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「つーわけだったんだよ……」

「……ああ」

 誠は少々くたびれた顔で恭一に先ほどの遭遇を語った。

「ちなみに聞くところによると、会計はソロバンと電卓の早打ち競争になるそうだ。全く、理に適っているようで適ってないような試験だよなぁ」

「……ああ」

「ん?どうした恭一?さっきから三点リーダとひらがな二つしか喋ってないけど?」

「なぁ谷塚」

 すい、と谷塚の隣を指さす。

「あおっちは何が悲しゅうて俺たちの会話を一語一句逃さず書きとめているんだ?」

「書記試験の練習だ。まあ気にせず続けてくれたまえ高田君」

「だそうだ」

「気にするよ!何つーか、これじゃあ馬鹿話もワイ談もできないじゃないか」

「君たちはそんなことしか話さないのか?」

「いや、恭一だけだ」

「おい、そりゃねえよ谷塚」

「うっさいなお結びころりんすっころりん、気をつけないとうな丼をおかずに食っちまうぞ」

「ぐはぁああああ」

「うん、まだ有効だな」

「なあ谷塚君、今のは『グハァァア』であってるだろうか?」

「いや、むしろ『愚破唖嗚呼嗚』だと思うけど」

「そんなのどうでもいいだろっ!」

 鼻息荒く恭一が立ち上がった。

「まったく、何が悲しゅうてこんなことになったんだか……」

「そりゃお前、匿ってもらう代わりに手伝うって言ったからだろ」

 

 それは先ほどのことだった。

 放課後に入り、さて今日も何もないからどうしよっかなぁ、と誠が考えていると、明日華が帳面片手に「付き合ってくれ」と言ってきた。

「え、あ、そ、それは告白、ということかな?」

「そういうベタな冗談を続けると、私は本気で酷吐くことになるぞ」

「……で、何を手伝ってほしい……って、何書いてるんだ?」

「ふむ。速記試験を受けるなら、こうして練習したほうがよいだろうと思ってな」

「それに付き合ってほしいとか?」

「そうだ。頼めるか?」

 うん、と答えた時、教室の扉が開いて、恭一が物凄い形相でこちらに走ってきた。

「匿ってくれ」

「俺の名前は角でもなければ、お前を待つ義務もない」

「ボケはいいから!俺は廊下を全力ダッシュで駈けていった。そんなとこでよろしく」

 そう言って恭一は机の後ろに隠れた。すると

「小僧っ子はいねがぁ」

「……何でナマハゲ?」

 教室の普通はがらがらと開けるドアをスパンと開け、おどろおどろしい声を放つ物体に、誠は冷静に突っ込んだ。

「あー、何だ。ここに高田恭一という生徒が来なかったか?」

「さっき何だか知らないけど、廊下をすごい勢いで走ってるやつがいましたよ」

「そうか……サンキュな」

 そう言うと、ぶつくさ言いながら料理愛好会の部員は教室を去って行った。

「ふぅー、ありがと谷塚にあおっち。恩に着るよ。さあ俺に何かできることがあったら何でも頼んでいいぜ?」

「じゃあ、そこまで言うんだったら……」

 というわけである。

「まぁ、確かに助かったけどさ……でもあおっちも大変だよね。そんな面倒くさいのどうしてやるかね」

「いや、これはこれで楽しいぞ?何というか、イベントではないか。お祭り気分で見守る愚民共の中、私が対抗馬はおろか、現政権すらも震撼させ、畏怖させ、屈服させる。慈悲を請うもの、私の足にひれ伏すもの、己の浅慮を恨み悔やむもの、全てを蹴散らして私は王座に就く。そして私が勝利した暁にはまず……」

 そこで明日華は誠と恭一の引いた視線に気づいた。

「……」

「……冗談だぞ?」

 信じていいものか少し悩むところだった。

 

 

* * *

 

 

「でもなぁ」

 恭一が明栄寮に戻る際に漏らした。

「今回の試験、どう考えてもやばいというかさ……」

「なんでだよ」

「だってさ、出題者に生徒会長が含まれるんだぞ?」

 ふと、先ほどあった巨漢を思い出して、誠は苦笑した。

「まあ、確かに規格外な人っぽいけどさ」

「お前、見た目だけで判断してるだろ?俺が聞いた噂は、そんなもんじゃねえぞ?」

 

 曰く、校長にもタメ口を利いても、全くお咎めのない唯一の人物。

 曰く、他校を勢力下に入れるという野望を持った、とんでもない男。

 曰く、彼の卒業を左右両翼団体から秘密結社、さらに宗教団体すらも手ぐすね引いて待っているという、いろんな意味で将来が気になる人。

 曰く、授業を受けずとも学校の平均レベルが二ランク上になったという、天才児。

 

