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「じゃあ、俺はここで」

「おう。後でな」

 誠は「一‐4」と札で記された教室の前で恭一と別れると、スライド式のドアを開けて中に入った。

「俺の席はっと……」

 そう言いつつ、前から三列目の窓際の席に座った。何とはなしに窓から中庭を眺めてみる。春の日差しを受けながら、中庭の中心にそびえ立つ楢の木が風を受けて揺れた。

 しばらくその静かな葉っぱの擦れ合いを聞いていたら、急に教室の扉が開いた。反射的にそちらを振り返って、誠は静電気に触れたかのような衝撃を受けた。

 肩と腰のちょうど中間まで伸びた、濃い茶色の髪。それをヘアバンドのように纏め、右側で十字に結んである深紅のリボン。横分けにされている前髪。凛とした顔。すっと伸びた背筋。

 その濃い紅茶のような色をした双眸が、誠を捉えた。彼女は、鞄を自分の机の上に置くと、誠の座っている机の前の机に腰掛けた。

「おはよう、谷塚君。昨日はどうだった?」

 どうやら名前は覚えてもらっていたようだった。それだけのことなのに、誠の頬が緩む。

「どうしたんだ、朝から変な顔をして?」

「い、いや、何でもない」

「私の顔に何か付いているのか?」

 そう言いながら彼女は自分の頬を不安げに触った。

 はっきり言ってツボッた。

「今度は机に突っ伏したり……いろいろと忙しい奴だな、君も」

「き、き、気にするな。大丈夫だから。それより、君こそあの後どうなった?」

「ん?ああ、まあ生徒会執行部に入るとなれば、他の部に入ることは時間的にできないだろうから、少しの間散策した後、帰宅した。君はどうだった?」

「あ、いや、別に面白い所もなかったから、その、何だ、適当に歩き回った。うん」

 後を追っかけようとして間違えて落とし穴に嵌りました。

 なんて言えるわけがなかった。

「そうか。まあ、いい部活に巡り合えるといいな」

 そう言って彼女は笑った。本当に、春の日差しに似合う笑い方だった。

「そう言えば、青葉は家、近いのか?」

「近いと言えば近いだろうな。ここから歩いて三十分ほどか」

「へぇ……結構遠いんじゃないか?」

「ああ、そうかもしれないが、まあ朝の運動というやつだ。私は滅多なことでは寝坊しないので、いつもこの通り中学では一番乗りだったんだ」

「ここんところ俺の勝ちだけどな」

「谷塚君は数に入らないだろう。寮生活で、歩いて三分の距離にいるんだからな。どうだ、明日あたり寝坊してみろ。うん、そうしろ。そうすれば私が一位だ」

 誠は苦笑いをすると、欠伸をかみ殺した。

「ほう。私は君を退屈にさせているのか?すまないな、これからはなるべく喋らないように心がけよう」

「いや、そうじゃなくてだな、俺のルームメートの高田って奴のせいで、昨日ちゃんと眠れなかったんだ」

「……朝っぱらから君は何を言っているんだ?」

 不意に彼女が不快そうな顔で誠をにらんだ。

「え?」

「大体、君は寮に入ってから一週間も経っていないじゃないか。そんな短い間にそんな関係になるとは、不埒にもほどがあるぞ。ここはまず交換日記から初めてだな、デートを数回繰り返して……と、そういう問題じゃないっ!」

 彼女は顔を真っ赤に染めて机を拳で叩いた。

「お、おい青葉……」

「と、とにかくだ、男子同士でそういう不健全な行為にふけるのは、知り合いとしては全く許容できるものではないので、即刻辞めてもらいたいっ!」

「……あー」

 誠の寝ぼけた頭の中で、ようやく意図のこんがらがりが見つかった。と同時に笑いがこみあげてきた。

「何だ!何がおかしい!」

「いや、眠れないってのは、そういう関係じゃなくて、あいつのいびきで眠れなかったって意味だから……」

「っ!!」

 真っ赤な顔のまま、彼女は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「つーか、俺と恭一が……って、お前何想像してるんだよっ!」

「遅いぞ」

 うがーっと吠える誠に対して、彼女は冷静に突っ込み、睨み返す。しばらくそうした後、どちらともなく吹き出し、笑った。誠は脇腹を抱えながら。彼女は真っ赤なまま、ころころと。

 

 

* * *

 

 

