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 扉を開くと、そこはお花畑だった。

 なーんてサイケデリック且つシュールな光景は当然なく、あったのは班分けされた机と、まばらに座っている生徒たちだった。

「おう、来たな」

 加賀が片手を挙げた。

「お?向井も来てたのか」

「あ……お前もかよ」

 良二は既に勉強道具を展開しており、更には既に口にシャーペン突っ込んでピコピコしているという、誠よりも二歩先を歩いているようだった。

「何でお前がここに……って、まあわかるけどな」

「屋上で寝てたら、黒いスーツの連中に連行された」

 いきなりスパイ映画のようなことを言う。

「黒い、スーツ?」

「そりゃあ諜報科だな。連中、普段は辺りに溶け込むくせに、いざとなったら黒スーツにグラサン、てのが礼儀らしい」

 隣から加賀が身を乗り出してきた。

「諜報科の連中、強かったろ?」

「さあ。殴りあわなかったからな」

 すると、誠と加賀は顔を合わせた。

「んだよ、何そんなに驚いてやがる?」

「だって……なぁ?」

「お前、勉強会に連行、だったら暴れそうじゃん」

「しねえよ、んなこと」

 ったく、と言って良二は椅子に寄りかかった。つまり、何だ、こいつは見た目によらず真面目なのか?いや、でもここにいるってことは、いやいやいや、俺だって不真面目って訳じゃないじゃん?もしかするとさぁ……

「潔いのは結構だけどな、向井、いくらなんでもテストすっぽかしたりするのはまずいだろ」

 加賀の言葉で印象がひっくり返る。

 やっぱこいつは不真面目じゃん!

「むしゃくしゃしてやった。反省はしている」

「いやいやちょっと待て。むしゃくしゃしたからやるなよ、普通」

「さてと、これで二人揃ったな。あと一人か」

 加賀がため息混じりにそう言った。

「あと一人?」

「ああ。新木も俺の班なんだけどな。捕まらんそうなんだ」

 仁が、ねぇ?

「俺、こいつは微妙だけど、新木って奴?あいつは普通だと思ってたんだが?」

 良二が誠をくい、と顎でしゃくりながら言った。俺は微妙ですかそうですか。

「俺もまぁそう思ったんだけどな、教師の話によるとちょいとやべえらしい」

「やばい?」

 今度は誠と良二が顔を合わせる番だった。

「ああ。何でも授業中居眠りの常習犯で、宿題も提出しなかったり、提出されてても酷い有様だったり」

 うへぇ。

「いくらなんでもそこまで?」

「しかし奴さん、どうも諜報科の連中から逃げてるようでさ。うまく踏み込めないんだそうだ」

 その時、がらがら、と扉が開き、二年生が数人入ってきた。

「お、加賀」

「ういっす」

「何だお前ら、どっかで見たような」

「おい、あれだよ。校門でさぁ」

 そのうちの一人が指を指して言った。すると横の数人も、ああ、と反応する。

「あいつらか」

「うわ、かわいそ」

「頑張れよ一年。三人で喧嘩してたんだから、まぁ生き延びられるだろ」

「お前、人のこと心配してんじゃねーよ」

 そう言いながら奥の机に座る二年生たち。その表情が気になって誠は加賀に手招きした。

「何だ」

「あの……何だか元気なさそうじゃないっすか」

「ああ……あいつらな、去年は三回連続これに召集されてんだよ」

「はぁ」

「つまり諦めと慣れだな。ま、お前らもここを今日出る時はわかるさ」

 さて、と言って加賀は机の下から何か分厚いものを取り出した。

「何だそれ」

 良二が興味なさ気に言うのを聞きながら、誠はそれをめくってみた。

「決まってるだろ。期末テストの過去問」

「は?」

「今日は谷塚は英語で、向井は数学か。よし、じゃあこれな」

 どさり。

 十五ページほどあるそれを、二人の目の前に置く。

「これ、全部やり終えたら俺を呼べ」

 そう言うと、加賀は自分の勉強道具を広げてさっさと始めてしまった。

「……」

 良二と誠は顔を合わせる。

「さっさと始めろ。とにかく終わったら俺を呼んでいいんだからな」

 つまりは終わらないと帰してもらえないんだろうか。

「ま、何とかなるか……」

 誠はシャーペンを取り出すと、ため息をついて最初の一ページを捲った。

 