「……化け物じゃね、あれ?」

「まあな。あだ名が『鉄神』、ってのもうなずけるだろ?」

 まあな、と答えようとした瞬間、誠の足が何かに引っ掛かった。

「どわっ!」

「あ、すっ転んでやがる。だっせ……ぬおっ!」

 恭一も笑おうと口を開けた瞬間に転んだ。

「いつつつつ……何だ?」

「何でこんなところにワイヤーが……」

 その時

 二人が自分たちをたった今引っかけたワイヤーに気を取られた瞬間

 

「恭一くぅん、みーっけ」

 

 ぞわり

 一瞬で石になる恭一。

「な、何だこのものすげえテンション下がる割には心臓がバックンバックンとレッドゾーンで危険信号を打ち鳴らすような、はたまた冷汗ダラダラかつ喉がカラカラにして背筋極冷えな、デンジャラスでウォーニングなボイスは?」

「考えるな……考えたら負けだ……考える前に……」

 恭一がくわっ、と目を見開いた。

「ずらかれっ!」

「させるかっ!!」

 次の刹那、誠は地震に見舞われたような気がした。いや、正しくは地震をお見舞いされたような、よくわからん気分になった。とにかく気がついた時には、これまた筋肉もりもりな若い衆の下敷きになっていた。

「えーっと、脱走してくれた恭一君、生きてますかー?」

「……」

「返事無し?ただの屍のよう?しょうがないなぁ、まだ死んで少ししか経ってないようだし、業者に連絡して臓器の摘出の……」

「はいっ!はいはいっ!生きてます!生きてますからホルモン焼きだけは勘弁して下さい!!」

「そっかぁ、無事だったんだぁ、よかったねぇ……チッ」

 今、舌打ちした?めちゃくちゃ舌打ちしたよね?

「ま、いいや。あ、そうそう、板長がさ、今日は茶碗蒸しの試作してたんだよねぇ。でさぁ、結構洗い物残っててさぁ」

「げ……」

「やっといてくれるよね、恭一くぅん?あ、一人とは言わないからさ、そこの親友君も一緒にどうぞ」

「あ、え、遠慮します」

「まあまあ、そう言わずにさ。?」


 廊下を死刑囚のように引きずられながら、誠は思った。

 筋肉って、俺の鬼門なのかなぁ……

 

 

* * *

 

 

「しっかしやっぱり九十人もいると凄いね、谷塚君」

 面を取りながら仁が汗だらけの笑顔で言った。

「乱取りやってるとさあ、もう他の連中にぶつかりあってばっかだしさ」

「あのさ、新木、顔どうしたんだよ?」

 見ると仁の左目辺りが赤く腫れていた。

「やっぱターミネーター加賀に襲われたとか?」

「いや。同学年の……名前なんてったかな……はすむかい君とかそういうのだった。投げ技喰らった時に面がとれちゃってさ。その後で顔面パンチ食らっちゃった。ああ、大丈夫。こっちも向こうの顔を蹴ってすっ飛ばしといたから」

 ……大丈夫、なのか?

 ふとそう思った誠だが、そもそも連隊とはそういう輩をかき集めたようなところであって、また日本拳法もそういう武道なのである。考えたら負けだった。

「そういやさ、谷塚君のクラスも書記の選挙に立候補した人いるんだって?」

「ああ……何で知ってるんだ?」

「いやさ、僕のクラスにも一人いてさあ。こいつが何だか根暗なガリ勉タイプでさ、僕としてはあんまり票は入れたくないんだよね。で、他にどういうのがいるかなあ、って見てたらさ」