「すまないが、迷ってしまったようなんだ。助けてくれないか?」

 恭一と別れて、ぶらぶら歩いていると、後ろから声をかけられた。誠が振り向くと、見知らぬ少女が少し不安げにこちらを見ていた。

「迷ったって……どこに行きたいんだ?」

「ああ。生徒会室に行きたいんだが……」

「生徒会室?あれ、それって中央棟にあるんだよな?」

 パンフレットを見て確認する。中央棟の二階。ああ、確かにそうだ。

「そうなんだが……ここは中央棟ではないのか?」

「ないのかって……ここは東部棟だぞ?さっき棟と棟をつなぐ廊下通っただろ?」

「……そう、なのか?」

 少女は悩ましげに首をかしげた。赤いリボンが揺れる。

 

 その時点で

 

 谷塚誠は

 

 どうしようもなくツボッてしまったのだった。

「すまない。私は時たま発作的に方向音痴に……って、大丈夫か?」

「あ、ああ。大丈夫だ」

「顔が、赤いようだが?風邪なのか?」

「いや。大丈夫。大丈夫だって」

 首をぶんぶんと振ると、少女は少しの間心配そうな目でこちらを見ていたが、パンフレットを取り出すと、校舎の地図を指さした。

「今、私たちはどこにいるのだろうか」

「ここ。東部棟二階のここらへん」

 中央棟からはかなり離れていた。

「そうだったのか……」

「つーか、発作的に方向音痴って何だよ?」

「いや、そういう体質なんだ。しょうがない」

 少女がため息を吐いた。苦労してるんだなぁ、と思う反面、そういう顔も可愛いな、と思ってしまった。

「で、今ここなのか。うん、わかった。ありがとう」

 少女が手を挙げて歩き出そうとした。

「ちょっと待てよ」

「どうした?」

「いや、その、何だ、名前、聞いてなかったな」

「うん?ああ、失礼。私は青葉明日華と言うんだ。クラスは一年四組」

「え?一年四組?ホント?俺もそうなんだ」

「ほう」

 明日華が眉を上げた。

「俺は谷塚誠。よろしくな」

「うん。よろしく、谷塚君。これも何かの縁だな」

「ああ。で、君って方向音痴なんだっけ?」

「……うん」

 苦々しげに明日華が頷いた。

「じゃあさ、生徒会室まで一緒に行こう。そしたら迷わないだろ?」

「それは……でも迷惑だろうに?」

「迷惑なんかじゃないさ。どうせここには面白そうなのなんてなさそうだし」

 誠は歩きながら言った。

「そうか……では、お言葉に甘えさせてもらおう……ふふっ」

 明日華は少し恥ずかしげに笑った。

「何だ?」

「いや何、男子生徒にエスコートされるのは、これでも初めてだからな」

かぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ

「な、何言いやがりますか、あなたはいきなりっ!」

「そう怒鳴らなくてもいいだろう。さあ行こう」

 様々な不満を噛み殺しながら、誠は歩き出した明日華に向かって言い放った。

「言っとくけど、そっち、逆だからな」

「……」

「……なんてね。そっちであってる」

「……結構意地悪なんだな、君は」

 

