ぼぉ、っと窓の外に浮かぶ入道雲を眺めていた。
正直、この頃昼休みが退屈な気のする谷塚誠だった。
天栄祭が終わると、明日華は生徒会の仕事で忙しくなり、この頃は昼休みになるとすぐに教室を出て行ってしまう。それだけでも結構気落ちするのに、恭一も近頃は顔を出しに来ない。一度恭一の教室に行ってみたら、すでに部活に行った後らしかった。
「はぁ……」
クラスの自分への態度の変化もまた、少し憂鬱になる要素だった。何せ正門の突破を三人だけで食い止めた一年生の一人なのだ。誰が目撃していたのかわからないが、噂は一気に広まり、今ではクラス委員長ですら少し腫物を触るような態度だった。恐らくは授業が終わると連隊に駆り出されたりするため、クラスで友達と呼べるのが明日華だけ、ということもあるのだろう。虐めるということはないけど、どうやら不本意ながら怖い人のレッテルは免れないようだ。
外に目をやると、ちょうど二人の生徒が手をつないで歩いているところだった。げんなりとしたため息が自然と漏れた。いいよなぁ、あれ。何つーか、ああいうのを夢見てたんだよ、俺。ふつーに勉強して、ふつーに恋愛して、ふつーに部活して。
なのに
誠は自分の今の境遇を思い浮かべた。そもそも、恋愛がふつーじゃない。書記選挙の時に加賀に聞かされた話じゃ、青葉明日華という人物は、そんじょそこらの馬の骨が憧れていいような人物ではないらしい。本人からはそんな雰囲気は感じられないが、結構な家のお嬢様だという話だ。そして部活。これはもうふつーなんてものじゃない。これがふつーだったら、某SOSな団長さんは一生かかってもふつーじゃないものなんて見つかんないんじゃないか、と思えるほどふつーじゃない。何が悲しくて毎日いろんな重いものを身につけた状態で走ったり、防具つけてフルコンで殴りあったり、木銃でどつき合ったりせにゃならんのだ。いつかそんな毎日になれちゃうんだろうか。いやだなぁ。
「せめて勉強ぐらいはふつーでいたいよなぁ」
その勉強も、このところ少しばかりあまりよろしくない。天栄祭だのなんだので駆り出されてから勉強のペースが崩れたり、睡眠時間と体力の消耗のバランスが壊されたりで、授業中に眠ったりすることもあったり。天栄学園はそれなりの進学校なので、試験の結果が良くないと、いろいろと困るわけだ。
「そいつぁ困ったな」
「だろ?どうにかしなきゃなぁ、とは思ってるんだけど、モチベーションがなぁ……」
「そこんところは心配するな。雰囲気的にも他の意味でも勉強をせざるをえないような状況を作ってやる。まぁ、お前みたいに問題視している奴なら、大丈夫だろうが」
「それはありがたいな。どこだよ、そこ?」
そこで誠はふと気づいてしまった。あまりにも自然な会話で、しかもぼうっとしていたから、今の今まで頭に浮かんでこなかった疑問。
「決まっているだろ」
俺は今、いったい誰と話をしている?
ゆっくり、心臓に悪影響を与えない程度の速度で声の主を見る。
「連隊付座学室だ」
にかっ、と加賀が笑った。
だりぃ。
向井良二は屋上に寝そべりながら、目を閉じていた。
季節は春から夏への変わり目。太陽光がちょうどいい具合に体を温めてくれている。そのままゆるゆると眠りの世界へと昼の日差しが誘う。
ここのところ、連隊徒手格闘の乱取りになると、決まって自信満々気な二年生やら三年生やらがのそりと目の前に立つ。加賀とか言う二年生の言ったとおり、どうやら天栄祭以来変な注目を浴びてしまったらしい。おかげでこんな陽気な昼ごろは眠くて眠くて
ぎゃぼぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
眠気が吹っ飛んだ。
と同時に、何かが激しくブチ切れる音がした。
良二はすっくと立ち上がると、今しがた惰眠タイムの邪魔をしてくれやがったド馬鹿野郎にちょっとした挨拶をしに行こうとして
「……何だてめえら」
グラサンにスーツ、イヤホンという格好をした男たちに囲まれた。
「一年三組、向井良二だな?」
一人が聞く、というより確認を取る、という具合に言った。
「話がある。ここでいいかな?」
連隊が呼んでいる!