 不意ににやり、と仁が笑った。いつもにやにや不敵に笑っているから、結構わかりづらかったが。

「ところでさ谷塚君、青葉さんって綺麗だよね」

 あともう少しで「だろ?」と返しそうになった。

「僕なら青葉さんに票を入れるかなぁ。ま、どうせならそういった子が当選したほうが、僕もまぁうれしいし」

「お前がうれしくなってどうする。大体、真面目に選挙活動とか捉える気、ないのかよ」

「ないね」

 即答。一瞬足刀を返しそうになった。

「今の僕が熱中するに値するのは、谷塚君をフルボッコするぐらいのことだよ」

「ありがとう。全身全霊で返させてもらうぞ、それ」

 ばこん、と仁が脇に持った面を叩くと、誠は人ごみの中で見知った姿を見た。

 女にしては背の高い、すらりとした体。肩のところで切り揃えられた、黒い髪。射すくめるような吊り目。

 冬原恵理。別名「姉御」。

「お願いします」

「何だい、誰かと思ったら誠坊じゃないのさ。またあたしとやり合いに来たのかい?」

「うす」

「仕方ないねえ」

 すると、不意に恵理が「おや」という顔をした。

「誠坊、顔赤いね。さっき仁と何か話してたのかい?」

「あ、ええ、まあ」

「女かい?」

 にやり、と恵理が笑う。

「え、あっと、その……」

「可哀そうにね」

 遠くで「礼」の声が聞こえる。慌てて蹲踞する誠。

「何がです?」

「お前だよ誠坊。あたしに蹲踞してる時点で、まだ女のことを考えてるお前が、あたしと戦うことになるってのが」

 可哀そうなんだよ。

 恵理の目が怪しく光ったかのように見えた。それに恐怖を覚えて、反射的に誠は顔にストレートを繰り出した。

「南無」

 手首を掴まれた。そう誠が思ったとたんに、肘を押さえられ、そこを支点として肩ごと体を地面に叩きつけられた。日本拳法で言う「逆」の一つ、合気道の一教の応用だった。起き上がろうとした時に、後頭部に恵理の足が降ってきて

 面が地面に再度着陸した。

 

 

* * *

 

 

「ふい〜」

 天栄学園生徒会副会長池田一は、凝った肩を回しながら嘆息した。これで長い一日が終わる。

 神谷があのような桁はずれな体躯と想像を絶する精神の持ち主であるため、副会長である池田の苦労は並大抵ではない。いちいち突っ込めばきりがない神谷の所業を、ある時は諫め、ある時は流しながらもその核となる方向はまっとうなものであるためそれを促進する。この一年間副会長を務めてようやく身についた芸当である。

 生徒の中には、池田の方が生徒会長にふさわしいのではないかという声もある。確かに池田は成績も優秀、カリスマもあり、また身体能力だって低くはない。信じる者は少ないが、実際彼も身長は百八十を超えており、着やせするタイプなので水泳大会などでは注目の的となる。神谷がいなければ、間違いなく生徒会長になれたであろう人材だった。

 しかしそれは裏返せば、神谷鉄也なる人物が一般人とはまさしく格が違うことの証明でもある。もし池田が生徒会長の器だとしたら、神谷は生徒会長というポジションを初めの一歩ぐらいとしか見ていない、そういう器であった。全てにおいて池田を含め全生徒をありとあらゆる意味で凌駕する存在。それでいて、嫌味なところは決してなく、むしろ愛嬌とカリスマとあふれんばかりの男気に恵まれた男。それが神谷である。

 それはもう羨望の域を超えていた。向けられるのは驚嘆と憧れのまなざしである。そして、そんな目を送る者の中に、池田も含まれていた。

 だから

 だからそんな神谷が暴走するとなると、止めるのも容易ではない。そして神谷はえてしてこういうお祭り、もとい行事にて暴走を通り越して爆走する傾向が強い。

「ん?どうした池田、そんな浮かない顔をして?」

 不意に頭上から声が降ってきた。先ほども言った通り、池田は背が高い方である。そんな彼の頭に上から声をかける者と言えば、思いつくのは一人だけである。

「……何でだろうな、生徒会長殿」

「ははぁ。さては貴様も書記試験用の書物を探しあぐねている口か?」

 池田は嫌な予感がびんびんした。目の前の巨人の顔に、悪戯っ気たっぷりの笑みが浮かんだからだ。

「言っとくがな、去年みたいにユーカラみたいな日本語じゃなく、且つ口承系のものはなしだからな」

「わかっとるわい。去年と同じネタを披露するほどの小物に見えるか?」

 見えない。見えないが、全然安心できない。

「……今年はどうするつもりだ」

「まあ急かすなよ。待てばわかる。きっとどいつもこいつも俄然とするような書物を選んで見せよう」

「選ぶなっ!普通の書物でいい、普通ので」

「そういう貴様はどうなのだ?決めてあるのか?」

「そりゃあな。日本語で書かれている、まともな本だ」

 ふふん、と胸を張る池田に対して、神谷は白けたような顔をした。

「ん?何か不服か?」

「貴様、あのなぁ、そんなので万人を喜ばすことができると思っているのか?ん?そんな規則の入り混じった選択では、誰かが思いついているに決まっているさ。遠い遠い、破天荒とは程遠い」

「悪かったな、凡庸で」

 ふん、と池田は鼻を鳴らした。それを無視しているのか、神谷はクックックと喉の奥で笑った。

「まあ……書記候補の者には、全てを賭けて情熱を示してもらおうかの」

 

 

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