 歩きながらいろんな話をした。

「君はどこから通学しているんだ?」

「あ、俺してないんだ。寮生だから」

「ほう。では実家はどこにあるんだ?」

「……聞いてもわからないようなド田舎だよ」

「そうか。私はこの町に住んでいるんだ。中学はここから電車で駅二つのところだったんだがな」

「ふーん……で、あ、青葉は、何で生徒会室なんかに行きたいんだ?」

 名字だけでも呼ぶのに結構苦労する。

「どうしてだと思う?」

「あ、もう既に悪いことしたとか?それで呼び出し喰らってるとか?」

「君には私がそんな品行不良な生徒に見えるのか?少し、か弱き乙女として悲しくなるぞ?もういいちょっと角で泣いてくる」

「ごめんなさいごめんなさいぃ調子に乗りましたぁ冗談でしたぁ!!」

「いや、私も冗談だから」

「…………」

「面白いな君は」

「いや、そうやって僕ちんのナウでヤングなハートをいぢめないでくれ、な?」

「ナウ?ヤング?それは、ひょっとすると、流行語か?」

「え、知らないの?おっくれってるぅ」

 三十年ほどな。

「そうか。覚えておこう」

 いや覚えないでいいっす。

「それよりも何で生徒会に?入りたいって理由なんだろうけど」

「ああ。そうだった」

 不意に真面目な顔になって明日華が誠を見据えた。

「なぁ、谷塚君は何をして生甲斐を感じる?」

「何って……」

 日がな寝ころびながらポテチ片手に漫画を読みふけること。

「読書とは、結構インテリなんだな。意外だ」

「……ははは」

「私は、どうも何かのために何かをするのが性にあっているらしい」

「というと?」

「例を挙げればわかりやすいだろうか。私は中学の頃、生徒会長をやっていた」

「へぇ。そりゃすごいな」

「あの頃は、学校を我が色に染めてやろうと思っていろいろと無茶をやったが、まあいい経験になった」

「はぁ……」

「一番楽しかったのは、勧善懲悪ウィークだったな。生徒会員が徒党を組んで、いじめなどを行っている生徒を見つけるや否や、颯爽と現れて事件解決、ええいこの印籠が見えぬか、という具合に一週間を過ごした。あれはあれで人のためになるとはどういうことかじっくり味わえたいい経験だった」

 ……何か非常に、こう、ずれているというか……

「ついでに言うと小学校の頃はザリガニ飼育係だったぞ」

 すげえ出世だな、そりゃ。

「……それで、生徒会に入ってみようと?」

「ああ。正しくは執行部にだな。無論、一年生にやらせてくれる役割なんてちっぽけなものだろうし、そもそも選挙活動があるからそれに当選したら、の話なんだ。でも、できることはやっていきたい。それだけだ」

「……やっぱ凄いんだな、青葉は」

「で、谷塚君はどういう部に入りたいんだ?」

「……目下検討中。あ、着いたぞ」

 誠と明日華は「生徒会室」と書かれたプレートの前で止まった。廊下には、生徒会の役員らしい生徒が真剣に少し軟派な感じの新入生を勧誘していた。

「じゃあ、ここで」

「ああ。明日な」

「うん」

 そう言って、誠は踵を返した。そして角を曲がり、美術部の絵を少し見てからさっきの場所に戻った。明日華はもうどこかに行ったようだ。

 ふと、妄想をたくましくしてみる。もしここで、俺も生徒会執行部に入れたら……

 

 

『おい青葉、俺も生徒会執行部に入れたぞ!』

『何だって!すごいじゃないか!』

『へへへ、まあ、俺の献身的な気持というかな、学園を思う気持ちが、あいつらのハートをキャッチしたようだぜ』

『……何だかよくわからないが、しびれる言葉だな。すまない、谷塚君、いや、誠と呼ばせてもらっていいだろうか』

『おう、いいぜ明日華。で、どうした』

『今まで……お前がこんなに格好いいとは気付かなかったんだ。その……私でよければ……』

『おいおいおい、気の早い姉ちゃんだな。まあいい、面白いところにちょっと連れて行ってやろう』

『ああ、誠……』

『へへへ、可愛い奴だな、明日華は』

 

 

「……よし」

 誠は緩み切った顔を叩いて元に戻すと、まっすぐに勧誘を続けている先輩に向かって歩き出した。

 

 

* * *

 

 

「という筈だったんだけどなぁ……」

「どうかしたのか?」

「いや、何でもない」

 誠はため息をついた。

「しかしまぁ、今朝は迷わなかったようだな」

「うん?ああ、あれは前にも言ったように発作的でな、時々起こるんだがいつ起こるかはわからないんだ。おかげで少々迷惑している」

「どうするんだ?」

「うん。まあ一番いい方法は南極辺りの島に住んでいる異星の少年に地図をインプットしたネズミ型ロボットを作ってもらうことだが」

「懐かしいネタだな」

「ではパンを千切って歩くところどころに落とすのはどうだろうか」

「童話に走る前に、掃除当番の身にもなってやれよ」

「仕方がない。毛糸のボールを使って……」

「結局行きつくところは神話かよ」

 むぅ、と首をかしげる明日華。

「まあ、今まで何とかなったし、これからも何とかなるんじゃないか」

「無責任なことを言うな、君は」

 その時、クラスの引き戸が開き、ちょうど明日華が座っていた机の持ち主が入ってきた。明日華は肩をすくめると、机から降りた。

「では、また後で話そう、谷塚君」

「あ、ああ」

 その後、一時間目が終わるまで誠は前の机の持ち主を睨んでいたという。


 

* * *

 

 

