう思えるほどこのクリスマスパーティーの顔触れは多彩だった。

 まず四人のサンタと連れ合いたち。杉村さんの看護を務める椋。オモチャ屋のオヤジ(だと聞いた)。これはまぁ当初のメンバーだ。

 そこに風子が加わった。鷹文と河南子も加わった。幸村のじいさんは電話だけの挨拶となったが、それでもまたいつか、と約束してくれた。よくわからないがお隣の磯貝さん一家も加わった。磯貝さんの息子、磯貝ジュニアは今、オッサンと杏に散々弄られている。幸い、会場がパン屋なのでクリスマスケーキには不足しなかったが、時たま早苗さんのパンが出ているのか、春原や鷹文が青い顔をしたりしていた。

「まあいいか。それより、約束破ってホント悪かった」

「約束だと」

 智代が首をかしげる。あ、マジかわいいと思ってしまった。

「ほら、したじゃないか。電話した時」

「ああ、覚えているぞ。でも朋也、破ったのか」

「……破っただろ。結局レストランにいけなかったんだから」

 すると、智代はやれやれ、と言いたげに俺を見てため息をついた。

「何を言っているんだ朋也。約束はレストランに行くことじゃなかっただろ」

「え」

 智代はふふ、と微笑んでそっと告げた。

「最高のクリスマスじゃないか」

 ……あ

 そうだった。それが俺の約束したことだった。

 俺はそれを「子供たちにプレゼントを渡して、智代とレストランに行く」と解釈した。しかし

 智代がいて

 みんながいて

 みんなで笑っていて

 これ以上、どんな最高があるというのだろうか。

「……そうだな」

「そうだ。それに」

 智代は辺りを見て誰も見ていないことを確認すると、顔を赤くしながら言った。

「やっぱり頑張る朋也を見て、私は、朋也といればいつでも最高だ、そう思ったんだ」

 恥ずかしがる智代もまた、最高に可愛かった。




 後日談。

 杉村さんはその後、サンタ業に無事復帰。二年後、グリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロースに任命される。

 春原は髪染めが抜け切らぬまま仕事に出社、案の定怒られたそうだ。しかし光坂幼稚園には今年も春原サンタが現れるとか。

 オッサンとおもちゃ屋のオヤジは、それからもいろいろと手を組み「仕事」をこなしていった。無論、俺たちが巻き込まれた回数も一回や二回ではすまなかった。

 幸村のじいさんとはこの後残念ながらしばらく疎遠になったが、思わぬことで再会する。

 鷹文はこの経験を生かして学校の生徒たちにボランティア活動としてのサンタを提案、後に可決される。

 風子はこっぴどく公子さんに叱られたと聞くが、それでもヒトデ売りの少女は気に入った様子だ。運が悪ければ、町を出歩くと出くわすかもしれないので注意。

 磯貝ジュニアが汐に送った物は野球帽で、汐はそれを長い間愛用していた。今では机の上に大事に飾ってある。

 

 俺と智代は、今でもいつでもラブラブである。

 

 

 

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