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 春眠、暁を覚えず。

 よくこの季節になると使いまわされるフレーズだ、と誠は思った。特に後ろ斜めで教科書を盾に眠りこけているあいつなんかは言い訳に使いそうだなぁ。

 外は青空が広がっていて、窓から差し込む太陽の光は優しく、まるで母親になでなでされながら枕と安眠CDと睡眠薬を持ってこられたような気分である。

 しかしそれでも誠はぱっちりと目を覚ましていた。

 ちゃんと現国の音読についていっていた。

 どうだ、えらいだろう?

「……と君は問ふ。我、答見つからず、ただ水辺に目を逸らして、時の過ぎるのを待つのみ」

「よし、そこまで。いい調子だな、青葉」

 明日華は静かな笑みで会釈すると、そのまま着席する。しばらくして、耳元にかかった髪をゆっくりと指で押し戻した。

「あ〜、次は……浅川」

「はい」

 クラスの端に座っているセミロングの女子がすっくと立ち上がって音読を始めると、いきなり眠気が襲ってくる。昨日の連隊訓練の疲れもまだ残っているのだろう、誠はゆっくりと舟を漕ぎ始めた。

 なぁ谷塚君

 どこかで誰かが誠を呼んでいる。でもそんなの関係ね。

 ふむ、面白い顔だな

 春眠は暁を覚えないのです。偉い人にはそれがわからないのです。

「ほう……そうかそうか」

「ええ、そうですとも……え?」

 がば、と誠は頭を上げた。

 ああこんにちは林先生。今日もネクタイ素敵ですね。奥さんが選んでくれたんですか?いいですねぇ。あ、髪型も結構イカシますよね、先生。やだなぁ、青筋立ててると、さすがに全部台無しですよ?もっとさわやかに笑わなきゃ。

「谷塚、後で先生とミーティングな」

「……はい」

 

連隊が呼んでいる!

二話 駆け出し書記の初期の書き出し

 

「いや、あれはあれで私なりに助けてあげようとしていたのだがな」

「まあ、自業自得だからな……」

 次の日の朝、誠は苦笑いをした。だけで顔全体が痛んだ。

 あの後、林先生にこっぴどく叱られて、その最中にあろうことかサージェント加賀が「谷塚ぁぁああ!まぁあた脱走とはいい度胸じゃねええかああ!!」と転がり込んできて、空気を読んだ加賀は即敬礼、生徒指導室を退室、しかしその後訓練に行った際に徹底的にボコられて、んでもって加賀と部室で人生レッスンwith往復ビンタビビビビビ。

 神様、俺、この人生そう捨てたもんじゃないと思ってます。

 だからその、もう少し体育会系ハプニング減らして、恋とかそういうもんにチャンネル合してくれるとありがたいっす。

「まあ、こいつ馬鹿だしな」

「馬鹿なのか?それなりに授業にはついていっているようだが」

 ついでに神様、ここん所朝一緒についてくるこの馬鹿の始末も頼みます。

「甘い甘い。あおっち、この馬鹿の連隊に入った理由を聞いたらぶったまげるぜ?もうコロンブスの卵なんて目じゃないくらいに」

「お前だって五十歩百歩じゃねえか、うな丼」

 誠は反撃してみる。昨日何があったかは知らないが、少なくともここのところ「うな丼」が恭一にしてみれば鬼門となっていた。不意に顔が真っ青になる恭一。

「ウナギって大変だよな。あれ、ボロボロにしないで焼くのって、すげえムズイってテレビでやってたぞ?」

「や、やめろ」

「でもじっくり焼かないと食えねえしなあ……あ、そうそう青葉、こいつ、料理愛好会の下っ端なんだ」

「料理?」

 明日華が恭一をまじまじと見た。

「ああ。あー、しっかし今日はうな丼が食べたいなぁ。あのこってりとしたタレ、いいよなぁ」

「た、谷塚、言っていいことと悪いことが……」

「ふむ。しかし私としてはうな丼みたいな重いものよりも、あっさりとお結びのほうが昼食には最適だと思うのだが?」

 すると恭一が

「わぎゃあああああああああああああああああああああああ」

 壊れた。

 どうした、と聞く間もなく、教室を出ていく。

「……何があったんだ?」

 不思議そうにこちらを見る明日華に、誠は長い話、と呟いた。

 

 

* * *

 

 

「あれ、お前、連隊は?」

 恭一がドアを片手に聞いてきた。

「ああ、火曜と水曜は休みっぽい」

「へえ……ターミネーター加賀でも休むんだ」

「いや、火曜は二年生とかは『座学』ってのがあるみたい」

 机にカバンを置きながら、恭一が怪訝そうな顔をする。

「何だそれ?もっと勉強かよ?」

「まあ……何つーか帝王学みたいな事やるらしい。組織の運用方法とか」

 なんだかんだですげえな、と恭一が呟く。

「ああ、そうそう、あおっちだけどさ」

「その呼び方やめろよな」

「あおっちってさ、青葉明日華、だよな?」

「そう、だけど」

 今度は誠が怪訝な顔をする番だった。

「いやさ、何だか偶然俺のクラスの誰かにお前とあおっちの三人で喋ってるところ見られてさ、何だか半端じゃないっていうか……」

「半端じゃない?」

「ああ……」

 そう言った恭一の顔は、心なしか少し暗く見えた。

「何でも、『ロテ・クロイツ』とか呼ばれてるそうだぞ?」

「ろてくろいつ?」

 赤い、十字架?