「何か忘れてる気がするんだよなぁ」

 背伸びをしながら、誠は呟いた。机に向かっていた背骨がボキボキと音を立てた。

「お前が忘れてるもの……それは幼かったころの純情だ」

「いやそこでそんなおセンチになられても……しかし、何だろうな、本当に忘れちゃいけないものを忘れてる気がするんだよな……」

「ああ?今日の日付はっと」

 隣の机で数学の教科書にパラパラ漫画を描いていた恭一がカレンダーに目をやる。

 四月十二日。水曜日。ちなみに時計は一時五七分を指している。

「昼飯は食ったよな」

「ああ。で、宿題は今やってるし……あ」

「あ?」

「お前さ、今日連隊関係で何かなかったっけ?」

「あ」

 そういやそうだった、と答える前に、ばぁん!という音とともに、ドアが吹き飛んだ。

「そぉこぉにいやがったかぁ!くぉの脱走兵めぇええ!!」

 地獄から産地直送でお送りしますというような声を出しながら、二メートルはある男が目を爛々と輝かせて立っていた。あまりのことに声も出せない誠。

「さぁ、連隊から逃げれると思ったら大間違いだ。てめぇの玉は、もう連隊のものなんだよ。わかったら、俺と一緒に説明会に出ようなぁ、おい?」

「いや逃げようとなんてしてませんって!忘れてましたすみません!」

「忘れてたぁ?貴様、そんなんで許されると思っているのかぁ?こいつぁ、お仕置きが必要だな」

「じゃあな、誠。俺、お前と会えてまあ少し幸せだったよ」

「いや助けろよ恭一ってぎゃあああああああああ」

「ふぅぁははははははははは、さぁお兄さんと楽しいことしようなぁ」

 絶叫と筋肉達磨が部屋から出た後、恭一は本気で葬儀屋を呼ぶべきか悩んだというのは、誠には内緒だった。

 

 

* * *

 

 

「はいこれ」

 誠に渡された物は、大きな黒の背嚢だった。これから備品を詰めて回るはずなのだが、すでに何か入っているようだった。

「あの、まさかこれから全員で殺し合いをするんで、このバッグの中にアトランダムで武器が入っているとかいう楽しい状況じゃないですよね?」

「それはないから安心しろ」

「そうなんですか」

「ただ五分の一の割合で弾丸じゃなくてトイレットペーパーが入ってるかもしれないから、気を付けておけよ?」

 うわ、続編の方かよ。

「中身は連隊士の手引と腕章、水筒、緊急箱、懐中電灯だ。確認しろ」

 中身を空けてみる。分厚い聖書サイズの「少年よ隊士となれ」という本、伸縮性の「保安推進部」と刺繍の入った金の腕章、赤十時のプリントされている鉄製の箱、小型のLED式懐中電灯。よし、確認完了。

「全部あるな?じゃあ、向こうのテーブルで半長靴と靴下もらって来い」

 そう言われて、誠は次のテーブルに移った。

 あの後、誠はごつい連隊の二年生(加賀というらしい)に抱えられて二時丁度に体育館に着くと、連隊の副部長である「副官」の短めなスピーチを聞いて、この備品集めに参加しているというわけだ。ちなみに先ほど耳にはさんだ話だと、支給される備品だけで十キロぐらいになるそうだ。うへぇ……

「靴下は三足。半長靴、ちゃんとサイズ合ってるか確認しろよ?下手すると足が巻き爪になったりするからな?」

「戦闘服は大きめのを選べ。すぐでかくなるんだからな。ったく、ムッキムキの体にピッチピチの戦闘服なんざ、流行らねえからな」

「ま、結局はいろいろと自分で買い足さなきゃいけなくなるからな。覚悟しとけ」

 何だか喧騒に混じっていろいろと有益な先輩方のアドバイスが飛び交っているようだった。誠は他の新入生やごつい先輩たちの嵐の中、どうにか全ての備品を集めると、指示されたように更衣室でそれに着替えた。

「結構ブカブカだな……」

誠はこれでも小柄なほうではなかった。身長だって一七五はあったし、体型もガリというほどではない。しかしそれでもこの黒に金の縁取りの戦闘服はだぼだぼだった。

「まあでもキツ目よりはいいよ。特にズボンはね」

 不意に声をかけられた。振り返ると、眠たげな眼をした長身の男子が、こちらに笑いかけていた。

「何で特にズボン、なんだ?」

「殴るよりも蹴る方がモーション大きいからね。いくら強くても、ズボンがきついんで膝以上は蹴れません、なんてことになったら、笑い話以外の何でもないし」

 あー、と納得の声を上げる。

「それにさ」

「それに?」

「やっぱ諸に下半身がピチピチだと、朝とか結構困る気がするんだ」

「……いや笑いながら下ネタに走られてもな」

 苦笑いして見せた。

「君は、何組?」

「四組。あんたは?」

「一組。寮生かな?寮堂で見かけた気がするんだけど」

「ああ。303室」

「僕は106室。新木仁。よろしく」

「谷塚誠。こっちこそよろしくな」

 ダボダボ隊士二人の手が固く握られた。

「それが、思えば、僕と彼の運命の出会いでした」

「そこで少女趣味なネタを振るなよな」

 