 

* * *

 

 

「じょ、冗談じゃ、ねえぞ」

 廊下を歩くのがこんなに大変だとは。

 もう精魂果てて意識の維持すら間々ならない良二に肩を貸しながら、誠は呟いた。

 そもそもテストというのは、大体一時間ほどかかることを想定している。無論それはそれらの範囲に熟知している場合を想定しているので、準備ができていない場合はさらに時間がかかる。また、試験ではわからないところは無解答にしておくことができるので、わからない場合はお手上げとするから時間はさほどかからない。しかし我らが獄卒の加賀がそんな甘っちょろいことを許すだろうか。

 否。

 無論全部調べ上げ、頭に乱暴に(ビンタと共に)叩き込まれたわけである。そして今日渡された試験問題の数は五つ。気がつけば夕飯の時間は過ぎていた。

 しかしそれでも誠はまだましなほうだった。一応授業にはついて行っているし、それなりに勉強はしているから、ある程度はわかっていた。しかし良二の場合は問題は深刻だった。誠なら教科書を開けばある程度わかるレベルですむのだが、良二は教科書を読んでもわからない、というレベルなのだった。どれだけ授業をサボったりしてるのか、ちょっと興味があった。

 とまぁ、良二が最後の問いに正解したのは、もう夜も遅く、深夜とも言える時間だった。それまでの間、誠は「班の連帯責任」ということで付き合わなければならなかったのだが、最初はまぁ適当に時間をつぶしておけばいいやと思っていた。しかしその考えは、周りを見て一気に吹き飛んだ。

 特にプレッシャーとして激しかったのが二年生・三年生班だった。一人ひとりの背中からは念と言おうかオーラと言おうか、何だかよく訳のわからんが不気味なものが漂って、もとい、迸っていた。そんな鬼気迫る環境の中では、トイレに立つのも

「押忍。二年普通科員朝間圭吾、便所に行ってまいります」

「何だと。こんな切羽詰った時に便所だと。貴様、なっとらん。背を伸ばせ歯を食いしばれ」

 ずばこんっ

「押忍。ありがとうございました」

「押忍。現時刻二○一一。帰還時刻は遅くとも二○一三とせよ。了解か」

「押忍。了解しました」

「三歩以上は駆け足。早く行け」

 ちなみに、最寄のトイレはここから距離的に百メートルはある。しかし誠が一番驚いたのは

「何だ貴様。何を見ている」

 その班長たる三年生が女生徒だということだった。

 とまぁ、こんな状況でノートに落書きはおろか、姿勢を崩して座るということでもしようもんなら、「なっとらん」ということで「気合注入」のための「教育措置」を受けることになる。眠るなんて以ての外だった。

「絶対に不公平だ……そうだ」

 そもそも、誠がこんなに疲弊しなければいけないのは、「班の連帯責任」というもののせいだった。無論良二を責める気にはならない。そもそも、自分にも落ち度があるからこんなことをする羽目になったのだから。

 

 しかし。

 

 しかし、同じ班に組しながら、一人だけ今も豪華な睡眠をむさぼっている奴がいる。あの地獄の苦痛を味わうことなく日々を過ごしている奴がいる。

「よおし……」

 腹いせじゃないぞ?と誠は自分に言い聞かせた。あいつがチョロチョロ逃げ回っているのは、連隊にとってもよくはない。これこそ「班の連帯責任」を果たすべきところじゃないか?