「ほら、あおっち深紅のリボンで髪をまとめてるだろ?その右の結び目が十字架に見えるから『ロテ・クロイツ』なんだって」

「……で?」

 そんなことで恐れられていたら、青葉もすげえ迷惑だろうな、と誠は思った。まあ、でも人の怖いものってそれぞれだしな。ここにはお結びやらうな重やらを片っ端からガクブルする奴もいるし。「赤い十字架怖い」とか言ってる奴がいても……

 その時ふと加賀が教室の隅っこでがたがたと震えながら、蒼い顔で「りぼん……りぼんこわい……ままぁ……」と涙目で呟いているところを想像してしまったのが、誠の運のつきだった。

「う、うわっ!何急に笑い出してるんだお前!!」

「ひっひっくぅっくっく、か、加賀が、教室、ガクブル、リボン怖ええ、あー死ぬっ」

「あ、そりゃあ笑えるよな」

 恭一も笑った。

「だ、だろ?ぶふーっくっくっくっくっく」

「そんなに面白いか、おい?」

「面白いってっ!あの不死身のターミネーター加賀が、り、リボン如きで、こ、こわ、っーっはっはっは」

「そうか……俺がリボンが怖いとかそう言っているのを想像して笑ってるんだな、お前は」

「これ以上笑える……シチュなんて……ない……です?」

 戦慄。

 誠の中でなぜか硫黄島の米兵よろしく巨大な旗を立てようとしている屈強な男たちの姿が浮かんだ。旗には大々的に「死亡フラグ」と記されている。

「谷塚ぁ、楽しそうだなぁ、え?」

 振り返ると、開けっ放しにした窓から顔を覗かせている加賀がいた。すっげえいい笑顔で。ブチ切れマークだらけで。

「あ、じゃあ、俺、行くから。またな、谷塚」

「まあ待て」

 びくっ、と恭一が身じろぎした。その襟に加賀のぶっとい腕が伸びる。

「窓から何だかうるせえなぁ、と思っていたら、ずいぶん盛り上がってたからよ。何かなぁ、何かなぁ、と思ったらよぉ」

 一言ひとこと言うたびにびくんと痙攣する青筋が怖かった。

「谷塚……とその連れ」

「つ、連れですか自分っ!」

「五月蝿い黙れ。とにかく、最後に一言あるか?」

「優しくしてね」

「僕は死にまっしぇん」

 


「……十五、四十六、四十七……」

「おいおい新木、休みの日ぐらい休んだらどうなんだ?」

 ルームメイトが呆れた声を出した時、仁は日課である腕立て五十回を終えて一息をついていた。

「さて……次は腹筋か……ん?」

 眠たげに見える目がぴくりと動いた。

「気のせいかなぁ……谷塚君の断末魔がまた聞こえた気がするんだけどなぁ」

 

 

* * *

 

 

「見えねえよなぁ……」

 誠は明日華のほうをちら、と見て呟いた。

「ん?何の話だ」

「いや、別に?」

 きょとんとした顔をこちらに向けた明日華を見ながら、誠は昨日さんざんボコられた後で加賀から聞いた話を思い出していた。

(青葉ねぇ……まあ、俺も寮生だから実際にどれくらいすごいのかは知らないんだが、青葉家つったら有馬坂市でも最も古い家の一つでよ。だからそれなりの資金と人脈があるって話だぜ。現当主には娘が三人ってことだから、婿を取るってことになるんだろうが、そういや俺が一年の頃、何だか金持ち臭い連中が振られただのどーたらこーたら抜かしてたな。何だ谷塚、お前、青葉家の誰かと知り合いなのか?)