 

* * *

 

 

「ねえ谷塚君」

「どうした……仁」

「生きてるって、やっぱ、辛いね」

「喋るなよ、こっちだって、今楽になりたい、気分だから」

 備品授与が終わってから二時間後、新入隊士諸君はみんな仲良く片付けられた体育館の中で倒れていた。いや、形容としてはむしろ「転がっていた」と言った方が正しいだろうか。それは寝転がっている人の集まりというよりは、電気が切れてそのまま作動停止となった人形の集まりのように見えた。つまり、みんな疲弊しきっていて、倒れるがまま倒れてしまったということなのだ。

「明日の筋肉痛が全く楽しみじゃない件について」

「だから喋るなって」

「……しかし挨拶代わりに重装備で十キロだとは、さすがに予想してなかった」

 あの後隊士は全員並ばされ、授与された装備の上に、剣道で使いそうな面と胴、そして見慣れない肩当を着けられ、そのままランニングに引っ張り出された。最初の二十分で息が切れ、三十分で脇腹と肺が痛み、四十分で頭痛が激しくなり、五十分で意識朦朧、体育館に入った時には入り口でぶっ倒れて、邪魔にならないように先輩にいい様に引きずられた。そして数分前に蘇生したという感じだ。

「でもこの剣道のものって、どこから持って来たんだ?剣道部のを借りて来たのかな」

「いや、まずこれ剣道じゃないし」

 仁がようやく色の戻ってきた顔で言った。

「違うのか?」

「連隊の特徴はね、空手や柔道の代わりに日本拳法、剣道の代わりに銃剣道を重視することにあるんだ」

「銃剣道?」

「正確にいえば天栄学園ルールの銃剣術だけどね」

「何だそりゃ」

 銃剣道とは、その名の通り戦場で兵士が銃剣で戦うための訓練、銃剣術を武道化したものである。剣道のそれと大差ない「面」、「胴」、左手のみにつける「小手」、そして標的となる左胸を覆う「肩」を剣道着によく似た銃剣道着もしくは詰襟タイプの上着とズボンの上に装着し、有坂三八式小銃に銃剣をつけたものを模した「木銃」で相手を突き合う競技で、自衛隊の訓練の一環となっている。

「本来なら刺突のみが有効技となるんだけどね、天栄じゃ少し勝手が違うらしい。さすがにそこら辺までは知らないけど、だから天栄が銃剣道の高校大会に出場することはないんだって」

「ふーん……天栄ルールってどんなんだろう」

「ま、遅かれ早かれわかるよね」

 よっこらせ、と仁が立ち上がった。

「うがぁ、足痛ぇ。じゃあ、僕はもうそろそろ寮に戻るよ」

「あいよ。また明日な」

 何でこんなに早く歩き回れるんだ畜生、とぼやきながらも、誠は立ち上がろうとし、そして力の入らない足のせいでまた地面に激突した。痛ぇ、畜生誰だどこの猿だ直立しようなんて最初に考えた奴はめちゃくちゃ効率悪いじゃねえかよ。

 

「お、まだいたな谷塚」

 

 背筋が凍った気がした。

「さあて、倒れているところ済まんが、ちょっとお兄さんと来てくれるな?お前と話がしたかったんだ。さっきの遅刻に関して、まだちゃんと時間とってなかったよなぁ」

「い、いや悪いっすよ、俺何かのために時間なんて作らないでいいって」

「遠慮するな。さぁ楽しい時間の始まりだ」

「え、先輩、だめです!俺まだ心の準備が……」

「気にすんな、お兄さんはバッチカモーンフォオオオオオ、さあさっさと来るんだ」

 この時ほど誠は足が動けないことを呪ったことはなかった。もっとも、動けたとしても加賀と駆けっこをして勝てる見込みなんて、万に一つもなかったわけだが。

 

 

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