 

 

* * *

 

 

「はぁ……」

 会議が終わって、明日華はため息をついた。

「あらぁ?青葉さん、どうかなさったんですか?」

 麻部が人懐っこい笑みとともに聞いてきた。

「いや、私の友人たちがこの頃忙しくて、少々退屈しているところなんだ」

「青葉さんのお友達といいますと……あらあら」

 頬に手を添えて、意味深げに笑う麻部。

「青葉さんも青春ですね」

「……どういう意味だ?」

「思いを馳せる殿方が構ってくれなくて、淋しいんですねわかります。では、こうしましょう。私がその無聊を慰めるということで」

「ちょっと待ってくれ。あ、脱ぐなっ、ブレザーを脱ぎ始めるなっ!」

 その声を聞いて会計君が鼻血を盛大に撒き散らせながらぶっ倒れた。純情はいつも損をする。

「青葉さんのお友達といいますと、天栄祭で正門の防衛を見事果たした三連隊士の一人、谷塚誠さんのことですよね」

「ああ、友人の一人だ。友人一人だからな」

「男女の間に友情なんて……青葉さんもまだまだですね」

「何がどうまだまだなんだ?」

「ちなみに私と青葉さんの間にも友情はありえませんよ?」

「……それは私を嫌っているということなのか、麻部先輩」

「魔☆詐☆禍。さぁ、青葉さんはじっとしていればよろしいんですよ?」

 怪しげな笑みと共に明日華に詰め寄る麻部。

「それぐらいにしとけよ、麻部」

 やれやれ、と言わんばかりの口調で、池田が言う。正直、救われた、と明日華は思った。

「あらあら池田君、妬いてくれてるんですか?」

「ばっ、なっ、ちげーよ」

 すると、部屋の向こう側から声がかかる。例によって存在感が五割増しな声だった。

「あの坊主なら、連隊付座学室に連れて行かれた、ということだが?」

 それを聞いて、池田と麻部の顔にすだれがどろどろとかかる。

「連隊……座学室?」

「そ、そういえば……期末試験が近づいてきましたね」

「座学室?何だそれは?」

 腕を組みながら、神谷は笑った。

「中央棟にある部屋の一つでな。期末試験の近くになると、成績が平均八十以下の者はそこに放り込まれて補習を受けるそうだ。しかし今年も厳しくしごくようだよなぁ、ん?」

 最後の問いは、これまた座ったまま書類を整理している黒村生徒幕僚長に向けられていた。ちらりと神谷を見る黒村。

「そうだろうな。連隊の質は落とすわけにもいかんからな。余もな、あの天栄祭の防衛戦、あの事態収拾の早さには舌を巻いたぞい」

 黒村はとんとん、と書類をまとめ、そして一瞥する。対して神谷は満足げに頷いた。

「うむ。大儀であった」

 黒村はそのまま何も言わずに部屋を出て行った。

「そういえば」

 明日華が議事録をめくって確認する。

「生徒幕僚長殿は、会議においても一言も喋らないが、あれは何か思うところがあってのことなんだろうか」

 生徒幕僚長は、生徒会の通常会議ではもっとも発言力のないポストである。とどのつまり、彼の役目は連隊の統括であり戦力の維持である。その上発動の権利を普段から握っているとなれば、一生徒による学校の独裁政治も起こりうる。だから幕僚長は生徒会の決議には参加しない。あくまでも連隊の運営に関して適切なアドバイスを与えるのみに役目はとどまる。
思うところ、とはこの場合それを指していた。

「いや、黒村はいつもあんな感じだよ」

「なっ」

「普段から何も喋らない。教師も彼に当てるのはもう諦めてる。まぁ、成績は優秀だから、あまり文句は言えないしな」

「し、しかしそれではいろいろと問題があるだろう?連隊の運営にも支障が……」

「黒村先輩の意を理解できるのは、神谷君と副官の林君です。林君がいるから、連隊はうまくいってます」

 そう、神谷の鉄神伝説には、「あの黒村とまともに会話ができる」というのが含まれているのだ。

「それにしても、青葉さんさっきのはなしですけど」

「さっきの話?」

 にまぁ、と麻部が笑う。

「本当に谷塚君とは何もないんですか?お付き合いなさっているとか」

「……谷塚君は私の友人だ」

 明日華はただ簡潔にそう言うと、荷物をまとめた。

「お疲れ様です、青葉さん。よろしければ後で私の部屋にて……」

「謹んでお断りさせてもらう。では」

 そう言って、明日華は生徒会室を出た。

 