四話 私権剥奪試験週間
「あ……あ……」
誠は教壇の後ろから、さっき自分のいた辺りに視線を恐る恐る送った。
「何だ、そんなに怖がることねぇじゃねぇか」
ぶす、とした顔で加賀が言った。
「ちょ、ま、あんた、加賀先輩、いつの間に?!」
「お前がぼさっと窓の外を眺めていた頃から」
つまりは昼休みが始まって早々、ということになる。
「ななな何をしにおいでなされたのでありますか?」
「別にそうかしこまらんでも……いやまぁ日頃懇意にしている谷塚ちゃんが、窓の外を眺めてブルーな青春を送っていたから、ちょうどいいので相談に乗ってあげようと思ってさぁ」
「いえいえ結構ですのでお戻り下さい。連隊士たるもの、問題は自分で解決しなきゃ」
「そう頑なになるなよなぁ、同じ連隊で汗をかき涙を呑み血を流した仲じゃねえか」
「正直言って加賀先輩が泣いてるところなんて想像できないです」
うぅぅ、と睨み合うと、不意に加賀が内ポケットから紙を一枚取り出した。
「ところで、これなぁ〜んだ」
「?」
紙切れをひらひらさせた後、加賀はそれを読み上げた。
「谷塚誠。現国T:65点、現国U:63点、数学:72点……」
「うわぁぁああああああああああ!」
ばっとその紙を取ろうとするが、さすがは加賀、そこをひらりと交わす。
「数字ってもんは残酷だよなぁ、谷塚くんよぉ」
「な、何で課が先輩がそんなもん持ってるんすか!あ、わかった、特応班の力で職員室に忍び込んだんだな」
「何でそんなことをせにゃならん。これは職員室から連隊に送られたものだ」
その言葉で誠の目は点になった。
「それって……どゆこと?」
「いくら連隊でも、お勉強サボってると怖いお兄さんたちがやってくるって話さ」
「はぁ……いや、よくわかんないんすけど」
すると加賀は「やれやれだぜ」という素振りを見せた。結構むかついた。
「要するにだな、連隊ってのはそりゃ体力バカの集まりだけどよ、学生の本分てのはやっぱ勉強にあるわけだろ?だから連隊士たるもの、学業もしっかりいい成績を出さんといかん訳で、だから期末試験近くに成績不振な奴がいた場合は、このとおり天幕に連絡が行く」
天幕とは連隊の中枢というべき機関で、連隊を指揮する生徒幕僚長、その副官、そして数人の代表からして成り立っている。つまり成績が落ちてきていたりすると、本人をそっちのけで連隊本部に連絡が行くということになる。
「それって個人情報駄々漏れっすよね!?」
「……なぁ谷塚、お前、連隊の何だ?」
「え?いや、一年隊士ですよ?」
「だよなぁ。それ始めてから二ヶ月だよな?」
当惑した顔で加賀が聞いてくる。誠には何が何だかさっぱりわからなかった。
「一年隊士に、まさかとは思うが人権とかそういうものが与えられると思ってるのか?ん?」
「ないんですか?!」
「あるわけねえだろ。てめえらのケツは、俺やその他の先輩方が握ってるんだからよ」
「そんな横暴な」
「横暴も糞もあるか。連隊だぞ」
なぜか妙に説得力のある言葉だった。
一応補足しておくと、連隊というものの起源が起源であるからして、こう言った少しばかり強引な手口が使われるのである。そもそも保安推進部の成立時の存在意義というものが、校内の不良にエネルギーの発散の場を嫌というほど与え、且つそれを学園のために使用し、更生させるというものであった。つまり保安推進部の当初のメンバーはいわゆる落ちこぼれの不良、ということになり、彼らの中には勉強に対するコンプレックスがある者もいる、ということになる。そしてそれらのコンプレックスを払拭するためのシステムもまた存在する。
また組織としても「ほら、うちの部員は活動だけでなく勉強もちゃんとできますよ?」という風に立証しておくと、いろいろと言われなくなるというのも事実だった。
「ああ、そうそう、こんなもん預かってるのな」
話を変えるかのように、加賀がまた内ポケットから紙切れを取り出した。
「お前宛。読んでみ」
疑わしげに誠はそれを見て、そしてきちんと折りたたまれたそれを開いた。
「まぁ心配すんな。向井と新木も一緒になるだろうからな」
加賀がそういって笑ったが、誠には聞こえていなかった。注意は紙切れに書かれている文に行っていて、当分戻ってきそうになかった。
命令書
発:天栄学園保安推進部幕僚長副官 林清正
宛:天栄学園保安推進部部員一年導入科 谷塚誠本日、貴官の最近の成績不振に関する情報を職員より受領し、厳粛なる審査の後保安推進部による補習活動を必要と認める。
命:イ)命令書受領した日に、授業終了時に一旦量に帰還し、筆記用具及び教科書を持参して中央棟A202室に出頭すること
ロ)出頭後、担当班長の指示に従うこと。貴官の担当班長は加賀清志郎二年特科員
ハ)上記にして、いかなる遅延もこれを許さず
目では読んでいても、頭が受け付けなかった。
受け付けたくなかった。
しかし現実は真に残酷で、誠が自分の固有結界の中で「あーっ!あーっ!きっこえなぁああああいいいいいいいぃいい!!」と必死に喚いているうちに、屈強な腕が首の周りに置かれる。
「つーわけだ。まあ、何だ、期末試験が終わるまでよろしくな、谷塚君よ」
もういっそ殺して。