 ここまで聞くと、はい、ただいま一目惚れ中です、とは言えなかった。

(で、三姉妹だが、それぞれ装飾品に因んだ二つ名の持ち主でな。長女の未来はポニーテールを結ぶリボンからして「パピヨン・ジョーン」。まあ、その名の通り華やか、ってのが噂だ。次女の明日華はこれまたリボンなんだが「ロテ・クロイツ」。手厳しいところのある、ちょっと変わり者なんだそうだ。三女の歩は「ブルームーン」。髪飾りなんだが、これはちょっと避けた方がいい。ブルーってのはつまり、話しかけた後こっちの気分が欝になるってのが由来だからな)

 ちなみにそんな顔でよくもまあ華やかな社交界の噂をご存じですね、と口を滑らした途端に逆エビ固めを食らった。

 手厳しい、変わり者ねぇ。誠は頭を掻いた。

 変わり者には違いない。一種の空気はまとうものの、明日華はあまりお嬢様、という風には見えない。しかし、手厳しいかと聞かれたら、そうでもないと答えるほかにない。結構皮肉っぽいが。

「そうだ、生徒会の選挙なんだがな、どうも適性試験というか、そういうものを行うらしいんだ」

「適性試験?選挙があるんだろ?」

「うん。ただ、一年生の生徒会役員の選挙だからな。友達グループのできる一年生同士ならともかく、二年生や三年生は誰がどうなのか知りたがっているというわけだ」

「え?一年生同士なのか」

「うむ。生徒会選挙は二回に分けられていて、五月の選挙では書記と会計が、九月の選挙では生徒会長、副会長、寮生会長、そして通学生会長が決められる。で、書記と会計はどうも役員見習みたいなところがあるらしいんだ。だから一年生にチャンスを、ということで五月に選挙を行う」

「でも一年生がなりたいと思っている、てのは前提だろ?誰も立候補しなきゃどうなるんだよ?」

「その場合は二年生にも鉢が回るらしい。まあ何だ、内申書だのなんだのが気になる年頃だろうからな。なり手は現れるだろうな」

「ふーん……ちなみに青葉は何に立候補だっけ」

「書記なんだが……一体適性試験とはどういうものなんだろうな……」

 うーん、と二人で悩んでいると、不意に教室のドアがバァーンと開かれた。

 

「うむうむ、やはりここにいたようだのう」

 

 そう満足げに頷きながら入ってきた「それ」を、誠と明日華は言葉を失って凝視した。

 「それ」はもう「剛」の一字がとても素敵な具合に似合う男だった。

 まずでかい。二メートルを超す体躯には、はち切れんばかりの筋肉が所狭しと鈴なりになっていた。癖っ毛というよりは針金に櫛を入れたような髪の毛は一応オールバックになっている。髪同様存在感大アリの眉毛の下では、妙に愛嬌のある目がくりくり、と動いていた。そして存在感の塊のようなそれは、まさにのっしのっしというSEがぴったりな具合でこちらに歩いてきた。

「青葉明日華と見受ける。違いないな?」

「あ……ああ、そうだが」

 なぜか身の危険を感じて、誠は肉の壁の前に立ちふさがった。

「あんた……何者だ?青葉に何の用だ?」

「ふむ、余がこの女生徒を力づくでどうこうしようと思っている、と漏らせば、どうするつもりだ?」

 そんなことは

 そんなのは

「絶対にさせない」

 恐怖を押しとどめて、闘気を目に込めて答えた。

「連隊士の誇りにかけて、俺の友達にそんなことは絶対にさせない」

 ぎょろ、と巨人の目が誠を睨んだ。そして巨大な腕が振りかぶられ

「ぐふっ」

 ばしん、と誠の背中に叩きつけられた。と同時に、鼓膜を破らんばかりの音が鳴り響く。

「谷塚君!」

 明日華の声を無視して、誠は巨人を睨み、そして

 

 一気に戦う気を失った。

 

 巨人はいかにも楽しくてしょうがない、という顔をして口を開けていた。どうもこの窓を破らんばかりの音はそこからきているようだった。

 こいつ、笑っているのか?

「連隊士とな!はっはっは、道理でどうりで、小さいながらも鋭く牙を剥いてくるものよ。黒村の奴め、妙に予算ばかり掻っ攫っていくと思ったが、どうしてどうして隊士の教育はちゃんとやっているようだ、わぁっはっはっは!!」

 呆気にとられている二人をよそに、巨人はひとしきり笑うと、笑みを絶やさずに厳かに告げた。

「余は天栄学園四十六代目生徒会長、神谷鉄也である。今回の生徒会選挙、その適性試験の内容を告げに参った。だからまあ安心しろ坊主」

 生徒……会長?

「は……はぁ」

 どうやら先ほどの衝撃は、この神谷なる男にしてみれば軽く背を叩いただけになるようだ。

「さて、試験の内容だが、まあ書き取りが主な内容だ。今回の選挙には貴女含めて三名が立候補しているが、その三名に、現書記、副会長と余が三種の書物の引用を読み上げるから、それを明確に書き記すことを試験とする。よいか?」

「三種の書物に関しては、試験が始まるまで秘匿されているのだろうか、生徒会長殿?」

「うむ、そのとおり。そして我々はいかなる書物でも選ぶことができる。まぁ、さすがに十八禁はないとは思うが……残念だったな、坊主」

「何でそこで俺を引き合いに出すんだ!」

「まあそれはさておき、試験は選挙の一週間前、即ち」

 ごきり、と盛大に首を鳴らして、神谷は不敵に笑った。

「一週間後だ」

 

 

 

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