 うん。谷塚君は私の友人だ。大事な、友人だ。

 

 

* * *

 

 

「来るかなぁ」

 良二が疑わしげに扉を見る。

「絶対に来るって。保障する。それより、ほら、進めないとまた夜になるぞ?」

 かりかりかり、とシャーペンを進ませる誠。数学は割りと得意なほうだった。

「そうだそうだ。俺だって忙しいんだからな」

 加賀が二人の顔を見ようともせずに言った。

「そういや、加賀先輩は何で班長なんかに?」

 ふと疑問に思って聞いてみた。確かに、教えながら勉強では、効率は悪いだろうに。

「実は加賀さんも赤点組とか?」

 ぽかり、と良二の頭に加賀の拳固が飛んだ。

「馬鹿野郎、俺がそんな風になるわけねえだろ」

「……ないんすか」

「いいか、時間ってのはだな、起きてる時間と寝てる時間に大雑把に分けられるんだ。起きてる時間を多くしなきゃならんなら、寝てる時間削ればいいだけの話だろ」

 そんなに簡単な話だったら、人生の問題の七割ぐらいは解決されちゃうんじゃないだろうか。

「ちなみに特応科の訓練では、睡眠欠乏の耐久力も鍛えるからな。おかげでこんなに」

 いいぞぉ、特応科は、と笑う。

「で、実際はどういう理由で?」

「ま、俺がその気になりゃ、サボろうとする奴なんていないからな」

 ちなみに仁を迎えに行くのは諜報科の役目となっていた。諜報科の仕事がどれだけ大変かはわからないが、加賀がもし捕まえに行くことになったら仁は昨日も来てたに違いない。

「だけど班のメンバーは選ばせてもらった」

「は?」

「何でまた?」

「お前らが馬鹿だからな」

 ぐ、と二人は答えに詰まった。すると、加賀は二人を見据え、そして笑った。

「で、こういう仕事を二つ返事で引き受けちまう俺も馬鹿だ。馬鹿は馬鹿同士、仲良くやろうや」

「……はぁ」

「だってよぉ、頭のいい切れ者なら、何か言う度に変ないちゃもんつけてきそうでさ。そんなこと考える暇あるんだったら別なことしてろよって。時たまいるんだよなぁ、銃剣道で何かしてるときでも、『でも実際はこういかないでしょ』とか『俺ならこうするけどなぁ』とか。で、そういう奴に限ってうまくいかないんだよなぁ」

 ようするにだ、と加賀は締めくくる。

「お前らみたいに素直に一生懸命やってる馬鹿のほうが進歩するって話だ。つーわけで頑張れ」

 すると、廊下からタンタンタンタン、と駆け足が聞こえてきて、そしてがらりと扉が開かれた。

「谷塚君っ!冬原の姉御があられもない姿でサービスしてくれるってのは、ここかっ!」

 仁が息を切らして座学室に入ってくると、刺すような視線が四方から向けられた。

 

 いらっしゃい。

 

 回れ右をしようとする仁の肩を、不意に誰かが掴んだ。

「仁、まぁそう急いでいかなくてもいいんじゃないかえ?」

「ふ、冬原の姉御……」

 心臓発作を起こしそうなほど冷たい口調で恵理が笑う。

「何をどう吹き込まれたのか、誠坊と一緒に後でたっぷり聞きだしてあげるけど、今はまぁ中にお入り。精一杯その骨身にしみるほどサービスしてあげるから」

「あ、え、いえ、結構で」

「いいから」

 この後、誠と仁がどういう目にあったのかは定かではない。良二はそのことについて触れようとはしないし、誠と仁においてはその時の記憶がすっぽり抜け落ちているからだった。

 

 

 

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